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2003年6月10日(火)

◆飲み会で遅くなる。21時には新木場にいたのに、千葉の自宅に帰りついたのは10時を回っていた。新木場から千葉に行くルートは幾つかあって、

新木場→(京葉線下り)→蘇我→(内房・外房線上り)→千葉

新木場→(京葉線下り)→千葉みなと→(千葉都市モノレール)→千葉

新木場→(武蔵野線下り)→西船橋→(総武緩行線下り)→千葉

新木場→(京葉線上り)→東京→(総武快速線下り)→千葉

などが一般的であり、それぞれに時間帯によって所要時間が大幅に異なるのだ。
東京駅構内を1キロぐらい歩かされてもなお、東京へ折り返した方が早い事もあるようである。最も無駄がなさそうなのが、千葉みなとコースなのだが、これはモノレール料金が泣けるほど高い。西船橋回りも武蔵野線の本数が「うそ!?」という程少ないので、滅多に使えない。実際「来た電車にのれ!」というのが、一番ハズレの少ない選択なのかもしれない。で、今回も、ホームに着くなり滑り込んできた下り快速・蘇我行きに飛び乗ったのだが、その快速ですら、途中駅で特急の通過待ちなどがあるのには参った。徹底的な誤算は、蘇我で千葉に折り返す電車のホームを取り違え、目の前で千葉行きを逃がしてしまったこと。閑散としたホームで待つ事12分。
もし貴方が不慣れな駅を用いてアクロバティックなアリバイ工作をされるのであれば、予め発車ホームを確認しておかれる事をオススメする次第。


◆「雨あがり美術館の謎」新庄節美(講談社青い鳥文庫)読了
遂に復刊なる名探偵チビーシリーズ第1作!その奇抜なトリックと緻密な論理性(及び本の希少性)で人気の擬人化動物ミステリが少年推理の新たなる殿堂「青い鳥文庫」で甦る。行方不明となった名探偵の息子であるネズミのチビーの活躍を、ワトソン役のニャットが語るという、黄金パターン。レストレイド役には、鶏のケッコー警部、そして、さながらダグラス・セルビイ・シリーズのシルビアの如き女性記者役には、兎のダンスを配し、掛け合いの相手にも怠りない。さらには読者への挑戦と、それに恥じない合理的な解決もこのシリーズの魅力である。
この第1作では、衆人環視の美術館からの名画盗難事件にチビーが挑む。しかも、功なり名を遂げた隣町の老探偵ゴート署長と推理合戦を繰り広げる羽目になるというオマケつき。「髑髏城」「黄色い部屋の謎」「安吾捕物帖」という例を引くまでもなく、名探偵対決という一粒で二度美味しい趣向はいつの時代もミステリファンを喜ばせる。果たして、入り口を二重に守られた雨上がりの美術館から、名画を持ち出したのは誰か?そしてその方法とは?密室に綻びが見えたとき、チビーが壁の向こうに見た真実の光。
不可能性はやや希薄だが、消失トリックとフーダニット趣味を一本の伏線でつないだ手際は賞賛に値する。生まれて初めてミステリを読んだ読者は、さぞかし関心することであろう。動機は犯人の意外性に対してやや弱い印象を受けるが、疵というほどのものではない。とにかく、この1作が楽しめたことに感謝。どうか、このあとも順調な復刊が続き、あわよくばチビー自身の事件となるであろう新作を期待したいところである。


2003年6月9日(月)

◆2週間ぶりに浮上して「ふっ。これで本日のカムバック賞は頂きだぜ」と思っていたら、夜になって4ヶ月ぶりにともさんが浮上してこられた。うみゅう。
◆掲示板が、<子供とペットから本を守る法>で盛り上がっている。
子供が犬・猫と同じレベルで語られているのが、なんとも、いやはや。
なるほど、これはMy First「うちの子に限って」体験になるかもしれない。
星一徹が息子に硬球しかオモチャに与えず、大リーグ級投手を養成したように、
商人が子供に金貨をオモチャとして与え、贋金を見破る訓練を施すように、
うちの娘には書をオモチャに与えて、大書評家に育てようと思っていたが、
大リーグ級のはりせん使いか、紙吹雪職人にしか育たないようである。しくしく。
◆八重洲古書センターを覗いてみるが、特に何もなし。そのまま真っ直ぐ帰って早寝する。


