2000年11月、滋賀県で行われた「自治労滋賀県本部青年部女性部学習会」にて、
B a b y★B a b aが講演した内容を掲載します

Baby★Baba

「夢は叶う」


さて夢とはどういう事でしょうか?
辞書で引いてみましたら次の3つの意味が書いてありました。

1.睡眠中に現実にあるかのような物事を、なかば見たり思い出したりする現象
2.実現するかどうか分からないがやりたいと思う事柄
3.何か楽しい、甘い環境に慣れて厳しい現実を忘れている事

とあります。これから私が話す夢とは2つ目の「実現するかどうか分からないが、やりたい事」とこれでいきたいと思います。

 そして「やりたい事ができた」という事を「夢がかなった」とします。
おまけですが夢を持っと「夢がかなった時の自分の姿」を想像しますね、
その「夢がかなった時の自分の姿」を「自分の目標」とします。
これからお話しますのは夢の無かった私が今日ここで歌えるようになった言わばサクセス・ストーリーです。みなさんがこの話を聞いて「よし、私も何かやってみよう!」とか「私も負けずにガンバルわ」と思っていただけたらとても嬉しいです。

 私は小学生、中学生の時は夢というものがありませんでした。
小学生の時に学校の先生から「大きくなったら何になりたいですか?」と紙に書かされた事があります。私ははっきりと言えるものが無くて心にもない「カーレーサー」と書きました。その頃はちょうどスーパーカー・ブームだったので「カーレーサー」と書いたのでしょう。
またクラスの中で「野球の選手」とか「先生」とかを言える人をとてもうらやましく思いました。

 中学では週に一度クラブ活動の時間がありまして必ず部活に入らなければいけませんでした。私は卓球部に入りましたがどうも居心地が悪かったので2年からテニス部に入りました。そこでも居心地が悪かったので毎日は参加せず、週に一度のクラブの時間しか参加しませんでした。
では何が楽しかったかというと「音楽を聞く事」でした。それも日本のロック。
THE MODSとかARBとかRCサクセションなどを聞いて友達と一緒に盛り上がっていました。

 高校に入りました。そこでは部活に入らなくてもよかったのですが、なんと弓道部に入ったのです。けっこう楽しくて3年間無事に所属する事ができました。
実はこの弓道部に入った事が私にとって重要なポイントとなったのです。

 一緒に入った人が私と同じROCKを好きで一緒にROCK BANDを組む事になったのです。
私はドラムを担当する事になりました。独学で始めたドラムですがとても面白いので毎日のように練習をしていました。
 私がこんなに何かに熱中するのは初めてで私の母親はとても喜んでいましたね。
なんせ中学生の頃は反抗期だったのでけっこうケンカをしていましたから。

バンドを始めたら私に「やりたい事」、「なりたい姿」がはっきりと見えてきました。
 「ライヴをやりたい」、「みんなにドラムを叩いている姿を見てもらいたい」…これが私の初めての夢でした。
 バンドのメンバーも同じように思っていたので、みんないっしょうけんめい練習をして16歳の時に初めてライヴハウスに出演することができました。初めての夢「ライヴをやりたい」が「ライヴをする事ができた」ので、私の初めての夢は叶いました。それからもいろんなバンドをやったので高校生の時には10回位ライヴをしたと思います。


 高校を卒業して社会人になりました、18歳です。ベニヤ板工場に勤めました。
勤めて最初の夏になんと私は交通事故にあって大ケガをしてしまいました。
入院して約1年仕事を休みました。
 
入院していた時に何を思ったかというとそれは「またドラムを叩きたい」、
「またライヴをやりたい」でした。非常に強く思いました。これが2つ目の夢です。
家族にドラムのスティックを持ってきてもらって病院の屋上で練習をしました。階段でも練習しました。しばらくすると退院して、仕事に無事戻ることができました。
 1年前のバンドはもうバラバラになっていたので懐かしいバンド仲間と再びバンドを組んでライヴをしたのでした。2つ目の夢「またライヴをやりたい」が「懐かしい仲間とライヴをする事ができた」ので2つ日の夢も叶いました。19歳の時です。


 ベニヤ板工場で働きながらバンド活動をしていた私はしばらくすると「歌をうたいたい」と思うようになりました。3つ目の夢です。
メンバー募集の貼り紙を見ましたが、いいのがなくて、それならば「今のバンドでコーラスをやろう」と思いヘッドセット・マイクを買ってドラム&コーラスという役割をつかみました。さらにそのバンドは解散してしまい、私は新しいバンドを作りました。
 ドラム、ベース、ギターの3人のバンドで歌を作った人がうたうというものでした。
ドラムを叩きながらではありますが「歌をうたいたい」という夢が「歌をうたう事ができた」ので3つ目の夢も叶いました。22歳の時です。

 ベニヤ板工場で働く一方、3人組バンドでドラムを叩きながら、うたっていた私はある日東京のアマチュア・バンドと知り合いました。
その東京のバンドは自主制作CD発売記念と題して全国約10ケ所のライヴツアーをしていたのです。私はそのCDを聞いてとても感動したので、ライヴが終わった後に彼らに話かけに行ったのです。

 それから私達のバンドはその東京のバンドを何回も新潟に呼んで一緒にライヴをやりました。そして仲良くなっていったのです。
 そこで思った事はというと「県外でライヴをやりたいなー」でした。
そうしたら「東京でライヴやらない?」と言われました。すごくうれしかったです。
 私達3人バンドは夜スタジオで練習をした後、高速道路を走って東京「新宿JAM」というライヴハウスを目指しました。そして無事にライヴができて「県外でライヴをやりたいな一」という夢が「新宿JAMでライヴができた」ので4つ目の夢も叶いました。23歳の時です。


