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2003年12月31日(水)

◆明け方から大作読破に挑む。年越しで上下巻を読むという趣向。
◆午前中、梅田に出て食材の買出しを手伝う。午後はコップ磨きから、実家の居間の大片付けにのめりこんでしまう。いやあ、働く、働く。夜は、金髪のぶよぶよと震える肉塊がリングに沈むのを見る。筒井康隆の「走る取り的」を読んでから、なんとなく相撲こそが世界最強の格闘技だと思っていたのだが、目が醒めた。世界最強の格闘技はアメラグだったんだ!!>ちがうとおもうぞ。
◆父が、今シーズン阪神が勝った試合のハイライトばかりを42時間に編集。見ても見ても終わらない。しかも阪神は絶対に負けない。たとえ8回表までで6点差で負けていても、最後には必ず阪神が勝つのだ。わはははははは。なんだか人間がダメになりそうである。でも楽しい。これは麻薬だなあ。


◆「少年時代(上)」Rマキャモン(文春文庫)読了
感想は、年越しとして、掲示板での喜国氏の疑問(なぜ大事な作家の本を古本で、それも文庫で?)に答えておくと、「大事な作家」という表現が誤用なのかもしれませんね。マキャモンは「読むのが勿体ない作家」であって、それを「どう買うか」という話とは全く切断されているのであります、はい。「ミステリウォーク」以降、ハードカバー上下巻が当たり前になったので、「どうせ積むんだから、別に急いで買わなくてもいいや」になってしまった、ってえのもあります。すんません。


2003年12月30日(火)

◆二度寝、三度寝しながら合間に本を読む。夜読んでおかないとページ数が稼げないんだよねえ。
◆近所の古本市場を覗きにいくが、またしても活字本のスペースが縮小されているのを確認したのみ。
あと10年もすれば、古本屋は今以上に漫画と写真集のスペースが大部分を占め、活字の古本はライトノベルと大極宮と横山秀夫だけになっているのかもしれない。
ミステリの新刊は通常の書店には並ばず、ネット書店でサイン本かオマケ付き予約販売で細々と売られていくようになるかもしれない。
本屋に著作を置いて貰える一握りの作家が「書店作家」という尊称で呼ばれ、更に流行作家の本は、月刊伊坂幸太郎マガジンといった雑誌形式で、新作の連載と旧作が一挙コミカライズされてコンビニで売られるようになるかもしれない。
月刊横溝正史が生誕110周年を記念して創刊され第4次ブームが訪れるかもしれない。
1冊の単行本が書店に並ぶ時間は、3日間が限度となり、それで売れない本は直ちに返却されるかもしれない。
単行本の値段はハードカバーで1冊5000円が当たり前になり、それは、ハリウッド映画のDVDが10枚買える値段となるかもしれない。
スティーヴン・キングの新作「HIT」は、上中下巻で各9800円、そして、「昔は、9千8百円あれば、日影丈吉全集が買えたんだよなあ」という嘆き節が、マニアの口から漏れるかもしれない。
紀伊国屋新宿店で最も売れた推理小説は幸福の科学ミステリ叢書の「すべてが太陽の法になる」であるかもしれない。
それはイヤかもしれない。


