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2004年7月20日(火)

◆会議、会議、会議、シュレッダー、英会話の一日。英会話は10人のクラスなのだが、なんと3人のみの参加。得しちゃったなあ。
◆「名探偵モンク」は予定通りお休み。しくしく。Mr.Monk is in summer vacation.
「ああ、シャローナ。一体、いつまで休みなんだ?後21日?いや、もう1日経ったから20日?待てよ、休みっていうのは、どこから数えるんだ?あー、待ってくれよ、本当は、先週から数えなくちゃいけないんじゃないか?」
「う・る・さ・い!いい、モンク!あなたはずっーーーーと夏休みのようなものなのよ!!
って、ごめん、傷ついた?」
蜥蜴蜉蝣さんにて「創元推理文庫復刊フェア」遊びが始まる。一時期は、何が切れていて何が現役かをおぼろげながら把握できていたが、今では復刊されてから「へえ、これって切れてたんだ」と気がつく体たらく。勿論、昔っからの入手困難本ぐらいは頭に入っているが、それではお遊びにならず血を見る事になる。本物そっくりにインパクトの少ないフェアが組めるかどうかが勝負とみた。


◆「パドック夫妻のパリ見物」ドナルド・O・スチュワート(ハヤカワHM文庫)読了


2004年7月19日(月)

◆連日の休日出勤。小洒落た事を書く気力もない。

◆「横断」Dフランシス(ハヤカワミステリ文庫)読了
競馬シリーズ第27作は、フランシス版「鉄路のオベリスト」。名馬ごとカナダを横断しながら、各地の競馬場でレースを楽しみ、車中では俳優達がミステリ劇を繰り広げるという「企画列車」が舞台。これまでにも、様々な列車が推理小説や冒険小説の舞台になってきたが、その贅沢さにおいて、この物語の大陸横断競馬列車はNo1ではなかろうか?オリエント急行にもバルカン超特急にも馬は乗ってなかったもんなあ。また、主人公の設定も贅沢で、「親の遺産のおかげで一生食うには困らないが、自らを律するためにジョッキイ・クラブの保安部員をやっている」てな、こん畜生なあんちゃんなのである。
その主人公ケルジーの標的は、巧妙な恫喝と脅迫で競馬界の立役者にのしあがろうとする黒い紳士フィルマー。証人たちに圧力を加え無罪判決を勝ち得、良心的な老馬主を自殺に追込んだフィルマーの尻尾を掴むべく、ボーイに扮して潜入捜査を行うケルジー。カナダ人富豪の光と影、消える車両、美声の中継員、仕組まれる衝突、告発の車中劇、果して、大陸横断列車は大団円に辿り着けるのか?
なんとも様々な面白さの要素をぶち込んで、豪華な料理を作り上げたものだ。旅モノで、本格メタミスで、勿論、競馬が舞台で、変則的法廷もので、冒険小説で、恋愛小説で、家族の悲劇があって、主人公は富豪探偵。それでいてすっきりとした後口の作品にまとめあげるのだから、そのコーディネイト能力の高さには呆れるばかり。また、忘れがたい女性キャラクターも登場して、一瞬にして場を浚う。主人公同様、アドリブのようでありながら、したたかな計算が伺える快作であります。


2004年7月18日(日)

◆公私ともども多忙につき、本日は休日出勤。今週末までに「情報の棚卸し」とやらを完了せねばならないのだが、パソコン内の情報はともかく、紙ものの資料については殆ど手付かず。ならば不良資産をすべて捨ててしまえと、文字通りの書類と「格闘」なのである。どりゃああ。結局一日かけても、道半ば。どれぐらい道半ばというと、

