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2003年1月31日(金)

◆新刊買い。
「HMM 2003年3月号」(早川書房)1750円
「SFM 2003年3月号」(早川書房)890円


◆「鷲尾三郎名作選」日下三蔵編(河出書房)読了
これは毀誉褒貶あるだろうなあ、という鷲尾作品の復刊。相当数が、種々のアンソロジーに採られているため、中級コレクターにとっては有り難味が少ない作品集。しかし、新しい読者にとっては格好の鷲尾三郎入門書である。で、正直な所、これで卒業しておくのが一番シアワセかもしれない。これは鷲尾作品の中でも最も本格推理のテイストに溢れた作品群であり、この作品集を以って鷲尾三郎という作家を「誤解」すると、ここから先は只管「労多くして功少なし」「トホホに万札」状態に陥っていく。仮に貴方が勝目梓や門田泰明を欠かした事のない通俗作品愛好家か、珍しいという理由だけで本を読める絶版効果中毒患者でもない限り、悪い事はいわない、ここですっぱり鷲尾作品とは縁を切った方が良い。と、書いておけば競争相手が減るにちがいない。いひひひひひ。なにせ、私レベルのコレクターでは、巻末リストの26冊中13冊しか所持していないのだ。道は遠いのだ。
閑話休題。個人的ベスト3はトリックの大がかりな「風魔」「文珠の知恵」「妖魔」でしょうか。ちっとも感想になっとりませんな。


2003年1月30日(木)

◆少し仕事を溜めてしまったので残業。購入本0冊。うーん、まだSFMはおろか、HMMさえ買ってないぞ、っと。

◆「腰ぬけ連盟」Rスタウト(ポケミス)読了
恥かし読書継続中。これまで、何度となく試してみては「どうも趣味に合わない」と敬遠してきたビッグネームの代表作である。で、結論から言うと、この作品でスタウトに対する苦手意識がようやく払拭できそうである、つまり面白かった、というわけである。物語のテーマは「虐め」と「復讐」という、今の世でも、それこそ宮部みゆきあたりが好んで使いそうな題材である。こんな話。
ハーバード大学時代に、1年生を一種の「しごき」でびっこにしてしまった男達が、それから二十年間、その被害者への贖罪を行うために結成した「贖罪連盟」なる組織が舞台。そのメンバーが一人、また一人と不審な死を遂げていく。判事は崖から転落し、美術商はニトロで毒死する。そしてメンバー毎に送り付けられた二通の「詩」は、いまや一流の小説家となったかつての被害者ポール・チャピンの心の痛みと復讐を詠ったものであった。その緊張感に耐えかねて、メンバーの一人である心理学者ヒバートが失踪した。ヒバートの姪からの依頼を受けたウルフが出馬するや、叡智と叡智のタフな闘いの幕は切って落される。血塗れのエチオピア妻。歪んだ高潔。欺瞞に咲く贖罪。箱の中の手袋。そして新たなる死。果して、ウルフはチャピンの自白を引き出す事ができるのか?
凝りに凝った設定。10名を越える「贖罪連盟」のメンバーを書き分ける筆力。逆転に次ぐ逆転のプロット。複数探偵の織り成す捜査の綾。そして、威風堂々たるウルフと活動家アーチの友情。これは傑作。結局、ネロ・ウルフが駄目だったのは、ウルフを始め登場するキャラクターの頭が良すぎるところだったのかもしれない。私のオツムの出来では、まるで自分が馬鹿にされているかのような印象を受けてしまうのだ。丁度、日本人作家で申し上げれば森雅裕作品のしんどさに通じるものがある。読者の読み飛ばしを封じる作風とでも言うべきか。いつもより精読するつもりで取りかかった所、その作風の妙が(片鱗なりとも)理解できたような気がする。あと、シリーズ探偵は時代順に読めという鉄則も再認識。この作品で、アーチの危機に際してウルフが取った行動があればこそ、後年のアーチのグチをグチとして楽しめるのであろうから。


