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2003年3月10日(月)

◆大阪出張。キタを定点観測するが、これといった買い物なし。
◆実家に帰って、父親相手にパソコン講習。近く、母親も生協が主催するパソコン講習会に参加するとかで、いよいよ実家のデジタル・デバイドも解消へと大きく一歩を踏み出した模様。このサイトも益々迂闊な事が書けなくなってきそうで、、、一概に、サイトの主宰者というのは、自分の御両親に覗かれる事覚悟でやってるんでしょうかね?


◆「啄木鳥探偵処」伊井圭(東京創元社)読了
石川啄木をホームズ役に、金田一京助をワトソン役に配した連作短篇集。第3回創元推理短篇賞受賞作と第2回の応募作で、書下ろし3編を挟み込んだ構成。
石川啄木といえば、山田正紀の「幻象機械」が真っ先にアタマに浮かんでしまうところが、わたしの偏狭な読書経験の現われなのであるが、啄木のイメージというのは「日本的な、余りにも日本的な」「貧しくも懐かしい日本」である。ところが、ここに描かれた啄木は、相当にその作風のイメージからはかけ離れた俗物で、なにかといっては金と時間とタバコをせびられる金田一先生に心から同情してしまうのであった。丁度「モーツアルトは子守唄を歌わない」のベートーヴェンとチェルニーの掛け合いを読んだ際のように、自分の頭の中の偉人のイメージと作中人物たちの姿のすり合わせをギシギシやりながらの読書は辛いのである。
歴史風俗推理としての書込みは丁寧であり、トリックもフーダニット趣味もそれなりに合格点を与えられる。特に、浅草凌雲閣に踊る赤い女の幽霊奇譚が、悲恋の顛末と交錯する受賞作「高塔奇譚」は、オカルトの必然性が美しく、情感豊かに綴られた浅草風景とも相俟って嫋嫋たる余韻を約束してくれる快作であった。
人食い人形と道ならぬ恋情の果てを描いた「忍冬」も、伏線の張り方に一工夫あって、魅せる。
島田荘司はだしの大胆な空中浮遊トリックを駆使した「鳥人」も努力賞であるが、この伏線は少々あからさまに過ぎたかもしれない。
「逢魔が刻」に仕掛けられた幼児連続誘拐事件の真相は、余りにも犯罪として危険と報酬のバランスが悪く、トリックのためにするトリックという印象。
「魔窟の女」は、啄木の死後の金田一による回顧談という趣向が泣けるが、救われない物語を「とある趣向」で後口よく仕立て上げようとしているものの、ややあざとさが感じられて、素直に騙しの妙に酔えなかった。
全般的に、非常に生真面目に推理小説をやろうとしている姿勢には好感を抱いた。このままミステリの感性を持ち込んだ時代小説の方に進めば、需要は大いにあるように思う。


2003年3月9日(日)

◆奥さんと娘が昼寝をしている間に二日分の日記をアップ。
◆出張の座席指定で駅前へ出たついでに新刊書店でいつもの雑誌を2冊。
「ミステリマガジン 2003年4月号」(早川書房)840円
「SFマガジン 2003年4月号」(早川書房)890円
HMMはピーター・ラヴゼイの特集、SFMは人気作家の競作と双方とも充実のラインナップ。HMMではウエストレイクの短篇に加え、芦辺拓の連作短篇もスタート。隔月連載ぐらいで載るのかな?余り連載をやった事のない人なので、どうなることやら。作家インタビューの伊坂幸太郎にも好感。よく細切れの時間であの「オーデュポンの祈り」のようなふんわりした作品を書けたものである。でも、子供はいないと見た。