国名シリーズならば、エジプト十字架

ペリー・メイスンシリーズならば、ためらう女

ペリー・ローダンシリーズならば、権力の果て

てなもんである。

そしてペリー・ローダンのように、気がつくと「道半ば」がまた先の方へと、、


◆「異説本能寺 信長殺すべし」岩崎省吾(講談社ノベルズ)読了
前作「ハムレットの殺人一首」に登場した俳優・多岐一太郎をフィーチャーしたベッド・ディテクティブの佳編。「時の娘」「成吉思汗の秘密」といった先達の作品に挑戦した作者の意気やよし。若造の新本格推理作家(当時)との格の違いをみせつけた作品である。
テーマは「本能寺の変」。信長を討った後の明智光秀の「らしからぬ行動」から、信長暗殺の教唆犯にして操りの真犯人がいたという仮説を立て、試行錯誤を繰り返す。容疑者と目されたのは、4人の関係者。羽柴秀吉、徳川家康、足利義昭、正親町天皇。いずれも動機と機会を持った戦国の覇者と敗者。推論と傍証、反証と立論、描かれざる歴史の裏舞台で躍る者の正体とは?
おそらくは、本能寺の変の「真相」については、百家争鳴、議論百出状態なのであろうが、その中の4大容疑者を綿密に検証した上で、独自の陰謀図を騙ってみせる作者のしたたかさが心憎い。時同じくして勃発していたもう一つの「事変」と、関係者の謎ともいえる作戦行動から、いかにもこの作者らしい「仮説」が明らかにされる。これは、出版当時読み漏らしていた事を素直に反省。昨今のミステリでいえば、QEDの最上作に迫る出来映えである。それぞれに「利家とまつ」の俳優を当てて読んでしまったのだが、織田信長像だけが、映像のそれと重ならなかった。そんな怪鳥音で笑う痩せ男だったんですかあ。


2004年7月17日(土)

◆朝から別宅で本の整理。本日は850冊処分。都合この一ヶ月で5200冊の本を売るなり、捨てるなりした勘定になる。ようやくメイン書庫の「床から平積み」本が消えた。平積み本の後ろに隠れていた香山滋だの、国枝四郎だの、久生十蘭だのといった全集ものの背表紙が拝めて、なかなか美しい。本棚としてあらまほしき状態に戻ったというべきか。だが喜んでばかりもいられない。まだ本棚18本に本が埋まっており、そこに納まりきらない本が納戸をみっしりと埋め尽くしているのだ。闘いはこれからだ。
どれくらいこれからかというと、

銀河英雄伝説でいえば、アムリッツア会戦

機動戦士ガンダムでいえば、ガルマ散る

宇宙戦艦ヤマトでいえば、反射衛星砲戦あたりである。

くそお、まだ太陽系も出ていなかったのかあ。

◆よろよろと帰宅すると、東京創元社からピストルマークピンバッジが到着。これで4つ目。気がつけば、帆船マークの応募締切まで残すところ三週間である。恒例の「一番ピストルマークに相応しい」作品を考察する。
初めの1冊としてロス・マクの「凶悪の浜」、作者と訳者と役者も有名なチャンドラーの「大いなる眠り」、題名に「拳銃」が織り込まれたグルーバーの「コルト拳銃の謎」、警察もの代表でマッギヴァーンの「最悪のとき」といったあたりが有力候補。
だが、個人的には拳銃マークといえばハドリー・チェイスなのである。結構、猫マークの作品も多いのだが、創元の拳銃といえば、どうしてもチェイスがアタマに浮かんでしまうのだ。
ロス・マクならば「さむけ」、チャンドラーならば「長いお別れ」と代表作は別にあるし、グルーバーの「コルト拳銃」は、別叢書での「海軍拳銃」としての刷り込みが強い。マッギヴァーンは創元の作家であると同時に、ハヤカワにも代表作が多い。が、ハドリー・チェイスは、ポケミスへの収録が皆無というわけではないものの、公平に見て(猫マークのアルレー並みに)創元専属作家感が強い。残念ながら題名に「銃」がついた邦題はない。原題も同様。が、ここで視点を替えて映画化作品をみてみよう。おお、1956年に「拳銃の報酬」という作品があるぞ。その原作は、とみると「I'll Get You For This」。うーん、残念、こいつは創元に入っていない。こんな風にぴんとこないのも、実はハドリー・チェイスを一冊も読んでないからなんだよな。群がる積読に網をかけて、チェイスを俺のポケットに、危険なタイトルをかたづけようか?チェイスの追っかけ、未解決。
◆「地球大進化」第4集を視聴。哺乳類の誕生に至る天変地異の凄まじさに唸る。それはともかく、案内役の山崎努に「骨外し」の音をさせていたりするんだもんなあ。「地球カレンダー」といい、この作品のプロデューサーは絶対、同世代に違いない。