2003年1月29日(水)

◆通院の事情から、本日中に命名を終えて区役所と会社に届け出なければならない。朝から会社には「役所に届け出行きます」と半休をとり、奥さんの実家で親族一同知恵を出し合う。まさか会社の方でも、まだ決まっていないとは夢にも思うまい。私は字画担当で、ここまでもあれこれ漢字を当てはめる事に汲々としてきた。そもそも、私の名字は「変人」の奇運があって余り良い字画ではないのだが、せめて他の画数だけでも良くしてやろうというのが親心である。
デッドラインは10時。こういう時には地口やこじつけの技術は余り役に立たない。ダイイング・メッセージと違って、名前は誰からも素直に読んでもらえてこそ機能するものなのである。名前は当人にとって一生のものであり、そこに親としてのストーリーを盛り込んでやりたい。聖書や讃美歌も引っ張り出し、田舎の親戚の知恵も借りながら音での候補を幾つか並べる。その候補を絞り、文字選びに腐心する事1時間半、ようやく名字以外の4つの卦の全てで最高の字画が判明する。
いや、実はそれが最高の字画である事は相当最初の段階から判っていたのだ。問題は些か大胆に過ぎるのである。うちの実家の承認が得られる可能性に疑問があって、対象外にしていた「禁じ手」であったのだ。しかし、最早それに掛けるしかない。時間がないのだ。祈るような気持ちで実家に恐る恐るお伺いを立てると、案に相違して、即決。
おお、やったあ。
書式を整えて役所に提出し、その脚で出社して人事への届も済ませ臨時の仮保険証をゲットする。よかったあ、間に合った。
◆夜は奥さんの実家で命名の儀式の真似事をして宴会。なにせ普通の筆をもつのは二十年ぶりの事である。緊張はしたが、なあに、この数日間、僅か二文字を選ぶ事に費やした苦労や切迫感に比べればどうという程のものではない。酒が美味い。
◆ちなみに親として込めた思いは「生きろ」である。
◆読者よ全ての手掛りは与えられた。


◆「夜は千の目を持つ」Wアイリッシュ(創元推理文庫)読了


2003年1月27日(月)・28日(火)

◆予定していた名前が、当方の実家の抵抗に遇い、頭を抱える。夫婦二人で決めれば良い事とはいえ、双方のジジババからも太鼓判を貰っておくに越したことはない。しかしまさかそこまで敬遠されるとは思わなかった。なるほどいわれてみれば我がオヤジの云う事にも一理あったので、他の名前を考える事にする。幾つもアイデアを出すのだが、一進一退が続き、気力体力ともに限界にあった奥さんと拗れる。ネットをやっている場合ではない。古本を買っている場合ではない。

◆「帝国の死角(天皇の密使・神々の黄昏)」高木彬光(角川文庫)読了


2003年1月25日(土)・26日(日)

◆母子ともに無事退院。奥さんの実家で二日間フルに新米パパをやる。新米パパと心配ママは似ていませんかそうですか。
◆子供の名前がまだ決まらない。後々「子供の名前も決めずにサイトの日記を更新していたのか、おめえは!」と子供から見放されるのもイヤなので、名前が決まるまでの間、実質的に日記を休みます。あしからずご了承の程を。


