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2004年3月10日(水)

◆そろそろ、レンタルウエッブの容量が限度(=12M)に近いのではないか、とHi−hoの画面に入り込んでチェックすると、11.98M使っていた。ううう、また掲示板のログを移設しないといけないのかあ、と思ったらなんと、注意書きに「50Mを越えた場合は不要な情報を削除してください。」とあるではないか。
「へ?10Mじゃないの?」一体何が起きたのかと、レンタルウエッブの情報ページに飛ぶと、ぱんぱかぱーん、3月1日から、従来10Mだったウエッブの個人向け無料レンタル容量が、50Mまで拡大したとのこと。やったぜ、山本社長(仮名)!!ハイホー、ハイホー、It’s off to work we go♪
これまで、このサイトの情報量は猟奇蔵分と合わせて25M、なんだ楽々収納可能じゃないの!!
これまでちまちまと1M=500円/月で増設していたのが嘘みたいだ。
うほほーーい。これで益々書き放題、しまい放題だわ。おまけに月々2メガ分で1000円余分に払っていたのも解消。10ブックオフ節約っ!

リアルの書庫の容積も知らない間に5倍に膨れないものか(>母ちゃん、ごめんちゃい)。


◆「死にぎわの台詞」レジナルド・ヒル(ポケミス)読了
ダルジール&パスコー・シリーズ第8作。老人問題に正面から取り組んだ社会派本格推理。それでいて文学の香に満ち、ミステリとしての趣向にうならされるのだから、イギリス人作家って凄い。


2004年3月9日(火)

◆創元のピンバッジ欲しさに600円分の切手を発送。今回は時計マーク。「法廷、倒叙、その他」に割り振られたマークである。しかし「何故、時計が法廷・倒叙・その他なのか?」と改めて問われると答えに窮してしまう。そのまんまなSFマークはともかくとして、ハテナおじさん、黒猫、ピストル、帆船、も、まあなんとなく判らないではない。が、時計はよく分からん。「時間との闘い」ちゅうならサスペンスだよなあ、と小一時間。審理は時の娘?心理は時の娘?うーん、「天秤」とかの方がピンときたかもね。
で、もっとも時計マークに相応しい作品は何かといわれれば、これはもうバークリーの「トライアル・アンド・エラー」で決まりだと思うのだが、いかが?倒叙で、法廷で、その他、としか言い様がない作品、っちゅうこって。
◆神保町タッチ&ゴー。特に何もございません。
◆拙作の書影はこんなだそうです。23日に取次ぎ搬入だそうです。


◆「甦った女」レジナルド・ヒル(ポケミス)読了
ダルジール&パスコー・シリーズ第12作。CWAに輝く「骨と沈黙」の次の作品。このシリーズはつまみ食いしかしていないので、昨年訳出された「」に挑戦すべく、読み残しを潰していこうと一念発起する。まあ、幻の森を無事抜けたとしても、ベウラの五合目あたりで遭難するかもしれないんだけどさ、
ミステリの世界には「名探偵ニューヨークへ行く」というお約束のシチュエーションがあって、HMはホームランをかっとばし、メグレは本場のギャング見て感心してりする。で、この物語では、我等がふとっちょアンディ・ダルジールは堂々大西洋を一跨ぎにしてアメリカの心臓部に土足で踏み込むやマスコミから大喝采を浴びる。もう、このくだりだけで、このミステリを許したくなるのだが、どっこいこの作品の趣向はそれだけではない。「名探偵自身の事件」であり、「黄金時代のお館ミステリ」であり、「過去の殺人」なのである。
1963年、ヨークシャーの邸宅「ミックルドア・ホール」で、多情な外交官夫人が死ぬ。自殺と思われた事件は、タランティア警部の出馬で、醜い情痴殺人であることが暴かれ、館の主であるミックルドア准男爵と外交官一家の乳母シシリーが逮捕される。その、27年後、終身刑に服していたシシリーは一転して供述を翻し、冤罪を主張。メディアを味方につけた彼女は釈放され、事件の再調査が始まった。再調査の陣頭指揮をとるのは、規則の鬼・ヒラー副署長。そして、ダルジールも亡き「師」タランティア警部の名誉を護るために、彼自身のキャリアの幕開けを告げた事件の封印を解く。貴族ゆえの義務、流された血、隠された動機、甦った女は死神を呼び覚まし、思慕は時を超え、巨漢は海を亘る。
恩師のためにフットワークよろしく真相に迫るダルジールの格好いいこと。この作品でのダルジールは普段にもましてヒーローである。ミステリのお約束を重層的に織り込みながら、本格推理小説ファンを鮮やかに引っ掛ける快作。この真相、この動機には参った。なんとも高貴なる殺人である。イギリスはどこまでもイギリスであり、アメリカはどこまでもアメリカである。その対照の妙を各章の冒頭に引かれた「二都物語」が輝かす。この教養の分厚さは探偵の脂肪層に比例する。


2004年3月8日(月)

