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2003年9月10日(水)

政宗さんの9月8日の日記を読んで、おお、そういえば創元推理文庫のピンバッジの申し込みの締切じゃったわいと、ぎりぎりに発送。
さあ、君は幾つ買ったかな?勿論僕は一つだよ。きっと「ああ、もう一つ申し込んでおけばよかった」と後悔するんだろうなあ。でも、沢山買ってみても始まらないしなあ。うーん、一つでよかったんだよねえ?もう、頭の中は「?」マークで一杯だ。
◆昨日の日記の記載に関して、掲示板で「グーグーグー」なら「スヌーピー」でっせ、と突っ込みを頂く。ああ、やってしまった。仰せの通りでございます。御恥ずかしゅうございます。ご指摘感謝。こっそり直しました。
◆途中下車して安田ママさんの勤務先へゴウ。
さっそく平台チェック。おお、これが噂の「ファウスト」か。版型が判らないので他の店では探しようがなかった。すでに「メフィスト」は買わなくなって久しいのだが、こちらはとりあえず1冊目ぐらいは買ってみるのだろうか?でも今日は他に買うものがあるのでスルーする。買ったのはみんなが買ってるこの2冊。
「魔法人形」Mアフォード(国書刊行会:帯)2500円
「『エロティック・ミステリー』傑作選」ミステリ文学資料館編(光文社文庫:帯)762円
アフォード作品はベロウ作品と並んで、国書の世界探偵小説全集第4期で一番楽しみだった本。原書で持ってはいるが、翻訳されると聞いてじっと待っていた。わくわく。
「エロミス傑作選」も「いよっ、待ってました!」な1冊。宝石・別冊宝石は一気買いできたのだが、こちらの姉妹誌の方は、1冊しか持っていないのである。巻末の総目次でようやく全貌が見えました。万歳。解説代わりの川田弥一郎の小文も熱くてベリー・グッド。これぐらいの情熱をもって語って欲しいんだよ!
「宝石、別冊宝石、エロティック・ミステリー」という関係は、「小説現代、メフィスト、ファウスト」という関係と相似である。「エロミス」の表紙がエロっぽい生身のお姉さんの写真なのに対して、「ファウスト」の表紙が、アニメ調の闘う美少女系イラストになっているのが、この43年間のミステリ読者の変質を語っているようで爆笑できてしまう。がははははは。どうぞ、講談社におかれましては、更に「萌え」を「ヤオイ」にまで昇華させた文字通りファウストの<姉妹誌>「ベアトリーチェ」まで創刊して頂きたい。副題は「旅と推理小説」の向うをはって「愛奴推理小説」でどーよどーよ?
頭の中は「?」マークで一杯だ。
◆政宗さんに安田ママさんといえば、Web本の雑誌で2004年本屋大賞 の企画が本当にスタートしたらしい。書店員がその年に最も売りたい本を選ぶという企画。本の雑誌の9月号の緊急座談会を読んだ時には「これは相当ムリ目だねえ」と思っていたのだが、まさかマジでやっちゃうとはねえ。とりあえず、お祭に賛同してトップページにバナーを貼ってみる。「魚屋大賞」「八百屋大賞」は無理だろうけど、「ゴルフ屋大賞」「電気屋大賞」ならなんとかなるかなと思うし。
企画ではその年の新刊に限った「本屋大賞」と「発掘部門」があるのだが、沿道から見ていて楽しみなのはなんといっても「発掘部門」である。正直なところ、新刊は書店が売りたいのか、出版社が売りたいのかはっきり見えないし、結局、巷の年間ベストとかぶってしまうと思う。なんといっても、これまでに出版された現役本を対象とした「発掘部門」こそ、本を売るプロたちの実力を知るバロメータとなるにちがいない。選考過程はさながら書店員の誇りをかけたバトルロワイヤル。とりあえずお祭気分で盛り上がって頂きたい。果して「白い犬とワルツを」「慟哭」に続く、<本屋さんがヒットさせた本>は生まれるのだろうか?お手並み拝見。


◆「苦い雨」樋口有介(日本経済新聞社)読了
1996年刊行の樋口有介作品。帯背に「ニュー・ハードボイルド、新・中年小説」とあって、もう何がなんだか、である。これは「新本格」を意識した造語なのか?いいねえ、「新・中年小説」。だいたい「中年小説」なんていうジャンルがあったのか?「中間小説」なら判らんでもないがなあ。江戸川乱歩先生ならば

「みなさんはあたらしく中年になられる方々です。中年は、若いころにおせわになったアイドルのへあ・ぬーどとせいじもんだい、けいきのへんどうと巨乳あなうんさーのごしっぷ、他人のふこうとOLのわるぐち、うまいもの屋とせいじんびょうなど巾ひろいちしきをもたなくては、しゃかいじんとして一人前とはいえません。これは、そんな新・中年のみなさんに、世の中のしくみをわかってもらうためにかかれたしょうせつです。あくと戦う名たんていのかつやくをおうえんしてくださいね」

