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2004年1月20日(火)

◆尚も、娘の誕生祝い宴会は続く。
◆♪お買い物、お買い物。
「二つの脳を持つ男」Pハミルトン(小学館:帯)
「終わりなき負債」CSフォレスター(小学館:帯)
「マリナー氏ご紹介/マルタン君物語」ウッドハウス/エイメ(筑摩書房:函)
d「エッフェル塔の潜水夫」カミ(筑摩書房:函)
d「ガードナー傑作集」各務三郎編(番町書房)
小学館ミステリーを2冊。買えるうちに買っておけ、というシリーズなのは良く分かっているのだが、まだ「グリーン・アイス」だの「リトル・シーザー」だの買ってないんだよなあ。ところで、この古典発掘シリーズ、文庫で出していた時と、現在のソフトカバー単行本とで、実売部数は変っているのだろうか?版型がどうあれ、マニアの数だけ売れているような気がしてならない。
筑摩書房の世界ユーモア全集が1巻から13巻まで均一棚に並んでいたので2冊だけ拾ってみる。カミは講談社文庫版で持っているんだけどね。
番町書房のイフ・ノベルズ各務三郎アンソロジーも講談社文庫版で所持しているもの。いや、イフ・ノベルズでも持っていたかもしれない。先日クリスティ傑作集をサルベージしたので、勢いで買ってしまった。この各務アンソロジーは各務三郎の作家紹介が華。とてもバランスがとれた「模範解答」の如き紹介なのである。
◆あ、政宗さんの日常日記で感想を褒めてもらってるよ。どーも、どーも。


◆「悪意の楽園」キャロリン・G・ハート(ミステリアスプレス文庫)読了
「デス・オン・デマンド」シリーズで有名なハートのもう一つの看板探偵、新聞記者上がりの女流ミステリ作家ヘンリー・Oが登場する第4作。文庫の梗概に曰く「現代版ミス・マープル」だが、この1作を読んだ限りでは、「HIBK派の頭の悪いジェシカおばさん」という印象。未亡人で推理作家という設定は、余りに節操のないパクリではなかろうか?やるならもっと巧くやって欲しいというのが「ジェシカおばさん・マニア」としての思いである。
「わたしはヘンリーO、ミステリー作家です。頭の中で推理しながらお話を作るってホント素敵な仕事です。でも本物の事件に出会ってしまったら、もう大変。小説よりそっちに夢中になっちゃうんです。どうしてこうなんでしょうねえ。」殺人を呼ぶ推理作家ヘンリーO、次の赤いシグナルは、彼女自身の物語。6年前、ハワイで転落死を遂げた亡き夫リチャードの死が殺人であった事を仄めかすコラージュが届けられた。リチャードは、友人にして全米を代表する女性ジャーナリスト、ベル・エリクソンの長女誘拐殺人事件を追っていた。首尾よく招待客になりすましベルの館に逗留したヘンリーOの前に、ベルと三人目の夫、五人の子供たちが繰り広げる愛憎のゲームが展開する。嘘から出た死体、醸成された殺意、裏切られた愛、果して楽園に潜む蛇の正体とは?
ジェシカおばさんシリーズの異色編に「連続殺人、ハワイの休暇」というスペシャル作品がある。これはトム・セレック主演の「私立探偵マグナム」とのジョイント作品で、マグナム枠で前編、ジェシカおばさん枠で後編が放映されたと聞く。このハワイを舞台にしたヘンリー・Oの第4作が、まさしくそのイメージでヘンリーOと長女の婚約者だった社会派弁護士がそれぞれに事件を追うというスタイル。そこまでパクるかな?まあ、弁護士の方は、マグナムというよりは「熱血弁護士カズ」って感じだけど。正直なところ、誰が犯人でもかまわない類いの話であり、ヘンリーOの探偵法も、私文書偽造、家宅不法侵入、名誉毀損、脅迫、証拠隠滅などなんでもあり。ペリー・メイスンでもそこまでやらんぞ、って感じ。それでいて、最後まで真犯人を取り違えているというオマヌケぶりが実に情けない。リゾート気分を味わいたいだけの緩いサスペンスファン以外にはオススメできない「こーじーみすてり」であった。つまらんものを読んでしまった。


2004年1月19日(月)

◆本日はエドガー・アラン・ポーの誕生日であり、モルグ街、もとい、森鴎外の誕生日であり、うちの娘の1歳の誕生日である。というわけで水入らずで祝い事。(>風見さん、御明察)。鯛に赤飯、手作りのケーキなどで盛り上がる。
大鴉も雁もやってきて、こんなことは、またとないのである。
◆♪御買い物、御買い物。
d「妖女の隠れ家」JDカー(ハヤカワミステリ文庫)
d「E.G.コンバット」秋山瑞人(電撃文庫)
「E.G.コンバット 2nd」秋山瑞人(電撃文庫)
「E.G.コンバット 3rd」秋山瑞人(電撃文庫)
「探偵稼業はやめられない」パレツキー他(光文社文庫)
「沈黙者」折原一(文藝春秋:帯)
「夜啼きの森」岩井志麻子(角川書店:帯)
「玩具館」井上雅彦編(光文社文庫:帯)
カーは人気の依光カバー。新訳で傑作であるにもかかわらず、なぜか版を重ねていない本なので、探している人は探しているかもしれない。 秋山瑞人は、買いそびれていたシリーズ。第1巻は書庫から発掘するのが面倒なのでダブリ承知で拾う。
光文社のジャーロアンソロジーは、21世紀の「名探偵登場」とでもよぶべき本か?並みいる私立探偵に混じってサム・ホーソンが本格推理の孤塁を守っている雰囲気がなんとも。本塁を守っているのだが、他の連中とは違う球場だったりする、とでも申しましょうか。


