| Biography |
| 幼少時代 |
子供の頃はピアノの鍵盤が歯に見えて噛まれる恐怖から、ピアノを怖がっていたが、6歳になったある日、その88鍵の魔物(?)を克服すべく、ピアノ教室に通う決心をする。
当時いろんな伝説を作ったそうです。パンジーの花を見て、「この花は泣いている」なんて言ってみたり。感情性豊かな子供だったんですね(笑)。当時テレビでやっていた銀河鉄道999が大好きでした。ゴダイゴのテーマ曲は今でもカラオケで良く歌います。ゴダイゴは今振り返ると当時にしては凄くカッコイイバンドだったと思います。凄くインターナショナルなバンドだったし。何しろ外国人がメンバーに二人いて、タケカワユキヒデさんは英語曲も沢山歌っていましたし。
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| 小学校時代 |
地元のインターナショナルスクールに入学。同級生に元巨人のクロマティ選手の息子がいたり、亡命が理由で転向する友達がいるような、恐らく日本の学校とはだいぶ違う環境で育つ。一年先輩にはm-floのタカハシ☆タク、Verbalがいる。小学校1年生の頃、コーラス部の先生に「君はナイチンゲールのような声だ」と褒められる。しかし当の本人は鳥みたいだと馬鹿にされたと勘違いして、怒ってしまう。
小学校5年生で学校の吹奏楽部に入る。担当はアルトサックス。
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| 中学時代 |
中学1年で某音楽番組に出ていたTM Networkに衝撃を受ける。その後キーボーディストを目指すにも関わらず、好きだったのは小室哲哉さんよりも宇都宮隆さん。ウツさんの声が大好き。これは今も変わらず。
この頃、地元の図書館でCDを無料貸し出ししている事を知る。ちょうど音楽に興味を持ち出した時期だったので、洋楽、邦楽問わずいろいろ借りまくり、テープにダビングする日々が続く。Led
Zeppelin、Emerson Lake &
Palmer、Earth
Wind & Fire、Journey、Bon
Jovi、Van Halen、Tears
For Fears、Duran Duran、Toto、Air
Supply等を好んで聴く。
ほぼ同時期にエレキギターを始める。ヤマハの音楽学校に通うが、先生が永井真理子のツアーメンバーに選ばれ、そのまま戻らず。この頃からクラシックピアノ嫌いが始まり、コードの勉強を自然と始め、いろんな曲の耳コピに明け暮れる。
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| 1991 |
初めてのシンセを購入。TMファンだけにEOS B-500という当時小室哲哉さんが使っていたシンセを購入。それと同時に作曲を開始。Dry
Manhattanの前身となるバンドを結成。メンバーには元Barbee
Boysのいまみちともたかさんの弟も。でもバンドとしては個々の個性が強すぎてまとまらず。
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| 1992 |
インターナショナルスクールの友人とともにDry
Manhattan結成。サウンドは当時のB'zに近いかも。ヘビーなギターに打ち込みのシンセという感じでした。
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| 1993.8.14 |
第14回横浜High School Hot Wave FestivalにDry
Manhattanとして出場。Best Keyboardist賞受賞。
横浜スタジアムで当時毎年開催されていたこのコンテスト、当時はバンド甲子園と言われていました。RebeccaのNokkoや杉山清貴もこのコンテスト出身です。雨の中、2万4000人の観衆を集めてのライブ、そしてテレビ中継。気合を入れて、この日のライブの為にKX-5というショルダーキーボードとShureのヘッドセットマイクを購入。どう見ても小室哲哉さんの真似でした(笑)。このライブが僕の音楽の原点です。振り返ってみると大変でした。ボーカルが親の海外転勤等でコンテストの途中でいなくなってしまったりして、特例でOKしてもらって、変更させてもらったんです。このライブ後にDry
Manhattanは大学進学の為に解散。でも本格的に音楽を仕事としてやっていきたいと決断。同期にはシンガーソングライター、作曲家として活躍している堂島孝平等。第19回を最後に運営会社が倒産して、コンテストはなくなってしまいましたが、自分がアーティストとして大成した暁には絶対に復活させたいと思っています。
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| 1994 |
リードアルトサックスとして学校のジャズバンドのリーダー的存在に。でも本当はジャズよりポップスが好きだった。高校のジャズバンドではオールラウンドプレーヤーでした。高校1年の時はギター担当、2年ではバリトンサックス、3年はアルトサックス。時には打ち込みをやったり、ボーカルまでこなしていました。そして学校最後のLouis
Armstrong Jazz Awardを受賞し、高校卒業。
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| 1994 - 1998 |
渡米、North Carolina州DurhamのDuke大学工学部電子工学科に入学。なぜ電子工学かというと、音楽だと親に反対されると思ったから。電子工学でシンセサイザーの技術(波形生成)について勉強して、楽器の会社に就職しようと当時はかなり真面目に考えていました。
大学時代は地道に作曲、ソロ活動を展開。QY300というシーケンサーで曲をアメリカで作り、日本に夏休みに帰ってきて、レコーディング、という連続でした。アルトサックス担当で、3年間学校のマーチングバンドにも所属。理由はオーディションがなかったのと、全米有数のバスケの強豪だった自分の大学のチームの試合が見られたから(笑)。でも弱小のフットボールチームの試合にもプリゲームとハーフタイムで出演しないといけなくて、大変だった。特に0勝11敗のシーズンはしんどかったぁ。
この頃は本場の洋楽にかなり触れる一方で、日本が恋しくて今まで聴かなかった日本のアーティストを沢山聴きました。アメリカで好きだったのはCollective
SoulやSavage Garden、Ben Folds
Five、あとはDave
Matthews Bandとか。日本のアーティストは広く浅く…でもTMファミリー、小室ファミリーは全てと言っても良い程聴いていました。
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| 1998 |
コンピレーションCD「Voices of DUME」に参加、大学の親友とともに"I'll
Be There"を提供。Dry Manhattan時代に作った曲なのですが、今でも自分の書いたバラードではかなり良い曲だと思います。
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| 1998.9 |
卒業、帰国。就職したものの、大好きな音楽がやめられず、日本で本格的に音楽活動再開。
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| 1999 |
当時インターネットアイドルだった柏尾実沙さんのHPのテーマソングプロデュース。当時柏尾さんはテレビで天気予報もやっているタレントさんでした。確かPVも作ったはずなんですが、お蔵入りになっています。
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| 2001 |
あるクリエータのオーディションで、「もう少しテンションコードとかを本格的に勉強するといいものになると思うよ」と言われたのをきっかけに、音楽理論を本格的に学ぶ為、音楽学校に入学する事を決意。作曲に磨きをかける。
この頃から自分の音楽の幅を広げる為にいろんな音楽を聴こうと思い、CDを尚一層買いあさり、ライブにも沢山通いました。今も変わりませんが、Skoop
On Somebodyと長尾大さん(AVEX関連の制作会社、アクシブ所属。Do
As Infinityのメンバー・作曲家であると共に、浜崎あゆみ、Hitomi、倖田來未等へも曲を提供する作曲家)のファンになる。ライブは年20本ぐらい見に行っています。
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| 2004.9 |
音楽学校内で作家ユニットEuphoriaを結成。また、自身のアーティストとしてのユニットCrescendoを結成。ユニット活動を通じ、いくつもの入賞実績を積み、卒業。
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| 2004.10 |
HAИNAHのシングル「秋思符/夢界人」の「夢界人」でついに作曲家として念願のメジャーデビュー。最近はアコースティックギターを弾けるようになれるよう握力を強化する日々。
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