と紹介したかもしれない>そんなわけはない。

閑話休題。肝腎の中身だが、簡潔なハードボイルドの文体を終始意識した、ホロ苦の経済&恋愛ミステリである。「ネオ・ハードボイルド」というような卑しい街をいくPI小説とは一味違う、大人のファンタジーはこんな話。
雑誌とは名ばかりの零細「経済誌」を出版している経済ゴロ・高梨に、百万円のアルバイトが転がり込んでくる。依頼主は、バイオル化学の総務部長・富塚。高梨は、かつてバイオル化学の先代社長だった大野憲作に拾われ、秘書役として辣腕をふるっていたが、憲作社長の急死の後、反目していた二代目・勝彦の社長就任に合わせ、社から放り出されたという因縁がある。富塚の依頼は、メインバンクによる乗っ取りを企む連中が憲作社長の些か不面目な死の真相を知る女・長倉圭子から情報を引き出す事を阻止して欲しいというもの。まずは、バイオルから口止め料代わりに援助を受けた店をバブル崩壊とパトロンの逮捕で失った圭子を探すところから高梨の探索は始まった。宮仕えの怨念、屈折した「凡庸」と合理の顔をした「強欲」、拝金を笑う女の意地、利権と醜聞の果て、高梨の家族に危険の翳が忍び寄る時、くすんだ背中で男が吼える。それは手折られた紫陽花。苦い雨。瞑る愛。
話を破綻させかねない「意外な犯人」。これは、強烈な大人の愛の在処を尋ねる物語である。主人公は、極めてハードボイルドであったかと思うと、どこか女性扱いが苦手で、恋女房には丸め込まれてばかり。口で勝っても心で負けてる。推理小説として読むと、「で、結局、どこに犯罪と謎があったのか?」が判らなくなってくる正しいハードボイルド。人探し小説としては御都合主義が鼻につくが、そこはそれ「ビギナーズ・ラック」ということで。経済小説としても突っ込みが甘いが、なんといっても、この小説の凄いのはラストの3行。なるほど、こういう書き方があったのかと唸らされた。「裂けて海峡」のラストに匹敵するとまで云うと、褒めすぎか?等身大中年ヒーローのやわな心とタフな行動をご覧になりたい新・中年のみなさんはひつどくです。


2003年9月9日(火)

◆少し残業して定点観測。
d「愛のふりかけ」草上仁(角川書店:帯)200円
単なる帯狙いである。そうかあ、1200枚の大長編だったのか。
あと、同じく角川の「Peanuts Book featuring SNOOPY」の19〜22巻、24巻・25巻の帯付きなんぞを500〜600円で買い求める。正直なところ自分が何巻まで持っていたのか覚えちゃいない。鶴書房の時代のピーナッツからの伝統では各巻に副題がついていて「ゲバっ子ルーシー」やら「00スヌーピー」やらいかにも時代を感じさせるものもある。が、角川で復活後の「Peanuts Book featuring SNOOPY」は19巻までは、通し番号のみであり、些か寂しい想いをしていた。それが、20巻目から副題も復活。「これからどうするの?」「ボクは心配してないよ」てな題名がついている。しかしなんとなくインパクトがないところが「めでたさも中くらいなり」なのである。
やはりキャラクターの名前が後ろにあるとないとではこんなにも印象が薄まるものか、と思ってしまう。オールドファンならば「アッカンベー」といえば「チャーリーブラウン」、「おうちが火事だ」といえば「スヌーピー」と、上の句と下の句が対で出てくるぐらいに刷り込みが行われているのだ。これはちょうどキャラの名前を連呼しないイマドキのアニメソングみたいなものですか。ぶつぶつ。


◆「女王陛下のユリシーズ号」Aマクリーン(早川NV文庫)読了
海洋冒険小説の頂点に輝く作品であり、かのアリステア・マクリーンの処女作。解説によれば「グラスゴーの一教師を一躍ベストセラー作家にした」里程標的名作である。さすがの冒険小説オンチの私でも題名ぐらいは知っている。でも第二次世界大戦ネタだとは知らなかったところが限界である。
で、率直に申し上げれば、余り楽しめなかった。これほどに人がバタバタと死んでいく真面目な戦争小説だとは思わなかったというべきか。
まずのっけから暗い。北の海での果てしなき消耗戦ゆえに、既にユリシーズ号では叛乱が起きている。うへえ。その船が、更に苛酷な任務を命じられロシアの不凍港に物資を輸送する護衛艦隊の旗艦として、「群狼」と恐れられたナチスUボート群が牙を剥き、極北の大嵐吹きすさぶ海へと送り出される。なんと船出の直前にも、停泊中の湾内でナチスの小型潜航艇の囮役を押し付けられるという念の入りようである。そして前半の自然との闘いで既に半壊状態の艦隊が、中盤、遂に空から海底から襲い掛かってくる鉤十字の魔手の前にズタズタに引き裂かれていく様は無惨の一言。自らの索敵能力を過信した艦隊司令が壊れていく過程が、これでもかっ!とねちっこく描かれていく。人間の限界を超えた不撓不屈、親子の情愛を凌駕する軍務への忠誠、神がかった状況判断と大人の諧謔、死と相乗りの<幸運の船>の最後の航海は、ただ苛烈、ただ壮絶、ただ激烈。凍った金属に引き千切られる肉、氷点下の暴風に奪われる血流、巨大な重量に粉砕されていく骨、爆風に翻弄され、焦熱に焼かれ、玩具のように蹂躪されていく尊い魂。中でも、艦隊を護るために僚艦の乗員たちの命を自らの手で奪わねばならない「軍」という存在の冷酷には言葉を失う。だが、進むのもまた地獄、なぜならばユリシーズ自体が独軍の誇る無敵戦艦ティルピッツに差し出された生け贄だったからである。
確かに、様々な男模様が、泣かせる。喀血しながら指揮を執りつづける艦長、その艦長を全身全霊で支える不死身の副長、全てを失いながら虚無の中で冷たい怒りを滾らせる水雷員、だからこそ、こいつらには生きていて欲しい、という読者の儚い願いをざっくり切り裂く作者の筆。こういう自己犠牲と軍人魂を描いた滅びの美学は、日本人の感性に合致するもので「勝った、勝った、また勝った〜」的感性のアメリカ人からは受けないんじゃないかと思うのだが、よくぞ世界的ベストセラーになったものである。詰まらない話ではない。しかし愉快な話でもない。どこまでも暗く重厚で誇り高い男たちの戦争文学である。ああ、しんどかった。


2003年9月8日(月)

