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2003年5月20日(火)

◆飲み会の幹事、飲み放題で壊れる。購入本0冊。
◆感想が追いついていないんだけど、とりあえず「歌の翼に」ご恵送age!!


◆「歌の翼に」菅浩江(祥伝社ノベルズ)読了
「小説NON」に断続的に掲載された音楽テーマの推理連作集。9編収録。副題が「ピアノ教室は謎だらけ」。そう、この「鬼女の都」以来久々の現代推理作品は、作者お得意の世界の一つであるピアノ業界が舞台になっているのである。ピアノを扱ったミステリといえば、かのピータ・シェーファーの「アマデウス」、森雅裕の出世作「モーツアルトは子守唄を歌わない」「ベートーヴェンな憂鬱症」、宇神幸男「神宿る手」、乱歩賞候補作の林芳輝「ショパンの告発」あたりが思い浮かぶ。映像では、「黒のエチュード」でピアノレッスンをするコロンボや、木の実ナナに稽古をつけてもらう古畑任三郎なんてのも印象に残っている。ピアノそのものを兇器(音響爆弾)に使ったエピソードも「バークにまかせろ!」にありましたっけね。どうも一流のピアニストというのは、存在そのものが相当に浮世離れしており、アクの強い倣岸不遜なキャラが多い。はっきり言って被害者もしくは犯人向きなのである。
しかしながら、この作品ではピアニストは名探偵役。神津恭介のようにピアノが得意な名探偵はいても、ピアニストが名探偵役を務めるという話は実は珍しい。更に、この主人公・杉原亮子は絵に描いたようなお嬢さまで、そして心に深い傷を負っているという設定が憎い。美貌と財産と天稟に恵まれながら、何故彼女が壊れてしまったのか?その謎と癒しへの歩みを縦糸に、街の楽器店が経営するピアノ教室を巡る日常の不可解と不思議を横糸に編み上げた智の小組曲。ピアノの先生の子供に生まれ、ピアノの先生を妻としている身の上としては、ピアノという楽器に対する忸怩たる思いが沸沸と湧き起こり、全編これ「あるある〜」の連続であった。以下、ミニコメ。
「バイエルとソナチネ」いさましいちびのダイチくん、彼の心を乱したのは誰?変質者の影に怯える姉ユイカの証言は揺れ、ボタンは時の狭間に消える。シリーズの開幕は、静かな波紋とともに。小ネタながらも綺麗な着地を決めた作品。子供たちの葛藤とその心の洞を見透す杉原先生の慧眼がお見事。
「英雄と皇帝」どうしてMDでなかったのか?孟母はすべてを娘ハルナに託す。だが、亮子の耳は、ハルナの迷いを聞き取っていた。唸る部屋。不快の源が解体されたとき、ピアニストの誕生まではもう少しだ。完璧な音楽推理。これは年間ベスト級の快作。
「大きな古時計」それは、Pressure of Time。草バンド野郎の恋は、実るのか?催眠術の誘惑と逡巡。お節介な指は、時の圧力をマドンナにかける。亮子の過去が少し見える他は、やや作り物めいた一編。ラストのツイストは笑えるが、少々眉唾ものである。
「マイ・ウェイ」ストーカーはビジネスマン?「シュンタくんのお父さん」と対決する亮子。最愛の者の心が読めないもどかしさ。真実を明かすことは再生への道。すべてはココロの決めたままに。ピアノを巡る風俗をヴィヴィッドに織り込んだお父さんへの応援歌。
「タランテラ」すれ違い響き合う虚像のエコー、反目する少女たちと迷う教師。競う事は正しい。しかし、競うために競ったとき、音楽は道具に堕ちる。追いかけ合う事に疲れたら、そっと心の襞を覗いてみよう。天下無敵の少女小説。うーん、謎はないが、少女って不思議。
「いつか王子様が」334。一頁につき3つの色で3っつずつの点が4頁。託されたメッセージは、誰に当てたもの?それは乙女の夢?それとも揶揄?殺伐たるダイイングメッセージものの対極に位置する音楽暗号小説。
「トロイメライ」老いという名のキャンプ・コンセントレーション(強制収容所)。音楽療法の現場で、衝突する老女たち。音楽を楽しむ事は人生を楽しむ事。あるがままの自分を認めたところに、夢が降る。ピアノに纏わる知識を巧みに織り込んだ感動編。テーマの現代性と、プロットの普遍性が心憎い。「歌詞」も含めて本作のベストかな?
「ラプソディー・イン・ブルー」心の檻のプリズナー。亮子は一つの賭けに出る。破局を恐れ、走る友達と親衛隊。果して過去は解体されるのか?未来の扉は開かれるのか?俄かに残酷な傷痕を晒す一編。これまでのトーンの柔らかさに対して、痛さが募る。まあ、それも作者のトリックなレトリックではあるんだけど。
「お母さま聞いてちょうだい」気付き、傷つき、亮子はまた一つ過ちを犯す。しかし、一旦奏で始めた曲は誰にも停める事は出来ない。これは、癒しという名の闘い。音楽は素晴らしい。音楽は楽しい。無償の愛を貴方に。そして、歌を翼に。

この連作集には、ピアノという楽器を巡る昔と今が活写されている。ピアノの先生の秘密をお教えしよう。彼女たちは、生徒さんから若さと元気を貰うのだ。
願わくば、いつか呪縛から解き放たれ、自然体でコンサート会場に立つ亮子の姿を見てみたい。とびきりの謎と感動を引っさげてのアンコールに向けて、さあ皆さん、スタンディング・オベーション!!


