休学に際して考えていたこと (1999年2月)



 休学を決める前に、何故休学なのかということと、そこにいたる考え方の経過をまとめてみようと思う。

 僕の今の価値観だけで言いたいこと書いてるから、他人を否定したりしてるところがあって、読んだら不快になるかもしれへん。それは違うんじゃないかとか思ったらメールとかで教えてもらえると嬉しいです。休学届の締め切りが2月下旬ということなので考えなおすべきならはやめがいいです。

 多分最初に具体的な休学を考え出したのは2年の終わりぐらいで、そのときの理由はほんまにやりたいこと、絶対やっとかなあかん、知っとかなあかんと思うことがあまりに多すぎて、どんどんたまってきて、これは1年かけてとことんやってもええんちゃうかと思ったからやった。
 そう思うのはある程度時間に余裕がある時で、いつもの課題に追われるような生活に戻ってしまうと、そう考える暇も無く忘れてしまう。毎日忙しく勉強したり働いたりして、やりたいことを忘れて生きていくことも出来るんやろうし、それが普通の生き方なんやろうけど、それでは寂しい気がするし、自分自身が納得できへんようになると思う。
 これまでに、インド、トルコ、イタリアとかを回ってきて、僕の考え方のもとになる部分がそんな絶対的なもんじゃないねやって思い知らされた。かなり打ちのめされるような事実がいっぱいあった。狭い世界の中でこりかたまって思いこんでただけのことばかりで、僕はもっと広い世界を知るべきと思った。もっと自由に考えられるはずやと思う。ホンマは何でも有りやのに、自分で自分を縛ってるだけなんやと思う。
 そもそも何がやりたいのかどんな人生にしたいのかを考えてそれから進路を決めるべきやったのに、学歴が高いこと、収入が良いこと、社会的地位高いこと、要するに安定することが幸せな人生やっていう時代(それもひとつ前の時代の)とかの常識みたいなもんが先行してここまで来てしまったから、今の僕にとって大事なことはほとんど分かってない。
 これまでに浪人したり、留年したり、進路振り分けで適当なとこ行ったり、ほかの大学行ったりすることはできたのに、僕はしてこんかってんなあ。少なくとも自分の怠慢によって進路を狭めたりすることはせんように心がけてきて、くそ真面目に生活してた。趣味は多くても、それだけに打ち込むことは我慢してたと思う。怠慢よりはマシやと思うけど、くだらんなあ。
 このままずっとストレート行ったとしても、それなりに責任の有る立場まで行けると思ってる。だからこそ、逃げられなくなりそうで嫌になる。
 甘えやってことはよく分かってるけど、休学とかはしないにしても大学行ってること自体が意味のないような生活してる人が多くて、僕はそれよりずっとしっかり勉強もするつもりでもいる。本人もわかってるのに、何で大学なんか行ってんねんやろうと思う。いろんなことを曖昧に適当なままにしてる。働いてもいいはずやのにな。それが今の日本の学生のほとんどで、そのなんとなくの流れに自分は流されたくないと思う。
 学歴の為っていうのが実際のとこやと思うけど、僕は学歴にすがらないといけないほどダメじゃないし、まだ守るべきものも無いと思う。だいたい日本の大学なんか卒業すんのは簡単やって誰でも知ってんのに中退で十分なはずやん。学歴社会がおかしいだけやと思う。実際に実力主義に変わってきてると思うし。勉強したくなったときに大学院にでも行けばいいと思う。社会がそれを認めないのだとしたら僕はそんな社会にこだわるつもりは無い。それでは生きていけないと言う人もいるけど、暮らしていくことがそう難しいと思わない。3ヶ月日本でバイトして残りをインドで暮らすことだって出来る。
 下手に日本の競争社会の価値観にこだわるから、エリートでなくなったらオシマイみたいに思ってしまうんちゃうかな。今の日本のシステムは崩壊してきてんねんやから、今までの考え方では僕は成功でけへんと思う。
 本読んだり話聞いたりしてると成功者っていうふうに言われてる人は、そんなエリートコース歩んでるわけちゃうねんな。小渕恵三も、丹下健三も2浪してるし、安藤忠雄は高卒やし。自分を信じられるなら学歴にこだわって無駄かもしれん時間を過ごすのはもったいないよな。学歴を捨てたとしても自分の能力が下がるわけでもないし。
 理系やから院に行くのが普通みたいになってるけど、それは研究職になるならいいと思うけど、それ以外の人にとってはモラトリアムの延長の場合が多いと思う。社会でて2年勉強したほうがいっぱい学べると思う。僕は大学院での専門知識よりは自分が学ぶべきことがあると思うので自分で勉強したい。
 もともと人から与えられて学習するのが好きじゃないっていうのも大きい。自分のペースで勉強したほうがはるかに効率がいい。
 現状に文句を言っても意味が無くて、そんな環境に来たってことが問題やな。大学、理系に合う人間じゃないのに、なんとなく進路を選んだからな。結果として得たことは多くて満足はしてるけど、次の進路はちゃんと考えて選ぼうと思った。
 そんなこと言いつつ思う存分やりたい放題して復学したら、東大生として競争社会に戻るんやと思う。でも自分なりの答えは見つけてると思う。長い人生の中でたった1年でもそんな経験が出来れば後の人生に大きくプラスにできると確信してる。ここで妥協したら後悔することになりそうやから1年だけのワガママを許してもらえたらと思う。



