12月26日 最近、街に出て買い物ってゆうか見てるだけやけど楽しい。見てると買いたいもんとかやってみたいことがいっぱいあってたいへんだ。
物とか情報があふれてる環境のなかで、それを手に入れるのは困難じゃなくなっているほど豊かで平和で、足りないのは時間やな。限られた短すぎる時間の中で、どんな情報を選び何をして過ごしていくのか、自分が本当にやりたいことが何なのか、どんな情報が自分にとって必要なのかを見極めるのが肝心やと思う。それが出来てなくても何かしら楽しいことがあって、なんとなくそれをやって生きていくことが出来てしまうから、物事をちゃんと考えない人間がいっぱい出てきてしまう。今の日本が豊かなのは自分個人とは関係のないところからきていることなのに、それを当たり前やと思ってしまってるから甘えた考えになんねやと思う。これから先の日本は大丈夫なんかなあ。と思う今日この頃。
12月27日 自由に、笑って生きてくのがいい
魅力的じゃない人の言うことは真実味がない、説得力がない。自分をよく見せようとしたらあかん。難しいことを喋るなら相手が納得するような分かりやすい説明が必要で、相手を否定して自分だけわかったようなことは絶対ゆったらあかん。ちっちゃい。人の事をもっと考えて誠意をもって接するのが大事。
僕はまだなんも分かってない。将来何をするにせよ、世界の成り立ち、ひと、流れ、価値、とかほかに大事なもんもあるやろうし、それをわかってなどうにもならん。意味が無い。人がなんと言おうと俺は俺の考えっていうのは良くないかもしれんが、人の考えなんてたいしたもんじゃないことが多い。すくなくとも自分の今の価値観において1番正しいのは自分の考えや。そんくらいちゃんと考えてな。その上で人の考えも参考として学ぶとこはしっかり学ぶ。人脈が思ってたより大事らしい。価値が無いと思われることも自分のためにやっていこう。
休学は絶対せなあかん。後悔する。ハンデ抱えてまでも意味有る1年にするべきや、それは親父の言うとおり。いい励みになった。人にどう思われるかっていうのが気になったことがあったけど、ほんまに自分が充実してたらそんなんどうでも良くなって、かつ人からも評価されるもんやな。
しばらく勉強もしてなかったし、意味有る休学にするためにも、当分はストイックに建築やろう。いい生活しよう。
1月12日 久々の学校。髪型はまあ好評。僕自身が充実してるから人の評価はそんなに気にならんかった。
進路で悩むけど、迷ったときは自分にとって厳しいかもしれない道を思い切って選んでみよう。Enter
by the narrow gate.広く整備されていて、大きな流れの有る道は社会的な成功には近いんかもしれん。でもその流れは速くて、逃げることも容易じゃない。
競争社会でエリートでいることは、何でも思い通りになるようで、自分で自分を縛って好きなことが出来なくなってしまうことでも有ると思う。常に突っ走ってなかったら上は目指せない。高いところに行けば行くほど、止まれなくなる。なんとなく、とりあえず、で飛び込んで成功できる世界じゃない。縛られるだけ。
それならほんまに自分がやりたいことをやろう。競争社会でも高いところに行くことが出来るだろうとは思ってる。でもその流れに自分の人生をささげたいとは思わない。流された人生は後悔するかもしれん。自分で選んだ道ならどんな人生でもいい。そのためにはしっかり考えて自分が何をするべきか見定めていかなあかん。競争社会におけるハンデ、リスクを冒してでもやっておくべきことがあるんじゃないかと思う。1度レールの外から社会を見てみることで違うもんが見えるはず。
そうは思うけどもなかなか勇気がいるなあ。全部自分の責任やからなあ。ホンマは流されることも自分の責任やねんけど。何にしろEnter
by the narrow gate.やね。
