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2002年11月20日(水)

◆皆さんっ!ご存知でしたかっ?!!私は今日の今日まで知りませんでしたが、あのプロ野球チームの読売巨人のマスコット。兎もどきなんですけど、その名前が

「ジャビットくん」

と言うのだそうですっ!!ジャイアンツとラビットの安易な混成語なんでしょうけれども、思わず


「邪人くん」

という漢字が脳裏に浮かび、その海よりも深い自虐的ネーミングセンスに感動してしまいました、とさ。

◆会社の傍に、「ご自由にお持ちください」と各社目録をどどーんと取り揃えている書店がある。聞くところによれば「名探偵ドットコム」(よくこんなドメインが残っていたもんだ)のたっくんも御用達のお店なのだが、目録集めには最適のお店。本日、お昼休みに創元と早川の本年1月版の目録を貰いにいく。ついでに講談社文庫の解説目録も頂いておく。いかに糞あつかましいワタクシでもこれだけタダで貰って、何も買わないわけにはいかないので、比較的新しいところから2冊。
「家蝿とカナリア」Hマクロイ(創元推理文庫:帯)819円
「創元推理21 2002年秋号」(東京創元社)735円
これだけレジにだしたとろころ、オヤジさんから「819円です」とのお声。ありゃりゃあ??「これ(創元推理21)もあるんですけど〜」と尋ねると、「おお、目録かと思った」とにっこり。成る程、確かに目録サイズのあっさりした本だわな。如何に私が新古本買いの外道でも、そこまで恩を仇で返すような事はできまへん。いやあ、いい事をした日は気持ちいいなあ(>当たり前じゃ!)
◆帰宅して、さる筋からお譲り頂いた原書を受け取る。非常に良い買い物だとは思うのだが、とんでもなく財政ピンチである。古本の暗黒面に嵌まってしまった。
"About the Murder of Geraldine Foster"Anthony Abbot(G&Dカバー)3500
"Seven Sleepers"Francis Beeding(カバー) 1200
"Body in the Dumb River"George Billairs (カバー)800
"Instrument of Destiny"J.D.Beresford(UK1st) 1500
"Like a Guilty Thing"Belton Cobb 800
"Brandon Case" J.J.Connigton 2000
"Odd Woman Out"Sebastian Fox (UK1st カバー)2000
"Murder But Natch"Miriam-Ann Hagen(US1st カバー)1000
"He Would Provoke Death"C.G.Jarbie(UK1st カバー)800
"Death of a Halo"Frank King(UK1st)1000
"I Like a Good Mueder"Marcus Magill(UK1st)1500
"Death at 7:10"H.F.S.Moore(カバー)2000
"Stingree Murders"W.S.Pleasants(UK1stカバー)1800
"Hanging Woman"John Rhode 700
"Crowning Murder"H.H.Stanners(UK1st)1500
"A Handful of Silver"John Stephan Strange(UK1stカバー) 500
"Cobra Candlestick"E.Baker 1000
"Well Dressed for Murder"Laverne Rice(US1st)800
"Dreadful Reckoning"C.M.russell(US1st)1400
"Poor Prisoner's Defence"Richard Sheldon(UK1stカバー)1000
これを譲ってくれた方は、この全てをダブらせたのだそうな。化け物ですかい。はああ、思わず溜め息がでてしまいますのう。


◆「割れたひづめ」Hマクロイ(国書刊行会)読了
「今日は家蝿、明日は割れ蹄」、不遇の30年の鬱憤を晴らすかのようなマクロイ出版ラッシュに、<絶版効果>も薄れつつある今日この頃。でも、ストップ・プレスには早すぎる。ダイヤモンドはこれからだ。という訳で国書第4期で紹介される3オカルトミステリのトップを切ってマクロイの1968年作品の登場。推理電網で今週最も読まれた翻訳推理ではなかろうか、という状態につき、梗概は作者の東洋趣味に合わせて簡潔に。

行き暮れた名探偵夫妻 辿り着く鴉の館
そこに待つ三組の夫婦 暗鬼を孕む不貞
閉ざされた呪いの部屋 割れ蹄の音三つ
夜半に三点鐘とどろき 蘇りし死の伝承
警察は軽挙に惑い 探偵雪に嘆息す

