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2004年4月17日(土)

◆5時起き。なんとか感想を追いつかせて、3週間ぶりにアップしてみる。
◆午後から夜にかけて主夫業に精をだす。
字面だけだと誤解を招きそうだが、単に昼御飯を作って、晩御飯を作って、翌日用のカレーを作った、という甚だ色気のない状態である。購入本0冊。
◆ぼんやりと東京創元社の最新解説目録を眺めていたら、E・S・ガードナーがすっかり消えていることに気がついた。で、溯って2003年5月版を見たら、ここでも既に消えていた。しからばハヤカワではどんなものか?と2004年1月版の文庫解説目録を見たら、3冊だけ載っていた。すわ、ガードナー幻の作家化か、とネット検索してみると、どっこいbk1ではガードナー名義21冊(ジュビナイルを除く)、フェア名義9冊がヒットした。在庫があるのはポケミスばかり。文庫化されなかった作品が逆に現役で頑張っているわけだ。
「新規業種にエース社員を投入して参入したものの、回転の速さに敗れた結果、リストラを余儀なくされ、本社に残ったロートルでなんとか食いつないでいる老舗企業」ってなイメージがダブってしまった。因みにハヤカワ文庫で健在な3冊のうちに2冊が

「怒りっぽい女」と「おとなしい共同経営者」

だというのが笑える。撤退寸前の新規業種に取り残された総合職の怒りっぽいキャリア・ウーマンと昼行灯系のおじさんという取り合わせを想像してしまった。
更に、いえば、ハヤカワ文庫現役の3冊目は

「夢遊病者の姪」

である。昼寝しながらフロアをさまよう本社の専務の姪って感じでいかがでしょう?

うーん、外資系も大変そうだ。


2004年4月16日(金)

◆定点観測。安物買い。
「姿なき殺人」Gスコット(講談社文庫)
「スカーレット・レター」E・サリヴァン編(扶桑社文庫)
一部で話題のギリアン・スコットは、第1次世界大戦直後の物語。CWAの最優秀歴史ミステリー賞受賞作、って、そんな賞あったっけ?あ、エリス・ピーターズ賞のことか。ぐぐってみると、これまでの受賞作は、

2003 「The American boy」 Andrew Taylor
2002 「Fingersmith」 Sarah Waters(創元推理文庫近刊)
2001 「The Office Of The Dead」 Andrew Taylor
2000 「Absent Friends」 Gillian Linscott(「姿なき殺人」)
1999 「Two for the Lions」 Lindsey Davis(光文社文庫遠刊?)

なんですってさ。
で「歴史もの」の定義だが、1960年代までならOKみたいである。へえ〜。つまりなんですか、ホームズは勿論のこと、バークリーも、クロフツも、セイヤーズも、みーんな歴史ものなのね。50へえ〜。
で、二回受賞のアンドリュー・テイラーをぐぐってみると、おお「あぶない暗号」の人か。そんな面白い作品でもなかったなあ。ディヴィスの作品は、御存知ファルコものの第10作。このシリーズも既に16作まで出てるらしい。カドフェルを(数で)越える日も近いか?
EQMMの編集長だったエレノア・サリヴァンの不倫ミステリアンソロジーは、クイーンの聖典に敬意を表してか、原題は複数形である(ホーソンの「緋文字」は単数ね)。で、Eleanor Sullivanでぐぐってみたところ、最近、看護婦探偵ものの短篇集でデビューした同姓同名の女流作家がいらっしゃるようで、80へえ〜。
最初は「おお、ついに編集者にして実作者だったエレノア・サリヴァンの作品集が出たのか」と思ったら、どうも「TWICE DEAD 」なる作品の作者たるエレノア・サリヴァンさんは、カンザス看護大学の学長さんらしい。幾ら才女でも、EQMMの編集長と看護学校の先生は同時には出来ないよな。こんな事ってあるんですね。
◆ああ、本を買った日の日記は楽だなあ。>どこが?