◆残業。購入本0冊。
◆小笠原諸島と八丈島を取り違え赤っ恥をかく。帰宅しておお慌てで修正。膳所さん、ご指摘感謝。


◆「リプリー」Pハイスミス(河出文庫)読了
こんなものも読んでいなかったのか読書。昨年末に恥かし未読東西20作を挙げた際にも「太陽がいっぱい」としてリストアップした一作。河出文庫ではマット・デイモン主演の再映画化に合せて、改題のうえ解説も書き直し、スチル写真もあしらった新装新版を2000年に出版。この解説を改めるというところが憎い。どこぞの角川文庫ならば、こういう配慮は望めなかったかもしれない。(と思ったら、角川文庫も、映画便乗で出し直し、解説を増補するという荒業にでておりました。侮って、すんません、角川の人。)
ボストン出身の貧しい青年トム・リプリー。口先三寸と物真似はお手の物だが、その実、役に立たない犯罪計画を試してみては、その日暮らしの失業者。だが、ある日とてつもない幸運が、彼の許に舞い込んでくる。実業家グリーンリーフが、画家を目指してイタリアで気侭に暮す息子ディッキーをアメリカへと連れ戻すべく「友人」たるトムに説得を依頼してきたのだ。大いなる勘違いを契機に、勇躍小金をせしめて渡欧するトム。説得は忽ちのうちに失敗するが、今度は逆にディッキーとつるんでローマやパリで刹那的享楽に耽る。そして、最後通牒は、死の宣告となり、欧州を股にかけた究極の<その場しのぎ>芸は開演する。沈められた船、贈られる冷蔵庫、奪われた指輪、盗まれる署名、不敵な青春の犯罪者は陽光の下で何を見る?
なるほど、これは不思議な話である。とにかく主人公の場当たりぶりが凄い。智謀やら下準備を、脳内シミュレーションで転がしまわった挙句、それとは全く異なった状況に追い込まれては、本能的に最善手を選び取る。この悪運の強さにつくづく脱帽。これぞまさに「タレント」である。
実は恥かしついでに白状しておくと、マット・デイモン主演の再映画化版は勿論、アラン・ドロン主演のミステリ映画史上に輝く「太陽がいっぱい」も未見である。要は、嬉し恥かし今回が全くの初見であり実にハラハラしながら、ラストまで読み進む事ができた。惜しむらくは、21世紀の読者には、これ以降もリプリーがシリーズ化されている事を知っている分、60年代の読者に比べてハンデがあるというべきか。とまれ、情けないヒーローがお好きな人は是非御試しあれ。


2003年9月6日(土)・7日(日)

◆育児疲れの奥さんの誕生日祝いに家族旅行。千葉の先端まで一泊二日の旅に出かける。日記もサボろうと思っていたが、フクさんからエールを送られたので、一応アリバイだけは作っておこう。蘇我発10時33分のビューさざなみです。>なんのアリバイやねん?
◆宿の外が「グランド前」とか言うスポットらしく、板の上に乗っかって波間にぷーかぷーか浮かんでいる生物を沢山見た。「イタマヌケ」と命名して「野生の王国」ごっこをして遊ぶ。
「一体、イタマヌケたちは何をしているんでしょう?」
「イタマヌケは変温動物なので、水につかりすぎると動きが鈍くなります。そこで、板の上で日光浴をして体温を上げているんですね」
「あ、あのイタマヌケは、群れから外れていますね」
「あれは、はぐれイタマヌケですね。もうすぐ立ちますよ」
「あ、波の乗ろうとして、あ、あ、落ちました、落ちました」
「あれは牝に対する求愛行為ですね」てな具合。
それにしても、日が落ちてからも、日が昇る前からも、イタマヌケが浮かんでいたのには驚かされた。更に、熱心なイタマヌケになると、一箇所でじっとしておらず、4WDでスポットからスポットへと「渡り」を行うのだそうな。そのマメさと、ぷーかぷーか浮かんでいるだけのオマヌケな姿の落差がなんともいやはや、自然の驚異というか。
◆帰宅してからお誕生日ケーキを買いにいきがてら定点観測。安物買い。
「怪盗クイーンの優雅な休暇」はやみねかおる(講談社青い鳥文庫)100円
「ニードフル・シングス(上・下)」Sキング(文春文庫)各100円
「ほんの本棚」いしいひさいち(創元ライブラリー)100円


◆「海泡」樋口有介(中央公論社)読了
2001年の<樋口有介>本。正直なところ、今の日本でこのゆったりとしたペースで本を書いていて専業作家として生きて行けるのだろうかといらぬお節介をやいてしまう。おまけに、この人の場合、あまり文庫化されない、というハンデもあるしなあ。特に青春ものの脇役として、生活感のない、それでいて(というか、それがゆえに)魅力的な「大人」が登場するのだが、あれは作者自身の投影なのか?はたまた、見果てぬ夢なのか?とまれ、同じ一つの人生であれば、自分の思いを大事に生きた方が得だよなあ、と思い知らされるのが、樋口作品の危険なところなのである。更に、この近作は、舞台が<日本のガラパゴス>小笠原諸島であり、普段にもまして、ドロップアウトの毒が強い。こんな話。
大学は夏休み。26時間の船旅を終えて、2年ぶりに小笠原諸島は父島に帰ってきたぼく・木村洋介。<日本のゴーギャン>の息子として、中学から高校の6年間を島で過ごしたぼくは、ナンパと悪戯で、島一番の不良の称号を獲得したものである。悪友の山屋は、漁師稼業に精を出し、気紛れな天才画家は(つまり親父のことだか)契約に縛られた美貌の裸女・雪江にインスピレーションを爆発させている。「トムズハウス」のマスターは魔法のように料理を繰り出し、本土から流れてきた女・板戸可保里が店に華を添える。医者を目指していた島の秀才・藤井はどこか壊れてしまい、にこにこと電波をふりまき、そして、ぼくたちのマドンナ・丸山翔子は、一段と痩せた。薄幸の美少女の病は、もちろん白血病だ。2年のうちに、変ったもの、変らぬもの、どれもがぼくの心を揺さ振る。東京で疲れたぼくの心を。だが、街から来たのはぼくだけじゃない。島の旧家の長女・一宮和希は、東京から追ってきたストーカー真崎のためにノイローゼ状態。そして、ある夜、和希は島の高台から転落死を遂げる。果して、事故か?自殺か?それとも殺人か?利権渦巻く南の島で、縺れる人の恋模様。潮に躍るはうたかたの夢、人の命は海の泡。
誰もが何かから逃げている。まともに人生と向き合おうとしていたのは、病床の美少女のみという皮肉。旅人からは楽園にしか見えない南国の日常に潜む鬱勃たる想い。明るい笑顔と諦念。奔放な性と悔恨。なんとも「ここは日本だ」と唸らされる。メインプロットを、様々な人物往来に埋没させる技は益々円熟味を増し、もう犯人なんかどうでもええもんね、状態になってしまう悲しき亜熱帯。海辺で読むには最高。どんなパンフレットよりも、どんな映像よりも、「小笠原へ行ってみたい!」と思わせる佳編。猛毒にご注意。