とても1968年の作品とは思えない古典推理小説のコードに満ちた作品。雪の館で、青臭い陰謀が神秘を演出しようとした時、奪われた企みは怪奇を募らせる。絵に描いたような「そこで泊ると死ぬ部屋」に、お互いが牽制し合う三組の夫婦。昔ながらのオカルトミステリを逆手に取るような顔をしておいて、その趣向を発展させてみせるところなんざあ、マクロイの稚気も大したものである。ただフーダニット趣味におけるレッドヘリングは、如何に精神分析学的な裏打ちがあろうとも些かアンフェアとの謗りを免れまい。マクロイほどの小説巧者であれば如何様にも描けたであろうところを、敢えてあのような書きぶりにしたのは、名探偵を名探偵として立たせたかったという作者のこだわり故か?まあ、個人的には原書でも未入手であった幻のオカルト・ミステリが、理想的な解説付きで読めた訳で、これ以上贅沢は申しません。ただ深々と敬礼するのみである。


2002年11月18日(月)・11月19日(火)

◆何も日記を隔日にするつもりはなくて、たまたま宿泊出張だったのだ。
滅・こぉる氏の11月18日付け「濃い・薄い」論を眺めて思った事。
考えてみれば、拙サイトはミステリ系サイトの中では、唯一の<自称「濃い」サイト>だったりする。「濃い/薄い」という対立軸は「どろどろ/さらさら」とも云うが「どぶどろ/ささらさや」とはいいませんかそうですか。
例えば、本当に濃いサイトというのは、一人の作家に拘った研究サイト(「小林文庫」の大阪圭吉ページやら、「奈落の井戸」やら)あたりが、その名に価しよう。また「風読人」の書影やQQの追っかけにも脱帽する。義兄弟サイトの「BAR黒白」だって少年ものやら、哲也の部屋の「濃さ」はどうだ。「ガラクタ風雲」も、その軽やかな日記に騙されていると、さりげなく紹介されている各種リストの凄さを看過してしまうが、これだって無茶苦茶濃いのである。翻って、拙サイトは、そういう意味での「濃さ」に欠ける。粘着汁に何かを追求するという気概に決定的に欠けている。本も数だけは読んでいるが、それとても極めて限られた範疇であり、例えば「白梅軒」の分厚い智の前には、無惨なまでの浅薄さを天下に晒しているに過ぎない。きっと「濃い」サイトというのは、その一事をもって自らの存在を証明できる値打ちのあるサイトなのであろう。
と、考えてみるとうちなんて、ちっとも濃くないじゃん、と初めて気がついてみたりして。
だが滅・こぉる氏が挙げていなかった対立軸で、私が大事にしたい評価軸がもう一つある。それは「熱い/クール」だ。例えば、「銀河通信オンライン」は既に1年半以上更新のないダイジマンどののページを除けば濃くはない。だが、あのサイトはとてつもなく「熱い」。車田正美のキャラクター並みに自らの命をhtmlにして、叩きつけてくる。「なまもの」然り、そして意外かもしれないが「みすべす」然りである。個人的には、「濃い」サイトと呼ばれるよりも「熱い」サイトと呼ばれたい。
◆とか、妄言を書き散らかしていると時間がなくなってしまった。この二日間で拾った古本は以下の通り。
「奪われるもの」水芦光子(ゆまにて)200円
d「銀河帝国の興亡1」アイザック・アシモフ(創元推理文庫:初版・帯)100円
「火曜サスペンス劇場特選ノベルズ1:悪夢の花嫁」市川森一(日本テレビ放送網)200円
火曜サスペンス本は嬉しいところ。これって、この第1巻の巻末では6巻の刊行が予定されているのだが、最終的には何冊出版されたのであろうか?これで2冊目。ファウンデーションの第1巻は、帯狙い。第2巻「怒涛編」、第3巻「回天編」が<続刊>になっているところが渋くて、つい買ってしまった。この本は、中学生時代に、同級生に貸したら全然帰ってこなくて、揚句の果てにカバー欠けで帰ってきたというほろ苦い思い出がある本である。一体何をどうすれば人から借りた本のカバーを無くすのか、私には未だに理解できないのだが、世の中にはそういう事をやって恥じない人間もいるのである。後になって「人に本を貸す時は、くれてやるつもりで貸せ」という教訓に出会い深く頷いてしまった。
ちなみに、その借り手は今は立派に某国営放送で企画の仕事に就いていたりする。人からものを借りたら、ちゃんと返せよ。


