瑣末の研究17

題名考

洋書のタイトルで「TCOT」と略記されているのをご覧になった事があるだろうか?
ガードナーや、ブッシュにこれが多い。「The Case of the」の頭文字、
訳せば「〜事件」である。これに対して日本の場合で圧倒的に多いのは、言わずと知れた
「〜殺人事件」である。むしろ「〜事件」は少数派で、現在では太田忠司が頑固に使い続け
ている程度である。「殺人事件」と書いておけば、とりあえず推理小説だということが
伝わるので、これが最も消費者志向な題名だと胸を張る作家もある。それはそれで一理ある。
一理あるが、書棚3列分「地名」、「路線」、「書名」+「殺人事件」のオンパレードという
のは無味乾燥の極致であり、いい加減飽きが来る。
逆に「ふしぎとぼくらはなにをしたらよいのか殺人事件」や「金沢銘菓の老舗殺人事件」と
なると、もう少しなんとかならんのか、と言いたくなるのも事実である。
その点、松本清張は恐ろしく題名の付け方が巧い作家であった。
「点と線」「ゼロの焦点」「けものみち」「時間の習俗」「Dの複合」「蒼ざめた礼服」
まあ、よくぞこれだけ印象的な題名を思い付けたものだ。
アイキャッチが題名の役目だとすれば、これほど効果的な題名もなかろう。
勿論これは作者が松本清張なればこそ自信をもって出来ることであり、三下がこのような
題名をつければ、「点と線」は製図コーナーへ、「ゼロの焦点」は学習コーナーへ
「蒼ざめた礼服」は服飾コーナーへ並べられるのがオチである。まあ、「けものみち」が
地図コーナーへ行くことはないであろうが、仮に行ったとしたらそれは只の嫌がらせである。
印象的な題名と言えば笹沢左保がもう一方の雄である。特に木枯らし紋次郎シリーズの題名は
強烈である。「赦免花は散った」「女人講の闇を裂く」「六地蔵の影を断つ」、どれをとっても
「無宿渡世に怒りをこめて、口の楊枝がひゅうとなる、噂のあいつが紋次郎、愛を求めて
さ迷う旅か、孤独を癒してさすらう旅か、頼れるものはただ一つ、己の腕と腰のドス」と
いう芥川隆行の名調子を彷彿としてしまうではないか。
また、笹沢左保は版を変える度に題名をいじくるのでも有名である。とにかく作品数が半端
でない上に、単行本と文庫本で題名が異なるものだから、この作家の全貌は掴みにくい事
おびただしい。連載時、単行本時、文庫時では、それぞれ読者層が異なる訳で、厳密に
マーケティングを行えば、題名の変更というのも、なるほど理に叶った行為ではあろう。
こちらが「新作」と騙されて「旧作」をつかまされないという前提に立った上で、一応許し
もしようではないか。まあ、笹沢左保クラスでは、こちらも慣れっこになっているので、いつも、
巻頭・巻末を開けて旧作の題名変更で無い事を確認するのだが、今邑彩クラスにこれをやられ
ると辛い。「赤いべべ着せよ」では、まんまと騙された。これは新書版では「通りゃんせ殺人
事件」だったのだが、角川ホラー文庫に入った際に「赤い〜」に変更されたのだ。

歌まで変えるなよ。

そして笹沢左保には、今ひとつワタクシ的に奉りたい勲章がある。

即ち「最もおバカな題名の推理小説」の作者という勲章である。

おバカな小説は掃いて捨てる程あるが、題名で笑殺される小説は意外に少ない。
Masami’s Homepageの店主殿は草野唯雄の「ジス・イズ・ザ殺人」が
なかなかキテる、と推す。なるほど、相当におバカである。
冒頭にあげた橋本治の「ふしぎとぼくらはないをしたらよいのか殺人事件」もいい線行く
であろう。もっともこれは一筋縄ではいかない作者が敢えてそれを狙ったのであろうが。
「更新の鉄人」フクさんと某美人妻は大下宇陀児の「おれは不服だ」がいい!という
「そういわれましても」「何か一体不服なのでしょうか?」という訳だ。
密室派からソフトボイルドに転向した島久平も「そのとき一発!」「ダブルで二発!」とか、
渋い題名の作品を残している。これらの作品は私の「死ぬまでに読みたい」リストに入って
いるが、果してかなうことやら。
あるいは春陽文庫推理小説の大黒柱、城戸禮の「三四郎」シリーズも泣かせるものがある。
「不敵バイオレンス刑事三四郎」、「おお暴れアウトロー刑事三四郎」
「猛撃はみ出し刑事三四郎」、「爆発メガトン刑事三四郎」
「鉄拳エキサイト刑事三四郎」、「爆走ファイティング刑事三四郎」
「必殺ダーティー刑事三四郎」、シンプルに「拳銃刑事三四郎」も悪くない。
いやはやなんともな、おばかの殿堂。

しかし、どの題名も笹沢左保のこの作品の題名にはかなうまい!
これぞ、まさに題名の極北!!!
その題名とは、これだ!!

「現代股旅ヤロー」

内容的には、木枯し紋次郎の現代版。虚無的な主人公が、氷砂糖を指弾で飛ばしながら
日本全国をさすらう話である。小説現代の「木枯し紋次郎」に対し、問題小説に連載され
ていたこの話を私は結構愛好していた。

どうかこの題名を覚えておいて欲しい。
「野郎」ではなくて「ヤロー」が、チャーム・ポイントである。
仕事で辛い事があった時、逢魔が時にふと人生にぽっかりと虚無感を覚えた瞬間、
一人寝の褥で寂しくなった夜、どうか口に出してつぶやいてみて欲しい。

「現代股旅ヤロー」

あるいは、夕陽の海に向かって叫んでみてはいかがか。

「現代股旅ヤロー」!!

さすがの笹沢左保もこの題名が恥ずかしかったのか、今は徳間文庫に入っているこの作品の
題名は「往け、孤独な風の如く」と改題されている。
しかし、私にとっては永遠に「現代股旅ヤロー」なのだ。
最早、おばかな題名で「現代股旅ヤロー」超えるのは「現代股旅ヤロー」しかないと
信じている。問題小説編集部様、笹沢先生に次の作品を依頼してください。お願いします。


<帰って来た「現代股旅ヤロー」>

以上

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