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2003年7月10日(木)

◆安田ママさんのお店が改装オープンのはずなので、途中下車してお買い物。閉店間際にエレベータから出ると、おお、なんだが、売り場周辺がスカッとしているぞ。単に客が少ないだけか?あとは、コミックス売り場が大幅に拡張したような気がする。地図コーナーが通路を挟んでのスペースに新たに開設された分、全体的に広がっているんだろうなあ。ママさん担当のミステリ・SF棚は余り変化がないものの、天井に張り付いていた国書刊行会の本が10pほど下がったような印象。謎。
とりあえず、改装御祝儀で何冊か買ってみる。
「ブラディー・マーダー」Jシモンズ(新潮社:帯)4800円
「海外ミステリ誤訳の事情」直井明(原書房:帯)1700円
「『探偵倶楽部』傑作選」ミステリー文学資料館編(光文社文庫:帯)781円
「死が招く」Pアルテ(ポケミス:帯)1100円
「孤独な場所で」DBヒューズ(ポケミス:帯)1100円
締めて消費税込み、9955円。おお、なんか知らんが「内輪で一番近い価格」って感じ。ガッチリ買ってしまった。
中では遂に「ブラディー・マーダー」を買える日が来たかと、感慨無量。この本こそ、幻の翻訳書であった。開巻即の第3版序文には「この訳書の出版の噂はこれが三回目である」とでも書いて欲しかったところ。新庄哲夫の「訳者あとがきに代えて」を読むと、目頭熱くなる。作者と訳者の墓碑銘に相応しい大著である。値段も大著である。
「探偵倶楽部傑作選」も待ちに待っていた一冊。謎に包まれた、書誌が遂に我が手に!!これが千円以下は本当に安い。
カウンターにもっていくと、初々しくも研修生バッジを付けた女店員さんが、「カバーはおかけしますか?」と尋ねてきたので「ポケミス以外お願いします」と答えると、知らない国の言葉を聞いたかのような表情をする。「ブラディー・マーダー」を手にとって「あのお、こちらことでしょうか?」と聞き返してくる。

うーん、いいねえ、初々しいねえ。
「ぽけみす」なんて隠語を使われてもわかんないよねえ、
おじさんは、ねえ、ハアハア
おじさんは、ねえ、ハアハア
そ、そのシリーズをもう30年以上も
買いつづけているんだよ、ハアハア、
き、君なんか、まだ生まれてなかったんだからね、
ハアハア、

というような葛藤もなく「いいえ、こっちの2冊です。カバーが掛かっているようなものでしょ?」と教え諭す。「うぜえ客」と思われたに違いねえ。

◆あ、帰宅したら、光文社から書籍小包が。
「プレシャス・ライアー」菅浩江(カッパノベルズ)頂き!
ありがとうございますありがとうございます。


◆「プレシャス・ライアー」菅浩江(カッパノベルズ)読了
週刊アスキー連載。ヴァーチャル・リアリティーを題材にしたど真ん中のハードSF。<パンピーにもっとSFを>という作者をもってしても、媒体の専門性故か、砂糖と塩・胡椒で取っ付き易い味付けを施しながらも、読者を選ぶ仕上がりになっている。

それはありふれた電子仕掛けのディストピア。だが次世代コンピュータのお試しアルバイター金森詳子の退屈は、唐突に解消される。凍った格子の中で裾翻すアリス、宙に溶けるシュレジンガーのチェシャ猫。戸惑う詳子に追い討ちをかけうように、現実界に踊り込み虚空に消える不敵な道化。アリスの名は<ソルト>、道化の名は<ペッパー>。不可能を可能にする道化の正体とは?そしてアリスの狙いとは? 従兄のコンピュータ学者谷津原禎一郎の依頼を受けて、更なる電脳の深淵に潜り込んだ詳子が遭遇するバトル。咆哮する自意識。剥落するエージェント。分割される二進法。なみだ味の現実。そして、とびきり甘い嘘。因果が連なり重なるところ、観測者はそこにいる。

純正ファンタジーやミステリにハードな科学的ガジェットを従としてあしらう作者にしては、随分と真正面からサイエンスに向き合った作品。その姿勢はいつもながらの啓蒙先生であるのだが、些か正直に過ぎる。また、構成上やむをえない事ではあるが、禎一郎という折角のサブ・キャラクター(ハードSFに欠かせない科学への案内役)を弾けさせることなく、思弁小説風に収束させてしまったのは残念。設定のハードぶりと、ソフトなキャラクターのミスマッチを狙うのであれば、いっそ作者の得意技である京風アレンジを加えて、純和風の化粧を施す途もあったと思うが、連載誌への思い入れは、それさえも潔しとしなかったのか。正直なところストーリーを追うだけの初読時にはかなり評点は低かった。が、再読してみて「ああ、これがやりたかったのか」というのが見えてきた。なるほどね。そう考えれば、この話は意欲的な佳作になる。以下、ネタバレ反転。