◆八重洲をチェックするが買い物は何もなし。コンビニで切手を買って、創元推理文庫整理マークピンバッジの応募に備える。締切まで後二日である、と個人的備忘録。
◆最近のブックオフでは、やたらと上戸彩版の「エースをねらえ!」が鳴り響いており、朝からふとした拍子に「♪だれでもひとり、ひとりきり」などと口ずさんでしまう。
で、連れ合いと、「砂の器」「白い巨塔」「エースをねらえ!」「奥さまは魔女」と最近のテレビはリバイバルばかりだねえ、てな話になる。で、次に何がくるかを予想してみたところ、
やはりここは「サインはV」ではないだろうか!ダンダン!
ワイヤーアクションを多用してのX攻撃とか見てみたいではないか!ダンダン!
と盛り上がってしまう。
あと、漫画の実写版として題名が上がったのが「パタリロ」。
まあ、実写は不可能だとも思うが、怖いものみたさで見てみたい。
バンコラン役はGacktでどうよ?


◆「ドロシーとアガサ」ゲイロード・ラーセン(光文社文庫)
10年前にEQに分載されてそれっきりだったキワモノ本格。実在の探偵作家をミステリの世界で競演させるというのは、今に始まったことではないが、ここまでの大物の競演となると他に類をみない大胆な試みといってよかろう。連載時には、どうせ話題性のみの作品と決め付けて積読送りだったが、奇跡的に文庫化されたのを機会に読んでみたところ、これが意外に悪くない。若竹解説でビブリオ面での瑕疵の指摘があったが、まあ、これはこれで楽しめる。尤も、名探偵アガサが、犯人の正体に気づく切っ掛けがビブリオネタなので「あ、また、この作者、間違えてやんの」と思いこそすれ、まさがそれが手掛かりであろうとは神ならぬ身の知るよしもHIBK。結果としてアンフェアって奴ですか。
ミステリの女王、ドロシー・セイヤーズことミセス・フレミングは自宅の書斎で、見知らぬ男の死体に遭遇してしまう。凶器は現場に残された拳銃。タイプライターに残された文書は、覚悟の自殺を思わせるものの、その内容はどこかちぐはぐであった。果たして、男の正体は?そしてその死は自殺なのか、他殺なのか?お節介にも推理自慢のディテクションクラブの面々は、もう一人のミステリの女王を担ぎ上げて、事件の探索に乗り出した。対峙する智と情のクイーンたち。白い羽が男たちを見舞う時、塹壕の記憶が甦る。
ドロシー・セイヤーズの著作が当たり前のように本屋の店先に並ぶ今なればこその作品。一昨年の「学寮祭の夜」の新訳を以て、ようやくわが国のセイヤーズ事情は欧米のそれに肩を並べた。これまで様々な形で語られてきたクリスティーよりも、才気走ったシングル・マザーとして時代を抜けたセイヤーズの内面がよく書けているように思えた。時代設定が、1937年という、クリスティーの油が乗り切り、セイヤーズのミステリ作家としてのキャリアが終わるタイミングというのもいい。黄金期のイギリスミステリが好きな人は読んで損はなかろう。ところで、この作者、若竹解説でも全くといっていいほど記述がなく、小山正という外付けデータベースが機能しなかったのか?と思ったら、確かにネットで探ってもこの作品の作者であるというのが、一番の「評価」であるらしく、周辺情報に乏しい。チャンドラーをフィーチャーした作品はあるらしいのだが、ここは一番、本格マニアの秘孔を正しくついて「ジョンとエラリーたち」とかも書いてもらえないものか?あと、分載から文庫化の間に翻訳が出た「箱の中の書類」は訳題に改めておいてほしかったところである。と、重箱の隅の老人してみる。


2004年3月7日(日)

◆朝から遠隔書庫によって書影用の本を発送。久しぶりにのんびりと蔵書を手にとって眺めていると、あっという間に2時間が経っていた。途中で一度「本雪崩」(「書籍流」?)に遇ったりもしたのだが、結局蔵書の醍醐味ってのは、このボンヤリした時間にこそあるような気がした。その後、3店舗ばかり定点観測。坊主を引く。
◆Moriwakiさんから公開質問状(?)に対して公開でご返信戴く。わざわざ、ロートルの世迷いごとにお付合い戴いてありがとうございます。「有栖川は、クイーンのような『特殊な状況下においてのみ通用する特殊な論理』のミステリを書こうとしている作家」という評言は目ウロコでした。恒常的にクイーンを再読されているMoriwakiさんならではのご指摘でありましょう。プロットを組み立てるダネイの才能はあっても、物語に仕立て上げるリーの才能には欠けているってことなんでしょうかね?


