hitorigoto
8月25日 know more and think more       to be free 自分はどうとでも生きていけるんだと知ること こうしなきゃいけない こうじゃないと生きていけない なんてことはない。 周囲の小さな環境だけをみて そこに自分を閉じ込めて、 その中での生き方だけ考えて 自分を縛ってしまいがち。 どうとだって生きていける。 それを分かった瞬間に 世界が一気にひろがる。 だから、 まず広い世界に目を向けること。 今いる箱の中から一歩出て 外の世界にいる自分を知ること。 自分のいた世界を外から見てみること。 道はいくつもあって 自分が自由に選べるということ。 渋滞が嫌になったら 田舎道を走ってもいいということ。 車から降りて 田んぼのあぜ道を歩いてもいいということ。 そしたら心が自由になれる。 それから初めて 自分がやりたいことを見つけられる。   脱線 鳥瞰 旅のススメ    自由 自由 自由   自由であること 8月26日    スゴい → いい  DO I? 竹村健一と石原慎太郎が対談してる番組を見た。 とても面白かった。 竹村健一は社会を外から見ているから 当事者としての利益などから離れた 自由な発想ができるらしい。 これはすごく大事なことだと思う。 僕が好きな村上龍だとかも 明らかに社会から距離を置いて 自分の考えを持ってるからこそ面白い。   (てことは学者や作家っていうのはいい仕事だな) 自らの利益、保身を越えたときに 初めて全体、社会のためになることを 考えられるようになる。 だから、全体、社会のための仕事を したいと思うなら まずは自分自身の状況に満足することが 必要なんじゃないかと思う。    (僕が公の仕事を選ばなかった大きな理由なんだけど) 最近読んだ本でマズローの欲求段階説が出てきて  欲求の5段階   1.生理的欲求   2.安定の欲求   3.所属・愛の欲求   4.承認の欲求   5.自己実現の欲求  低次の欲求が満たされてから  次の欲求に移る ということなんだけど この説からミクロな視点で考えられそう。 最近の日本では生理的欲求や安定・所属の欲求は 満たされることが多いので 4番目の「承認の欲求」をどう満たすかが 関心事になることが多いように思われる。 それで自分を認めて欲しいという欲求が いろんな形で表面化する。 それはいろいろ。 名誉を欲しがったり、異性にモテたがったり。 僕はマズローの説が完全に正しいとは思わないけど とにかく承認の欲求から先に行けるかどうかが 自分の人生を楽しく生きられるかにとって重要なんだと思う。 というのは承認の欲求からは 本質的な満足は得られないと思うから。 人から認められたい、ということは 原動力にはなるけど、 結果的に幸せと必ずしもつながらない。。 幸せは内側から湧きあがる主体的なものだから まわりに認められる、というような 環境に依存したものからは得られないはず。 だからはやいとこ承認の欲求から脱け出して 自己実現のために生きてくのがいいなと思う。 例によって分かりにくく書いてしまったけど もともとは休学中、就職活動中に得た 「スゴい」ということから「いい」ということへの 単純なパラダイムシフトで、 これは僕にとってめちゃ大きな転換だなあと思う。 とにかくこれまでの僕は スゴイと思われることに価値を置いていた部分があって スゴイ、別格だ、多才だ、と言われると喜んで、 それを守ろうとしたり、もっとスゴくなろうとしたり。 でも実はそれって相対的なものでしかないから 意味がないんやね。心から楽しくなれない。 スゴイと思われても幸せじゃないなと気づいて、 僕の本当の欲求は何かと考えてみた。 それで、僕がハッピーなのは 誰かに「いい」と思ってもらえることなんだなあ と思った。 「いい」僕であることが僕の自己実現。 一見すると承認の欲求みたいだけど 本質的に違うと僕は思う。 「いい」と思われるというのは、 僕という対象を認めてもらうことではなくて  相手の中のハッピーを増やすということ。  それが自分にとってのハッピーになるということ。     (なんかプロポーズみたいだけど)   「いい」(good)っていうのは   絶対的にいいこと。そういう形容詞。  でも「スゴい」って何だ?  「スゴい」ってほんとは「とても」っていう副詞  なんじゃない。   