2003年3月24日〜4月2日まで、カナダのモントリオールに短期留学中の娘やトロント近郊に住む友人を訪ね、その後初めてのニューヨークへも足をのばす旅をしてきました。大部分は私的な旅で、木工とは縁のない話が多いですが、楽しんでいただければ幸いです。


3月24日
 名古屋空港は小さめの国際空港、近くて便利でお気に入り。常滑沖の新空港に移ってしまわないうちにできるだけ国際線を利用したいと思う。2月にモントリオールにいる娘が体調を崩し緊急入院をしてから、早期にカナダを訪問することに決め、時期を木工教室のない3月末に決めたのだ。偶然にもアメリカのイラク戦争開始と重なってしまい、カミさんは心配している。「こういう時こそ逆に大丈夫!」などと勝手な理屈をつけて、予定どおり、エアカナダのバンクーバー行きに乗った。
 飛行機はガラガラであった。私は二つの席を占領して横になったが、三つ使って豪快に寝ている人もいる。全員、複数の席で横になれたと思う。着いたバンクーバー空港は美しい空港であったが、やたら歩かねばならないうえ、入国審査では長い行列。モントリオール行きへの乗換もわかりにくく、あまり良い印象はない。現地時間夜10時、長いフライトの末、ついにモントリオール空港に着いたら、娘とその友人が迎えに来てくれていた。ありがたい。タクシーにのって、ダウンタウンの日本人の奥さんが経営するB&Bに行きついたが、長旅で疲れたので、すぐに娘と別れた。100年ぐらい前の旧い建物らしく、見ようによっては幽霊の出そうな雰囲気もする。シャワーをあびて、すぐに寝てしまった。
 

3月25日
 2月にはマイナス40度にもなったというモントリオールだが、今はそう寒くはない。大きなリスが道路や街路樹の上をピョンピョン動き回っているのは面白かった。午前中、娘と学校に行き、お世話になったN氏に会う。夕食をいっしょにということで話がまとまり、午後は一人でオールドモントリオールの教会やダウンタウンを見て回った。
 夜は宿の方に教えてもらったフランス料理のお店に5人で行くが、ボリュームのある料理で、純粋なフランス料理とはほど遠いように感じた。
 左から二人目が娘。

3月26日
 娘は学校なので、一人で午後3時半まで時間をつぶす。ダウンタウンは大資本の力が大きく、面白みに欠ける。昼にふらっと入った教会でパイプオルガンの演奏会があり、一時間ほどじっくり聞いた。ガサガサした町の中で、心に染み入るパイプオルガンの音に、心が洗われたような気がした。終わると出口で若者がお金を集めている。5ドル札を入れて外にでた。この頃から、気分が悪くなり、ほとんど食欲がなくなる。夕方娘と会って、好物だという「スモークミート」のサンドイッチを食べるが、食欲のない体は受け付けず、最悪の体調。やはり時差の影響だろう。その後娘とビールを飲み、早めに帰って寝た。明日はトロントである。

3月27日
 9時発のトロント行きに乗る。日本人は私一人だったと思う。トロント空港には、エドワードが迎えに来てくれていた。エドワードとは私がインターネットのニュースグループに投稿したのを見てメールをくれてからの付き合いで、私の知る限りでも三回は来日している面白い男。本職は大学のシステム管理のようだが、家では糸鋸で何でも切り抜く、切り抜きオジサンである。早速彼の車で近くの道具屋へと向かう。"Busy Bee Tools"というお店、店内の撮影は許可されなかったが、大型木工機械から、先端工具までそろえた、プロ志向のお店のようであった。
 
左:BusyBeeTools     右:LeeValleyTools

次にご存知、LeeValleyToolsに行く。美しい店内は、勝手に手に取れる方式ではなく、陳列棚の見本やカタログを見て、注文票を書いて店員さんに渡して、商品を揃えてもらうシステム(下写真)。
 