◆「石の中の蜘蛛」浅暮三文(集英社)読了
嗅覚・視覚に続く聴覚ハードボイルド。
交通事故での頭部打撲により、激烈なまでに聴覚が鋭敏になった男が、何かに駆られるようにしてマンションの以前の住人である「幻の女」を捜し求める、彼女の肢体を思い、彼女の聴いた曲をなぞり、孤独な男の探索は続く。だが、それを喜ばない者がいた。度重なる襲撃、略取される高師小僧、抑圧された声、与えられた名前、奪われた金、白地図が塗潰された時、そこにある姿は蜘蛛だ。
人探し小説の歴史に新たな一頁を加えたクロスオーバーな異色作。例えば、音の捜査官を扱った話というのは、これまでにも存在した。盗聴に潜む淫靡や隣から洩れ聞こえる声が招く罠を描いた作品もあった。しかし、現在の音の歪みから過去の音を解析し、それを視覚的にまで再現する特異体質の持ち主を主人公にした作品はなかった、と断言しよう。失われた筈の音から再現される、幻の女の放恣な姿や嬌声はどこまでも官能的であり、丁度、暗闇の中での交合のように、読む者の劣情を刺激せずにはおかない。
ただ、そこに描かれた犯罪そのものは些か凡庸であり、魔法が解けた後の落差が惜しい。更に申せば、もし、これが「嗅覚」であったならば、更に生生しい(一般受けする)官能小説になったのではなかろうかと思え、「それは一回やったので」と新たな感覚に拘った作者の矜持が惜しまれる。この作者の作品にはいつも言う事ではあるが、変な話が好きな人はどうぞ。


2003年3月8日(土)

◆録画しておいた今週の「最後の弁護人」。大法律事務所の所長役の竜雷太が秘書殺しの容疑をストーカーに押し付けて、自らは鉄壁のアリバイをもって阿部ちゃんに挑んでくるという刑事コロンボ・パターン。「へえ、結構やるねえ」と思ってみていたら、まんま刑事コロンボの某著名エピソードだった(コロンボが初めて正装したあの回です、あの回)。ったく、最近のテレビドラマ製作者には意地ってものがないんだろうかね?尤も、テレビ創生期にも「死の接吻」をぱくったドラマを流した局があったらしいけど。日本のドラマをパクって恥じない韓国のテレビ界を全然笑えませんな。はい。コロンボの精神を再現した「古畑任三郎」が、いかに質の高いドラマだったかを再認識しちゃったぞ。
◆前夜放映の「スカイハイ」第八話視聴。いよいよ3話連続の最終章に突入。秋吉久美子・佐野史郎・石橋漣といった渋い役者を使いながら、イズコの存在そのものを問う血の奇縁が綴られ始めた。ゲスト女優の山田麻衣子のシャープな面立ちをみていると、釈なんぞより、遥かにイズコ役に向いている(っちゅうか、原作のイメージに近い)ように思えてなりませぬ。佐野史郎が演じる推理作家の著作がずらりと本棚に並んでいるシーンでは、つい目が題名を追ってしまう。余り真面目に見ていなかったドラマだけど、推理小説ネタとあってはあと2話分、目が放せませんなあ。


◆「黄金豹・妖人ゴング」江戸川乱歩(講談社乱歩文庫)読了
戦後の少年探偵団としては中期に属する2編だが、既に初期作の光輝は失われており、解題の中島河太郎も辛口で切り捨てている。「黄金豹」は「人間豹」の少年探偵団バージョンではなくて、衆人環視の中で宝石を食らい、札束を掠めていく神出鬼没の黄金に輝く豹と小林少年の闘いを描いた一編。クイーンの消失ものの短篇や、ザングヴィルの著名作を頂いたトリックを使いまわしながら、それでも辻褄は合わせようという意欲は感じられた。
それが「妖人ゴング」になると、もういけない。大空に浮かぶ巨人の顔、ウオンウオンと銅鑼の如く響く笑い声、そして、少女探偵一家に迫る危機!!今、少年探偵団のチンピラ別働隊が立ち上がる、てな話なのではあるが、はっきり言って、先の事を考えて書いたとは思えない脈絡のなさ。なぜ、巨大な顔や大音声を用いたのかという必然性の欠片もない、こけ脅かしのためにするこけ脅かし。更に、冒頭で颯爽たる少女探偵を設定しておきながら、只管逃げ回るだけの存在としてしか用いる事のできなかったのは、一瞬でも「これは」と期待した大きな御友達としては、肩透しも甚だしい。更に、クライマックスでの犯人の醜態がこれまた、敵役マニアからも非難を受けそうな出来。ヤッターマンじゃないんだから。
まあ、しかし、仮に傑作の誉れ高い(個人的にも今の鑑賞に耐えると思っている)「怪人二十面相」と「少年探偵団」しか、昭和30年代以降出版されてなかったりすれば、これはこれで、数万円の値段がついてしまうのかと思うと、とりあえず、大事に現役本として出し続けてくれている出版社に敬意を表しておきたい。ただ、名探偵コナンや金田一少年に親しんだ今の子供が、この子供だましの世界に帰ってきてくれるとも思えないのだが、、、


