<プロローグ>
別に初めから佐渡島へ行こうと思ってたわけではなかった。日本海が見えると
ころでキャンプがしたかっただけなのだ。冬には上越のスキー場からちょくちょ
く見えたし、北海道へ行ったときも小樽から眺めることは出来たのだが、夏の
日本海を見たことは過去1回しかない。数年前に一人でフレームザックを背負っ
てぷらぷらした時以来なのだ。そのときも台風が来ていて慌ただしく去らねば
ならかった。そんな訳で、忘れ物を取りに行くような感覚で、日本海へ行こう
と思い立ったのだった。
ところが、いざ日本海側でキャンプをしようとして車の乗り入れ可のキャンプ
場を探すと、以外とこれが少ない。那須や伊豆ほど散在していなくとも、土地
と水場さえあればいいわけだから全国どこにでもありそうである。が、ぬあん
と日本海が展望できるサイトとなると途端に数が減ってしまうのである。夏休
みということもあり、8月も最後の週まで1サイトも空きがないという。おぉ、、、。
雪中キャンプには全国から12家族しか集まらないというのに、夏になるとウ
ゾウゾとキャンパーが現れる。
ぬあんて嘆いても自分もその一人なんだけどね。
どうすっかぁ。あとは佐渡島しかないかなぁ。ん?佐渡島?佐渡島ってどんな
ところだ?地図を見る限りは単なる離れ小島のようにしか見えない。キャンプ
場が数カ所あるようだ。料金がかなり高めである。1泊14000円てところ
もある。ひえぇぇ。その中でも安上がりで関岬にあるキャンプ場に電話すると、
のんびりとした大丈夫ですよぉ、と予約が取れたのだった。
さて佐渡島へはどうやって行くんだろう?新潟からフェリーが出ているようだ。
時刻表をひっくり返し佐渡への航路を探す。「佐渡汽船」1日に6,7便出て
いるらしい。佐渡島へは新潟港から2時間半弱。キャンプ場に昼過ぎに着くに
は・・・関岬は新潟の反対側だから12時に着く便がある。新潟港発は9時半!!
う、幕張を何時に出たらいいんだ。4時?3時?ま、その位だな。ふう。
出発前日にゴルフコース発デビューを気温35度以上の炎天下で果たし、脱水
症状寸前のへろへろ状態になって帰宅した馬鹿夫婦は、その体にむち打ってキャ
ンプ道具一式を積み込む。カミさんはボケボケ状態。着替えやら食料やら全て
積み込み終わったのは0時だった。
<GOGO新潟>
午前2時半。よく自分でも起きれたものだ。遊びの時でも最近は早起きできて
なかったからなぁ。3時過ぎに幕張を出る。夏とはいえまだ暗い。湾岸、首都
高はタクシーよりもトラックが目立ち、関越道に入ると交通量はがくんと減っ
た。「新潟まで300km」という看板が現れる。おおおおお300kmだぁ。
時速100kmで3時間だが、9時半のフェリーに乗れるのだろうか?それだ
けが心配だ。フェリーは事前に予約をしておいた。実はそのときになってフェ
リー料金の高さに驚いたのだ。なるほど、佐渡島のキャンプ場の予約が取れる
わけだ。関越トンネルを抜けるとおなじみのガーラ湯沢が左手に過ぎていく。
「ようこそ新潟へ」という看板が掲げられているが、実はここまでで練馬から
160km。残り140kmはずっと新潟県内を走ることになるのだ。うーん
思ったより広いな新潟県。流石にぼうっとしてきた。越後川口SAで一旦休憩
をして、北陸道にはいり新潟西ICで降りる。時刻は午前8時。料金は695
0円也。おじさんにフェリー乗り場を聞くと、ちゃんと印刷された新潟港への