◆「十二人の手紙」井上ひさし(中公文庫)読了
昔、「週刊小説」に「四捨五入殺人事件」が連載開始された際に「へえー、この人って推理小説を書くんだあ」と初めて知った。しかし、それ以降は「筆の遅いブンガクの人」という印象が付き纏い、食わず嫌いで通してきた。で、積読山脈の手前にあったこの本を読んで、認識を改める。
すごい。なんという企みに満ちた人間模様の機微。欧米ミステリでいえば、ヘンリー・スレッサーか、或いはスタンリー・エリンの域に迫ろうかという快作揃いである。すべて手紙文で綴られるという趣向にとりててて新しさはない。またそこに描かれた生活が、「日本」という国の貧しさをしみじみと読者に突きつけてくる点で、ハイカラな逃避文学とは趣を異にする。だが、貧乏を描いても決して貧乏臭くはない。全てが洒落っけと遊び心に富み、何度もツイストに唸らされる贅沢なエンタテイメントなのである。
どこにもある田舎娘の悲哀を悲劇に高めるプロローグ「悪魔」
偏屈な売れっ子小説家に送り付けられた戯曲への罵倒芸と痛快な逆転劇「葬送歌」
出生届から死亡届まで、届け出の中に薄幸な尼僧の生涯が浮かび上がる残酷信仰物語「赤い手」
北海道旅行を楽しみにする孤独なOLがペンフレンドに選んだ男の正体を巡る推理譚「ペンフレンド」
身障者の共同体の波乱が一人の男の誓いを破らせるまでの魂の遍路「第三十番善楽寺」
隣家の財産騒動に巻き込まれた新妻の心の闇に迫る「隣からの声」
山篭もりした聾唖の天才画家に届けられた妻と弟子の陰謀の記録「鍵」
人生を掛けて押売りされる善意の傲慢を裁く「桃」
芸能界の階段を駆け上がる娘を襲う陥穽と欺瞞を描いた「シンデレラの死」
酒飲みの父をもった女子高生の純愛と「家」制度の形通りの葛藤「玉の輿」
推理作家の卵が師匠に奪われた最も大切なものとは?ガーヴの原書という隠し味も嬉しい「里親」
冷え切った夫婦仲を青春の憧憬が柔らかく引き裂いていく「泥と雪」
オールキャストで描く悲喜劇のエピローグ。名探偵は筆談で語る。「人質」
騙されたと思って読んでくれ。
読んで騙されてくれ。


2004年1月18日(日)

◆掲示板でれーめんさんから「毒薬と老嬢」に出演したのはゲイリー・クーパーじゃなくてケイリー・グラントでは?とのご指摘を受ける。
おっしゃる通りでございます。ご指摘ありがとうございます。
ここの管理人は映画や芸能がホームグランドでないもので、この手のミスはしょっちゅうやらかしてます。面目次第もございません。こっそり直しておきました。
◆で、どれぐらい映画を観てないかの証しともいえましょうか、クリスティー原作、ビリー・ワイルダー監督作品「情婦」を初めて見る。
弁護士役のチャールズ・ロートンと(原作にはない)看護婦役のエルザ・ランチェスターの掛け合いが最高。ネットで調べていて二人が実生活でも夫婦だったと知って納得。
アングルに凝った法廷シーンといい、被告が未亡人を篭絡する回想シーンといい、逆転に次ぐ逆転、更に原作を知っている者も唖然とさせるラストといい、実に実に面白い映画だった。贅沢な法廷のセットも一見の値打ちあり。これもネットで調べて驚いたのだが、この映画公開時にマレーネ・デートリッヒは御歳56歳だったらしい。うむむむむむ、女優は化け物である。
あとは脚本のところにハリー・カーニッツの名前をみつけて納得してみたり、エンドクレジットで「この物語の結末は、まだ見ていない人にはお話になりませんように」というナレーションが流れるのにのけぞったり、とミステリマニアは死ぬまでに一度はみておいて損ではない。っちゅうか、必見の傑作でしょう。
◆購入本0冊。