◆「贋作『坊ちゃん』殺人事件」柳広司(朝日新聞社)読了
掲示板での御勧めに従って、「はじまりの島」以外の柳作品も読んでみた。これは作者の朝日新人文学賞受賞作。云わずと知れた夏目漱石の「坊ちゃん」を下敷きにした本格推理小説である。漱石を原典にした推理パスティーシュは既に奥泉光の「『我が輩は猫である』殺人事件」があるが、余りの分厚さと何より原典を読んでいないという(こっ恥かしい)理由で未読である。ちなみに、いしいひさいちの「わたしは猫である殺人事件」は読んだ。城戸禮の三四郎シリーズも二冊ばかり読んだが、自慢にはならない。
閑話休題。この作品を読んで、益々もって柳広司という人の才能に感嘆した。「日本にこんなお洒落な感性の推理作家がいたのか」という驚きであり、喜びである。ここに描かれたのは、電車工に転じた「坊ちゃん」の主人公が、あの天誅事件から3年後に、偶然にも「赤シャツ」の自殺を知り、その真相を炭坑から降りてきた「山嵐」とともに探るというミステリー。再び赴いた松山の地で彼等を待ち受ける謎と事件と誘惑。癲狂院のターナーが描き続ける自殺の風景。無人島に炙り出された、ひとつの言葉。人は思いのために、何を犠牲にするのか?歴史は流転し、正邪は翻る。だが、快男児は唯一人、全ての妄念を超えて明治の波涛の先に立つ。
全編これ「小説」の面白さに満ち溢れた作品。作者の企みは「坊ちゃん」という日本小説史上の大傑作をミステリとして再構築するという大胆不敵なものだが、ミステリ読みの目からは充分に及第点を御進呈できる。しかも、ここまで、原作のプロットを弄びながら、主人公の一本気ぶりは、どこまでも気持ちがよく、決して原作の持ち味である爽快な読後感を壊していない。重厚長大の時代に原典並みの程好い長さが嬉しい快作。これに賞を与えた選考委員の趣味の良さにも敬意を表する次第である。極めて日本的にして、国際競争力を持ち得る作品であろう。御勧め。


◆「ノクターン」Eマクベイン(ポケミス)読了
シリーズ第48作。「これぞ巨匠のルーティン作」と呼んでおこう。


2002年11月16日(土)・11月17日(日)