◆「斧」DEウェストレイク(文春文庫)読了
私にしては珍しく新刊で買ってあった話題の作品。ふと気がつくと翻訳されてからもう3年も経ってしまってるではないか。新刊老い易く、読成り難し。
「IT基本計画」だの「e−Japan戦略」だの国を挙げてのリストラ計画のもとで、ホワイトカラーの首が刎ね飛ばされている姿を目の当たりにするにつけ、「IT」を「いっと」と読んで笑われた前首相の脳裏には、実は邪悪な道化師が跳梁していたのかもしれないと思ってみたりもする今日この頃。
で、日本に先駆けてこの社会的手順を踏んだのがアメリカ。ただ、彼の国が凄いと思うのは、再就職プログラムを教育する側に回って一儲けする人間がいるという所である。トフィラーの顰に倣えば「第三のサーファー」とでも申し上げますか。
ところが、この物語の主人公は、もう少し不器用である。なんと、自分の再就職のライヴァルになりそうな人間を片っ端から殺して回るのである。日本的な感覚からすれば、一体何人の人間を殺さなければならないか、と気が遠くなるが、そこがまたアメリカの凄いところで、製造ラインの中間管理職であっても、極めてセグメント化が進んでおり、「真のライヴァル」と呼べる人間は相当絞り込めるというのだ。ウエストレイクの筆は、一介の製紙ラインの職長をパーカーばりの殺人者に仕立てあげる。最初は、拳銃一つ撃った事がなかった善き夫であり良き父が、沈着に殺人をこなしていく迄に成長していく。果して彼は、次々と襲い掛かる家族の危機を乗り越えながら、理想の就職口を得る事ができるのか?アメリカでは命の値段もディスカウントだ。
最初は、設定の強引さに疑問符合一杯で読み始めたものが、徐々に主人公に肩入れしてる自分に気がつき驚く、そんな話である。どこまでも等身大の「ヒーロー」に、果して自分にはこの問題解決能力と実行力があるかどうかを迫られる。巧いよなあ。ちょっと首筋がスースーしている人、この本でも読んでしばし憂き世を忘れ魔書う。
で、「ウエストレイクはいいやね、作家なんだから。この辛さは所詮『聞いた話』でしょ」とそんな愚痴に答えを出したのが昨年の話題作「鉤」なんでしょうね。


2004年3月6日(土)

◆録画しておいた「エコエコアザラク〜眼〜」第9話視聴。鉛で覆われた部屋に、じわりと恐怖の予感。朝加真由美の妖しい一人語りもいい感じ。でも、スキャナーズもどきの特撮は頂けませんでした。今回は「自主制作映画」臭が強まる。無闇に強かった佐伯版ミサに比べて、どうも上野版ミサはキャラクターが定まらない分、入れ込めない。ぶう。
◆♪お買い物、お買い物
d「悪魔が来たりて笛を吹く」横溝正史(角川文庫:白背)
d「羽子板娘」横溝正史(角川文庫)
d「神隠しにあった女」横溝正史(角川文庫:初版)
d「舟幽霊」横溝正史(角川文庫:初版)
d「猫の尻尾も借りてきて」久米康之(ソノラマ文庫)
「監禁」Jディーヴァー(ハヤカワミステリ文庫)
「ニューヨーカー短篇集」青木日出夫(角川文庫)
「夢の樹が接げだなら」森岡浩之(ハヤカワ文庫JA)
「こちら第三社会部」今井詔二・吉田弥生(PHP)
「特等社員」竹森一男(春陽文庫)
「桂馬先生診療簿」浅田晃彦(春陽文庫)
「ドロシーとアガサ」Gラーセン(光文社文庫:帯)
「終戦のローレライ(上・下)」福井晴敏(講談社:帯)
横溝正史がごっそり並んでいた中から「チョイめず」ゾーンを抜く。さすがに「赤読本」や「シナリオ悪霊島」はなかった。「猫の尻尾〜」は「理科系の書いた『たんぽぽ娘』」という雰囲気の傑作ジュヴィナイル。ソノラマ文庫の100番以降で、最も復刊されなければならないSF。角川文庫の「ニューヨーカー短篇集」は出ていた事も知らなかった本。へえ〜。PHP本はナショナル劇場の現代ドラマのノベライズ。春陽文庫は、とりあえず安かったので拾ってみた。ただの明朗小説なんでしょうね、やっぱり。あとは新刊から。光文社文庫はEQ完揃いを持っている人間には不要かもしれないが、そこはそれ。福井晴敏は遂に文庫落ちや図書館の貸出順を待てずに買ってしまった。一体いつ読むのだろうか?
◆で、「桂馬先生診療簿」を拾い読みしてみた。うへえ、こりゃ駄目だ。まるで小学生の綴り方です。この本は要りません。見馴れない春陽文庫が安かったからといって本を買うと、こういう目に遭うのですね、みたいな。