2003年5月19日(月)

◆翌日になって疲れが出てくるようになったら、老人の証(あかし)と申しますが、朝からダルな一日。だるい、眠い、辛い。帰宅したら奥さんも同じ状態だったそうな。おりゃあ!あなたたち、何をバテてんの?と元気なのは今日で生後4ヶ月になる娘だけである。
ちょっと、元気分けて。
◆本の雑誌に写真用の本を発送。これを送ったら、そろそろ次ぎのネタを考えなきゃいけないんだけど、次は8月かあ、8月ねえ。夏休み早くこないかな〜。
◆定点観測も空振り。新刊書店では、チビーも見つけられずで、肩を落して帰り着いたら郵便受けに冊子小包が到着していた。
「歌の翼に」菅浩江(祥伝社:帯)頂き!
菅浩江女史から新刊書のご恵送を頂く。ありがとうございますありがとうございます。ピアノ教室を舞台にした連作推理。「ピアノの先生」とは何かと縁のある身の上としては興味津々の1作。今回は夫婦で楽しませて頂きます。


◆「運命の裏木戸」Aクリスティー(ポケミス)読了
「一、二、三−死」といえば高木彬光だが、ポケミスの1234番といえばアガサ・クリスティーのこの「最後の長編」。勿論、自分の死後発表を予定していた「カーテン」や「スリーピング・マーダー」の方が出版は後なのだが、これら2作が書かれたのは第二次世界大戦中なので、実質的にはこのトミーとタッペンス・シリーズ第5作がクリステイーの「白鳥の歌」と呼ぶに相応しいように思われる。60年代以降のクリスティーの晩年作を振り返ると、過去の殺人というモチーフが繰り返し使われ、ポアロが精彩を欠く反面、ミス・マープルが気をはき、トミーとタッペンスも突如登場して老いて益々盛んなところをみせつけるといった構図であったように思う。68年の「親指のうずき」はクリスティー最後の傑作と呼んでも過言ではあるまい。ところがその5年後の「運命の裏木戸」となると、もういけない。「麒麟も老いては駄馬」ではないが、ここに出てくるトミーとタッペンスは、ただただ元気だった昔を回顧し、埋れてしまった事件を掘り出そうとしては、愛犬やら、諜報局員に危険なところを救われるだけの存在なのである。
終の棲家として引っ越してきた「月桂樹荘」。引き取った蔵書の山に「黒い矢」。そこに記された暗号は、50年以上前に幼くしてなくなった少年が残したものだった。「メアリ・ジョーダンの死は自然死ではない」。俄かに探偵魂が甦るタッペンス。古老との親交を深め、謀殺された召使いの死の謎を追い始めるや、危険の影が平和な村を脅かす。巨大な敵に立ち向かうのは、二人の愛犬ハンニバル!
てな話であるのだが、ここには推理の妙味はない。あっと驚くツイストもない。意外な犯人などいない。時代に置いてけぼりを食った一対の老夫婦が年寄りの冷水を経験するだけの話である。ここに描かれた「悪」の姿は、余りに19世紀的であり、ル・カレが緊張感溢れるタッチで描いた国際謀略の世界とはかけ離れている。「もう無理はしてくれるな」と微笑んでいるしかないのである。訳者後書きによれば、ケアレスミスも散見されたようであり、老いた裸の女王様の姿に思わず目を背け涙する次第である。RIP。さらばクリスティー。うーん、あと読んでないのは「フランクフルトへの乗客」かあ。



2003年5月18日(日)

◆来客につき、朝から戦闘態勢。英国風のアフタヌーンティーに挑戦するのだと、奥さんは朝の五時に起き出してスコーンを焼き始める。
「アフタヌーンティーといえば、スコーン」
「うんうん、そしてきゅうりのサンドイッチ」
「それに、香りのよい紅茶」
「そうそう、その紅茶にはジギタリスがいっぱい!」
「クリスティーの読みすぎじゃ」
あとは、夫婦揃ってひたすら部屋の片付け。2時にお客さんが来た時には、まだ、サンドイッチにバターを塗っているところだった。娘は、妙に落ち着かない雰囲気。片付けに勤しむ夫婦を奇異の目で見ていた。後でつらつら考えるに、部屋が綺麗になりすぎて「見知らぬ場所」に来た感覚だったのかもしれない。すまんのう。
◆お客さんは、奥さんのピアノの先輩お二方。母親歴20年弱と10年強の人生の先達。だが、赤ちゃんは久しぶりらしくきゃあきゃあ言って娘を可愛がってくれた。どうです、私に似ていて可愛いいでしょ。わはははは。
◆3時間後、寝起きで機嫌が今ひとつだった娘が火が点いたようになき始めたのを機に、来客がお帰り。夫婦で残る死力を振り絞って後片付け。娘を寝かしつけて、私は息抜きに定点観測。何もありゃしない。