つまり、この話そのものが、量子コンピュータの一人語りであるという函型構造になっているのである。だからこそ、主人公たちは耳年増な割りにはどこか薄っぺらであり、物語はクライマックスの連続でありながらそこに人生の妙が見えない、そして待ち受ける「何を今更」な見え見えのオチ。まだ幼いコンピュータが創造・想像する人間の姿であるからこそ、この話はどことなく軽い。その迷い、戸惑い、揺れが物語のそこかしこに仕込まれているのである。な〜る〜ほ〜ど〜。
ただ、この捨て身技は、作家が一生のうちに、そう何度も使える手ではない。それにカッパの読者はもっと素直に読み飛ばしてスガヒロエを軽んじてしまうように思えてならない。せめて、それを最初から意図していたのだ、という事のアリバイつくりに、主人公の名前は「諒子」として、訓読み(まことのこ)と音読み(リョウシ)のダブルミーニングな伏線を引いておいて欲しかったりして。

>さて、上手に嘘がつけたかな?


2003年7月9日(水)

◆一夜明けると、一般紙の一面にまで、マジックが点灯している。マジックの提灯行列状態。ああ、さしもの慎重な阪神ファンも遂に禁を解いてしまうのか?しかしまだあの二文字を口にしてはいかんのじゃ。浮かれすぎてはいかんのじゃ。去年の開幕。このままやと140連勝ですなあ、などと口走った愚か者にどのような秋風が吹いたかを思いだすのぢゃ。ゆーては、ならん、ゆーてはならんのぢゃああああ。
◆残業。本でもかわなやっとれまへんな。
「新本格猛虎会の冒険」(東京創元社:帯)820円
この本が売れても、阪神の経済効果にカウントされるのだろうか?しかし小面憎い本作りをするなあ。人の弱みにつけこんで。
あ、そっれ、買った、買った、また買った。よーわい読者がまた買ったあ。
◆帰宅すると、サヨナラ負けを食らっていた。
そら!いわんこっちゃない!!!

「そこから、あの血で血を洗う粛正を招いた悪夢のような49連敗が始まる事は、神ならぬ身の知る由もなかったのである。金田一耕助は、背筋がぞぉっとした。」

横溝正史シリーズ<悪魔の応援歌>

ああ、それはなんという悪魔の所業だろうか?
大分駅に停車中の<にちりん>車内から生首が発見された藪の胴体は、福岡と大分の県境にある杷木(はき)ICで発見されたのだ。
「わからん!全く判らん!!
一体なぜ、犯人は杷木くんだりに死体を捨てたんだ?」
「い、磯川警部、それは、も、もしかして、六甲颪の、
<蒼天かける日輪の 青春の覇気 麗しく>
の見立てではないでしょうか?」
「な、なんだって?!」
「藪といえば、背番号は18でした」
「青春18きっぷか!!」
「そして、今の背番号は、、」
「何番なんだ!キンダイチさん」
「、、、死です」

金田一耕助の頭の中では、悪魔の「あと一人」コールが響いていた。

洒落にならんぞ、洒落に。


◆「夏化粧」池上永一(文藝春秋)読了
「本の話」に1年強にわたって連載された最新長編。めんそーれ、池永ワールド。今回も沖縄情緒溢れる、笑わせて笑わせて笑わせて泣かせる池永節が堪能できる。この人の作品に巡り合うことなく一生を終われば、それはもしかして「不幸」な人生でなかったかと思えるほどに、快作続きなんだよなあ。
「アンマー・クートー・ターガン・ンダン」
「母親以外は誰も見ない」それは、生まれたばかりの赤子が悪霊に取り憑かれないようにと唱えられる昔からのおまじない。だが、シングルマザー高良津奈美の息子・裕司は、それ以来、本当に津奈美以外の誰からも見えなくなってしまった。唱えた奴が悪かった。与那覇ヤマンサ。最強の霊力と、最悪のジョークを備えた情熱と冗談の産婆。彼女のまじないは、それが如何に野卑なものであろうが、素朴なものであろうが、現実のものとなってしまうのだった。そのヤマンサの葬送が狂乱と叫喚のうちに終わった時、津奈美の母親としての闘いは始まった。ネガの世界で輝く光、七つの夢を奪う鬼子母神と化して。目指せ、ドーム!駆けろ、五輪!勝ち取れ、平凡!井の中の神様、願い石を知らず。
母親の強さ、凄さをまざまざと思い知らせてくれる爽快作。なんという執念、そしてなんという潔さ。諸悪の根源となるヤマンサ、威厳があるんだがないんだかな井戸の神様、黒い弾丸娘など、池上作品の常連とも言えるかっとんだキャラに支えられ、このマザー・クエストは、どこまでもポジティブにネガの世界を突っ走る。笑いすぎて涙が出て、キュンとなって涙が出る、一冊二度泣きの御得用小説。エンタテイメントはかくありたい。


2003年7月8日(火)

◆残業して帰宅すると、お義母さんから貰ったとかで、週刊朝日の7月4日号とAERAの6月4日号が転がっていた。前者は「阪神が日本を救う」という特集。後者は「阪神は日産になる」という記事が収録されている。おりしも目の前のテレビでは、阪神の広島戦での勝利とマジックナンバー点灯、そしてファンのまるで優勝したかのような祝賀熱狂ぶりを報じている。自然とアタマが阪神になる。どんな感じかというと、こんな感じである。

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お分かり頂けましたでしょうか?