マップを渡してくれた。ほう、かなり訪れる人が多いのね。慣れたもんだわさ。
新潟の市街地にはいると、おぉ、すごい渋滞だ。そうか、世間は平日の出勤ラッ
シュだ。旅行気分で高速に乗ってきたが、ここはまるで日常だった。うーむ。
周りの車が新潟ナンバーであることを除けば国道14号や16号となんら変わ
らないなぁ。新潟港に向かうに従い、他県ナンバーの割合が増えてくる。そし
て佐渡汽船乗り場まで来ると、流石に観光旅行の家族連ればかりになり、やっ
と旅行に来た気分になった。
<フェリーにて>
新潟港にはジェットフォイル2隻とフェリー
1隻が停泊していた。高速船ジェットフォ
イル1時間で佐渡までたどり着ける。そし
て我々を日本海に浮かぶ佐渡島へいざ
なうは佐渡汽船が誇る290台収容可能
のフェリー!その名も「おけさ丸」どどー
んっ!コテコテやねんっ!うーむ。おけ
さ丸かぁ。「佐渡おけさ」そのまんまだ
よなぁ。感慨というか呆れてその船体を
眺める。名前は名前として290台のも
車両を搭載可能というのが驚きであった。大島、初島に向かう東海汽船よりは
遙かに大きく感じる。10年ほど前にBMWの船積み、船降ろしのアルバイト
で見た船もでかかったが、天井は低く客室もなかったので、今目の前にいる
おけさ丸はとても大きく頼もしく見えた。観光バスやトレーラーでも30台
積載できるという。屋根にMTBを乗せた1BOX車でも全然余裕
だ。出航30分前に積載が始まり、2階席(というのかな?)に4mに満たな
いエスクードを納め、二等船室へ。やっぱりここは東海汽船と同じ雑魚寝場で
ある。ただ新しい分きれいである。それに車置場から客室までなんとエスカレー
タがある。船の中にエスカレータ。無駄とも思える贅沢に驚いた。
毛布の貸し出しあり100円。食堂あり営業の漫才が出来そうなちょっとし
たステージもあった。船内を一通りぐるりと見て回ると、朝早かったせいもあ
り、二時間の間仮眠をとった。
<こんにちはぁ佐渡ケ島ぁ>
一眠りして船尾にまわり、白く煙るしぶきを眺める。その先には本土新潟県が
あるはずであったが、水平線は白く霞み陸地は見えない。海の色は新潟港を出
るときとは明らかに違う青さをしていた。船首の先には佐渡島が見えている。
緑に覆われ、かなり険しい山並みが見える。大声で叫ぼう!「こんいちわあぁぁ、
佐渡島ぁ!!」いやあ来たねぇ。ついに来たねぇ。やっぱり船や飛行機に乗る
と異国の地に来たような気になる。まもなく着岸するらしく船内放送が流れて
いる。飛行機であれば「現地の気温は23度、天気は晴れ」とか言っているの
と同じようなものだろう。あれ?でもちょっと違うぞ。土砂崩れによる通行止
め情報だと?ほどんど聞き逃したのでインフォメーションセンタにいく。おお、
いるわいるわ、黒山の人だかり。佐渡島まで行くのにJAF日帰り圏内ロード
マップしか持っていかなかった馬鹿夫婦はここで佐渡島の地図をGET。所々
×印が付いている。交通規制もある。ま事前に管理人に問い合わせたときには
「通行止めの箇所もありますけど大丈夫ですよ」と聞いていたので、なんとか
行けるのだろう。
着岸の瞬間は船内の車内(?)だったので見届けることが出来なかった。フェ
リーの船首がパックリ開く。船尾から乗り込み、船首から降りるシステムらし
い。つまりバックする必要はないわけである。降り立った(というのかな?)
