バイクと私とその仲間達       by usagi
 私がバイクと知り合ったのは多分小学校一年生位の頃,父親がスクーターらしき物を持っていて「これって何だろう、何するもんなんだろう」と訳のわからん不思議な物をじっと見ていた記憶がある。そして小学生の5,6年生のころだったか、いとこの家にホンダのスーパーカブがあって、それに乗せてもらって、当時こんな楽しい乗り物があったんだという感動がありました。

 その後バイクにはず〜と興味が無いまま、気がついたらあの可愛らしいモンキーを買っていた。それが幾つの時か、また何故買ってしまったのかはよく思い出せない。おそらく三十歳前後だったかと思う。あの時何人かで買ってみんなで競争しながら走ったり街まで買い物に行ったり、メット無しだったのでお気軽な乗り物だった。しばらくノーマルで乗っていたが、車と併走すると65km/h位しかスピードが出ないので風圧で危険と思いリアのスプロケットを交換して80km/h位迄伸びるようにした。当時そのモンキーで留寿都のモトクロコースを走らせてもらって、結構ハードで辛かった割りにはとても楽しかったことを覚えてる。ギャップにタイヤがはまって真ん中が底付き状態になってしまったのをモンキーで味わった。そんないろんな事がバイクにはまっていった原因だと思う。

 I 田からヤマハのトレール(50cc)を買ったのもその頃だったと思う。モンキーとトレールがどっちが先だったかは定かではない。でもみんなでつるんで遊んだ記憶は他の人と行った釣り以来だった。はっきり言って私の過去の遊びからはまるで別世界だった。汗をかいて手足がつって息をハァハアさせて破顔一笑している様は私の今までの世界からは考えられないものだった。

 そしてDT50です。小柄だけど、トレールの乗った後からするとなんとやんちゃくさいバイクなんだろう、乗りこなせるんだろうか?と不安でいっぱいだった。弟をこの世界へ誘ったのもこの頃だった。R司と3人で初めて**へツーリングに行ったことが昨日のように思い出せる。その時のR司のことを「あ、この人はすごい!、こんなに上手に乗れるなんて。絶対追いつかないな」と思いながらでも、転んで痛めた肘を庇いながら嬉しくて怖くて、早く家に帰りたくて、でもまだ乗りたくて。弟と2人で「K藤さんはすごいな!」と言いあっていた。自分は自分でこんなスピードで走っている姿を客観的にみて結構感動を覚えていた。今思えばたかだか30km/h位で。

 やはりその頃モトクロッサーの中古を何人かで出し合って買った。初めて乗ったときの感想はただすごい!の一言だった。軽い、倒しやすい、そして吹き上がりの良さ。たぶんにあの排気音の煩さで、今思えば大したことがなかったかもしれないけど、でもこいつは今までのとは全然違うぞ!と痛切に感じた。その当時はバイクが楽しくて楽しくて、夢の中にも現れるほどだった。二、三世代前のモトクロッサーの一台を家に持って帰り、乗らなくても手を掛けてやるともう愛おしくて愛おしくて。キャブレターを分解・スポークの調整・チェーン張りetcと、ちょっとはバイクの勉強もした。当時東苗穂に住んでいて、豊平川の河川敷まで右肩に瓶ビールの空き箱を背負って何百メートルかを押して行っては、ちまちま遊んでいた。思えばただ単純に楽しくて、おもしろくて。 こんな楽しいことを何故もっと前からやっていなかったんだろうとすごく寂しい思いもした。中学生の時に駄目でも、高校生、せめて二十歳位で覚えていればもっともっと恐怖心も薄らいで、うまくなっていったように思うのは私の錯覚だろうか?