◆「パズラー」西澤保彦(集英社)読了
天衣無縫の新本格作家が、作家十周年を記念して、師と仰ぐ都筑道夫に捧げた自称「謎と論理のエンタテイメント」集。どうも、この作者の描く世界観、小説観が水に合わず、長編1、中編1というのが、これまでの読書歴。ロジックはともかく、読み物としての後味が極めて悪いのである。喩えていえば、ホールのケーキを、手でばらばらに千切って「ほら、味は変わらないでしょ」と茶碗に盛られて饗された不快感とでもいうか。この作者が都筑道夫を信奉していたというのが何よりのサプライズであった。
まあ、悪口はこれくらいにして、この作品集、既読の一編以外は、なかなか楽しめた。特に三角形の第四辺的設定の「退職刑事」のパスティーシュは完璧で、ブラインドテストされれば、まず作者を当てられこないであろう。「都筑もどき」のラインナップを見直さなければならないと反省した。
だが、逆にパズラーの文法に則っていると思えるのは、この作品のみ。他は、いかにも曲者の作者らしい変化球が居並ぶ。以下、ミニコメ。
今は中堅の推理作家となった主人公の記憶のズレ、死んだ筈の同級生、読んだ筈の「出世譚」、鮮やかな蓮華の海に沈む詭計、「パズラー」というよりもメタな仕掛け話。作者の姿がかぶる分、感動も大きい「蓮華の花」
商業主義に堕したかつての名門私立大で起きた日本人留学生殺し。愛憎と偏見が交錯する夜に、論理は良心を告発する。これも作者の実体験を元にしたと思しきアングロアメリカンなフーダニット。卵の殻という小道具を巡る推論の連打が見ものだが、やや荒っぽいところがアメリカンかもしれない「卵が割れた後で」
幼い日の記憶が、一冊の古い創元推理文庫から甦るとき、母の面影は兇器となって書架に立つ。二人で探偵を、幾人で犯人を。一種のプロバビリティーの犯罪を描いた「時計じかけの小鳥」。小鳥は子取りでもある。
美しき窮鼠は、不良学生の首を刎ねる。あの世から誘う「声」は、天使の復讐の序曲。オカルティックで、暴力的で、血塗れで、トリッキーな「チープ・トリック」。大掛かりな舞台設定と鮮やかな人間消失がマッチした快作である。復讐譚である分、後味が珍しく良い。
自分が、100%の目撃者になった時、美しき学友のアリバイに悪意が覗く。二者択一の地獄を描いた学園もの「アリバイ・アンビバレンス」。この不快感はこの作者ならではのもの。語り手の境遇は奇矯だが、興味深い。


2004年7月16日(金)

◆名古屋の外れ、春日井まで日帰り出張。「駅前に何もない街ですねえ」と、あちらの住人に失礼な感想を述べたところ、「ピンサロの数は凄いですよお」と自慢されてしまった。春日井市の人、ごめんなさい。
◆帰宅すると、講談社から豆本が到着していた。
「小袖の手」京極夏彦(講談社:豆本・函)
ハードカバー装「魍魎の函」の購入特典。既に、一連の京極本(初版・帯)すら売り払ってしまった身の上としては忸怩たるものがある。まあ、これは嵩張らないからいいっすかね?


◆「黄金」Dフランシス(ハヤカワミステリ文庫)読了
競馬シリーズ第26作(で、合ってる?)。文庫本にして500頁近い大作。というか、このあたりを過ぎるころから競馬シリーズも重厚長大化が進んできた模様である。正直なところ、一日の通勤時間で読切れる分量ではなくなってきた。というわけで、2日掛かりで読了。では、面白くないかというと、どっこい、これまでのシリーズの中でも、最も趣味に合った作品かもしれない。
主人公はアマチュア騎手イアン・ペンブロック。彼の父マルカムは、現代のマイダス王にして、飽きっぽい艶福家。だが、彼の平和は5人目の妻にして財産目当てのコケット、モイラが豪奢な館で何者かに殺害された時に終わる。なんと引き続きマルカム自身までが命を狙われたのだ。マルカムの疑惑は、家族に向けられる。生存する3人の元妻、イアンとその腹違いの弟にして障害者であるロビンを除く6人の子供、そしてその連れ合いたち。喧嘩別れして3年、イアンは父の居丈高な懇願を受け入れ、家族たちの中に真犯人を追う。それぞれに逼迫した兄弟姉妹、憎悪を再生産する別れた妻達、襲い掛かる自動車、殺意へのゼロ時間を刻む思い出の時計、富める者と貧しい者の狭間で静かに醸成された狂気の正体とは?
なんとも絵に描いたような富豪一家の殺人。古典的本格推理の道具立てそのものの世界があの競馬シリーズに登場。家族と因縁ある私立探偵や、忠実な庭師などという脇役も含めて、実に「懐ミス」にして「英国風の殺人」な設定である。競馬を巡るエピソードもそれなりに楽しいが、余りにも金の使いっぷりが良かったり、運が良すぎたりするため、いつものストイックなフランシス節を期待すると「おやまあ」であろう。ただ多すぎる容疑者の中から、心理的な手法で犯人を特定し、追いつめていく過程は、実に黄金期本格の香が漂う快作。これだけのキャラクターを出しながら、きちんと性格を書き分けるフランシスの地力に改めて敬礼。