2003年3月7日(金)

◆二日酔。凄い雨。真っ直ぐに帰る。
◆昨日の飲み会で「最近読まなくなった作家」の代表として宮部みゆきの名前があがった。宮部みゆきと西村京太郎を比べると、最初はいれ込んで読んでいたものが、ある頃を境に読めなくなってきたという点では共通する。しかし、カッパのトラベルミステリで金鉱を掘り当てて以来明らかに粗製濫造モードに入ってしまった西村京太郎に対し、宮部みゆきは品質的にデビュー当時に劣るものを書いているわけではない。むしろ、その文章力や、作品世界の広がり、構想力、キャラクターの造型などは確実に進歩している。
しからば、読めなくなった理由は何か?曰く「あざとい」「教科書通りである」「エンタテイメントを経験した事のない人が生まれて始めて接するのであれば、そりゃあ感動するわな」などと続いて、つまるところ「俺が読まなくても、誰かが読むだろう」なのであった。売れすぎ、って事ですな。
裏を返せば世の中には「俺が読まなきゃ、誰が読む?」という意気に感じる作品があるということになるのだろうが、これは、やはり鼻持ちならないビブリオ・エリート志向なのかな?しかし「ジョン・ランプリエールの辞書」だの「ウィルキー・コリンズ傑作選」だの「地球礁」だの「紙葉の家」だの、そういう人が支えないと持たない本てえのがある事も事実だしなあ。まあ、「紙葉の家」と「模倣犯」を併読しながら、双方を楽しめる人ってのが、理想なのかもしれないんだけど。
◆奥さんが子連れで里帰りモードなので、積録ビデオの整理。「熱烈的中華飯店」を3話分、視聴。うーん、完全なる「王様のレストラン」の劣化コピーだよなあ。ここまでのパクリが許されてよいものであろうか?それでも、なんとなく見せられてしまうんだよなあ。我ながら頭悪いよなあ。


