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2002年11月29日(金)・30日(土)

◆ちょっとバタバタしてまして、日記サボってます。購入本0冊。
◆一点だけ。土曜ワイド劇場枠で放映された「子盗り」を視聴。前半1時間の緊迫したサスペンスが、後半ぶち壊しになっていくのに唖然。特に、ラストでの「脅迫者」の扱いについては、大きく疑問符。「何、あれっ??納得いかーーん!!」と奥さんに噛み付かれる。
「サントリーミステリ大賞って、どんな作家が出てるのよ!!」と聞かれたので、「えーっと、黒川博行とか、由良三郎とか、」と答えるが、「ふーん、聞いた事なーい。きっと詰まらない賞なんでしょ?そうなんでしょ?どうよ、どうよ?」と迫られる。
いや、私に云われましても。


◆「ムガール宮の密室」小森健太朗(原書房)読了
ショート感想。ムガール帝国の開祖シャー・ジャハンの宮廷で起きた大臣殺害事件。目撃者の衛兵たちの証言によれば、事件発生時、閉じられた空間にいたのはイスラム教に理解を示す王位継承者の第一王子のみ。賢人の慧眼が、陰謀の眩惑と解いた時、専制の後継を巡る息子たちの権力闘争の火蓋は切って落される。その果てに待つものは、映り込む妄執、そして血塗られた歴史の闇。
一発短篇ネタを、史実で水増しして長編化した作品。基礎資料が英語でしか読めない(と思われる)というのが売りのようだが、それにしても、長編推理と呼ぶには些か安普請である。国盗りに賭ける王子たちの権謀術数は、戦国時代小説や「銀河英雄伝説」のノリで、それなりに楽しく読めるが、歴史小説として楽しむには、梗概どまりとの印象を免れない。どちらにしても中途半端であり、ひょっとすると、今後作者は推理小説から離れて、歴史小説の方に進むのかもしれない。そういえば、歴史上の実在の人物とはいえキャラクターの造型は、随分と達者になったように思われる。
ムガール朝の興亡を1時間で学びたい人、密室とつくだけで読まずにはいられない人はどうぞ。


◆「桜姫」近藤史恵(角川書店)読了
ショート感想。歌舞伎シリーズ第3作。働かない私立探偵・今泉登場譚。奇数章と偶数章で、一人称を替え、綴られるのは「過去の殺人」と梨園の壁に挑む野心家の物語。語り手は二人、歌舞伎役者の妾腹の娘・小乃原笙子と、大部屋の女形・瀬川小菊。笙子が記憶の中で殺した兄・市村音也、その音也が10歳にして亡くなった日から数日後に音也と一緒に写真を撮ったという青年・銀京。果して、音也は本当に自然死を遂げたのか?それとも、笙子が殺したのか?闇の向うの記憶、甦る父母たちの狂乱、それは、梨園に封印された禁忌。努力と野心、衝突と邂逅、謎を追う旅は、あやめも知らぬ恋の道行き。色と道に翻弄される幼い魂の声を聞け。
実現可能かどうかはともかくとして、この作品に仕掛けられたサプライズはなかなかのもの。過去に例のないトリックというわけではないが、上手にシチュエーションの中で消化している。テーマはずばり「恋」であり「愛」である。本人だけが知らないという「謎」の逆転構造がユニークであり、このアイデアを長編に過不足なく仕上げた手腕は称賛に値する。梨園というジャパネスクな舞台でありながら、そこに普遍を感じさせる「愛」のモチーフ、「過去の殺人」というお馴染みの題材に切れ味のよいツイストを加えしかも後味良く仕上げた調理法は、作者が日本の女流推理作家の中では、最も「クリスティーの後継者」に近い位置にいる事の証左ではなかろうか。お見事。


2002年11月28日(木)

