Life is like a journey, and vice versa.

If you ask me why I travel, I would ask you why you live.
Do you always have any particular reason?
Travels teach me a lot about those questions.


4th December
 人は本来もっとのんびり生きるもんなんちゃうかなあ。期限があったり競争があったりすると、自分をがんばらせることが出来て充実した時間をおくれるようになるけれど、生き物としてそれは自然なことじゃないんやと思うな。
 コーヒー飲んで徹夜すりゃ、のんびりしてる人より結果出せるんかも知れんけども、他と比較することに本質的な意味はないもんな。そういうの抜きでほんまに幸せになろうとしたら、競争を重視しない世界で自分の好きなことをやって日々を過ごす、ってことになるんかな。他人を意識せんかったらブランドもんも新製品も高級車もフランス料理もそんなに大切じゃなくなるやんな。人より上に行こうとせんかったら文明もいまほど進んでいく必要はないやんな。

 そういう生活を送って、結果としてその上みんなから評価されるってのが理想的かもしれない。僕は、人ががんばるときってのは大きく分けて2つあると思ってる。ひとつは・・・・・・(ごめんなさい。書きかけで旅に出てしまいました)

3rd December  明日出発
 建設省の説明会に参加した。参加者の顔ぶれは正直なところぱっとしないが、官僚ってのも一つの選択肢かと思う。しかし今日は何でこんなに寒いんだろう。

 明朝、ロンドンに飛ぶ。2週間ほど英語の勉強したあとヨーロッパを鉄道でまわってエジプトに抜ける予定。2000年をどこで迎えるかは結構大問題だ。政情の安定していない国は避けたい。帰国便は2月7日でとってるけど就職活動の状況を見て早める可能性有り。大韓航空なのでせっかくやからソウルにも寄って焼肉とキムチを食すべし。
 今回はスケッチ、写真を中心にアートな旅にしようかと思う。

30th November   Wonderful tonight

武道館でエリック・クラプトン聴いてきた。いつのまにかえらいおじいさんになってんなあ。それでもなお彼のギターは素晴らしいね。次の旅にはギター(Martin Backpacker)の同行が確定的になりました。音楽はいいもんだ。最近山崎まさよしもよく聴く。バンドでのりが良かったりかっこいい音出すのもいいねんけど、僕はやっぱギターの生音と声だけで感情そのもの出して飾らずに歌う、みたいなんが好きやなあ。



24th November 場違いが好き
 半年ぶりに正装した。普段着だとホームレスと呼ばれても、スーツだとキャッチセールスになることが発覚。まんざらでもないなと思う。
 表参道らへんの建築は面白かった。 

23rd November  デカルトに心酔
 僕がここ2ヶ月ほど考えていたこと↓は、彼によってあまりにあっけなく答えに導かれた。

15th November
  下のようなへ理屈に従って、テレビ、新聞、雑誌から遠ざかってみると、やりたいことを出来る時間がグンと増えました。そのかわり就職からも遠ざかったような気がしました。

