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2003年3月31日(月)

◆旧聞に属する話だが、先週の朝日新聞の土曜版Beに大沢在昌のインタビューが掲載されていた。そこで、非常に驚かされた事がある。それは新人についての考えについて、

以下引用

「そう。それに「ハンディ戦だ」って、よく笑うのですが、今は、より新しい人にスポットが当たる時代です。僕らは、いわゆる「レベル並みの仕事」じゃダメで、もう1つ上の仕事をして、ようやく新人たちと肩を並べられるっていうんですか。」

引用ここまで

よく新人賞のコメントで「新人賞に応募する場合には、既存のプロの水準作を超えるインパクトが必要である」などと言われてきたのを見るにつけ、新人は大変なのだと思っていたが、大沢在昌の言によれば、その新人の応募作を更に超えなければならないのだという。これって、編集者の言い草なんだろうかね?それとも、プロにも一流とそうでない人がいて、大沢在昌は一流って事なのかな?

で、何も大沢在昌と比べよう等とは思ってはいないのだが、これって、ネットのサイトでもいえることかな?と思ったりしたもので。
◆最近、就眠儀式に森英俊氏の「事典」を読み返している。で、パット・マガーの項を読んでいて「あれれ?」と思ったのが、セレナ・ミードの実質上のデビュー編「ある日ベルリンで−」が連作短篇集「The Legacy of Danger」には収録されていない、という記述。翻訳された短篇バージョンを未見なので、なんとも言えないのだが、「The Legacy of Danger」には、ベルリン空港でマイクロフィルムの入ったマッチ箱を託されたセレナが危機に見舞われ、夫となるべき諜報員と出会うエピソードは収録されていた。単なる勘違いなのかな?とりあえず「重箱の隅の老人」しておきます。


◆「遺志あるところ」Rスタウト(光文社EQ所載)読了
ネロ・ウルフの第8長編。質が高いとされる、ウルフ・サーガ初期作の中で何故か10年前まで訳されてこなかった作品。「料理長が多すぎる」の原題も格言(船頭多くして船山に登る)だが、この作品の原題も「精神一到何事かならざらん」である。「ラバーバンド」のネーミングセンスといい、結構地口がお好きな作者である。意思(Will)と遺書(Will)を掛けているわけだが、それでいて、ネロ・ウルフが遺言状関係の仕事は絶対扱わない、と決めているというのがふるっている。それでも、結局関わってしまうのが、ウルフもののウルフものたる由縁である。ウルフの法律は破られるためにあるのである。
立志伝中の人ノエル・ホーソーンが、義弟の国務長官ジョン・ダンの別荘近くの森で狩猟の途中、事故死を遂げる。だが、ノエルの遺書は前代未聞の奇天烈なものだった。夫人のデイジーに50万$、三人の姉妹たちには果物一つ、そして愛人のナオミに700万$。いきり立つ未亡人は訴訟を起そうとするが、一族の名声を護るため三姉妹たちは、遺書を作成した弁護士プレスコットとその部下オズリックとともにウルフの元を訪れ、彼の力でナオミに遺産の半分を放棄するように仕向けられないかと持ち掛ける。断じてウルフ向けの事件ではないが財政逼迫のおり、好き勝手は言わせられない。ぼく(アーチ)がナオミを言いくるめウルフ邸にお運び願うや、ホーソーン一族が再集合しており、更にはクレイマー警部までが現われ、ノエルの死は殺人だったと告げる。一気に第一容疑者に格上げされたナオミ。ブラフの応酬と追跡。そして、疑獄の疑いを掛けられた国務長官がウルフに事件の捜査をしてきた。ベールに隠された顔、カーテンに潜む影、奪われる写真、不倫の連鎖、果してホーソーン家の名望は護られるのか?
これがクリスティーならば、事件は国務長官の別荘で始まり、被害者の甥が語り手となって、偶々近所に静養に来ていたポアロが探偵役を務める「お館様の事件」に早変わりするのであろう、と思えるほどに、小道具といい、キャラクターといい、見事に黄金期古典推理の「型」が踏襲されている。それが、スタウトの手に掛かるとこうなるんだねえ、と感心することしきり。いや、ミステリとしては実にしょぼい類いの話なのだ。しかし、こう膨らまされると、まんまと付合わされてしまう。第二の殺人が起きた際にアーチがウルフの卑劣な裏切りに遇うシーンなぞは爆笑ものだし、至るところで抱擁が起きるハッピーエンドも楽しい。クリスティー的世界にスタウトが挑戦した「異色作」として評価しておきます。