◆「絶体絶命」Fダール(三笠書房)読了
手に入れることはおろか本のかげすら目にした事がない‥‥‥謎に包まれていた存在が私を苦しめる。その焦燥は、絶えず私を煩悶させ、運命の神に因果の呪いを上訴するのだ。その書が私のものとなる。しかも函まで着いて!私の喜びを表現するためには、努力が必要である。だが、それは肉感的で楽しい努力である。一枚、また一枚と読み進む。はっきりとした映像が、私の頭脳の中に流れ込む。
一体あれは何なのであろうか?そうだ、「死刑台」だ!夜明けを待つ二人の死刑囚がそこにいた。私は、そのうちの一人だ。辛い回想をしなければ、事件の中に入る事はできない。私には美しい妻がいた。年が離れている。香しい乙女。そして呪わしい売女だ!娼婦め!寝取られた夫であると告白する事は最早、人生の継続にとって不可欠だ。不倫の相手は、若い男である。私を笑うのか?私の趣味を二人で笑うのか?だから、私はお前たちを苦しめてやる。そして笑うのだ。脅迫状を作る別人になることは私にとって大いなる喜びとなった。妻の蒼ざめた顔には以前には認められなかった苦悩の皺が認められる。その焦りの一つ一つが私の官能を掻き立てる。この喜悦を分かち合える相手がいないのが残念だ。私は自慢したいのでこの告白を行うのだが、いたぶりすぎたネズミが猫を噛むことなどお見通しであったのだ。素晴らしい。
なるほど読み終えてみればダール以外の何物でもない。これもまた監獄ものであることに気付くことは、私に与えられた特権である。深い感動をもって読み終えたが、その感動を再現するには拙い日本語では不安が募る。楽しんでいただけだろうか?それは新たな強迫観念となって私を苛むのであった。


2003年6月8日(日)

◆日記書きの一日。奥さんが師匠一門の発表会をお子様連れで見に行くのを駅まで送ってから、定点観測。
「死者の長い列」Lブロック(二見書房)50円
「処刑宣告」Lブロック(二見書房)50円
「犯人当てクイズ」富岡寿一(日本文芸社)50円
「剣の門」桐生祐狩(角川ホラー文庫)400円
マット・スカダーはハードカバーになってから何を持っているのか把握していない。ダブってなきゃいいけど。「処刑宣告」はまだ文庫落ちしていないのかな?桐生祐狩は、探究していた第2作に続き、最新刊も古本屋でゲット。済みませんのう。「犯人当てクイズ」は20題ばかり斜め読みしてみたが、ゴミだった。まあ、50円だし。
◆図書館に本を返却して、再び本を借りてくる。6月半ばから2週間近く棚卸しで休館するため、今回は貸出期間が4週間もあるのだ。とりあえず、貸出枠一杯借りてみる。お、重いじゃねえかよう。ここのところ、こんな量、買ってないもんなあ。
◆夕方になって奥さんと娘が帰宅。娘は生まれて初めて電車に乗って、生まれて初めて東京都に足を踏み入れたのである。なんか興奮気味で、寝ていたかと思うと突然泣き出したりする。街は怖いのよ、怖いのよ。次はブランドショップが怖いのよ。


◆「刑事コロンボ/サーカス殺人事件」Wリンク&Rレビンソン(二見文庫)読了
世界一コロンボ小説が読める国・日本にまたしても新たなるコロンボの冒険が登場。それも旧シリーズが油の乗り切った時期に書かれた没シナリオを、名コロンボ訳者・小鷹信光が肉付けしたという充実の1冊。第3、4シーズンの常連、ウィルソン刑事に、もう一匹のドッグも登場して、話に彩りを添えるところも嬉しい。
舞台になるのは、老舗のサーカス団。サーカスが舞台となるミステリといえば、ロースンの「首のない女」やボア・ナルの「女魔術師」、ブラウンの「三人のこびと」などが思い起こされる。なんだ創元推理文庫ばっかりだなといわれるのが悔しいので、未訳のクラシックにはアントニー・アボットの「サーカス女王の事件」なんてのもあるぞと言っておこう。映像では、同じくリンクとレビンソンの晩年作「ジェシカおばさんの事件簿」の長尺ものに、かの「野望の果て」の名犯人ジャッキー・クーバーをゲストに据えた「サーカスに死が訪れる」という傑作もござんした。
さて、この作品の犯人は、サーカスの花形・綱渡りスター。おっと、そこの人、ミルワード・ケネディの「救いの死」を思い出しましたか?閑話休題。借金に追われジリ貧のサーカスを建て直し、団長の娘をものにしようと、鉄壁のアリバイを作りつつ、事故死に見える死を演出する犯人。だが、余りにも運が悪いことに、その夜、サーカスにはロス市警殺人課のあの警部が甥っ子たちに振り回されながら見物にきていたのだ。殺しのボタンはアクロバットとともに押され、見えない死が一徹な老団長に忍びよる。しおれた花、しおれたヘラクルス、ふらつく犬、唸る鞭。コロンボの慧眼が、操りの正体を明かすとき、道化たちは殺しの舞台から退場する。
新シリーズの「殺人講義」を思わせる相当に機械的なトリックであり、どう追い込むのか興味津々であった。だが「死の方程式」で見せたような、大仕掛けなブラフはなく、ややあっけない印象を受ける。決め手のつくりこみ、Pマグハーンの第1作やRカルプの第2作のバリエーション。安定感はあるが、切れ味の鋭さには欠ける。コロンボが現場に居合わせるという、ご都合主義もあって、没になったのであろうか?とりあえず、もっとコロンボに遭いたいというファンからみれば及第点といったところか。


