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2004年7月10日(土)

◆朝一番でネット日記に復帰してみる。はーい、おじさんはここですよ〜>牧人さん、Moriwakiさん
◆別宅に向い、梱包に励む。今日は10箱分を詰めて、18箱1600冊強を発送。この1ヶ月で締めて4350冊の本を処分したことになる。久々に床の一部や、壁の一部が見えてきた。

…しかし、しかしである。
これでは精々、「書棚の外に溢れていた本」の5割程度が整理されたに過ぎないのである。
一体、この家に本は何冊あるのだーーーっ!!?

あっ、いえ、どうぞ教えないでください。
気が遠くなりますから、、

◆不動産屋から連絡あり。見込み客は、ローンの手当てが見えないので、買うとしてもまだ先になる、との報。うみゅう。
うーん、こりゃあ「本の整理の良い機会になった。」ぐらいに考えていた方が無難かもしれん。


◆「妻に捧げる犯罪」土屋隆夫(光文社カッパノベルズ)読了
「こんなものも読んでなかったのか」シリーズ。最近でこそ、土屋隆夫といえば光文社だったり、東京創元社だったりするが、我々の世代にとっては講談社文庫であり角川文庫であったのだ。で、それ以前となると、これはもう初出=絶版の世界。当時の本屋に並んでいるのは精々、双葉新書とこのカッパの書下ろしぐらいだったのである。近年濃密な関係にある光文社との(おそらく)切っ掛けとなったこの作品は、2段組が通常のカッパノベルズで掟破りの一段組240頁。原稿用紙にして400枚強のフランスミステリ・サイズ。中身もまあ、そんなものである。
主人公は女子短大の助教授である「わたし」。事故により勃起障害に悩むわたしが哀れな「寝取られ夫」である事に気が付いたのは、連れ込みホテルの火災現場で、妻と間男の焼死体を前にしたときだった。裏切られ、遺されたもう一組の男女の過ちが、新たな事件の種を宿す。その一方、孤独なわたしとって、人生の蜜の味は他人の不幸でしか得られなくなっていた。暗鬼を呼ぶ電話に紛れ込む殺人者たちの語らい。猟奇の徒が耽る危険な夜の推理。やがてそれは「妻」という名の虚妄に捧げる犯罪へと繋がっていく。
僅かな言葉から殺人計画とその実行者たちを推理していくだりに、作者の自負する「本格のDNA」が見受けられはするが、その快感を打ち消して余りある「ご都合主義」に満ち溢れた作品。梗概を書いてみると、如何に強引な設定であるかが一目瞭然。「妊娠をネタに認知をせまられる不能の寝取られ夫(形容矛盾ではない)」が「孤独な電話魔」でもあって、その人間が「偶然、完全犯罪計画に遭遇する」という、はっきり申し上げて荒唐無稽かつ御都合主義の権化のような倒叙推理である。ここまで、御都合主義ならば、徹底した「悪の勝利」を描いて欲しかった。これではハイスミスにはなれません。


2004年7月9日(金)

◆えー、御無沙汰しております。4月の職場移動で極端に多忙となり、サイトの更新まで手が回りませんでした。それまで「意地」で書いていた「読書感想」がなくても、単行本が成立してしまった事が、らくだの背をへし折る一本の藁だったのかもしれません。
潜航中も、御他所の掲示板に出没したりはしてましたが、感想文は一編も書かずじまい純粋に本を読むことに集中できて、それはそれで楽しゅうございました。
んでまあ、相変わらず職場は大忙しなんですが、とりあえず浮上してみました。

◆引き続き猛暑襲来ながらも、仕事が一段落で余裕の一日。本の雑誌の原稿も無事通った模様。殆ど定時退社して新刊書店でお買い物。
「探偵学入門」マイクル・Z・リューイン(ポケミス:帯)
「ドクトル・マブゼ」ノルベルト・ジャック(ポケミス:帯)
「百器徒然袋ー風」京極夏彦(講談社ノベルズ:帯)
リューインの初短篇集に、ポケミス名画座待望の怪人マブゼ博士で、今月も恒例の「ポケミス、コンプリート」宣言。2ヶ月で3冊の刊行ペースにつき、ちょうど私の定年あたりで2000番突破予定かあ。京極夏彦の新作は、薔薇十字探偵の第2中編集。まるっと御見通しな3編収録。これからは安心して阿部寛のイメージで読めます。わくわく。
◆食後に今週の名探偵モンクを視聴。悪徳資本家とその妻が何者かに射殺される。瀕死の夫が残したメッセージ「具はチリにエビ、15枚のピザ」は何を意味するのか?ホームラン記録更新に挑む大リーガーとモンクの友情が、卑しい犯人の企みを暴く。ホワイダニットに特化した一編。いかにもアメリカらしい動機だが、これはストットルマイヤーやディッシャーならずとも「嘘だろ?!」である。