2003年3月30日(日)

◆浮上してみる。「もういい、お前はよくやった。もう充分闘った」と誰かに言って欲しかったのに、誰も言ってくれないんだもん。
◆ところで、彩古さん。交換本はお送り頂いたのでしょうか?
当方からの3月8日発信のメールは着いておりましょうか?
かれこれ半年越しの話なので、今更急ぐわけではないのですが、もしご手配頂いていたら、未着ですので事故の可能性があります。>私信
◆気がつくと、また13メガに近づいていたので、掲示板の過去ログを猟奇蔵に移設。リンク先のいわいさんのURL更新。べったりパソコンに貼りついて作業していたら奥さんのご機嫌を損ねたので、夕方からは若干の家事手伝い。夜も娘の寝かせ係を担当。購入本0冊。


◆「SFバカ本:黄金スパム編」岬兄悟・大原まり子編(メディアファクトリー)読了
「ステレオタイプ・ワールド」(安達謡)すべてが「お約束」の格好で「お約束」の台詞を吐き「お約束」の行動をとる世界の中心で何が起ったか。イマ時のSFであれば、最後の2頁は絶対に入れないところ。いやあ、懐かしい誠意である。
「はなのゆくえ」(矢崎存美)あふぁおきゅうとふぁながなふなっていた。という話。いや、だから、朝起きると鼻がなくなっていたんだってば。いつもの矢崎ほんわかSF。「はなはどこへいった」にして欲しかったかも。
「秒を読まれる」(大庭惑)どこからか聞こえる残り時間。それが切れてしまった時、男に訪れる決断の時また時。おお、この作者、まだちゃんとSFを書いていたんだ。三国志本だけでしか見掛けなくなったので、心配していたけれど、こういう書き手に機会が与えられるってのはいいですな。
「とんべい」(岡崎弘明)この人もまだ書いておられたのですか?和み系ファンタジーの世界は健在。びっくりはないが、美しい話である。
「ムカつく男」(藤水名子)ダメを絵に描いたような男。人にたかり続け、エロ小説で口に糊する男が見舞われた災厄とは?なるほど、これが駄目男か、と思わず深く頷いてしまった。救いようのない話だが、この作品集の中では最も印象深い作品である。
「旅人算の陥穽」(東野司)トラック便が消え、マラソンのトップランナーが消えた街角。そこに表示されたものとは?今、算額の怨念が時空を歪め、刑事たちを異界に招く。シリーズ作品なのだが、この理科系ギャグ(?)にはついていけない。
「収獲」(岬兄悟)最初は足音だった。それが足の裏になり、下肢になり、やがて女の下半身になり、、、エスカレーションの果てに愛は何処へ転がる。予想を裏切るラストの展開に戸惑う。破綻している。
「実存うにゅーくん」(小室みつ子)小室みつ子って小説書くんだ、と驚いた。しかし、これは商業誌に載せる品質ではないような気がする。中学生が学内同人誌の締切に追われてかいたような話。


2003年3月29日(土)

◆気がついたら古尾谷雅人が自殺していた。印象に残っているのは実写版の金田一少年(初代)の剣持警部役で、長身でえらく格好の良い「剣持のおっつあん」だよなと思った。金田一つながりで行くと、確か映画「悪霊島」でも主役級だったように記憶する。金田一耕助をやるにはいかにも背が高いが、卑しい街を行く私立探偵のイメージには嵌まる人だったのではなかろうか?自殺の原因として金銭トラブルが浮上しているようだけど、人気稼業ってのも大変みたいですのう。合掌。
◆録画しておいた「世にも奇妙な物語」を視聴。5本中3本のオリジナル脚本の中では飯島直子・仲村トオルのロボットものが頭一つ抜けている。東野圭吾原作の「超・税金対策殺人事件」は、西村雅彦が、ハワイ旅行からすき焼きの材料までを経費で落すべく自作を破壊していく売れっ子推理作家を好演、小林泰三原作の「影の国」では大杉漣が貫禄たっぷりに<影の薄い観察者>を演じており、ラストまで緊張感を失わなず切れ味の良いショッカーに仕上がっていた。