◆「風の日にララバイ」樋口有介(徳間書店)読了
作者の第4長編。こんなものも読んでなかったのか?といわれそうだが、この作者についていえば、近作から徐々に過去に溯っている状態。で、この作品、一瞬既読か?と真剣に悩んだほどに、今年1月に読んだ「初恋よ、さよならのキスをしよう」と基本的なプロットがかぶる。別れた妻(華やかな自営業経営)の殺害を切っ掛けに、主人公の中年男が、その真相究明に精を出し、若い女性に纏わりつかれながら、ほろ苦い青春のつけを払う。異なるのは、主人公に15歳の娘(超美形)がいて、本業は発明家(ミミズ研究の著作あり:おお「ベイ・ドリーム」みたい)なところ。ネットで見掛ける作者評で最も目に付くのが「ワン・パターン!」であるが、なるほど、今回はほとほと、そのワンパターンぶりを満喫した。
どこか浮世離れした探偵チーム、恋の埋み火を抱えてながら、それでも飄々と軽口を交わし合う男女の姿はこの作者の原風景だ。この作品を娘の視点から語れば、一連の青春ものになり、この書のように親父の視点で描けば、一連の中年ものになる。「どこかで見たような」は、この作者にとっての褒め言葉なのであろう。
いや、まあ、この作品を書いた時点では、先々の同工異曲の作品はなかったわけで、別にこの作品の罪ではないのだが。


2004年4月15日(木)

◆朝、通勤途上の公園でこの月曜からチャリティー市が開催されていたことを知る。くそう、この一週間、真面目に働いてたもんなあ。全く気付かなかったよう。というわけで、帰りがけにリベンジ。無造作に雑本・端本の突っ込まれたダンボール箱をせっせと漁る。拾ったのはこんなところ。
d「影あるロンド」多岐川恭(講談社:裸本)
「ウルフ谷の兄弟」デーナ・ブルッキンズ(評論社)
「創元推理文庫解説目録 1987年1月版」(東京創元社)
ふっふっふ、この3冊で100円。なんといっても未所持だった「創元推理文庫解説目録」の87年1月版が嬉しいではないか。ダメモトで、寄ってみてよかった。
◆で、一駅途中下車して定点観測してみる。
d「風の日にララバイ」樋口有介(徳間書店)
「太陽がいっぱい」三羽省吾(新潮社)
d「海外ミステリ・ガイド」仁賀克雄(ソノラマ文庫海外シリーズ別巻:帯)
ああ、しまった!樋口有介は先日、文庫版を拾ったところではないかああ!「太陽がいっぱい」は別にハイスミスとは何の関係もない普通の青春小説。2002年の小説新潮長編賞受賞作。なんとなく元気がよさげないので拾ってみた。あとは、茗荷丸さんが、先日読了されて「kashiba流『キキメ』の定義に尽く合致する一冊」と「絶賛」された仁賀ガイドをダブリゲット。けけけけ。締めて、気分はプチ血風。


◆「量子館殺人事件」廣真希(暖流社)読了
というわけで、早速、帯に曰く「スチームパンク探偵小説」を読んでみた。
さりげなくカバーの折り返しに主要登場人物一覧が載っており、作者のミステリ心が窺い知れる。題名がまた良いではないか。気取ったイマドキのアニソンの如きメフィスト系新作の題名と比べれば、その潔さは一目瞭然。キャラの名をサビで連呼する戦隊ヒーローものの主題歌のような爽やかさである。「♪これは、この本は、事件、殺人、 りょーしかーん!」
更に冒頭には、ノーベル賞科学者朝永振一郎教授の言葉が引用されていたりする。

「不思議だと思うこと これが科学の芽です」

いいぞ、いいぞ。
これで、詰まらんかったら許さんぞ、と思って取り掛かったところ、

…面白いやん。

昭和9年、とある夏の日、日色探偵は一通の手紙を見るや歌川女史を置いて事務所を飛びでていく。そして、昭和9年、とある夏の日、物理学を志す研究者・近松は一路、S半島最南端の町、野晒市に向う車中にあった。最新鋭加速器を備えた折智研究所が彼の目的地。そこで急停車する列車。発見される轢断死体。だが、颯爽登場した名探偵の慧眼は、死体の首に残された痕から、その死が扼殺によるものであることを暴く。しかし、その死体の主が、よもや日色探偵の友人にして、折智博士の顧問弁護士である高杉のものであったとは!ようよう折智博士の住いにして研究所「量子館」に辿り着いた近松は、そこに幸せな一家の姿を見る。美しい夫人、艶やかな姉、清楚な妹、そして研究熱心な父。だが、癖のある研究者や、怪しい食客の存在は、その館に不吉の翳が迫っていることを告げていた。「裏田一郎」名で届けられた死の脅迫状、放火された主亡き弁護士事務所、そして遂に、量子館を舞台にした連続殺人事件の幕は切って落された。遠い背信の記憶、マスクの陰の相貌、血の呪いは愛を裏切り、凶弾は犠牲を求める。加速された憎悪の果てに、流転する殺意。ラプラスの魔、ここに降臨。
擬態語を多用する文体が、やや軽薄な印象を与えるところが玉に疵。が、これは実に端正な「探偵小説」である。このまんま、推理アドベンチャーゲームや、少年漫画の原作に使えるだけの中身はある。もう少し文体にこだわれば、メフィスト賞も狙えたであろう。乱歩の本格短篇と幻想短篇を止揚した、とまでいうと褒めすぎかもしれないが、読んでいて一番連想したのは、その辺りである。ただ、純粋な本格推理を楽しみたい向きには、敢えてお薦めしない。気に入った作品にケチをつけられたくないからである。だってなんだか、だってスチームパンクなんだもん。