◆「唾棄すべき男」ヴァール&シューヴァル(角川文庫)読了
マルティン・ベック・シリーズ第7作。スウェーデン映画「刑事マルティン・ベック」の原作でもある。惨劇の現場は、病院の一室。被害者は、入院中の現役警察官。兇器は、銃剣。暴力の倶風が過ぎた後には、ただ酸鼻を極める骸が転がり、辺りには血臭が立ち込めていた。その男、ニーマン主任警部は軍隊あがりの警察官僚にして冷徹なる「暴力装置」。思い込み捜査で、無辜の人々を蹂躪しながら、権力を楯に決して自らは傷つかない唾棄すべき男。果して、虐げられた人々の中から牙を向いた犯人の肖像とは?怒りと狂気の淵で、凶弾は雨あられと刑事たちを襲う。
シリーズの中でも、真犯人への共感故に痛さが募る一編。そして、クライマックスの銃撃戦の迫力もシリーズ1。マッドポリスか、ガントレット並みに銃弾が消費される。キャラ立ちした刑事達も、それぞれに見せ場を割り振られており、まずは、安心してプロットに身を委ねられる作品。個人的には金髪の巨漢グンヴァルト・ラーソンのタフネスぶりに一票かなあ。泣かせどころといい、見せどころといい、これは、映画に向いた話だわ。
ところで、角川文庫の初版では、折り返しの梗概で堂々と「シリーズ第6作」と謳われている。原作でも7作目、角川文庫としても7冊目なのに、一体どこをどう数えれば第6作になるのだろうか?この本の一番の謎である。


2004年7月8日(木)

◆記録的猛暑が続く中、神保町タッチ&ゴー。いやいや、まっ、この〜、はすた〜はすた〜ということで、何をゆーとるのか判りませんがあ、羊頭書房で1冊買い物。
「アスファルト・ジャングル」WRバーネット(雄鶏ポケットブック)
オンドリミステリ名画座の一編(大嘘)。
痛み本ということで、包んだビニル袋の封を切って検品させてくれた。基本動作がきちんとしているお店は気持ちがいいですのう。
◆プロ野球が一リーグ制になりそうな八百長試合の気配。

「パリー・グオーナーと貧者の牛」

「パリー・グオーナーと秘密の約束」

「パリー・グオーナーと明日がわからん衆人」

助けて、ライブルドア校長!

とりあえずパリー役には眼鏡の選手会長・古田を。ヴァルデモートには、勿論「あのお方」を。


◆「高く遠く空へ歌ううた」小路幸也(講談社)読了
メフィスト賞作家の第2作。それはまた別のカタカナの街の物語。なぜか、人の死体に行き当たってしまう星の下に生まれた少年「ギーガン」。死体たちはなにゆえに自殺というカードを選ぶのか?ポーカーフェイスの少年は些かヘヴィな宿命の中で、供養の角を曲り、犬笛を吹き鳴らす。見えないものが見え、聞こえない歌が聞こえる時、裏返しの因縁が鎮魂するのは誰?
第1作を読んでいない人間には何が何だかよく判らない世界である。一体、これはファンタジーなのであろうか?少なくともミステリの範疇で語られるべき話ではないような気がする。キャラクター造型は一定の水準をクリアしており、野球少年(少女)の日常と友情には、お約束ながらもほのぼのとさせられる。だが、完結した話と呼ぶには、余りに余白が大きすぎる。ファールゾーンの隅で試合が終わってしまった感がある。「のんのばあ」の如き鎌倉のばあちゃんといった魅力的なキャラクターを作っておきながら、本筋にかませないのも不満。ファンタジーとしても甘い。恩田陸はこんなものを絶賛している暇があったら、芝田勝茂や天沢退二郎を再読した方がよい。


2004年7月7日(水)