 長くなったけど、具体的に何がしたいかっていうと

 自分で知りたいことを勉強したい。歴史、宗教、哲学、経済とか。
 社会の普通に生きてる人の感覚をもっと分かりたい。今の僕には関係無いと思えるバイトとかを一生懸命やってみる。僕の考え方の偏りがあるならはやく気づくべきやと思う。
 自分のペースで生活して、自己管理でどれだけ充実させられるのか試してみる。
 1日2時間は英語勉強してTOEIC###点はとる。
 何ヶ月かは旅する。もっと多くの価値観にふれてちゃんと自分で考えて価値観をつくる。
 音楽(ギター、ハープ弾き語り、曲作り)美術(絵、写真)に打ち込む。精一杯やるだけはやってみる。表現力をつけるのはなんにでも大事やと思う。
 本を###冊読む。映画を##本観る。自分でもアウトプットする。(ホームページとか)

経済の勉強する。資格も取るかもしれん。

建築を学ぶ。建築事務所でバイトしてみる。


いろいろやりたいことあるけど、視野を広くして、人間としての土台をしっかりさせたいってことやと思う。
人生の楽しみかたを自分なりに見つける意味もあると思う。




 今書いても繰り返しになるから、日記から抜粋してみることにする。自分に対して書いたもんやから人が見てもよう分からんと思う。悩んでるとこばっかやから面白くないし。こっから先はおまけ。

11月7日  昨日、建築2年の歓迎会があって酒飲んでいろいろ話して楽しかった。最近またすこし自分はたいしたことないんちゃうかとか思ったりしててんけど、まだ自分のことを認めてくれてる人はいるし、がんばれる気がた。それと同時に少なくとも今までの自分よりはがんばってかな、だめんなって、普通になってまうんやなあってゆうプレッシャーも感じた。いっぺん高いとこ目指して走り出したらもう止まることはでけへんねんなあ。僕は死ぬまで走りつづけんのかなあ。とかゆうわりに今は、走ったり、休んだりしてるね。でもたまには、ゆっくり立ち止まって考えよう。

11月10日  英語聴いて部屋片付けて新聞読んでとかしてがんばったら眠れんようになったので、将来を考えた。外資とかで、金のためにバリバリ働くんやったらもう人間としての中身育てんのは無理なんちゃうやろか?それはいややな。だから院行くって言う手もあるけど、それやったらまた無駄な時間を過ごすことも多いと思う。そんで休学を考えた。ありかもな。
でもとりあえずは学校行きながらでももっといろいろ出来るはずやから、しばらくそうしてみて、あかんと思ったら休学しよう。
 ここでの1年の意味をもっと考えていこう。長い目で人生見ることはほんま大切。他人を見てると何も考えてないか、目先のことだけ考えて、おおきな問題は考えんでええように無難な道を選んでるような気がする。僕は僕の考え方で行こう。多分僕が持ってるのはそれだけやからな。