◆「悪いうさぎ」若竹七海(文藝春秋)読了
とことん運の悪い女私立探偵・葉村晶登場の2001年作品。短篇では、本格推理の名探偵のような顔をしている葉村晶だが、この作品はグラフトン調に「うさぎのR」、或いはパレツキー調に「グローリアス・トゥエンティエイト」とでも呼ぶべき4F系のPI小説なのであった。
「家出娘の確保」という女に向いたアルバイトを引き受けた事が、ケチの着き始め。スポイルされた狂犬の暴走に事態は混乱、刺された晶は病院送り。この一件で狂犬の逆恨みを買い少女の信頼を勝ち得たことが、余りにもおぞましい「うさぎ」事件へと晶を誘うこととなる。やがて持ち込まれる失踪少女の探索依頼。拝金主義で権力志向の父と事業家の母との間に生まれた娘は、しかし友情に厚く責任感に溢れる優等生に育った。家出などする子ではなかった。その足取りを追ううちに、浮かび上がるもう一人の少女の失踪。そして彼女たちの学友の殺害。大人たちの罠に絡めとられたうさぎたち。五指に余る理不尽な恨みを買いながら卑しい街を行く晶は、生きて真相に辿りつけるのか?
作者が徹底的に主人公を苛め抜いた作品。カマっぽい大家など救いとなるキャラがいないではないが、女の友情の儚さや、ダメダメ青年の危なっかしさなど読んでいて暗澹たる気持ちにさせられる。また、メインとなる事件が「まさか、そんな話じゃないよな」と思った通りに展開して幻滅させられた。まるで出来損ないのハリウッド映画をみるかのような殺伐たる移植失敗作。この犯罪は余りにも日本的ではない。犯人像も借り物で、作者の犯人世代に対するいわれのない悪意には辟易とさせられた。被害者に対しても優しくないしなあ。小説を読んで不快になりたい人はどうぞ。


2003年7月7日(月)

◆雨の七夕。さすがに夫婦ともども、今年の願い事は「娘が健康に育ちますように」である。
◆掲示板でよしださん、茗荷どんに反応頂いたほか、牧人さんや、Moriwakiさんの日記で触れてもらったりしている。青い虚空に向ってネタを撒き散らしている身の上としては、一言でも反応があると嬉しいやね。昔、ラジオの時代に、落語家がマイクに向って一人で収録するのを嫌がったって逸話を聞いたことがあるけど、客の反応も含めてひとつの「場」なんだよね。うん。


◆「骨折」Dフランシス(ポケミス)読了
競馬シリーズ第10作。シリーズも10作目となると、競馬関係者のネタも随分と尽きてきたと見え、なんと今回は「競馬」に背を向けようとしてきた男が主人公を務める。更にいえば、この作品は、犯人が最初から割れているという意味で推理小説ですらない。しかし、ここに描かれた男の友情のドラマには、読む者の胸を揺さぶる何かがある。
腕利きの再建屋ニール・グリフォンは、一流の調教師である父に逆らい、自らは経営コンサルタントとして実業界で身を立てていた。だが、交通事故で骨折した父に代わって厩舎の切盛りを頼める相手を探していた矢先、覆面の男たちに誘拐されてしまう。誘拐の黒幕は、時計商とは名ばかりの暗黒界の実力者エンソ・リヴェラ。エンソが命と厩舎の安全の代償に要求してきたのは、ダービーで本命馬であるアークエンジェルに彼の息子アレサンドロを騎乗させること。やがて解放されたニールの前に、我侭放題のアレサンドロが現われ、厩舎の秩序は脅かされる。だが、アレサンドロに天稟を見たニールは、自分のやり方で彼を鍛えようと試みるのだった。折られた希望、死という名の憐憫、二重映しの暴君、嘶く大天使、そして巣立ちの朝、二人の男は天職と出会う。
「跡を残さずに骨を折る方法」というトリック以外謎らしい謎はない。本筋は二組の父と息子の葛藤と、息子同士に生まれる友情と成長の物語、である。この分野の成長小説としてはパーカーの「初秋」と並ぶ快作。ギャングの設定は些か劇画調にすぎるが、この読後感の良さはすべてを補って余りある。本当に嫁さんが代作していたのか?と不思議になるほど男と男の子の姿が描けているのだ。うまいです。品があります。


2003年7月6日(日)

