penguin

恥ずかしいのですが、実は私、日記を付けておりました。事務長から記念誌の原稿依頼があったので、10数年前の日記から30’s黎明期関連を抜き出してみました。
太字の部分はそれを読み返しての私の感想です。

1982

1982/6/20  M田兄・K藤・T岡・越後と浜へ。125はエンジンかからない。KEは不調。125・KEを修理に出す。
 ■ここで言う125とはヤマハの中古モトクロツサーである。当時の私は、ダウタウン・ブギウギバンドの着ていた綿のツナギに長靴と軍手という、モトクロツサーをナメてんのかといった格好であった。また、浜というのは十線浜だったと思う。

1983

1983/1/15    K藤・越後とKE組立。
1983/3/13    K藤・越後と苫小牧へ。浜のモトクロコース。125は怖い、80は乗りにくい。
 ■ここで言う80とはヤマハの中古モトクロツサーである。
1983/3/27    K藤・M田兄・越後と80・125積んで銭函へ。80壊れる。125クランクいかれる。
1983/4/3     125修理できた。銭函へ。
1983/4/17    越後・M野・本間・泉と銭函へ。砂が深い。
1983/5/29    M野・越後と銭函へ。
1983/6/5     K藤一家と銭函へ。
1983/8/27−28 **一泊ツーリングと予定表には記載されている。
 ■しかし私は25日に次男誕生のため不参加。
1983/9/11   16時単独で銭函へ。途中キャプの故障でガソリン漏れ出す。
 ■多分ツーリングに行けなかったことが悔しくて一人で行ったのだろう。
1983/9/18    午前中バイクで石狩へ、いつものモトクロス場は工事で狭くなっている。
 ■これも多分個人で行ったのだろう。工事というのは石狩新港の造成工事のこと。そして、モトクロス場というのは新川右岸の砂地です。
1983/10/15   14時から加藤・増田兄と石狩へ。18時半帰る。
1983/10/16   M田兄弟と雁来で15時まで走る.
 ■そうそう、雁来の橋の手前にラフなコースがあって、そこで走った記憶がある。
  M田弟はこのときXT250だったと思う。

1983/10/23    M田兄宅へ行くがYZエンジンかからず、二時間ほどかかってやっとかかる。K藤合流、17時まで雁来のコースで走る。58秒で回る。トップである。
 ■この最後の「トップである」を読むとよっぱど嬉しかったのだろう。
1983/11/6   M野と新川のコースヘ。ギャップがひどい。M田弟・K藤あとから来る。
1983/11/12   雨なのでバイクは中止。
1983/11/20   K藤・M野・M田兄弟と新川へ。水が溜まっていた。19時帰る。
1983/11/23   トヨキで250借りる。5人で2台なので疲れる。18時帰る。
1983/12/9    午前中はトヨキでYZ80注文。すぐ届いた。最後の一台だそうだ。
 ■個人でYZ80新車を買ってしまったのだ
1983/12/10   午後からK藤とトレーラーとYZ運ぶ。
1983/12/18   朝からK藤とM野で苫小牧へ。YZ80はパワーはまあまあだが、ステップが高くて安定性がない。
 ■12月の18日まで乗っていたとは、モトクロスごっこに燃えていた年である。