11月16日  1日は短い。がんばるっていうのはだらけないことである。 ちょっとさぼってあとでがんばりゃいいってもんでもないねんなあ。それに1日がんばってもできることは知れてる。人生もそうなんやと思う。

(中略) まあでもね、新しいこと始めるときはいつもそうさ。新しいこととどう関わっていくか、模索していくのです。テニスでも人間関係でも写真でも、最初は何やってるか分からんで、無意味なことばっかしてたよな。それは通るべき道であって、そこから逃げたら何もでけへん

  11月23日 (友達と話して)彼は自分のやり方で一生懸命やってきて、それでうまいこといかへんことがいっぱいでてきて苦しいんやと思う。自分を正当化して、価値有ると思わなやっていかれへんねやろな。だれでも、そういうとこあるけど、時には自分を否定してあがいて、がんばっていくべきやと思うな。

11月24日 がんばらなあかん時に頑張れへん奴はどうしようもないで。かっこ悪いで。

11月28日 夜11時  講評まで1日チョい。ひどいもんだ。なんかすごい悲しくて、つらくてやりきれんようになった。才能の無さ感じるし、またはやめにがんばれんかった自分がホンマにだめな人間やって感じてもう、僕に何ができんねやろうって、自己嫌悪。僕は何で今までやってこれたんか分からん。僕は何をもってんねやろ。運が良かったんか、環境に恵まれたか。自分の容姿も嫌んなってくるし、実際最近もてへんし。実は誰からも愛されてないし、認められてないんかも。そう考えてたら自分の価値が無いように思えてきて、どうしようもなくなる。
 人間はそんなふうに弱くて価値なんかない存在やねんな。そう思いたくないから、誰かに認めてもらおうとして生きてく。友達とか恋人とか。傷なめあうって考えると寂しいけど、そうやって自分の価値を確認して満足して生きて行ける。
 旅に出たいとか、しばらく一人でいたいとか、思うこと有るけど、ほんまにそうしたら寂しくて寂しくておかしくなってしまうかもな。人間は人の間で生きていくべきやねんな。どうしようもなくなったときひとりでは無理やな。どうしても行き詰まったとき、家族や友人が支えてくれるはず。やっぱり僕は普通の人間やねんから、無理せんと自分なりでええからやれるだけのことをやろう。僕は特別じゃない。あきらめ、妥協かもしれんけど。やっと分かった。それでもとにかく、1日1日を一生懸命に生きる

12月1日 いつのにやらもう12月やで。はやいなあ。卒業までもあっというまやろな。やっぱ休学ちゃんとかんがえよう。先延ばしにしたら流されてそのまま終わってまう

 直視して考えて突き詰めることに、価値あるもんとそうでないもんがある。突き詰めるべきことを見極めなあかんみたいやな。僕は恵まれてたからなんでも突き詰めて自分にとっていい答えださな気がすまんかってんな。いつまでもそんな理想めざされへんし、努力でどうもならんとこにそれを求めても意味無いってことやで。

  12月3日 略 〜、考えた上でのやりたいことをやるっていう当たり前みたいなことで、それがまだできてないねんな。それが出来る頃には人から評価されて、出世もして、充実、幸福を感じられてるような気がす

12月26日 無駄なことして、遠回りしていろんなことを学んでいくのでしょう

12月26日    最近、街に出て買い物ってゆうか見てるだけやけど楽しい。見てると買いたいもんとかやってみたいことがいっぱいあってたいへんだ。 

 物とか情報があふれてる環境のなかで、それを手に入れるのは困難じゃなくなっているほど豊かで平和で、足りないのは時間やな。限られた短すぎる時間の中で、どんな情報を選び何をして過ごしていくのか、自分が本当にやりたいことが何なのか、どんな情報が自分にとって必要なのかを見極めるのが肝心やと思う。それが出来てなくても何かしら楽しいことがあって、なんとなくそれをやって生きていくことが出来てしまうから、物事をちゃんと考えない人間がいっぱい出てきてしまう。今の日本が豊かなのは自分個人とは関係のないところからきていることなのに、それを当たり前やと思ってしまってるから甘えた考えになんねやと思う。これから先の日本は大丈夫なんかなあ。と思う今日この頃。