◆「重力ピエロ」伊坂幸太郎(新潮社)
かつて某大手流通が、海外製のビールを仕入れ過ぎ、窮余の一策として大安売りを行うことになった。その際に新聞全面広告で打ったコピーが話題になった。
「お願いします。買って下さい。」
その余りの節操のなさに、「素直でよろしい!」という賛辞と「これは全ての宣伝手法の自殺行為だ」という苦言が合い半ばした。今回のこの帯のコピーを見てふとその宣伝を思い出した。
「小説、まだまだいけるじゃん」
なるほど、この編集者は「小説はもうダメだ」と思っていたんだねえ、日々これお追従に塗れたやりたくもない仕事をやっていたんだねえ、と思わず感情移入してしまう。更に詳しくコピーの賛辞を読んでみると、どうやら言いたいことは、
「お願いします。買って下さい」
ということらしい。
とりあえず今回は中身に免じて、「素直でよろしい!」と褒めておきます。
さて、小洒落たモザイク小説を書かせたら国際級という賛辞をほしいままにしている作者の第3作は、父と息子たちの「家族小説」。そして胸キュンのクライムストーリー。
強姦の結果、この世に生を受けてしまった異父弟・春とぼくは仲の良い兄弟である。遺伝子産業の先頭を突っ走るアントレプレナーの元で地味な分析を行う技術者のぼくと、見目麗しく絵画の才能に恵まれ、大胆な行動力と公平な正義感で世の中と折り合いをつけていくアーティスティックな弟。そんな二人が、軽口を叩きながら、仙台を舞台にした、連続落書き事件と連続放火事件の謎を追う。実は、死病に冒された父も、病床から探偵気分で謎解きに参加していたりする。更に、飛び切りの美人が存在しない公益団体の名を騙って飛び入りしてくる。螺旋状の暗号、燃える告発、遺伝子を笑い飛ばす絆を信じて、ピエロは身を虚空に躍らせる。これは最強のコンビの物語なのだ。
前作、前々作の主役もカメオ出演して盛り上げる、杜の都の爽やかなオエディプス譚。気の利いた科白や、場を浚う小粋に満ちた快作。描きようによってはおどろおどろした境遇であるにも関わらず、21世紀の「鬼火」は軽やかに不正を不正として照らし、裁く。天晴れなキャラクターに彩られた天晴れなエンタテイメント。
小説全体がどうかはいざ知らず、伊坂幸太郎、どんどんいけるじゃん。


2003年12月29日(月)

◆朝一番で、一週間分の日記を埋めていくが感想が間に合いそうもなく、とりあえずBEST20と、9月下旬の「天正マクベス」の感想(?)をアップして年内更新を終了。BEST20への評言は「帯の煽り」を念頭においた一発キャッチ。国内新刊の部のそれらが個人的にはお気に入り。「天正マクベス」の感想は、散々引いた挙句にこれかよ!と言われても仕方がないが、まあ、ほかで「あれ」をやった人はいないでしょ?ちゅうか、プロは恥ずかしくてできない。
◆朝から帰省。ANA23便は、親子連れであふれ、さながら保育園状態。私の隣も親子づれでハルキ君という名の9ヶ月の男の子は、私の顔を見ては泣いていた。ううむ。そんなに怖いか?怖いのか?そりゃ、そりゃ、と無理やり目を合わせてみたりして。
◆実家近くのブックオフチェック。何もございません。
d「もしもお前が振り向いたなら」笹沢左保(講談社ノベルズ)100円
「ハムレットの誘拐」笹沢左保(講談社文庫)100円
1日1冊がこなせそうもないので、軽めの本を現地調達しようと笹沢本を均一棚で拾う。で、「もしもお前が〜」が「後姿の聖像」の改題作品であることを知る。ぐはああ、それだったら実家にあるんだってば。読んでなかったのがせめてもの救いか?


◆「もしもお前が振り向いたら」笹沢左保(講談社ノベルズ)読了
ネットで最も詳細な書評であるMasami's Home Pageに、この作品にまつわる薀蓄やら梗概が載っているので詳しくはそちらをご参照のこと。日記にも書いたように、「後姿の聖像」の改題と知らず手にとってしまった。なぜかこの作品は初刊時のハードカバー装を新刊書店で買っている(未読だけど)。考えてみれば、70年代以降、笹沢佐保の新刊がハードカバーで出るというのがが珍しいことだったのかもしれない。あれだけヒットした股旅ものでも最初期のノンシリーズと「木枯し紋次郎」の第一シリーズがハードカバーだったぐらいで、後は「御子神の丈吉」も「半身のお紺」も「乙井の姫四郎」もソフトカバー。捕り物帖では「音なしの源」の最初の単行本がハードカバーだったぐらいしか記憶にない。逆に申せば、この作品に対する作者の入れ込みは相当のものだったのではなかろうかと推察してしまうのである。
朽ちた美貌が散らされた時、刑事の勘は一人の出所者を告げる。逐次投入される現場不在証明。そして決定的な否定。だが、怨念は勘を曇らせ、事件は更なる生贄を求める。「もしもお前が振り向いたら」男はそれを愛と呼び、女はそれを勝手と言う。
テーマは「男の純情、女の非情」だが、芸能界の腐臭の前に折角の叙情がくすんでしまった印象がある。初期長編のような、普通の男女で描けなかったのか?トリックは、笹沢左保の水準をクリアしているが、全体的にリーダビリティーの高さが「玉に瑕」。もう少し読者を振り回す余裕がほしかった。ノベルズで買って読む分には必要十分。ハードカバーだとちょっとコストパフォーマンス悪いかも。