2004年4月14日(水)

◆大阪日帰り出張。大阪駅と東京駅で定点観測。
「量子館殺人事件」廣真希(暖流社:帯)
「彼女たちの事情」新津きよみ(NHK出版:帯)
「量子館」は、ぽかぽかさんやMoriwakiさんが買っていたので、拾ってみる。
なんでも3月末の毎日新聞夕刊に巽孝之評が載っていたらしい。それはそれで凄い。昨日届いたSRマンスリーでは、「日本作品の10分の1が自費出版」という「愚痴」をこぼしておられる方がいたが、まあ、「死者の木霊」だって最初は自費出版だったわけで、そこからホンモノが出てくる分には間口は広く、垣根は低いにこしたことはない。この上、ネット上の創作までおいかけなくてはならなくなると、本当の意味で大変になるとは思うけどね。ところが、DHCから翻訳が出ているアメリカの年間ミステリ傑作選では、きちんと「ネット上で優れた作品があれば、是非推薦を」というようなことが謳われていたりするので、その点ではアメリカは先進国だねと感心していたりする。


◆「ハーヴァードの女探偵」アマンダ・クロス(三省堂)読了
ようよう本屋の店先から消えた三省堂のアマンダ・クロスの1冊を読んでみた。1冊だけ先行して訳出された講談社の「ジェイムズ・ジョイスの殺人」は、人気のレア・タイトルになって久しいが、三省堂から出た4作はまだまだ古書価がつくには至らない。同じく三省堂から4冊訳出→絶版→古書価高騰という流れを辿ったディー判事ものとの違いは、エンタテイメントとしての貫禄の差というべきか?これまでに2作読んでみて、いずれもその「ウーマン・リブ」的メッセージ性に辟易としたが、この第6作で、その主張は頂点を極めた感がある。そして、作者の筆鋒は最高学府の男性社会ぶりを糾弾し、ばっさりと袈裟がけに斬り下ろすのであった。
ハーバード大学初の女性英文学教授として招聘されたジャネット・マンデルバウムを襲った醜聞。それは、酔っ払った挙句に同性愛の噂のある既婚女性とバスルームで発見されるというものだった。ケイト・ファンスラーの元を訪れたジョーン・テレサという女性闘士は、醜聞を晴らせるのはジャネットと同窓で、見識があり、名探偵の誉れ高いケイトしかないと彼女を煽る。何かと顔が利く友人シルビアの力でハーバードに研究職を得たケイトは、ジャネットとの再会を果たすが、そこには、かつてのボーイフレンドにしてジャネットの別れた夫ムーンの姿があった。閉鎖的な男社会の論理に追いつめられるジャネット。不愉快な緊張感が極限に達した時、ハーバード大学初の女性英文学教授は、男子トイレから毒殺死体となって発見される。卑劣にして稚拙な陰謀。当然という名の無思慮。容疑者として拘留されたムーンを救うべく、象牙の塔を探索するケイトが辿りついた真相とは?
昨今の4F小説なんぞの隆盛を見ていると、隔世の感があるが、おそらくこの作品のメインテーマは、現実に今なお、どこの国のどの機関でも多かれ少なかれある話なのであろう。その意味において、この物語に謎はなかった。この解決しかなかろうと思った通りであった。ああ、つまらん推理小説を読んでしまった。どんなに男尊女卑との謗りを受けようと、ディー判事の方が面白いんだってば。


2004年4月13日(火)

