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2004年2月20日(金)

◆大阪出張。実家で一泊。

◆「街の灯」北村薫(文藝春秋)読了
北村薫の最新連作は、昭和初期のお嬢さま探偵をフィーチャーした風俗浪漫。主人公の叔父として顔を出す「弓原太郎子爵」が浜尾四郎を彷彿とさせ、主人公・花村英子は、どこまでも♪はーっ、はーっ、はーっ、はいからさんが通るを思わせる。名字が同じなので、「まさか母娘という隠し設定か?」とも疑ったが、はいからさんの花村紅緒は大正7年に17歳、こちらの花村英子は昭和7年でやはりそんな年頃である。だいたい紅緒は伊集院家の嫁だったもんな。昭和7年といわれて何を想像するかというと、これまた日本史オンチとしては「まあ、『新青年』はあったでしょ」というぐらいの認識しかない。ましてや、当時の上流階級の女学生がどのような令女界な日々を送っていたかなんぞはアウト・オブ・眼中である。そこで、ネットを叩いてみると、昭和7年は満州国建国やら、5.15事件勃発やらの年らしい。うーん、なんか暗いぞ(ちなみに乱歩は二度目の休筆中だったそうな)。しかし北村薫はそんな暗いイメージを払拭するかのように、つかの間の別世界を我々に垣間見せてくれる。いわゆる「日常の謎」系と括ってしまうには結構人も死んでいるが、「死を呼ぶお嬢さま探偵」と恐れられる程でもない。自分の間近で人が死ぬのは3編中1編。普通の人生を送っていれば、まあ、こんなものであろう。ただ、もう一人の主役・別宮みつ子の方はそうはいかないかもしれない。剣の達人にして、拳銃も使いこなし、語学に長け、勿論、ドライブテクニックもある沈着冷静な女性運転手。巻末インタビューによれば、既に彼女の「死に場所」は決まっているようである。全体的にミステリとしては薄味だが、作者の興味は、あの時代そのものに光を当てることにあるのであろう。その意味では充分成功している。以下、ミニコメ。
「虚栄の市」シリーズ開幕編。英子と別宮の出会い、そして英子の野次馬根性が「自分を埋めた男」という猟奇的事件の真相に迫る。「虚栄の市」の主人公ベッキーを思わせる凛とした別宮の立ち振る舞いにエス的感情が込み上げて参るのでございます。推理作家がこの時代を語るには、やっぱり乱歩でしょう、というわけだが、この強引なプロットは乱歩の文体でないと嘘になってしまうような気がしないでもない。
「銀座八丁」夜店の並ぶ銀座を舞台に、兄が友人から挑まれたパズルに挑戦するお嬢さま探偵。作者のクイーン趣味が炸裂。「謎の贈り物」というのは「キ印ぞろいのお茶の会」やら「悪の起源」なんぞでクイーンがしつこく用いたシチュエーション。最初からパズルと割切っているので破綻はないが、さりとて決してフェアではなかろう。まあ、当時の銀座の夜の姿に驚かされたので、これはこれでよし。
「街の灯」軽井沢の上流家庭で催された無声映画会。突然の銅鑼の音が佳人の息の根を止めた時、お嬢さま探偵の眼は光る。時代と風物にマッチした大胆なトリックとプロットが楽しめる一編。「映画」文化の輝きと上流の鬱屈がよく描けている。「優しくて残酷」という北村薫らしさを感じた。表題作にされたのもむべなるかな。


2004年2月19日(木)

◆プチ残業。購入本0冊。よしださんとの対談のゲラ修正、撮影用書籍の発送など。

◆「川の深さは」福井晴敏(講談社文庫)読了
乱歩賞最終候補作の加筆修正版。「Twelve Y.O.」「亡国のイージス」前史でもある。こんな話。
警察かヤクザにしかなれない。そう父親に言われた元マル暴の警備員・桃山。6年前、一人の侠客を巡る事件で警察組織の非情を思い知った男は虚無と怠惰の中に自らを埋めていた。だが、そんな桃山の日常に手負いの獣が迷い込む。しなやかと可憐さを備えた娘・葵、そして強靭な心身と必殺の技を無愛想で固めた少年・保。「彼女を守る」任務に命を投げ出す少年。その眼差しが桃山のくすんだ心に灯を点した時、この腐った国を動かすパワーゲームの渦の真ん中に彼等は立っていた。カルトの暴走、アポクリファの編纂者、市ヶ谷より愛を込めて、不器用な人間兵器は闇を抜ける。警備員さん、川の深さはどのぐらい?
乱歩賞作家の受賞前の応募作が、改稿されて登場するというのは何も今に始まった事ではなく、岡嶋二人「あした天気にしておくれ」だの、東野圭吾「魔球」だの、長井彬「M8の殺意」といったランナップが浮かぶ。で、岡嶋二人にしても東野圭吾にしても、受賞作よりも面白かったりする。しかし、この福井晴敏の応募作品は、筋の良さを感じさせながらも、まだまだアニメや漫画のノリを消しきれていない。というか、あたしゃ、いつ主人公がガンダムWに搭乗するんじゃないかとハラハラしちゃいましたよ。例の科白がいつかでるぞ、でるぞと思っていたら本当に出ちゃうんだから確信犯である。まあ、そこはガンダムおたく同士の密やかな楽しみと割切れば、世界情勢を揺さぶる「大陰謀」を捨て石に使い、不器用な男女ダブルペアの純愛を、とびっきりの活劇とツイストで挟み込んだ快作である、と申し上げて差し支えあるまい。大作志向の寡作家への渇を癒すための出版、とでも申しますか。「∀ガンダム」じゃあスコープ狭すぎるもんなあ。