◆「モンスター・ドライブイン」JRランズデール(創元推理文庫)読了
みなさん、こんばんは。今日のお話は、映画館が舞台です。みなさん、映画、どこでご覧なられますか?テレビの前?パソコンの前?このお話は映画が車に乗ったまま映画が見られるドライブ・イン・シアターが舞台のパニック・ホラーです。車の中で映画を見るだなんて、まあ、いかにもアメリカですね。凄いですね。ポルノ映画みてたら、もう大変ですね。車、揺れますね。なんで揺れるかはお父さんに聞いてくださいね。
この作者のランズデールいう人、ミステリでもSFでもホラーでも売れるものならなんでも書くというプロですね。偉いですね。かきまくりですね。車、また揺れますね。
映画館を舞台にしたホラーといえば、ダリオ・アルジェントの「デモンズ」ありました。ホラー映画を見に行ったら、隣の人がゾンビになって襲い掛かってくるという怖い怖い映画でした。あの映画を映画館で見て映画館嫌いになった人、イタリアで沢山沢山でました。日本でも沢山沢山でました。うそです。
さあ、この話は、アウターリミッツや漂流教室であったような、その場所と人ごと異次元に飛ばされる話です。ちょっとデモンズも入っているので、ポップコーン・キングという変な怪物も出てきます。まさかの友は真の友といいますが、このお話は友情とは?、正義とは?、神とは?、人間とは?、ポップコーンとは?を問い掛けた、1988年の感動作です。ゆっくり楽しんで下さいね。さよなら、さよなら、さよなら。



2003年5月17日(土)

◆あ、フクさんが面白い遊びやってら。イッチョカミだイッチョカミ。
「ウイルキー・コリンズ賞」最も積読率の高い文藝に送られる賞。副賞は月長石のトロフィー。
「スネークマン賞」年間最優秀パロディに贈られる賞。
「小林信彦ショー」テレビ創生期を支えたおじさん放送作家のグチを聞くトークショー。うーん、これはちょっと見てみたいかも。
◆日がな一日、日記書き。あ、図書館ぐらいは行ったけな。


◆「ファントム・ケーブル」牧野修(角川文庫)読了
書下ろしの表題作1編を含む最新短篇集。8編収録。文庫オリジナルが嬉しいお買い得な1冊。呆れるほどに様々の雑誌やら、書下ろしアンソロジーに発表されていながら、そこに通底する悪意の彩色はまぎれもなく牧野修のものである。
「ファントム・ケーブル」社会の澱みの底で蠢く3人のろくでなし。ケーブルの向うから彼等を告発する闇の判決。無辜の女学生を死に追いやった記憶が崩落するとき、虜に与えられる最後のチャンスとは?男たちの穀潰しぶりが哀切であり、裁きは既に虐めの領域にある。
「ドキュメント・ロード」逆ナンパAVの撮影チームが立ち寄った食堂に魔は巣食う。性を弄ぶ者たちの生は蹂躪され、臓物の香りの中で、ファインダーは魂を貪る。これも主人公一行の駄目ぶりが印象的。静と動の綾織の中で、地霊の緊縛感が脳下垂体を刺激する。不幸だよ。生きててもしょうがないよ。だから死んでるんだけど。
「ファイヤーマン」あるひとつぜん正気をやぶり、サヤカにせまる神秘の光。だれかがショウコを殺らねばならぬ、いじめのもとをたたねばならぬ。こころがこころがだいぴんち。こころをこころをすくうのだ。ふぁいあーふぁいあーふぁいあーすてぃっくてにもって、もやせ!ころせ!もえるきょうきのふぁいあまーん。ありがちなアイデアで、視点の移動も気にかかる一編。
「怪物譚」波が来る。ここにいるべきではないという違和感を抱き続け、不気味を性として今まで生きてきた。しかし、変化の波が来る。本性を現せ、世界。私に合わせて。おそらく再読。アイデアがありきたりな分、この人のセンスの鋭さ、表現の妙が光る。MEIMUでコミカライズ希望。
「スキンダンスの階梯」他になんの取柄もない男の行く先は新薬の実験台。寝床と食事は保証され、安寧の畑で狂騒の仮面は収獲祭を迎える。さあ、口の数だけ、とんでとんでとんでとんでとんでとんでとんで。尊厳さん、さようなら。人体改造ネタだが、幻想味を失わないところがさすが。
「幻影錠」この世には開けてはいけない錠がある。しかし、それに気付いた時にはこの世は傀儡というの名の救世主とともに溶けていく。いかにも題名から作ったお話だが、この人の手に掛かるときちんとした怪奇ものになるところが凄い。
「ヨブ式」果てしない不運に見舞われ続ける男。果して、そこに働く「式」とは?そして「解」とは?因果という関数の果てで、運命はどこまでも絶望への漸近線を描く。生理的不快感極大。不幸自慢もここまでくれば芸術。いやだいやだyada。
「死せるイサクを糧として」同じく宗教ネタ。自分の子を踏み殺してしまった父の魂はどこへ堕ちていくのか?黒い天使を見てしまった者は、ただ真実の電話を掛ける。主よ、そこで手を擦らないでください。物語として理に落ちる分、「ヨブ式」よりも不快感は少ないが、救われなさには変わりない。父の書く話ではない。