◆神保町に100mまで近づきながらタッチ&ゴーにしくじる。ただ働く。購入本0冊。
◆帰宅するとSRマンスリーが届いていた。今回は2003年度のベスト選出号。
海外の1位は(自分でも高得点をつけておきながら)SRにしては意外な著名シリーズ作品。今年の干支に因んだのであろうか?国内の1位は、なんとなく予感があった。かのエコエコアザラクを放映中止に追込んだ事件を下敷きにした重厚作。どちらも有効得票数ギリギリでの受賞。幸いどちらも読んでいた。逆にいえば、仮に私が票を投じていなければ、どちらも投票数不足になったわけで、ふふふと不敵な笑みがこぼれてしまう。なるほど、「公明党」とはこんな気分なのか。
◆で、SR大賞の方にも、自分が投じたコメントが採用されていて、ちょっと嬉しい。ちなみに私が投じたSR大賞はこんなところ。

主演男優賞:ブラット・ファーラー(魔性の馬)
助演男優賞:オリー・ウィークス(でぶのオリーの原稿)
(いやまあ、「新人賞」でもよかったんだけど)
助演女優賞:オーガスタ・トレベック(天使の帰郷)
(この人は、もう一人のスカーレット・オハラだ)
題名賞:葉桜の季節に君を想うということ
(やはりこの題名はニクい)
シリーズ賞:マロリー・シリーズ(キャロル・オコンネル)
(「マロリー自身の事件」の決着を祝して)
新人賞:ウィリアム・ランディ(ボストン、沈黙の街)
カムバック賞:マイケル・ギルバート
(あくまでも「日本から見た」カムバックなんだけど)
企画賞:創元推理文庫整理マークピンバッジ
(これだけのために「ミステリーズ」買ってます)
努力賞:世界ミステリ作家事典 警察小説・サスペンス・ハードボイルド編
(インパクトは1作目に劣るが、努力は凄い)
テレビ映画賞:グルメ探偵ネロ・ウルフ(WOWOW)
(レトロな絵作りが何とも素敵)
復刊賞:アデスタを吹く風
(「ポケミス復刊アンケート2連覇!」という異形の偉業に)

このうち4つの賞が採用されていた。やったね。
こういう半分没になったネタのリサイクルが出来てしまうところが、ネットのいいところだよなあ。
◆リアルタイムで名探偵モンクの第3話を視聴。部屋から一歩も出ることができない激デブのフィクサーが容疑者。まるでネロ・ウルフを逆手にとったような設定に唸らされる。仕掛けは、あっさりしたもので、やや肩透し。とりあえずフェアなので良しとしますか。


◆「トミーノッカーズ(下)」スティーブン・キング(文春文庫)読了
いやはや、久しぶりに長い長いキング作品を読みきった。実は「IT」を途中で投げ出している身の上としては、これまでに読んだ最長のキング作品かもしれない。で、アイデア的には(登場人物の多さも含めて)「呪われた町」のSFバージョン。
主人公と目されるのは、女流ウェスタン小説家のボビと彼女の恩師にして心の友で反原発主義者の飲んだくれ詩人ガードナー。物語は、ヘイヴンという田舎町に臨むボビの私有林から始まる。老犬との散歩の途中、地面の小突起に足を取られるボビ。ふとした好奇心で、その突起の本体を掘り出そうしたことが、「進化」への第一歩となった。頭痛と出血、抜ける歯、そして天啓。酒に飲まれパトロンにも見放された詩人が、ブラックアウトの底でボビの声を聞いた時、通い会う思考の海の中で、避難港という名の街は既に変容を受け入れていた。ドンドンと遺伝子の扉を叩く超科学、巨大な舟は地中から目覚め、物理法則は悲鳴を上げる。ドンドンドンそこはアルテア4ですか?超能力をクレルんですか?
うーん、ホラーというよりは、大ボラー。空飛ぶ円盤にバリアに光線銃、自走する殺人自販機にワイヤードな生体コンピュータなどなど、B級SFのガジェットてんこ盛り。ボディスナッチャーにしろ、インベーダにしろ、見た目は地球人という侵略のセオリーなんか知らんもんね、とグロゲロパワー爆発の恐怖王大爆走。デッド・ゾーンやらファイアースターターやらITやらのくすぐりもあって、もうやりたい放題である。キング以外でこれが許されるのはクーンツぐらいか?SFおたくの本棚と子供の玩具箱をひっくり返して緑色のスライムをぶちまけたようなお話。よくもまあ、収拾がついたものである。


2004年4月12日(月)

◆働く。購入本0冊。

◆「トミーノッカーズ(上)」スティーブン・キング(文春文庫)読了
恐怖王シリーズ<富進化(上)>。いわば「呪われた町」のバリエーションなのだが、その語りの巧みさには磨きが掛かっている。第二部第2章が短篇「レベッカ・ポールソンのお告げ」として紹介されたときは、目隠しをして象を撫でる思いだったが、漸くその全貌が見え始め、スケールの大きさに唸る。なるほど、こんな大長編が「埋まって」いたのかあ。チープな「発明品」のイメージが薄ら寒い笑いを醸し、恐怖を加速していく。600頁読んで、「掴みはOK」とでも申しましょうか。


