今まで木工に関連した旅が多かったので書いていなかったのですが、昨年高校の同級生が住んでいるバンクーバーと娘の留学先のアメリカ西海岸を旅してきました。木工とは関係ありませんが、既成のツアーにはないところもあり、一年経ってからですが、簡単な記録を公開することにしました。訪問地は、バンクーバー、サンフランシスコ、サンルイスオビスポ、モロベイ、ヨセミテ、サンフランシスコ近郊等です。(サンルイスオビスポとモロベイは隣町で、サンフランシスコとロサンゼルスのほぼ中間に位置しています。)


西海岸旅行記2008

7月29日
お馴染みのセントレアから出発。夏休みで人が多く、落ち着かない。出発前最後の日本食ということで、冷房が効いていないのに、”昭和ラーメン”でラーメン大盛りを頼んで大汗をかき、後悔する。出だしがよくないなあ〜。海老煎餅は買ったが、他のお土産はいいのがなくパス。満席のユナイテッド機、窓側の席でトラブルなくサンフランシスコ到着、そこで3時間待ちでバンクーバー行きに乗り換える。出発ロビーで売っている$10の「天ぷらうどん」が美味しそうだった。バンクーバーへのフライトも満席に近いが、日本人はほとんどいないので外国に来た気になった。

着いたバンクーバーは雨。荷物がコンベアの故障でなかなか出てこなかった。出口で無事高校時代にいっしょにアホなことをしてた仲間のM君と再会。M君といっては失礼、バンクーバーで長年旅行社を経営する社長さんである。現在はマスコミ関係のカナダ取材の仕事がほとんどで、ウルルンとか世界遺産カナダの番組など、多くのテレビ番組制作の関わっているエライ人なのである。でもそんなことは関係なく、やっぱり昔ながらの親しい友達。早速、彼の会社を訪問。ビジネス街のビルにある事務所で、奥様と女性二名、計3名の女性に囲まれながら、Mは社長の椅子に座っていた。


(彼の会社に貼ってあった、取材時の写真)

彼の車でホテルへ。コンドミニアム形式の、キッチン付の広い部屋。テレビ局の取材チームによく紹介する、キッチン付きのマンションのような広いホテルである。彼のおかげで業者レートで宿泊できた。晩御飯は奥さんと娘さんと四人でおすすめの中華。ボタン海老みたいなやつとかデッカイ蟹の料理とか、濃厚な味で美味しかった。ホテルに戻り、シャワーを浴び、すぐ寝た。


(部屋のキッチン、一人では使いきれません)

7月30日

夜中に二度ほど起きた。午前3時頃にもう一度寝ようとしたら、次に目がさめたらなんと朝9時40分だった。ホテルのロビーに置かれているパンとコーヒーで簡単に朝食を済ませて、レンタサイクル屋を目指して2kmほど歩く。今日はスタンレーパークの観光サイクリングである。Mは仕事だし、私も昼間は一人で行動する方が楽しい。


(借りた自転車、これで一日遊びました)


いろんな風景・・・ 

ダウンタウンがある半島の先端部にあるスタンレーパークは、周囲を海に囲まれた半島の公園である。自転車道は左回りの一方通行になっていて、自転車だけではなく、ローラースケートの連中も走っている。海を見ながら、日当たりのよいサイクリングは気分爽快だった。バンクーバーで時間があれば、おすすめ。レンタサイクル半日15ドルほど。公園内の売店で食べたデラックスハンバーガー4.5ドルは結構美味しかった。

夕方ホテルに帰ってひとやすみし、Mに電話をする。7時にホテルに来てくれることになった。ところが、直前に電話が来た。「えらいことになったんや。今夜は花火大会でホテル周辺の道路がブロックされてるねん。」ということで、ホテルから少し歩いて、Mと奥さんに合流。晩飯の場所だが、これがまた、花火の夜ということで予約が取れない。結局、暖という日本料理店へ。ここはどちらかというと飲み屋であった。奥さんがジョッキで二杯を飲み、私は頑張って三杯目を頼むが、これがあとで災いする。帰りの車に乗ったらしばらくすると口の中が苦い。やがて「オェーッ」の音二発。幸い現物を戻すことなく、ホテルにたどり着いた。