◆大阪往復急ぎ旅。購入本0冊。でも、王様と違って感想を書き散らせばいいから楽だなあ。

◆「レイトンコートの謎」Aバークリー(国書刊行会)読了
遂に日本刊行なったバークリーの処女作。House of Stratus以前は原書でも入手困難な本であった。それが3000円でお釣の来る値段で販売されるという事は、古本者の常識からすれば「壮挙」である。まず、それはそれとして心から寿ぎたい。
さはなりながら、個人的には、これまでもバークリーに対して熱くなれず、例えばROM誌上での熱狂ぶりや、森氏の事典での入れ込みようが理解できずにきた。いわんや、最近のバークリーの出版ラッシュや、「好きな作家は」と聞かれて「バークリー」と答える若者が増え、「なぜこのような素晴らしい作家が日本では不遇だったのか?」という論調で語られるのに至っては些か呆れている。私にとっては、さながら「『陸橋殺人事件』こそが究極の推理小説である」「なぜ、ノックスは日本では不遇だったのか?」といわれているのに等しい。てやんでえ、バークリーなんてえな、通がちょいと摘まんで「まあ、悪かねえな」とさらっと褒めとく作家なんじゃあねえのかい?(疑似江戸っ子)
どうもこの人の作品は、ミステリという様式を、引っくり返して額に入れてみたり、何枚も張り合わせてみたり、書きかけで展示してみたり、試行錯誤で毒が入っていて跳んでるところが好みに合わない。クイーンやクリスティやカーやクロフツやセイヤーズとは違った道を行っている人なのだ。この処女作にしても、匿名出版で、シェリンガムはギリンガムをおちょくったようなドタバタを繰り広げ、最後には禁じ手とも云える大技を仕掛けてくる。いやはや、栴檀は双葉より芳しというか、ドクダミは双葉から臭うというか。ただ後年のすれっからしぶりに比べれば、まだ初々しく、特に序文の爽やかな自負には、微笑を禁じ得ない。更に密室あり、緻密なアリバイ調べあり、足跡の解析あり、恋愛あり、勧善懲悪ありと、白状すると、これまで読んだバークリーの中では、最も気に入ってしまった。
凄いじゃないか!バークリー!(>なんだよ、素直に褒めるのが悔しいだけかい)


2002年11月27日(水)

◆のどかな一日。「青銅ランプの呪」は入手価格にて職場の同僚に売っぱらう。ところが、職場の積み立て金を二ヶ月分徴収され、またしても懐が寂しくなる。ちぇっ、ちっとはイロつけて売ればよかった、かな。って、でたな、古本の暗黒面。購入本0冊。
◆昨日買った「SFが読みたい!」を眺めていると、無性にSFが読みたくなってきた。このミスの御厄介には一切なるつもりはないが、SFについては浅い読み手なので、こういうガイドブックの御勧めを素直に受け取れるようである。
なお、90年代SFの翻訳ものBEST30の第3位に「アヌビスの門」がランクインしていたのには感激。自分の好きな作品が高評価を得ていると嬉しくなるのは世の常だが、それにしてもソウヤーだのベイリーだのティプトリーJr.だのを押しのけての3位は立派としかいいようがない。素晴らしい!と思って2002年1月のハヤカワ文庫カタログをみると、あっさり品切れの模様。やってくれるぜ、早川書房。