◆「サムライ・レンズマン」古橋秀之(徳間デュアル文庫)読了
EEスミス作「レンズマン」シリーズの公認パスティーシュ。20年前にアニメ化された際には、どうしてあのワイドスクリーンな一大サーガが、こうチンケなエピソードに矮小化されてしまうのかと頭を抱えたものだが、この作品はその不満を第二銀河系の彼方へとQ砲で吹き飛ばす出来映え。
宇宙海賊ボスコーンが第二段階レンズマンたちの活躍でこの銀河から駆逐されて数年。キムボール・キニスンの日常はデスクワークに埋め立てられていた。だが、大蛇の死体からは新たな死の蛇が鎌首をもたげる。銀河パトロールがマークするボスコーン残党の幹部デイルズの野心は、宇宙の深淵よりも昏く、巨大なものだった。囮にされる新米レンズマン、下克上という名の陰謀、果して宇宙最大の「銃」とは?その狂戦士に向ってサムライ・ロードを驀進する日系アルタイル人。武者走りせよ!シン・クザク。葉隠れの奇蹟に君を想うということ。
なるほど「第二段階レンズマン」と「レンズの子ら」の間に、このようなエピソードがあったとしても何の違和感もない。「聖典」の勘所を押え、その上で奔放に暴れまわるイマジネーションに敬服。ヴァレロンのスカイラークが小さく見える超兵器対超兵器の激突、その中で繰り広げられる破壊者とサムライの一騎打ち、最も劇的なタイミングを見計らって聖典のレギュラーたちを投入し、語るは母なる地球最大の危機、武士道に、浪花節に、生命賛歌も織り込んだ逸品。これは、ファン必読。これぞスペースオペラ!!この企画に携わった全ての人に感謝。


2004年1月17日(土)

◆ほぼ一ヶ月ぶりにサイト更新。権田萬治サイトの件やら「後巷説百物語」受賞への感想などフクさんの日記とのシンクロニシティを改変すべきかどうか悩んだが、手間を惜しんでそのままアップ。すんません。
◆一ヶ月間沈んでいたが、別に何が変るわけではなくて、相変わらず本は買っているし、読んでいるし、感想も(遅れながら)書いている。また日記部分はほぼ毎日書いている。しかし、アップしない限りネット上では存在しないわけで、ごく稀に心配してくださる方もいらっしゃった模様。まだ、生きてます。はい。というわけで、今更ではございますが、

今年もよろしくお願い申し上げます。

◆今年から意識的に変えてみたのは、入手本の金額の記載を止めたこと。結構不気味感が増すものだ。
◆積録の「エコエコアザラク〜眼〜」第2話を視聴。第1話は、始まっている事も知らず未録画・未視聴につき、シリーズの流れが見えない。ほぼ1話完結であった佐伯日菜子版に比べるととっつきにくい。4代目黒井ミサ役の「上野なつひ」は、これまでのミサの中で最も顔立ちが日本的で、最もスカートの丈が短い。スチールでみると今ひとつ冴えなかったが、動くとそれなりに凛とした魔女ぶりである。「いつもおなかをすかせている黒井ミサ」というのは新鮮。オープンしたばかりの公式サイトはここ
◆娘がぐずる。寝入ったと思って下ろそうとすると泣く。仕方がないので、抱きかかえながら、こちらも寝るという江戸川乱歩調「人間寝床」状態。ココロは阿弥陀のように静かに落ち着く。これが三昧か?涅槃か?生きながらにしてホトケになった気分。
そう私は最早「人間寝床」ではない!「仏寝床」なのだ!!

「フランスベッド」

>言いたい事はそれだけか?
◆購入本0冊。
◆AMさん、プレゼントありがとうございます。会社のメールなので、まだ中身は確認できておりませんんが、取り急ぎ御礼まで。>私信


◆「裏六甲異人館の惨劇」梶龍雄(講談社ノベルズ)読了
1月17日はマスコミが神戸一色になる一日につき、神戸を舞台にした作品を手にとってみる。昭和62年9月の講談社ノベルズ新刊。帯を見ると、かの綾辻行人の「十角館の殺人」と同月のリリースであった事が判る。因みにこの月は他に長井彬「南紀殺人 海の密室」、佐橋法龍「こちら禅寺探偵局」、高橋克彦「総門谷」が出ている。なるほど、この辺が潮目であったか。
名探偵映画監督・五城秀樹登場編。相棒の助監督、吉田早人がロケハンで繰り込んだ神戸で旧友とのみ過ごし、タクシーで向った裏六甲の異人館。なんと彼はその一室で月明りに照らされた殺人の瞬間を目撃してしまう。やがて酩酊から醒めた彼は、関西政財界にその名を知られた真隅家の館で外国人宝石商ウッドリッチが斧で惨殺された事を知る。吉田の身を案じた五城秀樹は現地に駆けつけるが、陣頭指揮に立つ六甲署・勝倉署長は、素人探偵の介入をむしろ歓迎する。学者の当主に黒真珠夫人、化学マニアの息子、ポルノ女優の娘、過激派くずれのメイド、美貌のハウス・キーパー、上流階級のエキセントリックさを漂わせた館で、五城の推理が始まる。盗まれた「黒い幻想」、燃える廃屋、撲殺と転落、果してゼロ時間への時刻表は誰が描いたのか?
恐ろしく運びが不自然で、手掛りが見え見えな本格推理。「このリアリティーのなさは一体何?こりゃあ、読了即壁直行か」と思われたが、最後に仕掛けが判明して、半分納得。作中、盛んに「ゼロ時間へ」が引き合いに出されるが、その手際において、クリスティーの足許にも及ばない作品である。騙すぞ、騙すぞ、という思いが全面に出過ぎており、褌一丁の手品師の曲芸を見せられた思い。またこの名探偵の魅力のない事。プロットも人を殺しすぎ。新本格前夜、泰西推理に憧れながら届くことが出来なかった古参作家に鎮魂曲を。