◆「赤い箱」Rスタウト(ポケミス)読了
「腰ぬけ連盟」と「ラバーバンド」の後に位置しながら、どちらよりも先に翻訳が出てしまった作品。いずれも佐倉潤吾訳ではあるが、一体誰がどうのような基準で翻訳の順番を決めていたのか気になるところではある。「名探偵の目の前で、依頼人が殺されるという」設定には、(被害者には申し訳ないが)何か心弾むものがある。それは、犯人の残虐さや大胆さを読者に思い知らせると同時に、これでどんなものぐさな探偵でも自らの威信を掛けて真剣勝負に挑むであろう、という期待が我々をワクワクさせるのであろう。中期の未訳長編で「Too Many Clients」という作品もあるが、これはこれで「依頼人が多すぎる」事件。こんな話。
ニューヨークでも一流の婦人服店で、美人モデルの一人モリーが青酸カリ入りアーモンド菓子によって毒殺される。容疑者の一人と目された同僚モデル・ヘレンの従兄リュー・フロストは、彼女を救うべく、ウルフが断わりきれない紹介状を携ええて、西三十五番通りの家を訪れた。しぶしぶながら事件を引き受けたウルフは捜査に行き詰まっていたクレイマー警部の了解のもと、事件当日の状況を再現し、殺しの真の構図を炙り出す。どうやら、ヘレンが間もなく迎える21歳の誕生日をもって引き継ぐ、彼女の亡父の莫大な遺産が、事件に一役かっているらしい。やがて彼女の過去と現在に深く関わっていた人々に毒殺魔の魔手が迫る。ヘレンの雇用主であり、彼女の母カリダの友人でもあったボイデン・マクネアーは、ウルフに遺産執行を依頼に来たその瞬間、ウルフの眼前で悶死してしまったのだ。果してボイデンが言い残した「赤い箱」の在処とは?そして、連続殺人の真の動機とは?
常連キャラクターに慣れてきたために、すんなりと作品を楽しめた。一旦馴染んでしまうと、ストーリー展開の上で挟雑物にしかみえなかった料理に関する蘊蓄なぞも、却って筋運びに余裕を持たせる演出に思えてくるから不思議だ。序盤からの大がかりな心理実験は、黄金期のミステリとしてはなかなか画期的な印象を抱いた。翻って真犯人の邪悪さは大時代がかっており、乱歩やルブランあたりを彷彿させるノリ。ウルフの企みや、アーチの機知など、探偵側も一筋縄でいかず、読み飛ばしのきかなさは相変わらず。よーし、今年は、翻訳が出ている分ぐらいは読んじゃるぞお。


2003年3月6日(木)

◆さあ、日記の更新でもすべえ、と思って5時に起きると、赤ん坊がぐずりつづけて、妻は徹夜状態だった。そりゃ大変、と子供を預り1時間半ばかりあやしつづける。7時前に寝てくれたので、出かけようとすると、また「ふぇーーん」という泣き声。あっちゃ〜、すまぬ、妻、あとは任せた。
◆アマゾン探検。ポール・ドハティーの4月新刊「Murder Imperial」は古代ローマが舞台らしい。うーん、遂にリンゼイ・デイヴィスの聖域に殴りこみをかけるのかあ。ついでに7月新刊の「The Gates of Hell」は、アレキサンダー大王ものだそうである。ちぇっ、アセルスタンかと思ったら違うんだ。無念である。もう、アセルスタンものは書かないのかなあ?
◆飲み屋のクーポン券の有効期限が今週で切れるので、一杯呑みませんか?とEQFCのMoriwakiさんに声を掛けたところ、忽ち飲み会成立。風見詩織さんとEQFCのS女史も参加が決まり、東京駅の近くで賑やかに3時間半を過ごす。
刑事コロンボ話(えー、コロンボには二大視聴者クレームというのがありましてえ、とか)
EQ話(EQ 30分Murderring チャイナ橙の逆さ仕立て、まず御用意頂くのは、とか)
EQFC話(詰まらないとか、いろいろ意見が言える、だからクイーンは凄い、とか)
サンリオSF文庫話(「鳥の歌、ハローサマー、逆転、夢幻会社」かなあ?)
御勧めの日本作家話(「柳広司かな?」「奥泉光とかもまあ」「京極夏彦」「姑獲鳥が」「魍魎が」「狂骨が」「鉄鼠が」「塗仏が」とか)
その他、SR話や育児話など、濃密な時間を過ごす。帰りの電車も含めて、思い切り喋り倒す。ああ、楽しかったあ。