◆「怪盗クイーンの優雅な休暇」はやみねかおる(講談社)読了
「時は現代、ところは空中、根性すら歪む果てしなきおちゃらけのうちに愛機トルヴァドゥールを駆るこんちくしょう、名探偵・夢水清志郎最大のライヴァルにして、21世紀の20面相、だが人は彼を(彼女を?)怪盗クイーンと呼ぶ」。というわけで、どっちをむいてもジョーク、どっちをむいてもサービスなはやみねかおるのジュヴィナイル・ピカレスク第2弾。原稿用紙にして500枚の大長編とかで、巻末には「読了認定証」までついている。どこまでいってもサービスなのである。重厚長大化の波は、青い鳥文庫にまで押し寄せていたのであった。
かつてクイーンに苦杯を飲まされた悪徳実業家サッチモ・ウィルソンは、その怨念を晴らすべく、財宝を積んだ豪華客船ロイヤルサッチモ号12日間の旅へとクイーンを招待する。宝を護るは鉄壁の赤外線周期システム、そしてICPOの探偵卿の一人ジオット・メイズ・ウインドミル、更に、暗殺者集団<初桜>七人衆までがクイーンに復讐の牙を剥く。次々と襲い掛かる奇想天外な殺し技を躱し、ジオットの老いらくの恋光線を跳ね返し、休暇を満喫するクイーン。財宝の中のセント・オルロフ・サファイアを狙う王女様盗賊に、爆破魔<グーコの竜>もあい乱れ繰り広げる争奪戦の果てに待つ新たなる英雄譚とは?
ルパン三世だったり、なめくじに聞いてみろだったり、する痛快娯楽巨編。クイーンのとぼけた倣岸不遜ぶりと無敵モードは、義賊界のニュー・フェイスとして必要十分。世界最高の人工知能RDや、「仕事上のパートナー」たるジョーカーとの掛け合い漫才は、ややすべり気味だが、奴はとんでもないものを盗んでいきよりました。読者の心です。はい!てなもんですか。


2003年9月5日(金)

◆白状しておくと、夏目漱石の「吾が輩は猫である」にロバート・バーの「放心家組合」が紹介がされている事を知らなかった。そうかあ、「エラリー・クイーンが二人組である」のと同じぐらい常識だったのかあ。
ついでに白状しておくと、吾が輩は「吾が輩は猫である」をまだ読んでいない。従って奥泉光の「<吾が輩は猫である>殺人事件」もいつまでたっても読めない。単に題名だけを頂いたいしいひさいちの「わたしは猫である」「わたしは猫である殺人事件」は読んでいるのだが、つまるところ、吾が輩は暗くじめじめしたところで推理小説とSFとホラーとマンガしか読んでいないガンダム・オタクなのである。にゃーにゃー。ぼくがいちばんがんだむをうまくそうじうできるんだ。

ばかなアムロ

◆奥さんの誕生日イブ。会社近くの信濃屋でシャンパン買って帰る。と、一駅途中下車して定点観測。安物買い。
「女王陛下のユリシーズ号」Aマクリーン(ハヤカワNV文庫)100円
「さらばスティーブンソン」森山清隆(新潮社:帯)100円
「七番目の方角」斎藤純(NHK出版:帯)100円
「海泡」樋口有介(中央公論社:帯)300円
「魔女」樋口有介(文藝春秋:帯)300円
「刺青白書」樋口有介(講談社:帯)200円
「ともだち」樋口有介(中央公論社)200円
「苦い雨」樋口有介(日本経済新聞社:帯)200円
「プラスティック・ラブ」樋口有介(実業之日本社:帯)200円
「ろくでなし」樋口有介(立風書房)200円
わはははは、今更ながらにマクリーンなんぞを買ってしまった。今頃買うなよ、といわれるかもしれないが、我が脳内では「<本格推理小説>の敵」という刷り込みが思わず知らずのうちに行われていた作家なのである。別に、マクリーン本人が「本格推理なんてな、ガキの読みもんだぜ。てめえも男なら冒険小説を読め、俺様の傑作を読め、なばろーーーん」と吼えたわけでもなんでもなくて、中学から高校生にかけて、キタや元町の古本屋を「カーはねえがー、密室殺人はねえがー」となまはげモードでさまよっていた時代、ポケミスの後ろに競馬シリーズ・87分署シリーズなどと並んで、「これならありまっせ。買いなはれ。買うてんか。ごるらああ、買わんかい!」とばかりにマクリーンの目録がついていたのが、良くなかったのかもしれない。「こんな本出さずに、カーを出してくれよ〜」と希っていたわけですな。
数ある冒険小説の中でもベスト・オブ・ベストと聞いているので、これが駄目ならマクリーンは止めておこうと思う。正直なところ、この作品と冒険小説ベスト・オブ・ベストの座を争う(?)「深夜プラス1」は全然面白いと思えなかったんだよなあ。
後は、なかなかこの値段では落ちていない樋口有介をまとめ買い。7冊中4冊は既に図書館で借りて読んでいるのだが、なんとなくマイブーム状態なので、手元においておきたくなった。「部数の少ない寡作の初版作家なんだから、マイブーム状態なら本屋で買ってやれよ」といわれるかもしれない。それは正論である。諸君、正論である。諸君らの愛したがるまざびはしんだ、なぜだーーーーーっ。