自分の考えをしっかりまとめて人に伝えるには、自分に対する絶対的な自信、万能感みたいなのが必要なんかな。それを導く実績と充実感も。多少の勘違いがあったとしても、そのほうがプラス思考で楽しい人生をおくれるんかもな。もっと自由に。自分でやれることを狭めてるっていう部分は有ると思う。現実的とも言える。結局何でも感性のままにやりたいことをやっていけるだけの自信がない。実際そうできるだけのポテンシャルがないねんわ。僕の能力はそこまで圧倒的じゃない。悔しいけど、それは事実。それでも僕にはひとよりずっと優れてる頑張れてる部分も有って、それを活かせることを見つけることが僕の成功につながる。ほんまは僕にも万能感があった。それは充実した生活があってこそのもんやった。がんばれてない奴は論外。
1月16日 旅日記をちょっと読んだ。旅してる僕はかっこいいんちゃうかな、よう考えてる。読んでて面白いもんな。物書きになれたらええな。やっぱ休学かな。
人間らしく生きたいな。論理的でパーフェクトなことがいいたいんじゃないってことに気づかされた。走った。駅前でギター弾いた。
1月19日 自分の生活が充実してへんもんやから、ひとが何かしてたら気になんねん。
1月20日 そうか僕は理屈っぽいねや。ふと自分が感じてたことをうまく表す言葉に出会える、その瞬間が嬉しい。論理的であることは武器であるけど、それは表にだすもんじゃないんかな。そういう部分は内で考えて、出すときは人間らしく。小説とかってそういうものやな。
1月21日 建築学科で学んだこと。誰でも何かを考えて行為する。そこで何を考えたのか。どれだけ考えられた上でのもので、どれだけ意味のあることなのか。それは自分ではなかなか分からないもんで、自分がしていることの理由付けをあとからしたりする。何で皮ジャンを着るのかとかね。偉そうなことを言っている人のほとんどは独り善がりだ。ひとりよがりで自己満足できればそれはそれでいい人生であって、それが自分を正当化する価値観で生きるということだろう。しかしそれでは本当に価値のあることは出来ないし、人から、社会から見るとくだらないことであったりする。社会的な価値、成功を目指すための方法を学んだんだと思う。自分が考えて思いついたことを人に納得させることができるレベルまで高めることと、それをうまく表現して説得力を持たせること。人に伝わらなければ意味が無い(そのレベルまでいってればいいけど。)ということを知った。伝わらんようなのはまだひとりよがりの域を脱してない。あと自分で考えるだけじゃなくていろんな人の考えを勉強していくと自分の考えも深まる。
こういうことは何にでも共通することだと思う。就職活動がそうだし、その後の仕事でも、人生でもそうだと思う。自己満足はしても独り善がりにならない生き方にしよう。
自分でものを考えないひとは「普通はどうだから」といって自分の行動を決める
自分が大物だと仮定することによって必然的に濃い生活が送れるらしい。
12月26日 恵まれた人間ほど何もわかってないんかもしれん。
12月29日 冬休みであります。いろいろ考えよう。
今日は懐かしい友達と飲んでかなり楽しかった。変わった自分に気づき、また友達っていうもんは大事やなあって実感した。みんな将来のビジョンが現実味をおびてきていて、もう戻れんとこまでさしかかってきてるなと感じる。それそれがやることをやりだしったっていうかね。しっかりせんと流されるだけになってまうからな。目の前の事より人生全部のためにどうするべきかやな。休学したいっていう気持ちが強くなってきてる。どうやろう?働き出したら多分もう止まれへんような社会やと思う。そうなってしまう前に1年でも自由にじっくり物事考えて、広い世界知ってそれから何に価値があんのか、自分なりの答えみつけてから、就職したいと思う。甘いかな?大学院行く、とかよりは僕の人生にとって厳しいし、意味があるんちゃうかな。
1999年1月5日 奈良に帰ってきた。前に帰ったときと違うふうに見えた。人生の先輩たちの話を聴くのは有意義だ。