事務長 でも自動二輪の免許は必要無いなと思っていた。乗るバイクが50ccかモトクロッサーだったから全然免許が必要じゃなかったからです。
その頃R司が歯茎にポリープができて当時「兄貴、俺に何かあったらバイクもらってくれよな」と言われ、(何言ってるんだ、それこそ俺をこの世界にのめり込ませたのはR司じゃないか。もっともっと楽しく乗ろうぜ、年とっていっても)と思いながら(辛いのは俺じゃなくてR司の方じゃないか、俺は自分勝手なことを思ってるぞ)と反省しきりだった。結果が良性で良かったけどR司は自分のDT125をもう私に渡すことを決めていたので結局中型自動二輪を取らざるを得なくなりました。(後にR司の奥さんから「R司さんは本当にもし自分がバイクに乗れなくなったら兄貴に俺のバイクをやってくれ」って言ってましたよ)と言われ、私の心に大きな感動が溢れた。DT125は乗りやすいバイクだった。そしてR司とまた一緒に乗れることがすごく嬉しかった。
でもR司は色々演出してくれました。藪で頭落ちは笑わないようにしていても可哀相だと思っても、私の顔がだらしなくなっていった。あとクラッチワイヤーが切れて本人は一生懸命クラッチを繋ごうとするけど、キックもしなきゃならないし、信号で止まると偉い目に遭うし、それを見てるとやっぱり笑ってしまった。いっぱい笑わせてもらって、そして笑われて・・・。
I 田  I 田とも長くバイクと関わってきた。I 田はバイクもある、俺にはバイクがある、て言う違いがあるような気がするけど(なんじゃ、それ)、乗り方が何とも言えずほのぼのしていて(本人からすれば冗談じゃない、一生懸命だぞ!)って言われそうだけど、何か人を安心させる乗り方で、後ろから付いていくと自分のペースで・自分のペースで、と心に暗示をかけれます。きっと本人は気が付いていないと思うけど。あのだら足のコーナリングは後ろから見てると必ず私はにやけてしまう。
そう言えばタイヤのチューブ代わりに草を詰めて走ったときはさすがに足は出してなかったけど、後ろから付いていくとき俺の顔に自然に笑みが浮かぶのが分かった。
バイクのメンテは手抜きだけど乗る気持ちは真面目で、だから何年もこうやってやってこれたんだろうと思う。
T岡 当時いたTさん(T岡)は、やはり私に影響を与えた。まず格好いい(ファッションじゃなくバイクの乗っている様)、それも早くて格好いい。普段遊んでいそうだったけど、バイクは真剣。やはり男はこうじゃなきゃと一人感心していた。
(旧)Y崎嬢 浜で何度か練習会を開いていたら、一人変なバイクで遊んでいるのがいるぞと思い、誰だとそばに行ってみるとTWに乗った(旧姓)Y崎(女)だった。よくこんなプヨンプヨンのタイヤでバランス良く乗ってるなと妙に感心した。でもメンバーで一番やんちゃくさかった人だとは、メンバー全員が一致して思うところだということは本人も知っていることでしょう? まっ、冬にスキー夏にバイクじゃ体力・バランスが優れているのは当たり前で、その分気力があるし、酒も強いし(あんまりバイクと関係ないか?)、この頃若干難病で体調がはかばかしくないところもあるけどメンバーのモルモット的存在(違ったマスコットだった)でいつまでもがんがん攻めてほしいな、転んでも、水浴びしても気にしないで・・・。
気にしないと言えば、Y崎は結構ナイーブなんですよ、本当は。病気を悪くしないようにするには物事にあまり気にかけない・気に病まない・おおようにしていて・そして身体の休息。だけどもともと身体を休ませている気配はないし、さらに意外と繊細?だったから病気も一進一退。みんなもY崎にはもっと優しくね!