◆「夢の樹が接げたなら」森岡浩之(ハヤカワ文庫JA)
「スペオペを書くからと言って真っ当なSFが書けないと思ってはいけない事はハミルトンの理(ことわり)である。」と、アーヴ語で書きたかったのだが書けませんでした。ごめんなさい。というわけで、「星界」シリーズで銀河を取った売れっ子作家の初期作品集である。表題作がデビュー作であり、なるほど言語オタク・選民思想・人造天才・「少女」趣味などなど後年あるを思わせる。「アニメ絵のスペオペはダメポ」とラフィール様を敬遠されている方々も、こちらは安心してお試しあれ。以下ミニコメ。
「夢の樹を接なげたなら」言語デザイナーが遭遇した秘密の言語実験の噂。被験者たちの言葉を歪めたルード言語研究所とは?業界誌の編集長が入手したデータを疑似言語中枢走らせた時、世界は完璧へと姿を変えていく。言葉と脳の構造を手玉にとったアイデアストーリー。古典的大陰謀仕立ての割りには全体的に長閑さが漂うのは作者の人柄であろうか。言葉の持つ無限の、そして夢幻の可能性を感じさせる佳編である。
「普通の子ども」何処にでもある小学生の一日。子どもたちの語らいが成りすましの参観を彩る。どうやら「ナンジャタウン」のようなものらしいが、舞台の説明が乏しくて、状況把握しきれないうちにオチをかまされてしまった。割とありがちなお涙頂戴である。
「スパイス」信念の実業家の見果てぬ夢。一人の女性アナウンサーに独占インタビューの白羽が立った時、すでに「料理」は最終段階に来ていた。人でなしの物語に足りなかったスパイスとは。これは問題作。この作品集で最大級のマグニチュード。どこか寓話的でありながら最後の最後で「禁断の奇妙な味」を見事に調理した傑作であろう。まあ後味はよくないんだけどね。
「無限のコイン」多くのものがオートメーション化された地球。人々のクレジット残高が無限大になった時、肥大した欲望は破滅への集団遁走を加速する。「経済のお勉強」に適したIFもの。この類いのホラ話は切り所が難しいのだが、そこを巧みにクリアしている。
「個人的な理想郷」人々の数だけニュースがある世界。カスタマイズされた視界が切り取る世界は、誰もが満足し、そして歪んでいる。軽妙な語りと軍事オタクの落差が楽しい。これの古本版を書いてみたくなってしまったぞ。
「代官」封建領主の代官が円盤に乗ってやってくる。カースト・コンタクトの果て、卑小な権力闘争はただ蹂躪される。「星界の百姓」とでも申しますか、朝松健がよくやる類いの封建SF。悪くはないが、さりとて新しくもない。
「ズーク」始めに言葉ありき。名付けの語りの中で捜索者たちは創作者にであう。言葉の意味を考え抜いた作者ならではの小品。瓶詰めの地獄かと思ったら、意外にほのぼのしていた。
「夜明けのテロリスト」次々とメディエットに営みを委ねていく人類。創作の心を売り渡した女性詩人が自らの命を絶った時、進化は始まった。<幽霊>を復活させようとするもの、それを阻止せんとするもの、そして、ただ夢見るもの。それは終わりの始まり。夜明けは光の速さで訪れる。初期山田正紀を思わせるディストピアもの。悪くない。


2004年3月5日(金)

◆うんざり残業。帰宅すると連れ合いは育児疲れでダウン。元気なのは娘だけである。むうむう。購入本0冊。
◆スカイハイ2でも見るか、とテレビをつけるとサッカーをやっていた。一昨年ワールドカップを見て「サッカーって面白いやん」と生まれて始めて思ったのだが、それ以降、目にするJリーグやら日本代表の試合はどれもこれも大味でへたくそ。
これは黄金期の傑作と山村美紗ミステリを比べるようなものなのか?
見るからに外国人が日本チームにいるのは、キャサリンのようなものなのか?
伽沙鈴とか。
んでもって解説もウザい。0−0の展開で「ここで1点はいると大きいですよ」とか云わんでくれ。
アナウンサーがワトソン役だとすると、ホームズが「ここで殺人が起きると事件ですよ」というようなものだよ、ワトソン君。
それでも日本が勝つと嬉しくなってしまうのは、一冊も読んでおらず、これからも読む事がないであろう桐野夏生がMWAにノミネートされたのを慶んでいるようなものなんでしょうね。