2003年5月16日(金)

◆残業。帰りにシャンパンを買って、3日遅れで結婚記念日を祝う。購入本0冊。
◆みるとはなしにテレビをつけていたら「日蓮伝説殺人事件」が始まる。浅見光彦役にはこれが2回目の登場となるらしい中村俊介。これまで榎木孝明、水谷豊、辰巳琢郎などの浅見をみてきたが、ここまで素で若々しい浅見は初めてだったので、非常に新鮮。ただ、ソアラに乗りそうな感じはしませんな。セリカですかね。はい。


◆「死体をどうぞ」Dセイヤーズ(創元推理文庫)読了
ピータ卿登場の第7長編。ロジックの凄みを堪能させる重厚にして玄妙なフーダニットであった「五匹の赤い鰊」の次に位置する作品で、その物理的な分厚さでは「ナインテイラーズ」を軽く凌駕し、「学寮祭の夜」に次ぐ頁数を誇る。ウイムジイ・サーガとして見た場合、「毒をくらわば」で無実の罪に問われピーター卿に命を救われた女流推理作家ハリエット・ヴェインが死体の第一発見者として再登場し、卿と丁々発止を繰り広げるという重要な作品でもある。などと、能書きばかり垂れていると、肝腎のミステリとしての完成度を問うむきがあるかもしれないが、ご安心あれ。600頁という長さを全く感じさせない軽快なビレッジ・ミステリである。いかにも黄金期の作品らしい趣向が満載で、読者の興味を逸らさせない。

次回作「万年筆の謎」の構想を抱えながらイングランド南西部海岸を徒歩旅行するハリエット・ヴェインは、レストン・ホウからウィルヴァークムに向う途中の岩棚で、まだ生々しい血だまりに横たわる青年の死体を発見する。見渡す限りに人影はないが、自分で喉を掻き切るというのは自殺にしては派手な死に方である。満ちてくる潮に、非力なハリエットは、とりあえず現場の写真を押え、警察に連絡しようとするが、それが叶ったのは発見から数時間後の事であった。海に消える死体。しゃしゃりでる貴族探偵。恋に狂う老未亡人。踊るロシア人亡命者。由緒ある兇器。アル中の床屋。ボルシェビキの魔手。ロマン主義の暗号。徐々に明かされる事件の構図。果して、自殺か、他殺か?偶然のアリバイが探偵コンビに立ちはだかり、容疑者たちは次々と行方をくらます。お嬢さん、どうぞ死体を。これぞ黄金期の証言。

1932年といえば、クイーンが1年の間に「X」「Y」「ギリシャ」「エジプト」を世に送った奇蹟の年である。しかし、この作品も決して負けてはいない。そこにはゆったりと流れる大英帝国の田舎の時間があり、謎があり、恋がある。名探偵は有能すぎる執事のサポートを得ながら、颯爽、女流推理作家に愛を囁くかたわら、「名犯人」を追いつめる。そうなのだ、この作品の犯人の努力たるや見上げたものなのだ。周到に準備を積み重ね、ある時は細心に、またある時は大胆不敵に、完全犯罪を成し遂げようと涙ぐましい努力を行うのだ。考えてみれば、この時代の犯人は偉かった。暗号の罠、時間の罠、騙り操り、目標に向って邁進する、この根性を見よ!!謎の支柱となる某トリックも伏線に怠りなく、まずは「雄編」の名に相応しい名探偵小説にして、名犯人小説。お時間にゆとりのある方は是非どうぞ。



2003年5月15日(木)