◆ただひたすら日記と感想を書いて、htmlに変換する作業。夕方、ほぼ4週間ぶりに日記をアップしてみる。
◆野菜の買い出しがてら、新刊書店を覗く。
「SFマガジン 2003年8月号」(早川書房)890円
「編集会議 2003年8月号」(宣伝会議)880円
SFMはVRものの特集。編集会議は絵本の特集号。奥さんが新聞広告をみて読みたがっていたので、初めて買ってみる。出版社の名前もユニークなら誌名もユニークですな。「編集後記」という同人誌でも作ってみたくなる。
◆てな、買い物に出たがゆえに、WOWOWで放映していた「ネロ・ウルフ対FBI」を録画し忘れてしまった。ぐやじいいい。今月はもう再放映はない模様。とほほほほお。おまけに今日は無料放送日につき、WOWOWに入ってない人にさえ、遅れをとってしまった。無料放送日の目玉番組を過去振り替えってみると、「CSI」だったり、「コロンボ」の新作だったり、「ジェシカおばさん」の新作だったりして、テレビ製作のミステリドラマが多いような気がする。新作映画は勿体無くて、さりとて中途半端に古い映画は、既にレンタルが出回っていてインパクトがない。そこで、普通の視聴者からも取っ付き易く、他ではみることのできないいテレビ・ミステリの話題作に白羽の矢が立つっていう構図なのかな?などとと、分析してみても後の祭りなのである。ぶつぶつ。


◆「祈りの海」グレッグ・イーガン(ハヤカワ文庫SF)読了
今をときめくオーストラリアSF作家の精華を集めた密度の濃い短篇集。イーガンに惚れ込んだ山岸真入魂の日本独自編集。ふと、山岸真って、伊藤典夫や浅倉久志流に、自分の気に入った作家を愚直に息長く紹介するという日本SF界の伝統継承者だよね、と思ったりする。ミステリ界では、木村二郎が筆頭格だけど、こういうパターンは傍からみていても幸せそうでいい。「愛」なのである。
「貸金庫」永遠の間借り人。毎日がお引越し。月日の数だけ異なった人生を歩んできた男が出会った<終の棲家>とは?困惑の序盤、驚愕の展開、感動の結末。これぞ、自分探しの旅
「キューティ」我侭な男の願いを叶えてくれる科学の魔法。紛い物という名の分身は、天使の微笑みを浮かべ神の罰を下す。哀切な、余りに哀切な喪失の物語。愚かなるもの、汝の名は親。今の私には痛すぎて。
「ぼくになることを」自我が記憶の蓄積ならば、永遠を得る事はたやすい。だが、喪うものも大きい筈だ、と精一杯の抵抗が無に帰す皮肉。人間以上な宝石は電気執事の夢を見るのか?常識を嘲笑う冒涜的ショッカー。
「繭」生命は向上する。しかし、向うべき上はどちらなのか?あらゆる異常を許さない清潔な科学は市民権を得た異端すら許さない。心の壁に爆破テロ。科学の恩寵と翳を描いた陰謀もの。なんたる密度。
「百光年ダイアリー」宇宙を捻じった未来の盗視。さあ、日記を書こう。過去の自分に伝えるために。<歴史>の本質に迫るアイデア・ストーリー。余りの大風呂敷に対し、卑小なオチが笑える。いや、笑えない。
「誘拐」順列都市序章。<最愛の妻>が攫われた時、男は真の愛を試される。人間とは何かを鋭く短く問う快作。恐るべき未来、完全誘拐はそこに。
「放浪者の軌道」ある日世界は塗り分けられた。吸引されたものと、吸引されざるものに。だが、問いかけよ。放浪者のタオとは何か?相対主義の真実を描いた未来図絵。
「ミトコンドリア・イブ」人類の只一人の母を捜す大プロジェクトが始まった時、世界は戸惑い、天才は悲鳴を上げる。最先端科学が、宗教に近づく過程と訣別とを描いた爆笑譚。この法螺話パワーが凄い。物理と生化学の博士号を持ったラファティーという風情の力作。
「無限の暗殺者」並行世界の数だけ物語りがあるだんなんて誰が言ったのか?無限の可能性などない世界だって並行しているのだ。おれは何を言っているんだ?まあ、そんな話である。という読みが正しい世界だってある筈だ。うん。
「イェユーカ」伝統芸能に堕した医療がまだ本来の医療たる世界で医師が迫られる苦い選択。ヒポクラテスはカルネアデスではない。黒いジャックによろしく。なるほど、これもまたありうべき未来の指輪物語。
「祈りの海」通過儀礼に降臨する光、深淵教会の聖母が僕に微笑んだ夏。祈りの海に住む、人類の末裔。溺れる畏れ。原始の幻視。理性は教義と共存できるのか?壮大な仕掛けで読ませる表題作。どこを切ってもサイエンス。イーガン汁が垂れてきます。


2003年7月5日(土)

