スウェーデン旅行2006

 2006年5月23日〜6月2日、四度目のスウェーデン旅行をしてきました。木工やクラフト関係の学校3校の作品展を見るのが大きな目的。今回はストックホルムが基点なので、ヘルシンキ経由のフィンエアーを利用しました。学校や知人宅に泊まることが多いのですが、ストックホルムは宿を探さねばなりません。しかし、ストックホルムのホテルはとても高い。それで散々探して、地下鉄Fridhemsplan駅近くの、新装されたユースホステルのシングルルームを利用しました。ここはバストイレが共同であることを除けば(バストイレ付の部屋もある)、ホテル以上の清潔さと快適さ。特にパソコンとLANケーブルを持参すれば、全ての部屋からインターネット接続が可能、これが決定打です。広いリヴィングルームやキッチンも快適で、近くのスーパーで食料を買って自炊するのも良さそうです。朝食もおいしく、私的にはおすすめですが、シーツ代や朝食を加算すると一泊500skr(日本円で7500円)くらいにはなります。周囲は観光の街ではなく、生活感が感じられる所。なお、昨年のプリペイドGSM携帯がまだ使えたのは便利でした。これからの海外出張や旅行では携帯電話は必要だ思います。


5月23日
新大阪までは問題なく行けたが、関空特急は満席で、座れず。運良く、天王寺で降りる人がいたのでそこから座れたけど、指定席を取るべきであった。関空はフリースポットで無料インターネット接続ができるのはグッド。離陸後ヘルシンキまでは問題なしだが、食事がイマイチなのと席がやはり狭い。ヘルシンキ空港は98年の時ほど、いい印象ではなく、結構観光空港になっている気がした。
 アーランダでATMを探すも、簡単に見つからず、クレジットカードで切符を買い、中央駅へ行く。慣れないせいか、駅でもATMで苦労する。結局、昨夏の残りの硬貨を使って、地下鉄に乗った。宿の方向がわからず、雨の中ウロウロ、駅で聞いてやっと到着。この間、暗証番号の勘違いでカードをATMに吸い取られてしまうなど失敗も.。こんな時のために空港で1万円程度は両替しておくべきだと思った。500Krを他のクレジットカードでなんとかゲットはしたけれど、旅に慣れていると思い込んでいた自分の甘さを反省。近くのレストランで白身魚のフライを夕食に食べ、慣れない共同シャワーを浴びてやっと寝た。余談だが、共同のシャワールームへ行く時は、裸にバスタオルを巻いただけで廊下を歩いてよいみたい。

5月24日
地下鉄一日券を買って、予定どおり、スルッセンへ。しかし、方向がわからず、次の駅まで歩いてしまう。丁度このとき、J氏が電話をかけてくれた。無事に彼と再会し、展示会まで時間があるので、カフェや家具店を見て時間をつぶす。後ほどA氏とも再会し、海の見えるグッドなレストランで昼食をご馳走になる。二人に日本茶をプレゼント。

CMスコーラの展示会が始まった。3階の廊下で校長先生とおぼしき人の挨拶に始まり、ギターコース生徒二人の生演奏があった。場所は狭いけど、そういうセレモニーは欠かさないようにしているようだ。プライベートユースということで写真を撮らせてもらう。3時ごろには失礼して、いったん宿へ戻った。近くのROOMという有名なインテリアショップを見るが、あまり興味がない。無理をせず、早い目にもどって、近くの中華料理屋で焼きそばとビールを飲んで寝た。

プライベートユースということで
写真を撮らせてもらった。
というわけで、掲載写真は少ない

5月25日
今日は一生のうちそんなに多くはない、本当に危機一髪の日であった。宿を早い目に出発して、ストックホルム中央駅に行く。9時40分の列車までしばらく時間があるので、列車の写真を撮ったりしてすごす。そして入ってきた列車に乗り込み、自分の座席を見つけて、荷物を棚に上げようとしていたとき、隣の席に座るふりをして、男性が私のセカンドバッグを棚の上に上げてくれる。軽いカバンをなぜ手伝ってくれるのか、一瞬不思議に思ったが、私は重いリュックを両手で棚にあげた。その時、その男か仲間が財布の中のコインをシートの下に落とした。手伝ってくれたお返しにコインを探してやる。そして席に座って上も見ると、ナント、私のセカンドバッグがない!!!。