◆「ビッグ・バッド・シティー」Eマクベイン(ポケミス)
87分署シリーズ第49作。ある意味でシリーズの最終巻になっても不思議ではない作品。キャレラとブラウンが追うメインの事件は、不自然にも豊胸手術を施した修道女殺し、マイヤーとクリングが追うサブの事件は、現場に手製のチョコチップクッキーを残していく空巣が心ならずも犯してしまった浮気妻殺し、実に王道である。
更に、この作品を特徴づけているのは、キャレラの父を殺しながら無実を勝ち得た穀潰しの黒人のエピソード。なんとその黒人が、心の平穏を求めてキャレラをつけ狙い始め、ここに3作に跨った一連の「キャレラ自身の事件」はケリをつけられる。
加えて(これが決定的なのだが)ラストに至って、なんと40歳の誕生日を迎えたキャレラが、これまでの87分署の殉職刑事や印象に残る事件をあれこれと回想するのが異色。これまでにも、以前の事件を引き摺る事はあったものの、斯くも(さながら走馬灯の如く)シリーズを通観してみせたような事はなかったように思う。
マクベインのもう1人のシリーズキャラクターであるマシュー・ホープ弁護士を電話出演させるところは、軽い読者サービスとしてニヤニヤしていられるが、この最後の数ページに、なにやらグランドフィナーレの響きを聞いてしまったのは私の空耳であろうか?いや、勿論、その後もこのシリーズが書き継がれている事は百も承知である。それでも、この先からは88分署のデブのオーリーが活躍し、キャレラは登場すれども精彩を欠いているという直井情報もある。
大体、この作品、題名からしてアイソラという街そのものではないか。これで、幕切れが美文調なら、87分署サーガの最終巻として完璧だったのに。いやまあ、続いて嬉しい87いちもんめではあるのですが。


2002年11月26日(火)

◆昼休みに、我がフロアのミステリ好きが寄ってきて「実は『青銅ランプ』が品切れだったんです」と版元品切れのスリップを見せられる。ううむ、こうして知らない間にまたカー殺しが始まっていたかあ、と嘆息。「八重洲ブックセンターに電話してみたらどうです?結構、在庫持ってたりしますよ」と慰め方々アドバイスする。
◆途中下車して定点観測。安物買い。
d「青銅ランプの呪」Cディクスン(創元推理文庫)350円
d「マインドブリッジ」Jホールドマン(講談社文庫)100円
d「妖魔の宴 ドラキュラ編2」(竹書房)100円
d「妖魔の宴 フランケンシュタイン編2」(竹書房)100円
「ロストボーイ」黒岩研(光文社:帯)100円
「SFが読みたい 2001年版」(早川書房)100円
けっ、あっさり見つかっちゃうんだもんなあ。なんと張り合いのない。
◆「アルジャーノン」視聴。盛り上がってます。うちの奥さんは真剣に菅野美穂のファンになってきた。儚げで可愛い、とメロメロである。
◆なんだか、掲示板がお笑い漫画道場状態。どんとこい、道場現象(>やめれ)