◆今更にして「濱マイク」が、マイク・ハマーの地口だった事に気付いて愕然としているkashibaですう。あああああ、この血の巡りの悪さは、一体なんなんだああ。
◆朝方、図書館に行って読了本を返し、2週分の通勤の友を確保。あれほど手を尽して探し回っても縁のなかった「エンジン・サマー」なんかをあっさり借りる事ができるんだもんなあ。図書館ってホントに偉いよなあ。あとは一日中、当家に宿泊中の母親のお相手。只管くっちゃべっる。夕方から奥さん方の御両親も集まって当家で蟹スキ。一日四食ペースで胃拡張気味である。
◆ポストを覗いたら、森さんから1冊、新刊が届いていた。
「Hildegarde Withers:Uncollected Riddles」Stuart Palmer(C&L The Lost Classics) 2850円
おお、噂のヒルデガード・ウィザース未収録短篇集!今年に入ってからの原書講読で惚れ直したオールドミス探偵の失われた冒険譚。これは嬉しい作品集。「ミス・マープルのライヴァルたち」というカテゴリーを設ければ、間違いなくそのリストの筆頭に来るのが、このヒルデガード・ウィザースであろう。森さんの日記によれば、新樹社の「ペンギンは知っていた」に人気が出れば更なる出版計画もあったらしいが、その後の動きがないところをみると営業的には芳しくなかったと云う事なんだろうなあ。これは全くもって「惜しい」としか言い様がない。水増しされた賞取りのコージーミステリをコマメに出すよりも、こういう未紹介の鉱脈をこそ丁寧に紹介すべきだと思うのだが、、、まあ、新樹社そのものが古典ミステリに懲りているのか、最近ちっとも話題がないですのう。ホームページの掲示板もやる気のない出版社の代表格だし。
話をこのC&Lの「ヒルデガード・ウィザース」に戻すと、カバーアートのヒルディの横顔が、美しすぎず、醜すぎずで、これまで見たウィザース像の中では最も自分の持っている印象に近い絵柄だったりする。一度、C&Lのホームページででもご確認あれ。
◆日曜日、前夜の風呂の湯(というか水)を落そうとすると、なかなか流れず、ひたひたと洗い場の方まで水が溢れる状態になる。うへえ、こりゃあ排水管が詰まっているのかな、とチェックするが、見える範囲では左程のゴミは溜まっていない。更に排水の落しの部分に分け入ってみると、二重筒構造の内側の筒と外側の筒の間に手応えがある。小物食器洗い用の針金ブラシを折り曲げ、狭い隙間に突っ込み掻き出すと、1pほど髪の毛が顔を出す。それをつまんで引っ張ると、ずるずるずるずる、縺れて石鹸垢で固まった髪の毛が「うそっ!」という程採れる。そして、ごうごうと流れ込む水。うひょー、これは面白い。なおも掻き出す事数度にして、握りこぶし二つ大のゴミが取れた。ありあがたやありがたや、腐れ髪様じゃあ。自宅で「<千と千尋>気分」。
◆母親が土産代わりに商品券を下されたので(ありがとうございますありがとうございます)、東京駅まで送りだてら、奥さんの口紅とともに新刊買い。
「ウィッチフォード毒殺事件」Aバークリー(晶文社:帯)2000円
「割れたひづめ」Hマクロイ(国書刊行会:帯)2500円
なんといってもマクロイの加瀬解説が圧巻。マクロイの全長編を未訳・既訳を問わず一気に紹介・論評してしまうという画期的な解説。これをやられたら、探偵小説研はおろか逆密室系の「解説者」でも歯が立たない。勿論、原書の読めない著名解説者(同じワセミス出身の新保博久、山口雅也も含めて)全くもってお呼びではない。これがROMの本気というものだ。恐れ入りました。
◆日曜洋画劇場で「ボーン・コレクター」を視聴。久しぶりに地上波の映画をみたような気がするが、やはり20分近くカットされると、辛いものがあった。既に、地上波のプライムタイムの映画劇場という番組はその使命を終えているような気がしてならない。アンジェリーナ・ジョリーの唇って、怖い。


◆「蛇怨鬼」天沢彰(ハルキホラー文庫)読了
作者は「エイトマン」小説でデビューした人(らしい)。個人的に漫画やゲームのノヴェライズを馬鹿にする気は毛頭なく、そこに作者なりのセンスを持ち込み、さながら原作者たちに勝負を挑むようにして「作品」をものにする人も存在する。例えば牧野修などはその筆頭格。しかし残念ながら、この作品は、いかにも字漫画である。小説としては、余りに善良すぎる。
生きながら嬰児を引きずり出された自殺死体。果して誰が赤子を奪っていったのか?奇怪な猟奇事件を追う熱血刑事は、冷たい瞳によって地下の迷宮課へと誘われる。美貌の電脳降霊師が、邪霊を召喚してしまった時、古の呪は街に降る。次々と屠られていく孤独な男女。失われたリンク。気を磨く乙女。封印を護る眠り猫。放たれた野心。冥界よりの新種。縺れた蛇が穿つ穴。別たれた双子たちの闘いは、闇の中に咲く。
新宿鮫をモデルにしたようなキャリア警官、愛よりも研究をとった美人検察医、重過ぎる宿命を背負った霊能女子高生、そして出世よりも正義な熱血刑事。まず、キャラの立て方がなんとも劇画村塾である。ここまであからさまに設定がウケ狙いだと、思わず引いてしまう。いや、それでも展開がそれなりにハードボイルドであれば、まだ許せる。基本的に捨てキャラと主役級の落差が激しく、展開が緊張感に欠けるのだ。ああ、こいつは絶対に死なないんだ、という安心感とでも云うか。またメインとなるアイデアも、リング・シリーズの劣化コピーという印象を免れない。華のないまま絵柄が固まってしまったセミプロのルーティン作なのかなあ。


