戻る


2004年1月10日(土)

◆朝から洗い物を済ませ、ダンボールをゴミ出しして、小型本棚を2本組み上げ、働く働く。
◆3時過ぎにお出かけ。
d「中国鉄釘殺人事件」RVフーリック(三省堂:帯)
d「中国黄金殺人事件」RVフーリック(三省堂:帯)
d「死の殻」Nブレイク(創元推理文庫)
d「悪の断面」Nブレイク(ハヤカワミステリ文庫)
d「黒白の虹」高木彬光(カッパノベルズ)
d「肌色の仮面」高木彬光(カッパノベルズ)
d「女のいる迷路」多岐川恭(桃源社ポピュラーブックス)
「コンスタンチノープル」橘外男(中公文庫:書込み)
「フレームシフト」RJソウヤー(ハヤカワ文庫SF)
「イリアの空 UFOの夏 その2」秋山瑞人(電撃文庫)
「ハメット 死刑は一回でたくさん」各務三郎編(講談社文庫)
「牡牛の柔らかな肉」連城三紀彦(文藝春秋:帯)
とりあえず読むためにブレイクだの高木彬光だのガンガンダブリで買う。フーリックは電子出版では「現役本」だが、まあ、とりあえず定価の4分の1なら買いだろう。ハメットのアンソロジー、橘外男の中公文庫ともなぜか縁のなかった本なので嬉しいところ。
でも、今日一番の珍本はコレだ!!

「大笑い!ソ連激烈ジョーク集」深見弾訳・編(大陸書房)

いや、まあ、ただのロシアジョーク集なのだが、訳・編者があのロシア東欧SFの翻訳を一手に引き受けてきた「深見弾」というのが嬉しいじゃありませんか。カバーの折り返しには星新一の賛辞もついてお買い得。いやあ、こんな本、出ていた事も知らなんだ。92年2月発行。勿論、出版社ごと絶版であろう。
気分は「プチ血風」。


◆「黒白の虹」高木彬光(カッパノベルズ)読了
「こんなものも読んでなかったのか」読書。高木彬光の創造した探偵の中では神津恭介に次いで偏愛している捜査検事・近松茂道の記念すべき登場作なのだが、経済小説臭が苦手で、中年真っ盛りのこの歳まで積読にしてきた。というか、近松茂道は3話構成の最終話で、ようやく「らしさ」を出す程度で、それまでは株価操作を巡る亡者たちの宴を繋ぐ狂言回しに過ぎず、「黒白の囮」や「追われる刑事」といった後期傑作の頃の精彩を欠いているのが気に食わなかったのである。まあ、イマドキの経済小説に手を出す前に、とりあえず歴史の勉強をするつもりでとりかかった。
第1話は「旧満鉄の株価操作」事件。罫線屋の情報一つで、屑株に狂奔する素人心理の綾を見事に捕らえており、時代は変り、投資の対象は変っても、「カモの心理」というものは何ひとつ変っていないんだなあ、と感心することしきり。どちらかといえば、第2話の序章といった位置づけの作品だが、20年代後半の兜町の雰囲気が悪くない。
第2話は「<シャドーマスクなしのカラーテレビ>という画期的新発明を巡る株価操作」事件。これも30年代半ばの家電ブームを反映したエピソード。今の時代に読むと、最初から成立しえない発明であることが判っている分、辛いものがある。それでも経済小説の部分は悪くないが、女帝になりそこねた女の哀れな末路と、グズ茂の「敗北」は後味が悪い。
第3話は証券会社の地方支店を舞台にしたなりすまし盗難事件と殺人がテーマ。ここに至って、十数年に亘る「東福証券」サーガは、一つのトリックへと収斂していく。が、殺人と経済犯を繋ぐのが「因縁」であるところが、インパクトを弱めており、散漫な印象を与える。特に、読者が感情移入してきたであろう第1話・2話の主人公に対する扱いが唐突で、戸惑いを覚えた。それに、この時代でさえどうかと思われる作者の女性観の古さにも、閉口してしまう。銘柄的には額面割れの整理株。
高木彬光推理作品完全読破を目指す人、もしくは熱烈な経済小説マニアが読めばよろしかろう。お願いだから高木彬光後期の最高傑作「黒白の囮」と間違えないでね。


2004年1月9日(金)