2003年6月7日(土)

◆疲れが溜まっていたのか、朝寝、二度寝、昼寝、早寝の一日。日記を書き進む気力もない。寝ぼけた頭でWOWOWで流れていたスティーヴン・セガール主演の「DENGEKI 電撃」をボンヤリと視聴。舞台が軍艦とか列車でない分、普通の街で繰り広げるカーバトルがスゲエ。格好いい黒人・卑しい白人という構図も含めて、わっかりやすい話だよなあ。とろけた頭に丁度よい映画であった。
◆尚も、ぼんやりとテレビを見る。ソニーのテレビにはべガ・エンジンが入っているらしい。

おおっ!!ベガ猿人

べガ星系から来た猿人。
なんだかとってもスペオペだわ。

しかしパナソニックも負けてはいない。
デジタルカメラに、ヴィーナス・エンジンが入っているらしい。

ビーナス猿人
金星から来た猿人
おお、更にレトロじゃ。

この勝負、パナソニックの勝ちっ!! なのか?


◆「歌うダイヤモンド」Hマクロイ(晶文社)読了
この本の題名は「ダイヤモンドは歌う」ではありません。
この本の題名は「歌うダイヤモンドは永遠に」ではありません。
この本の題名は「歌う中村主水 風雲竜虎編」ではありません。
そしてもちろんこの本の題名は「歌うダイヤモンド」でもありません。あれれ?

Moriwakiさんから、教育的指導を受ける事2回。
そう正しくは「歌うダイナモンド、どんどんどろんぼー」である(>大嘘)