その後、トロント中心部へ向かい、カサ・ロマという比較的新しいお城のような豪邸の見学。内部の調度品や屋根の木組み等、木工家の私には興味深いだろという配慮がありがたい。
  

ダウンタウンでは巨大なショッピングモールと世界一のタワーだというCNタワーを見物した。まさにオノボリサン。
 

夕方、トロントから車で一時間ほどのブランフォードの町のエドワードの自宅に到着。閑静な住宅地の中のすばらしい家でしたが、「これはお父さんが建てた」ということにびっくり。
 
この日は終日、時差ぼけで体調が悪く、夜は何も食べずに8時に寝かせてもらった。

3月28日
今日はオノボリサン二日目、超有名観光地”ナイアガラの滝”見物である。が、その前にブランフォードの町の名所を見て歩く。電話の発明者、ベルの生誕地であり、世界初の遠距離通話の成功はこの町での出来事らしい。
 
ついでに近所の巨大ホームセンター「ホームデポ」に行く。アメリカやカナダの人はこういうホームセンターに車で乗り付け、資材を購入し家を作ってしまうのである。職人任せの多い日本と比べ、カナダの方が良いとは一概に言えないが、誰でもプロと同じ物が同じような値段で購入できることはすばらしいと思う。

いよいよナイヤガラの滝である。テレビ等で散々見ているせいか、思ったより小さい感じがした。シーズン前ということもあって、学校の遠足や、近くの人の憩いの場のようになっているのは好ましく思えた。アメリカ滝の方を見ると、きれいな二重の虹がかかっていて、思わず写真をとった。
  
その後、インデアンの砦みたいな戦場跡や、小さな教会、西部劇に出てくるような町並みなどを見た。遅い昼食を採った後、ようやく体調が良くなり、晩御飯を食べる気力が出てきた。

エドワードが、一晩水につけておいた杉の板に、フレッシュなキングサーモンをのせ、数種の香草で包んだものを屋外のガス・バーベキュウコンロで焼いてくれる。外はハーブの良い香り、中は生のキングサーモンwithシダーフレーバー、名物のアイスワインとともに贅沢なディナーでした。

3月29日
 トロント空港朝9時発のニューヨーク行きに乗るため、エドワードが早朝車で送ってくれる。二日間、完璧にお世話になってしまったうえ、メイプルシロップなど大量のお土産をもらう。この夏、彼は日本に来て、富士登山をしたいらしい。その時は、名古屋で恩返しをしなきゃ。

 イラクに戦争をしかけるアメリカは嫌いだが、若い頃、アメリカは我々の世代の憧れであった。高校生の頃、サイモン&ガーファンクルのコピーバンドをやっていたことがあり、ニューヨーク(以下NY)には特別な意味を感じていた。今回は、とにかくNYの匂いを肌で感じたいと思った。しかし初めてのNY、地元情報をもらえる所はないかと思って探していたら、「ザ・ワンハンドレッド」という日本人女性が経営するB&Bをインターネットで見つけた。早速予約しメールで事前に連絡をとた。経営者のようこさんは世界中を旅した紀行画家、旦那様は彫刻家。

 トロント空港では厳しいチェックをうけたがNYラガーディア空港ではノーチェック。タクシーでB&B到着。マンハッタンではなくブルックリンにそのB&Bはある。慣れない目には黒人が多くて不安を感じるが、実際には全然問題ない。というか、私はこういう下町が最高に好きなのだ。NYの雰囲気は大阪の新世界や天下茶屋に似ていると思う。通天閣周辺が苦手という人は、NYには合わないかもしれない。上下関係でしか人間関係を持てない人もNYには似合わない。NYの地下鉄がとても好きだった。危ないどころか、皆さんやさしい表情で、東京の地下鉄にはない暖かさを感じた。駅は美しくはないが、広告も売店もなく、アッサリしている。車内は落書きも少なく、夜12時頃までは安全も問題ないそうである。昼から、タイムズスクウェア周辺を歩いてみたが、もう少し下調べをしないとどこに行けばよいかわからなかった。夜はようこさんに教えてもらった、近所のカンボジア料理の店に行く。アッサリした野菜入りラーメン?が美味しかった。