◆神保町タッチ&ゴー。
「暗闇へのワルツ」Wアイリッシュ(ポケミス・映画カバー)
「黄金の灰」柳広司(原書房:帯)
「セックス・マシーン」REゲイズ(KKベストセラーズ)
「ぼくのキャノン」池上永一(文藝春秋:帯・署名・お言葉)
ポケミスの映画カバー一歩前進。最近のアンジョーリーナ・ジョリイ版「ポアゾン」ではなくてトリュフォー監督版「暗くなるまでこの恋を」のカバーである。カトリーヌ・ドヌーブとジャン・ポール・ベルモンドという濃口の配役がアイリッシュっぽくございません。いや、それを言ったら「ポアゾン」の方は、更に肉食獣系のキャスティングか?それにしても、このカバー収集は一体いつになったらゴールできるだろうねえ。
柳広司の処女作は最寄りの図書館に置いてなかったので読みそびれていた1冊。amazonででも買おうかなと思っていた矢先に巡り合ってしまった。
KKベストセラーズの1冊は、一応SF仕立てのタイムトラベルポルノ。一箇所だけセンス・オブ・ワンダーなくだり(世界征服を企む秘密組織の女首魁の正体)があったが、基本的にはセックス・オブ・ワンダーなお手軽ポルノである。買うんじゃなかった。(>既に読んでしまったらしい)
池上永一の沖縄戦をテーマにした最新作は、東京堂で署名本をゲット。最初は買うつもりなかったんだけど、直筆のお言葉に惚れ込んで、発作買い。そのお言葉とは

「キャノン様、万歳!」

ね、なんだか凄いっしょ。
池上永一様、万歳!
◆連れ合いの実家で遅めのお年賀。チーズフォンデュをたらふく食して盛り上がってしまう。まいどごちそうさまでございます。
◆帰宅すると「本の雑誌」2月号をご恵送頂いていた。なぜか真冬の恐怖体験特集。その中で「古本者の絶叫の瞬間」というお題で1本書かせてもらったのだ。立ち読みででも乞うご一読。


◆「奥鬼怒密室村の惨劇」梶龍雄(講談社ノベルズ)読了
恥かしながら梶龍雄は乱歩賞受賞作も含めて全くといっていいほど読んでいない。これまでに読んだのは「灰色の季節」とソノラマ文庫のジュビナイルのみ。ところが何かと最近評判が良さげなので「龍神沼の小さな死体」ぐらい読んでおこうと別宅を探ったのだが、これが見つからない。なまじこの作品だけハードカバーで買ってあったのが仇になった模様。探しているうちに、3ヶ月前にはどうしても見つからなかった「狼火の岬」が見つかったりする余録はあったのだが、30分で断念。「なあに、図書館で借りればいいんだ、図書館で」と自分に言い聞かせ、講談社ノベルスの中から乱歩賞作家競作シリーズのこの作品を引っ張り出してきた。キーワードは「密室」。
で、読めども読めども「密室殺人」は出てきやしない。ただの「嵐の山村」+「ヰタ・セクスアリス」ものであった。
昭和20年春、東京空襲を逃れ、奥鬼怒の村に疎開してきた軍属の子弟・江木哲雄少年17歳。奉公人やすの本家である旅館「岩間館」に身を寄せた彼は、そこで、やすの柔肌に若い性を迸らせ、布団部屋に隠された探偵小説本の絢爛に耽溺する。だが、真に彼の心を虜にしたのは離れに逗留していた凄艶な大年増・京子であった。嵐の夜、吊り橋は何者かに爆破され、閉じ込められた村で、ヤクザ者の死体が青の淵に浮かぶ。強引な憲兵の取り調べが京子に迫る時、彼女の無実を信じる哲雄少年は、小説の名探偵を真似て捜査に乗り出す。狂信の老学者、包帯顔の使用人、冷静な冶金学者、朴訥な巡査、獅子の足許に隠された宝石を巡り主義者「ベアー」と官憲が繰り広げる狐と猟犬のゲーム。大人と子供の狭間、戦争の黄昏、果して少年が夢見た異界への扉は開くのか?
これは辛い。こういうオチだとは思わなかった。作者が得意とする戦中の描写はさすがで、当時の探偵小説事情には、作者自身の経験が反映されているように思える。推理小説として見た場合、フェアプレイはとりあえず守られており、登場人物たちへの仮面のかぶせ方も巧み。主義者のボス「ベアー」の正体には相当驚かされた。だが、この後味の悪さは、エンタテイメントとしてはいただけない。読者を選ぶ作品なのであろう。


2004年1月8日(木)

◆最後の創元評論賞の選評で権田萬治氏が「受賞できなくてもネットで発表すれば」という筋の「慰め」を書いたことについて(例によって)聞いた風なことを述べた。
で、本日、ふらふらとネットサーフしていて、なんと既に氏がホームページを開設していたことを初めて知った。そこには、本になっていない氏のミステリ関係のエッセイや小論文が惜しげもなく公開されていた。

あ、そうか。そうだったんですか。既に実践されてましたか。
これは誠に申し訳ない。素直に反省。
ご立派です。

更に、過去日記などを読むうちに、昨年の12月6日の日記に打ちのめされた。直リンクもなんだかなあと思うので、興味のある方は表玄関からどうぞ。「ぼくは本が好きだ。」という書き出しで始まる小文である。ネットの片隅から見上げるだけの大先達に、こういうことを語られてしまうと、もう何も言えなくなってしまう。
読み返すうちにじわりと涙が出てきた。
◆購入本0冊。