2004年2月18日(水)

◆プチ残業。購入本0冊。
◆あとがきを書き始める。意外につるつる書ける。
してみると、本のパーツをテーマにした小文ってネタに不自由しないのかも。「カバー」「帯」辺りは「あとがき」並みに楽勝だし、「栞紐」「小口」「背表紙」でも書けそうだ。「献辞」「前書き」「主な登場人物」「目次」「翻訳権処理」「奥付け」「巻末目録」。これで12ヶ月分。まだまだやれまっせえ。「注文票」「近刊案内」「地図」「時刻表」なんてもいいね。ペーパーバックでユニークなのは、「広告」を載せているものがある。ミステリのど真ん中にタバコやらブッククラブのチラシやら申し込み葉書が本と一体成形されて挟みこまれていたりする。時代を思わせるのは、戦中の広告で「戦時国債を買ってナチをやっつけようぜ!」なんてのもみたことがあるよな。
◆などと書いているのは日記のネタがないからですね。


◆「中国湖水殺人事件」RVフーリック(三省堂)読了
年代記的には第3作に位置づけられる作品で、ディー判事の4副官・最後の一人で商才と騙し技に長けた元詐欺師タオ・ガンの登場作でもある。
都にほど近い漢源に赴任にしたディー判事は、湖に浮かぶ「画舫」に招かれ、地主ハン、絹商人カン兄弟、商人リウ、金細工組合のワン親方ら土地の有力者たちの接待で、一夜の宴を楽しむ。だが、美貌の踊り子・杏花は判事にこの地で恐ろしい陰謀が進行中である事を告げるや、何者かの手によって殺害されてしまう。果して、遺された一枚の詰め碁は、何を語るのか?更に、判事の法廷には、リウの娘・月仙が嫁ぎ先の文学士・チャンによって殺されたとする告発が持ち込まれる。しかし、月仙の墓にはその遺体はなく、代わりに大工の死体が埋葬されていた!地に潜ったか?水に溶けたか?姿を消した若夫婦の行方は何処?更に、帝国顧問官のボケによる浪費、地主の誘拐と民事・刑事の事件が相次ぐが、それらの背後には巨大な地下組織の影が蠢いていたのであった!今、ディー主従にかつてない危機が迫っていた。
踊り子殺しのフーダニット、暗号と宝捜し、純愛の錯誤、そして帝国を揺るがす一大陰謀、相変わらずディー判事の赴くところ、事件の種は尽きまじ。中盤では押し掛け副官として登場するタオ・ガンの明晰な推理にお株を奪われた格好の判事だったが、最後に「歩く恐怖」の前で、いい処を見せる事に成功する。ただ、事件の輻輳と収斂にこだわった結果、真犯人の心情が分裂気味になってしまったのは残念。ある意味、ディー判事の慧眼がなくとも、自分で滅びた犯人だったかもしれない。冒頭の思わせぶりな一人称も機能しておらず、「黄金」「迷路」並みの完成度にはほど遠い。でも、唐代には変装が良く似合うかも、と再認識できた点では有意義な読書体験であった。


2004年2月17日(火)