◆「ロゼアンナ」シューヴァル&バール(角川文庫)
警部マルティン・ベック・シリーズの第1作。日本での紹介は4,5番目にあたる(「サボイ・ホテルの殺人」が単行本で同時期に出ていたりする)。確かこのシリーズは「野生時代」に載ったりもしていたので、どの時点が日本初紹介かとなると結構、大変かもしれない。海外ミステリがその手のミステリ専門誌以外で連載されるというのは、ペリイ・メイスンぐらいしか知らない(「車椅子に乗った女」とかが週刊誌に連載されていたらしい)ので、マルティン・ベックの凄さが判ろうというものである。まあ、「野生時代」は「その手のミステリ専門誌」かもしれないけどね。閑話休題、とりあえず、ミステリ界では最も有名な「スウェーデン人」であるマルティン・ベックの初舞台は、観光地の湖に上がった美人の遺体で幕を開ける。
1964年7月4日、エステルイヨットランド州ヴァッテルン湖の北端に位置する地方都市モータラの浚渫現場から、一人の若い女性の死体が発見された。死後3,4日、全裸の首には絞殺の痕があり、局部は陰湿な暴行を受けていた。が、地元警察は勿論、ストックホルムから派遣されたマルティン・ベックらの捜査は、忽ちのうちに壁にぶつかる。身元不明、犯行日も犯行現場も不明、国内の失踪届けに該当するものはなく、無為のうちに3ヶ月が過ぎた時、アメリカ大使館を通じて投げた照会に返事が届いた。女性の名はロゼアンナ、27歳の司書だった。特定される宿、そして観光船、徐々に狭められる捜査の輪。だが、85名の乗客乗員全てを当たった果てに待っていたのは「徒労」の二文字。それでも諦めを知らぬ警官たちは、奔放なアメリカ娘を惨殺した真犯人を追う。
なんというリアリズム。とにかく捜査が進まない。1時間で解決するテレビドラマの事件とは違うのである(登場人物が「ペリイ・メイスン」を見ているくだりがある)。が、被害者の身元が割れてからの絞り込みは迫力満点。「外国人観光客満載の遊覧船」という特殊な現場から、真犯人の姿を炙り出していく手法には、思わず膝を叩いた。なるほどね。被害者も真犯人も少しずつ心が壊れているのが「現代的」。日本がオリンピックで湧き上がっていた頃にこういう「病理」が描かれていたわけで、彼我の差に改めて肩を落す次第。


2004年3月4日(木)

◆明方にSRの投票を済ませる。駆け込みでもう何冊か新作を読む事はできなくもなかったが、「そういう『気忙しさ』にバイバイ」が拙サイトのコンセプトだったよな〜と思い直して締切ギリギリ投票は避ける。集計の横堀さん、いつもお疲れ様です。
ふと電子メールをソートしてみると横堀さんとは、年に一度、この投票のためにだけメールを交わしていることが判明。年賀状みたいなものなのですね。会社でも同人でも「組織」が「組織」として成り立つためには、そこに「縁の下の力持ち」の存在が必要であるが、さしずめ横堀さんは、SRの会やEQFCにとってなくてはならない人である。SRのベスト投票の事務処理や、EQFCの読書会のテープ起し(こちらは横堀夫人がメインかな?)、未訳作品の翻訳など、我々年間数千円を払って誌友に収まっている人間がそっくり返って「当然の権利」を振りかざす一方で、氏のような人が会を支えているのである。改めて感謝申し上げる次第。
◆ダラダラ残業。購入本0冊。
不思議亭文庫さんが日記を付け始められた。Joshiのカー研究本「A Critical Study: John Dickson Carr」を訳し始められる由。きちんと翻訳権を取って印税も処理して、という手順を踏んでおられるのが凄い。「大人」である。


◆「反射」Dフランシス(ハヤカワミステリ文庫)読了
競馬シリーズも折り返しの第19作。写真が趣味の障害騎手を主人公に据えた単体作品。「利腕」の好評に応え、シッド・ハレーものを続けて出さないところが偉い。写真というのもミステリには欠かせない小道具の一つである。近年の技術革新で「携帯電話のオマケ」となって普及の裾野を広げたカメラだが、プロやマニアやオタクの業の深さは、他の「男の子のオモチャ」同様、底知れないものがある。例えば古カメラの収集家は、カメラケースやら袋などがオリジナルかどうか、初期ロットかどうかに拘り、そのカメラで実際に写真を撮る事は希だったりする。ああ、いやだいやだ。勿論、フランシス作品の主役にはそんなオタッキーなジョッキーは登場しない。
数奇な人生の歩みの中で、写真屋の修業を積んだ私、フィリップ・ノア。私が騎手を生業とし写真を趣味とするのは逆に、写真を生業とし競馬を追い続けた男がいた。過去形でいうのは、その皮肉な写真家ジョージ・ミレスが既に交通事故でこの世を去っているからだ。だが、その死後、彼の未亡人は立て続けに招かれざる客の襲撃を受ける。そして、暴力のプロたちが求めていた「もの」は、偶然にも私の手元にやってくる。撮影や露光に失敗した反故のフィルムには、競馬界を揺るがす数々の映像が隠されていたのだ。馬主と調教士から、勝ちを捨てる事を強要される私の日常。死の床にある冷戦状態の祖母からは異父妹探しを押し付けられ、奔放な人生の果てで麻薬に沈んだ母の記憶と向き合う私。脅迫者が神のゲームを楽しむ時、裁きは私自身へと反射する。
主人公の喪われた家族の肖像が胸をつく。作者の経歴がオーバーラップする障害騎手の日常が、またなんとも切ない。落馬のリアルな描写やその瞬間のジョッキーの内面なんぞ、フランシス以外の誰が書けようか。更に、これも作者の妻のイメージがかぶるヒロイン、クレアの格好いいことったら。デビュー前夜の作者夫婦の関係を彷彿としてしまう。この物語では、様々な写真現像のテクニックとそれと同じ数の競馬界の闇が綴られる。そして、「脅迫者」の意図に驚かされ、最初から目の前にあった真相に唖然とさせられる。シリーズは第二コーナーを過ぎたところだが、ここで作者は「自分語り」の鞭を入れた。面白くないわけがない。御勧め。