◆「人形式モナリザ」森博嗣(講談社ノベルズ)読了
保呂草&紅子シリーズ(でいいのか?)第2弾。3ヒント・ゲームで北村薫をミスディレクションする作品である。「『神』『モナリザ』『操り』、さあ、そのミステリとは?」。まず、十中八九、クイーンの「十日間の不思議」という答えが出てくるにちがいない。ぶっ、ぶー。残念でしたあ。
信州の和風ペンションでバイトに励む練無を頼って無銭旅行(食事代別)を目論む、保呂草・紅子・紫子。だが、事件は彼等を放っておいてはくれない。まず、美術館から「微笑む機械」と題された無名画家の絵が、7年ぶりに現われた「ルパン三世」の手によって盗まれる。そして女系家族が運営する「人形の館」で上演された「乙女文楽」の最中、舞台の上で嫁が毒を盛られ、その頭上では師匠たる先代が刺殺される。白と黒の逆転。樹上から覗く悪魔。千体の人形の中に隠された「モナリザ」。金と銀のナイフ。キャンバス裏のドット。あたらな毒死と新たな不可能犯罪。探偵と刑事たちが恋愛遊戯の傍ら辿り着いた悪意の源とは?
さても評価に苦しむ小説である。舞台上の殺人トリックはフェアでかつ視覚的にも美しく、探偵及び刑事側の常連メンバーの掛け合いも楽しい。「ルパン三世」の正体も、「おのれーっ、またしても〜っ」と読者を銭形警部並みに悔しがらせる趣向である。それになんてったってオカルトである。終わってみれば森博嗣なりの「絡新婦の理」なり「人形館の殺人」だったのかなあ、とは思う。が、余りにも「人形の館」の人々の書込みがおざなりで、推理読み物として楽しめない。シリーズ・メンバーの方の小洒落たラブ・ゲームは微に入り細を穿ち嬉々として書き込んまれている(こちらは実に楽しい)のに対し、エピソード側の登場人物はどこまでも無味乾燥な「記号」に過ぎないのである。「手術は成功したが、患者は死んだ」という喩えがあるが、「手術は成功したが、患者は死んだ。死んだ患者が死体置場からかんかんのうを踊りながら消えた。消えた死体が俺ならば、ここにいる俺は誰なんだ?とカルテには書いておこう」みたいな話ではなかろうか?ぶっ、ぶー。ちがいますかそうですか。
うーん、シリーズの趣向が気になるので、もう1作は付合ってみます。


2004年1月7日(水)

◆昼酒してしまう。
◆今日こそは古畑を見るぞ!と本屋・古本屋に寄らず勇んで帰宅。購入本0冊。
と、再生を初めた瞬間に娘が愚図り出し、今日も見れずじまい。「だいたい2時間半ってちょっと長すぎません?」と見ないうちから言ってみる。こんな事なら、放映日にリアルタイムで見ておくべきだった。「すぐに読むのは勿体ない期待の新刊」が「ただの積読本」になっていく過程そのものですか?


◆「初恋よ、さよならのキスをしよう」樋口有介(スコラ)読了
なぜか、前日に続いて中年の男女を主人公にしたミステリを手にとってしまった。前日の「幸運の逆転」が結婚という男女関係の不思議を突き詰めた小説であったのに対し、こちらは同級生の友情は成立するか?というホロ苦系の私立探偵小説。作者のシリーズキャラクターである刑事くずれのルポライター柚木草平をフィーチャーした12年前の書下ろし長編。
ほんの一週間前、十数年ぶりにスキー場で再会した高校時代のマドンナ永井実可子が、自らが経営する高級海外小物店で何者かに撲殺された。類いまれな美貌を持ち、金銭的にも恵まれ幸福な家庭生活と事業家としての成功を手に入れてきた彼女は、学生時代からグループの中心で常に輝きつづけてきた。だが、実可子が娘に遺した「依頼」で柚木が動きだすや、単純な強盗殺人に見えた事件が、怨恨殺人の様相を呈し始める。パリで名を上げ順風満帆の画家、バーのマダム、上流夫人、平凡なサラリーマン、高校時代の実可子のとりまきグループはそれぞれの人生を歩み、そして、それぞれの想いを燻らせてきた。暴かれる因縁。怒れる富士。重なり合う不在証明。退屈が滅びへの道を舗装し、中年は水族館を目指す。
惚れっぽいバツイチ探偵が気の利いた科白を撒き散らしているうちに真相に行き当たるおセンチなハードボイルド。フーダニット・パズラーとしても(お約束ながら)よく出来ている。まだ、バブルの余韻を引き摺っている頃の作品であり、近作の「雨の匂い」の「被害者」とこの作品の被害者とを比較すると、日本経済の駄目になり具合がよく把握できる。だが、ちょっと題名は恥かしいかな?更に申せばこの単行本の下手な漫画崩れのカバーイラストは内容と無関係で頂けないなあ。


