Norman Berrow's "The Ghost House" (1979)


ノーマン・ベロウこそ、いま最もカーファンから翻訳が待たれているクラシック作家で はないでしょうか(クラシック作家に限定したのは、現役にはP.C.ドハティーという化 け物がいるからです)。
森英俊氏の「世界ミステリ作家事典」でこのマイナー作家の作品
が7作もレビューされたのがその大きな要因であります。こてこてのオカルト趣味と不可 能犯罪が満載の豪華メニューだけ見せられた者としては、一刻も早く実物を味わってみた いと原書に手を出すのは当然の成り行きであります。
ところがその原書の入手がまた困難
を極める(インターネット検索でもまずヒットしません)と来ているものですから、益々 もって焦燥感は募り、マニアならよくご存知の「これだけ入手困難なのは、傑作だからに 違いない」効果で、既に読む前から期待度の針が振り切れんばかりになっている、という のが現状でありましょう。
さて本作は、そのベロウの作品の中でも森氏曰く「戦前の最高傑作」の全面リライト版 であります。
まず題名が凄い。推理小説と幽霊について豊穣たる歴史を持つ大英帝国においてそのも
のずばりの題名をつけるのは、かなりの勇気が必要です。「幽霊屋敷」と云うとカーマニ
アにとっては創元推理文庫の絶版本が一番最初に頭に浮かぶでしょう(佐野洋や友成純一
を最初に思い浮かべる人は「ここ」にはいないと信じてます)が、あれとても原題はゴー
スト・ハウスではないですから。
今回この本を読んで感じたのは、「音」へのこだわりでした。洋の東西の差とでも云う
のでしょうか、日本の幽霊は舞台やスクリーン上では笛や太鼓で演出されこそすれ、本来
それ自体としては物音をたてず佇んでいているのが常です。これに対して欧米の幽霊は、
ラップ音やポルターガイストに代表されるように騒がしい物音をたてます。この作品でも
その「音」が効果的に使われています。