2003年12月28日(日)

◆朝一番で年賀状を投函。大掃除の一日。といっても台所と寝室の掃除で終わる。
◆気分転換に新刊書店を覗く。
「ミステリマガジン 2004年2月号」(早川書房)840円
「ジャーロ 14号」(光文社)1500円
ミステリマガジンのラインナップが凄い。ホックにブラウン、スタージョンにマシスン、ランズデールにマキャモンにレナード。これで幻想と怪奇だったら本当に凄いのだが、ウエスタンという渋目の狙い目がなんとも。さしずめ、「別冊宝石の捕物帖傑作選」のようなものなのか?芦辺拓の例のシリーズの第1作をここにもってきたかったところである。まあ、しかし今やすっかりメフィスト化してしまったジャーロに比べると、洋物の密度でHMMに軍配。書評では、杉江松恋の「幻のハリウッド」評に注目。ブラウンを引き合いに出されては手に取らざるを得ないではないか。こういうロートルに優しい喩えはありがたい。
ジャーロの書評の辛口ぶりは益々冴え渡り、世評に媚びない発掘ぶりは頼もしい限り。これも、思わず三つ星に手を出したくなる。山口雅也の観音シティー秘宝館は、50へえ〜。リモージュのミステリアイテムがあるとはこの年になるまで知らなかった。思わずうっとりしてしまう。
◆夜は積録してあったフランク・キャプラ監督作品「毒薬と老嬢」を視聴。基本的に劇場版を踏襲しているが、結末の部分が大団円で終わってしまい、ブラックな落ちがカットされていたのは残念だが、それと知らなければ満足できよう。なんといってもケイリー・グラントがきちんとコメディを演じているのが新鮮だった。


◆「川赤子」京極夏彦(講談社)読了
「百鬼夜行―陰」から関口を主人公にした1編を抜き出した豆本。これを以って1冊読んだというのはルール違反かもしれないが、1冊は1冊である。再読ではないか?と問われるかもしれないが、実は「百鬼夜行―陰」が未読になっており、今回が立派な初読。上製本の「姑獲鳥の夏」のオマケに相応しい内容であり、この短篇が終わったところから「姑獲鳥の夏」は始まる。関口の鬱屈した妻への想いが、ぶよぶよの形をとって水の中から招く。それは幻視か?それとも物の怪か?
姑獲鳥と同じ<妊娠>をモチーフにしながら、姑獲鳥とは別の視点、即ち男から見た受胎への畏怖を鮮やかに切り取った掌編。関口という人物像を過不足なく描きだし、姑獲鳥への伏線にもなっているというしたたかさと見るにつけ、やはり京極は凄いなあ、と嘆息してしまうのである。ああ、姑獲鳥の夏をモウイチド体験したくなってしまった。僕等に憑いた京極夏彦は当分落ちそうもない。


2003年12月27日(土)

◆文字通り朝から晩まで年賀状の作成。実は、アーティスティックな部分は既に完了しており、ひたすら宛名のインプットと印字に費やす。ああ、単調な仕事が心地よい。感想なんか書いているよりずっと楽しいぞ>「感想書きたくない」病の末期症状
◆講談社から、定型封筒で郵便物が届く。あれ?ピンバッジじゃないよな、と思ったら、上製本「姑獲鳥の夏」の別売付録でした。
「掌編妖怪草紙 巻之一 川赤子」京極夏彦(講談社)
豆本を買ったのは、生まれて初めて。専らテキスト派(別名「読めりゃいい」派)なので、豆本などという小洒落た世界とは無縁だったのだが、いざ実物を手にしてみると、あまりの可愛らしさにウットリしてしまう。ああ、呂古書房に登っていってしまいそうである。剣呑剣呑。
「月長石」の豆本なんか見てみたいなあ。「月長豆」。>どんなんやねん?