やっぱり今の僕らには情報とか刺激とかが多すぎて、人からの情報ばかりつめこんで何か考えたつもりになりがちやなあ。人は何もしないでじっとしていると自分で物事を考え出すもんで、それが面倒やから、テレビをつけたり雑誌を読んだり人と話したりで物を考えないようにする。そういうことを否定するわけじゃなくて、情報とかをインプットしたらそれに対しレスポンスを返すなり、そこから煮詰めたりして自分の中でアウトプットすることが大事や思うねんな。
学校で与えられた課題だけに頭を使い、まわりの流れや常識に乗って、それが自分の価値観と思い、自分はしっかり物事がわかったような気になってる。僕は常識に乗るのはすごく危険なことやと思う。他人から与えられた価値観を受け入れていたら、自分で考える力が無くなってそれが間違ってても気づかなくなる。当たり前のようなことは自分のまわりのホンマちっさい範囲の人にしか通用しないことをよく自覚せなあかん。せっかく自分の人生やねんから何に価値があるんかは自分で考えて見つけたらええと思う。それは独り善がりであるかもしれんけど、そうなら他人の価値観も認めた上で尊重すればいいと思う。そんでとりあえず今の僕にとって1番必要なことはいろんな世界、価値観に触れることやと思う。特定の人と深く付き合うことも大事やし、自分全く違う価値観について偏見なしで向き合って見るのも大事。いろいろできんのも若いうちだけやもんな。いろいろやってみよ。
1月13日 喋ってて自分を否定してくれる人といるべきやな。悔しいと思わな成長できん。
好きなことを感性のままにやって成功していくには圧倒的な才能が必要で、そこまでのものを持たない人が満足できる生活をするには自分に出来ることを把握した上でやりたいことを慎重に選ぶことやと思ってる。
1月6日 ○イのスパークリングセール行ってきた。
人の存在も行動も、なんて曖昧であやふやなんだろう。 完全な自分を求めていると、つらくて全部投げ出してしまいたくなるし、他人に完全なものを求める事は到底不可能やのに、自分の価値観から他人の行動がゆるせなかったり、それを直視するとどうにもやりきれなくなったりする。 見たくないものに目を背けながら、曖昧に、あやふやに、その場しのぎで生きてんねんな。妥協したり、諦めたりすんねんな。 ・・・ そんなもんかなあ。
1月25日 ほんまにいいもんを作るには情報は要らんねやと思う。なんにもないとこから全部自分で考えんねや思う。そこそこ良さそうなものを作るにはいいサンプルとかからたくさん学ぶのが効率がいい。結局自分をどれだけ信じてかけられるかやねんな。
2月11日 休学の意思は固めつつあるものの、少ないながらも重要視してきた友達との関係を失ってしまう不安がある。自分としては大学にいるよりずっと大きなことを学ぶつもりではいるけど、復学後すぐの就職に際して、社会がそれを評価してくれるかどうかの不安もある。はやく社会にでて自分を試してみたいとも思う。
何にしろ人生バクチやな。自分を信じて賭けられるかどうかやな。
2月10日 自分の人生でやりたいことがあるとして、その道の途中に今の自分がいるはずやけど、自分がやりたいことにツナガラナイ道に来てしまったかもしれない。そう考えることは容易じゃなくてつらいことやろうけど、今までやってきた馬鹿らしいこと全部捨てて、イッペン0から考え直してみたい。
21歳にもなっていまさらそんな甘いこと言ってられんけど、ここで軌道修正しないとおそらく一生そのままになるんやろう。残念ながらここまでの21年間は自分がやりたいから選んできたとは言えない。その場その場で一見正しそうで、価値がありそうな道を選んできてしまった。
学歴社会の価値観のなかでだまされてたとこもある。やりたいと思ってたことでさえ、競争社会、日本の常識に思いこまされてただけな気がする。このまま行くとそんなぱっと見では幸せそうなエリートコースにのってしまって、ほんまにやりたいことを選ぶなんてこと2度とできなくなりそうだ。
今まで何度か書いてきたことを自分なりに整理して、結論に近づけてみた。逃げることはせずに積極的に休学を考えようと思ってる。