◆「傀儡后」牧野修(早川書房)読了
著者初の連載小説。ファーストインパクトで変容した大阪を舞台にした、極彩色でブロブでワイヤードで皮膚感覚な服飾スプラッターパンク。暴走する悪意のカタチが凄い。その歪なまでのイマジネーション、冴え渡る未来予知、歯車の狂った特撮コスプレ趣味、弄ばれるジェンダー、グルメなネクロフィリア、交合する人口無脳、励起される暴力、退廃と悪洒落を纏う運命は輪舞、親子喧嘩という名のハルマゲドン、地球内妊娠、虚実は縺れ、脱ぎ捨てられた世界が、新たなる生命の下に埋め尽くされる。終末絵画に救世主の姿はない。
この作者の作品にしては、非常にとっちらかった印象を受ける作品。連載の1話分に全力投球したためか、引きは凄いのだが、それが次にスムーズにつながらない。全体を通して誰に感情移入して読むべきかを迷っているうちに、最後の闘いに雪崩れ込んでしまい、パーツの鋭さ・面白さを束ねる柱が弱い。後書きでいみじくも作者が吐露しているように、これは「牧野修」級のスーパー読者を前提に描かれた小説であり、とことん読者を選ぶ。これまで、少なくとも長編作品においてはSF素人やホラー素人にも取っ付きやすい組み立てを採って来た作者が、この作品についてはノーリミットである。例えば出世作「MOUSE」も、読者を選ぶ作品ではあるのだが、ミステリ読みにも安心して進められる予定調和が感じられた。それが、この作品にはない。最後まで安心できない。最後まで不安である。それが作者の狙いであれば、成功している。


2002年11月15日(金)

◆今夕より母親上京。何か読むものを用意しておこうと、昼休みに新刊書店で悩む事しばし。知っている人は知っているが、私の母親は推理小説の趣味がうるさい。これはもう凄くうるさい。今をときめく宮部みゆきを「鬱陶しい」の一言で切って捨てる人だ。以前であれば内田康夫の新刊をとりあえず準備しておけばよかったのだが、1年前に実家の傍にブックオフが出来た事により、内田康夫は忽ち半額になってしまうという事を学習した。従って内田康夫を新刊で買うのは「勿体無いなあ」なのである。いや、それはこちらが買うのだから、勿体無いも何もないんだ、というような理屈は関西生まれ関西育ちの女性には通じない。あれこれ悩んだ末、1冊だけ新刊文庫を購入。
「動機」横山秀夫(文春文庫)500円
なんたって推理作家協会賞だし、前作「陰の季節」は面白かったし、テレビドラマにもなっているし、なによりネットでもリアルでもこの作品については賛辞以外聞いた事も見た事もない。さあ、どうだ!

就眠前に、母親に「はい、これ読むもの」と渡した。
手にとってパラパラと見た母親は一言。

「なんや、短篇かいな」

横山秀夫の負け。

◆阪神とあーさーまっけんをこよなく愛するペインキラーさんが、「愛・蔵太氏の『今日の言葉』に誰が一番早く採用されるか!!」という、さながら「サンガリア提供!田淵にランニング・ホームランを最初に打たれる投手は誰で賞?」並みに気の長いコンテストを開催されているが、気の短い私としては、ミステリネットのみんなが、逆に愛・蔵太氏の日記から言葉を拾って、一斉に日記のネタにする、という企画の方が手っ取り早いような気がする。
などと、アホな事を思いついたのも、14日付の愛さんの日記の一文が痛く金銭に振れた、もとい、甚く琴線に触れたからである。
そこで氏は「古典本格推理小説は、あたたも恐竜が鳥になったように、コージーに引き継がれてるんじゃないか」との思いを綴っておられる。

これは達観だと思った。絶滅したと思われていたものが、一つ進化の階段を上がって生き残っていたという比喩も言いえて妙。確かに、コージーの中には、古典の血が流れている。これは、京都大学発ジュラシック・パークにして、今更にカンブリア爆発な日本の新本格状況とは全く趣を異にしている。

例えば、ナンシー・ピカードは、食材のチャンピオンたる鶏
例えば、ジル・チャーチルは、華麗なピンクのフラミンゴ
例えば、キャロリン・G・ハートは、口真似上手の九官鳥
例えば、シャーロット・マウラウドは、堂々たる灰色ペリカン
例えば、リリアン・J・ブラウンは、はしっこい鳶
期待の新星、ドナ・アンドリュースなんぞ、鳥以外の何者でもない。