◆「明治ワンダー科学館」横田順彌(ジャストシステム)読了
明治・大正の科学ネタ(中にはどこが科学なのだ?というものもあるのだが)のトンデモ話エッセイ集。「週刊 波乗王」というオンライン・マガジンに連載されていたらしい。さすがに、これまでの使い回しのネタも多く、ヨコジュン初心者向けと割切って接した方が腹が立たない。とはいえ、文中、特定の個人やマスコミへの揶揄が目立ち、これまでの仕事から作者が本当に真面目に明治の人物・文物を研究していることを知らない読者の目には、不快に映るのではなかろうか?
ヨコジュンのマニアが読むと腹が立ち、ヨコジュンの初心者が読むと不快に感じるというのは、いかがものなのであろうか?まあ、マニアでもなく、初心者でもないワタクシとしては、それなりに楽しませてもらったのだが、上滑りな自慢芸と匿名の個人攻撃で、読後感がやや苦いものになってしまった。


2003年12月26日(金)

◆出入りの協会の納会で昼酒。酒気帯び出社で1年間積みに積みあがった書類の五連峰を切り崩していく。造山活動は緩やかなものなのに、なぜ斯くも育ってしまうのか?時々土石流なども起しながら、それでもノートブックパソコンを囲むようにしてそれぞれに威容を誇っている。もしかして、これは机の移動によるものではなかろうか?太古の昔、このフロアの机は一つのパンゲアという大机だったのではなかろうか?その封印が解かれた時に、リストラ、首切り、減給、サービス残業、過労死、あらゆる悪徳が飛び出し、サラリーマンは不幸になった。でも、机の底にはたった一つ遺されたものがあった。それは「残業」。>パンゲアとパンドラは似てませんかそうですか。
◆冬の定点観測。
「明治ワンダー科学館」横田順彌(ジャストシステム:帯)850円
「百年前の二十世紀」横田順彌(筑摩書房)500円
「ヨコジュンの大推理今日時代」横田順彌(ペップ出版)400円
「偽史冒険世界」長山靖生(筑摩書房:帯)900円
よしださんに「妖魔の宴 フランケンシュタイ編2」を渡そうと持ってでたが遭遇できず。世界ミステリ全集が並んでいる中から、「37の短篇」のみキャッチ、遭遇した茗荷丸さんにリリース。ああ楽しい。


◆「QED 東照宮の怨」高田崇史(講談社ノベルス)読了
京極妖怪小説同様どちらかと言えば偶数番目が決まる「QED」であるが、個人的にはこの第4作がこれまでのところの最高傑作だと感じた。
物語は、解体された三十六歌仙の絵巻物の持ち主を襲う酸鼻な連続殺人事件と日光東照宮に幾重にも仕掛けられた「企み」が有機的に絡まる中、時代を超越した「呪」がタタルの慧眼によって曝かれるまでを描く。江戸と日光を風水的に解析した書は多いが、この作品で指摘された幾何学的「大陰謀」までを解き明かしたものは寡聞にして知らない。だが、なんといっても、この作品の好みなところは、この推理小説の犯人が「名犯人」であるところである。名探偵が名探偵として存在するためには、(たとえそれがエキセントリックなものであるとしても)独特の美学と信念に基き、不撓不屈の意気で手間を厭わず大胆不敵な犯罪を着実に実行していく名犯人が必要なのである。その意味で、この作品の名犯人の壊れっぷりは、爽快なほどである。「こんな奴はいない!」と思うかもしれないが、なればこそ、名探偵は名探偵として存在しうるのである。更に、このシリーズに共通するユニーク点は、名探偵が基本的に殺人捜査とは離れた場所にいるところ。従って、名犯人は結末に至るまで、名探偵に邪魔される事なく殺人計画を遂行でき、読者は読者で所謂「名探偵の殺人防御率」を云々する事なく探偵の天才を楽しめるわけである。素晴らしい。