坊やだからさ。

◆帰宅したら20時半。矢野の逆転サヨナラホームランに間に合った。

こんなうれしいことはない。


◆「月の扉」石持浅海(カッパノベルズ)読了
「アイルランドの薔薇」で新たなる本格推理の地平をしなやかに切り拓いてみせてくれた新人離れした新人作家の長編第2作。既にネットのあちこちでも評判の作品である。こんな話。
七月十六日、那覇空港二十時発羽田空港行 琉球航空第八便。3人の男女は、静かな決意を胸に搭乗手続きを終えた。仕込まれた刃。巻かれたテグス。飛ばない翼の中で起きる占拠と要求。「師匠」を最初で最後の舞台に招くため、善人たちの闘いは始まる。だが、閉じていない密室の中で「敵」が予期せざる死を迎えた時、シナリオは歪み、名探偵は突然指名される。威信を懸ける国家。命を懸ける迷い人。悪意は殺意を駆逐し、罠は自らを証明する。論理は間に合うか?奇蹟の扉が開くまで。
極限状況での論理のアクロバットが凄い。名もなき「名探偵」がニクい。前作も、深刻な国際情勢を設定に取り込みながら、どこかファンタジックな雰囲気を漂わせていたが、今回は更に虚構の幅が広がった。これだけのカリスマを出してしまうと、すべての論理が無効化されてしまう事を、誰よりも作者は心得ており、最後にタイトロープの上で狂ったロジックの捻りを加え、勝利してみせる。惜しむらくは、官憲側の書込み。徒にキャラクターを出しすぎた感があり、風呂敷きを畳みそびれた印象が残る。まあ、サスペンスも、超自然もすべては論理のためということなのだろうか?余りこの作品で匂わせた「方向」に進みすぎない事を祈りつつ、とりあえず「石持浅海が、またやった」と言っておこう。


2003年9月4日(木)

◆仕事で飲み会。へらへらになって帰宅したらamazonから本が届いていた。
「In the Best Families」Rex Stout(Bantam)715円
「An Evil Spirit Out of the West」Paul Doherty(Headline)1844円
「The Gates of Hell」Paul Doherty(Carroll & Graf)2522円
スタウトのペーパーバックはアーノルド・ゼック対ネロ・ウルフ3部作の完結編。今頃買うなという噂もあるが、スタウトの原書は「ついで買い」ばかりなので、結構長編でも欠けがあるのだ。バンタムのこのシリーズは息長くネロ・ウルフものを出しつづけてくれているようで助かる。8年前の本らしいが、Amazon様々と云うべきか。
後の2冊はポール・ドハティーの2003年新作。「西からの悪霊」は、アメロトケのシリーズではなく、エジプト第18王朝異端の王として知られるアメンホテップ4世ことアクエンアテン3部作の第1作とのこと。アクエンアテンは多神教のエジプトをアテン神一本で纏めるという無謀ともいえる宗教改革で知られる人。エジプトを代表する美妃の一人・ネフェルティの夫でもあり、かの幼王ツタンカーメンの父とも叔父とも伝えられる超有名人物。どうやら、普通のエジプト歴史小説といった雰囲気ですな。しくしく。あと二つも続くのか。
「地獄の門」はアレクサンダー大王シリーズ。世界七不思議の一つ<ハリカルナッソスの大霊廟>の地を舞台に描く策謀の物語らしい。こちらは一応ミステリっぽい造りかな?紀元前の物語もいいのだが、やっぱり中世のロンドンものを期待したいところではありますのう。


◆「D機関情報」西村京太郎(講談社文庫)読了
西村京太郎の長編第3作。江戸川乱歩賞受賞第1作。ガチガチの第二次世界大戦エスピオナージュである。1988年に「アナザー・ウエイ D機関情報」という題名で映画化された(らしい)。ロバート・ボーンが日本の映画に出演した、という一点でのみ記憶に残っている。中身は見ていないが、「大作邦画」の例に漏れず、おおコケしたのではなかろうか?ネットでの感想も嘆き節が多い。配役リストを見ると我等がナポさんは「D」役を務めたらしい。矢島正明の声で喋ったんだろうか?「チャンネルD、オープン」
昭和19年、ミッドウェー海戦での大敗北以来、迷走を続ける司令部に直言した硬骨漢・関谷中佐は、欧州での秘密任務を命じられる。軍需物資として欠かせない水銀を買い付けるべく、金塊を携えスイスに向えという。潜水艦による決死行でドイツの軍港キールに辿り着いた関谷を待ち受けていたのは、友人であるスイス駐在武官矢部中佐の訃報であった。だが、関谷には友の不慮の死を悼んでいる暇はなかった。スイスに向う途中、連合軍の誤爆に巻き込まれ、気がついた時にはトランク毎金塊を失っていたのだった!果して、金塊の行方を知るのは誰?事故の際、同乗していたドイツ人、それともフランス人の仮面を被ったロシア人?謎の女性が死に際に遺した「D」が意味するものとは?策謀、陰謀、諜報渦巻く永世中立国で、日本の明日を護るため、関谷の選んだ道。「鳩を買いたし」「鳩を売りたし」
実話を下敷きにした第二次大戦秘話。如何にも怪しげな人々が登場して、実はどこそこのスパイでござい、という安易さがいい。テーマの重厚さと、エンタテイメントに走る京太郎の筆が些かミス・マッチで、ストイックなル・カレあたりの洗礼を受けた読者からすれば「面白すぎる」。ただ、社会派「天使の傷痕」での賞取りの後にこの作品をぶつけてきた「新人作家」の意欲は大いに称賛されて然るべきであろう。後年の高木彬光の「帝国の死角」と被るところもあるが、これは下敷きにした実話が同じ故か?更に一捻り加えて「推理小説」にしてしまった彬光に比べ、随分と西村京太郎のこちらはガチンコのスパイ小説である。主人公の企てが絶対に成功しない事を史実として知っているだけに、辛いんだよなあ。
ところで、講談社文庫版の北上次郎解説は、バランスよく西村京太郎作品の全貌を語り、日本スパイ小説史にもさらりと触れ、この作品自体の魅力も充分に伝えるという名解説。本編以上に感心してしまった。さすがでございます。


