「敏司餃子北京亭」さんの栄光の奇跡を記そう…


@ Namba W'ohol 1997

結成
1980年8月、名門吹田東高校の同級生たちで結成された「敏司餃子北京亭」は同10月にBl
ueLeavesFestivalで初ライヴを行う 翌年3月には服部緑地野外音楽堂でのライヴを敢行し
当時の高校生のレベルを遥かに超えたブルージーでタイトなROCKで彼らはその存在を全世
界にアピールすることになるが そのとき既に「浪人決定」を果たしていた川崎敏司がギターを
ペンに持ち替えたため活動を休止 そんな北京亭が再活動を始めるきっかけになったのがBa
ssのBOBハマグチと現KeyboardのHammond奈津子との結婚披露宴だった・・・      
K'Z時代
BOBとHammondとの結婚披露宴は 江坂ブーミンホールで 彼等を取り巻くミュージシャン
たちのライヴが予定されていた 「敏司&亀」というベタな名前で出演した二人は制限時間を大
きく超えたとても二人だけとは思えない程にハードなステージを繰り広げ周囲を驚かせた そ
の後も二人は周囲の目を避けてスタジオに入りつづけ数曲のオリジナル曲を完成させていた 
「打ちこみ」のベースとドラムでは物足りなくなった二人はBOBハマグチとGREAT大石を極秘にス
タジオへと呼び寄せるのであった このころを彼らはK'Z時代として懐かしんでいるのである  
第一次北京亭時代
1992年 再活動を始めた北京亭はキーボードにBOBハマグチ夫人のハモンド奈津子をパーカッ
ション&ブルースハープにアイパー塩崎を迎え本格的活動の準備に入ったのだ 93年4月に
は再活動後初のライヴをスイータのダウンタウンにあるSundayMugで行う Unpluggedでの
ステージは観衆を魅了し北京亭は復活を果たした 7月には時代に残る「服部緑地野外音楽
堂」のステージにも戻ってきた コーラスに自称 美人コーラスグループ 「TINO」を迎え北京
亭のサウンドは更に厚さと華やかさを増していったのだ そして94年 デモテープ「中華定食」
を引き下げて初のホールライヴを行うのだ 「難波ウォーホール」このステージで北京亭は名
実ともに「関西一のアマチュアバンド」を目指しての本格活動の第一歩を踏み出した     
第二次北京亭時代
94年〜97年と難波ウォーホールをベースにライブ活動を積極的に行いオリジナル曲も50曲を
超えてきていたスイータで開催された「企業対抗バンド合戦」という田舎臭い名前のイベントでは
95年2位、96年には優勝 またサンケイ新聞主催の社会人バンドコンテストでは97年決勝進出を果た
すなど 彼らの伸びる鼻は留まるところを知らない勢いだった OSAKA GIGや堺ヤングFES
など多くのイベントにも出演し続け 他のバンドを寄せ付けない音量とスピードで観る者全てを
「勘弁してくれ」っと言わせている こうして15分から20分のパワー集中型イベントステージを得
意とした活動が中心になっていった                            
現代北京亭
北京亭の目標は「関西一のアマチュアバンド」である 96年にはサンTVの「音革命」TV大阪の「C
AT CLUB」に出演 その後地方FM局にも出演するなど関西で頭角を表すことになる 97年
にはベースにしていた難波ウォーホールが閉鎖される 彼らは関西音楽界の重鎮で神戸チキ
ンジョージのオーナー「児島氏」と飲み屋で出会い「チキンジョージのオリジナルレーベル(メリ
ケンキッズ)からCDを出してやる!」と言う言葉を真に受け活動に対する気合や曲創りのカラ
ーが変貌していった(勿論児島氏は泥酔していて記憶に無いはずだが)・・・          
憧れの神戸チキンジョージで2度のステージを踏み、FM MOOVでも3ヶ月間「北京亭倶楽
部」という番組を持つなどかなり積極的で充実した活動が開始された  この1年内に作曲され
た曲も全曲が「男臭い媚びない曲」に仕上がっている  2001年3月には結成20周年記念ラ
イヴを当時のホームであったアメリカ村・THE NEST SALOONで行い約2時間のステージをパ
ワフルにそしてある者は指をつりながら・息を切らしながら乗り切った!また2002年夏には
「豊中ピースフルロックフェステバル」に出演し優勝、2002年夏には日本におけるアメリカンロ
ックの生誕地OKINAWAでのライブツアーを決行! 北京亭の目指すアメリカで北京亭が受け
入れられるのか?心配をよそに嘉手納空港にある米兵の集うライブハウスで見事に一時間の
ステージを狂乱する彼らの前でやり遂げた! また沖縄ピースフルロックフェスティバルでは
20周年記念の本土代表ゲストバンドとして2500人の大観衆の前で 沖縄の暑さを吹き飛ばす
パワフルなステージを叩き付けた! 2002年よりリザーヴドラマーとして参加していたノムリン
こと「天丸」が最新北京亭のツインドラムスのサウンドメーカーとして正式メンバーに加わり 更
に40歳を過ぎ更にパワーアップしてきている 2006年にはデビュー25周年を迎えたが 彼ら
の音楽性・活動方針・VISIONは全ての者に把握困難である 本人たちも判ってないはずだ! 
                             (2006年2月10日 ロッキンオン新宿陽一)


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