という訳でマクロイの短篇集である。長編以外のマクロイ拾遺集とでも呼ぶべきものなのかもしれない。長編並みの構築美を誇る堂々たる中編から、ミステリ史上に残る名短篇、代表長編の原型短篇、そして珍品SF、更には、別れた夫からのエールまでも収録した決定版。「家蝿とカナリア」の新訳や、「割れたひづめ」(及びそれに付された全作レビュー)の紹介で、俄かに手近な作家になった印象のマクロイ。どことなく猫マークな作家というイメージから、「サスペンスや雰囲気も重視した本格推理作家」という復権を果たしつつある今こそ「幽霊の2/3」の復刊で、ブームを一気に本物にして頂きたいものである。
「東洋趣味」古来日本では「燕京奇譚」として知られてきた列強進出時代のシナを舞台にした中編。富豪の妻の失踪事件とありうべからざる「書」に秘められた陰謀を、糜爛した大国の闇に溶かした逸品。かつて中坊時代に「37の短篇」で読んだ時には長さが気になったが、今回は「もう終わり?」という感慨が募った。やはりこれは作家が一生に一度書けるか書けないかというレベルの傑作である。この頃のマクロイには神が舞い下りていたに違いない。
「Q通り十番地」ディストピアもの。禁断の味の虜となった妻が、その家の扉を叩くとき、カーニバルの夜はまだ始まったばかりだ。よくある話ではあるが、それなりの50年代テイストが楽しい。
「八月の黄昏に」ノスタルジックな時間と空間の冒険。これもよくある話。感動の押売りが些か辛い。マクロイにこれは期待していない。
「カーテンの向う側」現実感を喪った女の綴る罠の顛末。夢みるように眠りたい。一人語りの果てに待つ企みの卑しさに辟易とする。どうも、こういう食材のもとい贖罪の山羊的キャラクターをみているとイライラしてくる。
「ところかわれば」ファーストコンタクトSF。外見はヒューマノイドだが、人類とは全く異なった生命維持システムを持つ種族のペアが醸す寓意の物語。あてこすりがあからさまで辛い。お前のいいたいことは判ったから。
「鏡もて見るごとく」ドッペルゲンガーをテーマにした余りにも有名な長編の原型作。もう1人の自分の出現に次々と学校をクビになる女教師を巡る怪異と陰謀に挑むベイジル・ウィリング。さすがに傑作の原型は傑作である。ラストがややばたばたしてしまうのは、短篇という制約上やむをえないか。
「歌うダイアモンド」怪音を上げて編隊飛行する謎の物体の目撃者を襲う死の翳。全米を恐怖の底に叩き込んだUFO怪死事件に真っ向から挑むウィリング教授。実際の殺人プロットとしては頂けないが、小説として読んだ際の大風呂敷感が嬉しい。壊れた傑作として高く評価しておきたい。
「風のない場所」冷戦時代ならではの終末SF。よくある話。マクロイ版の「渚にて」であり「赤ちゃんよ永遠に」である。いっそ東洋趣味でまとめてもらえば、感興も増したと思うが、こう普通に纏められると今更感が先に立つ。
「人生はいつも残酷」汚名を晴らすべく故郷に帰ってきた<死者>の物語。ブラインドテストされればアイリッシュだと勘違いすること必至のサスペンス。意外に折り目正しいフーダニットであるところがマクロイの矜持であろう。長編分の読み応えあり。


2003年6月6日(金)

◆日帰り大阪出張。会議の合間を縫って、会社の最寄り駅にある古本屋を開拓。何もないと判っていても、初めて入る古本屋というのはなぜか心弾むのである。そしてつい要らない買い物をしてしまうのである。
「デイヴィー荒野の旅」Eバンクーボン(扶桑社:帯)800円
「爆走喧嘩社員」城戸禮(春陽文庫)30円
いや、このあたりを「要らないと」いえるほど、エラくはない。
実は、「お、城戸禮か?」一瞬勘違いした本があったのだ。

「三四郎」夏目漱石(春陽文庫)40円

だって、春陽文庫の三四郎といえば城戸禮だもんね(>あほ)。書棚の賑わいに、とばかり、勢いで買ってしまう。自慢ではないが、ダブリじゃないんだな。これが。まあ40円だしさあ。
◆夜更かしする。録画しておいた「食玩王選手権」を視聴。毎度の事ながらその業の深さに戦慄する。カートン買いするおじさんはともかくとして、ダブリを厭わずむしろ逆手にとってアートや商売にしてしまう20歳代の女性がとても凄い。ダブラーの鑑である。


◆「捕虜収容所の死」Mギルバート(創元推理文庫)読了
巷で話題のギルバートの初期作。これは凄い。これまで余りギルバートの作品を読んで感心した事はなかったのだが、今回は素直に脱帽である。
舞台設定の特異性、極限状況の不可能趣味、犯人探しとスパイ探しという二重のフーダニット。そして、抜け抜けとした伏線に、鮮やかな映像的処理。近作なのであらためて梗概は紹介しないが、通路を見張られ、しかも4人がかりでないと動かせないトラップドアの先のトンネルの中で崩落の下敷きになった死体、という不可能趣味だけで、ワクワクを押さえ切れなくなってくるではないか。しかも、作者は、この謎を大胆不敵な「この設定でしか用いる事のできない」解法で解き明かし、そこから更なる謎を突きつけてくるのである。フェアプレイか否かを問われれば、疑問視する向きがあるかもしれないが、これは作劇法として正しい。
ただ、これだけ読み物の面白さを熟知した技を展開しながら、収容所からの脱獄という山場とミステリとしてのクライマックスが一致せず、奇妙なまでのリアリズムに走ってしまったのは頂けない。孤独な逃避行を描くのは結構だが、それならばそれで、大団円で終わって欲しいというのが、オモシロ本好きからの切なる願いである。あれだけの登場人物たちを出すだけ出しておきながら、退場は呆れる程にそっけなく、エンドクレジットの終わった後に徐に謎解きが始まるような違和感を覚えた。これもまたギルバート、と云われればそれまでなのだが。