両津港は、不思議と函館に似た雰囲気を感じた。漁港と観光地が混在した独特
の雰囲気だ。潮風に吹かれ所々が錆びた建物が、全盛期を過ぎたちょっとさび
れた感じを出しているのも似ている。おそらく佐渡金山全盛期には文字通り光
り輝いていたことだろう。観光地としては函館よりもこちらの方が栄えて見え
る。人通りも多い。車も多い。3分の1はなんと関東近県ナンバーである。そ
して3分の1がそのほかの他県ナンバー。残りの3分の1が地元新潟ナンバー
である。
お昼ご飯を食べようとお店を探す。というか両津港の周りのお店には両脇と
も車がびっしりと停められて車の置き所がない。1時間70円(!)という公
営駐車場があるのだが、もちろん満車である。恐るべき交通事情である。これ
は予想できなかった。290台収容のフェリーが就航しているわけである。い
や就航してるからこうなったのかな。まず車にお食事。リッター105円。現
在幕張で81〜85円。まあ離島価格だろう。ちなみに帰路で新潟で入れたと
きは95円である。
お昼は、「民芸食堂」なる店に入る。入り口が狭く古い家屋を思わせる階段
が2階へと続いている。メニューなどは全くない。ちょっとびびる。以前那須
で同様の店に入り、うどん定食3500円とかでびっくりしたことがある。自
分たちの後にくっついて階段を上がってきたナイスミディおばさん3人組もそ
の気配を察知してか、そそくさと去っていった。いやいや、まあそれも旅の思
い出だ。ちょっとドキドキしながらメニューが出てくるのを待つ。扇子にかか
れたお品書きには「カツ丼650円」とある。おお、そんな無茶な店ではなさ
そうだ。ロースカツ定食やカニクリームコロッケ定食なるおおよそ似つかわし
くないメニューも書かれていた。カツ丼2つを頼む。なかなかおいしい。佐渡
初食事が当たりくじを引き、上々のすべり出しである。
<二つ亀って?>
お腹いっぱいになったエスクード&鈴木夫妻は両津港からいざキャンプ場に向
かう。佐渡島の上半分を「大佐渡」、下半分を「小佐渡」という。その大佐渡
をぐるりと周遊する細道をいく。所々車1台分の幅しかなくなる本当に狭い道
である。左手には山が迫り右手には日本海が広がる。山と道のわずかな隙間に
は段々の水田が作られ、その水田と道路の間に民家が並ぶ。コンビニどころか
自動販売機すらない道が延々続く。ところどころ崖が崩れたようなあとがあっ
た。今年は新潟から東北地方にかけて梅雨明けが遅く、関東ですらつい先週梅
雨明けしたばかりだ。長く雨が降り続き、あちこちで地盤がゆるんでいるよう
だった。1時間くらい走っただろうか。海岸沿いに岬が見えてくるようになっ
た。大佐渡の先端に近づき、はじきのフィールドパークを過ぎたころ、国定記
念物だかなんだかとかいた看板が現れた。「二つ亀」ふたつがめ、と読むのだ
ろう。佐渡二つ亀オートキャンプ場が併設されていてなかなか観光地っぽく人
の往来がけっこうある。我々の目指すキャンプ場は実はここではなくて、更に
大佐渡を巡って佐渡の裏側にある。だって1泊料金が3倍近くも違うんだもん。
で肝心の二つ亀ってのは何なのだろう?どこにあるものなのだろう?オートキャ
ンプ場の管理棟というか宿泊施設の裏手にある階段をおりていくと、岬の先、
というのかな大きな山が海中から出ている。いや、島というのかな。その島ま
では砂浜で陸続きになっている。潮が満ちたら海に沈みそうな細い砂浜だ。な
んとも形容しがたいが、確かに絶景である。ふーん、ほぇー。ってな感じであ