◆朝起きるとビックリメールが届いていた。おお、こいつはビックリだ。なんとしても都合を合わせねば。エイプリル・フールじゃねえだろうなあ。
◆就業後、神保町にて「本の雑誌」の金子さんと打ち合わせ。ゲラを戻したら、「あとがき」を書くように依頼を受けた。本を買って「あとがき」やら「解説」がないと、もの凄く損をした気分になる人間としては、一生に一度でいいから「あとがき」を書いてみたかったところ。というか、「あとがき」ぐらいしか新しい原稿がないんだよなあ、この本。
ついでに帯のキャッチを考えてみようということになる。古本を前面に押し出しているが、ミステリ者でもあるところを示すキャッチはないか?という命題。
「私立活字探偵小説団」
「日々の古本、折々のミステリ」
「ミステリマニアのなれの果て」
「古今東西ミステリ&身辺雑記」
「電網古本推理小説渉猟講読記」
意外と当り前のキャッチしか思い浮かばないものである。この辺が「現実に本になってしまう」という意識の縛りだろうか?
ネットだったら、
「誰が推理小説を殺すのか?」だの
「積読ミステリ百万年」だの
「ミステリ馬鹿は金曜日に死ぬ」だの
「はじめまして、古本任三郎と申しますう」だの
やりたい邦題、もとい、やりたい放題なんだけどなあ。
◆新刊(というほど新刊でもないが)2冊。
「殺意のシナリオ」JFバーディン(小学館:帯)
「千年の黙」森谷明子(東京創元社:帯)
前者は「悪魔に食われろ青尾蝿」の作者の古典的心理サスペンス。本格ばかりが復古ブームというわけではないようで。後者は、いわずとしれた昨年度鮎川哲也賞受賞作。とりあえず買っておく。こんなことならサイン本を申し込めばよかった。


◆「笑う警官」シューヴァル&ヴァールー(角川文庫)読了
それいけ「こんなものも読んでなかったのか読書」警察小説編。外人の名前を覚えるのが苦手である。それでも30年間余ミステリを読み続けてきたおかげでアングロ・サクソン系はなんとかなる。しかしこれがフランス人になるとお手上げ、いわんやスウェーデン人となると完全敗北。なにせ、この高名な夫婦作家の名前すら正しく頭に入っていなかったのだから、推して知るべし。尤も、日本人のミステリマニアの9割はこの作者の名前を正しく書けないのではないか、更に原語でとなると、1%もいないだろう。そんな状況であるにもかかわらず、あろうことか角川文庫には「主な登場人物表」が載っていないのである。これだけで、読まず嫌いになること請け合い。この角川文庫版の356ページから357ページにかけて、29名の容疑者の名前が羅列されているのを見て、頭を抱えたのは絶対私だけではないはずである。
熱帯雨林で米兵がヴェトコンと泥沼の闘いを続けていた頃、遥か北のストックホルムの街では反戦デモと警察が衝突していた。事件が起きたのは土砂降りの雨の中、深夜11時、一台の赤い二階建てバスが道路を越え鉄柵に衝突。駆けつけた巡査たちは、銃撃により血塗れになった8名の死者と1名の重傷者の姿に息を呑む。そして、その死者の中にマルティン・ベックの若い刑事オーケ・ステンストルムの名があった。功名心に燃え、尾行の名人だったオーケ。果たして彼の死は、偶然だったのか?それとも彼が標的だったのか?首都を震撼させた凶悪事件の真相を追って9名の被害者たちの私生活を洗う殺人課の刑事たち。よき家庭人であった運転手、実直な看護婦、浮気症の貿易商、アラブ人アルバイター、そして、謎の男。迷宮の果てで、奇妙な笑い声が響く時、目撃者達の誤謬は正される。歪んだプロファイルが指し示すアリバイの交錯。その歌の名は笑う警官。
コルベリー、クリスチャンソン、クヴァント、グンヴァルド、メランデル、ルン等など、これほどに馴染みのない名前が並んでいるにも関わらず、さほど戸惑うことなく幕切れまで楽しむことができた。これは、ひとえに作者の人物造形が巧みであるが故であり、刑事たちの特徴が小気味よく頭に刻み込まれていく。さすが、87分署のスウェーデン語翻訳者だけのことはある。過去の殺人との絡ませかたも絶妙で、足の探偵たちの地道だが確かな捜査ぶりに好感が持て、これならばMWA受賞も十分に頷けるところ。いつまでも妻とラブラブの87分署のキャレラと対比するように、妻と冷戦の続くベックの私生活も目の離せないところ。こりゃあ、「ロゼアンナ」からじっくり読んでいかねば。困ったなあ、この年になって、また楽しみが増えてしまったぞ。


2004年2月16日(月)

◆一日中ばたばた、郵便局にも寄れずプチ残業。購入本0冊。
◆「乱歩R」のサブタイトルに「へえ〜」。なんと「禁断の快楽 屋根裏の陰獣」である。
禁断の快楽はともかくとして、後段は聖典合わせ技。いいねえ、いいねえ。
で、ちょっとやってみる。
「屋根裏の盲獣」トリックが成立しません。
「屋根裏の魔術師」自宅で血風!よしだまさし!
◆てなことをやっていると、只今ゲラ読み中の過去日記ででっち上げた「大逆転!巨大軍艦<幻影>の夢」のサブタイトルを作りたくなってしまう。
第1話「孤島の鬼軍曹」、第2話「パノラマ島機甲師団」までは既出なのでそれ以降。