2003年6月5日(木)

◆一日マネジメント研修。
「最近は、どこの職場もリストラの影響で、人が減り『少年探偵団』状態になってますね。『少年探偵団』というのは、明智先生しか事件を解決できなくて、あとは、年の離れた人間ばかり。明智先生がいないと、一番の助手といわれる小林少年も、事件をどんどん厄介にするだけで、少しも解決に近づかない。もうどうしようもない!という瞬間に明智先生が全てを解決してくれる。そういう職場、多くありませんか?」という講師の言葉に爆笑。
「しかも、連載が終わる時にも、小林少年は小林少年のままなんです」で大爆笑。
う、うちの職場なんかなあ、にじゅうめんそうだらけやぞ〜
◆翌日が出張なので、職場に戻って、今週中が期限の手配をすませる。結局、うんざりするような残業となる。「本でも買わな、やっとれまへんな」状態に陥りTSUTAYAで新刊買い。こんな事もあろうかと、昨日の購入を1冊に押えていた、俺って先見の明あり?その先見性を何故仕事にいかせないのであろうか?聞くな!聞かないでくれえええ。
「刑事コロンボ/サーカス殺人事件」Wリンク&Rレビンソン(二見文庫:帯)581円
没シナリオから小鷹信光が起したノヴェライズ。なんでも、刑事コロンボ読本の製作者・町田氏がオークションで落札した没シナリオを提供されて、翻訳が実現したらしい。よ、太っ腹!!
それにしても、この世には一体何編分のコロンボ没シナリオがあるのだろうか?


◆「ロジャー・シェリンガムとヴェインの謎」Aバークリー(晶文社)読了
アントニイ・バークリーの3作目。バークリー・コレクションも順調なようで、まずはご同慶の至り。さはさりながら、その全貌が見えるにつけ、全部が全部傑作というわけでもない事が見えてくるのは致し方ないところ。幸運にも前から順にシェリンガム・サーガを読んできた人間にとっては、驚愕の書であるが、そのような人間は、まず日本には一人もいないといって差し支えあるまい。昨日や今日の日本のバークリー・マニアからみれば「なんだ、またあれか」の書なのである。
ヴェイン博士夫人の転落死を巡りヤードが動いた。それを察した《クーリア》紙は、ウイッチフォード毒殺事件の謎を首尾よく解いたロジャー・シェリンガムに特派記者の依頼を行う。勇躍、従弟のアントニイとともに現地に乗り込むシェリンガム。徐々に露になる被害者の翳の相貌、崖の足跡、千切られたボタン、一見ありふれた事件の向うに、奸智に長けた真犯人の姿を見透かす名探偵。果して薄幸のマーガレット嬢を巡る純愛の行方は?そして、ヤード対名探偵の推理勝負の行方は?
最後のオチは後年の傑作には及ばないが、とりあえず推理の過程は楽しく辿れ、シェリンガムの饒舌も絶好調である。またバークリーの白地図が一箇所埋まった事を寿いで、甘い採点をして欲しい。目指せ、完全紹介!


2003年6月4日(水)

◆翌日の研修用の課題を泥縄でやっつける。というか、やっつけようとして帰り討ちに遇ったというか。ボロボロになるまで居残り。「本でも買わな、やっとれまへんな」状態に陥ってTSUTAYAで新刊買い。
「捕虜収容所の死」Mギルバート(創元推理文庫:帯)720円
創元推理文庫でマイケル・ギルバートの新刊が出るなんて、世紀末に一体誰が予想した事であろうか。老舗の底力を見せ付けてくれるではないか。
さあ、東京創元社よ、
固く閉じていた古典への扉を開くのだ!

「ひらけ、胡麻!」

そちらは絶版ですかそうですか。
「古本買いに新刊一冊」というか
「遥かなる渉猟の旅」というか
「書は高い値を持つ」というか
「書価高く」というか
さあ、お逝きなさい。それはスカイ・ハイ。