◆「大いなる幻影」戸川昌子(角川文庫)読了
◆「少年探偵王」芦辺拓編(光文社文庫)読了

つぎつぎとむかしのたんていしょうせつをはっくつしてきたあしべたくせんせいがしょうねんたんていしょうせつをふっかつさせてくれました。これがぶんこぼんでよめるのですから、よいこのみなさんはとてもいいじだいにうまれたとおもいます。
さんじゅうねんまえ、おおさかで万こくはくらんかいがひらかれたころ、21せいきをよそくしたしょうがくせいのうちのだれが「わらうにくかめん」や「きゅうけつこうもり」がほんやさんでかえるとおもったでしょう。とにかくまだこんなさくひんがこんなにゆうめいなせんせいたちにのこっていたのかと、ただただおどろいてしまいます。
しょうねんたんていだんでゆうめいなえどがわらんぽせんせいは、なんどもおなじはなしをかいているのがよくわかりました。
たかぎあきみつせんせいのかみづきょうすけのちょうへんしょうせつもとてもねうちがあります。ふるほんであればいちまんえんもするおはなしです。いちまんえんといえば、それだけであざぶにおやしきがかえるだけのかちがあるということです、とまでいうとちょっとおおげさでしょうか。
ほんかくすいりのぎょうしょう(ぎょうしょうというのは、うりあるくことではなくて、えらいしょうぐんさまのことです)あゆかわてつやせんせいのたんぺんはさすがにできがよくてほっとします。どうしてもっとのせてくれなかったのでしょうか?
ビリーパックのかつやくがよめるのも、うれしいことです。もしかすると、このおはなしがふるほんやさんではたかいかもしれません。どんどん、かつじをよむひとたちがへっていますから、30ねんごにおなじようなきかくがあれば、きんだいちしょうえんやコナンくんのたんぺんがほとんどになっているかもしれませんね。そのなかであしべせんせいのしょうねんたんていしょうせつだけが「もじ」でかかれたものになるかもしれませんね。


2003年1月24日(金)

◆「猟奇」が韓国ではトレンディーらしい。以前からマシマロ猟奇うさぎとかいうキャラクターがヒットしていると聞いていたが、全然可愛くないんだわ、これが。そして話題の韓国映画「猟奇的な彼女」でも、主演女優は隣のお姉さん系の顔立ち、アメリというよりはブリジット・ジョーンズのようなものなんでしょうか?まあ、とにかく、てーはみんぐにおいては何がいいのか判らないんだけど、時代は「猟奇」なのだ!!(そうな)。
日本では佐藤春夫が「Curious Hunting」の翻訳として「猟奇耽異」の語を当てたというのが定説であり、「奇をあさる」というのがそもそもの意味。決して淫靡・猥褻・変態・不道徳といった言葉の親戚ではなかった。韓国での「猟奇」も、「変わった」「奇矯な」ぐらいの意味らしいので、日本での現在の用法よりもそもそもの方に近いようである。
では、今世界で最も猟奇なサイトは何処か?と、グーグルで全言語の頁を「猟奇」検索すると(嘘みたいな話だが)拙サイトが一番にヒットしてしまう。
ぐあああ。違う、なんか違うぞ。
でもまあ、トップページに「獄門島」の逆さ吊りの絵を貼ってあるので、中身はともかく第一印象は現在の「猟奇」のイメージに近いかもしれんが。
で、ついでに、今度は「kashiba」で全言語の頁をぐぐってみると(これも嘘みたいな話だが)奈良県香芝市のあらゆるサイトを押えて拙サイトが一番にヒットする。香芝市在住の皆さんにしてみると、なぜおらが街の名前を英語で入れると猟奇的サイトがヒットしてしまうのかと、さぞかし不思議だろうなあ。すまんすまん。
◆我がフロアのSF&ミステリファンが、会社の書店(3%引き)で非常に立派な本を買っていた。普段の彼は専ら文庫派なので、仕事の関係の専門書なのかと覗き込むと「例の本」だった。
「おおおお、もしや、それは『紙葉の家』!!買いましたかっ!!」
「ふっふっふ、買っちゃいましたよ」
「四千五、六百円ぐらいでしたっけ?エンタテイメントの値段じゃなかったような」
「そんなところ」
「ぐはああ、おっ金持ち〜っ!!でも、それって読む本じゃないでしょ?」
「うーん。でも、訳者と知り合いなもんで。年賀状に、表紙をスキャナで取り込んで『ついに出せました』とか書かれると買わざるを得ない」
そうか、やっぱり読む本じゃなかったのか。でも、本好きにとっては「秘文字」みたく自分の書棚に置いて時々パラパラ捲って「よくこんな本だしたよな〜、スゲエよなあ、偉いよなあ」と撫でてみたい本なんだよな。ワタシも何か「買わなければならない理由」が欲しいぞお。