第3話「サンダー・クラウド艦の恐怖」

第4話「悪魔の慰問状」

第5話「吸血爆撃機《ブラインド・ビースト》」

第6話「死の鉤十字狼」

第7話「幽鬼の搭乗」

第8話「空気人間《豹変》」

第9話「大暗黒征伐」

最終話「とこしえと旅する男」
−電子算盤が変を告げる。北極海戦で、米国の威信を載せた同型戦艦<エドガーズ>を凄絶な戦闘の果てに打ち破りながら、自らも傷つき大渦の向うへと消えていく<幻影>。
−帝都では歓声とともに「『猟奇』の戦果!敵戦艦1隻、駆逐艦5隻、巡洋艦6隻!」という号外が配られる。
−その号外を丁寧に帳面に貼りこむ手。
−棚にしまわれる帳面の背に「貼雑年譜」の文字。
−エンドクレジット

あ、いかん、
自分で書いていて涙ぐんでしまった。


◆「QED 龍馬暗殺」高田崇史(講談社ノベルズ)読了
大河ドラマに媚びたわけではなかろうが、今回証明される歴史上の謎は、これまでも多くの学者、活動屋、小説家、漫画家が挑んできた「誰が坂本龍馬を殺したか?」実は、ご多分に漏れず、戦国時代以降について、まともな日本史教育を受けていない。特に幕末から現代にかけてが弱い。尊皇攘夷といわれても、誰が誰で、どんな事件が起こったかが全く頭に入っていない。新撰組といえば、「銀河烈風バクシンガー」が真っ先に浮かぶダメっぷりである。司馬遼太郎でも読めばいいのだろうが、いかにもサラリーマンの愛読書みたいで、食わず嫌いが続いている。今回は、「新撰組!」の副読本のつもりで、読み進んだ次第。
今回の奈々の「学会代理出席」の地は南国土佐。なぜか幕末に嵌っている妹・沙織と乗り込んだ高知で、薬学部の後輩・全家美鳥に誘われ、彼女の郷里である過疎の村「蝶ヶ谷村」に向かった二人はそこで、桑原崇の「待ち伏せ」にあう。龍馬の死を巡る薀蓄に翻弄された嵐の夜、麓から途絶した因習の村で、数少ない青年・朽木刻夫が何者かに背中を指され死亡、更に都会から呼び戻されたもう一人の青年・遠敷達郎が重傷を負う。権謀術数渦巻く幕末の志士の死、史実に埋もれた真犯人を指し示す書簡が百年の封印を解かれる時、タタルは穢れの祟りを語る。
「全ては血と怨念の歴史」とでもいうべき高田史観が幕末の「もう一つの真実」を立証する。龍馬暗殺の複数容疑者たちが夫々に試されては消えていく中、一つの仮説が残される。さすがに、たかだか百三十年前の事件であり、容疑者が絞られている分、「驚天動地の大逆転」とはいかないが、写真入りで明かされる龍馬自身の謎とであわせ技一本といったところ。現在の殺人の方は、桑原タタル・フィールド・ノート「八つ墓村」編とでも呼ぶべきプロットで、これが最初であれば大いに感心できたところであるが、バリエーションの妙を楽しめるレベル。そもそも、龍馬暗殺との係り結びに乏しく、「現在と過去の因縁が感応しあう」これまでのタタル・サーガとは趣をことにしているところが辛い。やはり、QEDは偶数版目が面白いというのが結論か。


2004年2月15日(日)

◆真剣にゲラと格闘して一日が終わる。自分の日記を6ヶ月分読み通すなんて、これは何かの罰ゲームなんだろうか?
◆通信販売で1冊。
「夜の皇帝/深夜の魔王(復刻版)」高木彬光(神月堂・私家版)
御存知・神津恭介命の文雅さんの労作。商業出版の間隙を埋める実に尊い仕事。お見事です。半年前の出版なので、今頃買うなというお話もあるのだが、なんとなく出遅れてしまった。別冊シャレードの方も出遅れているし(未だに天城本の9,10を買っていない)、創元のピンバッジももたもたしているとアウトだぞ(締切は3月10日だ)。妖怪豆本は大丈夫か?(締切は4月1日だ)雑誌はともかく、単行本の特典に締め切りを設けて欲しくないぞ。妖怪豆本は、すっかり食玩モードだよなあ。