2004年4月11日(日)

◆二日酔で午前中憤死。午後からは、連れ合いが久しぶりに旧友と出会うというので、4時間ばかり娘の面倒を見る。うわあ、これは何もできん。世の専業主婦の皆さんが育児ノイローゼになる理由の一端を垣間見た思い。
◆夜は、「火の鳥」「新選組!」をリアルタイムで流し見した後に、積録の「名探偵モンク」第2話を視聴。モンク版「権力の墓穴」。
で、このシリーズって倒叙なの?と驚く。超能力者のキャラクターが良い味をだしておりました。まずは及第点。いやあ、阪神が昼間の試合で負けていてくれるとスポーツニュースのはしごをしないで済むのでいいなあ。>負け惜しみ


◆「塔の断章」乾くるみ(講談社文庫)読了
新橋駅前の某書店では、2階に向う階段の壁に本書を薦める手書ポスターが貼ってあって「当店でしか読めません」などという不当顧客誘因な文字が躍っている。誰かからクレームがついたのか、最近、その手書ポスターに「他所ではあまりおいていないので」という注釈が加わった。うーん、これは作者としては、喜んでいいのやら、哀しんでいいのやら、悩む処だよなあ。とりあえず、ここで告げ口しておこう。
塔から転落する女。それが物語の幕開けだった。大資本によってファンタジー作品のゲーム化企画が進む中、その資本の中枢に連なる女性イラストレータが命を奪われる。その胎内に宿した小さな命とともに。遺された兄は、男女二名の探索者を指名し、ホームズとワトソンのロールプレイングはロードされる。カットバックの煌きが照らす人生の瞬間。その主を求め、螺旋をさ迷う読者が辿り着く答の真実と当の犯人。読者よ、すべての仕掛けは明かされた。
恥かしながら、作者のミステリは初めて読んだ。なるほど、こういう作風であったか。相当にすれっからしの読者を想定して、「ここを楽しんで欲しい」という一点豪華主義故に、必ずしも万人から評価を受けられる作風ではない。リーダビリティーは高いが、キャラクターへの感情移入が許されず、何か、シノプシスを読まされた感が漂う。いやまあ、ある意味「シノプシスみたい」という感想は、作者の狙い通りという噂もあるので、喜んでいいのやら、哀しんでいいのやら。


◆「怪人摩天郎」飯野文彦(ソノラマ文庫)読了
石森章太郎原作の「おもいっきり探偵団 覇悪怒組」のノベライズ(なのか?)。ソノラマ文庫には何の注釈もないし、そもそも、「覇悪怒組」を一話も見た事のない人間にとっては、収録各エピソードのオリジナリティーを判別しかねる。凡そ、石森章太郎の漫画が苦手であり、ロボコン系の年少さん向け特撮も苦手な人間にとって、この辺りは鬼門なのである。石森章太郎の探偵といえば「探偵ドウ一族」にしても「多羅尾伴内」にしても変装が売りで、「変身!」で一世を風靡した作者らしいといえばらしいところ(なのか?)で、この作品の主人公・怪人摩天郎は、清く正しく少年探偵たちを導く異形の怪人二十面相なのであった。
このノベライズ(なのか?)は、少年探偵たちの年齢を大幅に上げて、主人公カルテットを私立玉夢址学園高等学校のミステリー研究会会員に設定。その研究会の同人誌「殺人日和」第2号&終刊号に掲載された乱歩もどき作品の登場人物・摩天郎が、現実界に現われては、銀座を白馬で疾駆し、大鎌で断罪を加え、時空を操り、巨大な暗号を仕掛けてくる。まあ、最後の暗号なんぞは悪くないのだが、やはり二十面相は明智小五郎あっての二十面相なのである、と痛感してしまった。どうも、原作の悪いんだか、善いんだかよく分からない摩天郎のイメージを引き摺ったままで、うやむやのうちに終わってしまた作品という印象を拭いきれない。早稲ミス出身作家だけあって、ミス研の「らしさ」や、ちょっとした仕掛けには見るべきところもあるのだが、「子供だまし」を「子供だまし」として成功させるには至らなかった。石森とつけばなんでも買う人、江戸川乱歩をパロディも含めて追いかける求道者が買っておけばよい作品であろう。