そう言えば、また思い出したけど私の目の前でスーパーマンの格好でバイクに乗るのは止めてほしい。人ごとながら心臓に悪い。でもそれをばれたときのバツの悪さをごまかす笑いは好きだけど。
M達 そう言えばいつからM達はいたんだろうか。Y崎の後だと思うけどメンバーの中にいつの間にかとけ込んで、溶けてしまってるかもしれない。早いんだか遅いんだか分からないけどいつもちゃんと付いてきていつの間にかどんどん早くなっている不思議な走りをしている。今回の<何か書いて>のタイトルを聞いたら<メンバーのセクハラ>って言われるのも当たり前ってくらいに不倫物の主人公であったり、下品なオヤジギャグの嵐にめげずに逞しくツーリングに参加しているのは感心感心。でも何度かいろんなパターンの転倒を目の当たりにしていると、転び癖が付いてきてるんじゃないかと不安を覚える。精神的にはかなり逞しいんだろうと思うけど・・・。 今でも私の脳裏に焼き付いているシーンはM渡の下りの顔面強打。本人その時一言「頭の中で星がくるくる回ってる。」さもありなん、後ろから見ていて思わずその瞬間自分で転んでなくても「痛い!!」と声が出てしまった。あぁ恐ろしい。
胃にポリープができたり変な皮膚病になったりと厄年みたいになってるけど、いつまでもみんなのセクハラ女王でいてくれたらいいのにと思っているのは私一人?
女性陣二人は仕事には真面目で、Y崎は昼は美装屋さんでOL、夜もホステスじゃないけど週三回パスタ屋さんで働いていて、M達はM達で毎日が10時半過ぎの帰宅で、土日もよく展示会に繰り出されているようだし、それでいて結構ツーリングには真面目に参加しているし、逆に私を含めて男性陣の方が軟弱だと思います。ほんと、頭が下がります。
O池弟 顔面強打と言えばもう一人、O池弟さんです。
O池さんは一時まめに参加していると思ったら暫く遠のいて、結婚したら少しは落ち着いて参加数も多くなると思いしや、結局変わらず間引き参加。この人も本当は早いんだけどなかなか自分の本性を出さないで走っているけれどいつか切れたら恐ろしい、きっと。そりゃ、ドライヤーでは早くならないけどチューブを持てば鬼に金棒。これで胸に奥さんの写真が入っていれば何人たりとも近づけない。もともと才能あるのにどうも色々足かせがあるようで仕事、奥さん、etc。それらを振り払って走るときっとかっ飛んでしまう。顔打って初日の職場に行けるくらいの逞しさがあるんだからバイクなんか軽い軽いってか?
Y崎氏 Y崎さん(男)も不思議な人です。
すごく早いんだけど全然顔に出ないし汗一つかかず、爽やかに走り込んでいます。
シューパロの湖でのコーナリングでクイックターンをされたときの後ろを走っていた私の胸きゅんの感覚は今でも思い出せます、怖かった。後ろから付いて見ていると、思いっきりがすごく良くて、真似しようと思ってもなかなかできなくて、いつの間にか居なくなっていて、もっと後ろから研究させてと思うんだけど、ず〜とあまり参加してくれないから残念。 
K島 K島さんは女Y崎、男K島と言われていつも本人は否定するけど、絶対やんちゃくさい。本気になった時の負けん気はすごいと思う。きっと誰がそばにきても、絶対に寄せ付けないだけの自信を持っていると思う。本当はすごく優しいんだけど、バイクに乗っているときは自分に厳しいんだと思います。K島さんの後ろを付いていくと、何故これだけスムーズなコーナリングができるんだろうとつくづく思う。同じスピードで同じようにコーナーに入っても私はバタバタ、K島さんは流れるようなコーナリング。自分でも情けないと思いますが、天性でしょうか?K島さんの走りを見ているとつくづく、人には皆それぞれそれなりの器があって、バイクに乗るのにも何もしなくてもそれなりに乗れる人もいるし、努力してもさっぱりの人もいてと、自分と、K島さんをつい比較してしまう。(確かに私はうまくなる努力をしてきてはいないが・・。根がずぼらなもんで。)
S庄 S庄さんはこれまた優しい親父(私よりず〜と若いのに)で、子供の写真を持って見せびらかすような男ですが、ひとたびバイクを与えると闘志がすごい!