◆「接近」古処誠二(新潮社)読了
最近すっかり戦争小説づいているコドコロさんの新作は、やはり戦争小説。同じ、少年の視点で描かれた沖縄戦であっても、池上永一とは斯くも方向性の異なった作品が生まれるのか、と感心する。というか、こちらが「普通」であって、池上永一が全然「変」なのだが。で、この作品は昨年の「新潮」11月号に一挙掲載されたもの。最早、完全に「文藝作品」扱いである。推理作家が純粋な戦記文学に手を染めるというのは、戦中の時局小説を除いても、山田風太郎、結城昌治、胡桃沢耕二など、その例は多い。しかし、端正なる古処本格ミステリの赤子としては、是非、戦記方面での作戦を完遂され、推理文芸の方へと転進せられる事を希求してやまないところである。
米軍が上陸してきた時、安次嶺弥一は数えで十二、満で十一歳になる国民学校の児童だった。北部に逃げる両親を臆病と感じるほどに、筋金入りの小国民であった弥一は、ある夜、日本兵同士の揉み合いに遭遇する。手傷をおった「山兵団」の北里中尉と看護に努める仁科上等兵。彼等の「軍人らしさ」に憧れた弥一は、兵隊嫌いの区長の眼を盗んで、二人を匿い薬を届ける。やがて、米軍の侵攻は鉄壁であった筈の「海兵団」を揺さ振り、敗色に加速された暗鬼が神兵たちを山賊へと変貌させていく。我欲と保身のために住民をスパイ扱いする遊兵の姿は、弥一の心を翻弄する。そして訪れる破局。近づきすぎた罪は誰が贖う?
挿入される直接話法が、悲劇の韻律を刻む沖縄戦悲話。冒頭からあからさまに「犯人」のプロフィールが提示されており、一種の倒叙推理的な楽しみ方(「殺人者はどこでヘマをしたのか?」)をするのがお作法か?中編ともいえる長さなので、戦局の悪化と人心の疲弊が一気に進むため、読みやすすぎるのが戦記文学としての難点かもしれない。成長小説と呼ぶには痛すぎ、ミステリとしては薄味な読み物。こんなところで試されてもなあ。


2004年2月14日(土)

◆連れ合いが実家で仕事モードに入ったため、こちらはお買い物モードで繰り出す。
「桃源郷の惨劇」鳥飼否宇(祥伝社文庫)
「たったひとつの」斉藤肇(原書房:帯)
「QED 龍馬暗殺」高田崇史(講談社ノベルズ)
「白い兎が逃げる」有栖川有栖(カッパノベルズ)
「2分間ミステリ」DJソボル(ハヤカワミステリ文庫)
「もっと2分間ミステリ」DJソボル(ハヤカワミステリ文庫)
「川の深さは」福井晴敏(講談社文庫)
「赤緑黒白」森博嗣(講談社ノベルズ:帯)
「OZの迷宮」柄刀一(カッパノベルズ)
「早わざ三四郎」城戸禮(春陽文庫)
「ナイト・ブリード」友成純一(ハルキ・ホラー文庫)
「恐怖小説コレクション 魔」(新芸術社)
d「愛しても、獣」山田正紀(双葉社)
d「フィリップ・マーロウより孤独」平石貴樹(集英社:帯)
d「パリは眠らない」Mルブラン(教養文庫)
d「ウサギ料理は殺しの味」Pシニアック(中公文庫)
d「ゆらぎの森のシェラ」菅浩江(ソノラマ文庫)
d「生存の図式」Jホワイト(早川書房:帯)
d「ヌードのある風景」Cブラウン(ポケミス)
d「殺しは時間をかけて」Jモンテイエ(ポケミス)
いやあ、買った買った。これといって珍しいものは何もないが、10キロ以上歩いて、気持ち良く買った。ああ、本を買った日は運動をした気になれるぞ。それに日記も楽だ。古本こそは百薬の長である。
「レッツ古本ダイエット!」
え?書庫をダイエットしろ?
かあちゃん、ごめんちゃい。(人生幸朗調)


◆「桃源郷の惨劇」鳥飼否宇(祥伝社文庫)
大自然愛好家にして横溝正史賞作家、400円文庫に挑む。本格のコードを異界ともいえる大自然の懐で転がす事に長けた作者の本領発揮の1作。今回の不思議の舞台は、ヒマラヤの奥地、ここでなんとこれまでテレビカメラが一度も捉えた事がないという伝説の神鳥を追う番組制作プロダクション<鳥獣戯画クリエイト>の一行。その鳥の名はミカヅキキジ。見た目は日本人のようなトルク村の人々の生活を取材しながら、神鳥の姿を収録しようと村のタブーを侵すスタッフたち。細い月の光の下、巨大な影が跳梁した後には、首を折られたカメラマンの死体と40センチはある足跡が残されていた。さあ、ここで、クエスチョン、果たして、行儀の悪いカメラマンを殺したのは、誰だったのでしょうかあ?
では、マコト君の答えをあけて見ましょう。「雪男」と書いてありますが?
「だって、そうとしか思えないじゃないですか?作者がそう書いてますもん」
と、どうでしょう、ミスディレクションという言葉を知らないのでしょうか?
引き続き坂東さんの答えを開けてみますと、「神の使い」、ですか?
「いや、もう天罰ではなかろうかと」
具体的には?
「いや、やっぱり雪男かな」
では、そう書いていただけますか。続いて黒柳さんのお答えは、
「針金」
これは、この物語の主人公ですが、
「まあ、一番怪しくないのが犯人かと思って」
さあ、どうでしょうか。それでは正解はこちら!