2004年1月6日(火)

◆賀詞交歓会のはしご。本日は禁酒日につき、一滴も酒を口にせず。
ふーん。やろうと思えばできるんだねえ。
◆帰宅したらamazonから本が届いていた。
「The House of Shadows」Paul Doherty(headline)
修道士アセルスタン第10作、キターーーー。今回はクリスマスの神秘劇の見立て殺人のようである。わーいわーい。amazon.ukを覗いてみると、早速読者の感想が書かれており、4年ぶりのシリーズ復活を寿いでいる。洋の東西を問わず、ファンの思いは同じであることよ。ちなみに本年4月刊行予定の「The Magician's Death」(うっひょー、そそる題名だ)はヒュー・コーベット・シリーズ第14作らしい。やんや、やんや。新しい舞台設定もいいんだけど、やはり「御存知○○登場!」というマンネリズムも大事にして欲しいものである。
◆どうでもいいのだが「帰宅したらアマゾンから本が届いていた」って、20年前の自分が聞いたら、シュールに感じただろうなあ。
◆今更ながらだが、フーダニット翻訳倶楽部の書込みで、法月綸太郎の作品(「都市伝説パズル」)が本国版EQMMの2004年1月号に掲載された事を知る。とうとう「ご本家」に分家の末裔が乗り込むようで、作者はさぞや感無量であろう。
既に御本人の脳内では、ウィリアム・ブルテンの「法月綸太郎を原書で読んだ男」というパスティーシュが書かれる未来が微笑んでいるにちがいない。


◆「幸運の逆転」Eチャップリン(ミステリアスプレス文庫)読了
翻訳されるたびに年度ベストに輝く英国本格推理の女闘士、ジル・マゴーンが別名義で送る「夫と妻に捧げる犯罪」。一読、これは青木雨彦に語って欲しい話だなあ、と思った。ここに活写された「男の思い込み」と「女の自己弁護」の不協和音は、日々幸せな家庭生活を営んでいる(つもりの)人間にとって、生皮を剥れ、塩をなすりつけられたような痛みと疼きを感じさせる。
銀婚式を控えた事務弁護士夫婦が、予期せぬ慶事に見舞われる。なんと、妻のスーザンがサッカーくじで3億円を当ててしまったのだ。しかも、それを公開してしまった事が、つつましい中流家庭を崩壊へと導いていく。莫大な金銭は家庭的な専業主婦を活動的な慈善家へと変貌させ、貞淑な妻から鋭角的な美貌を削りだす。危険の香りのする軍隊上がりが、男の友情を当てにして彼等の生活に転がり込んだ時、見当違いの恋が燃え上がり、夫婦の亀裂は決定的なものとなる。職を追われ、居場所を奪われ主夫へと追込まれる弁護士が、殺意に気付くには時間は掛からなかった。幸運から8ヶ月後の昼下がり、ガス銃の音が轟く時、逆転した幸運のつけは命で贖われる。
通常は原稿用紙2、30枚程度で語られる「夫と妻に捧げる犯罪」を、その洒落っ気を失うことなく斯くもねちっこく描いた作品を他に知らない。さすが、ツイストの名手、マゴーンだけのことはある。こうすれば男が傷つく、こういえば女を怒らせる、というツボを心得た大人の読み物。ああ、いやだ、いやだ。終盤、頼むから早く楽にしてくれ、と祈るような気持ちでページを繰ったが、どうして、最後の最後でまんまとしてやられてしまった。妻帯者必読。


2004年1月5日(月)

◆初出。始業式。メールを数本打ってから、大阪日帰り出張。うへえ。
新幹線の割引切符も使えない時期に、これはなかろう。
◆大阪駅前第3ビルで2冊。
d「団蔵入水」戸板康二(講談社:帯)
「幸運の逆転」Eチャップリン(ミステリアスプレス文庫:帯)
戸板康二本は、雅楽本が纏められてもはみ出るゾーンの作品集。Eチャップリン本は何故かマゴーン名義の本格推理よりも先に紹介されてしまった「夫と妻に捧げる犯罪」モノ。出版する側からみて、如何に本格推理を出すのが冒険だったか、という時代の証左の一つか?なぜか巡り合わせが悪く、新刊書店でもみたことがなかったが、ようよう捕獲。
◆帰宅すると22時前。ああ、また「古畑任三郎スペシャル」を視聴している暇がない。