◆仕事絡みで西川口のNHKアーカイブスを見学。53万巻のテープ貯蔵室も見せてもらう。九州の某棚会社と共同開発したという電動棚のシステムや、メタデータが打ち込まれたソフトにも感心したが、なにより、将来に備えてテニスコート一面はある広大なスペースが空いていたのにうっとりする。ああ、広い、とにかく広い。ここに蔵書を並べられたらなあ。向うの端からナブラチロワに本を取ってこさせるシーンを妄想する。いや、岡ひろみにしておくか。お蝶夫人はどうよ?「これで、よろしくて?」
◆膨大なソフト資産の中から2000本の番組が無料公開されており、土日は老若男女でおお賑わいらしい。私的<二番目にみたいテレビドラマ>であるドラマ人間模様の「続・事件」はないかと検索したが空振り(ちなみに一番見たいのは朝日放送の「快刀乱麻」ね)。仕方がないので同じくドラマ人間模様の「国語元年」のサワリを視聴。映像の美しさに身悶える。うひょおお。これが自宅で楽しめる世の中になれば、積録地獄は完全に過去のものになっちゃうね。
◆残業。ツタヤで新刊1冊。
「『探偵実話』傑作選」ミステリ文学資料館編(光文社文庫:帯)979円
普段にも増して目録が凄い。この際、収録作品の方はどうでもいい。文字通りの労作であり、大作である。何冊か<未見>という巻があるのだが、同じ巻号数で異本があった、という事なのだろうか?なんともデタラメな雑誌であった事がひしひしと伝わってくる。まあ、「探偵倶楽部」と異なり、全然真剣に集めようという気にならない本だったのだが、自分の勘の正しさを再認識した次第。


◆「飾り花」伊井圭(講談社)読了
鮎哲賞短篇部門受賞作家が2001年に発表した第一長編。こんな本が出ていたとは知らなんだ。一見、渡辺淳一の恋愛小説かと見紛うような装丁に題名。東京創元社から出たのであればともかく、鮎哲賞作家のカナーンの地「講談社」からの出版。これは相当のマニアでも見逃すだろうなあ。中味は、現代が舞台のミステリ。ただ、名探偵・石川啄木で鮎哲賞を取った作者らしく、ご当地・群馬に根差した歴史推理の味付けも施しているところが「売り」か。こんな話。
幕末の勘定奉行・小栗上野介が赤城山中に隠したとされる徳川の埋蔵金。その行方について新たな証拠を掴んだと仄めかしていた郷土史家・戌塚洋次郎が、変死を遂げる。その死の数日前、戌塚にインタビューしていた歴史雑誌編集部員の伍代夏美とその叔父でカメラマンの伍代冬后は、インタビュー当日に届けられ戌塚を激怒させた「怨」という半紙の一件から、他殺を疑う。果して、地方テレビ局制作の討論番組で戌塚が嘲弄した論敵・水原の仕業なのか?一枚の謎絵が示すのは、財宝の在処?それとも、死に至る罠?。血の池伝説が語る、埋宝守の行方。損なわれた親指は如何なる罪の宿縁か。刑事の鬱屈。写真家の夢。雨の向うに散る飾り花。
練り込んだプロットや、宝捜し趣味には見るべき処もあるが、多重視点がリーダビリティーを奪い、読者の感情移入を阻む。全編これぎくしゃくとした雰囲気が漂い、御都合主義なわりに誰も幸福になれないすれ違いが欲求不満を募らせる。探偵役を務める写真家の屈託は、作者の心の反映か?電気店経営の行き詰まりやら、ビデオ撮影のアルバイトなどのくだりは、よく書けているが、もっと小説って楽しくていいんじゃないのかな?推理電網で読んでいそうなのは、郭公亭の若旦那ぐらいに違いない短調なマイナー作品。連城三紀彦への道遠し。(とかいいながら、連城三紀彦を一冊も読んでいないのは秘密だ)


2003年5月14日(水)

◆研修で、普段乗り慣れない電車に乗る。よし、次で下りるぞ、と思ったら電車が停まらない。その駅に急行が停まるのは昼の間だけらしい。

があああん。

一駅戻る。改札を出る時に、一瞬、往復切符を取り忘れたら機械に食べられる。

ひいいいん。

駅員に申し出て、機械の腹から回収。散々な出だしだなあと記憶を頼りに歩き出すが、どうも見馴れぬ道が続く。不安になって地図を見直したら、駅の逆方向へ歩いていた。

ひっくひっく。

半べそでとってかえすと、今度は開かずの踏み切りで足止め。

ああああ、なんてストレスフルな!!

このウッカリゆえの災厄が、昼休みに出遅れた挙句、食堂への道に迷い、逆方向の宿泊棟で途方にくれるまで続いた事はヒミツだ。
◆丸一日座学。なんとなく手がだるいぞと思ったら、そうか、一日中手書するという事が最近なかったよなあ。とにかく小学校で習うごく普通の漢字が出てこないのには参った。完全なワープロ文盲である。ローテクフィールド館の惨劇である。時間皆殺し。
◆新幹線で帰京。自宅についたのは、日が変わる直前だった。郵便受けを覗くと本の雑誌から今月号をご恵送頂いていた。毎度ありがとうございますありがとうございます。今月号特集のSF者スゴロク座談会には爆笑。全編これ「あるある!」の連続。また、とり・みきの2頁漫画が素晴らしい。いやあ、SF者でなくてよかった。この道、奥が深い。ぼくなんかまだまだです。SF双六には「福島正実の訃報が入る。香典を包んで一回休み」「ショート・ショートの広場に採用される。別の盤に移る」とかあるとオモシロいかもと思った。