◆「首吊りの庭」イアン・ランキン(ポケミス)読了
新幹線の行き帰りで読了したのはランキンの第9作。CWA受賞の「黒と青」に続く作品である。この作品も受賞作同様、複数のプロットでダークなスコットランドアンダーワールドを活写する。
麻薬と女と賭博、エジンバラの夜を支配する新興ギャング、トミーの元から逃げ出したスラブの女・キャンディス。ひょんなことから彼女の信頼を得てしまったリーバスは、それを切っ掛けとして、同僚と家族と友人に大いなる災厄を引き込んでしまう。戦争犯罪人の疑惑を掛けられた老インテリの調査という本業を脇において、新旧ギャング達の抗争の真っ只中に嘴を突っ込んだ挙句、キャンディスは誘拐され、娘のサリーは轢き逃げに遇い人事不省の重傷、自分は殺人容疑まで背負い込んでしまう疫病神ぶり。歴史の闇と現代の闇。心の病気と社会の病理。戦争の悲惨と平和の糜爛。利権と偽善が策謀を呼び、仁侠は欺瞞に復讐する。裁くのはリーバス。そしてリーバスを責めるのは、ただリーバス。
ギャングのシノギの手口と抗争だけでも1冊分のプロットがあるところに加え、戦争犯罪人と政治的暗黒、娘サリーを巡る家族の葛藤といったサブ・プロットが複雑に絡まり合って、寒色系の絢爛さを誇るエンタテイメントに仕上がっている。東欧からの不正入国者に倶梨伽羅紋紋な日本人ヤクザまでが登場して、犯罪のウィンブルトン状況を彩る。カットバックで挿入される家族の肖像といい、前作でリーバスを「改宗」させた旧友との顛末といい、泣かせ所も満載。
以前、このシリーズを「非情のライセンス」呼ばわりしたのは性急すぎた。これからは「新宿鮫」呼ばわりしてやろう。


2004年7月15日(木)

◆ネットをふらふらしていて、拙著の酷評に遭遇。いちいち当たっているので、穴掘って頭だけでも隠したくなるオストリッチ症候群。次作の見込みも全くない身の上としては捲土重来という訳にもいかず、ここでベストを尽すのみですか。はい。精々精進します。
◆帰宅して、なぜかテレビ東京で放映されていた「新刑事コロンボ・完全犯罪の誤算」を視聴。本放送時に一度見たきりのエピソードだったので、新鮮に楽しめた。最後の決め手なんかすっかり忘れてるんだもんなあ。新旧シリーズ通算で最多犯人役者(4回)のパトリック・マクグハーンが監督まで務めており、コロンボとの丁々発止は、見所十分。中盤の血痕を巡る解釈なんかは、御見事の一言。遣り手の刑事弁護士という役どころに似合った展開であった。弁護士が犯人というのは、最初期の「死者の身代金」でもあったけれど、それと「野望の果て」風に選挙を組み合わせたところが一工夫といったところ。決め手の切れ味が今ひとつだったのが残念ではあるが、さすが犯人慣れした人の回は楽しめますのう。


2004年7月14日(水)

◆職場のラス・ボスの歓送迎会で中華料理を食す。参加20名の中で私が最若手。でもこの職場では上から二番目の古参だったりする。なんだかなあ。まともな中華料理屋なのだが、しっかり飲み放題コースが付いているらしく、ビール、ワイン、紹興酒をしたたかきこしめす。100ブックオフの会費のもとはとれたかな?
へべれけになって帰宅すると、本の雑誌社からゲラがファックスで届いていた。が、印字に失敗して、データもふっとばす。しくしく、アナログ・デバイドされてしまった。いいもんね、明日はPDFで送って貰うもんね。
◆bk1を覗いてみるとドゥーガル・ディクソンの「アフターマン」がダイヤモンド社から復刊されて、それなりに売れているらしい。科学的に正しい大法螺生き物絵巻き。こりゃあ、「新恐竜」と「マン・アフターマン」も復刊の日が近いのであろうか?
個人的には「新恐竜」とライアル・ワトソンの「水の惑星」が二大お気に入り「自然科学本」。ともに文庫本の活字に疲れた時に、ぼーっと眺めるのに適した大型本なのである。なんでも、ドゥーガル・ディクソン本の太田出版版は、品切れでそれなりの古書価格もついていたらしい。絶版・古書化というと、ミステリとSFにしか興味がいかなかったのだが、こういう絶滅現象は、すべての本で起きていたのであった。「新古本」というか「ブック・アフターブック」というか。


