皆さんこんにちわ。ナナハン野郎が僕のことを「原稿落とし」とか何とか言っているけど、書かなかった訳じやない。ちやんと原稿(そんなたいしたものじやないけど)はできていたもの。締切を知らなかっただけ。ただそれだけ。ホントだってぱ。前の原稿をそのまま出しても良かったけど、せっかく次の号に載るんだがら新しく書く。これでいいね?ボブ君。レポート形式のものはみんな書くだろうから、自分の感じたことを中心にエツセイみたいな文を書こうと思う。バイク中心でいくと思うけれど時々それるかもしれない.ただ今回は初回だからバイクに乗るきっかけみたいなのを書こう。みんなにあまりはっきりときいたことはないけれど、どうしてパイクに乗ろうと思ったんだろう。バイクっていう乗り物は乗り物のクセして乗ること自体が主な目的だ.誤解を恐れずに言えぱ、車にしても電車にしても他の交通手段はほとんど「自的地に着くこと」が目的だからね。例えぱ、車で出張する人はたくさんいてもバイクで、という人はまずいない。こうして考えるとバイクってつくづく趣味のものだ。「実用」よりも「感性」で乗るものなんだろう。僕が高校生の時、学校の登下校のときに通る道にあったビル(なんのビルか忘れた)の前に毎日FZ400が止めてあった。それまでのバイクに対するイメージは牛みたいでゴツイぐらいだったけどFZは見事にそれを払拭してくれた。ヘッド周りが斬新に思えてりアシートあたりがシャープで全体にとてもスマートだった。下校途中に友達と穴があくほどジロジロ眺めた.何も分からないからデザインのことばかり喋っていたけれど。今思うとただの失礼な奴だった。ほとんど暴走族みたいな奴(RZに乗ってた)が友達にいたのでFZのことを問いてみた。よくは覚えていないが「値段が高い」と笑っていたことは覚えている。僕にはどうしようもない値段だった.羨望の眼差しとは僕がFZを見る視線のことだったろう。ルーティン・ライフから連れ出して、素晴らしい世界を感じさせてくれるように思えたFZがバイクに乗る伏線になったんだ。大学生になってお金の問題が一応片付いたのでやっとバイクに乗れた。一部(木下やボブ)に「根性がない!死ぬ気で金をためろ!!」とか言われそうだけれど。(本下:言わない言わない)子供は「感性」だけて生きているけれど、バイクに乗る人はその嬉しい気持ちである子供心をいい意珠で残している。乾いていてシニカルな人にはあわない乗り物だ。ただ、憧れだけで乗っているとつらいものがあると思う。雨に弱いし、例えアメリカン・夕イプでもバイクは疲れる。みんながさっさと車の方に興味がいくのもそのへんだろう。危険でもあるしね。僕もいずれは車に乗るだろう。でもそれはバイクと平行してということになる。実用に車、趣味でバイクという形で接してゆきたい。以前にTVでレポー夕ーが、40才位の男の人に趣味は何ですかと尋ねていた。その人は照れ臭そうに笑いながら、「この年になってバイクです。」と答えていた。とてもカッコイイ年のとり方だと思う。こんな風に生きてゆきたい。ただ年を喰ってからはもうすこし楽なポジションのバイクに乗ろうとは思うけれども。
by 黒太郎