12月27日 自由に、笑って生きてくのがいい

 魅力的じゃない人の言うことは真実味がない、説得力がない。自分をよく見せようとしたらあかん。難しいことを喋るなら相手が納得するような分かりやすい説明が必要で、相手を否定して自分だけわかったようなことは絶対ゆったらあかん。ちっちゃい。人の事をもっと考えて誠意をもって接するのが大事。  
僕はまだなんも分かってない。将来何をするにせよ、世界の成り立ち、ひと、流れ、価値、とかほかに大事なもんもあるやろうし、それをわかってなどうにもならん。意味が無い。人がなんと言おうと俺は俺の考えっていうのは良くないかもしれんが、人の考えなんてたいしたもんじゃないことが多い。すくなくとも自分の今の価値観において1番正しいのは自分の考えや。そんくらいちゃんと考えてな。その上で人の考えも参考として学ぶとこはしっかり学ぶ。人脈が思ってたより大事らしい。価値が無いと思われることも自分のためにやっていこう。  
休学は絶対せなあかん。後悔する。ハンデ抱えてまでも意味有る1年にするべきや、それは親父の言うとおり。いい励みになった。人にどう思われるかっていうのが気になったことがあったけど、ほんまに自分が充実してたらそんなんどうでも良くなって、かつ人からも評価されるもんやな。

しばらく勉強もしてなかったし、意味有る休学にするためにも、当分はストイックに建築やろう。いい生活しよう。

1月12日 久々の学校。髪型はまあ好評。僕自身が充実してるから人の評価はそんなに気にならんかった。
 進路で悩むけど、迷ったときは自分にとって厳しいかもしれない道を思い切って選んでみよう。Enter by the narrow gate.広く整備されていて、大きな流れの有る道は社会的な成功には近いんかもしれん。でもその流れは速くて、逃げることも容易じゃない。
 競争社会でエリートでいることは、何でも思い通りになるようで、自分で自分を縛って好きなことが出来なくなってしまうことでも有ると思う。常に突っ走ってなかったら上は目指せない。高いところに行けば行くほど、止まれなくなる。なんとなく、とりあえず、で飛び込んで成功できる世界じゃない。縛られるだけ。
 それならほんまに自分がやりたいことをやろう。競争社会でも高いところに行くことが出来るだろうとは思ってる。でもその流れに自分の人生をささげたいとは思わない。流された人生は後悔するかもしれん。自分で選んだ道ならどんな人生でもいい。そのためにはしっかり考えて自分が何をするべきか見定めていかなあかん。競争社会におけるハンデ、リスクを冒してでもやっておくべきことがあるんじゃないかと思う。1度レールの外から社会を見てみることで違うもんが見えるはず。
 そうは思うけどもなかなか勇気がいるなあ。全部自分の責任やからなあ。ホンマは流されることも自分の責任やねんけど。何にしろEnter by the narrow gate.やね。


自分の考えをしっかりまとめて人に伝えるには、自分に対する絶対的な自信、万能感みたいなのが必要なんかな。それを導く実績と充実感も。多少の勘違いがあったとしても、そのほうがプラス思考で楽しい人生をおくれるんかもな。もっと自由に。自分でやれることを狭めてるっていう部分は有ると思う。現実的とも言える。結局何でも感性のままにやりたいことをやっていけるだけの自信がない。実際そうできるだけのポテンシャルがないねんわ。僕の能力はそこまで圧倒的じゃない。悔しいけど、それは事実。それでも僕にはひとよりずっと優れてる頑張れてる部分も有って、それを活かせることを見つけることが僕の成功につながる。ほんまは僕にも万能感があった。それは充実した生活があってこそのもんやった。がんばれてない奴は論外。