でも酒の闘志もすごい。(なんのこっちゃ)ひとたび酒を与えると阿修羅の如く、延々と独善会が続く。これがまた良い酒のつまみになるようでみんなもにこにこして聞き入っている。ことバイクの走り、技術は誠ジュニア、そして酒の飲みっぷりは何人たりとも寄せ付けない人です。
たまに思い出すのがよそ見の立ちゴケ。あの情けない顔は、写真で証拠が残っているだけに一生みんなに思い出させることでしょう、可哀相に。だけどやっぱり早い。柔和な顔に闘志を秘めてひとたび誠さんの無言の圧力を後ろから感じると早い,早い。
K島・S庄両君は二人ともいつか、誠さん撃沈するぞと虎視眈々と狙っているような気がする。(大丈夫、誠さんも年をとる) 
弟 弟は私がバイクを始めてほとんど同時に誘ったのでバイクの乗り方もスピードもだいたい分かる。一番最初のR司との三人でのツーリングで、ハンドルの右側がちょっと上がってしまってそれでも続けていた走りが今でも思い出せる。4ストの250(XT250)でいながらあのツーリングの後、めざましく走りが早くなって、特にコーナリング時に回転数を落とさず走り抜けていたのには、兄としても感心した。一時走りのブランクはあったが、もともとが乗れてたのでまたすぐに戻って走っていた。元来が几帳面ですが、ことバイクのコーナリングは結構ちゃらんぽらんです。あまり決まったライン取りをしないんですが、それはそれで後ろから付いていくと結構おもしろい。特にコースアウトしそうなときのあわてようは、自分のことのようにどきどきしていた。
際だって凄いのが兄でも驚くあの下品な会話。みんなたじたじになる会話の中身。人間、精通するってことは何事も き・わ・め・る ってことですよ。ある面で敬服。
M野 M野は不思議な人だった。サンダルでキックして失敗して踵を怪我させても平然と乗っていたようだし、骨にひびが入っていてもやはり普通に乗りこなしていたし、飯はとらずにコーヒーで食事をしていた割りには、それなりに体力もあったようだし、人間離れした雰囲気を持っていた。
だけどそれでも普通の親父と同じ親ばかで、娘には甘いようで、バイクへの思い入れよりもどちらかと言えばそっちの方へ向かっていったみたいで、ツーリングにもあまり意欲を見せなくなってきたように思うけど。でも私とは結構境遇が似ていて、なんか頑張っているなと私も励みになっています。
M島 M島君(故人)は今ツーリング仲間としては一番最後に参加するようになった人ですが、私は頭が下がります、ホント真面目で。バイクの対する姿勢は、十分尊敬に値する。多分骨折していても必ず参加してくれるようなひたむきさが感じられる。参加する毎に早くなっていくのは、やはり一番熱心だからで、バイク乗りでも旬があるとすれば今のM島君だと思う。あの小柄な身体で、きっとK島・S庄・Y崎(男)を脅かし、いつか誠さんをも・・・。う〜ん、恐ろしい。しかしそれでいていろんな事に造形が深そうで、結婚すると良い旦那になるんだろうな。
その人たち以外にも今までN谷さんやK地君、S下さんや旧女王様、T橋姉弟やI 記さんそしてY田君、O寺君も、さらにA達・S田両女性群もいました。
N谷 私がゴロタ石でなんとか走れるようになったのもN谷さんがいたからです。N谷さんの後ろを転ぶ覚悟でがむしゃらに付いて行き、こんな早さで走れるんだ、と一人満足していました。
K地 K地君の走りを見ていると自分も(あっ、俺もこんなカンジで走りたいんだ)とやはり一人納得して一緒に付いていってた覚えがある。
(旧)S野 旧女王様(S野さん)は立ち振る舞いが全て女王様で、早さや気合い、根性そんな泥臭いものは似合わない人で、夜の宴会も仕切っていた様な気がする。