◆「陽気なギャングが地球を回す」伊坂幸太郎(祥伝社ノベルス)読了
「五千三百四十一秒、これがこの本の読了にかかった時間です。
本当はひつじ年の間に読みたかったのですが、申年に食いこんでしまいました。」
「お前、嘘ついているだろ」
「わ、わかりますかそうですか」
というわけで私に4分だけください。
これは銀行強盗4人組と彼らを取り巻く家族たちを主人公にしたクライム・コメディです。現金強奪をテーマとするミステリはホシの数だけありますが、特に、ハドリー・チェイスやドナルド・E・ウエストレイク=リチャード・スタークはそんな話ばかりです。日本でも高村薫はこのジャンルでデビューしましたが、そんな事はすっかり忘れているかもしれませんし、なにより作者本人が忘れてもらいたがっているかもしれません。
これらの小説を読みますと、スターク名義の小説では、悪党が勝利するのがお約束になっていますが(なにせ、悪党が主人公ですし)、日本ものでは、余り「悪が勝つ」というパターンが少ないのが実情です。では、日本の出版界に「推理小説は『犯罪は引き合わない』事を教育しなければならない」という暗黙の了解があるかといえば、「実は三億円事件の犯人でした」という話も(何がそれに当たるかというとネタバレになってしまうので、ここでは申せませんが)そこそこ見受けられるので、本音のところでは、「犯罪がたまには引きあったっていいじゃん」という思いがあるのかもしれません。
現に、日本の犯罪白書をひもときますと、平成13年の強盗の発生件数は、6393件となっており、全犯罪件数の5%に相当しますが、その検挙率は平成8年以降低下を続けており,平成13年は48.7%(同8.1ポイント低下)となっているのであります。現にバレてしまった強盗事件ですら、すでに検挙率が50%を切っているという事実は、「犯罪は引き合うかもしれない」という思いを加速するかもしれません。まあ、実際に強盗を犯した人々に「最近の強盗犯の検挙率の低下について予め御存知でしたか」というアンケートを取ってみても、そこまで統計を調査している人々は少ないでしょう。そもそも、アンケートを取れる相手は現に捕まった人々が殆どなので、その人々にとっては、捕まる確率が5割といっても、被検挙率100%なわけですから、ふざけた事を聞くんじゃねえと噛みつかれるのがオチです。
ただ、強盗が成功する確率と強盗物のミステリを書いてベストセラーになる確率を比べてみますと、これはもう、強盗が成功する確率の方が高いわけで、この作者のような才能に恵まれていない人間としては、確率50%に掛けるしかないのかなと、考え込んでしまいます。
といったわけで、この作品は日本で書かれた強盗事件の中でも極めて優秀な強盗の記録であります。笑いあり、ビックリあり、胸キュンあり、ツイストあり、そして飛びっきりの後味の良さがこの作品の盗人猛々しいところです。

奴等はとんでもないものを盗んでいきよりました。

読者の心です。

はい、4分経ちました。では、皆さんも気持ちよく盗まれてください。

追伸:カバー折り返しの池上解説では、和物クライムコメディーとして結城昌治まで溯っていましたが、私なら、(実はハドリー・チェイス好きの)山田正紀を引き合いに出したところです。何もそこまで溯らんでも。


2004年1月4日(日)

◆午前中、実家から送った荷物の到着を待ちながら、自分の古日記なんぞを読む。
血風録時代の日記を眺めていると、我ながら自分の買いっぷりに寒くなる。あれは、完全に古本依存症の買い方である。ぶるぶる。>禁断症状で震えているわけではない。ないんだってば。
◆午後からは、娘を寝かしつけ、うたた寝しながら読書。
◆ネットに繋いでメルマガの整理。どうも昨年末から、登録した覚えのないメルマガが頻繁に飛び込んでくるようになってしまった。まぐまぐの勝手サービスなのか?改めてまぐまぐの検索で「ミステリ」「推理小説」を叩いてみると結構な数のメルマガが発行されていて驚く。しかし試しに中身を覗こうとしてみると既に発行者Webページが行方不明のものも多い。プル型であろうとプッシュ型であろうと、要は如何に発信し続けられるかですか。そこを情熱で以ってするか、仕組みで維持するか?プッシュ型は「仕組み」向きなのかもね。あれこれ眺めた結果、自分で頼んだ「海外ミステリ通信」のみを残す。部数はともかく中身が最も充実していると思うので。
◆連れ合いがWOWOWで観ていた「フランティック」を流し視聴。うーん、「消えた花嫁」やら「パリ万博・消失事件」を思わせるプロットか?と思ったら単なるテンポの悪いサスペンス・アクション映画だった。女優が綺麗だった以外見るべきところはないですのう。ポランスキー監督、ハリソン・フォード主演でも駄作は駄作かと。