2004年3月3日(水)

◆雛祭りにつき、連れ合いの実家で祝い事。購入本0冊。
◆SRへのベスト5他の投票で小一時間。結局「主演女優賞」が思い浮かばなかった。「半身」も主演女優が魅力的なわけじゃないもんなあ。マロリーという手もあったのだが、助演女優賞を「天使の帰郷」から選んじゃった関係で、パスすることになってしまった。昨年一番ミステリの中で輝いていた主役の女性って一体誰なんでしょうね?
◆あっはっは、掲示板でよしださんから指摘されるまで、WEB本の雑誌の予告が「猟奇の鉄人@kashiba」になってることに気がつかなかったよ。こういうミスって、何をどうすれば起きるんでしょうか?
「は〜い、続いては、奈良県は香芝市にお住いのペンネーム『猟奇の鉄人』さんから頂きました。『松村さん、金子さん、こんばんは。私の記憶が確かならば(笑)、kashibaってのは名前の方なんですけど、次の更新で直しといていただけると大変助かりま〜す(爆)』ということでした。では『猟奇の鉄人』さんのリクエストです。聞いてください。映画のサウンドトラックから『バック・ドラフトのテーマ』」みたいな。


◆「四季屏風殺人事件」RVフーリック(中公文庫)読了
徐々にマイブームになりつつあるフーリックの中期作。三省堂の4冊が書店から消えた後に、思いも掛けずひょっこりと出版された作品。それも文庫オリジナルというところが懐に優しい。三省堂の4冊は、当時の感覚からすれば、やや高めの価格設定で、大部にわたる中国の風俗研究付き解説なんか要らないから、もう少し安くはならないものか、と感じた人も多かったのではなかろうか?天晴れ、中央公論社。しかしながら、99年に出版されたこの文庫が、今や最もテキスト的に入手困難になっているというのは皮肉(初期5作は電子出版で入手可能)。まあ、リサイクル系でも容易に遭遇可能なタイトルなので、このサイトをご覧になっている皆さんにとっては、十分に現役本のようなものかもしれないが。
ディー判事年代記の中では、第二エピソードに相当する。こんな話。
時は唐代。朝鮮国境付近の街・平来で「黄金」事件を首尾よく片付けたディー判事は、陽気な偉丈夫チャオ・タイを御伴に、お忍びの休暇旅行に出かけた。その先は山東省ウエイピン。だが、事件を呼ぶ男のジンクスはここでも健在だった。ウェイピン県知事トン・カンは詩人としての誉れも高く、その夫人・銀蓮もまた閨秀詩人として名を馳せていた。だが、ディーがトン判事の許を訪れた時、すでに事件は起きていた。描き替えられた四季屏風は知事夫人の殺害を暗示し、街の銀行家は狂乱の果てに川に身を投げる。ディーとチャオ・タイの後をつける臆病な影は、裏の顔役の棲家へとディー主従をいざない、やがて町外れの沼で判事夫人の死体が発見される。妻を寝取られた男たちへの報酬とは、果して?
銀行家身投げ事件のからくりは、さすがにお見通しだが、最後の最後で意表をついた仕掛けを披露してもらえたので、まずは満足。それぞれの事件を一本の線に収斂させていく手際も達者。裏世界の顔役を巡ってみせるディー判事の人間味も魅力的。初期5作に比べれば薄味の部類かもしれないが、判事夫人殺害の動機のありようが古びておらず、期待に十分応えてくれた。また、詳しい解説もディー判事サーガの見所をきちんと説明しており、好感がもてる。見掛けたら拾っておいて損はない。


2004年3月2日(火)

◆神保町タッチ&ゴー。
「別冊宝島 刑事コロンボ完全事件ファイル」(宝島社)
やっと本屋で並んでいるのをみつけた。なんだよ、いつもの別冊宝島とサイズが違うんだ。こりゃ、いくら探しても見当たらなかったわけだ。中身は町田版「刑事コロンボ読本」を下敷きに新シリーズを増補、ビジュアル面で梃子入れを図った内容。まずは「聖典」を語った書としては完璧。後はノベライズに関する情報を強化するだけだろうなあ。これは、これで40頁ぐらい語れると思うけど。誰もやらないならオイラがやっちゃうぞ。
◆他に買ったのはこんなところ
「螺旋」エドモンド・ホワイト(早川書房:帯)
「罠の怪」志村有弘編(勉誠社)
d「私だけが知っている 第1集」(光文社文庫)
d「私だけが知っている 第2集」(光文社文庫)
「螺旋」は夢の文学館の第2巻。この叢書これでやっと5冊をコンプリート。マニアックなラインナップだったよなあ(「エヂプト」はどうなった?、という噂もあるが)。勉誠社の志村本は余りにも渋すぎるラインナップ。後の世のマニアが探し回る本になるんでしょうね。「私だけが知っている」は第2集が何故かなかなか転がってないんで、拾っておく。書き手の豪華さでは光文社の他のどのアンソロジーよりも凄いかもしれない。
◆「フーダニット翻訳倶楽部」の女頭領うさぎ堂女史のサイトはここ
◆おお、こんなところに広告が。
この日記を書いている時点では「元古本者」が「本古本者」になってます。なんか凄いっす。「元祖」と「本家」の争いみたいですな。