◆4時半起床。朝二番ののぞみで大阪へ。会議を片付けトンボ帰り。八重洲古書センターを冷やかしていたら、ばったり須川さんに出会う。
「やあ、あいかわらず古本を買ってるようで、安心しましたよ」
いや、だから、別に買ってるわけじゃなくって、みてるだけです、みてるだけ。
その後も、あれこれと立ち話。掲示板に書込みのあった智柊さんを、もっと引っ張り出せないか、などと注文を受ける。喋るだけ喋ると日影丈吉全集の最新刊を買いに、八重洲ブックセンターへと上がっていかれた。ほんの数分の事だったが、当方が冷めつつある推理小説への情熱を少し分けてもらう。
◆事務所に寄らず真っ直ぐ帰宅。図書館に借りていた本を返して、返す刀で新たに10冊借りてくる。娘のために絵本も3冊選んでみる。えらいぞ、とうちゃん。
◆本の雑誌に原稿を送稿。


◆「黒と青」イアン・ランキン(ポケミス)読了
CWA受賞作。十数年の時をおいて甦るリッパーの悪夢。そして、若き日のリーバスが巻き込まれた「違法捜査」疑惑。北海の石油採掘施設を巡る思惑とギャングの暗躍。重なる死体と輻輳するプロットの底で、真実を求める酔いどれ警部の闘いは、ブリティッシュ・ロックの調べに乗せて。
どうしてこんなに分厚いのかと思ったら、なるほど、少なくとも2作分のプロットが盛り込まれていたのか、と納得。リッパーと、石油利権の殺人と、冤罪疑惑はそれぞれに独立した作品としても書けたように思える。今回は新幹線の行き帰りで一気読みできたからいいようなものの、細切れに読むと誰が誰だったか判らなくなること必至。勿論、面白くなくはないが、ここまでして分厚くせんでも、というのが正直なところ。シリーズをアタマから読んでいる読者向けの記述も多く、隔靴掻痒感が募る。シリーズ第8作から紹介するご無体を自画自賛する解説には、「何、馬鹿な事、言ってんだ」と鉄拳制裁。


2004年7月6日(火)

◆早朝会議に小残業。明日の出張準備でカバンが重い。帰宅するとSRマンスリーが届いていた。今回の小特集は映画・テレビのミステリ。既に「越境するミステリ」でやり尽されてしまったネタなので、新たな発見はない。「SRの10冊」は、「タイムリミットもの」。冒険ものに弱いので、こちらは勉強になった。両特集をカバーする作品として「ドクター刑事クインシー」を思い出す。検死官を主人公にした推理ドラマの走りだったが、何故か毎回のように時間に追いまくられていた気がする。文字通り、死体の冷めないうちに、という感じだった。
◆名探偵モンクは積録。


◆「武器と女たち」レジナルド・ヒル(ポケミス)読了
主人公はパスコーの妻エリーと彼女を取り巻く女闘士たち。なにせ、副題が「イリアッド」ならぬ「エリアッド」である。推して知るべし。身分を偽った男女の訪問を受けたエリー。一旦は、撃退に成功するが、それは英国公安部門を揺るがす一大事件の幕開けに過ぎなかった。挿入される予言の書と、安全枕のオデュッセウス。捜査陣を翻弄するマネーの女虎。伝説のレジスタンス戦士、粗暴な武器商人、そして非情の公安エリート。自立する女たちの知的でフィジカルな闘いを描いて文学に迫る分厚いエンタテイメント。ダルジールたち男連中は、今回は引き立て役としか思えない役回りを押し付けられている。
冒頭から読者の鼻面を掴んで何処とも知れぬフィナーレまで引きずり回すヒルの力技に感服。これまでの殺人を主題としたダルジール・ミステリとは些か次元の異なった作品。現代ミステリの新たな方向性を示す作品とまで云うと褒めすぎかもしれないが、作中作である古典詩のパロディ作品も含めて、野卑と高潔の対比の鮮やかさに唸る。アマンダ・クロスのぎすぎすとしたフェミニズムの主張にひきかえヒルのそれは、なんと重厚な託宣であることよ。ありがたや、ありがたや。


2004年7月5日(月)

◆御茶ノ水で18時半に会議終了。通常であれば、15分だけでも古書店街を回るところだが、駿河台の坂を下りて、もう一度登ってくるガッツが湧かず、駅前の古書店を一軒だけ冷やかして帰宅する。誰も僕を責めたりできはしないさ。