◆「語らぬ講演者」Rスタウト(岩谷書店)読了
ネロ・ウルフ登場の戦後第一作は、こんな話。
ウルフの鼻は、米国工業協会の晩餐会でスピーチを行う筈であった物価安定局のブーン局長が会場であるアストリア会館の控え室で殺害された事件に金の匂いを嗅ぎ付ける。関係者の元にアーチを派遣し、まんまと高額で工業協会トップからの依頼をとりつけたウルフが探索に乗り出すや、最後に生きている被害者の元に講演用の小道具を持ち込んだフィビー・ガンサーの証言に疑いが出てくる。死の当日に被害者が吹き込んだ筈のステノフォンのシリンダーが何者かによって持ち去られたのだ。ブーン側の部下と遺族、工業協会のトップたちがお互いを疑う中、ウルフの元に一通の密告状が届き、アーチを行方不明のシリンダーの元へと誘う。だが、それはもう一つの死へをも呼び出す契機となった。なんとウルフ邸の玄関先でガンサーまでが殺されてしまったのだ!講演者は語らず、シリンダーは語る。
戦時経済の軋みの中で起きた物価安定局長殺しにウルフが挑むという設定は社会派の香りが漂い、闘う作家であるスタウトの面目躍如たるものがある。しかし、日本の読者としては唯一存在する千代有三の翻訳が学生の英文和訳調で、読破には相当苦労を強いられる。多少のワケの判らなさを乗り越えて読み飛ばす技術を駆使しなければ前に進めない。勿論、原作にはあるのであろう会話の妙は、全く伝わってこない。ネロ・ウルフ・サーガで、無駄口の応酬を楽しめないという事は物語の半分を失ったも同然である。更にミステリとしての伏線も杜撰な翻訳に埋没してしまい、サプライズがない。是非改訳を臨みたいところである。


2003年3月28日(金)

◆この土日は職場のレイアウト変更である。机の上のものは段ボール箱にいれて行き先を書いておくのだが、ある課長さんは空にしたゴミ箱まで積めている。
「そうそう、よく引越しの時になくなるんですよね」
「頭いいでしょ?」
「<おばあちゃんの知恵>って奴ですねえ」
といったら、私より年配の女性係長がぽつりと
「おばあちゃんって誰?」

き、きまづい、、

◆お使いで途中下車。ついでに定点観測して安物買い。
「皆殺し」Lブロック(二見書房)100円
「夢を見るかもしれない」RBパーカー(早川書房:帯)100円
「『ミステリーの館』へようこそ」はやみねかおる(講談社青い鳥文庫)100円
d「『探偵趣味』傑作選」ミステリー文学資料館(光文社文庫)100円
d「『シュピオ』傑作選」ミステリー文学資料館(光文社文庫)100円
d「妖魔の宴 ドラキュラ編1」菊地秀行編(竹書房文庫)100円
d「血の季節」小泉喜美子(文春文庫)100円
今更にして、パーカー版マーロウが「プードル・スプリングス」以外にもあった事を知る奴。「大いなる眠り」の続編らしい。映画化する時は「四つ数えろ!」でどうよ?
ミステリー文学資料館の第一期がそろそろ100円均一落ち。可哀相なのでつい拾ってしまう。一揃い百均で作ってみたいものである。それにしても、気がつくと教養文庫のミステリボックスを全然見掛けなくなったなあ。プロがセドリに走っているんだろうか?


