
旭川の方達との日常の会話の中に出てくる綾子さんの思い出話を
私はいつも楽しく聞かせていただいています。
その内のいくつかをご本人達のご了解をいただいて、
ここでみなさんと分かち合いたいと思います。
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K・Tさんの想い出
札幌の柏葉病院を退院された年に、綾子さんをお見舞いしたときのことです。
綾子さんは「光世さん、Kさんにあれを見せてあげて」と言って、
入院中、リハビリのために作った革細工のペンケースを見せてくれました。
初めは、綾子さんも見せるだけと思っていたようですが、
途中から気が変わって、私に「あげる」と仰るのです。
「綾子さんが丹精込めて作ったものをとってもいただけない」と
お断りしたのですが、ぜひに、と仰るので、
「それではお預かりしておきます」とお答えし、今私の手元にあります。
綾子さんの想い出は、たくさんありますが、
何と言ってもこのペンケースのエピソードが一番印象深い想い出です。
写真集「永遠に」(北海道新聞)P48でこのペンケースを綾子さんが手にしています。
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O・Tさんの想い出
私がまだ独身でステーションデパートに勤めていたころ、
初めて、友達と旭川六条教会へ行ってみました。
その時、玄関でスリッパを出してくれたのが三浦綾子さんだったんです。
「こんなに有名な作家が・・・!」とびっくりしてしまいました。
洗礼を受けてからも同じ教会員としていろいろ御世話になりました。
ある時、私の所に来て、「Oさん、悩んでいるんじゃないの?」
まったく図星だったので、やっぱりこの人はすごいと思ったものです。
また、ある時は、光世さんから夫に、
将棋のお誘いの電話をもらったことがありました。
あのハードスケジュールの中で
夫にまで気を使ってくださることがありがたかったです。
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三浦さんっていう人はとにかく、人がいい人だったね。
おおらかとういか、絶対悪くは考えない、いい方ばかりに考えていく人だった。
子どもが好きで、元気な頃は、教会へ来ると、小さい子どもみんなに声を掛けていたね。
具合が悪くなってからも、私に会うといつも、握手をしてきた。
調子がいいときはニコニコしていたけど、あの病気は表情がなくなる病気だからね・・
それでも調子が悪いときも、握手だけはしてきた。
教会の階段も昇降機を使わず、最後まで、光世さんが自分で上がるように言っていたけど、
それがまた、光世さんの言うことは本当に良く聞いていた。
あれはなかなかできることじゃないと思ったよ。
小学校の時、綾子さんは私より、1年上だったんだけど、
学校の「めばえ」という文集に、2回載ったことがあってね。
その頃は、綾子さんのこと知らなかったけど、
綾子さんの担任の「渡辺みさお先生」のことは、覚えているね。
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S・Kさんの想い出
光世さんの日曜学校の生徒だった妹が、ある時、
「三浦先生、よその教会の女の人と結婚するんだよ」と教えてくれました。
教会のそばに住んでいた私たちは、結婚式の日、
教会の窓から、お式を覗いていて、父に叱られた想い出があります。
お二人が結婚された年だと思いますが、
日曜学校の生徒が先生の家でご飯をいただくというようなことがあり、
三浦先生の家から帰ってきた妹が、
「三浦先生の家、小さくて、部屋が一つしかなくて、天井に手が届くんだよ」と
報告していたのを今でも覚えています。
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私は文学館開館前から、資料整理のために三浦家の資料室に通っていました。
初めは、綾子さんのことを堅い人なのかな〜と思っていたんですが、
綾子さんは、とにかく、かわいい!
綾子さんのお隣で、お茶をいただいてたりすると、
いつのまにか綾子さんが、私の三つ編みを持ち上げていたり・・・
3年前の多喜二祭(2月20日)
あの日の綾子さんは最高にかわいかった!
東京での講演に光世さんが一人で出かけていて、
綾子さんは、その光世さんの帰りを、完全武装(完全防寒)して、
玄関の外でずっと待っているんです。
あの頃は、秘書の八柳さんもいて、八柳さんやお手伝いさんや、みんなで
玄関を出たり入ったりしながら、ずっと待っていて・・・
1時間くらいして、タクシーで光世さんが帰ってくると、
本当にうれしそうに、手を振って迎えていた。
光世さんも、ニコニコしてタクシーから降りてきました。
その時の、光世さんから綾子さんへのお土産はエプロンで、
私にも、ミッキーのハンカチを買ってきてくださいました。
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夫の両親は、以前から綾子さんといろいろなつながりがあり、
お若いころ、何度か家に来られたことがありました。
その時はまだ、うちが「氷点」のモデルの家に使われるなんて、思ってもいない時でしたけど、
夫の父は「堀田先生の小説が最終選考に残っている」と、とっても喜んで、
当選当時の記事を切り抜いてスクラップしていました。
綾子さんは「氷点」が単行本になった時には、こんな言葉を添えて、贈ってくださいました。

(啓造や夏枝や陽子や徹や、そして高木や辰子が
お宅に長いことお邪魔して申し訳ありません。
厚くお礼申し上げます。)