2003年9月3日(水)

◆大阪日帰り出張。駆け足で数店定点観測するも空振り。たまに回って拾い物があるほど世の中は甘くないのである。その代わりと言ってはなんだが、週刊ベースボールなどという「専門誌」を数十年ぶりに買う。覚えてはいないが、おそらくは「18年ぶり」であろうことに500ガバス。はらたいらさんに全部。
◆帰りの新幹線では、「本日の1冊」も「週刊ベースボール」も読み終えてしまったので、「本日の1冊」が掲載されていた古いEQの他のページも読んでみる。つくづく思ったのは、ジャーロの数倍濃い仕上がりだよなあ、って事。
カーの発掘作だのクイーンのラジオドラマだのといったラインナップもさることながら、エッセイの厚みが全然違う。今となっては「古典」扱いの「ホッグ連続殺人」が辛口書評の洗礼を受けていたりするのも面白い。一つ、知っている人にとっては当り前であろうが、個人的にビックリだったのが、日本冒険小説協会公認酒場「深夜プラス1」のオープン告知。なんと昭和57年の1月28日オープンとか。なんとなく、戦後の焼け跡時代からあったような印象を勝手に抱いていたもので、虚を衝かれた。おお、丁度自分が社会人になるやならずの頃だったのかあ。人生で最も推理小説から遠い生活を送っていた頃なので、全くアンテナにひっかからなかったよなあ。まあ、ひっかかっていたとしても貧乏だったから、東京の、それも大人の酒場には行けなかっただろうけど。もし顔を出していたら、よしだまさしさんと20年早く知り合いになれていたかもしれないと思うと少し残念な気もしますな。うん。


◆「ファーザー・ハント」Rスタウト(EQ所載)読了
1968年発表のネロ・ウルフ第30長編。ウルフサーガの中では最後期に属する作品。もう1作「The Mother Hunt」という長編が63年にあって、題名としては対をなすが、こちらは未訳。なぜ「ファーザー・ハント」の方が先に訳されたのかはよく判らない。EQの揚句によれば「69年のイギリス推理作家協会 最優秀外国作品賞受賞作」らしいが、それよりも訳者である各務三郎の趣味なのかもしれない。このCWAの「最優秀外国作品」という賞の仕組みが良く分からない。現在は存在しない賞で、過去の歴史をひも解いても、「ファーザー・ハント」のほかにはジャプリゾの「新車の中の女」、ボールの「夜の熱気の中で」、ハイスミスの「殺意の迷宮」ぐらいしか受賞していない。年によっては「最優秀英国作品」賞があったりするところをみると、ゴールデン・ダガーが国内作品に行った際、甲乙つけがたい外国作品があればそいつに与える賞って事なのかな?
閑話休題。レックス・スタウト版「お父さんを探せ!」はこんな話。
今回の依頼人は、アーチのガールフレンド、リリー・ローワンが、父の伝記を書くにあたって雇った娘エーミー・デノヴァ。三ヶ月前に母親エリナーを轢き逃げで亡くし天涯孤独の身の上となったエーミーの依頼とは、彼女の父親探し。テレビプロダクションの副社長であったエリナーは一切父親の素性を娘に知らせず、女手一つでエーミーを育てあげた苦労人。そのエリナーが死んでみて初めて、エーミーは、彼女の父から毎月千ドルの小切手が母に送られていた事を知る。エリナーは一切その金に手をつけず、26万4千ドルがエーミーに遺された。アーチは、その小切手がシーボード信託銀行である事を探り出し、更には、同銀行の重役でかつての依頼人アヴェリー・バールに、振出し人の素性を当たる。その正体とは76歳になる元頭取サイラス・M・ジャレット!更に、人づてにアーチはエーミーがカーロッタ・ヴォーンという名で、ジャレットの個人秘書を務めていた事を探り出す。だが、はったりを利かせて乗り込んだジャレット邸でアーチは決定的ともいえる「アリバイ」を示され、放り出される破目になる。では、なぜサイラスは金を払っていたのか?父は誰なのか?ウルフとアーチは今度はサイラスの「息子」に的を絞るのだった。果して、父の探索の果てに待つ悲劇とは?
実に実に正しく「マン・サーチャー」ものである。一応、母親殺しの犯人探しという「フーダニット」趣味もあるのだが、それは悲劇を煽るための小道具扱いで、今回のウルフ・ファミリーは終始一貫して、「父」を追う。二転三転するプロットはさすがに読ませどころを心得たプロの仕事だが、謎のサイズは小さくそこに至る道筋も直線的。これをもって最優秀外国作品というのは如何なものかと思ってしまう。CWAとしてもそろそろスタウトにも賞を上げておきましょうか、という配慮だったのかもしれない。ウルフが好きな人はどうぞ。


2003年9月2日(火)