◆「イリーガル・エイリアン」ロバート・J・ソウヤー(ハヤカワ文庫SF)
今更なんの説明もいらないSFミステリの世界に法廷劇を持ち込んだ一昨年の話題作。SF法廷ミステリといえば、「宇宙大作戦」の1エピソード「宇宙軍法会議」ぐらいしか頭に浮かばないので、小説の世界では「SFと法廷劇のファーストコンタクト」と呼んでよろしいのではなかろうか?
ソウヤーは、「アラバマ物語」やら「ペリイ・メイスン」やら「OJシンプソン事件」を引き合いに出しながら、「法廷で裁かれるエイリアン」というファンタスティックな発想を、感動的にしてツイストの効いた長編SFミステリに仕立て上げた。
アルファケンタウリから飛来したトソク族と人類のファースト・コンタクトは成功しつつあった。公海上への着陸艇の着水。キティホーク上での初会見。着陸艇への招待。太陽系外淵での接触事故で、地球人に助けを求めるトソク族。そのスポークスマンであるハスクと、地球側のスポークスマン、天文学者にしてテレビ科学番組でその名を知られた「二代目カール・セーガン」クリータス・カルフーンの間には「友情」すら生まれつつあった。だが、ある夜、カルフーンはエイリアンたちの宿舎で、バラバラ死体となって発見される。鮮やかな切断面、現場に残された結晶血痕、そして血で象られた馬蹄型の足跡。全ての物証がただ一人の犯人を示していた。かくして、ロス市警のペレス警部補は、人類史上初めてエイリアンにミランダカードを読み上げた刑事となる。遂に全世界の見守る中で、前代未聞空前絶後の法廷ドラマは開幕する。果して、ハスクは無罪か?有罪か?
法廷シーンの確かさが、このファーストコンタクトSFとしては些かクラシカルなドラマを大いに盛り上げる。またミステリとして観た場合「なぜ犯人は遺体の一部を持ち去ったのか?」「なぜ『彼』は遺体の一部を持ち去らなかったか?」という謎の解法が鮮やかで、読み返すとそれらしい伏線がきちんと張られていることに唸る。天文学者ならではの仮説と検証も頼もしく、オチも感動的。
「We are not minority!」
ソウヤーはアジモフが切り拓いたSFミステリという分野での最上の後継者であることを証明してみせた。
邦題づけごっこは、以前やってしまった(「ちょっと振り向いてみただけの違法人」「罪・星人」)ので、原題に異議を申し立ておこう。

裁判長!
やはりここは一番「The Case of the Illegal Alien」にして欲しかったのであります。


2004年3月1日(月)

◆阪神が連勝したら雪が降った。まあ、相手のピッチャーみてたら紅白戦気分になったのかもしれん。かんべむさしのデビュー作「決戦、日本シリーズ」が出た頃に「阪急ブレーブスは、21世紀にはヤフーBBスタジアムを本拠にするオリックス・ブルーウエーブになって、大リーグに渡って新人王を取ったイチローという安打製造機が退団して以来低迷が続いているのだ」なんてことを言われても出来の悪い「えすえふ」ぐらいにしか感じなかったに違いない、と小一時間。
◆本の雑誌に撮影用のポケミスを送本。昨日届いた原書の代金を振り込む。購入本0冊。
◆二人のサムライは海の向うで討死にした。WOWOWの録画中継を見ながら、アカデミー賞ってえのは、只の「ハリウッド村」のお祭なんだよな〜、と感じた次第。ゴージャスな、余りにもゴージャスな内輪受けの世界。そして、人々はその「内輪」に入りたくて仕方がない。一昨日読んだ、アンブローズの「幻のハリウッド」は実にその辺りの雰囲気を伝えていて吉であった。忘れないうちに感想書かなきゃ。