◆「完全脱獄」Jフィニィ(ハヤカワミステリ文庫)読了
恥かし読書。実は「フィニィの推理小説」はこれが初体験。ファンタジーやSF作品には一通り眼を通しているが、それだけに「あのフィニィの脱獄ミステリ」というのがピンとこなかった。だが、一読して認識を改めた。これは、隅々まで緊張感の張り詰めた鮮やかな監獄小説であると同時に、読む者にえもいわれぬ胸キュン体験を約束するあの懐かしいフィニィ小説でもある。
塀の外の一組の男女。彼等は自らの生活を投げ打って一人の囚人を脱獄させようとしていた。兄であり恋人であるその囚人の命は今や風前の灯火だった。見栄ゆえの小切手詐欺、プライドゆえの暴力、悪循環は殺人未遂を招き、犯人探しの輪は刻一刻と狭まって来る。周到な手配、大胆な潜入、難攻不落のコンクリートの壁の向うで奇手と錯誤の脱出プロットは動きだす。だが運命は、小さな綻びを切っ掛けに大きな選択を男女に迫る。誰も自分の人生から脱獄はできない。
序盤の計画、中盤の実行、終盤の破綻と申し分のない筋運び、そして、最後の対決と逆転が、全ての様相を一変させる。さながら、暗室の中でのドラマが白日のもとに晒されたかのような、騙し絵感覚を読者にもたらす。それはイリュージョンへの訣別、人生の真実の始まり。ああ、フィニィはこれが書きたかったのか、とホウっと小さな溜め息をつく、立ち向かう勇気、困惑する恋心、叶わなかった夢、そして人は現実の重さと折り合いをつけていかねばならない。上手いなあ。


2003年3月5日(水)

◆6時に起きると、赤ん坊がぐずりつづけたとかで妻は徹夜状態。「後はお願い」と、落ちるようにして寝入る。1時間ばかり子供のお相手。子供のご機嫌は回復しており、にこにこと天使の微笑みを浮かべている。
と思いきや、ぷりぷりぷりっと音がする。うみゅう。そうか、それがそんなに嬉しいのか?君は?
オムツを換えてから出社。
◆定点観測。
「一瞬の人生 [仕掛けと謎]の楽しみ」関口苑生・香山二三郎編(講談社)200円
◆赤ちゃんは昼間はずっと寝ていたらしい。久しぶりに夫婦二人でのんびり夕食が取れる。余りにもささやかな幸せ。妻は、すっかり赤ちゃんの泣き方をマスターし何種類も演じ分けてみせる。こうして母子の濃密な関係は作り上げられていくのだなと感心したり。


◆「火の国特急」島田一男(徳間文庫)読了
2中篇に1短編が入った鉄道公安官シリーズ。きちんとしたプロのお仕事というのは、安心して読める。東京公安室所属 海堂次郎捜査班長は、何故か、事件の先々でアダっぽい美女と混浴したり、気のいいストリッパーとよろしくやったりしながら、警視庁の鼻先で意外な事件の明かしていくのであった。
九州の小藩の埋蔵金伝説が現代に甦り、欲望の果てで滅びていく人々を描いた表題作、
乱歩ばりの箱の中の首無し美人事件の顛末を描いた「なだれ警報」、
特急のトイレという密室の中で毒死していた男の謎を追う「午前0時東京発」
いずれも、見事なまでの勝利の方程式である。なるほど、パターンを舐めてはいけない。表題作のミスディレクションに驚き、「なだれ警報」の折り目正しいフーダニットに唸り、「午前0時〜」の巡る因縁に嘆息する。いい仕事である。
キオスクで売りんさい。電車の中で読みんさい。電車を降りたら忘れんさい。


2003年3月4日(火)