◆「だれもがポーを愛していた」平石貴樹(集英社)読了
読了本は、書庫に発掘に行くよりも買った方が速いという理由で、昨年末、5冊200円の定点観測所にて入手した本だが、集英社のハードカバーで、ちゃんと帯もついている。
この帯で「読後しばらくの間その芳醇な本格推理の味に陶然となって巻をおおうあたわずという状態になった。これは疑いもなく本年度の日本の推理小説の収穫である。軽薄短小ばやりの昨今の推理小説の傾向に真向から対決する重厚な本格作品である。軽口の推理に鈍った頭ではついて行くのにいささか息切れしそうな全編謎と趣向で塗り固めた推理であるが、これぞまさに本物の本格推理と自信をもって勧められる作品である。」と汎用性のある絶賛を寄せているのがあの森村誠一である事に今更ながらビックリ。一体、1985年にこの文章を書いた際、森村誠一の頭にあった「軽薄短小」の代表選手は一体誰だったのであろうか?実に興味津津である。
もうひとつ、どうでもいい事を書いておくと、この本を開けたところに名前の書込みがあって、一瞬「あちゃあ、しまったあ。さすが5冊200円」と臍を噛んだが、よく見たら「為書き付きの著者署名」だった。らっきい。
名探偵・更科丹希がアメリカの地を踏んだ時、既にアシア家は崩壊していた。ポーに淫した日系富豪の館が爆弾で吹き飛ぶとき、アシア家の妹は下半身を潰され、アシア家の兄は渦の彼方の湖深く穿たれた骸を晒す。果たしてポーの見立て殺人はどこまで続くのか?早過ぎた埋葬、移動する棺、偏愛された歯は血の海に浮かび、壁の向こうから冥王の名の黒猫が啼く。デュパンの天稟を宿す美少女探偵の慧眼は、論理の隘路を抜けて道化たちの舞踏場に裁きをもたらす。ネバー・モア・パズラー、ネメクモア・ニッキ。読者よ、すべての手掛かりは与えられた。真相はポーの中にある。
緻密な論理とポー作品への薀蓄で織り上げられた豪腕の純正本格推理小説。だが、登場人物のネーミングのセンスはなんとかしてくれ〜。日本の推理小説で、「味素警視」だの「松屋警部」だの「ドーナッツ氏」だの「塗田満子」だの「ヨーッシッダ・シーゲル」だのが登場するようなもので、次々と繰り出されるトンデモ姓名体には、正直なところ頭を抱えてしまった。
閑話休題。エドガー・アラン・ポーの著名作をなぞった猟奇的な連続見立て殺人事件のプロットは、「アクロバティックな堅牢さ」とでも呼ぶべき離れ業の連続で、なんと260ページのうちの198頁目に読者への挑戦が挿入され、後の60ぺージが、延々と謎の解明に使われるという誇らしげな構成には、素直に脱帽である。単行本版の広告ページをみると、島田荘司の「サテンのマーメイド」と同じ頃に出ていた事がわかるが、いやあ、これは島荘にばかり浮かれていた自分の不明を恥じる次第。年間ベスト級の佳作と申し上げて差し支えあるまい。ロバート・ブロックの「ポー収集家」もマキャモンの「アッシャー家の弔鐘」もそうだけど、やはり、ポーに嵌ると、行き着く先はアッシャー家なんだかねえ。
で、事件が解決した後に付録のように挿入されたアッシャー家への「論考」がこの作品の骨格そのものであり、ここでニッキの推理を追体験できる。この趣向は、一粒で二度おいしく、なかなかに吉。
この作品、bk1で見る限り、これまで二度の文庫化を経験していながら、現在は品薄状態のようである。どうか5年後のポー生誕200周年には復刊の目玉にならんことを。


2004年1月3日(土)

◆ANA28便で帰京。往路同様こちらも家族連れ満載の保育園状態。その道中の賑やかな事。幸い、うちの娘は離陸直後から着陸まで「寝てまえ」モードに突入してくれた。そこで本を読めばいいものを自分も「寝てまえ」モードに突入してしまったのが情けなや。
◆頂いた年賀状のチェック。結局、よしださんと猿本ネタにダブりなかったようで。kashibaが年賀状に用いたのは、以下の本。
「モンキーワイフ」ジョン・コリア(新潮社)
「猿丸幻視行」井沢元彦(講談社)
「猿とエッセンス」オルダス・ハクスリイ(サンリオSF文庫)
「The Puzzle of Jade Monkey」Clifford Knight
「Poison Oracle」Peter Dikinson
「石の猿」ジェフリー・ディーヴァー(文藝春秋)
「猿の惑星」ピエール・ブール(創元推理文庫:旧映画カバー)
ディキンソンの「毒の神託」は、題名に猿が入っていなかったのだが、これまでの縛りを解いてみた。楽しんで頂けましたでしょうか?>おくった方々
◆夜は家族会議の結果、「古畑任三郎スペシャル」と「はじめてのおつかいスペシャル」を録画しておいて、リアルタイムでは「ブラックジャックによろしく」を視聴。原作では誰がどうみても泉ピン子を意識したキャラクターを薬師丸ひろ子が演じる不自然さに身悶える。あのー、3巻に亘って引きまくっている「ガン治療編」ってこんな甘っちょろい終わり方をするんでしょうか?