2003年12月25日(木)

◆メリー給料日。ベリー二日酔。
◆定点観測。安物買い。
「QED:東照宮の怨」高田崇史(講談社ノベルズ)300円
これでQEDが追いついた。と、思ったら、また新刊がでるのかあ。
◆帰宅すると、荷物が二つ届いていた。
「世界ミステリ作家事典 ハードボイルド・警察小説・サスペンス編」森英俊編(国書刊行会:帯)7500円
<労作>という言葉が相応しい重厚詳細本。<本格編>のように未開の大地に導かれる興奮はないが、外から仰ぎ見るだけだった巨大な洋館の中に案内して貰い、見知った町内の来歴を聞かされた思いがする本。二、三のトリビアにはこのサイトも貢献できたのかな?
個人的にはロバート・ブロック書誌が凄く嬉しい。原書で読もうという根性が生まれた。ひいこら言って原書を読んでも、「日本語の本やら雑誌で殆ど読めまっせ」といわれるのが辛かったんだよね。ちびちび眺めさせて貰います。
ところで、折角bk1で買ったにもかかわらず、二箇所指紋の汚れが付いており、少し哀しい思い。送り返すのも面倒なので、消しゴムで擦ってごまかす。こんな事ってあるのね。
◆もう一方の包みは、中毒患者様からのスペシャルオファー。
「Corpse with the Purple Things」George Bagby (US Crime Club 1st)
「Death Visits Downspring」Miles Burton(US Crime Club 1st)
「Murder at Moorings」Miles Burton(UK Collins)
「Catalyst Club」George Dyer(US Scribners 1st)
「Drop One,Carry Four」Frederic Sinclair(US Crime Club 1st DW)
「Death ala King」Isabel Waitt(US Phoenix 1st DW)
「Death Stalks a Lady」Shelley Smith(UK Gerald Swan 1st)
「Compounded Interests」Mack Reynolds(US Nesfa 1st DW)
締めて1万6千円。毎度おありがとうございます。
本格ミステリ時代のジョージ・バグビイが嬉しいところ。レナルズの本は83年出版の限定本。なんと新品。バートンの「Death Visits Downspring」にはカバーのカラーコピーが付いていた。らっきい。ゴランツの黄表紙はどうでもいいけど、こういう具象イラストカバーだとやっぱり欲しくなっちゃうよなあ。しかしバートンなんぞを読む日が果たして訪れるのであろうか?


◆「風が吹く時」Cヘアー(ポケミス)読了
「こんなものも読んでなかったのか」読書。ヘアーが読めるのは国書刊行会だけではなくて、ちゃんとハヤカワミステリでも読めるのである。みんなで早川書房を応援しようぜ。応援するので、早川書房はいつでもヘアーの既刊3作を切らさないようにしようぜ。
舞台は、英国の田舎町マークシャア。その街の素人管弦楽団が、プロの女流バイオリニスト、ルウシイ・カアレスを招いての公演を企画するところから物語は始まる。探偵を務めるのは、ヘアー作品の常連である弁護士フランシス・ペティグルウ。愛妻エリアナがバイオリンを嗜んだために、いつしか監事として楽団の運営に関わる羽目になってしまう。理事の面々は人心掌握術に長けた老指揮者クレイトン・エヴァンズ、マークシャア社交界を仕切るバセット夫人、富裕な楽器収集家にしてオルガン奏者ヴェントリイ。だが音楽の才能と事務処理能力が必ずしも一致しない事は、子爵の末裔にして有能なる事務局長ロバート・ディクソンが身を以って示しており、ペディグルウは田舎の人間関係の妙を観察する事で理解不能な会話の飛び交う会議の無聊を慰めていた。リハーサルに起きた「衝突」によって、急遽代役が必要となったクラリネット奏者。遅刻するオルガン奏者。近眼の指揮者。風が吹く時、幾つかの偶然と云う名の必然が女流バイオリニストに葬送の曲を運ぶ。
なるほど、この動機はいかにもヘアーである。機会の方は余りに精緻に組み上げられたアクロバティックなタイムスケジュールであり、実際の殺人にはオススメできない。だが、この抜け抜けとしたフェアプレイには脱帽。ペティグルウの愛妻家ぶりも微笑ましく、コーダとして奏でられる名探偵の災厄にも思わずにんまりさせられる。ゆったりとした気分で楽しむべき上質の英国本格。これを100番台のポケミスに採用した慧眼は称えられてよい。