完全にしてやられたのである。しかし、まだ発車までに時間があるし、やれるだけのことはやろうと、プラットフォームに出るが、人影は消えうせている。消えるわけではなく、多分連結器の下をくぐって、となりのプラットフォームに逃げたのだと思った。見ると、中年男3人が人気のないホームを歩いている。「たぶんアイツラや」。列車のしたをくぐるのは怖いので、全速力で走って列車の端から線路に降りて、そのホームに着くと、ちょうど犯人達に追いついた。「ザッツ、マイバッグ!!!」と叫ぶと、向こうもビックリしたのか、カバンを投げ捨て、こちらに蹴って、そして逃げ出した。カバンを拾って、中からデジカメを取り出し、逃げる犯人の写真を撮るが、うまくは写ってなかった。

本当に今思い出しても、危ないところだった。気づくのが早かったのと、彼らに先回りをし、びっくりさせたことで、危害もくわえられずにカバンを取り戻すことができたのは、幸運以外の何物でもない。今でもあの時点でカバンを盗まれずにすむ方法があったかどうか、自信がない。その道のプロにかかると1秒でもカバンから目を離してはだめなので、狙われたら最後という感じがする。対策としては、大切なカバンは肩にタスキにかけて持つことや、不慣れな旅行者に見られないような工夫と努力しかないように思う。神さん、ご先祖さん、守ってくれてありがとう。

興奮がさめないが、Injon駅でRamon氏と再会、サテルグランタンに到着。美しい学校である。宿泊する部屋に入って、その美しさとハンドクラフトの味がいたるところにあるすばらしさに驚嘆した。展示会を見学して、5時から鉋のデモンストレーションを木工室でする。

木工のB先生宅での夕食会。彼女はカペラで二年、CMで二年勉強したそうで、大変腕の立つ人だ。シーフード煮込み料理をいただき、工房見学をして学校に戻った。宿舎で先生達の宴会にしばらく参加し、ワイン一杯をいただき、長い一日が終わった。

以下、写真をいっぱい載せましたが、あくまで個人で楽しむだけにし、流用転用はご遠慮ください。

5月26日
起床、8時から朝食。その後、メールチェックをして、ショップで買い物をし、車で遠く離れたMotalaへ向かう。途中、知人の鍛冶屋を訪問。いかにも鍛冶屋という感じの大男。一人で道具を作り続けるのは気力・根気・体力がいることだと思う。途中、おいしいレストランで野菜とサーモンのパイの昼食をし、夕方にはカフェでパンとコーヒーのブレイク。

そして夕方6時ごろやっとついた。夕食は男ばかりでヤンソン(スウェーデンの人気料理、日本名「ヤンソンの誘惑」)とピザのパーティー。その後サウナパーティー。強烈に熱いサウナと、5度の水のシャワー。気持ちはいいけど、これでちょっと風邪気味になってしまうのだった。

ラモン氏のお宅は広い農場の中
左3枚は知人の鍛冶屋

5月27日
今日と明日は休日。朝から、近くの大きな教会とその町を歩く。小さいが美しい町で、結構観光スポットなのだそうだ。石作りの大きな教会や、広場でのミニクラフトフェアを見る。午後は工房見学をして、しばし昼寝。夜はレストランへ夫婦と3人でいく。私はシンプルなステーキを食べた。ちょっと風邪気味なので早く寝た。

左下は教会の床
この石の下に死者が
寝ているという。

5月28日
 バスと列車を乗り継いで、カルマルへ駅へ。切符は前日にインターネットで購入した。日曜のせいか席がなく、X2000はファーストクラス、実に快適ではありました。さて、カルマル駅からまたバスでファージェスターデンのバスステーションへ、そこまでC先生の奥さんが車で迎えに来てくれた。C先生は今留守なのだ。夕食のお誘いを受けるが、一人でお宅にお邪魔することになるので辞退する。カペラでは本部の二階、マルムステン夫婦がここに滞在する時に住んでいた部屋に泊まることになった。嬉しいけど、なんとなくマルムステンの幽霊が出てきそうな気もした。夕方、たまった衣類の洗濯をした。