◆「『ミステリーの館』へようこそ」はやみねかおる(講談社青い鳥文庫)読了
食いしん坊で不精という点ではネロ・ウルフに引けをとらない名探偵・夢水清志郎の最新作にして第10作。今回は、二重の袋綴じという前代未聞の企画本。単に作者が「一度やってみたかった」というだけの手間の掛かる趣向を実現した編集部に敬意を表しておこう。
前回の「人形は笑わない」が今一つの出来映えで、本当に作家専業で大丈夫か?という疑念を呈したが、今回の作品は、再び夢水探偵譚の水準に戻った感がある。袋綴じという企画を実現するために、リキを入れて書いたのだろうか?
物語は、亜衣の自作推理「六月の雨は〆〆密室」に始まり、引退したマジシャン・グレート天野が作ったテーマパーク「ミステリーの館」での一幕の後、アドベンチャーゲームよろしく清志郎以下三姉妹にレーチが招待された「真の『ミステリーの館』」へと舞台を替える。彼等を迎える仮面のグレート天野夫妻とその看護婦、ゲーム製作者と霊能力者、そして幻夢王を名乗るものからの脅迫状。その予告通り窓のない最上階の部屋からの人間消失事件が起き、更に、館は「嵐の山荘」状態となってしまう。ご馳走を食べる機会を奪われた怒りを幻夢王にぶつける夢水探偵。そして民俗学者の卵の名推理。だが、赤い夢はまだ始まったばかりであった。
「ああ、この作者は推理小説が大好きで、その楽しさを子供たちになんとかして伝えようとしているんだ」という事がひしひしと伝わってくる作品。人間消失トリックは大がかりで、更にツイストの効いた心理トリックも御見事。楽屋落ちの蘊蓄も微笑ましい。ライヴァルはマンガ。「名探偵 コナンに飽きたら 清志郎」って事でしょうか?


2003年3月27日(木)

◆ふと「お悔やみのメロディー電報」があったら厭だなと思った。
◆朝から大阪で会議の連荘。終了後、駅前第4ビル地下を定点観測。
「怨と艶」源氏鶏太(集英社:函・帯)200円
d「キリオン・スレイの生活と推理」都筑道夫(角川文庫)100円
以前に図書館で借りた源氏鶏太の文庫落ちしていない怪奇小説集を函・帯ごとゲット。値段も値段だし、ちょっと嬉しい買い物。キリオン・スレイも元版でしか所持していなかった1冊。角川都筑クエスト1歩前進。蝸牛の歩みだけどね。
◆帰りの新幹線。新大阪駅のコンビニで買い求めた弁当を食べようとすると、があん、な、なんと箸が入ってないではないかあ!!うわあ、やられたあ〜。
仕方がないので自宅まで持って帰る。何が悲しうて、大阪のコンビニ弁当を千葉まで持って帰らなアカンねん!!生暖かい気温で痛んでなきゃいいんだけど。

くだりもの ひかりのはやさで ぼうそうへ


◆「料理長が多すぎる」Rスタウト(ハヤカワミステリ文庫)読了
今更ながら、前の方から読む事にしてみたネロ・ウルフの第五長編。日本での初出は別冊宝石でスタウトの紹介としては最も早い部類、更に1976年にハヤカワミステリ文庫入りしてから、今日まで絶える事なく現役本でありつづけたという希有な作品であり、ネロ・ウルフ全作中最も日本人に親しまれた話と言ってさしつかえあるまい。世界を代表する15人の名料理長が5年に一度、一堂に会してその腕を競うという企画の最中、料理長の一人が殺害される。美食探偵としてのネロ・ウルフにこれほど相応しい舞台はないであろう。
「15人の名料理長」(3人死亡・2人欠席故に10人)の5年に一度の会合がリゾート地のカノーワ・スパーで開催される。その企画に友人の料理長ヴュクシックから招待され最終日にスピーチを依頼されたネロ・ウルフは、この名誉に贅肉を震わせながら汽車の旅に挑んだ。車中から名料理長ベリンの得意料理のレシピを聞き出そうとしては手酷く撥ね付けられるウルフ。アーチはたかがソーセージのためにベリンのご機嫌取りに走るウルフの姿を見ていられない。ベリンの開放的な娘コンスタンサの秋波を偶々同乗していた若手郡検事トールマンの方へそらせたアーチ。事件は初日の晩餐後の趣向の最中に起きた。嫌われ者の料理長ラスジオが、別室に用意した9つの同じ鳥料理からそれぞれ欠けている調味料を当てるという企画の途中で、何者かに殺害されてしまったのだ。容疑者はラスジオに料理を模倣された料理長たち、中でも自分の妻ディーナを奪われたヴュクシックの恨みは深い。或いは、ラスジオの後釜を狙う弟子の仕業か?翌日乗り込んで来たラスジオの雇用主であるホテルの支配人リゲットの魅力的な申し出を蹴り、スピーチを終えるや直ちにニューヨークに戻ろうとするウルフだったが、彼が警察に与えたヒンからベリンが逮捕するに至って俄然張り切りだす。僅かな証言の矛盾から、事件の目撃者を炙り出すウルフ。果して彼は自宅を遠く離れた保養地で、僅か48時間の間に首尾よく真相を暴く事ができるのか?
贅沢で完璧な黄金期推理小説。この洒落っ気が堪らない。今でこそ、漫画のおかげでフランス料理やグルメなんぞ小学生でも語れるが、1938年にこれだけの蘊蓄とオリジナルなレシピを盛り込んだミステリがあった事自体、奇跡である。出てくる料理の美味そうなこと。しかも、意外な犯人を律義に登場させ、加えて、ウルフの口を借りて人種差別に一石を投じる。またアメリカの料理に対するスタウトの誇りも微笑ましい。これぞグルメミステリの嚆矢にして、文句なしの最高傑作である。日影丈吉の偉そうな解説もなかなかよろしい。シェフの御勧め、である。「王様(レックス)のレストラン」、である。
それにしても木枯し紋次郎が「あっしには関わりねえこって」といいながら事件に関わるように、自宅から一歩もでないのが売りのウルフも相当に外回りをこなしてんじゃない?