2003年12月24日(水)

◆クリスマス・イブ。気温16℃というのは、まるで南半球。
さはさりながら、繁華街をぶらついていると、いやがうえにもクリスマス気分が盛り上がる。「鍋はいかがですか」という居酒屋のおっちゃんまで、赤い衣裳を着込み頭にはプラスティック製のトナカイの角をつけている。となかい鍋じゃ、となかい鍋じゃ。
未年生まれの娘のために未のぬいぐるみを探すが、世の中は既に「猿の惑星」状態。ああ、あれはまさか、自由の女神!>意味不明
購入本は、奥さんの両親へのクリスマスプレゼント用にジャンル外から1冊のみ。二人の共通の趣味を突き詰めていったらこうなってしまった。
「世界の名酒事典 2004年版」(講談社:帯)4000円
こういうのは、なかなか自分じゃ買わん本ですわな。
◆bk1から国書のミステリ作家事典 ハードボイルド・警察小説・サスペンス編の購入特典が電子メールで届く。国書に申し込んだ人は冊子で貰えたみたいで、ちと差をつけられたかな?まあ、自分だけの冊子を作る事もできる訳なので、データで貰えた方が個人的には嬉しい。この辺りは同人誌属性の有無で反応が変るんでしょうかね?


◆「天使は探偵」笠井潔(集英社)読了
結論から云う。これはいい。改めて実作者・笠井潔に惚れ直した。初期クイーンばりの神の如き名探偵が白銀に舞う連作短篇。限られた頁数と容疑者の中で、怜悧なロジックが解体するカルトの企み。「重力」を切り口に「スキー」を「哲学」にしてしまう笠井節も冴え渡り、これまで毛嫌いしていた山岳ミステリというジャンルもいっちょ試してみるか、という気にさせられる。まあ、これほど面白い作品はそうあるわけではなかろうが。それぞれにカルトならではの設定が巧みにプロットに昇華されており、それでいて「カルトだから」という論理的な甘えを許さない。この絶妙のバランス感覚が憎いのだ。
また古牟礼サーガに代表されるようにこれまでの笠井作品の雪といえば、粛清の氷雪であり、血戦の風雪だった。だが、この作品の雪のなんと清らかで軽やかなことか。さながら天使のHaloの如く穢れを知らず舞う純白。よき後進を得て、黒衣の「主義者」がここまでのかろ味に達したことを寿ぐ。作中の「私」は、目標とする作品にクイーンとロスマクとブレイクを引き合いに出すところを見ると、雪密室で登場したあの探偵と同名の作家か。なるほど、こんなところにも隠れクイーンの姿。貫禄はあるが、初々しさを喪っていない佳編揃い。「クイーンの定員」に推したい作品集である。以下、ミニコメ。
「空中浮遊事件」リフトから消えた修行者は数時間後に天から降臨する。死体となって。天使の名を持つ白銀の弾丸が、奇蹟の因果を解体し、卑しい企みの綾を解きほぐすシリーズ開幕編。消失トリックは平凡だが、赤鰊からの論理展開がお見事。
「屍体切断事件」白雪に散らばる朱。バラバラに切断された裏切者と、それを予言するビラ。衆人環視の雪渓という巨大密室に挑む天使と私。山岳推理作家の家で特定された犯人像とは?これは名犯人小説。この尋常ならざる論理と人知を超越した大胆な行動力には呆れ返る。笠井潔にしか書けない「山岳本格推理」。
「吹雪山荘事件」たった5人の嵐の山荘(内二人はホームズとワトソン)で繰り広げられる殺人ゲーム。氷雪の中の剽窃は天使の裁きの前に瓦解する。フランスミステリはだしの限られた登場人物でツイストに次ぐツイストを掛けてくる作者の稚気をみよ。
「白骨屍体事件」私が遭遇した死体遺棄。掏り替えられた境遇が招く白骨のロンド。過去の殺人が召喚するカルトの魔。安寿の残酷な論理が冴え渡る佳編。読者に味読を要求するパズラー。