1月16日 旅日記をちょっと読んだ。旅してる僕はかっこいいんちゃうかな、よう考えてる。読んでて面白いもんな。物書きになれたらええな。やっぱ休学かな。
 人間らしく生きたいな。論理的でパーフェクトなことがいいたいんじゃないってことに気づかされた。走った。駅前でギター弾いた。

1月19日 自分の生活が充実してへんもんやから、ひとが何かしてたら気になんねん。

1月20日 そうか僕は理屈っぽいねや。ふと自分が感じてたことをうまく表す言葉に出会える、その瞬間が嬉しい。論理的であることは武器であるけど、それは表にだすもんじゃないんかな。そういう部分は内で考えて、出すときは人間らしく。小説とかってそういうものやな。

1月21日  建築学科で学んだこと。誰でも何かを考えて行為する。そこで何を考えたのか。どれだけ考えられた上でのもので、どれだけ意味のあることなのか。それは自分ではなかなか分からないもんで、自分がしていることの理由付けをあとからしたりする。何で皮ジャンを着るのかとかね。偉そうなことを言っている人のほとんどは独り善がりだ。ひとりよがりで自己満足できればそれはそれでいい人生であって、それが自分を正当化する価値観で生きるということだろう。しかしそれでは本当に価値のあることは出来ないし、人から、社会から見るとくだらないことであったりする。社会的な価値、成功を目指すための方法を学んだんだと思う。自分が考えて思いついたことを人に納得させることができるレベルまで高めることと、それをうまく表現して説得力を持たせること。人に伝わらなければ意味が無い(そのレベルまでいってればいいけど。)ということを知った。伝わらんようなのはまだひとりよがりの域を脱してない。あと自分で考えるだけじゃなくていろんな人の考えを勉強していくと自分の考えも深まる。
 こういうことは何にでも共通することだと思う。就職活動がそうだし、その後の仕事でも、人生でもそうだと思う。自己満足はしても独り善がりにならない生き方にしよう。

 自分でものを考えないひとは「普通はどうだから」といって自分の行動を決める

自分が大物だと仮定することによって必然的に濃い生活が送れるらしい。

12月26日  恵まれた人間ほど何もわかってないんかもしれん。



12月29日 冬休みであります。いろいろ考えよう。

 今日は懐かしい友達と飲んでかなり楽しかった。変わった自分に気づき、また友達っていうもんは大事やなあって実感した。みんな将来のビジョンが現実味をおびてきていて、もう戻れんとこまでさしかかってきてるなと感じる。それそれがやることをやりだしったっていうかね。しっかりせんと流されるだけになってまうからな。目の前の事より人生全部のためにどうするべきかやな。休学したいっていう気持ちが強くなってきてる。どうやろう?働き出したら多分もう止まれへんような社会やと思う。そうなってしまう前に1年でも自由にじっくり物事考えて、広い世界知ってそれから何に価値があんのか、自分なりの答えみつけてから、就職したいと思う。甘いかな?大学院行く、とかよりは僕の人生にとって厳しいし、意味があるんちゃうかな。



1999年1月5日  奈良に帰ってきた。前に帰ったときと違うふうに見えた。人生の先輩たちの話を聴くのは有意義だ。

 やっぱり今の僕らには情報とか刺激とかが多すぎて、人からの情報ばかりつめこんで何か考えたつもりになりがちやなあ。人は何もしないでじっとしていると自分で物事を考え出すもんで、それが面倒やから、テレビをつけたり雑誌を読んだり人と話したりで物を考えないようにする。そういうことを否定するわけじゃなくて、情報とかをインプットしたらそれに対しレスポンスを返すなり、そこから煮詰めたりして自分の中でアウトプットすることが大事や思うねんな。

