瑣末の研究18

男子の本懐

本買い男の見果てぬ夢は、「自分の蔵書の背表紙を一望のもとに見渡したい」である。

蔵書を本棚に一列に並べきれる人は幸いである。ある列では隙間が空いてしまいストッ
パーで、本を支えなければならないというのは「究極の贅沢」である。はばかりながら
この管理人が、ストッパーで本を支えたのは、初めて自分の本棚を親から買い与えられ
たごくごく短い期間のみである。その頃は、早く列が本で埋まるのが楽しみだった。本
が増えるのが誇らしく、少しだけ頭が良くなっていくような気がした。嗚呼。
通常、「本買い」は、棚の前後2列に本を並べる。
だが、ここまでで収まれば、まだしも幸せである。
少なくとも題名を上から下に読めるからである。
この時、棚の後ろにはなるべく揃った叢書を丸ごと入れておくと、本を探す時に便利で
ある。この棚の上から何番目の後列は「コロンボ」とか「ミステリ・ボックス」とか決め
ておくのだ。ただ悲しいのは、見た目の美しさを楽しみたい「揃いもの」が後ろに回って
しまう点である。ここにも人生の皮肉がある。

病状が進むと、本棚の上に平積みが始まる。これが天井に届く。
「でも、天井に届いて
梁のような状態になった方が安定していいや」
と思い始めたら、最早引き返し難い領域 に踏み込んでいる。更にこの状態では、
題名も顔を傾けて読まなければいけなくなる。

姿勢に負担がかかり、平積みの下の方の本を取り出すとき等は決死の覚悟で臨まなけれ
ばならなくなる。

更に、病状が進むと、棚に並べた本の天と上の棚板の僅かな隙間に本を横に詰め込み
始める。これには2段階あって、一応は背が手前になるように並べられる内はまだいい。
やがて、尚も増殖する本に対応するために、天か底をこちらに向けて突っ込みだすと
見てくれは果てしなく悪くなる。これはもう、書棚ではない。書籍を物扱いに突っ込ん
だ棚である。題名を確認するためにいちいち差し込んだ本を取り出さなければならない。
その際に帯が引っかかって破れたりすると目も当てられない。

でも、よく破れる。


本棚を増やす事で、ある程度状況は改善される。しかし、本棚が増えた安心感によって

抑制が外れる。そして、歴史は繰り返される。

やがて訪れる最終段階。

本が静かに溢れ出す。

徐々に徐々に、さながら潮が満ちていくに従って岸壁の水位が上がっていくように、

本棚の前に平積みとなった本が満ちていく。本棚の一番下の特等席に並べた筈の香山滋
全集が、マイブームになってしまったレモン文庫やいちご文庫に覆われていくのだ。

ああ、さようなら香山滋、
さようなら甲賀三郎、

そして、こんにちは、森奈津子。


だが、これはまだ「終わりの始まり」すぎない。その後に「終わりの本番」がぽっか

りと黒い口開けて待ち構えているのだ。即ち


「買った筈の本が見つからない」。


パニックである。

「そうだ!私はあの本を買った筈だ!買った古本屋はあそこ!値段は幾ら!一緒に買った
本はあれとこれとそれ!こんなにはっきり憶えているのに!!」
しまった場所だけは思い出させない。
人生とはそういうものである。穏やかな諦観の念に包まれながらダブりを承知でもう1冊
同じ本を買う。そして「終わりの終わり」が訪れる。




「ダブって買った筈の本が見つからない!!」



ようこそ「書痴の地獄」へ。





本買い男の見果てぬ夢は、「自分の蔵書の背表紙を一望のもとに見渡したい」である。
而して、本買い男のささやかな願いは「自分の読みたい時に買っておいた本を読みたい」
である。そんなささやかな願いも叶わぬ時には、ある詩人の言葉を思い出す。


「書を捨てよ、街にでよう」



でも街に出たからといって、古本を買っちゃだめよ。

以上

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