2003年12月23日(火)

◆とりあえず「ふみの日」なので、朝から晩まで年賀状作成に勤しむ。
◆掲示板でときならぬマキャモン絶賛の声。奴らは湧いている。
◆一日一冊といっても原書や「月長石」を1日で読んでいるわけではなくて、何日かに分けて読んでます。原書だったら一週間、月長石には2日かかりました>Moriwakiさん


◆「雨の匂い」樋口有介(文藝春秋)読了
今年は二冊も出てしまった寡作な作家の青春サスペンス。池波正太郎作品を思わせる職人芸やB級グルメを散りばめながら、老いて益々部分矍鑠な祖父の介護と、死病に捉われた父親の看護に追われる「まともな好青年」が、なぜ自ら死を関わることを選んだかが、柔らかで何処か饐えた雨の匂いとともに綴られる。
今にも死にそうだと愚痴を飛ばす祖父、
間近に迫る自らの死と正面から向き合う父、
借金地獄から抜け出さんがために父の死を待つ離婚した母、
黒塀塗りのバイト先の主人は肺病から帰還したばかり、
その家の娘は大胆にも、死を招く犯罪を告白する、
一等地にゴミの山を築き、腐臭を撒き散らす独居老人、
思いつめが講じてストーカーに化けたイタ飯上手のAV女優、
いずれも正しく樋口ワールドの住人たちは、いつになく「死」の匂いを纏っている。ふてぶてしく今を生きているのは、主人公のアルバイト先の店長とその彼女たち。果たして自分勝手な生き様を晒す者に「まともな青年」が与えた答えとは?
序盤、どこに転がるか判らない話が、終盤、普通の人の普通でない選択へとすとんと落ちていく。その余りの自然体ぶりに驚かない自分に驚く。そんな話である。パトリシア・ハイスミスに読ませたくなる「侘び寂びリプリー」とでも申しますか。決して正攻法のミステリではないが、この主人公には、もう一度会ってみたくなる。


2003年12月22日(月)

◆二週間ぶりに浮上してみる。
◆さすがに年賀状の手配にかからねばいかんと、読み物については古本にも新刊にも手をださず、年賀状用のCD−ROM付きブックレットを購入。
続いて貼り込み画像用のカバーを別宅に掘り出しにいく。猿はネタに使えそうな本が多くて楽だねえ。しかし、今回は原書にこれといったものがない。ああ、こんな時、ペリー・メイスンを原書で押えておけば2冊は使えたのになあ。