◆前夜深酒したせいで、早朝(というか夜中の2時過ぎに)目が覚めてしまった。で、これ幸いと、WOWOWで纏めて再放映されていたCSI:2を見る。既に見た回は飛ばして3話分を視聴。やっぱりよく出来てますよ、このシリーズ。中では「山火事の跡、焼け残った高木の天辺で死んでいたスキューバ・ダイバーの死体」というトンデモ話も笑えるが、完全に腐乱して骨以外ドロドロのスープになった死体というのが凄惨の極み。これは作り物と判っていても、気分が悪くなった。テレビから「臭い」が出なくて本当によかったと胸をなで下ろした。
◆夕方から親子連れで一ヶ月ぶりに図書館へ。娘は「うーん、おもしろくないぞ」とばかり<寝てまえ>打線モードに突入する。一ヶ月あれば、随分と読めるに違いないと借りた本の半分は、頁も開けないままに返却する。まあ、読みたくなったらまた借りればいいんだ。安心安心。そして、更に意欲的に分厚い本を借りてしまう。重いよう。って先月も書いたな、確か。
雑誌を読む奥さんに付合って、1時間半ばかり借りた文庫を読み進む。図書館を出たところで、通りかかったおじさんから「かっわいいねえ〜、お嬢ちゃん?」と声を掛けられ、親馬鹿チャンリンな二人は「はい!」と元気よくお返事。「おほほほほ、起きたらもっと可愛いんざあますわよ」とこっそりと妻が口走る。はいはい。
◆夜は、ウインブルドンの女子決勝をスポーツニュースとザッピングしながら視聴。野生対野獣といった趣の姉妹対決。コートで闘っている姉妹の姿はともかくとして、脇でそれを見守る家族のいでたちが怪しすぎる。さぞや、二人の稼ぎで潤っていらっしゃるんでしょうねえ。「ミステリの舞台設定としては申し分ない」と申し上げておきましょう。


◆「バニーレイクは行方不明」イヴリン・パイパー(ポケミス)読了
ポケミス名画座の一編。オットー・プレンジャー監督映画化作品(だそうな)。といっても、映画オンチの私には、誰だか判らん。そもそも、折角映画カバーの伝統を持つポケミスなんだから、この名画座企画は、フォトカバーにしてくれればいいのに、と愚痴の一つもいいたくなる。といっても、再版からフォトカバーにしてみましたあ、などというのは止めてくれよ、結局ダブリ買いさせられる破目になるんだから。
シングルマザーのブランチは、娘のバニーを連れて大都会ニューヨークへと出てくる。田舎町の濃密な人間関係を引き摺る母親との反目も、何れは時が癒すであろうと信じつつ。だが、事件は保育園にバニーを預けた初日に起きた。勤めを終え、バニーを迎えに来たブランチは、娘の姿がどこにもないことに気がつく。しかも、やがて姿を現した園長は、バニー・レイクなどという娘を預かった記録はない、という。狂騒と不安、自己欺瞞と悲嘆、娘の居場所を求め、保育園から自宅、そして街のあちこちを探し回るブランチ。そんな彼女に関わってしまう一人の精神科医デニス。はたしてバニーはどこへ?そもそも、バニーは存在したのか?誰もが自分を見失う都市の迷宮、語りのリドル。扉の向うに雌虎の姿。
都会派ニューロイック・サスペンス。誰もが他人となる「街」の魔性、鬼子母神が颶風となって駆け抜ける都会の闇。無関心という名の犯罪が、狂気を加速する。多くのミステリ作家をインスパイアしてきた「パリ万博での人物消失」というリドル・ストーリーに挑んだ作者は、なんとも奇妙なオチを準備して読者を煙にまく。都市迷宮の出口は、人の心の迷宮への入り口に過ぎない。ところどころ飛躍する脈絡といい、なんとも歪んだハーレクインの世界である。


2003年7月4日(金)

◆賞与が出た。お小遣いを年2回の賞与時に支給される身の上としては、一年で一番懐の暖かい時期なのだ。なんだけど、こういう日に限って本屋を覗く時間もないんだもんなあ。大阪日帰り出張。購入本0冊。
◆掲示板で、よしだまさし氏が渾身の一発芸を披露してくださっている。

「天上天下唯我ディクソン!」

うーん、座布団で密室を作って閉じ込めてしまいたくなるほど、うまい!
これも、天岩戸に閉じこもってしまった天照古本大神を引っ張りだそうというお心づかいかと。
ありがとうございますありがとうございます。

「天井床下唯我ディクソン!」

ってのはだめですかそうですか。
などと書いてる余裕があったら、日記をアップせんかい>自分
◆娘報告。
娘の単位時間の移動距離が飛躍的に伸びている。寝返りの連続で、マットの端から端へと瞬時に動く。そこで、マットの端をしゃぶる。親どもは悲鳴をあげて「救出」にいく。四足歩行や直立二足歩行になると、事態は更に深刻になるかと思うと、嬉しいような、しんどいような。
可愛いべいびー、這い這い〜


◆「インスマス年代記(上)」ジョーンズ編(学研M文庫)読了
クトゥルー神話の中でも人気スポットのひとつ、アモラルで異形の恋の街、マサチューセッツ州の港町インスマスをテーマにしたアンソロジー。原典は勿論、クトゥルー信者たちが夫々に意匠を凝らしたパスティーシュが並ぶ。その熱気にまみれた魚臭さに息が詰まる思いである。

♪すきだといわして ヒュドラちゃん
♪たいしたもんだよ ダゴンくん
♪いあ、いあ、君たち 見習って
♪僕もかれいに 変身するよ
♪くとぅる・うふん・ぐるい・むぐ・るう・なふ
♪るるいえ・うがふ・なぐる・ふたぐん
♪さかなさかなさかな 魚と交じると
♪あたまあたまあたま 頭がトロける
♪さかなさかなさかな 魚と交じると
♪カナカカナカカナカ 体にいいのさ
♪さあさあ みんなで 魚と交じろう
♪魚は僕らを 待っている(オゥ!)