る。そのオートキャンプ場から徒歩10分200メートルの海水浴場というは、
たぶん眼下に見える砂浜に違いない。ただし垂直に200メートルだから行き
はヨイヨイ。帰りは怖いなあ。現に海水浴帰りの家族連れがゼイゼイ息も絶え
絶えに登ってきた。ビーチサンダルに浮き輪2つ、クーラーボックスを抱えた
「頑張る日本のお父さん」がここにもいたのだった。うーむ、ちょっと楽しく
なさそう。景観は抜群だが体感はしんどそうな二つ亀海水浴場?!であった。
このあたりは佐渡弥彦米山国定公園、外海府海中公園地区1号(大野亀地区)
というながったらしい名前が付いている。その大野亀と言われるでかい1つ岩
に登ると先ほどの二つ亀が箱庭のように見下ろせるのである。同じ風景を色々
な角度から楽しめるのがいいねぇ。また大野亀を後にして離れたところから大
野亀を振り返る。おおっ、なるほど、亀だ。先ほどの巨大な1つ岩が佐渡島を
甲羅に見立てると、ちょうど亀頭に見えるのであった。
<関岬休暇村着>
目指すキャンプ場はもう間近だ。食料調達ができそうなところはありそうも
なく、相変わらず寂しい道が続く。やっと見つけた小さな小さなAコープ。隣
のAコープまでは8kmもある。とりあえず卵と牛乳を買う。2パックしかな
かったから買い占めてしまう。後から来た家族のお父さんの叫び声が聞こえる。
「かあさん、牛乳ないかな、牛乳っ」佐渡最北端から15分くらい走っただろ
うか。「もうすぐ関です」という看板が出てきた。目指すキャンプ場は関岬に
ある。午後3時、関岬休暇村オートキャンプ場に到着した。持っていたキャン
プ場ガイドには、吹き抜ける風が心地よいというコメントの横に突風で倒壊寸
前のテントの写真が載っていた。どれぐらいの風が心地いいのかは個人差はあ
るだろうが、いま目の前のキャンプ場に吹く風は結構強いものだった。ただ天
気だけは文字通りお天道様の気分次第なので、管理人に文句を言うわけにもい
くまい。管理棟は必要かつ十分なものがレンタル、販売されており、シャワー
もここにある。サイトには流し台まで付いている。まあこれはなくても文句は
言わないが。何よりスタッフがちょっと不慣れだが一生懸命やろうとしている
態度に好感が持てた。うーむ俺は何様なんだろう。。。既に何泊かしているの
か、たまたま自分たちより早く来たのか、結構な数の家族連れがいた。さて設
営だ。サイトには、テントまたはタープ用にコンクリートブロックのアンカー
が埋設されていた。頼もしいというか便利というか、逆に普通のペグじゃ飛ば
されてしまうのか?という一抹の不安も頭をよぎった。今回ヘキサと自立の2
種類のタープを用意してきたのだが、設営時間短縮と風を余り受けないという
ことでドーム型をチョイス。テントを立ておわり、タープを組み上げていると、
おぉ雨がぽつぽつ。やべっ、既に風が出ているので本降りになると横殴りだな。
よっしゃあ先ずは雨合羽を着込む。ふと周囲のサイトをみると雨合羽どころか
Tシャツ姿で作業している。久々の夏のキャンプだったせいで違和感を感じた
が、そうだよな。降り出したからといっていきなり雨合羽着込むほうが普通じゃ
ないんだよな。タープを立て終え、テーブルやらを出してやっと一息つく。時
間は5時をまわっている。そもそも到着が3時だからこんなもんか。いや、で
も全く夕飯の準備に取りかかってないぞ。そらを見上げると、うーむ雲の流れ
るのがやたらと早い。ちょっと急ぐか。自分のこだわりでキャンプでカレーだ
けは作らないようにしていたんだが、この際面倒だ。凝ったメニューは明日に