さあ、ここでクエスチョン。来年の年賀状に使えるペリー・メイスン・シリーズ2冊とは
「嘲笑うゴリラ」と、もう1冊は一体何でしょうかあ?正解は10行後。


◆「観月の宴」RVフーリック(ポケミス)読了
順調に刊行が続くポケミス版ディー判事シリーズ。識者の茗荷丸氏曰く、本では品切れの作品も電子出版でテキストを入手可能らしく、双方とも封じられている入手困難既刊は中公文庫の「四季屏風殺人事件」のみらしい。5年前に同書が刊行された際に戯言で書いた予言(10年後にはマニア探求本)が既に的中してしまった事に、忸怩たる思いを禁じえない。
さて、今回のディー判事は、金藩県を預かる同僚知事ルオの館に招かれた事から、三つの死に遭遇し、図らずも、当代きっての詩人・博士・高僧達の中から真犯人を特定せざるを得なくなる。そもそも、投宿客の中に、この世の辛酸と栄華を極める数奇な運命を辿り今は女中殺しの罪で係争中の閨秀歌人・幽蘭がいた事が、波乱の幕開け。幽蘭の無実を証明し、その心と声望を我が手にと目論んだルオをあざ笑うかのように、観月の宴の場で惨劇は起きる。野心家の舞伎・小鳳が、「禁断の演目」を前に何者かに殺害されたのだ。更に、強盗殺人に見えた茶商人宅の間借り人殺しが、数十年前の謀判事件の因縁と縺れ始め、中国製フォックストロットは髑髏の周りで高まる。そして黒狐の精霊が哀れな最期を迎えた時、ディー判事は三つの死を一本の糸に収斂させていく。再演された宴の夕べ、典雅の極みから恋歌は堕ちる。
ディー判事版の「権力の墓穴」。それぞれに師を仰ぐべき傑物の中から、真犯人に迫るディー式捜査法を堪能する。身分を偽った潜入捜査から、薄幸の狐娘とのふれあい、したたかな閨秀詩人との駆け引きなど、その名探偵ぶりは、決して古さを感じさせない。この嫋々たる東洋趣味に労せずしてアクセスできる幸せに浸りつつ、続刊を期待する次第。

◆来年の年賀状に使えるペリーメイスンの原書とは「TCOT Mythical Monkeys 」でした。
なぜか邦題が「死のスカーフ」で、猿はどこかへ行ってしまったのでした。


2003年12月21日(日)

◆連れ合い公認で朝から日記三昧。10時間ぶっ続けで日記の空白を埋めていく。絶対に平日よりも「仕事」したな。当分感想は書きたくありません。はい。購入本0冊。

◆「黒猫の三角」森博嗣(講談社ノベルズ)読了
5年ぶりに森ミステリィを読んでみる。第8作までは非常に忠誠心の高い読者であった事は日記でも述べたが、薦めた友人に先に読まれてから、なんとなく遠ざかっていた。「ああ、何も僕が応援しなくてもいいや」状態に達したというべきか。宮部みゆきあたりもそのパターン。で、この保呂草&紅子シリーズの第1作であるが、相変わらずの「お嬢様と執事」というスイート・ラーラ的少女漫画趣味とミスタースポックの眉毛を上げせしめるがごとき「『非常に面白い』理系の内輪受け」センスに懐かしさがこみ上げてきた。
那古野市を震撼させた、年に一度の等差数列連続美女殺人事件。この3年に亘り、ぞろ目の日に、11歳、22歳、33歳の女性が何の動機もなく殺されてきた。なんでも屋の探偵に、数学者の屋敷から身辺警護の依頼が届いた時、44歳へのカウントダウンは始まっていた。数に淫した殺人淫楽者は、果たして衆人環視の囲みを破って標的を縊り殺すことができるのか?誰かが誰かを恋している、ベクトルの異なる恋愛矢印が行きかう中を、女装主義者は駆け、美貌の関西弁が炸裂し、究極の「お嬢様」が立ち上がるとき、刑事と探偵の銃は速さを競う。ニコニコ笑うは黒猫の夜。
なんとも軽快にゲーム感覚の殺人と推理が繰り広げられる。ネーミングのトンでもぶりには辟易としながらも、第1回メフィスト賞受賞者の貫禄を見せつけられた思いがした。律儀に不可能状況を盛り込み、緻密にくみ上げた狂った「論理」を丁寧に解きほぐし、掟破りスレスレの大技まで仕掛けてくるのだから、その「受けてなんぼ」のサービス精神は称えられてよい。ことごとく作り物めいた人物造形を受け付けない人もいるだろうが、新たなる探偵コンビ(あるいは、カルテットというべきか?)の真価を問うには、もう1,2作読んでみるのが公平なスタンスであろう。ご心配なく。どこの書店にもおいてますし、あっという間に読めてしまいますから。