以上、インスマス漁業協同組合提供ダゴン讃美歌>おおうそ

以下、ミニコメ。
「インスマスを覆う影」(ラブクラフト)原典。総本家。静かな序章から、徐々にサスペンスを盛り上げ、スリリングな逃避行と黒い翳たちの醸す音と臭いで恐怖を綴り、一旦「間」をとってから、余りにもショッキングな結末へとなだれ込む。今回再読してみて、あらためてその巧みな語り口と展開に感心した。数多いクトゥルー譚の中でも三本の指に入る傑作。佐野史郎主演で映像化された作品を是非みてみたい。
「暗礁の彼方に」(カバー)インスマスから迫り来る悪神の進攻を、これもお馴染みの街アーカムを舞台に描いた続編。図書館の古文書盗難から、徐々に怪獣映画化していく展開は、やや安っぽい印象を与える。警察では敵わないんだよなあ。
「大物」(ヨウヴィル)パルプ雑誌のハードボイルドヒーローものの体裁で描かれた異色のインスマス譚。しかも、日本軍の進攻とハリウッドを絡め、異形のスターの嬰児誘拐の謎を追うというサービス精神旺盛な作品。やや、アイデアを詰め込みすぎ、誰が誰だか判らないうちにカタストロフに突入してしまった。怪作である。この筋立ての整っていないところもパルプ雑誌を模していたのだとすれば、凄い。
「インスマスに帰る」(スミス)末裔を襲う正統派の後日談。それ以上でも以下でもない。
「横断」(コール)遠い昔に家族を捨てた父からの手紙。男が導かれた先でみた宿命と使命。インスマスのサイド・ストーリー。なるほど、こういう境遇の人間がいても不思議ではない。ただ、空間転移など、辻褄合わせが強引で、作者は単にインスマスものが書きたかっただけのなのか?と訝ってしまう。
「長靴」(ルーイス)短いが、インスマス流の変身を見事に切り取った佳編。えらく純文学風のクトゥルーだこと。
「ハイ・ストリートの教会」(キャンベル)良くも悪くも煽情的なクトゥルー神話の一編。仕掛けは派手、内輪受け満載、頭の天辺からシッポの先までお約束。
「インスマスの黄金」(サットン)老トレジャーハンター、インスマスに隠された(と思われる)黄金を狙う、の巻。主人公の的外れな思い込みを笑いながら、読んでいると、怖気を震うラストが待っている。これは生理的に厭だ。


2003年7月3日(木)

◆仕事がらみの飲み会。それなりに盛り上がる。帰りの電車で一緒になった人と行き着けのブックオフ・ネタで盛り上がる。果ては、ブックオフの会員カードをみせっこする。えっへん、俺のは、紙製だぜ!おお、それは年季が入っている!と尊敬される。本当に尊敬されたのかどうかはよく判らないがまあ、そういう事にしておいてくれ。頼む。購入本0冊。
◆娘報告。
今日は、昼の時間に、初めて離乳食にチャレンジした模様。食材はおコメ。料理は「おもゆ」。最初ネットで調べたレシピは大人用(病人用?)のレシピだったらしく、今ひとつの出来映えだったので、結局母乳の教本に載っていたレシピで再調整。つい、印刷物よりも、口コミやネットを信じてしまう現代人の性であろうか?
昨日アカチャンホンポで買い求めた、先の柔らかいスプーンで三口ばかり食べさせると、「ん、なんだなんだなんなんだ?」という顔つきで神妙に味わっていた由。いつもすまないねえ、おっかさん、といっていたかどうかは謎である。