というわけで、テレビ業界の内幕と桃源郷というミスマッチが楽しい作品。殺人を巡る複線の張り方が丁寧で、読後感もさわやか。更に、最後の一章で文字に淫した離れ業を披露してくれており、その曲者ぶりが頼もしい。この人の「はずし方」は余人の追随を許さない。


2004年2月13日(金)

◆政宗さんに告知して頂きましたが、本の雑誌社が、奇特にも私の雑文を本にしてくださる予定であります。内容は「本の雑誌」に掲載された「血風堂奇譚」他に、このサイトの日記の一部(感想抜き:六ヶ月分)と「瑣末の研究」の一部、年間ベストを加えたものであります。連れ合いの第一声は「印刷代、出さなくていいんでしょうね?」でした。ううう。まだ本人が一番疑ってます。
◆プチ残業。デフォルト買い1冊。
「白い恐怖」フランシス・ビーディング(ポケミス:帯)
発表年が1927年。はあ〜、これはまた、昔むかしのサスペンスなんだねえ。「もしわたしがしってさえいたら」派かなあ?「もしもわたしがよみさえしなかったら」かなあ。
◆連れ合いとしこたま呑んでいたら「スカイハイ2」の録画を忘れてしまった。ま、いっか。「2」になってから一度も観てないんだよなあ。
◆よしださん、佐賀潜キープお願いします。そんな本、出ていた事も知りませんでした>私信


◆「ジェシカが駆け抜けた七年間について」歌野晶午(原書房)読了
ネタバレはしないつもりだけど、この話は何の予備知識も入れずに読んだ方がいいです。

と警告しておいて、この年末年始、突如人気が「全国区」になってしまった作者の最新作。朝日新聞の「この人」欄にまで登場してしまったのだから、大極宮まであと一歩。走らなあかん夜明けまで、どすこい、今夜は眠れない。さて、アテネ五輪に向けて巷間スポーツ界の話題がなにかと尽きない中、最新作は女子マラソンをテーマに歌野流ブラック・マジックを仕掛けてくる。
時は現代。処はアメリカ、ニューメキシコ州アルバカーキー。エチオピア出身の新進マラソン・ランナー、ジェシカは、ある夜、奇妙な儀式を目撃してしまう。それが「丑の刻参り」という呪術だと知ったのは、呪いの主であるチームメイトのアユミ・ハラダの口からだった。そして、近々日本で開催される国際マラソンの切符を失ったアユミの放つ呪の相手は、彼女たちが所属するNMACの創設者にして、監督も務めるツトム・カナザワだという。縺れ合い乱れる男女の愛憎。才能の壁に打ちつけられた魂。そこに待つものは「死」の清算。そしてその7年後、ジェシカは「運命の日」に日本の地を踏む。早すぎた理論。疾駆するドッペルゲンガー。暴走する殺意。いない筈の女。果して怨念は死を越えるのか?民族の誇りとともに生き、民族の誇りを掛けて駆け抜けた七年間。ジェシカのみたランナーの真実とは?
またしても、この長い長い題名にすべてがある。綿密な取材に基づく、驚異の一発トリック。まさにトリックバカ一代である。ゴールしてから、やや喋り過ぎるところが推敲不足を感じさせるものの、この力技には脱帽。歌野晶午は島田荘司スクールの第一集団から完全に脱け出し独走態勢を固めたと言って過言ではあるまい。
それにしても、帯で「葉桜の季節に君を想うということ」の著者が贈ると麗々しくしたためてしまうのはどんなものかいなあ。


2004年2月12日(木)

◆神保町タッチ&ゴー。出物に当たらず新刊2冊。
「ジェシカが駆け抜けた7年間について」歌野晶午(原書房:帯)
「無法地帯」大倉崇裕(双葉社:帯)
◆みすべすのともさんから昨日の「妄想」に反応して貰う。どーも、どーも。
Zガンダムの表現で「地球の重力に魂を引かれた人々」てえのがあるんですが、着うた世代からみれば、おそらく我々って「書籍の重力に魂を引かれた人々」なのでありましょう。かつてLPがCDに駆逐される過程で「それでも、LPの大きなジャケットには捨て難い魅力がある」とまことしやかに囁いた愚か者(>オレだ、オレ)がいたように、本の魅力というのは、そこに書かれた内容だけじゃないよね、と思えてしまうのであります。
◆といわけで妄想の続き。
仮想書庫には、幾つかの雛形があるのだが、例えば「江戸川乱歩全集」を全巻(?)ダウンロードすると、購入特典で「乱歩の蔵」仕様の仮想書庫が提供されるとかいうのはどうだろうか?「書斎曼荼羅」に描かれた本の達人たちの仕様もいいぞ。まあ、幾ら書庫を喜国仕様や京極仕様にしても、並べているのが、ぱりぱりの新刊だと「書庫倒れ」になってしまうんだけどさあ。私が昔から夢見ているのが映画「マイ・フェア・レディ」に出てくるヒギンズ教授の本棚。邸宅の螺旋階段沿いに展開された本の姿に、話そっちのけでうっとりと見入ってしまったのであった。まあ、書庫というよりは半分邸宅の方に心を奪われていたのかもしれないのだが。子供たちなら「ホグワーツ魔法学校仕様」なんかがお気に入りかも。思い切り「ドラえもん」とか並べたりして。うへえ。でも、一番並べたいのは「ハリーポッター」の第6〜8巻、更には第9巻なんだろうなあ、てな「架空書物」論議になっていくのだが、それはまた別の話。