◆久しぶりに日記をアップしてみると、ミステリ系更新されてますリンクで偶然、ともさん、フクさんの間に挟まれる。以前は当り前のようにあった事なのだが、「ああ、帰ってきたんだなあ」と少し嬉しくなる。三段重ねがゲッターロボみたいである。でも、どうせ、あたしゃ、ムサシか弁慶役なのよ、判っているのよ。大雪山下ろしなのよ。
◆思いついたので書いておく。
「カフカはあざなえる縄の如し」
「人間万事塞翁カフカ」
◆風読人さんのリンクから、カーの毒殺百録を翻訳された平野さんのサイトに飛ぶ。オープンされてからかれこれ1週間が経つ由。うーん、全く存じ上げませんでした。中身は(当然の事ながら)相当に気合の入った、カーのファンサイトである。他にもタルボットやロースンなど、なんとも直球ど真ん中な造りが嬉しいページ。年季の入ったコレクションの成果が楽しめます。カー・ファンは是非、ご来訪あれ。
◆プチ残業。新刊買い1冊。
「月の扉」石持浅海(光文社カッパノベルズ:帯)819円
KAPPA ONEのNo.1作家・石持浅海の第2作。今回も、巷の評判は上々。ジャーロに掲載された鮎哲追悼競作でも、超然と我が道を行ったところが立派。社会派とも新本格とも一線を画した作風は、「国際競争力をもった本格推理作家」という印象を強烈に読者に与える。それはそれとして今更ながらインスマウス系ペンネームだという事に気がついた次第。身につけるブランド品はグッチでしょうか?奥さんのお名前はベラでしょうか?


◆「壁」<ミステリ・シーン>編(扶桑社文庫)読了
アメリカ版の年間ミステリ傑作選1994の後編(前編は「ケラーの療法」)。日本の年鑑も負けてはいないとは思うのだが、このバラエティーに富んだ質と量の前には、やや「やっぱり勝てないかも」という不安に駆られる。例えばマーシャ・マラーには宮部みゆきをぶつけ、エフィンジャーには二階堂黎人で対抗し、ロバート・ブロックには山田正紀で勝負を五分に持ち込んだとしても、このアンソロジーで初めてお目にかかったクリスティン・キャスリン・ラッシュやらブルース・ホランド・ロジャーズのようなしたたかな新しい書き手の分厚さで歯が立たないような気がするのである。うーん。
「壁」(マーシャ・マラー)
150頁級の表題作。シャロン・マコーンの下請け女性調査員レイ・ケラハーを主人公にした失踪少女もの。離婚家庭、精神主義の母親、標語で埋め尽くされた紫の家から少女が消えた。支配と搾取の網と闇が海辺の家に血の惨劇を呼ぶ。主題となった犯罪の構図が如何にもアメリカ的。非常に魅力的な登場人物をあっさり葬り去る作者のクールさに唸る。ジャンクフード好きで、自分に言い分け三昧の女調査員はいい味をだしていて吉。うそ臭くない。
「歴史は断わりもなく繰り返す」(マット・カワード)
お洒落な悪徳警官もの。知られてはならない過去を知っている後輩の提案とは?日本では有り得ないと思われる設定だが、「まさか」「まさか」の連続のうちに語りのうまさで最後まで引っ張られる。こんな奴あいねえ、と信じたい。
「野良猫」(クリスティン・キャスリン・ラッシュ)
クリントン民主党政権で冷や飯を食わされる破目になった共和党の調査員。遂に、人気猫殺しといった情けない仕事で口に糊することとなる。次々と、無惨な死を遂げる猫たち。そこに仕組まれた遠大にして深遠なる陰謀の正体とは?余りの馬鹿馬鹿しさに、開いた口の塞がらない<政治犯>の物語。それでも弱者に向ける眼差しの優しさが粋である。
「教訓」(ビリー・スー・モウザーマン)
旅するアンファン・テリブル譚。気のいい老人たちを食い物にする恐るべき12歳の告白。ファンタジックで、先の読めないクライム・ミステリ。短い作品ながらその着想とラストの怖さは天下一品。
「スピン・ア・ラマ」(ジェレマイア・ヒーリー)
ジョン・コディ登場編。息子の秘められた趣味の調査を断腸の思いで依頼する候補者。余りにもたやすい事件の裏に隠された卑劣にコディの怒りが爆発する。なるほど、これはコディならずとも<真犯人>に怒りが込み上げてくる。政治的に正しい私立探偵小説。
「カッコウのようにしたたかに」(ジョナサン・ギャッシュ)
10数年ぶりに香港を訪れた女が静かに企む復讐の構図。自分の夫を手玉にとった女の一番大事なものを奪うために、知的な罠が蠢きだす。小説家の卵を割るのはだあれ?ラヴジョイ・シリーズを期待したが、残念、ノン・シリーズの復讐譚であった。しかし、その失望を補って余りある「ビブリオ心理犯罪小説」。これはいい。作家志望は必読。
「醜い地球人殺害事件」(ジョージ・アレック・エフィンジャー)
四つの性を持つ人々の住む星で、酔っ払った横暴な地球人が犯した犯罪。そして単なる過失致死の判決は新たな死を招く。惑星間の抗争を危惧した私企業が送り込んだ探偵の活躍を描くSFパズラー。折角の四つの性が生きていない。些か趣向倒れの犯人探し。
「いとしのカウガール」(マーク・ティムリン)
突如、我が家にアメリカ生まれのカウ・ガールがやってきた。浪費家で、飛びきりの美人。運の悪い私立探偵が巻き込まれた金が金を呼ぶ争奪戦の結末は?ポップな犯罪小説。イギリスではこういう軽さが逆に珍重されるのかもしれない。イギリス人の見たアメリカ人像という趣向を楽しむ話なのかもしれない。
「ヴァカンス・アン・カンパーニュ」(ティム・ヒールド)
2週間のフランスでのヴァカンスに勤しむ二つの家族の肖像を、親と息子の断絶日記で綴る快笑小説。辛辣な子供の目の向うに、じんわりとした悪意が見えるラストが憎い。技巧派。翻訳も意欲的で楽しめる。御勧め。
「残り者」(ロバート・ブロック)
パルプライターからスタートした5人の同窓作家たち。トンチン保険の代償として最後に残った三文作家が得た「殺し」の報酬とは?ツイストは予想の範囲内だが、ブロックの足跡をなぞるかのような5人のパルプララターの晩年が沁みる。それぞれに「そうあったかもしれない自分の姿」が投影されているように思えてならない。最上の作品とはいえないが、ブロック・ファンとしては読まない訳にはいくまい。
「ガス処刑記事第一信」(トニー・ヒラーマン)
ヒラーマンが作家を志す切っ掛けとなったモンタージュ風の小品。再読。初読時も感心しなかったが、これは商品以前のできそこないに思えてならない。せめてインディアンをださんかい。
「ダストは不滅」(ブルース・ホランド・ジョーンズ)
農務省の小さな事件。キム・センパーを名乗る人間が犯した罪とは、親切で有能であったことなのか?賛美の手紙が告げる収賄疑惑と詐称疑惑。人事職員が辿り付いた、最高機密とは?その猫の名はダスト。これは文句なしの傑作。ミステリという形態が、ここまで来たかと唸らされる痛快編。全世界の「お役人様」必読だ、このヤロウ。