◆「青い虚空」Jディヴァー(文春文庫)読了
リンカーン・ライム・シリーズを始め、綿密な取材と、圧倒的なサービス精神でマニアから一般人まで巷のミステリ好きを唸らせ続けている作者の2001年度作品。翻訳が出たのが、昨年11月末なので、まずは「新作」の部類であろう。で、春秋戦国の諸子百家と申しますか、サイバースペースの名だたるハッカーの闘いを描いた作品がこれ。めくるめく逆転に次ぐ逆転、背負い投げに次ぐ背負い投げ、その切れ味鋭い大技の連続にはただただ息を呑むばかり。展開を楽しむべき話なので、梗概はほんの触りだけにしておこう。
魔術師たちの生息地、電網。その青い虚空から殺戮天使は現世へと降臨する。身の程を知らぬ者どもの心臓に冷たく鋭い鉄槌を差し入れるため。社会的技術を纏い、記録を書き換え、記憶を欺き、静かにゲームに忍び寄る。その者の名はフェイト。口にすれば運命、だが、すべて綴りが大事なのだ。カリフォルニア州警察コンピュータ犯罪課主任、アンダーソン警部補が、フェイトの存在に気付いた時、既にゲームは中盤だった。毒を以って毒を制すべく、アンダーソンは最も危険な「魔術師」の一人、服役囚のジレットを白い帽子として徴用する。トラップドアの向うにいる敵に対し、光速の罠が動き出した時、敵もまた、敵を知る。紡ぎ出される幾つもの真実、数多の過去、そしてすべては無。さあ、君は何になりたい?
開巻即の専門用語の羅列を乗りきれば、あとは、お馴染みのディヴァー節炸裂。プロローグとしての殺しから、危なげのない序盤の配置、次々と魅力的なキャラクターを紹介しながら、新たな犯罪計画が進む。そして、虚実をないまぜにするプロットの中で、チームの中に疑心暗鬼を募らせ、更には節目ごとに、読者の予測を裏切る大転回を嵌め込んでくる。要は、もはや、お目にかかることはあるまいと思っていた「怪人二十面相」との闘いが、専門家も唸る最先端科学と捜査のディテールに支えられて、21世紀の今、我々の前に甦ったのだ。巻を措くあたわざるネバーエンディング・ノンストップ・サスペンス。途中でハングアップしたらそれは不正な使い方をした読者の責任である。さよう、ディーヴァーこそが「魔術師」なのである。
>山田さん、こんなところで宜しいでしょうか?>私信


2003年7月2日(水)

◆世の中には、ブックオフさえも脅かす巨大レンタルブック店なるものがあることを初めて知った。いや、実物を見た訳じゃなくて、そういう業態が九州から生まれてきており、ビデオレンタルのノウハウと設備をそのまま使って、コミック中心に営業を伸ばしているというレポートを聞いたのだ。へええ、いろんな事を思いつく人がいるもんだ。学術書は図書館で借りて、漫画はレンタル、雑誌はコンビニで立ち読み、情報誌をカメラ付き携帯で要るところだけ撮影、欲しい文庫本はブックオフの百円均一で購入。本屋さんはたまったものではございませんな。>お前が云うな。
◆錦糸町で下車してアカチャンホンポでお買い物。かつて錦糸町そごうだった建物のワンフロアが丸々アカチャンホンポになっていて、眺め応えあり。レジで前にいた日本語が不自由な(英語が堪能な)東洋系眼鏡姉妹が、バスケットにして4つ分の買い物をしており、大人が二人はいれそうな巨大なダンボールにせっせと詰め込んでいた。
うーん、これはなかなか日常系の謎ですのう。外国で店でも開くつもりかい?という勢いの買いっぷりで、同じものを幾つも買ったりもしている。しかもわざわざ3回に支払を分けて、レシートを貰っていたりする。日本語が不自由な割りには、命名セットなんてなものも買っているし、なにより、二人とも全然妊娠しているようには見えないスレンダーな体つきなのである。思いっきり待たされたのだが、余りの不思議さに、時間待ちのイライラが解消されてしまった。真相はなんなんだろうなあ。
◆ついでに同じ建物のくまざわ書店で暇つぶし。隅から隅までウロウロして、新刊書店を満喫する。国書刊行会の本なども充実していて、見ごたえあり。総武線沿線では、船橋の旭屋書店、津田沼の丸善・芳林堂書店あたりがお気に入りだったが、このお店もなかなかよさげな感じである。また、赤ちゃんグッズの買い出しの際には覗いてみましょう。


◆「伊賀忍法帖」山田風太郎(講談社ロマンブックス)読了
風太郎忍法帖長編第11作(らしい)。「甲賀忍法帖」が風太郎忍法帖第1作という事は、誰教わる事なしに知っていたので、なんとなく「伊賀」が第2作か?と思っていた。結構、中盤の作品でしたのね。真田浩之&渡辺典子主演で角川映画化されたため、忍法帖の中では「魔界転生」に次いでパンピーにその名を知られた忍法帖でもある。いまさらながら、こんな話。
戦国の妖将松永弾正、主家の三好義興が妻・右京太夫に懸想し、邪恋を叶えんがために頼りしは、希代の大幻術師・果心居士。千宗易献上の銘器:平蜘蛛の釜にて美しき女人百人分の愛液を集めては煮詰め、生み出したる淫石を一服盛れば、どのような女人も最初に目にした男に惚れ、恋情に身悶えながらその肢体を投げ出すという。かくして弾正は、果心居士配下の根来忍法僧七名を美女狩りへと送り出す。不運にも、恋女房・篝火を奪われ、浅ましい姿へと変化させられた伊賀の笛吹城太郎は、復讐の怒りに燃え、根来僧に知力と体力の限りを尽した闘いを挑む。妻を娶るために伊賀を放逐された城太郎の頼れるものはただ二つ、己の術と妻への愛。宙を舞う蛮刀、すげ替わる首、纏わり憑く妖紙、降る銀の雨、翔ぶ傘、舞う身体、忍術、幻術、性術、妖術、相乱れ、魔闘の果てに、星の予言。
なんでもありのプレ戦国地獄絵巻き。主人公対七怪僧との闘いが本筋であって、なるほど、非常に読ませる。面白い。だが別の面では、松永弾正の悪辣ぶりが凄く、このような大悪党が、天下に近いところにいたという事が素直に驚き。そこへ持ってきて、果心居士は勿論、柳生だの服部だのといった、徳川の礎を築いた傑物がチョイ役で顔を出し、話を盛り上げるものだから堪らない。凄絶なまでの性描写と貞女たちの純情ぶりの対比もお見事。面白さに衒うところがない最強のエンタテイメント。一体この破天荒な作品をどう映像化したんでしょうか?


