ユニバーサル・デザイン

 
最近日本でも高齢化社会を迎えるに当たって、バリアフリーという言葉が使われるようになってきました。
バリアフリーという言葉は、1974年の国連の建築に関する報告書の中で出てきた言葉です。
このバリアフリーの推進により、障害者や高齢者を配慮したものが色々と考案されました。皆さんがよく目にするものとしては、公共のトイレなどに設けられた身障者用のトイレや階段の脇に設けられたスロープなどが最も一般的な例かと思います。
しかし、最近アメリカではバリアフリーという言葉は余り使われなくなってきました。
元々、バリアフリーは、障害のある人が社会生活をする上で、障壁となってる物を改善して、健常者と同じように生活できるようにと云う目的だったのですが、なにか特別の場所を設けられて、そこをお使い下さいというような障害者の指定席を作られてしまった。これは本当に健常者と障害者が同じように生活してると言えるのだろうかという考え方が出てきました。

あなたが、事故によって明日から障害者になるという可能性もあります。事故ではなくとも、高齢になって車椅子生活をおくることを余儀なくされることも有るかもしれません。そのようなとき、昨日までは普通のトイレを使ってたのが、今日からは特別のトイレを使うことになる。何か自分が特殊な人間になってしまったような印象を持って、寂しさを感じると云うことが有るかもしれません。仮に車椅子生活になっても、昨日までと同じトイレが使えれば、自分自身の障害者だとう意識が少し違ってくるのではないでしょうか。
健常者で作られた社会に、障害者などの少数者が同化するのではなく、色々な人が居て、それが社会を構成している、それが自然なことではないかという考えです。
そのようなことから提唱されたのが「ユニバーサル・デザイン」です。

障害というのは実に多くの障害があります。障害と言えば、手が不自由、足が不自由、目が不自由、耳が不自由などのいわゆる身体障害と呼ばれる障害が真っ先に頭に浮かぶかもしれませんが、障害には知的に遅れがある人や自閉症などの発達障害の人もいます。
これらの人達に対しても配慮する必要があるのではないでしょうか。
例えば、一部の自閉症の人の特徴として、耳からの情報は入りにくいが、目からの情報は入りやすいというのがあります。デパート等に行ったとき「1階は婦人服売場、2階は紳士服売場・・・」などとアナウンスが流れているのは、目が不自由な人にとっては非常に親切なことですが、自閉症の人にはほとんど理解できないと云う面があります。自閉症の人には、一目で売場がわかるようなマークで表示して誘導するなどの別の配慮が必要となります。

皆さんが毎日使うシャンプーとリンス。このシャンプーの容器の側面にギザギザが付いてるのをご存じでしょうか?シャンプーの容器には付いてますがリンスには付いていません。これはシャワーを浴びて目をつぶってても手触りで区別が付くようにしたものです。目の不自由な人にとっても有り難い配慮です。しかし、もっと区別を付けやすくしてくれると、もっと助かります。一部のシャンプーとリンスの容器は非常に似ていてとっさにどちらなのかを判断できないこともあります。また、表示されてる文字も小さくて、老眼には見にくいのです。表示内容も、リンス、コンディショナー、ヘヤーマニキュアなど、訳の判らないことを書いてあることもあります。
これを例えば、シャンプーのフタは四角で色は青、リンスはフタが丸で色が黄色などと決めてあったら、視覚障害者や自閉症の人だけでなく、健常者や文字を読めない幼児にも分かりやすいものとなります。
このようにしてあれば、仮に明日からあなたが目が不自由になっても、今までと同じ物をそのまま使うことが出来ます。

障害のある人と健常者が使う物や場所を区別するのではなく、全ての人が同じように使えるようにするという考え方に変わってきてるのです。
しかしながら、これらは簡単に解決できない問題も含まれています。
手が不自由な人にも使えるようにと、茶碗や湯飲みなど全ての食器にコーヒーカップのように取っ手を付けてしまえば、茶碗や湯飲みの持つ歴史や文化を根底から覆してしまうことにもなりかねないのです。

このように、簡単に解決できない面もありますし、また建築の設計者が独自で達成できることでもありません。ユニバーサル・デザインの考えを建物に取り入れるためには、障害のある人自身、高齢者、その家族、障害の研究者、障害児の教育者、工業デザイナー、福祉に関わる人、その他、多くの分野の人々の協力が不可欠なものであることは云うまでもありません。

来るべき高齢化社会に対して、このような思想を取り入れた設計が出来ればと考えております。
 
 
参考文献
http://www.asahi-net.or.jp/~xj6t-tkd/qol/qol.html