 だんだん私達のバンドの状悪は不安定になっていきました。
そのころ東京のバンドをまた新潟に呼ぶと、なんとメンバーはみんな抜けてVo.ただ1人になっていたのです。フォークギター1本で熱く歌うその姿に私は心を奪われました。「私がやりたかったのはこれだ!」と。
 そして「1人でもROCKができるんだ!と強く思いました。
そこで思った事は何か。「1人で歌をうたいたい」です。5つ目の夢となりました。そして私はフォークギターを買ってバンドをやめました。バンドでやっていた自分で作った歌があったので一ケ月後にはソロでライヴをする事ができました。
「1人で歌をうたいたい」という夢が一ケ月後に「ソロでライヴをする事ができた」ので5つ目の夢も叶いました。24歳の時です。


 仕事の清掃作業をやって、家に帰ると歌をうたう…という生活が続きました。
そこで思った事は何か。「有名になりたい、ラジオやTVに出たい」です。6つ目の夢となりました。

 とある日、ライヴをやった後の事です。新潟で活動しているプロ・ミュージシャンと知り合いました。そのプロ・ミュージシャンは作家の浜口安吾の石碑の前で「安吾の”五”」を取って5日、15日、25日の15時から必ずライヴをやっていました。雨の日も風の日も。
 私はそのライヴを見に行きました。外で歌うその姿に私はとても感動しました。そして「私にもできる!」と思ったのです。

 ちょうどその頃、家の建て直しをしていまして私は外で練習をしていました。
1994年2月13日とても良く晴れた日曜日でした。私は、「新潟県民会館の前で歌おう!」と思い衣装を着て出発しました。

 信濃川を渡っている時です。信濃川河川敷公園が芝生の緑色でとてもきれいに染まっているのを見ました。私はとても感動して「よし、あそこで歌おう!」と急遽、行き先を変更しました。
 信濃川河川敷公園で歌うこと30分、はじめは誰もいなかったのですが、結局約20人もの人が集まってきてくれて私はとても嬉しくなり「よし、これを毎週続けよう!そうすればいつかTVで取り上げられて有名になれるぞ」と思ったのでした。

これが6年後の今でも続けている「やすらぎ堤ライヴ」の始まりです。

 で、1年位続けているとラジオで紹介され、さらに地元の新聞でも紹介されました。
「有名になりたい」、「TVに出たい」という夢が「ラジオで紹介された」ことで6つ目の夢が半分叶いました。26歳の時です。

「清掃作業という仕事をしながら日曜日にやすらぎ堤ライヴをする」という生活が続きました。

ある日の事です。仕事をしている時の気持ちをうたった「清掃作業員の唄」ができました。この歌をある所でうたったら大手新聞社の支局長の目にとまり、さっそく取材をうけました。その結果、全国のいくつかの新聞で私の名前と「清掃作業員の唄」が紹介されました。

 その頃私は、兄の代わりとして「自治労コンサート95」に出演しました。
するとどうでしょう!お客さんは大いに盛り上がりものすごく評判の良い結果となりました。
これがきっかけとなってその後の全国各地の自治労の集会などに呼ばれるようになりました。
4つ目の夢でもありました「県外でライヴをやりたい」がここでも叶いました。
27歳の時でした。

 それからしばらくするとTV局のディレクターから電話がありました。
「30分番組であなたを紹介したい」との事です。
その後仕事である「清掃作業」をしている姿とライヴをしている姿が撮影されてTVで放送されました。
 6つ日の夢でもありました「TVにでたい」という夢は「TVで紹介された」事で叶いました。27歳の時でした。
さらにその後違うTV局でも紹介されました。こちらは30歳の時です。

 ある日の事です。やすらぎ堤ライヴを終えた私はフッと1つの疑問が沸いて来ました。
「TVに出たい…と夢みて始めたやすらぎ堤ライヴだが…夢は叶ったしなあー、やすらぎ堤ライヴをやる意味がないなあー」と。

 しばらくすると一つの言葉がひらめいてきました。「ヒーロー」です。
「そうか、次の夢はヒーローになる事か!」と思いました。
私の今までの事を振り返ってみますと「次の夢はヒーローになる事」と私は実感しました。「それならばハッキリと自分の目標を立てよう」と思い
「皆さんの心の支えとなるヒーローになる事」を今現在の夢にしました。
「ヒーロー」とは、どこからどこまでという境目がないのでこの夢はおそらく一生追い続ける事でしょう。

 私はこれからもライヴ活動、Baby★新聞の発行などを続けていこうと思っています。
皆さんの中で「私は何かをやっている」という人がいらっしゃいましたら、どうぞその何かを続けていってください。

 また「何をやっていいのかわからない」という人がいらっしゃいましたら、あせる事はありません。やりたい事が少しでもあったら勇気をだしてやってみて下さい。
たとえうまくいかなくてもいつかきっと夢中になれるものが見つかります。

 そして十人十色、お互い自分の持ち味を引き出し、磨き、輝かせていって、自分らしく生きていきましょう!


2000年11月3日(金)pm3:40〜
滋賀県守山市つがやま荘グランルーム
「自治労滋賀県本部青年部女性部学習会」にて講演。
               B a b y★B a b a