◆突然ですが、ミステリサイトのCF案。

シーン1:眠れる森の美少女

シーン2:通りかかったINOさんが、少女の耳に何かを囁く

シーン3:INOさんを見つめにっこり微笑む美少女

ナレーション:コネタを起す。

アイキャッチ:“Inovation, Mystery!!”イノミス 

いや、イノベーション・ミステリーってのがちょっと格好いいかな、と。

◆浮上してみたら、女王様がサイトを開設しておられた。ハイセンスな中に邪悪なレア本趣味が顔をのぞかせている。

♪時の過ぎ行くままに〜、好みを任せ〜

あ、フクさんところに、累計アクセス数で抜きかえされてらあ。諸行無常、生者必衰。

♪窓(Windows)の景色もかわっていくだろう


◆「迷宮学事件」秋月涼介(講談社ノベルズ)読了
「月長石の魔犬」でメフィスト賞を取った新人の第2作。中篇が売り物の「密室本」としては厚めの作品で、このままもう少し薀蓄やら暗号へのこだわりを盛り込んで、200ページ長の長編に持っていくことも出来たようにも思うが、これはこれで潔し。こんな話。
迷宮を遡行する生命。ミノタウロスの館の地上と地下に死体はあった。隻腕の建築家は、瞑想の間で乳飲み子へと還り、文字曼荼羅の中で果てる。その妻は閉じられた部屋の中で血の海に沈む。死が擬制される時の果て、館に集う病める探偵たち。記憶の重さに苛まれる二つの魂。迷宮画家の非対称。子宮という名の迷宮で闇と光明に至る道は唯一つのみ。
第一作を読んでいないのでなんなのだが、京極夏彦の劣化コピーという印象の作品。探偵チームの設定が、京極堂(怜悧な博学)や関口(気弱な純情)や木場修(生成りのがらっぱち)の影を引き摺っており、中核となる謎が「姑獲鳥」を思わせる赤ん坊がらみのオカルト、加えて、(迷宮と迷路に関する)薀蓄の披瀝と、まあ、数え上げれば切りがない。そして、そのどれもが当然の事ながら京極堂の域には達していない。京極夏彦のような他の追随を許さない語りの体系がそこにはない。ただ、二重の密室の解法や、凝った章立てには、独自のセンスの良さも感じさせ、商業作品として及第点を与えられる。京極堂が帰ってこないうちに、どんどんこのレベルで作品を出してもらえれば、かつてDQが出るまでのつなぎだったFFが立場を逆転したようなマーケティングも可能ではなかろうか?とりあえず、第1作を読まなくちゃという気にさせる作品であった。


2003年3月3日(月)

◆皆さん、お久しぶりです。先週の木曜日から、休暇をとって、南の島で、妻と愛娘の3人で、バカンスを満喫してきました。街に出ては旨いものを食べて、古本屋で激レアな原書をゲット、読書もモリモリ進みました。いやあ、愉しかったなあ。

というのは真っ赤な嘘です。んなわけ、ないじゃん。日々、育児と飯米に追われてました。はい。

1日1冊をなんとかこなしながら、とりあえず日記も綴りながら、後1時間余裕があれば、感想を書いてアップできるのですが、その1時間が捻出できません。とほほ。
やはり無理なのか?
もう諦めたほうがいいのか?
二度とふたたび立ち上がる事はできないのか?

とりあえず、6日間分の日記を一気にアップ。せえのお、どん!

◆女の子の節句である。今日はめでたい雛祭りなのである。最近、うちの娘は母乳が行き渡ってぷんぷくりんの下ぶくれになってきた。まあ、お雛様っぽい顔立ち!!>親バカちゃんりん
奥さんの実家で、大人どもが白酒で乾杯。なんとなく人が多いと娘も嬉しそうである。食後には雛人形を入れてデジタルムービーで撮影三昧。購入本などない。


◆「殺しも鯖もMで始まる」浅暮三文(講談社ノベルズ)読了
密室本。泡坂妻夫を思わせるお洒落な不可能と笑いが満載の快作。これが、本格推理初体験なんだから参る。
ここほれワンワン、ゴンがなく。北海道の土の中、卵の形の空洞で、死者が遺した「サバ」の文字。奇妙な即身魔術師は、いかにして土中に入ったか?どうやる(HOW)?どうして(WHY)?誰がまた(WHO)?謎また謎の怪事件、挑むは奇妙な葬儀社員。英文和訳の比喩が舞い、奇術師たちは部屋の中、縛って縛って縛られて、御縄になるのは何色か?ジャック・ロビンソンと言う前に、読者よすべての手掛りは与えられたとグレが言う。
伝言もMで始まる。奇跡もMで始まる。これが中編だなんて実に惜しい。この軽みは本格好きのツボを突く。ここ10年間で書かれた中では、最も優れた奇術推理ではなかろうか?名探偵の言動がこれまた笑える。これは大人の読み物。左脳でニヤリとして、右脳は爆笑だ。トリックはやや無理めだが、これはこれでファンタジック。もっと書いて。