2月4日 衝撃やったな、実際。ときどきそんな事実に出会う。今日はネットで面白いとこ探し回ってただけやねんけど。
いままでの自分の考えかたから説明しえないものに出会うことがあって、そういうとき興奮して脳みそがぐるぐるまわり出して冴えてきて、自分の中での新しい事実に気づくのだ。そういう刺激のある生活がええな。
ひとりで旅してるときはそんな日が多い。信じられないことに接して、それをじっくり考え突き詰める時間が有る。自分の住む世界の常識なんて全然たいした根拠もなく、自分の価値観なんかちっぽけで、くだらないことにこだわってる自分が馬鹿らしくなったりする。そういう体験があって、考えて考えて、やっと自分の価値観をつくっていくんやと思う。
ほんまに僕らが僕らの世界として見てる範囲は小さい。違う世界に触れる必要があると思う。けっこう前から思ってんねんけど、自分にとってのタブーをもっと犯していったほうがいい。タブーがタブーである理由を考えてみて、その根拠の曖昧さを知る。体験してみてそのことに対する考え方が全然変わる。やってもみんと触れたくないと思いこんで人生終えてしまうのは馬鹿らしい。ネット上にはアブノーマルがごろごろしてて、そん中の人の生き方がなかなかどうして魅力的だったりする。へんに自分を押さえ込むんじゃなくて、もっと開放しよう。とことん行ってその意味を知るのだ。くさいもんのにおいをかぐのだ。
危険だと思うのは、何でも経験すりゃいいと勘違いすること。経験する前にそれを受けとめて理解するだけの自分の、人間としての土台が出来てないとどないしょうもない。わけも分からず走り回るんじゃなくて、オソルオソル選んで登った壁の向こうになんかでっかいめっけものがあるんちゃう?
うーん。抽象的過ぎてわけ分からず、なんか宗教みたいやな。僕の中では、ちゃんと事実をふまえてんねけどね。うまく言えないのです。っていうか、ほかの人から見てタブーかもしれんことしてるからね。でも多分そういうアブノーマルな部分を書けるようになったら他人からみて面白いもんになるんでしょう。がんばろか。?
そんなに意味有るんかどうか分からんことをとりあえず目いっぱいやってみると、疲れからくるハイテンションと、緊張からの開放による満足感で、けっこう幸せな気分になれるもんだ。そこから学ぶべきものがあるかどうかは別にして、疲れきってぐっすり眠るのはいい生活の基本やなと思う。思いながら2日間で4時間の睡眠。
自分が今いる立場とかやってることに対して後から理由付けすることに意味はあるんやろうか。考えてするべきだと思ってとった行動と、なんとなくとった行動にあとからもっともらしい正当性を与えるのと、どれだけ本質的に違うんやろうか。建築の設計を見ている限りでは、後者がアトラクティブには見えへんねけど。僕は今まで考えてからしか動けないほうやったけど、煮詰まるまえに思いきって動かないと、機を逃してしまうことが多いし、動いてみないと分からないこともいっぱい有る。要はバランスが大事で、熟慮断行ってことですね。 自分が何でそうしてんのか分からんようなんはあかんと思う。
こんな感じです。
書くの疲れたー。一気に書いたからおかしいとこ多いやろな。
とにかく真面目には考えてるっぽいでしょ。
あとから読みかえすと同じことを繰り返してたり。
自分に言い聞かせたかったことなんやろうな。
迷っているときはぐだぐだくだらないことを書き並べて落ち着こうとするもんです。
2月22日
[休学について]でいろいろ現状ではイカンみたいなこと書いたけど
ほんまは今までの生活はいいと思ってて
その生活のなかであんま意味無いなと思った部分に
しばられない生活にしたかっただけやねんな。
だから建築を捨てる気も全然ないし
むしろもっと頑張るんちゃうかな。
自分で勉強したくなったってことです。
2月24日
休学届を出してきた。
2月25日
まったくの自分の時間はなんでも出来るようで
それが不安にもなる。
2月28日
2ヶ月ぐらい語学留学もええかなと思う。