2004年1月16日(金)

◆神保町タッチ&ゴー。二日続けて行って何かを期待するのが間違いである。書店では直木賞受賞のPOPが踊っている。でも、「後巷説百物語」って、それだけ読んでその面白さの全てが楽しめるという話じゃないと思うぞ。まあ「普通の人は機能の十分の一も使わないがそれなりに満足しているイマドキの携帯電話」ほどじゃないだろうけど。
◆昨日買ったけど日記に書きそびれた本。
d「ペトロフ事件」鮎川哲也(講談社・大衆文学館)
「この版では未所持でしたよ」と記憶が告げたので、とりあえず拾ってみる。この記憶にどれだけ欺かれてきたことか。
もっともらしく騙り(「これは、松野一夫の挿し絵も入っているし、有栖川有栖の解説も貴重。アリスファンと鮎哲ファンと大衆文学館ファンの3人が探す本ですよ。『だったら既に買ってるんじゃないか?』って?貴方が、そんな素直な感性をした人ですか?品切れになるまで『読めりゃいいから、挿し絵や解説で買うのはやめる。大衆文学館、高いし』と言ってたじゃないすか?」)
煽り(「ここで買っておかないと、また後悔しますよ。『でも、帯なしだ』って?またまた〜。帯付きに出会ったらまた買えばいいんですよ。これは、それまでの繋ぎですってば。この本なら引き取り手は幾らでもいますよ。いつもおっしゃってるじゃないですか?」)、
そして驚愕のドンデン返しでしらばっくれる(「え?書庫にあった?それも帯付きで?…だから、申し上げたじゃないですか?持ってる筈ですって。もう、こりない人なんだから〜」(にやり))。

私の「記憶」はクリスティー並みにスリリングだ。でもコージーではない。

◆1月新番組「奥様は魔女」をリアルタイム視聴。これはご機嫌。アメリカから丸ごと番組権を買ってきたのか、設定・音楽・ナレーター、すべて本家と同じ。いやまあ、ナレーターは日本産だけど。「武蔵」では煌びやかすぎる「お通」だった米倉涼子が主役アリサを伸び伸び演じていて吉。アリサの母親役・夏木マリの魔女ぶりがこれまた絶妙。「湯ばーば様」以降、こんなオファーばっかりなんでしょうか?この二人、本当の親子みたいである。脇役陣では隣のおばさん(富士真奈美)、上司(竹中直人)も、原作ファンを喜ばせる。
ただ、夏木マリが「マクベスの魔女。あれは酷いもんだった」とシェイクスピアを振り回すシーンは、一体、どのぐらい視聴者に受け入れられたんだろう?そこまで、日本人の共通認識になっちゃいないと思うんだけど。あと、「荒鷲エージェンシー」なんて固有名詞が出てきたけど、制作にホイチョイがイッチョ噛みしてるんだろうか?くすぐりどころで「笑い声」を入れる、ってのも是非やって欲しかったりする。


◆「好色な窓」多岐川恭(講談社)読了
久しぶりに買った(私にしては)古書らしい古書。昭和34年刊行の著者の第三短篇集。粒ぞろいの風俗推理短篇集、と呼んでよろしかろう。が、刊行当時は、「叙情とトリックの気鋭・多岐川恭が堕落した」と受け止めたファンもいたのではなかろうか?特に表題作や「古い毒」の被害者像は、救い難い狒狒爺で、本格推理の登場人物にするには脂がのりすぎており、焼くと桃色遊戯の煙が一面に立ち込めそうで暑苦しい。が、それぞれにミステリであろうとする姿勢は買え、「ご報告申し上げます」のように明朗コントの顔をしながら(半ばそれをミスディレクションに使いながら)、最後の一行でアクロバティックな着地を決めたりされると、手放しで褒め上げたくなってしまう。5編収録。以下、ミニコメ。
「好色な窓」鯰田亀二郎なる金満家宅に甥っ子の家庭教師として雇われたぼくは、そこで歪な一家の姿に慄然とする。好色な窓から覗く「父と娘」の交悦は殺人の序章に過ぎなかった。縊り殺される鯰、消える女中。牝の香り、雄の猛り、倒錯の中でぼくが暴いた真犯人とは?性風俗と本格推理の交合とでもいうべき一編。筋運びは強引で、キャラもカリカチュアライズされすぎだが、最後の驚愕に掛けた意気込みは買える。なぜかクイーンを彷彿とした。
「知らなかった目撃者」レストランで鉢合わせした殺人劇。義父の威光で飼い殺しにされている省三が荒事に巻き込まれた時、純朴な妻の愛は全てを壊し、全てを救う。夫婦の純愛が微笑ましい一編。微笑んでばかりもいられない展開ではあるのだが、家長制度を放擲しているところが妙にアメリカン・スタイル。アイリッシュの作品を読んだ気にさせられる。
「ご報告申し上げます」一組の夫婦を追う私立探偵の報告書に綴られるのは、幾つもの愛と恋の顛末。美徳はよろめくか?仮面は告白するか?この作品集のベスト。叙述の妙。輻輳したプロット。爽やかな読後感。そして驚愕の結末。なんとも都会派の短篇読み物。
「死者は鏡の中に住む」事故に見せ掛けた過去の殺しが、怨霊を招来し、呪殺の時は満ちる。「赤い部屋」の逸話と「白髪鬼」を組み合わせた乱歩へのオマージュなのか?これはパクリといわれても仕方がない。
「古い毒」聖職を食い物にする学園長「象」が密室の中で刺され、殴られ、毒を盛られる。犯人はワルの三銃士?それとも象の毒牙に掛かった不良少女?多すぎる兇器に多すぎる容疑者。だが刑事の目は節穴ではなかった。キャラと道具立てがゴテゴテしており切れ味の悪い一編。短篇にしては要素を盛り込みすぎたのかもしれない。