◆「テンプラー家の惨劇」Hへキスト(国書刊行会)読了
探偵小説全集第4期第4回配本。イングランド南部の名門テンプラー一族を襲った連続殺人事件の顛末を描いた血の記録。肝に触れずに語る事が非常に難しいお話。一つ言える事は1923年当時は非常に斬新な推理小説だったに違いないということ。世界大戦という試しに遇った結果、命の軽さと人間の愚かさを思い知らされた世相を反映するかのような物語。この命の軽さは、丁度「虚無への供物」における洞爺丸のそれを思わせる。
幾重にも張り巡らされたレッド・ヘリング、目的のためには人間らしい愛を捨て不可能を可能にしていく冷徹な犯人像と、みるべきところは多い。しかしながら地の文が迂闊で、フェアプレイを求める立場からは評価できず、不可能趣味もいわば<秘密の抜け穴>どまりの解法であるのには脱力してしまう。
古い皮袋に新しい酒を盛った話であって、そのアンバランスさに惚れた人からは高い評価が得られるのかもしれないが、新しいが故にその時代を離れると逆に古さの極致とも捉えかねられない危険性も持つ。
個人的には、地の文の記述を信じたものだから、これはどんでん返しがあるに違いないと一縷の望みを繋いできたにもかかわらず、最後の最後に裏切られるハメとなってしまった。世評を気にせず、私なりにSR採点法を行えば5点かな。


2003年6月3日(火)

◆朝4時起床。「本の雑誌」の原稿を仕上げて送稿。先週からこいつのおかげで読了本の感想が全然書けなかったが、これで少しは改善が図れるか?
◆はやみ。さん、作家生活15周年記念マグカップ作成、おめでとうございます。
っていうか、作家生活15周年、おめでとうございます。
◆就業後、新橋の小学校跡地公園でチャリティー市に遭遇。以前は機関車広場でやっていたものである。最近みかけないなあ、と思っていたら、そうか、こちらでやっていたのかあ。無造作に並べられたボール箱をごそごそと漁る。余り娘に見せられる姿ではない。
d「ニューヨークのフリックを知っているかい」木村二郎(講談社)100円
「ぼくがミステリを書くまえ」Dボーマン(早川書房)100円
うーむ、時々、得体の知れない本もあって楽しいのだが、今回はこんなところで勘弁しておいてやる。昭和40年代の小説現代なんかもあったのだが、これだけバラで拾ってみてもなあ。
◆もう一軒、途中下車して安田ママさんの勤務先。勿論まだ古本特集をやっているわけではない。古本特集といっても、古本を売る訳じゃなくて、古本をテーマにした流通書籍のコーナーを作る構想だそうな。ああ、ややこしい。それはまだ先の話として、現在のところは舞城王太郎がご寵愛を受けているのが判る棚作り。また歌野正午の新刊がドーンと平積みされ「担当御勧め!」スイングが揺れていた。自分が読んで面白かった本を売るのだ!という姿勢は正しいよなあ。
買い物は1冊だけ。
「歌うダイヤモンド」Hマクロイ(晶文社:帯)2500円
今週は藤原本週間にするのだ。時々「古典復興ラッシュで『とても読切れない!』と嬉しい悲鳴」などという表現をみるが、そんなの嘘。精々年間で30冊あるやなしやなんだから、ちょうどミステリを読み始めた頃の「今日は僧正、明日は国名」みたいな贅沢な読み方をすれば、一ヶ月ももたないのである。嬉しい悲鳴なんてものは、泰西古典が年間200冊翻訳されるようになるまで取っておこう。
◆娘は寝返りを殆ど会得した模様で、うつ伏せになれるのが楽しくて仕様がない様子。でも、まだアタマが重くて支えきれず、3分もすると床に突っ伏してしまう。お、面白い。いや、面白がってないで、引っくり返してやらないといけないのだが。
◆先週からの続き物だったので「顔」をリアルタイムで視聴。今回の佐野史郎は普通だねえ、といいながら見ていたら、なんだ、やっぱりそう来たか。