まわそう。速攻で飯を炊き、タマネギもじっくり炒めないモードでカレーを作
る。うーむ佐渡特産品がメニューに加えられなかったのが残念だ。強いていう
ならAコープの牛乳か。端付くタープの中で落ち着かない夕食をとった。
<嵐>
しばらく雨は降ったり止んだりしていたが、日が暮れてくると風が更に強くなっ
てきた。あちこちでバタバタとタープが煽られ、たまにガシャーンと音もする。
雨も降り出し嵐の様子を呈してきた。うちのタープのでっかいプリンのごとく
ブルンブルンあおられる。なんだか優雅に食事のデザートでもという雰囲気じゃ
なさそうだぞ!?今まで一度設営したものは撤収の声がかかるまで絶対しまわ
なかったのだが、安眠を確保するためには、心配事をなくしておいた方が得策
ではないかと判断して、寝床以外、つまりテント以外一時待避することにした。
これは今回のタープが設営撤収が簡単だから可能となった。今まではロープを
ぐるぐる巻きにしたりと何が何でも頑張るしかなかったのである。あー俺も歳
とったというか守りに入ったというかなぁ。ぬあんて感慨にふけっている場合
ではない。食器の後かたづけもそこそこにタープをつぶし丸めて車に突っ込ん
だ。たたんでいる最中は雨風が容赦なく降りつけるくせに、たたみ終わると雨
は止んだ。ま、どうせそんなもんさ。さあて汗もかいたことだし一風呂あびる
か。管理棟の5分200円のコインシャワーから出てくると、なにやら「佐渡
の海」なるテーマで地元ダイバーのお話会が終わるところだった。ちょっと目
をやると、聞いているのは5,6人といったところ。話しもあまりおもしろく
なさそうだった。ちぇ、俺の方が潜ってる本数は全然少ないけど、笑える話し
できるぞ。なんてことをラムネを飲みながら思ってた。外に出ると吹きすさぶ
風は勢いを増し、全てのものが飛ばされてしまいそうだった。サイトに戻ると
残ったテントだけが飛ばされまいと地面にへばりついていた。車を風よけにと
テントの風上に置き直したが、うーん焼け石に水だなぁ。テント内は雨風しの
げるので快適かと思いきや、予想以上に暑い。風がないと気温湿度ともかなり
高く、寝苦しい。ベンチレーションは全開だが、上から吹き付ける風のためほ
とんどテント内の空気が抜けていかない。外が見えないため海を渡り岬を抜け
ていく風の様子が余計にわかる。遠くの方からからざざざざざ。ゴゴゴゴゴ。
だんだん近づいてくる。十数秒してゴオオオオオーーッ!!剛性の高いジオテ
ジックのテントだが激しく揺さぶられている。これが延々と繰り返される。お
まけにまた雨が落ちてきた。ポツポツ、ポツポツ。布なのでよくわかる。パラ
パラ、パラパラ。突然、バチバチバチバチッ。ファスナーの隙間から見ると霰
か?雹か?雨とは明らかに違うものが降っているのだ。まさか破けないだろう
な。気圧計の表示はまだ下降し続けている。高度表示は乱高下だ。暑くてうる
さくて不安で寝付けない。前線が通過したのか、急に冷気が入ってきた。相変
わらず雨風は激しかったが、涼しくなったせいか気が付かぬ内に寝入ってしまっ
た。
<海水浴場でGO>
朝6時。最近のキャンプにしては早起きである。雨音はしない。だいたい夜明
けは晴れるもんだ。なーんて根拠なし。外に出ると晴れ間がほんの気持ちだけ
覗いている。あとは昨日にも増しての曇天。小雨もぱらつく。夕べの撤収時よ
りも早い超速攻設営。朝食はカレーの残り。1泊だったら何のために泊まった
のかわからないよな。さあてこんな天気の中でどうしようかなあ。せっかく佐
