J.J.Connington "No Past Is Dead"(1942)


私ははっきり言って「退屈一派」は苦手である。
同じ時間を割くのであれば、ベロウのごとき不可能趣味満載のオカルトミステリや、アイ アムズみたいな小気味よい展開のユーモアミステリや、グルースのようなのどかな英国の 田舎町を舞台としたコージーミステリを読んでいた方がよい。しかしながら、今回のゲス ト編集長である塚本氏は、私が106号のエディターをやった際に玉稿を賜った(という か、学校の先輩であるのをいい事に脅迫まがいにひねり出させた)経緯もあって、なかな かこちらに「No」と言わせてくれない。礼儀正しく、かつこちらを乗せるように、そし て一歩もひかないプロの編集の腕前で、遂に原稿を書かざるを得ない状況に追い込まれて しまった。従って、誌友の方々から見れば、拙稿が「オカルトミステリの時と違って、随 分テンション低いのでは」とお感じになるかもしれないが、それは当たり前のお話であっ て、むしろ私が「退屈一派」のレビューを書くという事が「奇跡!」なのだ、とご理解頂 ければ幸いである。
さて、コニントンである。コニントンといえば、鮎川哲也が自作の短編で「幻の新訳」
を登場させて物議を醸した「あの」コニントンである。戦前に「九つの鍵」と「当たりく
じ殺人事件」の2作が紹介されたきりの「あの」コニントンである。私にとっては、森英
俊氏に本をお譲り頂くようになった初期の頃に、その<幻>効果で「きっと面白いに違い
ない」と勘違いして何冊か買ったきり積読になっている「あの」コニントンである。勿論
このROM誌では、既に10作近いレビューが行われていてお馴染みではあるが、やはり
科学を基本とした地味な作家という印象が強烈である。そこで、せめて展開が派手な作品
を選ぶべえと取り上げたのが、今回の「No Past Is Dead」、 長篇第22作目、作者の最
後期の作品である。どこが派手かというと、表紙にチータの絵が書いてあって、どうも折
り返しの梗概を読むと、チータが被害者を噛み殺すという話のようなのだ。「いいじゃな
いの。これなら、なんとか退屈せずに読み通せるかな?」。読み通せました。

州警察本部長クリントン・ドリフォード卿の書斎で寛ぐのは、卿の友人ヴェンデバーと
地元紙の敏腕記者ピーター・ダイアモンド。ピーターは、先だって開かれたある禍禍しく
も馬鹿馬鹿しいパーティーの模様を二人に開陳していた。アンブローズ・ブレンサースト
が5月13日の金曜日に「ハーンショー13倶楽部」にプレスを招いて催したそのディナ
ー・パーティーには、後の事件の関係者が勢揃いしていた。
まず、ホストのアンブローズは、ブレンサーストというそれなりの家に生まれ、ゆくゆ
くは母アリソンの遺産を相続する身でありながら、自力で金貸しビジネスを興し成功を収
めたアクの強い人物。その従姉妹にあたるコーラ・フェアフットはかつて同居していたア
ンブローズとの間に一子パーシーを設けるが、アンブローズが結婚も認知も拒否したため、
今はつかず離れずの関係にある。当時アリソンはコーラの味方についたのだが、その背景
には彼女自身が昔、認知されない娘ネッタで苦労した経験があった。ネッタは役者を志し
デュケーヌという男と駆け落ちした挙句に子供を残しアメリカで事故死したという(この
あたりをピーターは3代にわたる系図まで書いて説明する)。一方、息子パーシーは、最
近この地に移ってきた仏系クレオールの美女ダイアナ・テラモンドに夢中である。ダイア
ナは、ある金持ちの若者との婚約と相手の事故死で大金をせしめ、女友達のスーザン・
ガーフィールドと近くの「泉の館」に住んでいる元ナイトクラブ歌手。どうやら彼女は放
蕩の余り、かなりの額をアンブローズから融通してもらっているという。
さてその「不運を楽しむ」という趣味の悪いパーティーのクライマックスに登場したの
が、そのダイアナが、前の婚約者から貰いうけた「赤いダイヤモンド」である。「ホープ・
ブルーダイア」の如く持ち主を破滅させるという伝説に彩られたダイヤをあしらったペン
ダントは最低でも5000ポンドを下らないという。恭しくダイヤを回覧してダイアナに
返すアンブローズ。しかし彼はいすれダイヤもダイアナも手中に収める腹のようであった。

そして飛び切りの「不運」がアンブローズを見舞うのに12ヶ月は必要なかった。
ある9月の夜、こそ泥のウィリアム・スプレットリーは、獲物を求めて村にやってくる
が、女所帯で奉公人もメイド、後はペットに「猫」を飼っているだけ、という「泉の館」
の噂を仕入れて、これは楽勝だわいと準備万端その館に向かう。
ところが、館の外で彼の出くわしたのは、男の血まみれ死体とその脇で唸り声を挙げて
いるチーター。なにが猫だよ!と逃げ出すウィリアム、追いすがるチーターを振り切り、
たまたまその場にとめてあった車に飛び込み、逃げ出そうとするが、さて行き先に困る。
熟慮の結果、こういう場合は、素直に警察に飛び込んだ方が得策と判断。
報せを受けたバドフォード巡査は、相棒ジェニングズとともに「ミミはよく慣れたチー
ターの筈なのだけど」と首をひねりながら現場に駆けつける。なるほど、館の外の道路に
は首を噛み切られた男の死体。持ち物から、被害者はアンブローズである事が確認される。
しかもそのポケットから、ダイヤをあしらった黄金のペンダントが発見されたのだ!!
門は鍵が掛かっており、果してチーターがいかにして被害者を引きだしたのか訝しく思
いながらも、偶然被害者のポケットにあった鍵で中に入った一行は、懐中電灯を頼りに広
大な庭を館に向けて進む。庭を下った所にある小屋には庭師が住み、門から館に向かう道
の途中には、中国風の塔を象った物置小屋があった。そしてその周辺の道の砂に男の足跡
を発見するのだが、これが、ある場所から足跡の主が宙に失せたかの如く掻き消えている
のだ。不可解な状況をさておき館に近づいた彼等はテラスにうずくまる女性を発見するが
その前にチーターと一戦を構える事となった。なんとか拳銃でチーターを射殺した後、そ
の女性がダイアナでいる事を確認する。そして茫然自失の彼女はうわ言のように口走るの
であった。
「私、あいつを殺しちゃったの?・・・ダイヤを取られた後で撃ったのは憶えてる・・・
あいつが逃げて・・私はその跡を追って・・ミミを呼んだの」