very good ってことでもないよね。   あえて訳せば eccentric とか different. それで、スゴいって言葉を使うとき、 その意味するところは 結局 「自分には分からないことをしている」 「自分とは違う」 ということの表明であって  対象と距離を置くこと なんじゃないかと思った。 つまり「スゴい」といわれるのは 距離を置かれてしまうということ。 それか、 「なんか衝撃を受けたんだけど 何と表現していいか分からないから とりあえずスゴいって言っとこう」 という場合もあるかな。 どちらにしろ、まだちゃんと理解されてないってこと。 距離が遠いってことなんやね。   (それはそれで魅力だったりもするんだけど) だからさ、 「スゴい」であることは 人から離れていくことで とても寂しいことだから そんなの目指してもしょうがないなと 「いい」であることは 人との距離を詰めることで 暖かくてとても幸せなことだなと 思うようになったのです。 これからしばらくの僕は 「いい」自分であることを軸に生きていこう と思うのです。   (長くなってるけどビール飲んで気分がいいので続けて書こう。) ただし「いい」ものは 表面的なところじゃ伝わらない。 それは深いところにあるから 伝えようとする方だけじゃなく 伝えられる方にも すごくエネルギーがいることだと思う。 それで「いいもの」を感じるための エネルギー出すには まず興味を持つこと、 そして興奮すること。   情報がたくさんある中で   自分に有用な情報を選ぶとき   短い時間で「興味」を持つには   「つかみ」が大事になってくる。  人間がたくさんいる中で  誰かと仲良くなるときも  きっかけとしての「つかみ」が  いるんじゃないかと思う。  興味を持たないと何も始まらない。   「つかみ」は客観的で、相対的で   数字になりやすいものが   分かりやすくて(時間がかからなくて)   所得だとか、肩書きだとか、外見だとか。    本当は意味の少ないことだと思うけれど。 そういうのって「スゴい」ってことと 深く繋がってる。 だから、ある程度の「スゴさ」は 許容(利用)したほうが楽かもしれない。  友人が自分を紹介するときに  「こいつ○大生なんだよね」  「□□□に内定したらしいじゃん」  「××カ国旅したことあるんだって」  「TOEIC○○○点らしいぜ」  って客観的に言われるのは嬉しいことじゃないけど  それが興味を持たれる「きっかけ」ということも結構ある。 それに絶対的な「よさ」っていうのは 伝聞では伝わるもんじゃないから そういう指標に頼らざるを得ないんだろう。  逆に僕が何かに興味をもつときも  一番最初は「スゴさ」からってことがわりとある。  レンタルビデオ屋行って特に観たいものがなかったら  とりあえずアカデミー賞何部門受賞とかでも選ぶし。    裏返して言えば     「スゴさ」は表面的なものでしかないということ。     「つかみ」にすぎないということ。   本当は「つかみ」も「いい」ものに出来ればいいんだけど。   「すごくいい笑顔」だとか。   「絶妙な間のとりかた」だとか。  あー、やっぱそれだな。  眼の力とか、存在感とか、醸し出す空気とか。  それがいいな。    (ハッタリや見かけだおしはダメだけど)      それで「つかみ」で興味を持ってもらえると そこからが本番。   (「つかみ」だけじゃ東スポになってしまう) 相対的なものじゃなくて 1対1で向き合ったときの魅力。 エネルギーがぶつかり合ったときに 見えるのが「なかみ」 いい「なかみ」に触れたときに 人は興奮できる。 興奮したときにこそ 力が湧いてくる。 深く考えることができる。  それこそが幸せなことだ  と僕は思う。 I wanna make you excited. そんな「なかみ」のある人間になろう。 出来ればこのHPも。              そんな決意表明です。へへ。 「つかみ」から「なかみ」へ 「スゴい」から「いい」へ Do I make you interested? Do I make you excited? Do I make you think deeper?  Do I make you vigorous? Can I do something to help you be happier?