◆「超・読書法」小林信彦(文藝春秋)読了
「少年時代」の分厚い小説世界の酔い覚ましに、読書ネタのエッセイ集を手にとってみた。3部構成で、第1部が書き下ろし、第2部は「本の雑誌」、第3部は「週刊文春」にそれぞれ連載された文書をまとめたもの。余り手を加えているようには見えず、同じ本の話題が繰り返し出てきたりする。確かにその作品に対する作者のリアルタイムの興奮ぶりは伝わってくるのだが、本の形で一気に纏め読みすると些か辛い。だが、そのレビューのうまさには改めて脱帽。展開を楽しむべきクライム・サスペンスの筋を相当に語り込みながら、尚且つ、すれっからし読者の興味をそそる技は「さすが」の一言。ベストセラーのクライム・ノヴェルという自分の興味の対象外の作品が無性に読みたくなってしまった。年明けから、達人の模範演技を見せて貰った思いがする。
一方で、「主流文学」や「文壇の権威」に対する、屈折した思いがそこかしこに見え、私のような者からすれば、「あなたこそが権威なんですよ。何を鬱勃たるパトスをこじらせていらっしゃるんですか?」と声をかけたくなってしまうのもまた事実なのである。喜劇や映画に関する薀蓄はこちらに全く素養がないので、「はあ〜」と頭の後ろに素通りしていくのだが、本にまつわる小言は、小気味よく腑に落ちる。本は寝転がって真剣勝負で読むのである。うん。
題名は、野口悠紀雄の「超整理法」の地口であるが、本家が、図書館的検索を放棄して新しいものから並べるというひそみにならったのか、この「<超>読書法」にも脈絡がない。それでも、そこにくっきりと本グルメのご意見番の姿が浮かびあがるのだから、凄いよね。


2004年1月2日(金)

◆自転車を飛ばしてもう一軒の古本市場へ。これといって何もなし。
が、そこは無理矢理でも本年初買い。
「超・読書法」小林信彦(文藝春秋)
「京極夏彦&水木しげる ゲゲゲの鬼太郎」(講談社:函)
京極本は「言霊使いの罠」脚本をフィーチャーした、鬼太郎バラエティーブック。いわば講談社版ロマンアルバム。京極・水木対談よりも、スタッフの飲み会の冗談からコマであの傑作エピソードが生まれるに至った過程が興味深い。思いがあれば世の中には不可能な事などないのだよ、関口くん。


◆「ルーキー」牧野修(祥伝社ノンノベルズ)読了
題名の頭に「呪禁局特別捜査官」と憑く、じゃなくて、付く。「呪禁官」の続編である。これはこれで楽しめるように出来ているが、この科学とオカルトが逆転した世界観を楽しむには、第1作から読んだ方がよい。ただ、痛快さの度合いでは、こちらが勝る。この爽快な読後感は作者がエンタテイメントに徹した初期作「プリンセス奪還」に匹敵する。オカルトに纏わる蘊蓄をある程度犠牲にして、特撮おたく心あるものにじゃいあんと・ばずーかをずんばらずんずんとブチかます快作である。
葉車創作、通称ギアは呪禁官に合格する。研修期間中、「呪殺仕事人」に仕掛けた囮捜査の失敗から指導官の龍頭麗香を喪った「疵」を負いながら。だが、呪禁官の日常はそんな感傷を許さない。世界初の霊的発電所<クトゥルー>の周辺で頻発する呪的災害。緑色の巨大嬰児が餓鬼とともに山を砕き、街をけちらし、地鳴りとともにやってくる。経験不足から相方の先輩呪禁官に嫌われたギアに与えられた新たなパートナー。それはこの上なく横柄な霊を宿した美少女人形だった。一方「<不死者>事件」で、捕われの身となった、元科学ジャーナリストのサイボーグ米澤にも転機が訪れていた。獄中の彼を誘拐した連中は、なんと懐かしのテレビ特撮ヒーローとして名高い「科学戦隊ボーアマン」を名乗り、彼をボーアレッドとして迎えるというのだ!そして、既に、ボーアマンの宿敵「サイコムウ」は呪的災害の黒幕として、表舞台にその名を記していた。ナノ呪符が五臓六腑を駆け、五色の屍が埋まる。屍の封印を不死者が解く時、新宿魔界都市化までのカウントダウンは始まる。戦え!ボーアマン。頑張れ、ぼくらの呪禁官!
いやあ、笑った笑った。なんといってもこの作品の目玉は科学戦隊ボーアマンの主題歌である。戦隊ヒーローもののツボを正しく押えた展開に、同世代感覚が疼く。前作に比べ気負いのない分、作者の遊びを存分に堪能できる作品。プロットも整理されており、「サイコムウ」の「意外な正体」も王道。ただ、前作で仕込んだギアの特異能力が発揮される事なく大団円を迎えてしまったのは、やや第二作としては肩透し。「こんな事件、まだまだ」という事なんでしょうか。続編に期待だ。「科学戦隊ボーアマン」のネーミングは謎なのだが、要は裏番組が「ニースルの不思議な旅」ということなのかな?