T橋 T橋家は以前参加されていたのに全然来なくなって特に高橋弟氏の方は、白バイのテクニックを盗もうと思っていたのに残念。
I 記 I 記さんは私の目の前で対向車の二輪と正面衝突を見せつけましたが、2度と見たくない、恐ろしい光景だった。相手のフロントフォークがくの字に曲がった衝撃は多分一記さんも相当精神的ダメージも大きかったと思う。
Y田 Y田君はどうしてるんだろうか?あの人も疲れると空中散歩をしていたようだけど、走ってる姿は結構前向きで、一生懸命いろんな事を吸収してやろうという姿勢が感じられた。
O寺 O寺君はどうして来なくなったんだろう?それなりに楽しげに乗っていたのに。いつの間にか結婚していたようだけど、それとこれは別だし、尾池さんのように奥さんに気を使いながら参加している人もいるし、女性陣のように旦那からバイク禁止で来なくなった人もいるし、でもよけいなお世話か。
A達 A達さんは家庭の事情とかあって大変だったみたいですが、バイクは本当に楽しそうに乗っていたね。もともとバイクなんて所詮楽しいから乗るんであって、苦痛を伴うんだったらきっとだいぶ前にやめてたんだろうな、私も。
(旧)S田 S田さんは、何回くらい参加したのかな。M達と一緒に参加したけど早々に結婚して家庭に入らざるを得なっかったようだけど、そこそこ乗れていたようなのでもったいない気もするけど、まっ、それはそれで幸せか?
本当はまだまだ私の前を通り過ぎていった人たちがいました(男の遍歴を語る時のけだるさの漂った夜の女みたいな表現?)が、顔は思い出せても名前が思い出せません。歳のせいでしょうか、単に物覚えが悪いんでしょうか?
トヨキ 全ての別格は誠さんです。スケールが際だって違います。
追いつこうとか蹴散らせてしまうとか冗談で言うことがあってもあくまでも冗談です。
理論、ブレストガードのような筋肉そして熱い熱〜い、寄せては返す波のような走りを見たものはいつか奈落の底に落とされる、悪魔のような、いやいや天使のような、これも違うか神の化身のような、言い過ぎか?何はともあれ凄〜い人です。(神のような人でも自分の息子には只のオヤジですが)メンバーの誰もが認めるあの走りは、充分すぎるほど勉強させてもらいました。(あまり身に付いてないけど)自分達がそれぞれ昇華させたとは思いませんが、ほんの一部でも身に付けば、それだけでもめいめいのバイクの肥やしになったことと思います。 
勿論私も、今は日和ってスタンディングもしなくなりましたが、初めて教えてもらったときはなんて理にかなったことを言うんだろう、どうしてそんな当たり前のことが分からなかったんだろうと単純に驚きましたが、その後の誠さんの口から発せられるバイクの色々は、ただただ感心することばかり。
あの教えがないと、きっと私はバイクの世界がもっともっと柔だったと思う。
結局私がバイクを続けてこられたのもバイクが好きだってこともあるけど、やっぱり良き仲間がいたからなんだなぁつくづくと思います。いろんな人たちに支えられてきたからこそ続けてこれたんだと思います。只この頃自分の体力の衰え、気力の萎えをだいぶ感じるようになってきました。体力が歳のせいと一言で片づけるのは簡単ですが、結局気力があっても如何せん身体が付いていかないのです。今年はツーリングに行って休憩と休憩の間の距離は、5分の1位しか気力が続かないのです、それも気持ちを振り絞っても。気持ちが萎えてる間は、言葉は悪いですがず〜と手抜きです。
これからの私はどうなるんでしょうか?前途多難!!そして仲間達も・・・・。