2004年1月15日(木)

◆♪お買い物、お買い物。神保町タッチ&ゴー。
「好色な窓」多岐川恭(講談社)
「詐欺師」佐賀潜(東京文芸社)
「気分はいつもシングル」小鷹信光(二見書房)
「太陽と砂」西村京太郎(講談社:帯)
「本命」石川喬司編(カッパノベルス)
「釣りミステリーベスト集成」山村正夫編(徳間ノベルズ:帯)
「クリスティー傑作集」各務三郎編(番町書房)
多岐川恭の初期作品集は、久々のちょいめず本だが、桃源社ポピュラーブックスに対してコストパフォーマンスが悪いのが玉に瑕。初期作なので作品の品質には期待したいところ。
佐賀潜は何故か縁のなかった本。黒い装丁が格好いい。まあ、死ぬまで読まない本の一つであろう。
小鷹信光のゴルフエッセイは出ていた事も知らなかった1冊。中に一編だけ「ゴルフ狂連続殺人事件」という短編コントが収録されている。
西村京太郎本は帯の煽りがいい!

「二十一世紀の日本」当選
総理大臣賞・賞金五百万円獲得の力作

昭和42年の500万円というのは、相当のインパクトだとは思うが、それと作品の質に何の関係があるというのであろうか?募集の際に煽るのはともかく、受賞作の帯に賞金額を書くのは、それだけ日本が貧しかったって事の証しに見えてならない。
後のアンソロジーは「ついで買い」。でも、持ってなかったりするんだよなあ。
◆1月新番組「ドールハウス」なんぞを見てしまう。始まって2分でカスの香りがムンムン。いやあ、久々に酷いテレビドラマを見てしまった。こりゃ、絶対1クールもたんぞ。頑張れ、松下由樹!!いや、頑張らなくていいです。


◆「流れ星と遊んだころ」連城三紀彦(双葉社)読了
白状しよう。連城三紀彦の長編はこれが最初である。自慢ではないが、短編だって幻影城に載った数編しか読んでいない。才能は認めながらも、なんとなく肌に合わない作家というのはいるもので、私の場合、その最右翼が連城三紀彦なのであった。で、昨年のこのミス9位という評判を聞いて(というか、ネットでの葉山響氏の褒め様を見て)手にとってみた次第。
天文学的に言って「新星」ってのは、恒星の最期の事だ。だから新しいスターを求める芸能界ってのは、葬儀屋みたいなものだ。寺へ!ってね。「連星」ってのもある。これがまた芸能人とマネージャーの関係にそっくりだ。スターが主星、マネージャーが伴星。伴っ!星よ〜っ!ってね。ところが大リークボール3号は伴が打ってしまう訳で、万物は流転するんだな。で、「流れ星」ってのは、地球の引力に捉えられた宇宙の塵が大気圏で燃える様を言う。塵が立ち込める中に地球が突っ込むと「流星雨」が降るって仕組みだ。「自分が燃える」という点では、恒星も流れ星も一緒だ。但し、温度は随分と違うけどね。これは一瞬(時間を食い散らす貪婪な芸能界という時空の中では1年半ってのは一瞬だろう?)派手に天空に輝いた「星」の話だ。落ち目のスター花村陣四郎の脱サラ・マネージャー北上梁一が、一組の男女と出会う処からすべては始まった。ロケ地は、東京・横浜・熱海、それとリスボン。誰が主星で、誰が伴星で、誰が流れ星か、そいつは自分の目で確かめてくれ。
「『涙の河をふり返れ』はいかに改装されたか?」人称と時制を操りながら、ツイストの連続で読者を翻弄する騙りの魔法。「フランス・ミステリのような」といってしまえばそれまでだが、ステロタイプな芸能界のガジェットを散りばめて、三人の男女の「演技」の激突を描いたシュミラクール(=「で、俺は一体誰なんだ?」)な恋愛小説。いやあ、びっくりした。この快感、自由落下。「君はどこへ堕ちたい?」って感じですか。ひとつだけ文句がいいたのは、カバーの絵。それと認識せず、電車の中で読んでいて、後から恥かしい思いをしてしまった。