10th November

瞬く間に移り変わる周囲に無関心を決めこむことは難しく、それは自分が今この時間に所属していることを確認しないと不安になるからなんだろう。

気づけばまたその場しのぎになり、誰とも分からぬ人の安易な逃げ場として存在する。インターネットは危険やなあ。

 情報なんかいつのでもどんなことでも簡単に手に入るような時代で、最新の情報を得ようと躍起になることに何の意味があるだろう。新しいことにどんな価値があるだろう。その情報を得た自分がなんらかのリスポンスを返さないのだとしたら。
 ものすごいスピードで変化しつづける社会に常についていこうとすると、もうそれだけで手一杯になって、その本質を見抜く時間は残っていない。後から見れば取るに足らないことが一大事のように思われる。わざわざ下りのエスカレーターに乗って、なるべく高い位置をキープしようと足を動かしつづけるようなものだ。どこにも辿り着きはしない。
 とにかく新しいものが一番だという錯覚に陥りがちだ。ドコモの208がそんなにエライのか。207を手に入れたときの感動はなんだったのか。携帯を持たなかった5年まえの自分は退屈していただろうか。電話の無かった時代の祖先より僕らのほうが幸せだろうか。時代はますます加速していく。そんな急流に飛びこんで必死に泳ぐ必要は、果たしてどこにあるのだ。歴史を理解せずに時事問題の知識を詰めこんで何になるというのだ。飛び込むタイミングが遅れたらもう取り返しがつかなくなるのか。
 そんなことは無いだろう。そうだとしたら院卒はいつまでたっても中退には及ばないし、ベンチャー企業は大企業に勝てないことになる。この時代ではむしろ逆のように感じる。川の流れ方を知ってから飛び込むべきなんじゃないか、と僕は思う。気づけば激流の中、なんてことになれば、水面から顔を出すのに必死で、その先の滝壷のことなんて知る由もない。そんなのばっかだ。いつの間にか受験戦争、いつの間にか学級崩壊、いつの間にか環境破壊、いつの間にかバブル崩壊、いつの間にか資源枯渇。いつも気づいたときは手遅れなのに、時代はますます加速していく。次の滝壷はどれだけのものになるだろう。インターネットなんて相当危険じゃないのか。ちょっと止まってゆっくり考えようや。

 流される前に止まって考える時間が必要で、その為のモラトリアム、学生生活なんじゃないかと僕は思っている。先人の経験から学び自分で考える時間をせっかく与えてもらってるんだから、動かない地面の上でじっとして、自分で判断できる眼を養っておかないといけないはずだ。移り行く周囲に眼を奪われて浮き足だってる場合じゃない。最先端を走っちゃいけない。
 やみくもに知識を増やすより、学ぶべきことを見つけたときに必要になるであろう方法を身につけておくことの方が重要だ。新聞の読み方を知らず、パソコン、英語が使えないままこの情報社会に出るのはカナヅチのまま素潜り漁師になろうとするようなものだろう。


 目新しいことを冷静にとらえられるように経験は積んでおいたほうがええで。狭い世界に閉じこもって満足することが出来る時代だからこそ、全体を見渡せるようになりたいと思うな。専門化していくのはそれが出来てからでないと危険なんちゃうかな。

9th November wanderlust
 有明で全日本テニスを見たついでにお台場へ行ってきた。お台場すごいね。平日でもえらい人出やった。最近どんどん新しいのできてて行くたびに面白いのふえてるもんな。今日初めてみたVenus Fortっていうのが面白かった。室内にヨーロッパの街並を再現したような場所やねんけど、なかなかいい雰囲気だしててそこらのテーマパークよりうまいこと出来てる。あんだけ人はいってたら企画成功やろな。ちょっと彼女が欲しくなるようなとこやった。
 そんでから地図を持たずに、適当に帰ってきた。巣鴨ってマイナーなわり(ある筋の産業では有名みたいやけど)に中仙道がとおってるせいか結構離れた場所でも表示に巣鴨って書いてあること多いから助かる。レインボーブリッジ気持ちいいねえ。特に渡りきったとこにある270度のループ最高。都心部でバイク傾けることってあんまないから、ちょっとこわかったりもすんねけど。しかし東京でかいなあ。銀座を南から突っ切ってんけど、あれだけのネオンが長くつづくとこって世界中でも少ないんちゃうかな。爽快なツーリングでした。

10th November
ひさびさに電車に乗るのはとても楽しくて、本を読みながら山の手線をぐるぐるまわったりしてしまいます。

9th November Enjoy a lot of Turnigpoints
 お。これやってみたら面白そうやな、これやっといた方がええんちゃうかな、ってちょっとでも思ったらすぐに実行するべき。
 あ。これもやりたいけど、ちょっと面倒なことになるかも、って思ったときは、リスクをひきうける覚悟をしたうえで是非やってみるべき。

ワクワク出来る楽しい人生に進んで行こう。

8th November
I thought that being alone is a good way to concentrate on something but it turned out to rob me of my skills of joyful communication.

6th November  I quit using Japanese from now on so as to prepare for TOEIC on 14th this month.I'll try to think any kind of matters in English. One reason for this is because I had a practice examination today and got a score somewhat short of my original plan.I regret my negligence.but at the same time I was able to comfirm that my score of TOEIC I got at the beginning of this year was not just a fluke.That was really relief to me.
Yesterday I had my third and last lesson at a certain language school,where I could concentrate on English but costs a little too much. I will keep on studying for myself.

