Norman Berrow's “Don't Go out after Dark”(1950)


「魔法」や「呪いの人形」というテーマは、オカルトの題材としては非常にポピュラー
なものです。近年、錬金術が化学という自然科学の礎を築いたことや、秘薬の調合が麻薬
をベースとする民間医療の一翼を担っていたこと等「魔法」や「魔女」についての復権が
進む中、「呪い」には今で云う<カウンセリング>や<ヒーリング>の意味があったとい
う論が唱えられています。とはいえ、髪でも爪でも(そして精液でも)相手の身体の一部
を仕込んだ人形を傷つけて呪うという行為には、心の癒しでは片づけられない何か禍禍し
いものを感じずにはいられません。それは、この日本においても藁や紙で出来た人形で人
を呪い殺す術法が連綿と語り継がれてきた事にもよるのでしょう。「呪殺」は洋の東西を
問わず、人間が人間であることの負の部分を象徴しているのかもしれません。
この作品はベロウの15作目の長篇作品で、英国南部の田舎町ウィンチンガムを舞台と
したレギュラー探偵スミス警部ものの第4作に当たります。消失・密室・消える足跡等の
不可能犯罪が多いスミス警部ものの中では異色作であり、大仕掛けな手品を期待すると肩
透かしに会いますが、すっきりとしたプロットは良い意味で中期カーの魅力に通じるもの
があると同時に、現代的「悪意」と前近代的「呪い」のアンサンブルといった風情の作品
品に仕上がっています。

ウィンチンガムの住民の憩いの場である植物園には湖があり、その中に浮かぶ小島は植
物園自体のミニチュアに仕立てられていました。植物園管理者のジェイムズ・マクロウは、
妻と二人の娘と一人の孫とともに植物園の近くに住んでいました。姉のエルザは20代後
半の独身美人、1、2歳下の妹マーガレットは海軍務めの夫フェリス大尉が不在勝ちなた
めにまだ幼い息子ジェイムズ・アレグザンダーを連れて生家に寄宿しています。
エルザがこの歳まで独身であるのは、かつてカーステアズという男と不幸な婚約を行っ
たせいでした。破談になった後カーステアズは重罪を犯し3年の監獄暮らしを余儀なくさ
れました。そんなエルザにもリチャード・ブラウンという新たな恋人が出来、彼を交えた
マクロウ家の夏の夜の団欒から邪悪な物語は幕を開けます。その夜、マクロウは自分の農
地に侵入者を発見し、ブラウンとともに探索に出かけますが、取り逃がしてしまいます。
その5日後、最初の警告が届きます。スリッパ、サンダル製造業者の事務をやっている
エルザが、あれこれ理屈をつけては言い寄ってくる同僚の経理社員ウエインライトの誘い
をぴしゃりと退けて家に帰ってくると、一通の手紙が届いていました。宛名と住所がタイ
プされた封筒の中から出てきたのは、こんな文章でした。

「暗くなってから、外出してはいけない」(DON'T GO OUT AFTER DARK)