(暖のマスター、外国に居る気がしなかった)

7月31日

午前中はグラビルマーケットという、川を渡ったところの小さい島にある公設市場?とさまざまなショップの観光。行きは歩いて大変疲れたので、帰りは100mほどの川を2.5ドルで小さな渡し舟に乗って帰った。


グラビルマーケットと小船

正午にMがホテルに来てくれて、昼は私の希望で一日目の中華の店で三鮮湯麺を頼む。美味しい。食後となりの銀行でお金を引き出し、宿代を清算した。空港まで送ってもらって、Mと別れチェックイン。荷物も自分でコンベアにのせたり、アメリカの入国審査があったりと、かなりややこしい。無事、飛行機に乗って、サンフランシスコへ。ここでは国内線扱いなので、荷物を取る場所にはすでに娘が待っていた。

地下鉄に相当する”バート”に乗って、ユニオンオンスクエア近くの便利なチャンセラーホテルに入り、隣のレストランで娘と優雅な食事。照り焼き味のステーキとシーフードパスタを頼んだ。そのステーキがとても美味しかった。その後近所の本屋で時間をつぶして、ホテルに帰って、シャワーをあびて寝た。


(高いビルがチャンセラーホテル)

8月1日

朝起きて、近くのカフェで安いコーヒーとパンの朝食。一日乗り放題11ドルのケーブルカーとバスの切符を手に、ケーブルカーに向かうが、えらい人。結局、出発点に行って、一時間近く並んでやっと乗れた。でも一番いい席で値打ちはあった。


(名物ケーブルカーの運転首?)

フィッシャーマンズワーフへ行き、有名なスコマでシーフード、クラムチャウダーを食す。そしてフェリーに乗ってサウサリートへ。このルートは、20代放射性医薬品の営業職にあった時、セントルイスでの学会に出張した折、サンフランシスコ近くの提携会社へ来て、休日に上役のSさんに観光に連れてきてもらったことがある。その時、スコマで食べたシーフードやサウサリートの街の美しさがとても印象的だったので、再訪したかったのだ。30年ほどたった今、娘とそこに来ている自分が不思議に思えた。


セグウェイに乗るツアー客とシーフード料理


サウサリートの通り

バスでホテルに帰り、近代美術館周辺を歩く。ホテルに戻って休憩後、38番のバスに乗って、ヨシのジャスクラブへ。そのレストランで寿司を食べたが、ナント100ドル超え!。アメリカで日本の築地の刺身を食べるのが間違いだったかも。コンサートはなかなかよかった。ちょっと危ない雰囲気の中、バスを待って、ホテルに帰った。

8月2日

やや眠りの浅い夜であった。最後にゆっくり朝食をとろうと、ホテルのレストランへ行ったが、これが失敗。ポテトとソーセージとトマトなどの野菜を炒めた料理が胸にグッと来てしまった。食後に隣の本屋で1時間ほど木工書を見たが、少々体調が悪い。娘が買い物から帰ってきてBARTで空港へ。そして駐車場でレンタカーのカローラに乗り込み、サンルイスへ出発。少し寝て、気分が多少よくなった。途中からは、運転をかわって一時間ほど走る。ひたすら真っ直ぐなので、問題はないが、やはり緊張する。

(空港近くに長時間パーキングがある)
途中で運転休憩中

同じような風景が続き、やがて峠があって長い下り坂を下りると、サンルイスの街。3時半過ぎに娘の家に到着。家に入るが、なんとなく居場所がなくて落ち着かない。カミさんにスカイプすると、「気をつかわずに好きなことしてたらいい」とのこと。娘とこれから数日いっしょに行動するのだが・・・、どうなることやら。