◆「塩沢地の霧」Hウェイド(国書刊行会)読了
探偵小説全集第4期第3回配本。実力派ヘンリー・ウエイドの第7長編。中盤までは滋味溢れる倒叙サスペンス、事件が起きてからは警察小説風フーダニットという構成の妙で読ませる変格推理。とはいえ、倒叙部分は平たく言ってしまえば「うだつの上がらない画家が気立てのよい妻を寝取った売れっ子小説家を抹殺しようとする」だけの話である。二時間ドラマやら、安手のサスペンスで幾らでもあるようなプロットである。旧・創元推理文庫ならば猫マーク、もしくは時計マークの作品であり、間違っても帽子男マークに値する話ではない。
そもそも、ヘンリー・ウエイドは「リトモア少年誘拐」や「死への落下」で見せた変格推理の人ではなく本格ど真ん中の作品も数多く世に送った実力派という触れ込みであった筈である。少なくとも第3期の「警察官よ汝を守れ」では、噂にのみ高かったその本格魂を堪能できた。だから、敢えて問いたい。なぜ、この作品を訳出したのか?これでは「リトモア少年誘拐」や「死への落下」のイメージは深まる一方である。
確かに、高潔も卑劣も併せ存在感ある人間を描き出す筆力の確かさ、塩沢地の空気の重さを感じさせる緻密な描写、誤解と省略の妙で読者を眩惑させる推理作家ゴコロ等など、この人が上手い作家である事はよく分かった。だが、何もこんな後味の悪いサスペンスが読みたくて国書の本を買っている訳ではない。こういう作品はプール警視ものが紹介され終わった後で、巨匠の問題作としてご紹介頂ければ結構である。SR式採点法なら6点ですな。


2003年6月2日(月)

◆就業後、八重洲ブックセンターで買い物。
「塩沢地の霧」Hウェイド(国書刊行会:帯)2500円
「テンプラー家の惨劇」Hへキスト(国書刊行会:帯)2500円
昨日、千葉で見掛けた本は状態が今ひとつだったので、じっくり美本を選んで買う。パック牛乳や卵の賞味期限を確認しながら買うみたいなものか?こういう時って、どうしても大書店で選びたくなるよね。本当に美本が欲しければ、bk1やAmazonで取寄せるのが一番なんだろうけど、生協から届けてもらうよりも自分の目でみて手に取ってみたい消費者心理というのはありますのう。
「この新刊、発行が昭和です」
「すばらしい。学会に報告しよう」


◆「ウサギ料理は殺しの味」Pシニアック(中公文庫)
「こんなものも読んでなかったのか?」シリーズから1冊。文字通り「奇妙な<味>の怪作」として新本格推理作家からの評価も高く、いまや伝説となった感すらあるフランスミステリの異色作。今月号のHMMのフランスミステリ0選にも、勿論ラインナップされていた。当然といえば、当然であろう。そもそもフランスミステリは母数が少なすぎる。これもまた、レオ・マレの「新編・パリの秘密」同様に、藤田宜永の翻訳であり、生きのいい訳文が笑いと不気味を加速する。
車の故障でフランス西部・ヴァンデ県の田舎町に足止めをくった元刑事の私立探偵シャンフィエは、ひょんなことからその街を恐怖に染めた連続猟奇殺人事件を追う事となる。木曜日の夜ごと、女性を絞殺していく殺人鬼は、現場に必ず<扇>を残していく。そして、街に奇妙な投書が飛び交う中、レストラン・オ・トロワ・クトーの主人カントワゾーは謎の脅迫状を受け取る。「木曜日の夕食にメニューに狩人風ウサギ料理を載せるな。そうすれば、この町では殺人は起らない」。だが、カントワゾーにはウサギ料理をやめられない理由があったのだ。偉大なる女占星術師、恋に狂う新聞主、現金払いを良しとしない超一流の娼婦、狩猟自慢の商店主、神経症の女管理人、奇矯な人物たちが織り成す奇矯な日常。奇妙な味の逸品は、デザートまでがスリリング。
これは、凄いっ!!なるほど、噂に違わぬ「変」な話である。チェスタトン流のマッドなロジックにフレンチなお色気とエスプリを加えて私立探偵を放り込んだオモシロ読み物。このナンセンスぶりには、すべてのシリアルキラーものが裸で駈け出す。同じ手は二度と使えないであろうが、まあ、よくもこんな話を書こうと思ったものである。くどい程の町の人々の書込みが、終盤に至って狂った連環に収斂していく様は圧巻の一言。とにかく騙されたと思って読んでくれ。慣れると美味しいリパロのピース。ウサギたちの魂に安らぎあれ。


2003年6月1日(日)