渡まで来たんだから海には行ってみるか。10時を過ぎると天気が回復し、日
差しが差し込んできた。するとまあ暑い!おお、急に夏になりやがッた。来る
ときは断崖絶壁ばかりの海岸線のなかところどころに海水浴場があった。よし
海水浴に行こう。まずは、もうちょっとましな食材を入手するため相川町へ向
かう。
佐渡の朝鮮側を北東から南西に向かうことになる。相川町に入るとすぐにAコー
プを見つけた。流石に一家族で牛乳を買い占めるほど小さくはなく、非常に品
揃えは揃っていた。ま、戻るときにでも寄れば食材には事欠かなさそうだ。更
に数キロ進み「入崎」というところに出た。1つの看板に海水浴場とキャンプ
場と書いてある。うーむ、ちょっと無理ないか?興味をそそられ寄ってみる。
海水浴場とキャンプ場が併設されているというのはさほど珍しくはないが、た
いていは砂浜があってその延長にキャンプ場あるといった具合である。ところ
がこの入り崎キャンプ場というのは、どどーんと昔の東映のオープニングのよ
うな波が打ちよせる岩場のすぐ脇にあるちょっとした広場に勝手にテント張っ
ているといった具合なのだ。夕べのあの暴風雨は間違いなくこのキャンプ場も
襲っているはずである。野次馬根性である。案の定、どのグループも洗濯と干
し物がズラリ。テントもほとんどが浸水したのだろう。ひっくり返したり、底
の部分を持ち上げたりして乾かそうと必死の様子であった。一番海寄りのグルー
プの辺りにいってみると未だ足元はぬかるみぐちゃぐちゃである。シートなん
だがテントなんだか泥だらけの異物が広げられ、脇の吾妻屋にはこれまた泥だ
らけのフライパンやらナベやらランタンが散乱していた。まあ昨日の様子は推
して知るべし。とどめは泥だらけな人間たちである。どこぞの避難民かスラム
街だな。地元高校生らしい。まあ夏のイベントの1つってなもんだな。上半身
裸でたむろっている様子はボーイスカウトの夏季キャンプを彷彿とさせる。8
NJの蔵王で台風が抜けたあとのよりはマシか。
そのグループの脇は本当に波の打ち付ける岩場であった。どどーん。うへー。
下に続く階段を降りていくと入り江を何とか渡って行ける。高いところから地
元ガキが滝壺のような深みへの飛び込みに興じている。大磯ロングビーチの5
mの飛び込み台くらいだろうか?これって結構贅沢なことなんだよなあ。
車に戻り海パンに着替える。海水浴場はその入り江を無理矢理削って砂では
なく砂利を敷き詰めたようなものだった。波が引くときに砂利がこすれて「ざ
ざざざああああ」っとすごい音がする。砂浜?を歩くと足の裏が痛い。引く波
に足が取られるとこれまた砂利があたりとっても痛い。へっぴり腰で海から上
がる。浮き袋を使って波打ち際を「痛い痛い」と言いながら子供が泳いでいる。
でもやめない。はっはっはっ、楽しいのは楽しいらしい。
ガキンチョを目で追っていくと今度はおじいちゃんが目に入った。流石に水
着は着ていない。頭に手ぬぐいを巻き、なにやら波打ち際を物色している。と
自分の前に横たわっているでっかい流木に目が止まったらしい。2メートルく
らいの流木をしげしげ眺めながら1周すると、おもむろに腰から鉈(ナタ)を取
り出して皮を剥き始めた。さながら「北の国から」の黒板五郎である。でもこ
んな波打ち際で皮を剥いて…どうするのだろう?おじいちゃんの行動も不思議
だが、流木の行方も流木だけに気(木)になる。なんちて。さて皮を剥がされた
流木の運命は如何にっ!こう御期待っ!