夕方、近所のゴルフ場の周りを娘と犬のピタと散歩。速い足取りについていくのがしんどかった。夕食は、以前から調理していたというスペアリブ、マーボー春雨、サラダ、味噌汁、ご飯。久々に日本の慣れた味で美味しかった。シャワーを浴び、良く寝れるようにパブロン一錠飲んで、地下室で寝る。

8月3日
予想以上にぐっすり寝た。7時頃に起きて、のんびりする。朝食の後、洗濯をしてから、学校:クエスタ、カルポリ、街ではサンルイスのダウンタウン。ダウンタウンで、シンプルなピザとスプライトみたいな飲み物の昼食で、元気が出る。美しい街を見て、ホームデポ、楽器屋、スーパーなどを回る。


カレッジ「クエスタ」とそこにある犬?


工業系大学「カルポリ」

サンルイスの街の教会
有名なチュウインガムの壁良く見ると不潔!!

ご存知、ホームデポ。
郊外の風景

その後モロベイを越えて、海岸沿いをドライブ後、帰宅。私は娘の自転車を借りてサイクリング。モロベイの海岸まで行った。帰り道で散歩中の娘達と会う。また私のメガネがついに折れた。あとはのんびりと家で過ごし、シャワーを浴びて寝る。


ペットのヘビとピタ

8月4日

気がつくと、もう朝7時半であった。10時間もぐっすり眠っていたことになる。地下の粗末な寝床であるが、意外に快適。今日はお疲れで、特に外出する予定はなしとする。居間でゴロゴロ、昼食は娘が焼き飯を作ってくれる。慣れた味で美味しい。

その後、モロベイへ。モロベイのモロロックは、本当に変わっている。大きなひとつの岩なのだそうだ。ペリカン、アシカ?、カモメ、他、たくさんの動物に出会う。それは楽しい。ビーチに下りて、波乗りを見る。海に来ると不思議に和むのは、海沿いで少年時代を過ごしたせいかもしれない。港の周辺は完全な観光地である。多くの店を見て歩く。ハラダという日本料理店もあった。




ペリカンとラッコ

近くのカフェでジュースを飲み、家に帰る。そして明日の準備に入る。買出しにスーパー等に行く。きれいなお店で、スーパーマーケットはアメリカを手本にしてきたことがよくわかった。帰りにメキシカンのファーストフード店”タコベル”でタコスを買って帰り、それを夕食にする。これが結構いけて安い。アメリカではお気に入りの食べ物かも。9時過ぎには地下室に行って、10時頃には寝た。

8月5日
6時半ごろに起きる。いざ出発。私が助手席、娘は後ろでピタのおもり。山間部の道で、気分が極めて悪い。途中の街で、同行者お気に入りのハンバーガーを食すが、気分が悪い上に、巨大すぎて食べきれない。それからは、やや山間部に入り、でも延々とドライブ。やっと、ヨセミテ公園の端っこに到達。目指すキャンプ場へ向かう。世界遺産の「ヨセミテ」のキャンプ場、期待感が増大する。キャンプ場入り口で、予約の確認と、人数分の料金を払う。そしてテントサイトへ。車で探すけど、なかなか見つからない。やっと、見つけたテント場は、日本の学校で行く林間学校のテントサイトと違わない。違うのは、熊が食料を狙って降りてこないようにするための、鉄製の食料保存箱があることくらい。シャワーはなく、トイレも今なら日本のキャンプ場の方が優れているのではないだろうか?。

キャンプサイトの熊よけの鉄製箱

 テントを張って、それから車でヨセミテバレーに行くことにした。ここで初めて知ったのだが、いわゆるヨセミテとはヨセミテバレーのことで、今回泊まっている場所は、そこから大変遠い、ヨセミテ公園の端っこであった。

 またまた延々ドライブし、ヨセミテバレーに入る。エルキャピタンなど巨大な岸壁が見え、奥にはハーフドームも見えるが、全体の規模が大きいせいか、それほど雄大に感じない。でも近くに行くと流石にスケールがでかい。大学時代に少し岩登りをかじったことがあるので、岩にばかり目が行く。車で行ける谷の再奥まで行って、引返した。娘は観光地見物があまり好きでなく、世界のヨセミテと言えども、例外ではないようだ。少々後ろ髪を引かれる思いもあるが、できるだけデジカメに収め、バレーを後にする。