◆「廃虚の歌声」ジェラルド・カーシュ(晶文社)読了
通好みの異色作家再臨。こういう二匹目の泥鰌であれば何度でもアンコールである。後10年もすれば、当り前のように文庫で読めたりするのかもしれない。それとも、マニアが血眼でひいひいと古書店を駆け回っているか?カームジンならそこでどう一儲けを企むか夢想してみるのも楽しい。「カームジンとカーシュの3冊目」を阿刀田高あたりが書き下ろして3冊目の特典として電子配信するというのはどうだろうか?
「廃虚の歌声」アフター・ドゥームスデイもの。忌地の穢土の下で主人公が遭遇した末裔たちの姿、そして歌声。「アンナン」は何処?地底牧場の侘しさが沁みる表題作。今となってはありきたりのアイデアだが、「闇」の描写は読むものの五感に訴えかける。
「乞食の石」人生の敗残者たちの集う処。そこに眠る最大の「皮肉」とは?作者の代表作の一つ。乞食百態を楽しんでいるうちに、とんでもない作者の悪意をつきつけられる作品。ああ、なんて優しくないんでしょ。
「無学のシモンの書簡」それはまた別の救世主の物語。宗教に纏わる素養に欠けるものとしては、この作品の「取り違え」感覚が根っこのところで判っていないのだが、一種の並行宇宙として捉えるべき話なんだろうか?
「一匙の偶然」レストラン奇譚。嫌われ者の元貴婦人が店を叩き出された後に因果の車は回る。男と女の因縁を神の御手が裁く人生の妙。人間一人の幸福の量には限界があることを思い知らされる作品。
「盤上の悪魔」チェス名人をどこまでも追いかけてくる「悪魔」の正体とは?ロバート・ブロック系の話。ブロックファンとしては残酷味でもう一捻り欲しくなる。
「ミス・トリヴァーのおもてなし」ハロウィンの夕べ、ミス・トレヴァーの家を扉を叩く者たち。最後にやってきた余りにも見事な「扮装」への感嘆が驚愕に化ける。これもブロック系。怪談の王道。
「飲酒の弊害」感応しあう双子の悲劇。兄の飲酒・喫煙の害を一身に引き受ける弟。歪な関係の正しい清算の在り方とは?なんとなくオチが読めたという事は再読だったんだろうか?この後味の悪さは、天下無双。
「カームジンの銀行泥棒」陽気な法螺吹きが地球を回す。エレガントな銀行泥棒の顛末を騙る傑物を観よ!カームジン初登場のアイデア・ストーリー。映像的にも見せる。
「カームジンの宝石泥棒」美しい宝石に眼がないペテン師カームジン。貴族に成りすまし目論むは「精神病院」での篭脱け。言葉狩りに合わないうちにこういう話は楽しんでおきましょう。
「カームジンとあの世を信じない男」ペテン師は幽霊も活かす。只の怪談を怪談に終わらせない二枚腰とそれを上回る展開に唖然。この類いの話の先駆にして最終形かもしれない。
「重ね着した名画」二転三転する名画「ババ抜き」の顛末記。ギャラリー・フェイクの50年先を行く贋作のロンド。これも既に陥穽の完成形である。
「魚のお告げ」沼の主に導かれ、ウエールズの地下迷宮に乗り込んだ主人公を待つものとは?橘外男か香山滋系の地獄巡り譚。更にもうひとつの「伝説」を絡めて、伝奇ショッカーの味わいを深めた逸品。長さ以上に長さを感じさせる貫禄がある。
「クックー伍長の身の上話」第二次世界大戦直後に巡り合った「不死人」の私的探索の顛末とは?作者らしい壮大な法螺話。このスケールの大きさと、クエストのつつましさのギャップが笑える。


2004年2月11日(水)