◆「The Devil's Domain」Paul Doherty(headline)Finished
休日にイベントが入った関係でとことん原書講読ペースが落ちている。個人的に今一番読みたい作家の一番よみたいシリーズ、托鉢修道士アセルスタンものの第8作。ただ、既に日記ではネタにしてしまったが、前作のラストで、聖アーコンワルド教会を去ってオックスフォードに旅立った筈のアセルスタンが何故かまだ教区に留まっており愕然とした。一応、ブラックフライヤー修道院長のアンセルムがオックスフォード行きを止めた、という設定になっているのだが、どうも釈然としない。てっきり第8作、9作はオックスフォードに向う旅の途中で事件に巻き込まれたり、或いは新天地の学究の間で不可能犯罪が起きるものとばかり思い込んでいたもので、お馴染みの教区の面々やクランストンとの掛け合いにすんなり入っていけなかった。それも読むのに熱が入らなかった要因の一つである。さはさりながら、出来映えはいつもながら快調。今回、名コンビの挑戦するメインの謎は、フランスの捕虜を次々と毒殺していく暗殺者の正体と、その手口を暴く事。猜疑心の固まりであり、安全が確認されたものでなければ決して口にする事のない捕虜たちを如何にして毒殺するか、という不可能性は、なかなかのもの。ただ、さすがにネタ切れなのか、他にも外からシャッターの下りた密室での縊死という小ネタはあるものの、今一つのコンビに課せられた最大の難題は「いかにして吝嗇の豪商の娘と、貧乏騎士の恋を成就させるか」という、カドフェルばりのラブ・アフェアなのである。
1380年夏。聖アーコンワルド教会にも叛徒たちの魔手が迫っていた。教区民ワトキンとパイクは、叛徒の一味から墓場の塀沿いに穴を掘るよう脅迫を受ける。一方、知り合いの未亡人から黒山羊を遺産として残された検死官クランストンはその持っていき場を失い、アーコンワルドに持ち込む。そのドタバタ騒ぎの中、ジョン・オブ・ガーントから、アセルスタンとクランストンに召集が掛かる。若い騎士サー・モーリスの働きにより撃沈した二隻のフランス船の船員5名(ピエール・ヴァミア、ジャン・グレネー、 ウード・マニエル、フィリップ・ルーティエ、ギヨーム・セリエム)は捕虜としてホークミア荘園に収監され、フランス政府との身代金交渉が進んでいた。だが、そこで捕虜の一人セリエムが密室で謎の毒死を遂げたというのだ。フランス政府の特使デ・フォンターネルの抗議を受け、摂政ジョン・オブ・ガーントは再度、一度は放逐しようとしたアセルスタンの叡智を用いる事を決断する。ガーントの命を受け現場に赴く一行。荘園の主サー・ウォルターは、フランスに深い憎悪を抱いており、その気配を感じとった捕虜たちは浮き足立っていた。猜疑が猜疑を呼ぶ「悪魔の支配地」。そこにさ迷う知恵遅れの娘ルーシー。果して謀殺の真実とは、ガーントの送り込んだ間諜の企み?それとも、仏政府の切り札暗殺者「メルクリウス」の仕業なのか?更に、暗躍する影たちは、サー・モーリスに「妻」殺しの汚名を着せたばかりか、アセルスタンたちの探索を嘲笑うように毒薬使いの女薬師を抹殺する。緩やかな暗鬼の檻の中で、繰り広げられる殺戮の連鎖。アセルスタンは、ベニスの裁きに全てを賭ける。
アセルスタンの中では、極めて「ヒュー・コーベット」ものの色彩の濃い作品。終盤に至っての権謀術数のラッシュには、息を呑むばかり。テイストとしては初期フリーマントルを思わせるシャープさ。不可能犯罪のトリックは、思わず作者が好事家用メモでフォローしなければならない類いの一発ネタではあるが、許せる。動物キャラクター(黒山羊のタデウス)の新登場に、恋愛問答、鼠取りギルドの祝福といった佐渡ストーリーも多いに楽しめ、まずはシリーズの愛読者としては満足できる出来映え。全ての謎を解き明かし、四方を丸く治めるアセルスタンには、「名探偵」を越えた、神の御遣わしの貫禄すら感じる。ところで、実はこの作品のメイントリックが、先日読んだ柳広司のとある作品と共通していたのには驚いた。シンクロニシティーなのであろうが、ここまでアタマの中が似通っていたとは、、、いやあ参った参った。


2002年11月25日(月)

◆朝っぱらから、日常に潜む悪意に出くわす。通勤電車のドア横の縦棒に寄りかかっていたら、そこにこっそりと噛みたてのガムが貼り付けてあって、コートにべったり。うぎゃあああ!!!!ひでえ事するよなあ。オマケに忘れ物はするし、もの忘れは激しいし、振り返りたくもない散々な一日。給料日につき、せめて憂さを晴らそうと買ったのは新刊1冊、古本2冊。
「レイトン・コートの謎」アントニイ・バークリー(国書刊行会:帯)2500円
「オルガス・マシーン」イアン・ワトソン(コアマガジン:帯)500円
「人間の住む星」アイザック・アシモフ(藤森書店)100円
古本は買わないつもりだったのだが、定価2800円の奇書が500円で並んでいては買わざるを得ない。それにしても凄い装丁だな、この本。いやまあ、中味はもっと凄いのかもしれないけれど。
アシモフの本は人口論の本。結論はお得意のバース・コントロールなんでしょうね。
「ホームベースをかすめるようにして外角低目にカーブを連投。結果として四球になってもよい。」バースが違う、バースが!
◆二週間分溜めた「ガンダムSEED」を視聴。うわっ、ハロまで出てきた。いやはや、これはパロディなんだろうか?♪甦る、甦る、甦る、がんだむ〜、君よ、へたれ〜
◆「ナイト・ホスピタル」視聴。奇病ネタ+お涙頂戴のプロットは既に大いなるマンネリの域に突入しつつある。患者の韓国電子部品メーカー社長が、日本支社でリストラの大鉈を振るうというのもイマ風ですな。