 学校で与えられた課題だけに頭を使い、まわりの流れや常識に乗って、それが自分の価値観と思い、自分はしっかり物事がわかったような気になってる。僕は常識に乗るのはすごく危険なことやと思う。他人から与えられた価値観を受け入れていたら、自分で考える力が無くなってそれが間違ってても気づかなくなる。当たり前のようなことは自分のまわりのホンマちっさい範囲の人にしか通用しないことをよく自覚せなあかん。せっかく自分の人生やねんから何に価値があるんかは自分で考えて見つけたらええと思う。それは独り善がりであるかもしれんけど、そうなら他人の価値観も認めた上で尊重すればいいと思う。そんでとりあえず今の僕にとって1番必要なことはいろんな世界、価値観に触れることやと思う。特定の人と深く付き合うことも大事やし、自分全く違う価値観について偏見なしで向き合って見るのも大事。いろいろできんのも若いうちだけやもんな。いろいろやってみよ。                                    



1月13日  喋ってて自分を否定してくれる人といるべきやな。悔しいと思わな成長できん。

 好きなことを感性のままにやって成功していくには圧倒的な才能が必要で、そこまでのものを持たない人が満足できる生活をするには自分に出来ることを把握した上でやりたいことを慎重に選ぶことやと思ってる。

1月6日  ○イのスパークリングセール行ってきた。



人の存在も行動も、なんて曖昧であやふやなんだろう。 完全な自分を求めていると、つらくて全部投げ出してしまいたくなるし、他人に完全なものを求める事は到底不可能やのに、自分の価値観から他人の行動がゆるせなかったり、それを直視するとどうにもやりきれなくなったりする。 見たくないものに目を背けながら、曖昧に、あやふやに、その場しのぎで生きてんねんな。妥協したり、諦めたりすんねんな。 ・・・ そんなもんかなあ。



  

1月25日  ほんまにいいもんを作るには情報は要らんねやと思う。なんにもないとこから全部自分で考えんねや思う。そこそこ良さそうなものを作るにはいいサンプルとかからたくさん学ぶのが効率がいい。結局自分をどれだけ信じてかけられるかやねんな。



2月11日 休学の意思は固めつつあるものの、少ないながらも重要視してきた友達との関係を失ってしまう不安がある。自分としては大学にいるよりずっと大きなことを学ぶつもりではいるけど、復学後すぐの就職に際して、社会がそれを評価してくれるかどうかの不安もある。はやく社会にでて自分を試してみたいとも思う。



 何にしろ人生バクチやな。自分を信じて賭けられるかどうかやな。



2月10日 自分の人生でやりたいことがあるとして、その道の途中に今の自分がいるはずやけど、自分がやりたいことにツナガラナイ道に来てしまったかもしれない。そう考えることは容易じゃなくてつらいことやろうけど、今までやってきた馬鹿らしいこと全部捨てて、イッペン0から考え直してみたい。

 21歳にもなっていまさらそんな甘いこと言ってられんけど、ここで軌道修正しないとおそらく一生そのままになるんやろう。残念ながらここまでの21年間は自分がやりたいから選んできたとは言えない。その場その場で一見正しそうで、価値がありそうな道を選んできてしまった。

 学歴社会の価値観のなかでだまされてたとこもある。やりたいと思ってたことでさえ、競争社会、日本の常識に思いこまされてただけな気がする。このまま行くとそんなぱっと見では幸せそうなエリートコースにのってしまって、ほんまにやりたいことを選ぶなんてこと2度とできなくなりそうだ。

 今まで何度か書いてきたことを自分なりに整理して、結論に近づけてみた。逃げることはせずに積極的に休学を考えようと思ってる。



2月4日 衝撃やったな、実際。ときどきそんな事実に出会う。今日はネットで面白いとこ探し回ってただけやねんけど。

 いままでの自分の考えかたから説明しえないものに出会うことがあって、そういうとき興奮して脳みそがぐるぐるまわり出して冴えてきて、自分の中での新しい事実に気づくのだ。そういう刺激のある生活がええな。

 ひとりで旅してるときはそんな日が多い。信じられないことに接して、それをじっくり考え突き詰める時間が有る。自分の住む世界の常識なんて全然たいした根拠もなく、自分の価値観なんかちっぽけで、くだらないことにこだわってる自分が馬鹿らしくなったりする。そういう体験があって、考えて考えて、やっと自分の価値観をつくっていくんやと思う。