2004年1月14日(水)

◆♪お買い物、お買い物。
「豆腐小僧 双六道中」京極夏彦(講談社:帯)
「流れ星と遊んだ頃」連城三紀彦(双葉社)
「ミステリアス・クリスマス」(パロル舎:帯)
「ホンドー」ルイス・ラムーア(中央公論社)
「賭博師ファロン」ルイス・ラムーア(中央公論社)
「争いの谷」ルイス・ラムーア(中央公論社)
「最後の一人まで」ゼーン・グレイ(中央公論社)
京極夏彦本は規格はずれなサイズがなんとも。新作に豆本の応募券がつくのは人の道にも妖怪の道にも合った事だとは思いませんか、ねえ、父さん?そうじゃな、鬼太郎。
パロル舎のクリスマス怪談集は以前から気にはなっていた本。それにしてもイギリス人ってえのは、なんでクリスマスを祝いながら怪談を語るのかね?救世主の生誕も超自然には変わりないからか?でも、復活祭にゾンビがうろつく訳ではないしなあ。うーむ、謎。
中央公論社の4冊は片岡義男監修のペーパーバック・ウエスタン。注文カードに愛読者葉書まで挟まった完本。デッド・ストックって奴ですか?


◆「黄金の灰」柳広司(原書房)読了
きょうは、すいりいじんでんのシュリーマンをよみました。さくしゃの柳先生はほかにもすいりいじんてんを沢山かいている先生です。ぼくはこれまでにソクラテスとダーウィンとオッペンハイマーのおはなしをよみました。坊ちゃんもよみましたが、「坊ちゃん」は、いじんではありませんよね?どれもとてもおもしろかったです。坊ちゃんをよんだときにかんじたのですが、柳先生は小せつをもとにしてあたらしいおはなしをくみたてるのがとてもうまい人です。きょうよんだシュリーマン伝でも、モルグがいのさつじんや、イギリスの小せつかが19せいきのおわりごろにかいたおはなしがうまくおりこまれていました。ほんとうはおうごんきのカーのかいた小せつもおりこまれているのですが、それをかくと「ねたばらし」になるのでやめます。とも先生から「ねたばらしはいけないことだ」とおそわったからです。
びんぼうな生まれだったシュリーマンがトロヤのしんわをきいてから一ねんほっきしてはたらき、大金もちになってからトロヤのはっくつをおこなうわけですが、そのおうごんが見つかった夜に、何ものかがその宝をぬすみ、キリストきょうのしさい様ががけくずれで死んでしまいます。さらに「あくま」とよばれる人夫が入り口をみはられたみっしつの中できゅう死してしまうのです。しょうねつじごくの中で、くりひろげられるきしかいせいのすいりがっせんでかったのはだれでしょう?
すいりしょうせつとしては、トリックの多くの部分を、きぞんのおはなしからひっぱっており、あたらしさは余りかんじませんでした。でも「自分がしんじるもののために、にんげんは何ができるか」を問いかけるよみものとしては、とてもかんしんしました。ゆめのおもさは、おうごんよりもおもたいものだとおもいました。


2004年1月13日(火)

◆定点観測。徹底的に空振り。
「サムライ・レンズマン」古橋秀之(徳間デュアル文庫)
いいねえ、このセンス。で、いろいろなSFにサムライを冠してみる。
「サムライ・キャプテン・フューチャー」
「サムライ・キャッチワールド」
「サムライ・ポストマン」
「サムライ・プリズマティカ」
「サムライ・禅銃」
「サムライ・スター・ウォーズ」
>なんだ、まんまじゃん。


◆「サイコトパス」山田正紀(光文社)読了
私の名は摩耶メイ。日本ミステリー文学評論賞を受賞した現役女子高生の援交書評家だ。
現役女子高生にミステリーの書評が出来るのか?そう感じた貴方は、今のミステリーからおいていかれているのが自分の方である事に気付くべきである。文学界が「瑞々しい感性」と称して女子大生狩りに走ったのは、ミステリー文壇女子高生化の大いなる助走に過ぎなかった。女子高生が読むものを女子高生が書評する。正しい姿ではないか?
ではなぜ、私は書評家でありながら援交を受け続けているのか?そう尋ねる貴方には、売文は売春に等しいという賢者の知恵を授けよう。売れるものを売って何が悪いのか?そもそも、そう尋ねる貴方の詩は売れるのか?
いや、今は誰ともしれぬ相手に喧嘩をうっている場合ではない。ジャーロの締切が迫っているのだ。
「光文社刊『サイコクトパス』
山田真木の新作は、サイコパスな猟奇殺人と本格推理風コードのパッチワーク、いやキメラと呼ぶべきか?内側に鏡を貼り付けた匣型構造のプロットは、本来神であるべき読者の視座を危うくし、先読みを許さない。
そこで扱われている殺人物語は、あからさまにカーの作品を意識している。
最初の密室は『赤後家の殺人』を<文字通り>引き合いにしており、
第二の森の小人事件は『銀色のカーテン』のトリックの縦を横にしたものである。
外から目張りされた部屋は勿論『爬虫類館の殺人』を位相的に裏返したものであり、
衆人環視の手術室からの消失事件は『曲った蝶番』と『墓場貸します』を思わせ、
作品全体を覆う翳は『めくら頭巾』のそれである。
黄金期本格推理へのオマージュであった一昨年の話題作『僧正の積木唄』では積み残されたカー的世界が、この新作では悪趣味なまでに隠し味として再現されている。
では、何故カーなのか?
それはカーが英米作家と呼ばれ、長くカーター・ディクスン名義を併用しつづけてきた事と無縁ではありえない。すなわちカーこそ『鏡像の作家』であったのだ。
They do it with mirrors.
魔術の仕掛けには鏡が欠かせない。
そこに、この物語に仕掛られた暗喩は収斂する。
<おれとおまえは二人で一人、一人で二人>