するとどうだ。今度は転がし始めたではないか。いや正確には流木は水を吸っ
て重たくなっているので、転がそうとしただけだが。どうにも堪らなくなって
思わず声をかけてしまった。「おじいちゃん、おじいちゃん、何してるの???」
「ん?もすださ」「モスダサ?」…数秒してから翻訳ができた。(あー燃やす
のか)「こう○△×☆して★○△×◎☆しとくと、☆△×◎□○わさ」(実際
にはこんなに意味不明なわきゃねー)どうやら薪にするらしい。皮を剥いでお
くと流木が早く乾燥するそうだ。裏側を剥ぐために転がそうとしていたので手
伝う。しばし10歳ふけた黒板五郎とジュンになる。お手伝い終了。その後は
乾くまでしばらく放っておくらしい。おじいちゃんはまた新たなる流木(ター
ゲット)を求めて去っていった。
その後カミさんとしばらく波を見ながらきれいな石を集め始める。2人で白
いのを集めた。別に目的があるわけでもなく、ただ金魚鉢なんかに敷くときれ
いだろうな、くらいの感覚である。実際金魚を飼っているわけでもないのだが。
するとさっきのおじいいちゃんが再び参上して、なんと白い小石を集め始めた
ではないか!「あ、どうもありがとう」ん?「あぁ、もうほんとにすいません
ねぇ」手にいっぱい。「いやあ、ほんとにどうもすいません」まだまだ。「お
じいちゃん、おじいちゃん、ほんとにもうありがとね」レジャーシートに白い
小石の山が出来あがる。げげっ。「もういいです、もういいです」付近に白い
小石がなくなったらしく遠征し始める。(うわー、やめてくれぇぇぇ)「おじ
いちゃーん、おじいちゃーん。すとーっぷっ!!」おじいちゃんは、(なんだ、
これくらいでいいんか?)という顔をしてこちらを振り返った。
<佐渡牛発見>
もっとかまってほしそうなおじいちゃんに丁寧にお礼をいって海水浴場を後
にする。お昼を少し回ったところだ。食材はほとんど持ってきていないので、
来るときに見かけたAコープに立ち戻る。おぉ、ここは品が揃っている。やっ
ぱり魚がメインかなぁと思いつつ品定めをしているといい按配の霜降りの肉が
目に入ってきた。「佐渡牛」と書かれている。佐渡牛かぁ。聞いたことはない
な。だけどおいしそうだ。しかしこの島で牛が飼われているとは思わなかった。
ここまででは生前のありし日の姿にはお目にかかっていないのである。う〜む、
かなりブラックな言い回しだな。ま、実際には佐渡にはかなりいろんな産業が
あって単なる離れ小島という認識は今後にわたり改められることになる。あま
り聞かない名であることは「秘境の味」というか「幻の味」というか、その辺
の好奇心が非常に刺激される。しっかし佐渡島で佐渡牛ねぇ。単純というかな
んというか、そのまんまやねん!ま、海の幸にせよ何にせよ特産品をいただく
のがキャンプというか地方にきた醍醐味だ。さっそく佐渡牛購入。本日のメイ
ンディッシュ決定。しかしメシ時には、また天候が崩れ、雨こそ降らなかった
ものの、まっくろな雲の下でのBBQとなったのだった。
<関岬>
夕ご飯までの少しの時間、関岬を探訪してみた。関岬は佐渡島の北に位置して
いる。岬というだけあって海に突き出ているわけだが、いまいち自分たちがど
の辺りにいるのかよくわからない。キャンプ場の裏手にアンテナ塔が3本立っ
ている。アンテナは見通しのいいところにたっているのが相場である。アンテ
ナ塔まで登ってみることにした。アンテナ塔までの道のりには風力計や気圧計
もあり、この時点での風力10mを指していた。キャンプ場で10mはかなり
強いほうである。アンテナ塔での展望はすばらしかった。ぬあんといっても眼
下は大海原である。左手は日本海。あ、右手も日本海か。えっと左手は中国大
陸。前方は韓国。右手はロシアである。うーむ気分は間宮林蔵だ。(意味不明)
岬がゆえに灯台がたっているのだが、うーむ、アンテナより低い。見晴らしが