2003年7月1日(火)

◆遂に日記をアップしないまま7月に突入。完全に「あの人は今?」状態。
ミステリの世界では、海外作家にこのパターンが多いよね。単に、日本での紹介が停まっているだけで、実は新作をどんどん出していてセールスもそれなりだったりすると「忘れられているのは日本の方なのだ」などと思えてしまったり。いや、何も私がネットを忘れているってわけじゃないですよ。はい。
◆知人のコンピュータのプロにして読書家から、是非これを読め!!読んでくれ!!と薦められたので古本屋で探して買ってみる。
「青い虚空」Jディーヴァー(文春文庫)400円
なんでも、文科系が書いたハッカー小説としては「ピカいち」なのだそうな。(ちなみに彼氏曰く「ピカに」はヴィンジの「ヴァンレンティーナ」だそうである)。さすがに、昨年11月発行の本は、100円均一棚にはないよなあ。開巻即、コンピュータ&ネット用語の解説がズラリと並んでいて、思わず引く。ご興味のない方はここから退場、という感じのノリですな。
◆娘報告。
遂に、腹ばい状態から自力で仰向けになる瞬間を目撃する。昨夜も、気がついたら、仰向けになっていたことがあって、あれれ?一体いつの間に?と夫婦二人で不思議に思っていたら、本日は目の前でコロンコと転がってみせてくれた。大喝采(あほ)に娘は得意満面である。これで、移動技術は更に向上。考え様によってはヤバイんだよなあ。
◆早々と帰宅できたので、火曜サスペンス劇場「弁護士・高林鮎子」をリアルタイムで視聴。<弁護すべき人間のアリバイを崩す>といういつもながらの因業な展開である。益々弁護士という設定が邪魔になってきた感じ。たまには原典に帰って、被疑者の無実を晴らせよ!と突っ込みたくなるが、原典では弁護士じゃないんだから、しょうがない。女でもないんだからしょうがない。


◆「雷鳴の夜」RVフューリック(ポケミス)読了
白状しよう。実は、ディー判事ものを読むのは、これが最初なのである。これまでに三省堂を始め、何冊となく品切れ本をダブらせては、提供してきながら、一冊も読んでなかったのだ。「どうせ、風俗優先の歴史推理で、本格味は薄いんでしょ?」とタカを括っていたのだ。
で、この本を読んでぶっ飛んだ。これは面白いっ!!判事!これまでの自分の不明を深く反省いたします。お許しください。茗荷丸さん、ごめんなさい。
題名が示す通り、この作品は、絵に描いたような「嵐の館」もの。管区を移動中に暴風雨に遭遇し、行き暮れるディー判事一行。間近に見えた道教の山寺・朝雲閣に一夜の宿を求め、山門を叩く。一行が通された東坊の向かいの窓から覗くのは、片腕の女と鎧姿の男との残虐劇。だが、次の一瞬、窓は消え、寺の者は、向かいの塔の東坊側には窓などないと言う。入門を希望する娘が次々と謎の死を遂げたという噂の真贋を確かめる判事は、本物の熊を使った寸劇に興味を引かれる。出家を控えた美女とその母、気のいい旅芸人、謎めいた剣術使い、熊使いの娘、怯えた観主、入滅した前観主、元高官だった導師、様々な人々が織り成す館の人間模様と謎模様。命の危機の晒されながらディー判事が暴く欲の果て。闇の中で裁きは下る。
これだけ短い話の中に、聖と俗の狭間に蠢く陰謀と、地獄巡りのオカルティズム、思わせぶりの劇中劇に、消失トリック、アリバイトリック、意外な犯人、微笑ましい恋愛劇に、勧善懲悪の痛快時代劇、を、よくぞ纏めた。天晴れファン・フーリック。涙のあとには虹も出る。特に、クライマックスシーンでの解明と真犯人との対決は圧巻。最初は、一夫多妻で、グルメで、召使いをこき使う判事の姿に抵抗感があったものが、終わる頃にはすっかりディー判事ファンになってしまった。これは、他の作品を読むのが楽しみになってきた。傑作!!