◆「小林信彦60年代日記」小林信彦(白夜書房)読了
1959年から1970年までの日記からの抜粋らしい。自伝的小説「夢の砦」の補遺のような本である。翻訳ミステリブームやテレビの黎明期の熱っぽい雰囲気が伝わってくるのは行間からで、筆者はただ悶々と純文学への「鬱勃たるパトス」と自分を正しく評価しない世間への呪詛を書き連ねているだけのようにも見える。安保闘争へのシンパシーや岸信介批判は床屋政談の域を出ず、なんだかとっても「ふつ〜」である。
とはいえ、筆者が2、30代であの出版界や芸能界や映画界の巨人たちと切った張ったやっていたのは事実であり、「こんな面白い人生ってありかよ」と隣の芝生の鮮烈な青さに身悶えるばかりである。さらに、過去のちょっとした(役に立たない)裏知識を学ぶには適した本であり、
ヒッチコック来日時には芝のクレッセントで会食を行った、とか、
朝日ソノラマはソノラマが売れなくなったので出版を始めた、とか、
萩本欽一は実はただの小心者である、とか、
編集長自身ヒッチコックマガジン増刊号のガン特集は詰まらん仕事だと思っていた、とか、
常盤新平編集長時代にHMMでゴタゴタがあった、とか、
別室でもう少し詳しいお話でも、と誘いたくなるお話が満載である。本人としては説明の必要のない「日記」ゆえに、「へえ」っと感心しつつも隔靴掻痒感は残るが、そこで文句を言ってもはじまらない。とまれ、あの軽やかな文体パロディが斯くも凄絶な売文修業の果てにあったのかと思うと、納得できるような。


2003年5月13日(火)

◆結婚記念日だが、宿泊出張という無粋な巡り合わせとなる。仕事と時間に追われっぱなしの1日。なんとか指定をとって、新幹線に飛び乗り、やれやれと寛いでいたら、発車時刻に動き出したのは隣のホームの電車だった。

うわあああ!!!

まんまと乗り間違い。
恥かしいやら、焦るやらで、おお慌てで自由席へと移動。やうやく席を確保したと思ったら、喫煙車両だった。3分ほど座っていたが、異臭に耐え切れず、尚も前へ前へと突き進む。結局2号車の1列に着席。AC電源の取れる座席だったので、これも何かの思し召しと、パソコンを取り出し仕事に励んでしまう。ううう、結構な結婚記念日でございます。
◆奥さんからは、娘が初めて平面上で180度回転して、ティッシュペーパーを箱から3,4枚掴み出したわよ!!という報告がメールで飛び込んでくる。
おおお、なんかオモロそうである。
でも、そのうち香山滋全集を函から取り出し月報を掴み出すかもしれんと思うと喜んでばかりもおれんか?
◆引き続き、奥さんから、娘が「マイカー」で始めてのお出かけに成功したという報告が入る。
三越で、色々な人から可愛いと褒められ、奥さんとお義母さんは有頂天。娘は女店員さんに愛敬を振りまき「大きくなったらお買い物に来てね」と声をかけられていたそうな。10年早いぞ。いやホンマ。


◆「ゴルゴダの七」Aバウチャー(東京創元社)読了
アメリカを代表するミステリ評論家の処女作。まあ、日本で喩えれば、中島河太郎が若気の至りで探偵小説を書いたようなものである。訳書はこの版以外では出版されておらず、東京創元社の世界推理小説全集の効き目の中でも「学長の死」「首のない女」といった同じく本格ど真ん中の諸作と並んで人気の高い作品である。作中、クイーンのひそみに倣った「読者への挑戦」は出てくるは、カーの作品への言及はあるは、さながら京大ミステリ研系新本格作家を思わせるファン・ライターぶりが微笑ましい。その題名のオドロオドロしさからすると、些か拍子抜けなほど、真っ当なキャンパス・パズラーである。こんな話。
語り手のマーティン・ラムはカリフォルニア大学のドイツ文学研究員。各国からの留学生が住まう国際寮の彼の部屋で、突発的な酒盛りが行われていた夜、国際寮の住人であるクルト・ロスの叔父で偶々同大学を訪れていたスイスの非公式特使シューデルが大学の近所の路上で殺害される。そのかたわらに残されていた謎の図面。歴史学講師のポール・レノックスは、それがスイスに伝わる異端キリスト教「ゴルゴダの七」の象徴<七位一体>を表したものだと解き明かす。極めて現世的な動機が否定された時、鉄壁のアリバイを誇る容疑者たちを前に捜査は混迷する。マーティンの教官でミステリマニアのサンスクリット語教授ジョン・アシュウィンが容疑者を絞り始めるや、なんと第一容疑者が、素人劇のクライマックスで小道具に仕込まれた毒によって殺されてしまう。そして現場から発見される「ゴルゴダの七」!!果して邪なる七位一体の正体とは?読者よ、すべての手がかりは与えられた。
原題も古式ゆかしい「The Case of the」を冠したガチガチのパズラー。ただ真っ正直すぎるが故に、すれっからしのミステリマニアには、さくっとお見通し。クイーンや、カーといったマエストロたちの醸す「驚愕」からは程遠い。同じプロットでも、クイーンであれば、小道具一つでトンデモ論理を展開してみせ、犯人の意外さを強調したであろうし、カーであれば、ゴルゴダ教団の影をちらつかせ、密室の一つも作って淫靡にして濃厚なオカルティズムの演出を施したところであろう。確かに素晴らしくフェアではある。だが、ネタが見え見えの手品を楽しめるかと問われれば、それはまた別の話と答えざるをえない。邪教創造のセンスの良さに、クリエーターの資質を見る事もできるが、個人的には、HHホームズ名義の2作の方が好みである。キャンパスミステリであり、劇場ミステリでもあり、オカルトミステリでもあるというカテゴリーキラーな本格推理。探偵のキャラも立っており、フェアでもある。なのにどうしてこんなにわくわくしないんだろうなあ。
ところで、かつてこの作品を「ごたごたの七」と評した人がいたので、おっかなびっくりで読み進んだのだが、全然ごたごたはしてません。単に面白くないだけです。