◆「鉤」DEウエストレイク(文春文庫)読了
「斧」が普通のサラリーマンのリストラ地獄をテーマにした倒叙推理だとすると、こちらは「売れるも地獄、売れぬも地獄」な作家商売の悲哀がテーマ。既に、高い評価を得ている作品なので今更ではあるが、これは「面白くなるべくして面白くなった」としか言い様がない作品。複数ペンネームを使いこなして、ヒット作を次々と世に送るウエストレイクに、これをやられてしまっては、新人作家の入り込む隙間なんぞありゃしねえ、と慨嘆するしかない。
才能が枯れた売れっ子作家が、旧友の売れない作家にゴーストライトを持ちかける。報酬は本の上がりの半分。但し、売れっ子作家の恐妻の殺害が条件。いやまあ、それだけの話であるのだが、お互いの暗鬼、葛藤、嫉妬、家族模様などなど、出版界の裏事情を挟みながら展開する殺人ドラマは、キャッチーにして底意地の悪い諧謔に満ちている。物語の収束のさせ方については、異論もあるだろうが、この刺激の少なさがまた、現実とのオーバーラップ感を醸すとも言える。なにせ、我々にとっては夢の世界だが、ウエストレイクにとっては、365日昼夜をおかぬ執筆も、アイデアの空回りも、女性ファンとの遭遇も、エージェントとの交渉も、出版パーティーも、離婚調停も、ごく普通の日常なのだから。ひょっとして殺人も、日常であるのかもしれない、と思わせたらウエストレイクの勝ち。
作家志望の人間がこれを読んだ時、どちらの作家に自分を重ねるのだろうか。いやいや、作中人物に自分を重ねているようでは、作家にゃあなれない、ってことですかな。うん。


2004年7月13日(火)

◆梅雨明け宣言。日中38度。38度線を挟んでソーラレイで灼かれる思い。
日中という字面をみて、日本ハム対中日戦だと思う人は少なかろう。が、仮に1リーグ制になったら、普通にこういうカードが組まれてしまうんだよなあ。
私は米朝という字面をみると、アメリカ対朝鮮民主主義人民共和国ではなくて「桂米朝」だと認識してしまう。「米朝、核をめぐり協議」とか出ると、「お、米朝師匠の新作落語か?」と思ってしまうのである。
「イランゆーとるがな、ウランもんはウランのや」
「んな、せっしょうな」
「わっせなーやがな」
べんべん。
思考の流れを描写してみました。>暑かったんだな、きっと。
◆英会話が講師急病で休講につき、お買い物モード。錦糸町で途中下車して赤チャンホンポで娘の水着を買ったり、くまざわ書店で絵本を買ったり。ついでに、新刊を安物買い。
「荊の城(上・下)」サラ・ウォルターズ(創元推理文庫:帯)
「鉤」DEウエストレイク(文春文庫)
◆帰宅して「名探偵モンク」をリアルタイム視聴。モンク、サーカスへ行くの一編。女たらしの司会者を衆人環視のもとで射殺した犯人は、軽業を使って現場から逃走した。容疑は「空中の女王」と異名をとる被害者の別れた妻に向けられる。が、彼女は4週間前に事故で足を粉砕骨折していたのであった。サーカスならではの不可能状況に挑むモンク。シャローナのトラウマを笑ったモンクが四苦八苦するくだりが哀れをさそう。ミステリとしては薄味。
そして、哀しいお知らせ。来週から3週にわたってモンクはお休み。なんと、韓国メロドラマの再放送に枠を明け渡すのである。これまで、韓国ドラマの時ならぬブームについては、無関心だったが、遂に実害を被ってしまった。メロドラマに涙して、モンクたらたら。