2003年3月26日(水)

◆夜から大阪に移動。購入本0冊。
◆聞いた話である。
うちの奥さんは最近読み聞かせに熱心で、いつもはブルーナの「うさこちゃん」やら、風見詩織さんからお祝いに頂いた「お月さまこんばんは」を読んでいるのだが、今日は英才教育とばかり、生後二ヶ月の愛娘に「声に出して読みたい日本語」を読み聞かせてみたそうな。
そうしたところ、娘が普段にもまして、きゃっきゃと喜ぶではないか!
「まあ、うちの子って天才?」と盛り上がる奥さん。

しかし、5分後に、実はウンチが沢山でたのを喜んでいたらしいことが判明する。

なあんだ、肥えに出して読んでいたのね。

それだけかい。ほい、それだけだああ。


◆「氷柱」多岐川恭(創元推理文庫)読了
またしても恥かし読書。乱歩賞作家の乱歩賞ではない処女作。河出書房が倒産直前、「探偵小説名作全集」の別巻用に募集を行った際の佳編2作のうちの一作だったそうな。ちなみに佳編のもう1作がかの仁木悦子の「猫は知っていた」。なにやら、クイーンの「ローマ帽子」とマイヤーズの「殺人者はまだこない」の関係を彷彿とさせるエピソードである。
閑話休題、不死鳥の剣の如く甦った河出書房新社から、上梓されたこの作品、いま読んでも全く古さを感じさせない大人のファンタジーであるのには驚いた。こんな話。
雁立市の一角、広大な敷地にひっそりと居を構える静かなる男、小城江保。その世捨て人は青年時代から「氷柱」と呼ばれていた。だが、その凍った時間は、少女の轢き逃げ死体との遭遇により、溶かされていく。写真の如き観察眼と、怜悧なる推理力は、あっけなくも氷柱を真犯人の元へと導く。そして墜ちた高嶺の花の過去を探るうちに、浮かび上がる究極の悪。今、氷の炎は青く燃え、裁きの刻が訪れる。
今から40年以上前に「ハングマン」が書かれていた事に素直に驚く。痛快な復讐譚でありながら、立派なフーダニットにもなっているという希有な構成が素晴らしい。まさに「死の接吻」並みのアクロバットである。いかにも作り物めいた設定が、若さの秘訣というべきか。時代設定や物価を手直しすれば、充分に平成の新刊としても通用する。更にいえば時代小説にもリライトできるかもしれない。憎いね、この。
まあ、しかし、日々真面目に悪の道で研鑚してきたオヤジたちが、一介の素人に斯くも徹底的に粉砕されるというのは、痛快である反面、若干、御気の毒のような気がしないでもありませんな。はい。


2003年3月25日(火)