11月6日  俺はできるぜって思うときより、俺なんかちっぽけでたいしたことないんやなあって思える時のほうがうれしかったりする。
そう思わせてくれる友達をもてたことが幸せやな。飲んでてそう思いました。

11月4日  ジャンピングビーンでかてきょー先の小学生をびびらしたりする大人げない僕。

11月3日 ときどき外の空気を吸いにでよう。

 品のない電気街のネオンのすぐ裏側は薄暗い路地で、何軒かの価格表を比べてから、誰もいないラーメン屋の暖簾をくぐった。まもなく人のよさそうな親父があらわれ、僕は3つのサイズの真ん中を注文する。シナチクのたくさん入ったラーメンの味は悪くなかったが、それを楽しむことは到底出来ない。店に足を踏み入れたとたんに僕をおそったのは、腐ったカブト虫のにおいで、呼吸するだけで吐き気がしそうだったのだ。
 

みんな自分のにおいには気づかない。

11月3日  とりあえず、その場しのぎ、は止めよう。

11月2日  ガイドブックの話

 海外旅行に行くときたいていの人はガイドブック持ってくと思うねんけど、僕が強くお勧めしたいのは LONELY PLANET っていうガイドブックやね。日本人の個人旅行者のほとんどは 地球の歩き方 持っていってて、日本人以外の多くは ロンプラ(lonely planetのこと)持ってると思う。  歩き方 は確かに便利で、それさえ読んだらほとんど迷わずに旅行できるねんな。そんで自分で旅をすることの意味が薄れてしまうんではないかと思うわけです。歩き方はかなり主観が入ったガイドブックやから、この店は絶対いい、とか書いてたら行かなあかんような気がしてくるのです。だから自分の選択なんかほとんど無くなってるように感じる。
 交通とかに関してもここに行くには、どこそこから何番の地下鉄に乗りなさい、っていうふうに便利には書かれてんねんけど、その通りにしてしまうと、街の交通全体はどう機能してるとか、どういう人が何の目的で乗ってるのだとかはまるで分からへんねんな。その点ロンプラには全体的なこととかバックグラウンドに重点をおいて書かれてるからその街のことがよく理解できる。例えば交通機関のことを調べようとしたらロンプラには、この街にはこういう歴史上、地理上の理由でこんな交通が発達しています、この駅に案内所があるからそこで地図をもらったりたずねたり出来ます、と書いてある。必然的に現地の人と接することが出来るようになるのもええことやと思うな。
 交通に限らず、日本のガイドブックはちょっと楽しそうなものと便利にみてみようっていうコンセプトで作られてると思うねんな。だからその場所の本当の姿を知らないままになることが多い。僕がロンプラ気に入ってる理由はそこにあって、街のいいとこも悪いとこもかなり客観的な眼で事実が書かれてるからやねんわ。例えばUSAのやったら、歴史から始まって、教育、宗教、経済、人種問題、アート、言語、地学、気候、環境問題、動植物、政治、人口、同性愛、etcに関する事実に100ページ以上さかれてる。判断するのは自分。自分で判断したがらへん日本の国民性との違いなんかもしれんねんけど。実際、主観的な意見の方が楽やからなあ。
 あと、現地の人と何か喋るときは英語なわけやから、疑問もつときも英語でそのこと知ってるほうが便利やと思う。貧富の差について相手がどう感じているのか(気軽にする質問じゃないけどね)訊きたいときにinequality とかいう単語がすぐ出てこないと困るわけやし。こうやって必要にせまられて読んだ英語っていうのは忘れにくいから勉強になるで。
 ひとつ、歩き方が優れてるなあと思うことが有る。ガイドブックっていうのは多少の差はあれ、重くてかさばるもんやから、僕は街歩きをするときは必要な分だけちぎってクリップでとめて持ち歩くねんけど、歩き方のちぎれっぷりはそりゃもう見事なもんです。
 結局は好みと旅のスタイルの問題なんやけど、是非一度使い比べてみてください。旅が変わるで。      

11月1日   父親と飲んだ。覚悟の問題なんだろう。
 自分にはいろいろなことが出来るんちゃうかと思ってしまう癖が有る。人が面白そうなことしてるのを見る度に、俺もやったろ、と思う。何十年かの人生を一つのことに賭ける勇気がないのと、欲張りやからやと思う。ここで勝負したろっていう覚悟を決めなあかんとも思ってんけど、いつも新しい面白いこと探してたいとも思う。

10月31日  アートな休日でした。

The motorbike saves my time a great deal.