時を置かずドリフォード卿が登場し、現場検証に立ち会う。そして卿は一目で被害者の
持っていたダイアが偽物である事を見抜く。やがてショックから徐々に回復しつつあるダ
イアナに事件の事情を尋ねるドリフォード。借金でがんじがらめにされていた事、その夜
ダイヤを渡して大人の解決をつけようとアンブローズを待っていたが、時間に現れなかっ
た事。それが夜更けに突然現れたかと思うとダイヤを取った上に彼女に乱暴しようとした
事。キモノのポケットから護身用のピストルを取り出しアンブローズを撃った事、そして
ミミを呼んだ事。しかしその後の事となると一時的な記憶喪失に陥った彼女は答える事が
できなかった。
やがて彼女がアンブローズ宛に出した手紙が発見されるが、その手紙の指定した時間は
深夜1時となっていた。果して彼女の証言とのズレは、単なる記憶の混濁なのであろうか?
今度は、住み込みの庭師スパーリングをサンドロック警部と訊問するドリフォード。
庭師は、事件の最中は、殆ど夢うつつの状態であったが、かすかに男女の声を聞いたと証
言する。「行って、お願いだから、行って頂戴!!」という女性の声と、「ああ!大丈夫
だって!!」と答える男の声。その声の主は一体誰であったのか。次に卿と警部は、芝生
の上の血痕を追って、塔作りの物置に入りそこで血のついたガーデニング用のナイフと手
袋、更にDとTのイニシャルの入った織布を発見する。もしや、チーターは真犯人ではな
く、被害者の喉を切り裂いたのは、このナイフではないのか?更に謎は深まっていく。
しかし、その夜の最大の発見は、明方近くなって庭をさまよっているところを見つかっ
たコーラ・フェアフットその人であった。彼女は、ダイアナから「彼女の従兄弟のアンブ
ローズが怪しからぬ行動に出ないように、物置で見張っていてくれ」という手紙を貰い、
一晩中そこにいたのだという。そして銃声を耳にした事や、ミミに追われ物置に逃げ込も
うとするアンブローズを閉め出した事、ミミを恐れて一晩中隠れていた事を告白する。
ドリフォードの機転で、手袋を脱がされその手に血痕がついている事を暴かれるコーラ。
しかし、彼女もさるもの、暗闇の中で何かに触ったためであろうと反論する。
朝があけ、署に引き上げたドリフォードを尋ねてきたのはコーラの息子パーシーであっ
た。しかし母を疑うな!と迫る彼自身のアリバイも胡散臭さの固まりであり、やがて警察
の機動力を用いた調査は、彼自身が「泉の館」の近くにいた事を証明する。
だが、誰もが真実を語らないこの事件に、最も怪しげな人物の影を浮かび上がらせたの
は、事件当夜、秘密の恋人との逢瀬を楽しむために「泉の館」を留守にしていたスーザン
・ガーフィールドの証言であった。彼女が夫婦を偽って一夜を共にした恋人の名前こそ、
セシル・デュケーヌ。その名字は、ドリフォードにある系図を思い起こさせた。なんと、
肝心の逢い引きにも関わらず、スーザンは熟睡してしまったのだという。そして翌朝、彼
女が目を覚ます前にホテルを引き払ったセシルの行方は杳としてしれなかった。
セシルの正体こそ、アリソンの庶子ネッタの遺児ではなかろうか?この犯罪は、相続が
絡んだものなのではなかろうか?五里霧中の捜査に、再びセシルの影が落ちた時、新たな
殺人が引き起こされる。

呪いのダイヤ、チーターに食われる死体、空中に消える足跡、ヴードゥー教の影、不可
解な死体の移動、矛盾する証言、等など見ようによっては魅惑的な謎が満載の物語である。
系図まででてくる最初の3章を乗り切れば、なんとか矢継ぎ早に新たな発見がもたらされ
るので、快調に読める。仕組まれた犯罪の真相は、すれっからしならばあっさり見抜くレ
ベルではあるが、なかなかにアクロバティックでそれなりの楽しみがある。科学捜査趣味
では今更ながらの血液型講義があったり、布から指紋を検出する法とかの紹介があって、
おお、いかにもコニントンではないか!と思うがさほど退屈でもない。ただ犯人は賢いの
か、馬鹿なのか、少々分裂気味であり、余りに危うい。不満が残るのはその辺り。でも、
総合すれば「意外に面白いやんか」というのが結論かな?はい。

(初出:ROM107号)


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