◆「ポール」と言われて「アルテ」でも「ドハティー」でもなくて「牧」と答えてしまう私は、普通のオヤジだと思う。

あ〜ああ、やんなっちゃった、あ〜ああ〜ああ、おどろいた。

それは牧伸二だ。

◆定点観測で、安物買い。
「SFバカ本 黄金スパム編」岬兄悟・大原まり子編(メディアファクトリー:帯)100円
「SFバカ本 天然パラダイス編」岬兄悟・大原まり子編(メディアファクトリー:帯)100円
「ダンスホール・ロミオの回想」Jヒギンズ(ハヤカワ書房:帯)100円
「『クロック城』殺人事件」北山猛邦(講談社ノベルズ)100円
d「装甲騎兵ボトムズ」(朝日ソノラマアニメ文庫)100円
帯の煽りによればヒギンズのハードカバーはヒギンズ流「スダンド・バイ・ミー」だそうな。なんとなく文庫落ちしてなさそうなので、拾ってみた。絶対読まないだろうなあ。
◆「金田一耕助シリーズ・人面瘡」をリアルタイム視聴。原作は30年前に一度読んだきりなので、殆ど内容を忘れている。死体移動のメイントリックだけは「おお、そういえば、そんな話だっけね」と記憶の底の方で、ぼうっと輝くものがあったが、こんなブラックジャックのみたいな話でしたっけね?ううむ。宝捜しのくだりで金田一がはしゃぎすぎるのがやや興醒めだが、まずは手堅い造りと申し上げておきましょう。生誕百周年企画としては、この辺が打ち止めでしょうか?


◆「鬼のすべて」鯨統一郎(文藝春秋)読了
ショート感想。著者お得意の蘊蓄推理。被害者を鬼にみたてた連続殺人事件が勃発。一見、無関係な被害者たちを繋ぐミッシングリンクとは?友人を殺された女刑事が、上司の虐めにめげず、「日本から鬼をなくすこと」をライフワークとする元敏腕刑事ハルアキとともに、鬼のすべてを探索し、真犯人の心の闇を暴く。消えた鬼研究の第一人者。消えたオニヤンマ。そして消えない鬼。果して「オニ」の真実とは?
鯨統一郎、リッパーものに挑戦。強引なまでの見立てへの拘りが、古今東西の鬼蘊蓄と相俟って、狂的な犯罪と探索が加速する。短篇では難しい、蘊蓄とプロットの有機的な係結びが、物語の説得力を補強しており、結末まで破綻なくまとまっている。
私にとっては本格推理でリッパーものといれば「アレ」なのだが、基本プロットの相似は、偶然の符合か、敢えての「挑戦」か?まあ、作者のファン層は、翻訳推理を読まない人も多かろう。名探偵の奇矯ぶりも様になっており、まずはフーダニットとしての水準をクリアしていると評価しておきます。御勧め。


2003年3月24日(月)

◆もりもり残業。ずるずる花粉。購入本0冊。
◆けいかほうこく
いよいよかふんのきせつがやってきました
はるくんのきせつです
はるじゃのーです
あたまがどんどんわるくなっていくのがわかります
これからはうちのむすめとちえくらべです

はあっくしょん!はあっくしょん!はあっくしょん!
ぼくはくしゃみをさんかいしました。
「ぷりぷりぷりぷり」
むすめはおならをよんかいしました
むすめのかちです


◆「たたり」雨宮町子(双葉社)読了
小説推理に連載された新潮ミステリ倶楽部賞受賞作家のモダンホラー。
友人の会社が所有する別荘をタダ同然で借りる事が出来、意気揚々と創作活動に励む夫婦。ハンサムな夫はSF作家。清楚で若さを失わない妻は翻訳家。しかし、その別荘には、呪わしい過去があった。小説家を志した男爵の次男坊が、欲望の赴くままに、放埓の限りを尽し、弱き者を蹂躪した屋敷。その闇が滲み出す時、健啖と卑屈が若い二人を侵し始める。更に2組のアベックが屋敷を訪れた時、惨劇の準備は既に整っていた。
ずばり、和製「シャイニング」である。予知能力を持った少年は出てこないが、小説家が建物の念に取り込まれ、血の雨を降らせるというプロットは、誰が見ても「シャイニング」である。更に、現代の風俗を日用小物や流行を用いて点描していく手法も、そのままキングである。「なるほど、キングを日本語でやるとこうなるのか」と半ば感心しながら読み進んだ。しかし、このラストは頂けない。余りに理に落ちない。消化不足である。結局、この作品で描かれた「闇」の正体とは何だったのか?何故この悲劇が起ったのか?ホラーに求めるべき筋合いではないのかもしれなが辻褄が合わないところだらけなのである。
恩田陸のパクリには、「私ならこう書く」という意欲があり、そこが「あの名作と同じような話が読みたい」という小市民的惰弱からも、「その上で一捻りがみてみたい」というマニアックな偏屈からも歓迎されるところなのだと思う。ところが、この作品にはそれがない。キングを写すので精一杯、最後にはへなへなとカタストロフでゴメン。努力賞は与えられても、プロ作家のハードカバー作品の品質ではないと感じた。