◆「ザリガニマン」北野勇作(徳間デュアル文庫)読了
とりあえず、なんだか既視感である。ああ、これはそう「どーなつ」の人工知熊がザリガニになっただけなのだそうなのだ。物語は「かめくん」のアナザーサイドストーリー。かめくんが闘っているらしい相手が如何にして生まれたか、という顛末であるらしい。らしい、というのは「かめくん」をまだ読んでいないからである。まあ、読んでいても「そうらしい」としか言い様がないかもしれず、そんなところが北野勇作らしいといえばらしいのかもしれない。
さてザリガニマンとはザリガニ=マン・インタフェースの略称である。普通は、マン=マシン・インタフェースという語順なのだが、「マンザリガニ」では正義の味方らしくない。というわけで、ザリガニマンは正義の味方なのである。玩具なのである。だが、改造人間は、もともとは敵の怪人として生まれるので、敵がザリガニなのである。で、そのザリガニがどうして生まれたかというと、それはザリガニマンのせいなのである。というのもザリガニマンがシナリオライターの素質をもっていたために、どこまでがシナリオで、どこからがゲンジツなのかのがよく分からないのだ。もちろんここで云うゲンジツとは物語の中のゲンジツの事である。ただ、そのゲンジツの中では、主人公は既に死んでいるようなのだ。じゃあ、この物語を語っているのは誰かといえば、それはザリガニマンなのである。今度は、そのザリガニマンは何なのだと問うと、作者は「ザリガニマンはザリガニマンであって、そうとしかいえない」と開き直るのだ。既視感である。もしかして既に作者は死んでいて、人工知熊が同じネタを再生産しているのかもしれない。


2003年1月23日(木)

◆よしださんへ。
「お父ちゃんの古本日記」はMoriwakiさんのブランドなので、ここは一番「お父ちゃんのこしょだて日記」で、どうよ?>いや、どうよといわれても、、
◆「最近の創元推理文庫で『はてなおじさんマーク』がついているのは『プリズム』以外にもありますよ」と貫井さんから啓示板で指摘を受ける。「ううむ、そうだったのか」と、近所の新刊書店で、片っ端から国内作家の本を抜き出しては帯を剥いてみたところ(迷惑な奴だ)、なんと有栖川作品(「月光ゲーム」「孤島パズル」「山伏地蔵坊の放浪」で確認)の文庫カバーには「はてなおじさん」マークが付いていた。「本格推理の驍将、鮎川哲也はどうよ!?」「山口雅也ならどうよ?」と期待して捲ってみたが、こちらは期待はずれ。ううむ、果たして、はてなおじさんはどこに?
◆加賀美雅之氏に、チェックメイト78帯の一件の迷惑賃にと、ROM116号を謹呈したところ、氏から未発表のカーのパスティーシュのコピーを頂いてしまう。100頁超の中編である。バンコランものである。しかも「パリへ来た紳士」のようである。うほっ。ありがとうございますありがとうございます。