2003年9月1日(月)

◆遂に日記を一ヶ月サボってしまった。このまま、8月は「骨休み」でした、と開き直って、今日から心を入れ替えるというやり方もあるぞ、と思いながらも、諦めの悪いkashibaは、本日日記+一ヶ月遅れ日記というパターンに挑戦してみるのも一興ではなかろうかと考えてみるのであった。バリンジャーというか、貫井徳郎というか。そういえば、バリンジャーとハリケンジャーは似てませんかそうですか。
「叙述戦隊バリンジャー」!!バリン・レッド!!「赤毛男の妻」!!よし!煙幕だ!バリン・スモーク!!「煙の中の肖像画」!!おお、誰が訳者か判らんぞ!>いい加減にしなさい
◆世の中の夏休みが終わる。電車混み放題。会社も組織変更の影響と週初めという事もあってか、社員食堂混み放題。会議の連荘で残業し放題。購入本0冊。
◆それでも別宅によって請求書とWOWOWの番組ガイドを回収。WOWOWは今月も(先日、無料放送の日に放映した)「ネロ・ウルフ対FBI」を再放映してくれないようである。9月中に「TAKEN」と「CSI2」が終わるようなので、ネロ・ウルフは10月改編の目玉って事なんでしょうか?しくしくしく。
映像化されたネロ・ウルフといえば、先日、HMMのバックナンバーを眺めていたら、木村二郎のニューヨーク林檎の秘密で80年・81年のミステリ新番組が紹介されている中に「探偵キャノン」のウィリアム・コンラッドがネロ・ウルフに扮したシリーズについて触れてられいた。へえーー。ウィリアム・コンラッドねえ。なるほど、ネロ・ウルフかもなあ。ネットを検索してみると、ここにありました。
こんな感じ
81年1月から6月まで14本がオンエアされたとか。こうしてみるとネロ・ウルフってのも、いろいろな形で映像化されていた事が判る。まあ、アメリカ人の一番好きな名探偵なんだから、当然といえば当然なんだろうけど。一体、一番のネロ・ウルフ役者ってのは誰だと目されているのかな?もし、日本で翻案ドラマを作るとしたらネロ・ウルフが務まるのは誰だろう?晩年に太ってしまった二枚目男優なら、誰でもよさげな気もするけど、やっぱり7分の1トンといった太り方は日本人には無理だよなあ。


◆「四つの終止符」西村京太郎(講談社文庫)読了
こんなものも読んでなかったのか読書。西村京太郎の初出版作品。そうか「天使の傷痕」はデビュー作ではなかったんだあ、とこの期に及んで知る私であった。舞台になっているのは、江東区の亀戸から水神森にかけて。かつては下町の工業地帯だったらしいが、亀戸の本の宝島から小松川のブックオフへの道すがらには、京太郎が描いた40年前の面影はない。この作品から滲み出してくる、高度成長の底辺で虐げられた人々の呻き声に耳をかたむけるには、今の日本人は豊かになりすぎた。が、翻案して中国か、ベトナムに持っていけば「おしん」の如く強制通用力が発揮できるかもしれない。こんな話。
水神森歓楽街のバー「菊」のおとなしい客・佐々木晋一。その歳若い工員の寡黙の理由を一目で言い当てた女給の石母田幸子。幸薄い幸子の背負った因縁は、若い二人を近づける。しかし、晋一の寝たきりの母が毒死を遂げた時、警察の容疑は晋一に向う。栄養飲料に仕込まれた砒素。だが、それは最初の終止符にすぎなかった。音のない世界で、孤独の罠に落ちた晋一。その彼を助けようと、なけなしの貯金をはたき弁護士を雇う幸子。心が挫けた果てに待つ、第二第三の終止符。やがて探索はもう一人の女給の手に委ねられ、弱い人々の誇りを護るための闘いが始まる。遺書は感謝し、遺書は許す。刮目してみよ、声なき叫び。夜は若く、そして京太郎も若かった。
なんとも貧乏臭く、なんとも怒りに満ちた社会派推理。聾者に対する世間の冷たさと彼等のハンデを克服するために闘う人々の熱さが、昨今の新本格やノベルズ推理に慣れた脳に痛い。それでもしたたかに生きていく宮部みゆき作品の人々に比べ、世間の重さに潰されていく若い魂の「脆さ」が、徒に悲劇を強調するかのようで、辛いといえば辛い。推理小説としては悪くないが、余りにも弱者に優しくないプロットも時代の産物なのであろうか?