2003年3月2日(日)

◆奥さんの実家で慢性的な睡眠不足を解消して、お弁当まで持たせてもらい、別宅に本を読了本等を搬入、返す刀で本の雑誌用の本を搬出する。
◆別宅にはEQFCのクイーンダム最新号が到着していた。会費が切れているにも関わらず、お送り頂きありがとうございます。来週には、必ず振り込ませて頂きます。
今号の目玉は、リンクとレビンソンのテレビシリーズ「エラリー・クイーン」の没脚本。のちに「ジェシカおばさん」の1エピソードとして製作されたらしい事は海外のファンサイトの情報で知っていたが、まあ、よくこんなものを手に入れてくるもんです。へえ〜。
SRマンスリーの最新号も到着していた。今回は、年間ベスト投票号。まあ、新刊は数を読んだわけではないが、参加する事に意義を認めて、投票してみーよおっと。中味は殆どが年間リストだが、バリンジャーの「煙で描いた肖像画」に関する戸田氏の瑣末な考察が面白い。成る程ね。沢田氏の十蘭な日々も、当り前のような書痴ぶりが流石である。こちらも会費の払い込み用紙同封。はあ〜、何かと物入りだよなあ。
◆真剣に「本の雑誌」の原稿を書く。勢いで二ヶ月分やっつける。最初に思いついたネタの裏取りが間に合わないので、急遽もう一本でっち上げる羽目になったのである。ああしんど。まあ、来月は楽ができそうだけど、、
◆あとは、お持ち帰りにした会社の仕事をしこしこやる。


◆「浦賀和宏殺人事件」浦賀和宏(講談社ノベルズ)読了
密室本。これまで、この人の本といえば「彼女は存在しない」とかいう森博嗣の煽りも痛々しいハードカバーしか読んでいなかった。依井貴裕ばりの「やりたい事とやれる事の差が甚だしい」作品であった。
ところが、この中編は凄い。はっきりいって傑作である。
開巻即のエピローグ。読者は、浦賀和宏が殺人を犯した事を知る。そして、本編。密室本の原稿依頼に追いつめられ、本格推理とその書き手、ネット書評家を呪うお馴染みの浦賀和宏の姿が一人称で描かれる。挿入される二人の男の出会い。そして「YMOを聴いた男達」。密室の扉が閉じられた時、全ては仕掛けのためにある。
武闘派らしい呪詛にカチンときたら、お前はもう死んでいる。や〜ら〜れ〜た〜。御見事。完璧。この作品は浦賀和宏の血と肉で描かれた魂の叫びである。また作中作の作り込みや、好事家のための注にも大笑い。身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ。なんと格好いい作品であろう。絶賛!


2003年3月1日(土)

◆慢性的睡眠不足。日記を書こうとするが、感想に辿りつく前にチカラ尽きる。図書館行ったり、おむつを替えたり、洗い物したり、朝御飯の準備をしたり、洗い物をしたり、買い物に行ったり、
◆夕方、氷雨の中を奥さんの実家へ。義弟殿が出張のついでに里帰りとの事で、夜は赤ちゃんをサカナに大宴会。ロゼのシャンパンなどを空け、ビールもしたたか飲んで、爆睡してしまう。購入本0冊。