「ええ人やっ!!」


◆「倒錯のオブジェ:天井男の奇想」折原一(文藝春秋)読了
ミステリーマスターズ第二回配本。折原一の最新作。「天井裏の散歩者」で乱歩へのオマージュを一度は形にした作者が、尚もそのイメージを膨らませて、お得意の叙述トリックと時の迷宮の中に結実させたニューロイックな殺人狂想曲。作者のもう一つのコダワリである「密室殺人」も一応あしらわれているものの、そのトリックに新味はなく、添え物の域を出ない。
「飯塚時子の家から悪臭が漂っている」という苦情を受けた区のカウンセラー・小野寺は、以来、その二階建ての木造建築を定期的に訪問するようになる。そこに住むのは「天井男」という妄執に捕らわれている他は、毅然としてチンピラや地上げ屋と闘う気丈な老女。暴力夫から逃れて町に出てきた若妻・白瀬直美に二階を貸したのも彼女の優しさの現われだったのか?その真意を天井から覗く一対の眼。男の名は「天井男」。やがて物語はゆっくりと狂気の輪舞を奏で始める。ふとした事から小野寺に心を開く直美。だが、直美の夫は探偵を使って妻の居場所を突き止めようとしていた。逃げる女、覗く男、隠された過去、垂らされる毒、縺れる恋情、地上げ屋のクレーン唸る時、「密室」から転がり出たのは誰?
作者の「倒錯」系ニューロイック・サスペンスの集大成的なお話であり、実に手堅い。勝利の方程式といってもいい。反面「まあ折原一ならこのぐらいの事はやるであろう」という期待値を越えるものでもない。人間、そうそう驚天動地のショッカーを何パターンも世に送れるものではない。この辺りで天井と心の闇からは卒業されては如何か?個人的にはもうお腹一杯ですよう。


2003年1月22日(水)

◆年休を取る。午前中は、感想書きなど。午後から病院へ。新生児の面会は僅か1時間半。会社に行ってるととても間に合う時間帯ではない。ガラス越しにデジカムでせっせと我が子の寝姿を撮影。今の段階で父親に出来るのは精々これぐらいの事である。顔の造作や表情が自分に似ているのが良く分かった。なるほど表情も骨格と筋肉の為せる業なのである。予定日より一週間遅れで出てきたので、同日生まれの赤ちゃんの中では最も発育がよいらしく、よく動く。見ていて飽きない。
◆帰宅して自炊。けんちん汁とバジルのオムレツ。食べながら「熱烈的中華飯店」「最後の弁護人」をリアルタイムで視聴。前者は「王様のレストラン」の劣化コピーだが、まあそれなりに楽しめる。「最後の弁護人」はミステリ的な興味は第1話にもまして薄いが、阿部寛節を楽しめば必要十分。


◆「十三角関係」山田風太郎(大和書房)読了
恥かし読書継続中。名探偵・荊木歓喜登場の長編推理。高木彬光との合作「悪霊の群れ」で神津恭介と競演を読んだ際には「今ひとつ精彩を欠いた探偵」との印象しかなかったが、さすがにこの長編の単独作では、その破天荒にして磊落にして繊細な性格がよく出ていて吉。なるほど、これは日本を代表する名探偵の一人である。事件の舞台やプロットとも見事にマッチしており、この事件を解決できるのは、この探偵しかいないだろうな、と納得できる。
時は昭和30年代初頭。処は東京の遊郭。荊木歓喜は、知り合いの売春宿「恋ぐるま」のマダム・車戸旗江の元へ届物をしようとする女子高生・伴圭子を店へと案内していた。だが、彼等が店に辿り着いた時、酸鼻なる殺人劇の幕は既に上がっていた。「恋ぐるま」の動く看板である巨大な風車の羽根に旗江のバラバラ死体が括り付けられていたのである!その夜、旗江の部屋を訪れた人間は7人。マダムにぞっこんの亭主、売春禁止法案絡みの汚職事件を追う新聞記者、白マスクの男、麻薬捜査官、重役風の紳士、黒マスクの男、そしてマダムの息子。一体、短時間の間に誰が、死体をバラバラにできたのか?そもそも、敵一人いない天衣無縫にして人情肌のマダムはなぜ殺されなければならなったのか?だが、荊木歓喜の慧眼はマダムの人物像にこそ事件の全てが秘められている事を見抜いていた。挫けた青雲、発狂する聖女、肥大する妄想、脅迫の相克、恋情の交錯、捜査線上に浮かんだ意外な容疑者が強制退場させられた時、名探偵は嘘倶楽部に召集をかける。逆転する尋問、連鎖する自供、開かれる扉、果して十三角関係は十三版を重ねたのか?
天使と悪魔の犯罪。被害者のキャラクターが全編を支配する絢爛たる風俗推理。赤線の風景や、壊れた人々の描写が巧みで、高木彬光の「悪魔の嘲笑」が外側からジャーナリズム的に糜爛した風俗をあしらったのに対し、風太郎のそれは内側から見た「世界」なのである。犯罪者しかいない彬光の世界とは異なり、人間がそこにいる。真相の二枚腰、三枚腰もたいしたもので、真犯人も相当に意外。ただ、冷静に考えれば、時代の空気でしか説明できない部分も多く、本格推理と呼ぶには「大人」すぎる。フェアだのアンフェアだのいう世界を超越したところで酒を飲んでいるのが荊木歓喜なのであろう。この嘘ホント。
あと、どうでもいいが、産婦人科で読むには最も適していないテキストかもしれない。