ハーフドーム
エルキャピタン

また長いドライブでテントサイトへ帰る。晩飯だ。同行者が「アメリカ流」ということで、ビールを片手に、枝にソーセージを刺して焚き火で焼いて、ホットドックを作って食べた。


慣れない場所で不安気なピタ

8月6日
午前中にヨセミテを後にする。また長いドライブ。私の希望もあって、30年前に来たバークレイの街を通ってもらった。その後、同行者の実家があるオーリンダへ。そこでシャワーを浴びさせてもらい、夕食にあずかる。

ゴルフ場が見える裏庭でビールをいただく。

唯一木工の話、こちらの高等学校?ではこのようなテーブルを作るらしい。

 その後、皆と別れ、一人でインターネットから予約していたサンフランシスコの安ホテルへ入る。ホテルの値段というのはうまくできていて、ほとんどは値段相応だ。安いだけに、なんとなく、不安が感じられた。チェックインの際にも、今までOKだったクレジットカードがダメと言われ、二枚目でOKとなる。なんか、嫌な予感が・・・。一人なので、適当に食料を買って、部屋で食事を済まして寝た。

8月7日:サンフランシスコ空港から帰国、(8月8日):名古屋着

 朝早く起きて、バートの駅へ向かう。そこのスタバで、コーヒーを飲み、空港へ。ユナイテッドの乗り場は、バートの駅のすぐ前だった。そこからは何の問題もなかった。あまり寝ないで、日付が変わって灼熱の名古屋へ帰り着いた。


旅を終えて

二年ほど前、ストックホルムで荷物を狙われた時、一人の海外旅行に少し不安を感じた。一人旅が好きだけど、観光メインの海外旅行なら、食事のことなどを考えても、50代半ばになると、夫婦で行くのが一番だと思うようになった。でも犬の世話などがあって、今は夫婦で出かけられない。今回は、友人のM氏にバンクーバーを世話してもらい、サンフランシスコやサンルイスは娘と行動した。だから、ほとんど安心な旅だったと言える。けれど、心のどこかで、毎日スリリングな経験をする一人旅を欲している自分があった。

 娘の知人友人が日本にくることもある。そんな彼らに日本の印象を聞いたりしていると、どうも最近のアメリカの若者の憧れは「日本」らしい。自分の若い頃、全てにおいてアメリカは憧れだった。敗戦国のため、そのように仕組まれたのかもしれないが、アメリカの若者達、アウトドア、車、音楽と数え切れないほど、アメリカは憧れだったのだ。たとへば、高価な米国製ギターを二本持っているし、アメリカから通販で、木工道具やアウトドア用品をよく買ったものだ。ところが、今は、逆らしい。

 いろいろ考えてみると、日本はいろんな場所がある。古い街から、世界一大きい都市、美しい田舎風景、アルプスの山々や、海、川もすばらしい。食べ物だって、日本は多種多様である。これからの一人旅は、日本の知らないところへ行ってみたいと思うようになった。

後日談

帰国後2ヶ月ほどたってから、イオンクレジットのセキュリティーセンターから電話があった。「宮本様のカードが群馬県の方で使用されているのですが、お心当たりはございますか?」。もちろん全く覚えがない。「最近、サンフランシスコへ旅行された方のカードが、日本で偽造され、使われているケースが報告されています」とのこと。カード会社からの電話で、こちらの支払いには問題はなかったが、カード番号が変わっただけではなく、カードに対する不安が残る結果となった。「あの安ホテルかな?」とか、「あのレストランかな?」などと、いろいろ想像するけど、嫌な気分は変わりません。これから旅する方は、番号が変わっても困らないような、ごく普通のVISAかMASTERのカードをメインに使うことをおすすめします。

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