内側に鏡を貼り付けた匣型構造の中には光はささない。
そこは永遠の闇。
意味はすべて後付けされる。

そして『自分は誰か』という主人公・野添のシュミラクルな問いかけは作者自身に放たれた矢でもある。賢明な読者は既に気づいておられるだろうが、『山田真木』という筆名自体が鏡像文字である。SFから発し、伝奇、冒険、推理とジャンルを越えて挑戦し続ける鏡像の作家の到達点がこの作品であり、山田真木畢生の−
そこまで書いた私に翳が問いかける。
「きさまは誰だ?」
え、私は摩耶メイ、現役女子高生の援交書評家…
「で、誰が犯人なのか知っているか?」
私は、…知らない。そもそも何を犯したというのだ?
「きさまだ、摩耶」
翳が迫る。
やめて、…嘘。私はただ書評を書いただけ、それが真実…
「いかさまだ、メイ」
ぶん、と何が唸り、何かが飛んだ。
それは私の首だったかもしれない。




賢明な読者は既に気づいておられるだろうが、
「やまだまさき」「きさまだまや」
「YAMADA MASAKI」「IKASAMADA MAY」である。


2004年1月12日(月)成人の日

◆連れ合いがピアノのお稽古につき、一日放し飼い状態。何年かぶりにSRの例会でも覗こうと思ってみたが、サボリの虫に行く手を齧り取られて、半日ごろごろ。とりあえず、デフォルト買い2冊。
「『宝石』傑作選」ミステリー文学資料館編(光文社文庫:帯)
「サイコトパス」山田正紀(光文社:帯)
<甦る推理雑誌シリーズ>の完結を祝す。「この企画自体が即ちミステリ出版界の『宝石』」と申し上げて過言ではあるまい。
で、この後を続けるとすれば、やっぱり<発掘翻訳ミステリシリーズ>ですかね?

(1)新青年翻訳傑作選
(2)探偵倶楽部翻訳傑作選
(3)宝石・別冊宝石翻訳傑作選
(4)ますこっと傑作選
(5)EQMM傑作選
(6)HMM傑作選
(7)マンハント傑作選
(8)AHMM傑作選
(9)かっぱまがじん・EQ傑作選
(10)SF雑誌傑作選

「ますこっと」だけじゃどうしようもないので、この巻はマイナー誌の拾遺集になります。キキメが「SF雑誌傑作選」ってぇことで。
誰か出して。新刊で買うから。
◆本放送時に放映時間が30分ずれ込み録画に失敗した「スカイハイ」の最終回。今週末からの「2」の放映開始に向けて年始に流れていた再放送を録画してようやく見る事ができた。ああ、そういう話だったのかあ。半年かかって、謎解きが終わった。で、一体、どうやって「2」に繋ぐねん?
と突っ込んでいたら「乱歩R」の録画を忘れてしもうたわい。とほほ。
聞く所によれば、先週火曜日深夜から「エコエコアザラク」の新シリーズも始まっているらしいし、「悪魔の発明」(=HDD搭載DVD)を我が手にしながら、何かにつけてチェックの甘い私なのであった。