2004年1月1日(木)

◆朝はのんびりとおき出してお年賀。昼から阪神不敗ビデオを眺めたり、近所の神社に初詣してみたり。夕方からは妹一家も集まってお子様天国状態。あれこれとイマドキの子供番組を学ぶ。「お母さんと一緒」で「でこぼこフレンズ」というヘタウマのキャラクターが人気を呼んでいる事を初めて知った。なるほど、ひょっこりひょうたん島やサンダーバードは大きなおともだち向けで、小さなおともだち向けには、ちゃあんと新たな商品開発が為されているわけですね。はい。
◆丹波篠山の黒豆きな粉をまぶした餅を食しながら、母親から聞いた話である。なんでも丹波には竹下時代の「ふるさと創生」基金で建てられた館があるらしい。その名を「黒豆の館」。
おおお、「黒豆館」じゃ、「黒豆館」じゃ。東北弁で「黒死館」といえば「こくずかん」になるにちがない。「こくずかんさづずんずけん」


◆「少年時代(下)」Rマキャモン(文春文庫)読了
上下巻合わせて文庫本にして900ページ。しかしその長さを全く感じさせない軽快な少年小説である。一部、どう考えてもファンタジーとしか思えない部分もあるが、虚実すれすれのところで綴られる物語は、かつて少年だった(そして、実は今なお「少年」であり続けている)読者の郷愁を掻き立てずにはいられない。

とにもかくにも、少年の日々は忙しい。
少年は父の仕事を手伝い、残虐な殺人に遭遇する。
少年は、ぬれねずみになって娼家に助けを求める。
少年は宇宙人の侵略を恐れ、真の絶望を垣間見る。
少年は復活祭を呪う唸りを聞き、痛みを経験する。
少年は親しんだ愛車に別れを告げ、貧乏を楽しむ。
少年は溢れ出る水から迫る怪異を帚一本で退ける。
少年は百年以上生きた緑の叡智から祝福を受ける。
少年は仲間とそれぞれの愛犬とともに蒼弓を翔る。
少年は散髪されながら、生きた伝説の語りを聞く。
少年は天才の細腕が投じた球の行方に目を見張る。
少年は、ビーチボーイズを最高にクールだと思う。
少年は魔王の逆鱗に触れた信仰の末路を目撃する。
少年は、どこか道を踏み外した人々に翻弄される。
少年は森で犯罪の現場に遭遇し九死に一生を得る。
少年は裸の美少女に出会い、恋に落ち恋に敗れる。
少年は恋する鼻くそ天才少女を15¢で救済する。
少年は暗鬼に駆られ、父同様に心の檻の虜となる。
少年は、コンクールで自作のエッセイを朗読する。
少年は玩具と駄菓子の饗宴に招待され人生を語る。
少年は虐げられる側から牙を剥き、理不尽を倒す。
少年は別れを拒んだ故に更に辛い別れを迫られる。
少年は悲恋の顛末を知り冥界からの復讐に立会う。
少年は真昼の決闘に居合せ、新たな奇跡譚を紡ぐ。
少年は、チャレンジャー教授の罪を知り、涙する。
少年は、真実の別離の厳しさに慄然とし、壊れる。
少年は信じるもののために闘い、信頼を取り戻す。
少年は鸚鵡の囀りの謎を追い、独逸語を学習する。
少年は四人の声を聞き、KKKへの天罰を見守る。
少年は父が魂の煉獄から這い上がるのを見届ける。
少年はすべての謎を解明し、殺人犯を暴き、裁く。

そして、
少年は妻子とともに帰郷し、時の試しに嘆息する。

とにもかくにも、少年の日々は忙しい。

こんなスリリングな1年があるわけはないし、これからのアメリカの少年たちにもこんな経験は不可能であろう。だが明日が常に輝いていた頃のパックス・アメリカーナの光芒は、田舎街の少年の心を照らすのと同様に占領国の子供達をも魅了する。これは、マーク・トゥエインへの長い長い恋文であり、レイ・ブラッドベリへの長い長い感謝状である。大きな「少年」たちからの好評もむべなるかな。だが、これが傑作であることを評価したうえで、あえて言わせていただければ、所詮「ハイカラな舶来品」。西原理恵子の「ぼくんち」の触れると切れそうな完成度と比べると、どこか過剰で人工的なピーナッツバターやジェリービーンズの味を感じてしまうのであった。すまんすまん。