その意味をはかりかね不思議に思う家族の中で、ジェイムズにはこの悪戯の主に心当た
りがありました。
彼は、その夜、警察に押しかけ、かつてエルザの婚約者であったカーステアズがどうし
ているかを尋ねますが、担当のスミス警部がいないため出直す事になります。
翌朝、家で一番に表に出たエルザは、今度は玄関を出た小道に猫の死体を発見します。
再度、警察に怒鳴り込んでくるジェイムズに対し、スミス警部は、カーステアズは出所
して村の宿にマクスウェルなる偽名で投宿しているが、タイプなどはもっていないことを
告げ、とりあえず猫の死体を見に、マクロウ家に向かいます。
スミス警部は猫は病死したものと判断しますが、同時に死んだ猫の腹を刃物で傷つけて
ある事に気がつきます。更に牛乳配達を巡る推理から、猫の死体は朝7時半から8時40
分の間に置かれたと推測します。
その日の昼間、ジェイムズは庭師のトーレイとともに小島の迷路に置かれた人形を発見
します。布製でちゃんと服も着ており灰色の髪の毛も張り付けられ、インクで描かれた目
鼻にクレヨンで描かれた口と眉、そしてなによりその心臓には太いピンが刺さっていたの
です。
トーレイに呼ばれて駆けつけたスミス警部は、たかが人形で、と呆れますが、ジェイム
ズは只の人形ではなく、呪いのマネキンだと主張します。
人形を預かったスミス警部は、その足でエルザを捕まえ、猫の事や人形について話を聞
きます。人形が男である事からエルザは自分の婚約者のブラウンが狙われているのではな
いか、と危惧します。そして、彼女はカーステアズが既に出所している事を知らされ恐れ
慄くとともに、他の容疑者としてウエインライトの名前を挙げます。
警察では、警告文を打ったタイプの型式の特定や、カーステアズが商店に勤め始めた事、
人形に貼り付けられた髪が本当の人間の白髪である事を掴みます。しかし事件の関係者で
白髪といえば、ジェイムズぐらいのもので、スミス警部はまたも途方にくれる始末です。
マクロウ家の周りを巡回する巡査たちの努力を嘲笑うかのように、その夜決定的な事件
が起きます。眠りの浅いジェイムズは、家の外から、さながら地獄から湧き上がるかのよ
うな囁き声がエルザを呼んでいるのを耳にします。
「エル・ザ、──何か、迷路にあるぞ、──、聞こえるか、エル・ザ…何か迷路に…」
驚いたジェイムズはエルザの部屋に飛び込みますが、声を聞いたエルザは怯えるばかり。
表に出たジェイムズは、彼の声を聞いて駆けつけた二人の巡査から、庭から不審な人物
が逃げ出した事を告げられます。
スミス警部、ポインター刑事、ウィルス巡査、そしてジェイムズは、深夜の植物園に入
り迷路を捜します。程なく発見されたのは、若い男の死体でした。仰向けになったその胸
には、木の握りのついた長釘が突き刺さっていました。そしてジェイムズはその男がカー
ステアズである事を確認します。
事件の黒幕と見込んでいたカーステアズが殺された事で、捜査陣は困惑します。ただ、
マクロウ家の庭の門から指紋が発見されたことから、新たな人物が捜査線上に浮かびます。
それは、それは通称大口ラリーと呼ばれる脅迫者で、しかもカーステアズとともに収監さ
れていた彼は、カーステアズの出所の3日後にやはり出所しているというのです。
そこへジェイムズが新たに届けられた手紙を持って現れます。今度の警告も1行だけ、
「湖に近づくな」。
警察は、電話が引かれていなかったマクロウ家に警察とのホットラインを引き、万が一
に備えます。
その電話を、ジェイムズが最初に使ったのは、電話の引かれた翌日の事でした。
今度は家の窓敷居に、トランプ箱で作られた棺が置かれていたのです。中には「R.I.P」
(安らかに眠り給え)と記された紙が一枚。

次々とマクロウ家を襲う警告の主は果たして何者なのでしょう? 捜査が昏迷を極める
中、発見される第二の死体。執拗な警告は、警察のホットラインにも割り込み、エルザが
生家から離れても追ってきます。そしてその悪意が頂点に達したとき、スミス警部は恐ろ
しい真相に気づくのでした。

英語を早く読めないもので、何日もかかってもたもたと読んでいるうちに作者の企みは
およそ想像がついてしまいました。一気呵成に読み上げるとまた別の感慨があるのでしょ
う。ただ、語り口はなかなか達者で、のどかな田舎町の描写と邪悪な小道具の対象の妙に
は感心します。巡査や庭師がやたらとなまりのきつい方言を喋る以外は文章も平易で、ス
トーリーテラーとしてのベロウの実力を知るには持ってこいの作品ではないでしょうか。
スミス警部はこの1作しか読んでいないのですが、なかなかフットワークのいい人間臭
いキャラクターだなと思いました。傑作の誉れ高い「魔王の足跡」とかも死ぬまでには、
是非読みたいものですね。それも、できれば日本語で。

(初出:ROM106)


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