457 大きさ まつむら 2000/12/22 Fri AM 01:26 E-MAIL :kuniaki@ann.hi-ho.ne.jp HomePage: そう、なんで日本という国単位で物事を考えるか っていうのが面白い話。 <<個人的に「日本が強いかどうか」に関しては大して興味なしです。 よく、自分の所属する(含まれる)集合体を持ち出して、 優劣を競ったりするけれど、 それは自分自身のことのふりをしているだけで 全然自分自身のことではないですよね。 だから、自分の所属する集合体レベルでの話には興味がありません。 優劣を競ったり、比較するのであれば、 自分か他者かという一点だと思っています。 時と場合によって仕切られる位置は違うかもしれませんけれど。>さか> この意見はもっともな気もするけど、 僕の感覚から2通りの意味で言いたいことがあって 一つは前にも書いたように(たての(ま)も似たの書いてるけど) 自分個人ていうのは所属している集合体、 特に国の状態や方針によって決定されている 部分がめちゃくちゃ大きいってこと。 例えば、タヒチ島に生まれてりゃ、いい時計を買いたいとは思わないだろうし ニジェールに生まれてりゃ、建築構造に興味持ったりしない。 僕がHPでこんな暇人みたいなことやって楽しいと思ってるのも、 経済的に豊かなこの時代のこの日本に生まれたからやしさ。 何か表現して人の心を動かしたいと思うのも、 この社会にそういう必要(需要)があると思うからであって。 もう一つは、 「自分とは何を指すか」 という大きな問題。 前にたての(ま)が、コミュニケーションにおいて、 「人間の感覚すらメディア(媒体)と言える」 というようなこと書いてたように 自分という範囲の定義って疑わしいもんやん。 自分がコントロールできるものが’自分’だとしたら(論理的におかしいけど) つい居眠りしてしまう体は’自分’じゃないんだろうかとかね。 そんで、僕なりに考えてみたんやけどさ、 「それが良くなったときに嬉しいと感じるもの」 =「自分(たち)」(=他者でないもの) って定義すると面白いんじゃないかと。 僕のわりと好きな姿勢に「大きな人間になろう」っていうのがあるんやけど この「人間の大きさ」っていうのは、 さっき定義した「自分」の範囲のことやねんなって思った。 例えば、ドラッグで脳に快楽を与えるのが好きな人は 他人はおろか自分の体さえも省みないわけだから、 その人の「自分」は脳の一部のみ。ちっちゃい人間ということ。 自らの出世ばかり考えている人より まわりの人のこと考える人は大きくて 会社のこと考えてる人はより大きい。 それより、日本の経済を考えてる人は大きくて 日本の幸せ考えてる人はもっと大きい。 人類のこと考えてる人はかなり大きいけど 地球上の生命すべて考えてる人がもっと・・・ ・・・ ・・・ ていうふうに。 (ここでの’考えてる’っていうのは「それが良くなれば幸せと感じる」ってことね) でも結局これって相対的な問題で、大きさは無限で突き詰められないから どの’大きさ’が正しいかってことは言えない。 それで、結局どうやって「自分の大きさ」を決めてるかというと 個人のアイデンティティ(属性)のもと、 つまりはその個人のあり方に強く影響しているものに対して 「自分たち」と捉えて、そのための活動をしたり その結果に一喜一憂したりするんちゃうかな。(スポーツとかでも) 日本では、実際、国によって個人が作られてる部分が大きいわけやし (島国ってことや無宗教ってのもあって) 漠然と「自分たち」=「日本」っていう人が多いなとは思う。 特に僕の通ってる大学では多い。 相対的にはわりと大きい方やろうけど、 「想像力が欠けてる(たての(ま))」人もいるように感じる。 <<僕は「日本は強いの?」と思いました>さか> これも面白い。僕はあえて引用符付きで’強い’って書いてんけど 今の世の中の常識的な考えでは’経済的’に強いってことやろね。 「日本は強い(strong)国だ」っていう外国人に沢山会って それで、日本が強いのだとしたら技術に基づいた経済力なんやろなと思う。 話はそれるけど、国民が自分の国をどう評価しているかってさまざまで興味深い。 アメリカ人なら「自由で、パワフルな国」とか フランス人なら「素晴らしい文化の国」とかいろいろなんやけど インド人が「インドは偉大(great)な国だ」って言ってたのは面白かった。 偉大ってなんやろね。偉大?? 僕としては「幸せな(その意味で豊かな)国」がいいなと思う。 言い古されてるけど「強い」=「豊か」ではないことを忘れないのが大事。 >>個人的には共産主義的ユートピアを夢見ていることが 最近自覚されてきた。>たての(ま)> 僕もそうやねん。 >>みんなでのんびりと、小さなしあわせを。 つまり、ローモチベーション。>> でもね、しあわせの大部分はモチベーションがあってこそのもんやと思うんです。 ただ、そのモチべーションは必ずしも’生産的’でなくてもいい。 「小さなしあわせ」を得ようとするモチベーションでいいね。 ワンマンバンドやりたいとか 居酒屋をやりたいっていうのが 僕の小さなしあわせ それでいて 大きなモチベーション。