◆「饗宴」柳広司(原書房)読了
とりあえずショート感想。副題「ソクラテス最後の事件」の通り、かのギリシャの哲学者ソクラテスがホームズばりの名探偵を務める痛快歴史推理。人知を超えた猟奇殺人は果してオカルト教団の陰謀なのか?かの大喜劇作家アリストパネスとソクラテスが命を懸けて推理を競うという骨太のプロットが素晴らしい。これは傑作。まさに「日本にもドハティーがいた」事を思い知らされる逸品。とりあえず、柳広司を読み終わらないうちは、苦労して英語でドハティーを読まなくてもいいです。逆にこの作品がダメな人はドハティーも合わないと思う。とても御勧め。


2002年11月23日(土)・24日(日)

◆掲示板で、姫川さん(>はじめまして)から「ささやさら」ではなくて「ささらさや」ですよ、とチェックを頂く。うへえ、すんません&ありがとうございます。「ささやななえ」に引き摺られました。瀬川こびと、ささやさら、ジョン・ディスクン・カー。
◆同じく掲示板で、姫川さん、こしぬまさんから、ネット日記では政宗さんから、「どんとこい、超常現象」のイロモノ感想にお褒めの言葉を頂く。実は、2週間前に本を買った瞬間から思いついていたネタなのだが、なんとなく上げそびれていた。どうやら、まだお他所では、使われてなかったようである。いやあ、間に合った。よかったよかった。
◆たった1頁のことなのに、「本の雑誌」向けの原稿に時間を吸い取られる。ネタを思いつくまでに「ん時間」。思いついたはいいけれど、今度は誰かに先にネタにされてしまうのではないかと、どきどき。んで、思ったのだが、プロの推理作家さんって脱稿から本になるまで、お他所で同じネタを使われないかという緊張感で、今回の私の百倍ぐらいドキドキしているのではなかろうか?すごくストレスフルな商売のような気がしてきた。あまり長生きできなそうな。それとも、長生きするうちにトリックなんてどうでもよくなっていくのだろうか?
◆23日の朝日新聞の1面下段の広告欄に東京創元社が「慟哭」だけの宣伝を掲載していた。「柳の下でワルツを踊る白犬」を狙ってんまんなあ。どこまで、効果あるのかなあ。いや、あの話は確かにバリンジャー風サスペンスの鮮やかな到達点だとは思いますけども。
◆「23日付けの<なまもの日記>を読んでメール送った人〜?」はーい、わしもわしも。


◆「未熟の獣」黒崎緑(小学館)読了
ショート感想。「本の窓」に足掛け4年連載されたサスペンス長編。テーマはM君事件を彷彿させる幼女誘拐殺人。これに「公園デビュー」やら「ゲームおたく」やらが絡み、事件は錯綜する。探偵役は、作者を投影したかのような30代半ばの女流恋愛小説家。一回あたりのページ数が長くない連載小説であったためか、唐突な引きが入ったり、引いただけで終わってしまったりするところが些か興を殺ぐ。本格推理というよりは、HIBK風のサスペンス。今時の風俗をテーマにあしらっているものの、社会告発の域には達していない。サブ・プロットでのサプライズには新規性があるものの、メインのフーダニットの凡庸さが、いかんともし難い。
猟奇殺人をテーマに、フェティッシュでニューロイックな犯人を、ラブ・サスペンスな探偵が、コージーなワトソンとともに追う分裂症的ミステリとでも申し上げようか。この作者の水準をクリアしていない。装丁と浅倉めぐみの装画で、読み終わるまで版元を東京創元社だと勘違いしていたが、小学館である。読みながら「東京創元社の本なんだから、きっと凄い捻りが入るに違いない」と思っていたのが、最大のミス・ディレクションであった。とほほ。