遠方の友人の結婚式に出席し、車で帰途につくゲリーとジルのマーティン夫妻。近道を
とろうと切り立った崖を縫うように走る海辺の道を行く彼等の後ろから雷まじりの大嵐が
襲ってきます。ぬかるむ道にタイヤをとられ避難所を探すゲリーは、結婚式のパーティー
で耳にした「幽霊屋敷」の事を思い出します。40年前に主であったインガルスなる人物
がふいに消えてから、棄てられた屋敷。それは、百ヤードの木造の橋で本土と結ばれた小
島に建っていました。
橋を渡った時、ジルは小島の浜に倒れている男の姿をみつけます。大雨の中、浜に降り
たゲリーは、男がまだ生きている事を確認しますが、一人での救助は困難でした。途方に
くれる二人は、目前の幽霊屋敷の煙突から煙があがっている事に気がつきます。
獅子頭のノッカーを叩くと、中からは堂々たる体躯の執事が現れゲリーを冷たくあしら
おうとします。ついで現れた主人に事情を説明し、ゲリーは執事のカーターと二人で倒れ
ていた男を屋敷に担ぎ込むことができました。
痩身長躯の主はインガルスだと名乗り、ゲリーを驚かせませす。彼は妻マイラとともに
この場所に帰ってきたのだといいます。応接間で暖を取るマーティン夫妻に、階上の別室
に寝かされていた男の意識が回復し、ボート遊びの途中で嵐にあい遭難したらしい事がイ
ンガルスから語られます。彼はマシュー・マシューズと名乗ったといいます。嵐が益々強
まる中、インガルスはゲリー達をディナーに招待し、二人をほっとさせます。
その時、外の遠くで物音がしたかと思うと家中が停電しました。どうやら電信柱が嵐で
やられたようだ、という事で、カーターは蝋燭の準備を命じられます。不承不承従うカー
ター。ゲリーは、身なりは執事然としながら事あるごとに主人に反抗的な態度を示すカー
ターに不審の念を抱きます。
ほのかな蝋燭の光の中、「幽霊の件ですけど」というジルの不躾な問いに答える形で、
インガルスは告げます。「長い話ですので、ディナーの時にでも。さよう、この屋敷には
幽霊が出ます。ですが、別に危害を加えるものではないので、お気になさらぬよう。」
マーティン夫妻は、階上に案内されます。もう一組の滞在客であるレンバーク夫妻の隣
の部屋が二人にあてがわれた部屋でした。カーテンから寝具、カーペットに至るまでが紫
色で統一された部屋。ゲリーは卓上の鏡にわざわざカバーが施されている事を不思議に思
います。気がつくと部屋に鏡はそれしかないのです。
異変は、ジルがその鏡に向かい髪を整えている時に起りました。
ゲリーは足元を冷気が這うを感じます。凍り付いたように動きをとめたジルが覗き込む
鏡は、一切何も映していませんでした!漆黒の闇が鏡の向こうにあったのです。慌てたゲ
リーが鏡にカバーを掛けると冷気は去り、ジルの金縛りも解けます。ジルは震える声で
「何かが私にさわろうとしたわ」と告げます。
応接間に全員が集まった際、ジルは恐怖の体験をインガルスに訴えますが、インガルス
は取り合いませんでした。二人は改めてマシューズとレンバーク夫妻に紹介され、晩餐が
始まりました。
次の異変が起ったのは、食事が終わろうとする時。屋敷のどこかから、女性の悲鳴が聞
こえてきたのです。ぎょっとして動きをとめる一同。
「こんな晩には起きるんじゃないか、と思ってましたが」とインガルスはラウンジに皆
を誘い、コーヒーを手に彼の父母と屋敷にまつわる呪われた歴史を語り始めます。
祖父の始めた洋酒商を引き継ぎ仕事一筋の父。そして親子ほども年の離れた美しい妻。
悲劇は40年前の嵐の晩に起りました。妻の不倫の現場を目撃した父は、嵐の中に飛び出
し、再び現れることはなかったのです。やがてその父の気配が屋敷を覆い、インガルスの
母は写真や肖像画が絶えず彼女を追っているという妄想にとりつかれます。愛人にも見放
され美しさを失っていく母。そしてやはり嵐の夜、屋敷に彼女の悲鳴が響き、かけつけた
者は「鏡」の前で死んでいる彼女を発見します。その後インガルスは叔母に引き取られ海
外に移り住む事になった、それが事の顛末でした。しかも、インガルスは、当時、父母が
悪魔に魂を売っていた、という噂を伝え、それがためか、このような嵐の晩には悲鳴だけ
ではなく、地の底から湧きあがる「悪魔の笑い声」が屋敷に響くのだ、と告げます。
その母の部屋こそ自分たちのあてがわれた「紫と灰色の間」だった事を聞いたジルは震
えあがり、部屋を換えて欲しいと頼みます。抵抗するインガルスでしたが、レンバーク夫
人の一言で、更に廊下を下った一室があてがわれる事となりました。
場を盛り上げようと、マイラはピアノを弾き始めます。素晴らしいクラシックの調べに
聞き惚れるゲリー。しかしその演奏自体が異変だったのです。巧すぎる演奏は、ジルの意
識を奪い、マイラ自身もトランス状態に追い込みます。
なんとか回復する二人を見て、こんどはマシューズがジャズを弾きますが、今度はその
夜二度目の「悲鳴」を機に、場はお開きとなります。
居室に戻ったマーティン夫妻をマシューズが尋ねてきます。彼はあれこれと二人に質問
した挙げ句に、ジルに「霊媒」としての才能があるのではないかと仄めかし辞去します。
ジルが浴室を使う間、今度はマシューズの部屋を尋ねたゲリーは、彼からカーターの不
審な行動や、「鏡」に対する扱いの奇妙さについて疑問を投げかけられます。マシューズ
はこの家に隠された秘密があると睨んでいるようです。
更に、失神騒ぎの際にハンカチを忘れた事に気がついたゲリーは階下に向かい、偶然、
インガルスとカーターらしい人物とのやり取りを立ち聞きしてしまいます。インガルスは
「事を台無しにしてみろ、絞め殺してやる」ともう一人の人物を叱責していました。
深夜、ゲリーはふと目がさめます。なぜ?と訝る彼は部屋に何物かが潜んでいる気配を
感じます。蝋燭の灯りが消え、あたりが漆黒の闇となる中、彼はマッチを擦ろうとします
が、それも何物かに阻まれます。マッチの火が消える直前、柔らかい灰色の固まりを部屋
の隅に認めたのが精一杯でした。やがて、部屋の扉が開いては閉じる音が聞こえ、ゲリー
は後を追って廊下に出ます。彼がマシューズを叩き起こすと、今度は自分の部屋からジル
の悲鳴が聞こえてきました。騒ぎを聞いて居室から現れるインガルスやレンバーク。ジル
の悲鳴は、夫がいない事に気がついた彼女のはやとちりでしたが、その時、今度は階下か
ら女性の悲鳴が聞こえます。浮き足立つ皆を嘲笑うかのように、予告された怪異が起りま
す。それは、地の底から家を揺るがすように響く<悪魔の哄笑>でした。
全員の無事を確認すべきだ、としてマシューズは階下の部屋にカーターの姿を探します。
しかし居室に彼の姿はありませんでした。
すわ、嵐の夜に現れた悪魔に攫われたか、と震え上がる皆の前に、雨にぐっしょり濡れ
たカーターが現れます。しかしほっとするのもつかの間、カーターは木橋が嵐で落ちてし
まったと一同に告げるのでした。
遂に物理的にも完全に孤立してしまった「幽霊屋敷」。その引き起こす怪異は、ジルを
霊媒にした<雨の午後の降霊会>で頂点に達します。
鏡の向こうで歪む顔。読唇術で告げられた警告。「灰色の部屋に、近づくな!」。
そして、死。

オカルト要素満点の作品ですが、オカルトを引っ張りすぎた分、死体が転がり出るまで
に話の3/4が費やされます。ここを我慢できるかどうかで、この作品の評価は大きく変
わるでしょう。そしてもう一つ大きな問題があります。この作品は、ある怪奇現象の合理
的な説明をしないままに終わっていまうのです。これは正直な所、初読時にかなりがっく
り来ました。それだけ期待が大きかったということなのでしょうが、他の怪異に手際良く
合理的解決をつけてきた功績もふっとぶぐらいの落胆でした。
ただレビューをまとめるために再読してみると、期待がない分、矢継ぎ早やに事件を繰
り出す作者の手並みなどを観察でき、それなりには面白かった事を再確認しました。あま
り期待せずにストーリーテイリングを楽しむべき小説なのかもしれません。

(初出:ROM106)


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