彼がいなくなった日の書き込み


かなり前からずっと思ってることなんだけど  世の中って難しすぎやしませんか。   全部理解するのなんて到底不可能です。   まんべんなく概要だけつかんで   ジェネラリストやらになったとしても   役に立たないという価値観の世の中です。  仕方なくどこか一つの分野に  特化して行くんだろうけど  それもますます細分化が進行中で  人間一人の知の範囲というのは  ものすごく深いがものすごく狭い  ということになる。    これでいいんですかね。 科学者が研究に没頭するあまり 倫理や哲学や経済や政治やらを たいして知らずに どんどん科学文明を 進めていっていいんですかね。    さらに世の中の変化のスピードが    ますます加速していってるという現状がある。    一度学んで分かったつもりでも、少し目を離すと    なんのことやら分からないようになってるんですね。   一般市民の生活でも本人が理解できないことに   関わらざるを得ないような状況ばかりです。    資産運用の仕組みなんて難しすぎて分からないけど    お金があるからなんとかしないといけない、だとか   エンジンってどういう仕組みで動くのかまるで分からないけど   車を使わなきゃ仕事できない、だとか。   なにもかも複雑になりすぎてるんです。   分からなくても扱う、というのが普通になってる。 こうなってくると自分で判断することは出来ないから 専門家のいうことを信用して従うしかなかったりします。 バイクが壊れたらバイク屋さんの言うとおりに修理します。  政治のことなんてよほど勉強しないと分からないから  とりあえずいい人そうな候補者に投票しとこう、とならざるを得ないんです。     裏を返すと何か一つ専門分野を持てば     シロウトをだますのなんて簡単だということです。    どうせ大衆は政治を理解してないから、と    政治家はずるいこともけっこうやれるわけです。      こういう世の中になってくると      悪い奴が悪いことしやすいんじゃないかと思います。      中学生がコンピューターウイルスばらまいて      無知なユーザーを混乱させたりとか出来るわけです。         ハイテク商品のスペックだとか価値ってシロウトにはよくわからないから     結局、商品を選ぶときは、信頼できるというイメージに頼るしかない。      その信頼っていうのはCMやってるから大丈夫そうだとか      伝統あるブランドだから良さそうとかいうことになるのが多いんでしょう。     だから広告のブランド戦略がものすごく重要視されてきてるんだと思います。       少し本論からずれました。           もう他人を信用するしかないんです。自分では理解出来ないんだから。  だから信用に足る人間とだけ関係を持つことで自衛するしかないんです。  社会としては信用に足る人間を育てる必要があるんでしょう。     人を信用できるというのは   本当に素晴らしいことです。   海外を旅していて   日本の一番いいとこは   人を信用できることだと思いました。   素晴らしいことです。 しかし現実的な問題として 悪い人間をなくす、もしくは、悪い人間と関わらない ということは大変難しい。   さてどうしたものか。   私が思うのは  人間は自分が理解できないものを扱うべきではない   ということです。   分からないことには手をださないんです。     そもそも人間が扱うものの範囲は     自分達の周りの信用に値する人間が見つけたもの     だけだったんだと思います。    それが文字の発明によって     時代を越えて     航海術など交通手段の発明によって     地域、民族を越えて    知が伝わるようになった。   あかの他人が発明したものを自分も利用するようになったんです。    私にはこれが間違いの始まりだったように思われます。      情報ネットワークの発達によって技術の伝播速度が増すばかりです。      いまや自分が使ってる道具の仕組みなんて全然分からないんです。       携帯電話の仕組みを理解してる人がどれだけいるでしょうか。       電磁波が出るってどういうことか理解してる人がどれだけいるでしょうか。      そして自分がしている行為の意味合いさえ理解していない。   伝播や変化のスピードがそう速くなかった時代なら   新しい技術の持つ意味合いを吟味する時間があったからまだ良かった。       それが今、そんな悠長なこと言ってたら競争力を保てないんです。     資本主義的価値観でたくさんのライバルと争うには     どんどん進むしかない。理解していなくても採り入れなければならない。  その結果が今の世の中の歪みなんではないかと思うのです。   アメリカで銃を乱射した子供はその意味を理解していない。   ナイフで人を刺す少年はその意味を理解していない。    知や技術は習得する過程で    その意味合いを学んでいくものです。     自ら苦労しながら石をけずって石器を作っていた人達は     そんな簡単に人を傷つけたりしないんだと思います。 便利だからといって、なんでもかんでも採り入れてはいけない。  かといって手の届くところにご馳走があれば、  我慢するのは簡単ではないことです。   それなら始めから知らなければいいんです。   知る必要なんてどこにあるんでしょう。  直接信頼できる人が教えてくれたもの以外に接触すべきでない。 問題を起こしたのは文明の伝播です。  はるか遠くにあるはずのものに手が届くようになってしまった。 それを爆発的に進めているのがグローバル化であり情報化なのです。  これは人間にとって幸せな方向性ではないと思うんです。   知るべきでないことを知る   得るべきでないものを得る ことを含む方向性です。  知るということ、得るということは  人間の本能的な欲求のなのでしょうが それがたやすく達成されるようになった今、  もはや追求すべき欲求ではないように思えます。       しかしながら、もう世の中はそういう方向に流れていってしまってます。   この巨大な急流を止めることが出来るとしたら   それは人の価値観が根本から変わるということでしょう。   すくなくとも資本主義経済の中ではどうしようもない。 残念なことですが、今の私にはお手上げです。 仕方がないので どこか気候のいいところの無人島を買って 自給自足の生活をすることにします。 理解できない技術なんていらないです。 高度な文明を持つみなさん 今までどうもお世話になりました。 私は私らしくいることを選びます。 さよなら文明。 200x年9月7日 ------------------------------------------ そう言い残して彼は街を出ました。 学生のころヴァラーナスィの安宿で噂に聞いた あの島にでも行ったのでしょう。 ギターとスケッチブックだけ持って。
                 フィクションですよ。・・・多分。きっと。                  彼はちゃんと帰ってくるはずです。                  またよろしくっ、文明。