◆「家蝿とカナリア」Hマクロイ(創元推理文庫)読了
これぞ黄金期本格推理との評判があちこちで立っているヘレン・マクロイの第5長編。原題の「Cue for Murder」を見て「デンティンガーの第1作って似たような題名だったよな」と思って調べたら「Murder on Cue」だった。あらためて、お互い原題とは似ても似つかない邦題だよなあ、と感心してみたり、この原題でハスラーの話だったりすると可笑しいかもしれない、などと駄弁を弄しているのは、例によって川出解説に大抵の蘊蓄は書かれてしまっているからである。ROM系の解説者が、洗練された植草甚一だとすれば、川出解説は、我々が幼少の頃から慣れ親しんだ「中島河太郎スタイル」の完成系であろう。
で、作品の梗概は、これもネットのそこかしこに書かれているので簡潔に。第一幕が終わった時、舞台で死体役を務めていた男が、本当に刺殺されているのが発見される。しかも、その身元が判らない。<死体>に近寄れたのは、主演女優と二人の男優のみ。偶然にもこの一部始終を観劇していたベイジル・ウィリング教授は、欲望と愛情が交錯する容疑者の中から、ただ一人の真犯人を指摘する。一匹の家蝿と、一羽のカナリアの導きによって。
本当に、家蝿とカナリアが重要な役割を果たすのには参った。それだけではない、物語に登場する人物の仕種や台詞、小道具の一つ一つに至るまで、尽く説明されていく快感。要は、無駄がないのである。レッド・ヘリングは、レッド・ヘリングとしての意味があり、被害者には被害者になるだけの理由があるのである。ベイジル・ウイリング教授は、徒に心理分析ばかりに走るわけではなく、ホームズ・スタイルの驚異的観察眼による「あてもの」も実演してくれて、名探偵好きの読者も楽しませてくれる。なるほど、評判通りの快作である。御勧め。


2002年11月22日(金)

◆Moriwakiさんほどではないものの、おとしものをしてヘコむ。
kashibaは、250ブックオフのダメージをうけた。
kashibaは、さくらんしている
kashibaは、ぶきみなこえをあげた
kashibaは、ほんがよめない
kashibaは、ほんがかえない
◆呉さんが読んでいるのは、Stanley Hylandの「Green Grow the Tresses-O」だと思う。
◆ほっかほかのなまもの巨乳夫人からも日記上で答礼を受ける。勿論覚えていますとも!
ところで「エンジン・サマー」と「天神さま」は似てると思いませんかそうですか。


◆「どんと来い、超常現象」上田次郎(学習研究社)読了
あの数々のオカルティックな不可能犯罪を解決してきた日本科学技術大学教授の上田次郎氏が、その生い立ちから、最近2年間の事件の顛末までを綴った快著。その業績は既に深夜テレビで放映されて、カルトな人気を呼んでおり、遂には映画化されるまでに至った。
容姿端麗、眉目秀麗にして、ユーモアのセンスに溢れ、武芸にも秀でた上田教授の思考パターン、推理法を知る上で必読の書であり、聞く所によれば既に五カ国への翻訳も決定している由。ただ、事件の解析が些か冷静かつ学術的にすぎ、読み物としてのタメに欠けるところは難。勿論、それは真の科学者が、奇蹟を詐称する欺瞞やTRICKに向う姿勢としては正しい。ただ、例えば「推理する医学」のように(翻訳は酷いが)、読み物としても面白い先達もある事であり、次回作には、そういった面での演出も期待したいところである。
尚、最近、教授は実は真夜中の雨の病院の跡取り息子であった事が判明した。さらに、あろうことか、あの貧乳手品師までが何故か夜間専用病院に出没しているという噂である。あのようなヘボな手品師に、たとえ真似事でも医療が務まろう筈もない。これは、新たな奇蹟への胎動なのであろうか?それとも単なる番組改編なのか?
なお、この書を読んで、その視点を変えた威張り合戦に、ネットミステリ界の名古屋トリオの日記を彷彿してしまったことは秘密である。
今日は落とし物をして、まともな本が読めなかったので、イロモノでごまかしてみた。
ダブリ本など怖れるな!
ふぉんと・びー・ぐれいと!
ふぉんとこい、重畳現象!