◆一日がかりで10日分の日記と感想を整えてアップ。あああ、俺の休日を返せ。
◆「エコエコアザラクー眼ー」第5話・第6話をまとめて視聴。第5話は、佐伯版の第1話・第2話の焼き直し。リメイクするならするでいいんだけど、肝腎の虐められキャラがギャグっぽいのはどんなものか?ミサが「元気玉」をやってました。
第6話はシリーズの骨格が見え、映像にも工夫があり、ミサの最凶攻撃呪文も炸裂で申し分なし。まずはここまでのベスト作品。クライマックスを何度も再生して詠唱しちゃったよ。やっと面白くなってきた。
◆電子ブックならば、本をネット上でダウンロードしたり、チップ一つに格納できる。現在商品化されている端末は扱いと価格の面で、自分で買ってみたいとは思えないのだが、更に有機ELやら電子ペーパーが進化すれば、「見てくれ」や触感を紙の本と同じにする事はたやすいのではなかろうか?電車の中を一番の移動書斎と心得ている人間にとっては、一考に値する。
ここで、電子ブック普及に向けての提案なのだが、「仮想個人書庫」サービスをオプションとして提供するというのはどうだろう?
つまり仮想空間に個人の書庫を構築して、その中を歩き回ったり、買った本の書影を眺めたり、気がむいた時に拾い読みできたりするサービスである。
「一度でいいから自分の全蔵書の背表紙をこちらに向けて一望のもとに見渡してみたい」というのは蔵書家共通の「見果てぬ夢」である。それを仮想空間で実現するのだ。函も帯もカバーも完備させ、泰西古典の原書のダストラッパーも簡単に楽しめたりすると、もう最高。
勿論、検索やソートはお手の物。今まで叢書別やら出版社別に並んでいたものを一瞬にして著者別や年代別に模様替えする、なんて事はリアルではまず不可能な楽しみではなかろうか?「ランダム」とか「平積み」とか言うモードもあったりして、かつての乱雑な書庫の雰囲気も味わえたりするってえのは、どうだ?
で、時々手入れしてやらないと紙魚が湧いたりする。これを「バグ」という。

このサービスの「肝」は、消費者に「積読」をさせることができる、言い替えれば「読まないかもしれない本を買わせる事ができる」ところだ。
でないと、誰もが必要な時に、読みたい作品をダウンロードして終わってしまうじゃない?それだけで、作品の売り上げは半減以下に落ちてしまうように思えてならない。
とりあえず、今日はここまで。この話は更に続けるかも。


◆「無言劇」倉阪鬼一郎(東京創元社)読了
オールドファンにとって「創元クライムクラブ」という叢書は、なんとも複雑な感興を掻き立てられるシリーズである。植草甚一の趣味に走り捲ったセレクションはウイリアム・モールのような世界ミステリ史上の異端児の傑作を拾い上げたかと思うと「死の逢いびき」やら「暗殺計画」やら箸にも棒にもかからないような作品を紹介しており、古書価格に見合った内容を期待しないのが「賢者の知恵」であると言われてきた。その「創元クライムクラブ」の名を今に伝える新叢書の1冊がこれ。で、はっきり申し上げてこの作品は旧クライムクラブで言えば、「十二人の少女像」クラスの困ったちゃんであった。
舞台は7階建ての胡蝶ビル。それは1階から3階まで雀荘・将棋道場・囲碁倶楽部が入ったエスタブリッシュなボードゲーマーの社交場であり、亡・本城本因坊の「夢」そのものであった。そしてビルの常連、中堅ミステリ作家・黒杉鋭一郎はスランプであった。創作においても、ゲームにおいても、現実の連続殺人事件においても。幕間劇で交わされる愛の語らい。次々と殺害される道場の花たち、徐々に明かされていく曲者揃いの関係者の名前と過去。あっけない解決は、更なる死神を招き、トーナメントの夜に袋小路で不可能犯罪は行き止まる。壁に突き当たった者達への鎮魂は、ただ無言のフィナーレへ。
これまでの倉阪ミステリには、何かしらコアになるこだわりがあった。例えば文字遊びであったり、人称遊びであったり、叙述ごっこであったり、その全てが読者の胸を打つかどうかはともかく「俺の遊びたいのはここなんだってば」という奇妙な迫力があった。が、この作品についていえば、「あれ、ここか?」と思い当たる節がなくもないが、どうもピンとこなかった。作者が以前翻訳を手がけた本格推理が全くといっていい程売れなかったのかあ、などという業界内輪受けにクスっとくるぐらいで、後は只管、凡庸な本格推理を読まされている思いがした。ミステリとしては食いタン・ピンフ系の上がりで、通常チャンタ三色イペーコーぐらいはつけてくる作者の水準に達していない。殆ど情状酌量を狙った弁護人モードの福井健太解説ででドラ1といったところでしょうか。