2003年5月12日(月)

◆大阪日帰り急ぎ旅。20分余裕があったので、東京駅を一旦出て古書センターをチェックすると、小林信彦がまとまって出ていた。何が文庫落ちで何が珍しいのか判らないので、出版社がマイナーな本をとりあえず押える。
「60年代日記」小林信彦(白夜書房)700円
「私説東京放浪記」小林信彦(筑摩書房:帯)700円
自伝系に喜劇関係に映画関係に町並み関係とバラエティーに富んだラインナップに年季を感じさせる。集めだすと地獄をみちゃうんだろうなあ。
◆「大極宮」っていいネーミングだよね。「在京部」だとローカル企業って感じだもんなあ。新本格第一期京大トリオだとどうなるのかな?「綾月丸」というと妖剣って感じかな?「綾丸法」というと「長編が書けなくてごめんなさい」って感じ。
◆我が娘に自家用車を購入、って、勿論ベビーカーである。奥さんがトイザラスで2時間近く悩みに悩んで漸く決断してきたらしく、その間の勉強と葛藤を逐一ご報告頂く。今日一日ですっかりベビーカー博士である。イタリアンな原色を嫌って、おフランスなパステルカラーにしてみたのだ、エッヘン、という事らしいのだが、押している人の彫の深さが仏領インドシナって感じなんですけど。
とりあえず、実際に部屋の中で娘を乗せてみると、結構ご機嫌ちゃんである。視点が変わるのか面白いらしい。さあ、明日天気がよければ初乗りだあ!


◆「風水火那子の冒険」山田正紀(カッパノベルズ)読了
「阿弥陀」「仮面」で活躍した、可憐にして忙しい名探偵・風水火那子が登場する4中篇を収録した最新パズラー集。「中編ミステリとはどうあるべきか?」という問に対する作者なりの4様の回答集でもある。
「サマータイム」は、極めて限られた登場人物を用い、被害者探しも交えながら描かれたフーダニット。さながらフランスミステリの精髄を削り出したような作品だが、日本の猥雑な夏にエスプリが呑み込まれてしまい、砂浜のアクロバットは、着地が決まらなかった、という印象。
「麺とスープと殺人と」ご当地ラーメンが軒を連ねる激戦区に現われたその客は店毎に奇妙な食べ方をした挙句、死体となって発見される。「ラーメン職人が多すぎる」事件の裏に潜む隠された動機とは?所謂「端正なフーダニット」であり、パズルの条件がラーメンという食材に過不足なく昇華されていて吉。ただネロ・ウルフの贅に比して、なんとも貧乏臭い話なのはB級グルメの宿命か。
「ハブ」爆弾が仕掛けられたバスとともに雪山での高慢な美女殺しの謎は湾岸を走る。クイーンの短篇を思わせる三択クイズと、爆弾テロ・サスペンスのコンビネーション。不思議と危機を片っ端からねじ伏せる火那子の活躍が光る痛快作。三択クイズのメッセージ解析は強引に過ぎるが、サイドストーリーの捻りで合わせ技一本といった雰囲気。
「極東メリー」寒い国から来たメリーセレスト号。余りにも有名な海洋事件に極めて今日的な危機を絡めて、科学的に正しい解釈を示したあっぱれなトライアル。この人の筆にかかると、虚構が俄かに力を得始める。それにしても風水火那子って変な奴である。


2003年5月11日(日)