 ほんまに僕らが僕らの世界として見てる範囲は小さい。違う世界に触れる必要があると思う。けっこう前から思ってんねんけど、自分にとってのタブーをもっと犯していったほうがいい。タブーがタブーである理由を考えてみて、その根拠の曖昧さを知る。体験してみてそのことに対する考え方が全然変わる。やってもみんと触れたくないと思いこんで人生終えてしまうのは馬鹿らしい。ネット上にはアブノーマルがごろごろしてて、そん中の人の生き方がなかなかどうして魅力的だったりする。へんに自分を押さえ込むんじゃなくて、もっと開放しよう。とことん行ってその意味を知るのだ。くさいもんのにおいをかぐのだ。

 危険だと思うのは、何でも経験すりゃいいと勘違いすること。経験する前にそれを受けとめて理解するだけの自分の、人間としての土台が出来てないとどないしょうもない。わけも分からず走り回るんじゃなくて、オソルオソル選んで登った壁の向こうになんかでっかいめっけものがあるんちゃう?

 うーん。抽象的過ぎてわけ分からず、なんか宗教みたいやな。僕の中では、ちゃんと事実をふまえてんねけどね。うまく言えないのです。っていうか、ほかの人から見てタブーかもしれんことしてるからね。でも多分そういうアブノーマルな部分を書けるようになったら他人からみて面白いもんになるんでしょう。がんばろか。?



 そんなに意味有るんかどうか分からんことをとりあえず目いっぱいやってみると、疲れからくるハイテンションと、緊張からの開放による満足感で、けっこう幸せな気分になれるもんだ。そこから学ぶべきものがあるかどうかは別にして、疲れきってぐっすり眠るのはいい生活の基本やなと思う。思いながら2日間で4時間の睡眠。

 自分が今いる立場とかやってることに対して後から理由付けすることに意味はあるんやろうか。考えてするべきだと思ってとった行動と、なんとなくとった行動にあとからもっともらしい正当性を与えるのと、どれだけ本質的に違うんやろうか。建築の設計を見ている限りでは、後者がアトラクティブには見えへんねけど。僕は今まで考えてからしか動けないほうやったけど、煮詰まるまえに思いきって動かないと、機を逃してしまうことが多いし、動いてみないと分からないこともいっぱい有る。要はバランスが大事で、熟慮断行ってことですね。   自分が何でそうしてんのか分からんようなんはあかんと思う。






こんな感じです。
書くの疲れたー。一気に書いたからおかしいとこ多いやろな。
とにかく真面目には考えてるっぽいでしょ。

 

あとから読みかえすと同じことを繰り返してたり。
自分に言い聞かせたかったことなんやろうな。
迷っているときはぐだぐだくだらないことを書き並べて落ち着こうとするもんです。

2月21日

僕が休学すんのは多分、なんやらよう分からんうちに
あくせく働かざるを得なくなってまうのが恐いからっていうのと、
旅したい、本読みたいっていう程度の理由やと思う。
下手に1番忙しい学科来たから、
いっぺん自分で好きなように遊びたいだけかもしれん。
ジェネラリストになりたいのに理系に来たから、
教養とか経験がなさすぎて情けないです。

そんなわけやねんけど、屁理屈こねたのは来年の就職活動への不安からやなあ。 来年になって後悔することないように面接で堂々といえる休学の理由をつくろうとしたけど、そんなもんやってみんと分かるわけないねんな。
僕はすぐ自分を正当化したがっていかん。

くだらんこと考えてんと思いきってやってみよ。

2月22日

[休学について]でいろいろ現状ではイカンみたいなこと書いたけど
ほんまは今までの生活はいいと思ってて
その生活のなかであんま意味無いなと思った部分に
しばられない生活にしたかっただけやねんな。
だから建築を捨てる気も全然ないし
むしろもっと頑張るんちゃうかな。
自分で勉強したくなったってことです。



2月24日

休学届を出してきた。

2月25日

まったくの自分の時間はなんでも出来るようで
それが不安にもなる。

2月28日 

2ヶ月ぐらい語学留学もええかなと思う。