 休日の都会を走るのは気持ちええもんやで。ひとっ走りした後、現代美術館で1日を過ごした。やっぱりモノ作ったり、表現したりしていきたいなあと思う。
 帰り路で寄ったラーメン屋は、ラーメンと餃子で400円やった。安すぎやしませんか。

10月30日  I'm learning what I really want to know. I should make the most of my time.

10月29日  週1テニス。

10月28日  ぴんぽおん。「郵便局です、アメリカから小包が届いております」
うーん、いい響きだ。

I'm pleased to have a parcel from United States.This is my first time to buy books on Internet.Because books in English are pretty expensive in Japan,shopping directly from overseas is much cheaper even including postage partly due to temporarily yen's appreciation.And it took only a week to have books.The titles of these books are "Lonely Planet Europe on a shoestring" and "20th century PHOTOGRAPHY".It's a good way for learning English to read books in whose content you are interested. I don't think I can get to know English without personal emotion or excitement.For examle, I remember very well what I said and heard during quarrels with foreigners. That's why I try to keep a diary in English.

10月27日  今日は3ヶ月ぶりにジーンズを履いてみた。

 英会話学校の3回だけのトライアルコースの第一回ではやくもクラスアップに成功せり。やっぱ勉強は根性次第。頑張れる環境を自分で作れば学校で学ぶ必要はない。たとえば英会話学校で、国際問題を議論する1番上のクラスに達するのに50万円かかるのなら(もっとかかる気もするけど)、僕は根性出して自力でそこまで行く。そんで50万円は写真だとかバイクだとかどうしてもお金が必要なことに使う。バイトとして考えても悪くない。
 その発想で、1年間の休学中は独学で英語を学ぶ。留学したとすれば結構な額がかかるやろうから、その分僕は自由に旅をする。1年間語学留学したら相当英語は伸びるやろうけど、1年間毎日5時間、自分で勉強しても相当伸びると思われる。ただ根性が必要なだけである。
 目下進行中のこの計画やねんけど、語学留学組に対抗するにはもうひと根性しぼってスパートかけなあかんと思われる。
 やったるでー。建築やって写真やっていっぱい本読んで世界中旅して、そんでかつ、英語を使いこなしたる。根性、根性。たくさん楽しむには努力が必要なのだ。

10月26日  合コンってけっこう楽しい。

10月25日   旅の終わりにロサンゼルスの古着屋で韓国人の店番と戦うこと数時間、デニムジャケット(いわゆるジージャン)を3枚300ドル(3万2千円相当、税込み)で購入した。一見すると高いと思うかもしれへんけど、そこは我が目に狂い無しやね。ビンテージ古着屋にて日本での実売価格を調査(っていうか冷やかし)したところ

LEVI'S     70505 big E      1960's          39800円
Wrangler    BLUE BELL   8MJL  1960's初期        29800円
Lee         Storm Rider 101LJ 1970's初期      65800円
                    税込み 計 14万2170円也
101LJが予想以上の健闘です。でもアメリカならどこでも安いというわけではなくて、メルローズアベニューでは 70505bigE が交渉しても600ドルやったりしたから、ある程度目を養っていかないと痛い目にあうわけです。とりあえずほっとした。明日は101LJ着よっかな。

10月23日  Since it's not good for my spirit to read books 7days a week,I make it a rule to go sightseeing in Tokyo on weekends.I was fairly disturbed at the sight of lives in Sanya,which I think is the biggest community of day layborers in Japan,though I had supposed it as such.