3月30日
 今日の予定は終日メトロポリタン美術館である。話には聞いていたが、あまりにも巨大であった。まずはアメリカ館。膨大な数の家具の収蔵品があった。本で見たアーリーアメリカン家具やヨーロッパ調のもの、シェーカー家具等々。フラッシュを使わなければ写真を撮ってもよいというのがうれしい。
 

 ジョージナカシマのテーブルと椅子のセットが置いてある部屋があった。ナカシマの家具はあまり好きではなかったが、彼の家具ほどの存在感がないとメトロポリタンのような場所では負けてしまうと思った。アメリカ人の中の日本、東洋、神秘を実にうまく表現している。


 夕方までヘトヘトになりながら、ほとんど全てを見た。2時間待ちになっていたが、最後にレオナルドダヴィンチの素描展も見ることができた。油絵と違い、紙に書いたデッサン等は時間がたつとボロボロになってしまう。だから、彼の本物のデッサン等を見ることができるのは、最後の機会になるということであった。
夜はB&B近くの中華のデリで、すすめられた「ホタテ貝の炒め物」とライスを買って食べ、疲れた体を休めた。

3月31日
NY最後の日、今日は街の見物。朝はテロで崩壊したWTC跡地を見に行く。一人で写真をとっていたら、家族で見に来ているアメリカ人から「写真をとりましょうか」と声をかけられた。この事件以降、NYの人はよりやさしくなったという。

 家具のショップを見ようとソーホーに行くが、正直なところ、あまりいい店に出会えなかった。というより、私の心の中では「日本人である私はどういう家具を作ればいよいのか」ということに思考がいっていて、既存の家具を見ようという意識が弱くなっていたと思う。午後は有名何処の五番街を見て、ついでにミュージカルの当日券売り場に並ぶ。メチャ寒い中、一時間並んで、”キャバレー”のチケットを手に入れた。STUDIO54という劇場を下見に行くと、チッコイ場末の劇場。大丈夫か?と不安になって宿に電話して評判を聞いてみた。「場末の酒場のような雰囲気でお酒を飲みながら見るらしいですよ」ということであった。午後8時からなので、一度B&Bに戻り、夕食を済ませてから、ブロードウェイへと向かった。劇場内は渋いこげ茶色、丸いテーブル席がずらっとならび、ビールを飲んで開演を待つ。開演前には満席となり、やがてミュージカルは始まった。流石に真似ではない本物のNYミュージカルでした。堪能。
 
夜の町には至るところにマシンガンを持ち、犬を連れた兵士や警察官がいて物々しい。でもおかげでまったく安全。11時ごろの地下鉄も何の問題もない。これでNYの予定終了。明日は4時起きである。

4月1日
JFK空港発7時半のバンクーバー行きに乗るため、4時半に予約したタクシーでJFK空港へと向かう。運ちゃんは陽気なバングラデッシュ人で「日本人はいい!」を連発していた。誉められて悪い気はしない。JFK空港でびっくりしたのは、タクシーを降りてから、搭乗待合室までの距離が短いこと。余計な売店などはないが、実にスムース。タクシー代もチップ込みの$30。こういう利便さが本物だと思った。
 搭乗手続きで最後のハプニング。なんと「名古屋行きがなくなった」と言う。要するに採算割れなので、勝手に成田経由に変更されていたのである。日本に帰って知ったことだが、前日エアカナダが倒産していた。
 バンクーバー経由で日本に4月2日の夜たどりついたが、実に遠くて長い。ヨーロッパの方が圧倒的に近い。でもNYはまた行きたい。NYの下町、ブルックリンに泊まってのマンハッタン通が病みつきになりそうな気がしている。