2003年1月21日(火)

◆かつて金融ビッグバンを解説する際、開放したばかりに外資が上位を独占する状況のことを「ウィンブルドン」現象などと表現した。今後は、このような外国の地名を借りる必要はない。「両国」現象といえばよいのだ、と、貴乃花の引退騒ぎをみてそう思った。
おお、なんだか「天声人語」みたいに偉そうだ。
◆毎度啓示板へのお祝辞のご記帳ありがとうございます。日頃、空に向かってギャグをつぶやくが如き虚しさを噛み締めておりましたが、斯くも大勢の方に見ていただいていたのか、と再認識した次第です。今日も、赤ちゃんは元気な模様です。泣いてお尻の不快感を表す事を覚えたようです。欠伸をすると、私のようなオヤジ顔になる、と奥さんが申しております。おやじで悪かったなあ。
◆帰宅したら森さんから送本。クリッペン&ランドリューの「Lost Classic」の最新刊。
「The Spotted Cat」Christiana Brand(Crippen & Landru)19$
なんと未発表短篇を含んだコックリル警部短篇全集である。しかも、表題作(未発表)は70頁に及ぶシナリオである。すげえ。でも、ここで世に出たからには、そのうちにまずジャーロあたりで戯曲が一挙掲載されて、その後に創元推理文庫あたりから未収録短篇もろとも訳出されそうだよなあ。とりあえず、未収録ショートショートでも読む事にしようかなっと。
◆「本の雑誌」編集部から、とある企画のために「俺ならこの本を平積みして売る!」という本を3冊選んでコピーを考えろ!報酬は0だ!手前らも本好きならケチな事云ってんじゃねえ!というご依頼を受ける。
おおおお、こういうのいっぺんやってみたかったんだよなあ。と、パソコンの前で2時間。ああ、楽しい、でも3冊だけなんて辛い、辛いけど楽しい、楽しいけど辛い、ひいひい。
考えてみれば、安田ママさんや政宗九さんにとって、毎日がこれの連続なんだよなあ。自分で売りたい本を並べて、その反応を自分の目で確認できるなんて素敵だわ。いや、勿論、仕事にしちゃうと「辛い」部分が勝ってくる事もあるんだろうけどね。


◆「Ghostly Murders」P.C.Doherty(St.Martin's Press)読了
本年初原書講読も昨年に引き続きポール・ドハティー。ロンドンからカンタベリーに向う巡礼の夜語りを綴ったシリーズ第4作。今回の副題は<貧しい僧侶の話>。この物語の「本歌」である、チョーサーの「カンタベリー物語」にも奇蹟譚や怪談の類いが含まれているように、この作品は、推理作家ドハティーにしては珍しい純正怪談である。以前、ROM誌でこの作品がレビューされた際にも、レビュアの塚本氏は、やや面食らった様子であったが、その分、こちらの落胆は少なくてすんだ。まあ、カーにだって「めくら頭巾」はある訳で、最初から怪談だと思って読めば、推理作家らしい捻りや伏線や逆転も一応は仕込まれており、それなりに楽しめる。こんな話。