    毎日自分の世界に閉じこもってるのも不健康なんで、週末は東京観光。今日は前から行ってみたかった浅草、山谷、吉原のあたりをまわってきた。いやしかしバイクは便利やね。旅行中は行きたいのに交通が不便で涙を飲んだことが何度あったか。いまは好きなとこに好きなだけ行ける。しあわせやなあ。
 4日前にアメリカにはcrazyが多いってこと書いてんけど、やっぱりそれは僕が今まで日本の暗部を見てこなかったってからそう感じただけやってんて今日痛感した。海外にいるときは、表の世界のきれいな観光地だけ見てもしゃあないで、っていつも思ってるから、人間くさい現実のあるとこ好んで行くねんけど、それを日本でやってみてもなかなか面白いわ。東京にもちゃんと(ちゃんと?)、表とはかけ離れたどろどろした生活のコミュニティが存在するねんなあ。当たり前といえば当たり前やねんけど。ほんま知らんかった。自分とは関係ないと目を背けようとすること多いからなあ。
 山谷と呼ばれる地域の雰囲気は日本のきれいなイメージとはまったく違うもんやった。正直、驚いたし困惑した。一歩その地域に足を踏み入れると空気が変わる。人間が変わる。道端には2、3メートルおきに人が寝ているし、すぐ鼻につくのはスラム特有のあのニオイやった。商店街を歩く人の服装は、労働者のそれともまた違うんちゃうかと思う。ただ汚いとかいうものでもないねんな。その足どりと表情の力の無さ、やる気の無さが僕には衝撃やった。ほとんどの人の顔が同じに見える。ぶつぶつ言ったり叫んだりしてる人が多くて、アメリカとよく似てるなと思った。それはただ貧しいことからくるんじゃなくて、自分達と違う生活の存在をもつ社会への屈折した感情からきてるんやろうな。途上国のホームレスが叫んだりしてるのを見たことが無い。
その数も少ないとは言えず、4000人がドヤと呼ばれる安宿で生活しているらしい。それに加えて川辺りや公園にはテント住居がぎっしりある。もちろんホームレスも多い。
 僕は今までいくつかの国で貧民街に滞在してきていて、日本にもそのようなものがあることは聞いたことがあったし、想像できているつもりやった。それが実際訪れてみてすぐに受けとめられない光景やった。外国人の身に起こっていることに対しては文化とか思想の違いがあるから、自分と同じ人間のこととして捉えにくいんやろうなあ。同じ文化の中にいる日本人がそういった状況にあるというのはなかなか受け入れられない事実やった。ほんまびびった。なんかすげえ怖かった。
 それと、その労働者街は普通の社会と切り離されてるわけじゃないということに驚いた。半分浮浪者のような人たちがうろうろしている地域のなかに普通の家庭がたくさんあって、その中で普通の子供が育ち、例えば僕と同世代の子達は池袋にもいそうなファッションで普通に歩いている。かなり違和感を感じた。不思議な感じやった。それがそこでの当たり前のことなんやろうけどなあ。なかなか難しいねえ。
 まだまだ僕の知らん生き方がたくさんあるんやろうな。あちこち行ってどういうことなんか考えてみよっと。

10月22日  暖かく湿った風が吹いている。けして冷たくはなく、熱くもない。無防備に吹かれていると、湿り気がまとわりつき、気づかぬうちにナマヌルクなった体を放さない。Strike while the iron is hot.
 風を防ぐ壁を建てよう。光を入れる窓は作っとかなきゃいけないな。


 初めてインターネットで本を買った。便利やなあ。洋書が定価の2割引ぐらいで買えるから、送料を含めても書店より断然安いで。www.amazon.com
 建築とアートと英語とスペイン語と写真と経済と比較文化の本を読む日々やね。

10月21日   人と関わっていくと思いがけないことで揺さぶられるもんやわ。ひとりで旅するのは大変なこともあるけど、自分のことに集中していられるからむしろ楽なんかもしれん。
 うまくいかなかったり、集中できなくなるほど揺さぶられたりすることがあるから人と一緒に過ごす方が面白いわけで、いい日ばかりじゃないから楽しいんやろな。
 別に何か有ったわけじゃないけどね。

10月19日   アメリカを倹約旅行していると、かなりの数のキチガイ(漢字変換できないのは差別用語とされてるからだろう)と出会うことになる。貧富の差が激しい国では、バックパッカーの使う交通手段や飲食店は最下層(経済的に)の人たちのそれと重なるので、必然的にそういう人たちと仲良くなったりするわけだ。駅で野宿なんてしているときはなおさらである。彼らは一日中叫んでいたり、つぶやいたりしていることが多いのだが、ボストンで出会ったご婦人は突然道路にしゃがみこんで放尿されたのでさすがに驚いた。
 それにしても何故あんなにたくさんcrazyな人がいるのか、やはり薬物の蔓延した結果か、いや、恥の文化の国、日本ではそういう輩はどこかに閉じ込められているのかしら。などと推測していたのだが、街に出てみるといやはや日本も捨てたものじゃないようだ。
 バイクで出かけたときのこと、信号が青になったのに車の列が動かない。クラクションが何度も鳴らされている。先頭まですり抜けていって僕が目にしたものは、下着の上に透明のビニールをまとった姿でベビーカーを押し車道を疾走するおばさんの姿だった。。。
世紀末ですね。