2003年3月23日(日)

◆3連休の最後。朝餉の支度、布団干し、部屋の掃除、散髪、持ち帰り残業、育児などで一日が終わる。一ヶ月前にトイザラスにて17999円也で買ってきた揺り椅子(商品名はなんと「ベビーシッター」!!)で初めて娘を寝かせる事に成功する。奥さんは「やっと役に立った!!」と大喜びで記念撮影までする始末。
いや、そこまで喜ばんでも。
◆朝、「仮面ライダー555」の録画に失敗。原因はテープ残量の確認忘れ。
ついでに、先週録画した「HR」もうっかりミスで消しており、「スカイハイ」の最終回は放映時間変更で尻切れ録画だった事が判明。長い間、ビデオの録画をやってきたが、これだけ短期間にバラエティーに富んだチョンボしをやらかしたのは初めて。如何に、生活における「録画」の位置づけが下がってきているかの証左であろう。
まあ、どれも半年も経てばビデオ化されそうな話ばかりなので、絶望感は少ない。世の中変わりましたな。世の中変わったといえば、今更「ビデオテープに予約録画」の時代でもないのかもしれないし。


◆「氷結の魂(上・下)」菅浩江(徳間ノベルズ)読了
勿体無くて読めなかった作者の初期長編ファンタジー。当時既にドラクエの大ヒットや、アニメとの連動によるヤングアダルトの隆盛によって、消費され、蕩尽されてしまった「ファンタジー」というジャンルに敢えて挑戦したとする作者の意気や良し。だが、皮肉にも、敢えて一石を投じた筈の一作は、見事なまでの様式美を誇る作品に仕上がってしまった。こんな話。
火と地の神ベイモットとの契約により、滾々と湧き出る湯、そして咲き誇る花々。至福の都リアチュールは、今年も神への懇請の時を迎えていた。長年、巫女役を務めてきた母王妃に代わり、初の大役を担う王女ガレイラ。だが、あどけなさと威厳を拮抗させた美姫の微笑みは、氷の魔王グラーダスの矢によって奪い去られる。魔に魅入られた姫は、自らの手を明けに染め王位を簒奪するや、至福の街を恐怖と魔力で氷点下へと封じ込めていく。異変を探るため、泉の国キアンの第二王子ゼス率いる同盟諸国の使節団がリアチュールに入城したとき、遥かなる神々の闘いの幕は切って落された。無邪気なる火の巫女、促成される花枝の乙女、不敵なる商才、氷の神殿に四人の使徒は集い、天駆ける無骨が友情を試す。契る者、裏切る者、あやめる者、惑わす者、人は人であるが故に脆く、そして尊い。極寒の権謀の果てに、滅びよ、古き神話。
スガヒロエ版ラグナロクの物語は、人間的な鬱屈が縺れる戦乱絵巻き。正直なところ、あの意表を突いた結末がない状態でブラインドテストされれば田中芳樹作品と勘違いしてしまったかもしれない。神々までが人間臭く、氷結の四使徒との闘いは、さながら「聖闘士星矢」のアスガルド編を彷彿させるノリ。更に心を別たれてしまうヒロイン:ガレイラには、「ガラスの仮面」の劇中劇「二人の女王」のイメージが重なる。およそスガヒロエ作品には、どこかサイエンスの香りが漂っているのだが、この作品に限っていえば、それを感じなかった。そこが「書下ろし長編ピュア・ファンタジー」の「ピュア」たる由縁か。四使徒の一人<水沍>の正体というミステリ的な興味も引っ張りながら、神々の黄昏にして払暁を描いた痛快読み物。どうして徳間は自分のところで出した本をデュアル文庫に入れないのだろうか?