◆「世紀末ロンドン・ラプソディ」水城嶺子(角川書店)読了
あの鈴木光司の「リング」やら、吉村達也の「ゴーストライター」を蹴落として第10回横溝正史賞を獲得したホームズ・パスティーシュ。
今回新発見されるのは数々の書かれざる作品の中でも一番人気の「自宅に傘を取りに戻ったきり消え失せたフィリモア氏」の物語。HGウエルズが繋ぐ、19世紀末の名探偵と、20世紀末の女子大生の奇縁。ディオゲネス倶楽部の真の目的が倫敦に陰謀を呼ぶ時、豪奢なる仮面舞踏会の果てで、犯罪王の弟子は虚空に消える。揺れる大地、揺れる想い、揺れる時空、悠久の時の流れを前に、ゲームはまだ始まったばかりだ。
いやはやなんともヌルいパスティーシュ。よくぞこのレベルの作品が賞まで獲って商業出版されたものである。通り一遍の薀蓄に、科学精神を笑うトンデモ設定、これならば、ホームズは火星人と闘っていた方がまだマトモかもしれない。聖典に対する批判精神の感じられない愛一本槍の作品でありながら、根本の部分で論理やら科学やら推理小説を小馬鹿にしているような気がしてならない。もし、作者の願望を写したかのようなバブルな女子大生に反感を抱かせるのが狙いであるのならば成功している。この作品に敗れて、鈴木光司はさぞや悔しかったにちがいない。


2004年7月4日(日)

◆午前中別宅で、昨日追加注文したダンボールを待ちながら「本の雑誌」の原稿書きに精を出す。題名は「古本血風録(落日編)」。少しオセンチな、わ・た・し。
◆帰宅して昼食を食べ終わるや、猛烈な睡魔と疲労に襲われ3時間ばかり昼寝。いつもならば15分も寝ればすっきりするのだが、さすがに疲労が蓄積している模様。夕方、不動産屋が来て、チラシの効果測定などについて報告を受ける。結局、内見に至ったのは昨日の人が一組だけとのこと。うーん、なにやら心細くなってきたぞ。
◆NHKの「ポアロとミス・マープル」を第1話をリアルタイム視聴。動かないアニメにげんなり。里見浩太郎のポアロははっきり言ってミス・キャスト。「私の灰色の脳細胞」なんて台詞は、コミカルに演じてこそ光ると思われ。連れ合いもさかんに熊倉一雄の声真似をしては「ねーねー、どうしてこういうのじゃないの?」と突っ込みを入れていた。但し、アニメ終了後のオマケ番組「クリスティー紀行」は良い。「さすがはNHK」という充実した絵作りに唸る。しまった!ここだけでもビデオに残しておくのだったと歯ぎしりする。39話分を編集すれば、立派な2時間のドキュメンタリーになるにちがいない。くそう。
◆そのあとも「新選組!」に録画してあった「地球大進化」とNHK三昧。受信料の元はとれていると思う。
◆思い付いたので書いておく。

新番組:プロジェクトX大進化「デイ・アフター・トモロヲ」



◆「ビッグゲーム」岡嶋二人(講談社ノベルズ)読了
データ管理野球で連覇を続けるチームが極度の不振に陥った。果してサインは如何にして盗まれたのか?そして、チームごと打撃不振に導く驚愕のトリックとは?カクテル光線の源から転落した男が撮った写真は何を物語るのか?
架空リーグを舞台にした、近未来野球ミステリ。真正面からスポーツとしての野球に取り組んだ作品であり、同じ作者でも単なるサスペンスどまりの「殺人!ザ・東京ドーム」などに比べて好感が持てる。サインを盗んで、打者に伝えるトリックは坂本光一の焼き直しだが、打撃不振トリックや、犯人の動機などは野球好きを唸らせるだけのものがある。フェアプレイだと思わせるだけの技術に長けているとでもいうべきか。日本を代表する野球ミステリとして、「鈍い球音」などと並んで後世に伝えられるべき話であろう。


2004年7月3日(土)

◆朝から別宅で梱包地獄。前半は雑誌中心だったので、さくさく進んだが、後半は疲労も重なり青息吐息。19箱分を梱包し、12箱分を発送。そういえば、これって読んでなかったよなあ、と岡嶋二人をサルベージ。
◆発送した12箱分の伝票を書こうとした瞬間、携帯が鳴る。本日入った折り込みチラシを見て、内見したい人が現われたので、30分以内にその場を空けよ、との報。ドタバタとゴミ出しをしたり、洗い物をしたり、消臭スプレーを撒いたりして、別宅近くのファミレスに飛び込む。うーん、なにやら「作戦行動」みたいで楽しかったりして。後から聞くと、内見したのは出版関係の人らしく、家そっちのけで蔵書の方に見とれていたらしい。「この人は通ですねえ〜」と感心していた由。お客さん、お客さん、そちらは売り物じゃございませんぜ。