◆「密室」シューヴァル&バール(角川文庫)読了
マルティン・ベック=シリーズ第8作。組織犯罪を追う捜査陣とは別に、単身「密室殺人」の謎に挑むベック。いわば87分署の「殺意の楔」に相当する話。
始まりは、銀行強盗。女性客を装った一瞬の犯行。英雄たらんとした客の一人が射殺された時、ストックホルム首都警察を翻弄する強奪ゲームの幕は開く。どこまでも運の悪い調達屋が逮捕されたとき、捜査陣は犯罪の完全な青写真を手にいれた。アジトの急襲、鉄壁の警護、果してブルドーザーは宿敵の仮面を剥がすことができるのか?一方、15ヶ月ぶりに職場に復帰したベックは、リハビリ代わりに、孤独な老人の「自殺」を洗い直していた。内側から二重、三重に鍵のかかった密室の中で、銃弾を食らった死体は静かに腐乱していた。だが、その室内からは兇器が発見されなかった。絵に描いたような「密室殺人」を追うベックは、やがて宿命の女性に出会い、運命の神に笑われる。
本格のコードと、スタークばりのピカレスクのコードを警察小説の中に盛り込んだ快作。閉塞した社会やら、閉ざされた心を「密室」に喩えながら、それが開かれる過程を描こうとした作者の狙いは成功している。神の悪戯としかいいようのない皮肉な結末は、シリーズの中でも異彩を放つ。捜査陣の遭遇した不運のくだりはさながら「キーストン・コップ」のノリ。泥臭い笑いがまたカーなのかもしれない。密室講義まで出てくるサービス精神にも敬礼である。


2004年7月12日(月)

◆一晩中テレビを点けっぱなしで、参院選の結果をチェック。どうしてもマスコミは自民党敗北と書きたいらしい。公平に見て「共産党歴史的惨敗」「民主党躍進」「与野党の勢力分布変わらず」という事なのではないでしょうか?
よっぽど、元の自民党の総理やら初代自民党の総理の孫やらを擁する民主党が党勢拡大して、形ばかりの「二大政党制」に向っていることの方が怖くないですか?自民党も民主党も一緒やんと思えてしまうんですけど。


◆「百鬼徒然袋ー風」京極夏彦(講談社ノベルズ)読了
これまで「半田溶助」だと思っていた榎木津礼二郎が、今回は「にゃおんの恐怖」と化して暴れまわる痛快娯楽連作。ますますもって山上龍彦先生に漫画化して頂きたくなってしまった。


2004年7月11日(日)

◆風邪をこじらせ休養。投票以外は外に出ずじまいの一日。
◆夜は開票速報そっちのけ。WOWOWで「007/ダイ・アナザー・デイ」をリアルタイム視聴。
なるほど、これは北朝鮮が激怒したのもむべなるかな。人体改造やら、ソーラレイやら、透明アストンマーチンやら、荒唐無稽さでも、シリーズ1,2を争う話かも。「ゴールデン・アイ」の頃はボンドにしては線が細いように感じたピアース・ブロスナンも、随分と貫禄がついてきたものである。どうも自分の頭の中では、レミントン・スティールなんだよな、この人って。


◆「ドアの向う側」二階堂黎人(双葉社)読了
元アイドル(もどき)を母に、おたくな刑事を父に持つボクちゃん探偵<渋柿>シリーズ。第三集も、地口の題名にハードボイルド仕立ての本格推理という骨格には変わりなし。原典の作者がスラスラいえたらミステリマニアを自負していい。
「A型の女」ならぬ「B型の女」
鎌倉に向かう電車内で口論する若い男女、その青年が撲殺死体となって発見されたとき渋柿父子は鉄壁のアリバイに挑む。まずまずの奇想だが、天を動かすには至らない。まあ、捨てネタの使い方としては上出来。
「長く冷たい秋」ならぬ「長く冷たい冬」
雪の別荘地で続発するひき逃げ未遂、果たして真犯人の狙いとは?猟犬たちは周到な罠を張る。露骨な伏線に、もう一ひねりを期待していたら肩透かしにあった。クライマックスのカーチェイスはそれなりに迫力があってよろしい。
「柔らかな頬」ならぬ「かたい頬」
別荘地での少女失踪と不倫の輪舞、かつて子供だった証人は何をみたのか?本歌取りを意識したシリアスな前後編。ミステリとしての仕掛けは「可もなし不可もなし」だが、なんとも救いようのない話であり、因縁を笑って別荘を買い叩くキャラクターたちの無神経さに腹が立つ。
巻末作にして表題作の「ドルの向こう側」ならぬ「ドアの向こう側」
失踪したウサギを追って野を駆ける渋柿。ヒグマと鶏が欺くとき、恍惚の目撃者が犯罪を告発する。ウサギ消失も、人間消失も既視感に襲われる。特に後者はどこかに先例があるんじゃないかなあ。