◆「死の殻」Nブレイク(創元推理文庫)読了
「こんなものも読んでいなかったのか」読書。勿論、この20年来、別冊宝石版で所持してはいたが、「ビール工場殺人事件」ともども積読のまま、入手困難度の熟成の時を待ってきた。が、3年前にあっさり創元推理文庫で完訳が出版され、マクロイの「家蝿とカナリア」同様、新しい読者から歓呼の声で迎えられてしまった。今や、「野獣死すべし」と並ぶ「入手容易作」である。
第一次世界大戦の空の英雄であったファーガス・オブライエン。権威に屈せず、教養溢れるユーモアを忘れず、英国空軍の歴史に名を刻んだ彼の命を何者かが狙っている。伯父の警視総監がナイジェル・ストレンジウエイズに持ち込んだのは、殺人予告されたクリスマス休暇の間、オブライエンを警護すること。チャトクームのダウアーハウスに集まった招待客は、オブライエンが命を救った女探検家、その兄の株式仲買人、オブライエンの愛人である美人女優、クラブ経営者、オックスフォードで教鞭を執る文学者など。それぞれの想いが交錯する中、脅迫の裏をかいて敷地内の小屋で一夜を過ごした引退飛行士は、白雪に包まれたその室内で至近距離から撃たれていた。小屋の周りに遺されていたのは被害者の靴跡のみ。だが、見せかけばかりの偽装はたちまちのうちにナイジェルに看破され、殺人の線で捜査が開始される。消えた遺言状、忍び寄る影、溢れる警句、かみ砕かれた胡桃、覚悟の毒薬、そして事件の淵源を追ってアイルランドに「過去」を追う探偵。果して「死の殻」に封じ込められた殺意の正体は?
文字通りの黄金期本格推理にして、素晴らしい「名犯人小説」。年表を紐解くと「中途の家」「誘拐殺人事件」「ラバーバンド」「アラビアンナイトの殺人」「学長の死」「ひらいたトランブ」「ヴォスパー号の遭難」「どもりの主教」などと同じ年の作品であるが、ここに挙げた巨匠の作品に一歩も引けをとらないどころか、第2作にして既にブレイクは滋味豊かな教養と騎士道精神の横溢した大転回パズラーをものにしていた事に今更ながら気付いた次第。正直なところ、英米ミステリ1936年の年間ベストが狙える作品ではなかろうか?惜しむらくは、登場人物の一人が後のシリーズに重要な役割で登場する事を知っているために、最初から「その手」はない事がバレていることか。なるほど、これは良い作品をポピュラーにして頂きました。東京創元社の功績でありましょう。御勧め。


2004年1月11日(日)

◆昨日の反動で半日寝て過ごす。午後から、家族揃って近所のSOGOへ「♪お買い物、お買い物」。今年のお買い物グマは、去年のコサック熊よりも等身が伸びてイマイチ可愛くないんだよなあ。
◆夜は湯豆腐をつつきながら三谷幸喜三昧。
20時から新番組「新選組」をリアルタイム視聴。見事なまでに三谷組なキャスティング。第1話を見る限りでは、藤原竜也の沖田総司が少し壊れているぐらいでギャグはないに等しいが、テンポは良い。香取慎吾なんぞはHRの軽いノリそのもの。過去に「竜馬におまかせ」というような幕末コメディーをやりながら、まんまと大河に成り上がった、ちゅうのが凄いよなあ。
21時から積読の古畑を見るつもりが、1時間ばかしNスペをみてしまう。こりゃ、なんで、田口トモロヲの語りでないのか不思議なぐらい完全にプロジェクトXですな。
22時からおもむろに「古畑任三郎」の新作を視聴。古畑版「ハッサン・サラーの反逆」だが、長すぎる分、切れ味が悪い。最後の引っかけは、96年のSMAP×SMAPスペシャルでやった三谷幸喜脚本「古畑拓三郎」の焼き直し。犯人役が松本幸四郎だというので、期待しすぎたのかもしれない。被害者役の及川「王子様」は、なかなか良かったですけども。


◆「フレームシフト」Rソウヤー(ハヤカワ文庫SF)読了
主人公が衰える知力に怯えながら時間と競争するという発想が「アルジャーノンに花束を」である。であるのだが、そこに加わえられたガジェットたるや、最先端の遺伝子科学、ロバート・ラドラム級のナチス・サーガ、ロビン・クック・スタイルの企業化医療サスペンス、そしてお懐かしや「人間以上」、どんとこい超常現象である。
有無を云わせぬ作者の豪腕は、のっけから、自分自身、重度の遺伝子疾患に怯える気鋭の遺伝子学者をネオ・ナチの刺客に襲わせる。その危機を救うのは、テレパスである(!)学者の妻。果して、刺客の狙いとは?歴史の襞に身を潜めたナチス戦犯「恐怖のイヴァン」が、目指すものは「復活」?それとも「慈悲」?或いは「君臨」。偶然のフレームシフトは、心の声を響かせ、未再現の壁に舞踏病の天才は挑む。
すれっからしのミステリ読みに対して驚愕のミスディレクションを仕掛けたサスペンスSF。この作品に予言された遺伝子科学の「未来」がどの程度当たっているのかは、知らないが、借り物ではない「説得力」には、いつもながら唸らされる。考え様によっては、盛りだくさんの要素がそれぞれに主張しあって、全く別のコース料理を同時に供された違和感を感じないでもないのだが、読んでいる間は、あれよあれよという間に怒涛のクライマックス、感涙のエピローグへと運ばれてしまう。我孫子解説に云うほどガジェットを絞り込んでいるようにも思えないのだけどなあ。ああ、おもしろかった。
ソウヤー作品お約束の邦題づけごっこを行えば、
ロバート・ラドラム調だと「策謀の遺伝子(上)(下)」
ロビン・クック調だと「フレームシフトー構造転移ー」(>まんまやんけ)
60年代SF映画調だと「タルディヴェル=ポンド一家のひとこま」
てなところでしょうか?