◆「The Eleventh Plague」Norman Berrow(Ward Lock)finished
在豪不可能犯罪派のノーマン・ベロウの17作目は、シドニーを舞台にした通俗サスペンス。題名は、旧約聖書にあるモーセの「十の疫病」に次ぐ「十一番目の疫病」の意。原題で検索すると、99年に角川書店から刊行されたマー&ボールドウィン作「モーゼの遺命」なるバイオ・サスペンスの近作がヒットしてしまうので、糠喜びしないように。キリスト教文化圏では普通の表現なのであろう。さて、この作品、これまでのスミス警部ものに代表される真正面からの不可能犯罪ものを期待すると、肩透しにあう話。一応、衆人環視のレストランからの人間消失だの、小箱の消失だのといった小さなネタはあるものの、テイストとしては、クリスティーの「茶色の服を着た男」「七つのダイヤル」などの長閑系陰謀譚を思わせる作品である。つまり、本格推理ではないが、それなりのツイストやサプライズは仕掛けられているということで、通俗サスペンスといっても鷲尾三郎のそれのような何の驚きもない凡作とは貫禄が違う。

シドニー港に停泊したフランス船「Bir Dakeim」号から一人の髭の男が降り立った。彼の名はカルメッツ。遥かカイロからの長旅をこなしてきた彼を迎えに来た男は、仕事相手となるアーナッドの元へとカルメッツを誘う。波止場を少し入った橋の袂の暗がりに「アーナッド」は居た。「荷」は既にシドニーにあるとして、その受け渡し法を「アーナッド」に告げるカルメッツ。ナポレオン通りの商会にフィッシャーなる男を尋ね、受け出した荷を持って「緑のワライカワセミ」なるナイト・クラブに向かいビッグ・ジョーを尋ねよ。だが、話が終わった時、カルメッツは話相手がアーナッドではなく、他の男だった事に気が付く。だが、時既に遅く、「アーナッド」はカルメッツの息の根を止めていた。それが、シドニー警察をきりきり舞いさせる大密輸事件の発端であった。
その二日後、殺人課のビル・ウエッソン刑事はアッシュ街のフランス料理店の上にある「<鷲の目>探偵事務所」を尋ねていた。港に遺棄された死体の身元調べに、私立探偵が扱う失踪事件を洗っていたのだ。所長にしてただ一人の探偵ジェームズ・スプリングは、不承不承、捜査に協力し、ビルは、カムストックなる不倫夫のファイルに眼を停める。事務所で秘書を務める少女マーリンは、ビルの軽口に辟易とし、叔父のドノヴァン夫婦が経営する下宿宿<デュニーン>へと帰る。下宿人は、踊り子のアローラ、ラジオ俳優のモンタギュー・ベルモア、そしてアローラにぞっこんの事務員フィッシャー。ある夜、フィッシャーはマリーンを誘って、アローラのショーを見た後に、「緑のワライカワセミ」へと向う。だが、そこで彼は何者かによって昏倒させられてしまうのであった。更にカムストック夫人の交通事故死によって、事件は急展開していく。果して「十一番目の疫病」と呼ばれる「荷」の正体とは?そして謎のビッグ・ジョーとは?陰謀者たちの企みは、一人の素人に翻弄され、黒衣の男は、誰にも見えない扉を抜けて虚空へと消える。

全体の三分の二までは、凡そ緊張感のないサスペンス。はっきり言って梗概の書きようのない散漫さなのである。もってまわった人間関係と偶然の悪戯のみによって、単調にしてセコイ犯罪計画が延々と綴られる。一体何が謎で、誰が探偵なのかが掴めないままに、話が推移する。しかも、中盤で犯人グループの正体も、「荷」の正体も割ってしまい、「オイオイ一体どうすんだ」という不安に駆られる。だが、そこからがこの作品の本領発揮である。人間消失に、あっと驚く真犯人。しかも一応伏線が敷かれていた事がおもむろに判明する。なるほど、作者はこれがやりたかったのか、と最後の10頁で漸く納得がいった。シドニーの大らかな雰囲気もなかなか吉。しかし、まあこれほど途中で投げ出したくなったベロウ作品は初めて。我慢強い人以外には御勧めできません。