◆「タイトル・マッチ」岡嶋二人(角川ノベルズ)
「ひとさらいの岡嶋」の面目躍如たる一編。世界タイトルマッチに挑む若手ボクサーの甥が誘拐される。犯人の要求はただ一つ「ノックアウトで勝て」。はたして犯人の真の狙いとは?因縁、因習、因果への怒りを拳に載せて、カウントダウンのゴングは鳴り響く。
誘拐ミステリとしては、捻りが足りないが、スポーツサスペンスとしては面白く読めた。特に試合に至るまでの「隠し事」の描写やら、ゴングが鳴ってからの駆け引きなんぞ、実に作者のエンタテナーとしての才を感じさせる。キャラクターの書き分けも御見事。主役たる義兄弟がそれぞれに命を吹き込まれており、スポーツ小説(あるいは漫画)ファンにも面白く読めるのではなかろうか。ただ、終わってみれば、人殺しが余分という作品であり、少し推敲が足りないように感じたのは、「野生時代」一挙掲載の弊害か?


2004年7月2日(金)

◆賞与が出たのでシャンパンを買って帰る。育児疲れの連れ合いと乾杯。購入本0冊。

◆「爆発喧嘩社員」城戸禮(春陽文庫)読了
高度成長期を代表する明朗小説家が放つ、快男児企業小説。二人合わせて6千万円の契約金がつく六大学の名バッテリーが、悪党どもの企みを退け、女若社長を助ける痛快娯楽編。
いや、もう、ほんま、それだけの話なんです。どうやら、この作品に先立つエピソードがある模様だが、キャラ設定やらなにやら、万年共用なので、ここから読み始めてもなんら支障はない。善玉・悪玉の描き分けはステロタイプだが、間をとるように唐突に乱入するスカウトのおじさんがいい味を出しており、さすが一世を風靡した作家というのはそれなりに肌で作劇法を会得しているものだなあと感心させられた。春陽文庫の巻末目録によれば、このほかに「社員」と銘打たれた作品には「タックル社員」「三代目社員」「つむじ風社員」といったところがある模様。その中では「爆発喧嘩社員」が一番強そうではある。

城戸禮の「爆発喧嘩社員」が座右の書という女子大生がいたらどうしよう?

私がリクルーターなら一発「だいじょーび」だ。


2004年7月1日(木)

◆信じられないが今日から2004年も後半戦突入。仕事が変わって既に3ヶ月。相変わらずバタバタの便利屋の日々は続く。
◆帰宅すると洋古書が1冊とどいていた。
「SKELETON-IN-WAITING」PETER DICKINSON(PANTEON)
知っている人は知っている「キングとジョーカー」の続編。初版のカバー付きが家にいながらにして僅か3ドル足らずで入手できるのだから、世の中便利になったものである。たとえ送料が本代の倍かかっても、自分で探しに行くことを考えれば全然お得。昔は、東京泰文社などに足繁く通って僥倖を期待するしかなかったものが、1検索3クリックでおしまい。到着まで10日掛からなかった。ますます、翻訳書でしかミステリを語れない評論家は住みづらい時代になって参りました。


◆「夕陽を背にして立つ男」城戸禮(春陽文庫)読了
高度成長期を代表する通俗ハードボイルド作家が放つ、快男児ドンパチ小説。世間の吹き溜まりで肩寄せ合って暮す兄妹をワルの魔手から救い出し、抜く手も見せぬ拳銃捌き、顔役たちを手玉にとって、街から街へと悪党叩き。俺は、竜崎三四郎、夕陽を背にして立つ男だぜ。
「血の収穫」の末裔は、どこまでも日活渡り鳥。律義に宍戸錠が扮するべきサブキャラクターも用意されていて、これぞ通俗という御手本をみせてくれる。とにかく主役は、理不尽なまでに格好よく、腕っ節も充分、女にもてもて。ある時期の日本は、こういう小説を欲していたのであろう。基本的にはワンパターンの快男児を、登場させるごとに設定の方を少しずつ改変するという手法は、「強さのインフレ」を回避する手法としては実に有効である。同時代、手塚治虫や石森章太郎の嵌まった罠をせせら笑うように、快男児にルールは無用だぜ。