2003年3月22日(土)

◆図書館へ借りていた本を返却して、新しい本を借りてくる。育児で身動きのとれない奥さん用にも何冊か借りてくる。普段チェックしない家族学だの旅行記だのといった棚を眺めていると新たな発見があって楽しい。久しぶりにヤングアダルト棚を覗いてみると、なんと新書版の少女漫画が3列分ぐらい並んでいて驚く。半年前には無かったと思うのだが、これも時代なのかなあ。
◆買い物に出たついでに新刊書店もチェック。金欠につき、雑誌をチェックしたのみでシッポを巻いて退散。ジャーロは15ブックオフだし、SF JAPANなんて17ブックオフだよ。


2003年3月21日(金)

◆久しぶりに別宅にダンボール3箱分の本を運び込む。しかし、本宅の方がちっとも片付いた気がせんのは何故だ?
◆お使いの問い合わせの待ち時間を利用して船橋の古本屋をチェック。
「ロボットの夜」井上雅彦(光文社文庫)100円
「スキップ気分」塩沢兼人、間嶋里美、塩屋翼(朝日ソノラマ)100円
「フランス中世艶笑譚」森本英夫訳編(社会思想社・教養文庫)100円
何もございません。「フランス中世艶笑譚」はジャンル外なのだが、教養文庫のこういう本も軒並み絶版かと思うと、寂しさもひとしおで発作買い。
ジャンル外といえば、「スキップ気分」はアニメ文庫の第20巻。塩沢兼人のファンだったので「追悼買い」ですか。演じた中で一番好きなキャラは「ブンドル局長」でした。
◆「本の雑誌」から6月号の締切の連絡が入る。今回はゴールデンウイーク進行で早目の締切なのだそうな。うーん、もうそういう時期なのか?ともあれ、先日5月号の原稿と相前後して仕上げた話を速攻で送稿。まんまと一番乗りである。


◆「水族譚 動物童話集」天沢退二郎(大和書房)読了
作者の初期童話を集めた作品集。蛙や蟹や小猫を主人公にしながら、お馴染みのダークな作品世界が展開される。一編一編が短い分、「物語」に対する作者の思考実験が露になっており、起承転結の精華である推理小説に馴らされた水脹れの頭には、「これで終わりかよっ?!」というストレスがぶしゅぶしゅうと蟹の泡のように湧き上がってくるのだった。
神の名を騙る魔物との凄絶な闘いを描いた「夜明けのカニ」
海の神に翻弄される子猫の成長物語「子猫の冒険」
路にまよった魚の逃避行「まよいみち」
小さな世界の終末譚「海べの蟻」
同族殺しにして古典的クエストの世界「どじょっこ『オレ』の冒険」
子としての生き様と死に様を幾重にも描いた「蛙と青い<しるし>の宝石」
生存と復讐の悲しい方程式「ひき蛙の涙」
究極の悪と友情の相克をスリリングに描いた「迎えにきたカモメ」
知恵ある木霊の英雄譚にして、やや掟破りの「くもとこだま」
かわうその奴隷となった殿様蛙の見た光の唄「蛙の歌」
縮尺の狂った世界で、蛇が遭遇したもう一匹の自分「蛇とひまわり」
壮大な陰謀と裏切りを描いたのどかな寓話「蛙の神と猫王子」
昔ながらのいじけものの美しき末路「虻とダリア」
何がが来る、その恐怖がみずからを恐怖に変える「ザッコの春」
なんちゅうかどれもこれも「ホントに恐ろしい天沢退二郎」なのであった。
私的ベストは「なんじゃこりゃ?」の逆転が凄まじい「蛙の歌」かな?
猫が悪役になる「蛙の神と猫王子」も簡潔なまでの残酷さが偉い。あとは自分で考えましょう。ちゅうか、こんな本、どこに行ったら売っているのだろうか?出てた事もしらなかったよ。

尚、二編オマケでついているエッセイのうち、「<悪意>のファンタジー」は「<悪意>の活性化こそが、ファンタジーの端緒となる」と説くもので、ミステリとファンタジーとのアナロジーを考えさせられた。