◆「支那そば館の謎」北森鴻(光文社)読了
職人作家・北森鴻が京都の古刹を舞台に描く、スーパー寺男とタウン誌女性記者を探偵役に配した連作推理。実は、古刹の住職がすべてマルっとお見通しであるようなのだが、作者はそこは敢えて隠し味に仕立てている。主人公たちは拾遺集であった「パンドラ’sボックス」に収録された「鬼子母神の選択肢」が初お目見えだったと思うのだが、この作品集はいずれもジャーロに連載されたもの。京料理への蘊蓄なんぞは、同じ作者の香菜里シリーズを彷彿させ、テイストとしては、ローレンス・ブロックのバーニー・ローデンバー・シリーズを思わせるお洒落な都会派ミステリである。まあ、古都も都会のうちってことで。ただユーモアの質が時々落ちるところがあって、碇屋警部(山村ミステリの狩矢警部の地口)は許せても、たまに「これをプロがやるかな?」という寒いギャグが混じるのは玉に疵である。駄目な人は、その一事でもってこの連作が駄目になっちゃうぐらいの滑りっぷりである。
「不動明王の憂鬱」僕こと俺こと元怪盗の寺男・有馬次郎が山を下りたのは、保津川に浮かんだヤクザの死体が持っていた泥棒用具のせい。それは俺が「千手」と名付けたオリジナルの道具だった。地上げの陰謀と殺人の顛末や如何に?「何故」の積み上げが巧みで、京文化に拘った解決も眼ウロコであるが、ツイストがやや唐突。開幕編としては必要十分。
「異教徒の晩餐」現代日本を代表する版画家が殺され、現場には鯖寿司と切り裂かれた馬連が。それはダイイング・メッセージだったのか?本格推理好きを揶揄するかのような食い物パズラー。これも手掛りの京拘りが憎い。
「鮎躍る夜に」大文字焼きの夜、京都マニアの美人女子大生が殺され、京都タワーのゴミ捨て場に遺棄される。可憐な花を散らせた暴力を裁くのは俺だ。歪んだ動機とアリバイ工作が読者の虚を衝く一品。このキャラクターは殺して欲しくなかったよお。
「不如意の人」清和堂大学で講演予定の大日本バカミス作家協会賞受賞作家・水森堅が姿を消す。残されたのは藍に染まった助教授の死体。バカミス作家はバカミスを実践してしまったのか?京都ならではの「人間消失」。これは、バカミスかも。
「支那そば館の謎」バカミス作家が消えたアメリカ人青年を追う。手ががりは<支那そば館>という住い。だが謎が一つ解けた時、そこに待っていたのは引退した故買屋の死体だった。これも<支那そば館>の仕掛けをネタにした一発もの。間違った推理を交えてみせるところなんぞ余裕である。でも、動機はどうだかなあ。
「居酒屋十兵衛」行き着けの割烹寿司屋の大将の依頼は、兄弟店の「変心」の謎解き。一箱のマッチが結ぶあるサラリーマンの死。鉄壁のアリバイが崩れる時、男の純情が熱い。美味しんぼのような導入部から、絵に描いたようなアリバイものに。小道具の使い方が絶妙な割りには、冒頭の謎への回答は今ひとつ。


◆「楽園の知恵」牧野修(早川書房)読了
そこに牧野修の卵がある。
卵を割ろうとすると、卵はするりと私の口に飛び込み、そして食道からぞわりぞわりとわたしをくくくいやぶううりながああら頭に進むのです。
ああ、牧野修様の栄光を称えなければいけません。ハレルヤ!私も1958年生まれです。
これは牧野修様の最初期作から最新作までを集めた大傑作集です。
透明感溢れる幻想譚(おお、すばらしいい。こんな初期の頃の作品から牧野修様らしさが横溢しています。異形シリーズに書き下ろされた作品も素晴らしい。でも本当は意味不明なのですが、意味不明なところがまな牧野修様ならしくて素晴らしいではありませんか?)
時の王国の再臨と亡び(あうあう、これは星新一のデビュー作品を思わせますが、そこにネットとドラッグと蟲がぞわぞわぞわと加わって牧野修様の作品としかいいようのない不思議な世界がそこにはありますありませんそれはなんですか?)
言葉に淫した実験的黙示録&創世記(ああ、筒井康隆があと20年若かったらこの作品をみて思わず手淫、牝犬奴隷がご主人様哀れな私にお情けをと白眼を向いてよだれを垂らしながら昇天したことでありましょう)
怪獣ゴーメンガーズト(ひいいういいい、絶頂です、ピークです。きっとブライアン・オールディスがゴーメンガーストを戯画化して椎名誠が訳すとこんなお話になるのでしょう。特技監督は円谷英二です)
大宇宙漫才(あははは、あはは、これは宇宙を股にかけた「鬼の詩」です。笑いで宇宙とったる!その意気込みがよろしおまっしゃろ?伏せ字ばっかりでようわからしませんのやけど、そこは気で気を養うのが関西のお笑いの通のお作法でんねや)
演歌ネクロノミコン(ふたぐん、ふたぐん、ああ演歌がココロに染みとおります。動悸息切れには旧神でっしゃろか?)
異形の大浪漫(AIのような、アトムのような、華氏451℃のような、ええ話やなあ。ポルノとホラーで純愛を描くなんて離れ業は、牧野修様にしかできません)
物語の終焉(そして、ここには、我々の崇敬してやまない恋愛小説家・牧野修様の真実がございます。ああ、あとがき作家の面目躍如。転んでも只ではおきません。号泣する準備はできていますか?)
ある時は抒情豊かに、ある時は破壊的に、言の葉の魔術が繰り広げられるのでございます。
ありがとうございますありがとうございます。
さようならさようなら。