就職するにあたって、天文を続けていくためにと思って新たに購入した天体望遠鏡です。しかし寮生活になったので、長く実家に置いていました。右の写真も実家で撮影したものです。結婚した時に自宅に引き取りましたが、使用する事もなく、長い間押入れにつっこんでありました。しかし実家はその後、阪神大震災で全焼してしまったので、この時引き取っていなければ、そのまま燃えてしまっていた事と思います。赤道儀はEM100で、2003年の火星大接近は、この赤道儀に、この後購入したTSC-225を載せて使用しました。 | ![]() |
大学4年になった頃だったと思いますが、天文クラブの有志で共同の観測所を作ろうという話が持ち上がりました。自分達の観測所を持つというのは、天文ファンにとって、やはり一つの夢。それから建設場所をあちこち探したり、設置する望遠鏡をどれにするかといった、難しくも楽しい作業が始まりました。結局は、メンバーの多く居住する兵庫県内で、比較的空が暗くて星の見える県中央部のさる町で、町役場のご好意で土地を借りることが出来、その土地の大工さんにお願いして、80万円程度の費用で写真のような8坪ほどのスライディングルーフ式の観測小屋を作る事が出来ました。 | ![]() |
この観測所内に設置した望遠鏡は、今はないミカゲ光器の210B赤道儀に26cmニュートンを搭載したもので、値段は120万円程度だったと思います。26cmというと今では大した口径ではありませんが、当時は本当に憧れの大口径望遠鏡。しかしながらそんな憧れの望遠鏡と観測所だったにもかかわらず、完成した時には既に大学院生で、すぐ就職となって忙しく、数えるほどの回数しか使用した記憶はありません。観測所にも十数年前に行ったきりで、その後、土地を借りていた町の都合で少し場所を移動したとか、有志メンバーだけでは維持管理が出来なくなったので、大学の天文クラブに管理を委託したといった話は聞きましたが、仲間たちとも、毎年年賀状を交わす程度の付き合いになってしまい、今観測所がどうなっていることやら・・・ | ![]() |
大学でも天文クラブに入部しました。ここにはドームに入った大型望遠鏡等はなく、最大のものが、この15cmニュートン式反射赤道儀でした。しかし大学は山の中腹の小高いところにあったので、都会の割には星も良く見え、また夏の明け方には大気が落ち着いて非常にシーイングが良くなり、この望遠鏡で見る木星や月面は素晴らしいものでした。あのような素晴らしいシーイングには、それ以前も以後も出会った事がありません。この望遠鏡を使って、月や惑星の拡大銀塩写真を良く撮影し、その内のいくつかは、天文ガイドや天文と気象などに投稿して入選し、一度だけですが、その月の最優秀作品に選ばれた事もあります。 | ![]() |
高校に入ると天文部に入部した。 |
この事がトラウマとなって、何となく高橋製作所の製品は、良いものと分かっていても、何となく好きになれない(笑)。 | ![]() |
天体に興味を持った時期もきっかけもそれほどはっきりとは覚えていませんが、小学生の5年か6年の頃に、お年玉を貯めてこの望遠鏡を買った事は記憶しています。当時15000円だったと思います。口径の割りに安価なので、結構良く売れていた製品のようです。垂直微動のみで水平微動もない望遠鏡でしたが、それまでの科学雑誌の付録のレンズにボール紙を巻いて作った鏡筒の望遠鏡をカメラ三脚に固定したものとは大違いで、この望遠鏡で初めて見た月面や、米粒大であっても、はっきりと見えた土星の輪、大接近時の火星の極冠と大シルチス(だったと思う)は忘れられません。斜鏡サポートが円形の独特のものだった事も印象に残っています。 |