2002年11月21日(木)

◆銀河通信とみすべすの日記上から答礼を受ける。なるほど、熱さの源は「もっと本を好きになって欲しい」というココロのカタチであったか。
◆ヤフー・ニュースで「公用車でカーを買い出しに」という見出しを見つけ、ほほう、公用車というのは問題だが、カーを買いに行くとはなかなか趣味のよい公務員ではないか、と思って中味をみたら「カニを買い出しに」だった。
ううむ、ジョン・ディクスン・カニ。「横歩く」「一角獣の蟹」「皇帝のかに煙草入れ」。
◆別宅に寄って、昨日届いた原書がダブったりしないかをチェック。アボットやら、コニントンは自分が何を持っているのか碌に把握していないもので、どきどきものである。結果、奇跡的にダブっていなさそう。ラッキーとしか言い様がない。ついでに、昨日の読書に刺激をうけたのでマクロイをどの程度原書で持っているのかもチェックしてみると、M6だった。へえ、俺ってば、わけも判らず、結構買ってるだけは買ってるんだ。と、改めて呆れる。Willigで唯一未入手の「Alias Basil Willing」は欲しいところだよなあ。まあ、読む方がそこまで辿りつくのに一体何年かかるかを考えて、購書の虫を押える。ぐいぐい。


◆「エンジン・サマー」ジョン・クロウリー(福武書店)読了
かの大森望が惚れ込み抜いた揚句自ら翻訳したファンタジックSF。只今、好評絶版中。いわゆる宮崎駿的ホロ・コースト後の世界の物語である。ところが、これが手強い読み物なのだ。まず、この作品を読んで、そこに描かれた事物や事象の全てを、自分の母親が納得できるよう説明できたら、特一級SF師のお免状が早川書房から頂けるに違いない。主人公は、「聖人」を目指して故郷の街を飛び出した少年<しゃべる灯心草>。このネーミングから判るように、残された人々はインディアンの末裔。題名の「エンジン・サマー」は「インディアン・サマー」(小春日和)の転化で、この世界では、「エンジンうそつく、インディアンうそつかない」という事なのか。
リトルビレアの街で生まれ育った<灯心草>は、金棒引き(再生装置を使える教師)の<ペンキの赤>から、この世の成り立ちを教わる。ささやき系の少女<ワンスアデイ>に幼い恋心を抱く<灯心草>。だが<ワンスアデイ>は、彼女の一族とともに彼の許から去って行く。その後を追うように、失われた文明と繋がる叡智の担い手たる「聖人」の修業を求めて少年は旅立つ。その途上で出会った、語り部の一族、旧文明の知識を持つ古老、そして、ドクター・ブーツ。それは八面体のクリスタルに残された記憶。天上の宮に刻まれた聖人譚。追体験する異界の成長物語。ダークとライト。ライトはどこまでも軽く、空から天使は降りてくる。
こりゃあ参った。未だに何が何だか良く分からん。まずもって通勤電車の中で読むべき本ではない。お気に入りの枕と、マグカップを抱えて日向ぼっこしながら音読するつもりで読むべき本である。例えば、日本人ならば、大仏さんとかリカちゃんハウスとか天神さまとか富山の薬売りと云われれば、一つの共通イメージを描ける。その意味でこれは、ネイティブなアメリカ人でなければイメージを共有できない話なのではないか。暗喩と幻想と記憶が交じり合ったプロットも、とことん読者を選ぶ。なるほど、美しい話ではある。大のおとなが惚れ込むのも判る。このイマジネーションに意味を読み取れる人には堪らないであろう。しかし、それをノイズにしか感じる事のできない気で気を養う事の苦手なミステリ読みには、辛い話である。野暮を承知でお尋ねする。どこかに解説書はないものか?