1984

1984/4/15    K藤・M田兄とバイクで銭函〜石狩往復。新川沿いの雪に埋まって苦しむ。
1984/4/29    バイクで新川へ。風が強い。
1984/5/6     バイクで新川へ。絶好のコンディション。かなり乗った。
1984/5/27    M野とトヨキの新コースヘ。ギャップが少ない。16時帰る。
 ■これは多分、新川沿いの砂地コースをトヨキで整地したと言うことだと思う。
1984/6/10    雨のためモトクロ中止。
1984/6/16〜17 **一泊ツーリング。9時40分雁来で集合。快晴、高温.K藤転倒、タンク破損、KE前輪パンク、ISBでチューブ交換。20時**到着。
 ■これについては、K藤氏が詳細に触れているが、BのS林道の赤土路面の走り心地に感動した記憶がある。特に帰路のコースのコーナーとアップダウンの具合が、妙に私のリズムに合い、大好きなコースになってしまった。
1984/7/1    トヨキのツーリング。offは10名。恵庭で2名脱落。T橋さんパンク。支笏湖14時発、17時登別着。オコタンペ20時20分着。
 ■確かY田一記さんが恵庭の林道でコースアウトしてバイクを壊したような気がする。
1984/8/25    午後より単独でアシリベツ・真栄の林道走る。クラッチ重い。
1984/9/23   **一泊ツーリング。9時集合、快晴。さすがに誠さんは速い。スタンディング挑戦。16時半**着
 ■K藤・M田弟・M野と初参加の誠さん。このとき初めてスタンデイングなる乗り方を教えてもらった。また、タイヤの跡が鋭角に曲がっている誠さんのコーナリングに驚愕する。この夜は、誠さんによるライディング理論の講義で、頭では理解したがどう実行するのかチンプンカンプン。日く、「スタンディングは重心が低くなるから安定する。」「寝かせた方がタイヤの接地面積が広い。」「石や水たまりなどもバンクだ。」「あんたたちはブレーキの時間が長すぎる。」
1984/9/24    8時半出発。H経由。BのS林道手前でM野転落、DT破損するが走 行可。林道内でM田弟転倒、記憶なくなる。18時着。
 ■前夜の講義を実践すべく必死にスタンデイングで 走るが、NNUのダートで誠さんに付いていったらコースアウトして崖から転落しそうになった。これを機に、あの人は別世界の人間だと認識することにした。また、転倒したM田弟が記憶をなくしたまま、スタンデイングで走っていたことが、この回のツーリングの充実度を現していると思う。
1984/10/2    北自動車学校へ中型免許取得のため入学手続きする.
 ■勿論、DT200購入のためである。
1984/10/10   K藤・M田兄弟・本間と新川のモトクロコースヘ。快晴で暖かい。10分+2周の練習する。今日は50周位走ってクタクタ。16時までやる。
 ■前回の**ツーリングの成果を忘れまいとの特訓であろう。
1984/11/2    夜トヨキにRM取りに行く。M田弟がいてブレストガード買っていた。
 ■ブレストガード云々の記述については、こそこそと装備を整えるなんて卑劣極まりないとの私憤が窺える(苦笑。しかし、私も含め全員が安全性を考えてエルポーパットやブレストガードなどの装備を充実していったのもこの頃だろう。)
1984/11/4  モトクロス、N谷氏も参加。水たまりが多いが快晴で気温も高い。
 ■多分新川沿いのコースだろう。
1984/11/11   新川でちょっとだけ乗る。
1984/11/16   RMトヨキヘ運ぶ。
1984/11/17   RMトヨキより運ぶ。
1984/11/18   モトクロコースヘ。上は乾いているが下はヌメる。高谷氏来る。フルメンバー。

1985

1985/4/6     DT200納車
 ■初めての新車でウキウキ。
1985/4/21    K藤・M田兄弟と新川へ初乗り。
1985/5/20    トヨキにステッカーデザイン持っていく。
 ■誠さんに頼まれてトヨキのステッカーをデザインする。30'sのではありません。逆三角形のヤツ。

1985/5/26     トヨキのツーリング.支笏湖〜美笛〜ルスツで風呂入ってジンギスカン。中山通って帰る。
1985/6/15〜16  **一泊ツーリング。
1985/8/25
    トヨキのツーリング。支第湖〜登別コース
1985/9/22〜23
 **一泊ツーリング。

1986

1986/6/15〜16 **一泊ツーリング。
1986/7/20     誠さん・M田兄弟・Y崎と**日帰り.
1986/9/14〜15 **一泊ツーリング。

1987

1987/6/14〜15  K藤・M田兄弟・S庄・Y崎・M野で**一泊ツーリング。NNウ林道復旧していた。帰路でS庄さんのDTエンジン焼き付く。
1987/9/13     K藤・M田兄弟・T岡で**二泊ツーリング。TのAスペン泊。

 ■2泊3日のツーリングであった。この頃モトクロタイヤが流行し、砂利を飛ばすようになったので、ヘッドランプの破損が増えたのだろう。この後、餅網を改造してレンズを自衛するものも現れた。また、誠さんの転倒に関しては、多分全員が心の中では「ワアーイ、誠さんがコケた」と歓声をあげていたのでは。

読み返してみると、1982年にR司に誘われて浜でモトクロスごっこを始め、M田兄弟と共にバイクの楽しさを知り、1983年から始まった(残念ながら私は1984から参加)**ツーリングで、完全にハマリ込んでしまったという経緯である。そこに誠さんという偉大なお師匠さんがいて、トヨキに集うオフロード好きと巡り会い、1988年の30’s結成に至るのだろう。
 1988年以降については、年表を参照して下さい。