よいので高さにはこだわらなかったものとみえる。この展望を得て、自分たち
が本当に日本海のど真ん中でキャンプしていることを実感した。
<尖閣湾・佐渡金山>
翌日も風が強かった。あんまり天候に恵まれなかったサイトではあったが、
それも思い出の1つとして脳裏には焼き付いていくのだろう。さて長雨の影響
で通行止めがあちこちで発生しているらしく、佐渡最高峰「どんでん山」制覇
はあきらめざるを得なかった。と、いうほど行きたかったわけでもないんだけ
どね。さっぱり佐渡といえば「金山」でしょう。まるで千葉県といえば落花生
的な発想だけど、いかんせんゴールドだかんねぇ。ちょっと拝んでいきましょ
うや。「砂金取り体験」なるものもあるけど、ドキュメンタリーを追求するも
のとしては(おいおい、いつからそないのものになったんじゃい?!)実際の
採掘跡に行ってみたいねぇ。金山に向かう途中「尖閣湾」なるでかい看板が目
に止まり立ち寄る。かなり地元でも力を入れている有名観光スポットらしいが、
事前の知識を入れていない、いや日本の地理の常識にうといせいか、いまいち
ピンとこない。いや先に二つ亀や関岬の展望に慣れてしまったせいかのう。要
は、海に突き出た岩盤からの絶景なのだが、どうも頼みもしないのに写真を撮っ
た挙句、お皿に焼き付けてみやげ物にしている根性がどうにも美観を損ねさせ
ていた。生活がかかっているんだろうが、センスがねえなぁ。いや生活がかかっ
ているからこそ、粋な地元民との触れ合いを演出してほしかった。え?海でじ
じいと戯れるのが「粋」かって?ふんだっ!俺の勝手さ。
寄り道をしたが、目的地は「佐渡金山」。いまではすっかり観光地になって
しまい、当時の労働者の悲惨なありさまはとても計り知れないが、それでも江
戸時代にこの島でどんなにすごいスペクタクルが、繰り広げられていたのかは
ビンビン伝わってきた。囚人が穴ぐらに押し込められてただひたすら金を掘っ
ていた…というわけではなくて完全分業制、ローテーション、能力主義社会が
形成されていたのだった。つまり岩盤を掘っていくための地質学のスペシャリ
スト、金脈を見つけるスペシャリスト、精錬のスペシャリスト、ほかにも、湧
いてくる水を運び出す者、採掘の道具をメンテする者、明かりを燈す者、食事
や手紙の運搬まで高度に組織化されていたのだ。重労働には重刑者が割り当て
られていたが、江戸末期に金がなかなか取れなくなってくると軽刑者もつぎ込
まれるようになったらしい。佐渡金山の繁栄と衰退をみてとれる採掘跡であっ
た。かなり教育番組的な頭に洗礼されてしまったな。
<エピローグ・さようなら佐渡ケ島ぁ>
尖閣湾方面から相川町をぬけ両津港に向かう国道305号だか135号は、
今までの佐渡島のイメージを一気に吹き飛ばすほどの賑わいを見せるものであっ
た。関岬までの道のりではスーパーどころか自動販売機を見つけることさえ難
しかったのに、今通っている道端にはスーバーどころかコンビニにTUTAYAやモ
スバーガまであり、高校生の通学風景まで当たり前のように見受けられた。佐
渡は秘境な部分と日常な部分を併せ持つ立派な観光地であった。
お盆の時期のせいか商店街はお祭りの準備に忙しそうであった。フェリーを
待つ間にみやげ物を物色しようとぶらついていると何人ものばあさんに出くわ
す。みな口々に、干物片手に「500円でええがら」とか「今日はこれだけ買っ
てぐれだらおしまいだから」とか訳のわからないセールストークで絡んでくる。
うーむ、これじゃバンコクと同じだな。観光地に見受けられる光景とはいえちょっ
とうっとおしいものがあった。
いよいよフェリーの出航時間が近づき、「おおさど丸」の船尾がおおきく開
いた。ちなみに船体にかかれている「おおさど」は佐渡島の北半分のことで、
南半分は「こさど」という。いよいよ出航だあっ!さようなら、佐渡島ぁ。客
室に横たわると爆睡かっとび、目がさめると既に新潟港内であった。
おわり