10月18日  taquila 何気なくテレビをつけてみると懐かしい風景が。3週間前に訪れた海抜3800mのチチカカ湖に浮かぶタキーラ島にマナカナが滞在するという番組だった。
 あの時僕はテレビの向こうの世界を自分の世界として当たり前に過ごしていたのだ。ひとりの旅行者として4時間の船旅を経て、島のインディヘナたちと、他の旅行者たちと時間を共有していたのだ。それが僕の日常だった。そして今僕はあまりに遠く離れた世界からブラウン管を通して彼らを見ている。異世界として。なんとも不思議な感覚だ。僕の世界はどこなんだろう。
 旅を続けた後、日本の街を歩くことは刺激的である。日本は極めて特殊な文化を持っている。とくに若い世代の振る舞いはいつも僕を驚かせる。自分も其の中にいると気づかないのだが、はっきりいってクレージーである。違和感を禁じえない。そこが自分の世界であるという仮定を取り除くといろんなおかしさが見えてくるのだ。もちろん良い部分も見えてくる。それが旅の意義だと思う。自分が異邦人であるからこそ多くのことを感じられるのだと思う。ひとつの世界に入りこんで、その世界を日常としてしまうと何も見えなくなってしまう。日常をもってその中でルーティンをこなすという生き方を嫌悪するなら根無し草になるより他ないのかもしれない。
それもまたクレージーな日本人のひとつの生き方なのである。

10月16日  ところでみなさんジャンピングビーンって知ってる?いやあこれを初めてみたとき文明人の僕は驚いたねえ。メキシコのティファナって町の露店で見つけてんけど、ダンボールに入れられた豆たちがバッチバチ音をたてて震えてるんやね。あのちっちゃい豆の中にどんなしかけが!?
 呆気にとられて立ち尽くす僕に、店のおばちゃんは嬉しそうに説明してくれました。もちろんスペイン語で。

 この出会いから3ヶ月間、20粒の彼らは僕と一緒に南北アメリカ大陸を旅することになります。42度の砂漠に耐え、氷点下のアンデスに震えながら(暑くても震えてんねんけど)。野宿のつらい夜も、腹痛のつらい長距離バスのなかでも、僕を励ますように、時には耳障りなほどに、跳ね続け、10月ついに日本上陸を果たしました。

 今日も元気に跳ねつづけてくれている彼らですが、もうすぐ旅立ちの時を迎えるようです。今までありがとう、ジャンピングビーンズ。

 彼らが行ってしまう前にひとことでもはなむけの言葉を、と思われる方(ていうか見てみたい人)おられましたら、まつむらまで。
kuniaki@ann.hi-ho.ne.jp

 

10月6日  The trip cannot be a purpose of a trip itself. I just keep on moving towawrd places where I can do my best.
There is really much trifling news around me in Japan. Though I know I can do without it,it tempts me here.So I should keep myself off it consciously.


USA,Mexico,Canada,Costa Rica,Peru
三ヶ月の一人旅

僕は旅人にはならない


10月6日  無事帰国。旅することに慣れてしまって何かを得て帰って来れたのか不安があったけれど、いざ日本に戻ってみると出発前と大きく異なった視点で自分の環境を見つめている僕がいた。
 日常と化した旅は、その一瞬一瞬どれだけ自分がシャープでいられるかで良くもくだらなくもなり得る。この研ぎ澄まされた感覚を日本でもKEEPする。

 とにかくここにはくだらない情報が多すぎる。それをすべてシャットアウトしておかないと、いつのまにかそんな情報が自分の全てになるものだ。頑なな自分でいることを認めよう。

この世の中は因果律によって支配されているので過去を分析することに意義があると思う?