夜語りは、1308年に、秘宝を護り英仏両王からの逃避行にあったテンプル騎士団が、ケント州の村ソコーズビイ近くで見舞われた災厄から始まる。ウィリアム・チャスニー卿率いる一行が木々の向こうに灯りをみつけた時、それが死に至る罠だと気付いた者はなかった。ひとときの休息と食事を夢見た刹那、彼等に向けて必殺の矢が雨あられと降り注ぎ、勇猛果敢をもってなるテンプル騎士団は沼沢地の泥に沈む、怨嗟と呪詛を投げかけながら。
「覚えておくがよい!我等は必ず還る、我等、汝らを見届けん!」
それから74年後、スコーズビイの聖オズワルド教会は新任の教区神父を迎える事となった。彼の名はフィリップ・トランピントン。修業を終えたばかりの弟エドマンドと、親友の建築家ステファン・マーケルとともに村に向う。前任者のアンソニー神父が不面目にも縊死を遂げたという不吉さも、古い教会を壊して、新しい教会建設を目指す三人の心に影を投げかけるには至らなかった。
だが、古びた教会では、村の伝承に呼応した「謎」が一行を待ち受けていた。
現領主リチャード・モントールトの祖父ジョージが眠る巨大な石棺には「我等、汝らを見届けん」という文字が刻まれ、聖域の柱には70年前に教会の主であったロマネル神父によって、ある言葉が掘り込まれていた。
「高き山の下、ダヴィデの息子の貴き荷は住まい続ける。神よ、お慈悲を」
1312年、この言葉を掘って間もなく、ロマネルは癲狂院でその最期を遂げたという。
教会の柱に記された眼、6と14のモチーフ、新来者三人は、やがて否応なしに「消えたテンプル騎士団の秘宝」を巡る伝承に巻き込まれていく。出産の後に若妻たちが死ぬという呪いを恐れながらも先祖伝来の墓と教会に拘る村人たち。ロマネルの私生児として育ち、棺の守りを務めてきた老女プリシラ。だが、伝承は戦馬の響きと呪詛の囁きとなって、その姿を現す。秘宝に近づく者の眼前に現われるロマネルの亡霊、森に木霊する軍列の音、そして呪いの声。やがて森を知り尽くしている筈の村人が、何者かから逃れるようにして沼で溺死しているのが発見される。果して、それはテンプル騎士団の呪いだったのか?フィリップは、領主の森林監視人ピアーズとともに森の奥に踏み込むが、そこで彼等は思いがけない光景を目にする事となる。
井戸の中の骸骨、棺の中の武器、絵の中の懺悔、箱の中の鮮血、赤い眼が見つめる真実とは?そしてテンプル騎士団の秘宝の正体とは?歴史の闇の向うから狐火は招き、幽鬼に魅入られた村を血の風が吹きぬける。

因縁話であり、題名が示す通りの「幽霊殺人」であり、さ迷える霊の昇天がクライマックスに準備されている。殺しに纏わる謎は殆どがオカルト系の解決(?)がつけられるので、推理小説の読者としては物足りないところであろう。ただ宝捜しのパートは、物語のそこかしこに手掛りが散りばめられ、クライマックスにおいてパズルのピースがパチリパチリと嵌まっていく快感はそれなりに味わえる。ただ、既読の第3作や第6作のようなミステリ読みの琴線を擽る創意には欠ける。まあ、ドハティーもたまにはのびのびと超自然をやりたかったのであろう。「超自然とみせかけて」といった裏筋の工夫もあるのだが、それが挿入される一エピソードに留まってしまっているところに、ドハティーの息の抜き具合を感じてしまう。