◆気がつけば「あなたは古本がやめられる」と改称オープンして2周年である。
昔の名前(=「古本血風録」)での営業は1年8ヶ月だったので、既に古本系サイトの看板を降ろしている期間の方が長いのである(まあ、準備期間の8ヶ月強を含めると血風録は2年4ヶ月分あるのだけれど)。
そもそも最初に拙サイトを、ミステリ系でもSF系でも書評系でも書痴系でもなく「古本系サイト」と表したのは、安田ママさん@銀河通信だったような気がする。いつのまにやら古本御三家だの古本四天王だのといった名称も定着し、「古本系」もネット上で市民権を得た訳で、個人的にもそれはそれなりに気に入っているのも事実なんだけど、一体「古本系」って何なんでしょうね?「古本屋を主たる書籍の購入場所としている主宰者が運営するサイト」なのかな?そうなると未読王さんところは、どうみても新刊サイトでしょうね。「絶版本の話題で盛り上がってしまうサイト」となると世の作家研究系サイトの多くが「古本系」になりかねないしなあ。「古本を嬉しそうに買っては自慢する主宰者が運営するサイト」てなところなのかな?
本を魚に置き換えれば、新刊サイトや書評サイトは「三分間クッキング<旬の魚編>」だったり「魚料理の美味い店」するのに対して、古本系は「つり情報」「月刊へら」みたいなもんですか?
◆先月は、二ヶ所から主宰者の方からプレオープン告知を頂いてしまった。なぜか両方とも海外本格推理マニアのサイトである。一つは、以前から噂になっていた(していた)大鴎さんの猫&推理サイト。名が体を表していて笑っちゃう。マイナーな原書ミステリのレビュー満載。一応、まだ秘密にゃんだかな?
今ひとつは、以前、京大ミステリ研で、ドハティーやらベロウの感想をアップしておられたA・Mさんのサイトで、その名も「AMMM」である。ヒチマガ(AHMM)のようでヒチマガでない、べんべん、マイケルシェーンマガジンのようでマイケルシェーンマガジン(MSMM)でない、べんべん、って感じですな。こちらは、既にBBSにその筋の若衆も集っているので、リンクしてしまいましょう。ここ。こういうサイトが出て来てくれると、いつでもこのサイトを閉じてしまえるというものである。
◆本の雑誌の締め切りを目の前に悶々とする1日。1度書いた原稿を全面破棄。むしゃくしゃして新刊書店をチェック。
「雨あがり美術館の謎」新庄節美(講談社青い鳥文庫:帯)580円
おお、やっと噂の復刊にめぐり合えた。るん。こういうのも「文庫落ち」というのだろうか?
◆WOWOWで二コール・キッドマン主演の「アザーズ」をリアルタイム視聴。
絵葉書のようなお屋敷を舞台にしたゴシックホラー。大道具の凝りようや、役者の不気味さは買えるが、総じて華のない話で、怖さのインパクトも弱く、ツイストもみえみえ。そのうえ説明不足で、疑問や不満が残る話。ありていに申せば、映画館で見てたら「金返せ!」もの。二コール・キッドマンはニューロイックな役を半ば地で演じていたが、相変わらず好感は抱けまへんな。


◆「まろうどエマノン」梶尾真治(徳間デュアル文庫)読了
<まろうど>とは、外界からの訪問者を意味する言葉。ガイアの記憶そのものでありながら、常に見守る者であるエマノンこそ、その名に相応しい。前作「かりそめエマノン」では専ら護られるべき者として描かれていたエマノンだが、今作では、<時空の綻び>に対して積極的に関わる姿が描かれ、世代を越えた悠久の旅の中で「故郷」と呼べる場所を持っていた事も判明する。
語り手は小学校4年生の少年。季節は夏。それはまさにゴールデン・サマー。父の故郷の村で出会った「物の怪」と「きれいなお姉さん」、そして少年にとっての<永遠の女性>。生命の営みの中で、神の悪戯は炎の果ての邂逅と別離を演出し、金色の光の中へと鮮烈な想いは託されていく。その人の名を聞くな、エマノン。
ロング・レンジの法螺話であった前作に比べると、随分と一転集中の抒情譚。ほとんど、エマノンが登場する必然性のない話であり、SF設定も新しさや工夫に欠ける。既にジャンル外からの草刈り場と化している手垢のついたタイムトラベルネタなればこそ、SF魂溢れるツイストを期待していたのだが、肩透しに終わった。また、ここに描かれたエマノンは世代の記憶を背負う運命の女性というよりは、只の不老不死の比丘尼であり、最後まで馴染めなかった。とにかくエマノンが出てくればそれで満足という人が読んでおけばよい話であろう。なお、雑誌に掲載された漫画版「おもいでエマノン」がカラーで収録されており、コストパフォーマンスの悪さに雑誌を見送った鶴謙ファンは<買い>である。