◆本宅の本をベッド下に移動するためにお片付けモード。45リットル入りゴミ袋で一袋分の紙ゴミが出る。
◆奥さんが母の日の買い物でお出かけの間、娘とお留守番。ご機嫌斜めなので、おむつ開けてみるが、綺麗なものである。ところが、とりあえず、おむつが外れている間は喜色満面。これこれ、はしたないぞ、わが娘。
で、もって、おむつをつけると再び不興を買う。ううむ。仕方がないので、kiroroを子守唄に抱っこしてネンネ体制へ。2曲で落ちる。やれやれ。
この子から「母の日」に感謝してもらえるようになるには、まだまだ時間が必要なのであった。
◆bk1で購入した本が届く。
「創元推理21 2002年夏号」(東京創元社)700円
「レオ・マレ自選集1 トルビアック橋の霧」レオ・マレ(文芸社:帯)1400円
「ポンプ室の闇」橋本明(近代文藝社:帯)1000円
買いそびれの創元推理21と、自費出版系を2冊。「レオ・マレ自選集」は第1期5冊が帯に紹介されているが、この1冊きりで終わったんだろうなあ。「訳者(=中野貞雄)あとがきにかえて」という一文が、著作リストも含めレオ・マレという職人作家を鳥瞰するには最適の文章。もっとレオ・マレを読んでみたくなる。とりあえず、積読の中公文庫からチャレンジしてみるか?「ポンプ室の闇」は「鹿の子昭和殺人事件」の人の同じく自費出版。茗荷丸さんが以前リサイクル系で拾っていたので、俺もと思ったが、全く遭遇しなかったので諦めて取寄せてみた。ふーん、こんな本だっだのね。


◆「八つ墓村」横溝正史(角川文庫)読了:再読
ふと枕もとにおいてあった角川文庫初版を読み始めたところ、やめられなくなって読みきってしまった。今更何の説明も必要もない戦後・横溝正史を代表する長編作品の一つである。野村芳太郎監督が松竹で撮った際のキャッチコピー「たたりじゃあ」は、77年の流行語となった。その頃に流行語大賞があれば、間違いなく掻っ攫ったであろう。原作では「濃茶の尼」の決め台詞なのだが、映画では山崎努の映像が強烈で、その迫真の演技に戦慄したものである。
で、この作品、推理小説としてみた場合には余り評価が高くない。「本陣殺人事件」「獄門島」「悪魔の手毬唄」の特Aクラスは勿論、「犬神家の一族」「悪魔が来たりて笛を吹く」「夜歩く」「女王蜂」あたりのAクラス作品に比べても精彩を欠いている。人気の岡山もので有るにも係わらずである。曰く、不必要に人が死にすぎる、金田一耕助の防御率(探偵の登場以降の被害者数)が悪すぎる、おまけに最後にいたって最初から犯人が判っていたんですよ、あっはっは、といわれてむかつかないミステリマニアはいない、一人称に拘った結果、クライマックスが盛り上がらないことおびただしい、等など、文句を付け出したらキリがない。なるほど、全くその通りである。だから、再読するまで、この作品は実話をベースにした道具立てが派手で扇情的なだけのミステリもどきであると思っていた。

だが、再読しての感想はこうだ。

「無茶苦茶面白いやん。」

さうなのだ。これがおもしろいのだ。途中でやめられなくなってしまうのだオモシロ本を求めてひいひい言いながら新作やら未訳作を追いかけている自分がアホらしくなるほど、面白いのである。
鳥取県と岡山県の県境にある一寒村「八つ墓村」。三百年の昔、尼子の落人八名が金に目が眩んだ村人の手で惨殺されてから、村は祟られた。中でも、襲撃の首謀者にして村一番の分限者たる田治見一族の当主には呪われた血が流れていた。大正年間、田治見家の当主要蔵は、嫉妬に狂い、罪のない村人三十二人の命を奪って、何処かへ逐電した。それから二十六年後、戦後の混乱が一段落した頃、神戸在住の事務員・寺田辰弥は、自分を探しているという弁護士の新聞広告に誘われ、艶やかな使者とともに、八つ墓村へと向う。だが、その旅立ちは最初から血塗られていた。本来の使者たる辰弥の祖父があろうことか弁護士と辰弥の目前で毒殺されてしまったのだ。明かされる辰弥の出生の秘密、そして新たなる殺人。西屋と東屋の確執、二本杉、双子の老婆、二人の尼、二人の医者、一対ずつの構図が崩される時、離れの屏風から僧は脱け出し、暗闇の中で武者が待つ。謎の絵図面が導く尼子の財宝、八幡の薮知らずの底、祟りは因縁を裁く。

戦後復刊された「新青年」に連載され、その廃刊とともに中絶、やがて完結編が「宝石」に掲載されたという。「さあ!いよいよクライマックス!」という段になって、淡々とした直接話法のうちに物語が収束されてしまうのは、そんな事情によるのかもしれない。しかし、そこに至るまでの間は、戦前の新聞連載小説を思わせる事件に次ぐ事件、不可解に次ぐ不可解の連続、まさに鍾乳洞の中を驀進するトロッコを思わせるノンストップ・エンタテイメントである。推理小説として見た場合、フェアプレイの美学もなければ、大向こうを唸らせる論理のアクロバットもない。が、悔しい事にこの物語はとてつもなく面白い。その怨念と情念に日本人としての血が沸騰してしまうのだ。もしも大デュマが日本に生まれたら、こんな話を書いたに違いない。正史は古巣である「新青年」に書く事で物語の原点に帰ろうとしたのだろうか?