2002年忘年会報告           事務長

 デフレと不況の嵐はその風速を増しており、不良債権処理やら構造改革やらも嵐を押さえるどころか風向きを予想外に不安定なものに変えるばかりで、一体この国はどうなってしまうのだろうか・・・といったことを論議すべく、地方自治体・金融機関・小売・不動産・繊維・医療・サラリーマン・主婦など多くの業種や立場からの代表を集め、2002年度30's忘年会は本年11月29日、国際会議場「上海○」において開催されました。
 参加人数は11名で、多忙のため全員が揃ったのは会議終了30分前でした。
本来2時間のコースでしたが、二次会会場のライブステージに時間を合わせるために1時間半に短縮したところ、料理の運ばれるペースが早く、落ち着いて飲み食いできず少し忙しい一次会となりました。
遅れた参加者が到着するたびに次々と繰り返された乾杯の数は5・6回。
正確に数えることすらできない有様で、開始前から飲んでいた人と最後の方から飲み始めた人ではだいぶハンデがありましたが、最終的には全員そこそこに飲み食いしていたようでした。

 開始1時間半後には、第2会場である「ファミリー○○○」に議場を移し、ラテン音楽を聴きながら論議を深めていきました。
キューバ音楽のライブだと聞いていたので楽しみにしていたのですが、予定時間を1時間も遅れて出てきたのは妙にバタ臭いおねえさんとピアニストが一人だけ。
 キューバ音楽は最近村上龍が絶賛しており、この店でもそれなりの内容なのだろうとの期待は裏切られ、ちょっと良かったのは「コーヒールンバ」くらいでした。
しかし酒の力というのは恐ろしいもので、悪条件の中でも寝る人は寝るし下ネタの連発もあり、また人生論からライディングテクニックにいたるまで、あらゆる方向からこの国の将来に対する提言が続けられました。
最終的な結論としては、来春のWR250Fの逆輸入開始によって日本経済は奇跡的なV字型回復をし、猫も杓子もええじゃないかと踊り狂うに決まってるべさということで満場一致し、万歳三唱一本締めで散会となりました。

 その後は30'sの宴会後によく見られる風景で、こそこそと帰ろうとする者、まだ飲み足りないぞと気勢を上げる者、へらへらとみんなについていく者、それぞれが一つの群れとなって町をうろついた結果、
トヨキ御用達の「ソウル○○○○○」が三次会の会場になりました。
 この店に着く前に、こそこそ組の
ごんたさんナイスガイさんがいつの間にかいなくなりました。
何人かであたりを見回したのですが見あたりません。
しかし
ゆみぴょんさんが信号の向こうの雑踏の中に彼らを発見したらしく、突然脱兎のごとく駆け出し、あっという間に我々の視界から消えました。
ゆみぴょんさんの走り去った方向を眺めてもこそこそ組の姿は見えません。
しかし数分後、
ゆみぴょんさんはその腕にナイスガイさんを抱えて我々の前に姿を現しました。
いったいどうやってこそこそ組を発見し、しかも捕獲に成功したのか。
どうやら
ゆみぴょんさんは酒が入ると野生を取り戻す体質らしく、狩猟民族への先祖帰り現象が起こったに違いないということで一同納得しました。
 その後、北の町へ最終便で帰る予定だった
セローYさんK島さんが妙に親しそうにひそひそ話を始めました。
妖しいぞと思いながら話を聞くと、新しいホテルを見つけたので泊まることにしたとのこと。
30'sの下ネタはかなりきわどいけれど、今まで男同士という話題はなかったのですが、ついに彼らは新境地を開拓し始めたのでしょう。
肩を組み頬を寄せ合って歩く彼らの後ろ姿を見ながら、不思議な感情に捕らわれたのは私だけだったのでしょうか。

 三次会の会場ではどのような会話があったかというと、実はあまり覚えていません。
意識はちゃんとあったのですが、どうも、いい加減にへらへらしながら飲んでいたようです。
三次会が終わってもまだ飲むぞと騒ぐ
ゆみぴょんさんたりらんさんの、「なんだもう帰るのか」という冷たい視線を背中に感じつつタクシーのシートに転がり込んだのでした。
家に帰って寝間着に着替えようとしたら、パジャマの上がありません。
あるのはよく似た色のトレーナーだけ。
変だなあと思いながら服を脱ぐと、なんと、トレーナーと間違えてパジャマの上を着て忘年会に参加していたのでした。
うーん、こんな身近に老人問題が起こっていたとは!
日本は本当にどうなってしまうんだろう。

                                     忘年会写真