 学校は目前にせまった展示会準備の真っ最中。作品が完成した人もいれば、まだ駆け込みで作っている人もいる。日本人の生徒さんも木工とテキスタイルに二人ずついるようだ。ますます日本で有名になって、来期も日本から新入生を迎えるという。昔の「秘境」みたいなカペラでいてほしい・・・と思うのは私の身勝手だろう。

5月29日
 前日が日曜で夕食がなかったため腹が減ったが、よく寝た。やっと体がスウェーデン時間になったようだ。6時頃起きて、メールチェックをし、雨なので洗濯物を室内に移す。朝食後、校長と再会し、明日の出発予定も決定する。今日は夕方4時半ごろから展示会を見ることができるようだ。Oさんのナイフを借りて木を削りながら時間を過ごす。11時にショップが開いたので、ハーブティーや料理本をお土産に買った。二人の生徒さんの誕生パーティーだとかで、ケーキが二つあっての10時のお茶の時間。誕生日には自分でケーキを用意してきて、皆に祝ってもらうとか。不思議な習慣である。4時30分の夕食はカネロニ、昼は野菜スープとアイスクリームであった。夕食後、U先生の案内でほぼ準備完了の展示場を見る。U先生は昨年娘が絵のコースに行った時の先生で、よく覚えていてくれた。作品は、あいかわらずレベルが高い。箱物は100%と言ってよいほど、ベニアを使ったもの。欧州では最高級の家具は上質の単板を使い、芯から自分で作り上げた、ベニア構造のものなのだ。その後、奥さんの車で移動し、C先生と再会。四方山話をして、ビールを買って、カペラに帰った。パブロン二錠とビール一缶でよく寝れるだろう。

作品展は準備中
左上はマルムステンの部屋

5月30日
午後一時のバスでカルマルへ向かう。カペラでゆっくりと時間があるので、いろいろ考えた。日本の個人の工房ではめずらしい「ベニアリング」がこちらの要だと思うし、引き出し箱の作り方も興味深かった。C先生が学校に居られなかったので、二日ほど、勝手に生徒さん達と知り合い、工房での作業を見学したことになる。最初は、「変な日本人」と思われたと思うが、半日ほどウダウダしていると、次第に馴染んでくる。こういう滞在もめずらしいかもしれない。

 カルマルから、アルベスタへ。そこでX2000に乗り換え、夜8時過ぎにストックホルムに帰ってきた。また隣のレストランで、今度は肉を串にさしてフライにしたような、アフリカ料理かな?とビールの晩飯。ごく普通のレストランだが、だいたい110skr、日本円にして1700円くらいで食事はできる。私は大食ではないので、一品注文すれば充分なのである。

5月31日
 最後の一日。朝はスカンセンのカフェや植物園、公園を歩いてすごす。町は疲れるので、午後は宿の周りの生活臭がある地域のお店めぐりなどをして過ごした。そして、最後のアポイント、昨年夏の同級生S氏と夕方6時に駅で再会。レストランでも行くかと思ったら、なんと「ボートに乗ろう!」という。バスで30分ほどの彼の家に行き、そこから車で30分ほどの湖へ。ごく小さなボートに小さな船外機、それに乗って、日本なら真冬なみの気温の中、水面を走る。寒いのと波が出てきたので、早めに人気のない島?にあがって、彼お手製のサラダとパン、そしてビールで乾杯。こういう楽しみを彼らは毎週やっているらしい。貴重な歓待を受けたわけである。車で宿まで送ってもらい、最後の夜を終えた。

6月とは言え、気温約10度の
湖面は冷たかった。

6月1日
街にはあまり興味がないし疲れるので、ゆっくり起きて、ゆっくり朝食をとり、午後2時の飛行機だが、早めに空港へ向かう。日本でも外国でも、私はガチャガチャした街にはもう興味がなくなっているようだ。生産現場に興味はあるが、カッコイイものを見つけてきて並べている街のショップには少々食傷ぎみ。日本でもインテリアショップや雑貨店が苦手な私、スウェーデンでも同じでした。

最後のミス。空港の一番手前のターミナルでバスを降りてしまい、1kmも歩くハメになった。フィンエアーは一番奥のちょっと古いターミナルビルからの出発なのである。おかげで、じっくりとアーランダ空港を堪能することができた。往路と同じヘルシンキ空港経由で、2日の朝、関空に戻り、難波千日前でブタマンを買って、昼過ぎに名古屋の自宅に帰った。


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