それはそれとして、外れモノをあててみるのも一興。

例えば、マーサ・グライムズは巨大化したうえに乱獲(作)で滅びてしまったドードー、
例えば、ハーバート・レイズコウは、鳥になれなかったヘビトカゲ
で、ようやく、2つめの翻訳が出たグラディス・ミッチェルとかは、さしずめ翼手竜なのだ。
ばっさばっさ。


◆「イミューン」青木和(徳間デュアル文庫)読了
第1回日本SF新人賞佳作に輝く作者の処女作。1961年生まれというから推理小説でいえば新本格第1期世代であり、SF界では遅咲きの部類。ぎりぎり30代、20世紀のうちに滑り込みデビューを果たせた、といったところか。デビュー後も「大神亮平奇象観測ファイル」というシリーズを、まずは快調なペースで上梓しており、新人育成プログラムとしては順調な部類。この作品は、いわば青春小説の文体で書かれた「戦隊もの」。とはいえ「図書館戦隊ビブリオン」などとは対極にあるシリアスな物語である。
桜吹雪。そして静かに消えていく人々。虐めから不登校症に陥っていた小南拓は高校に進んだ。心機一転、人生のネジを巻き直そうとした拓に友人が出来た。鳶色の髪のフユルギ。彼もまた孤独な男であった。その出逢いは、予め神の設計図に記されていたものだったのか?拓の気丈な母が「汚染」されてしまった時、凄絶な闘いの幕は開く。唐突な徴用。演習抜きの覚醒。炸裂する<アズールブルー>。拒否する<イエローオーカー>。怒れる<クリムソン>。増殖する「敵」に浄化の光を放ち続けるうちに、興奮と歓喜に包まれる少年たち。だが、7人の均衡は最初から崩れていた。撃つべき者を失った時、刃は自らを傷つけて行く。神との取引、友情の代償、そして別れ。次の年の桜吹雪に立つ色は、何色?
最後まで「敵」の正体も、彼等に力を与えた「主」の正体も明らかにされない。ガイアの生理なのか?神の機械なのか?作者の筆はただ人の視点から、熱狂の1年を綴る。まあ、ビッチな紅一点以外、チーム全員がコンドルのジョーであるガッチャマンとでも申しましょうか。些か、キャラクターの整理が悪い。また、大人たち(例えば、連れ合いを原因不明の病で失った父や、通常の警察活動)がどう闘っていたかが全く見えず、世界の狭さが気に掛かる。モンタージュ的に世の反応を挿入するだけで、随分印象が変わると思うのだが、その筆を惜しんだのか?それとも徹頭徹尾、透明感の溢れる硝子細工を組み上げたかったのか?ただ、成長小説としてのツボは押えており、読後感はそれなりに満足のいくものであった。なるほど「佳作」を獲ったのも、「佳作」どまりだったのも納得のいく作品である。良くも悪くも「デュアル文庫」。


2002年11月14日(木)

◆新刊1冊。
「『黒猫』傑作選」ミステリー文学資料館編(光文社文庫:帯)800円
『黒猫』も、かつて勢いで一気買いしてしまったので、内心忸怩たるものがあったが蓋を開けてみると、「戦後版ぷろふいる」だの「トップ」だのからも作品が採られていたり、書誌もみっしり詰まっていたりで、まずはお買い得の1冊。やはり、この企画は凄すぎる。このような過去の幻の雑誌を振り返る企画って、きっと海外でも例がないに違いない。日本の推理小説出版シーンはまさに盆と正月が一緒にきたような状態にある。気がつくと大晦日とはるまげどんも一緒に来ていたりしないだろうなあ(ぼそっ)。
◆帰宅すると「本の雑誌」の最新号が届いていた。毎度ありがとうございます。今回の特集はアンソロジー。北村薫を筆頭にアンソロジストたちの思いや企みが綴られていて吉。これこそ、読み手としての特徴がでるところなので、一度ミステリサイトの主宰者が、それぞれに「謎のギャラリー」を編んでみるって企画なんか面白いかもね。
「謎のギャラリー<小林文庫>編」(うわあ、こりゃあ、濃いぞお)とか、
「謎のギャラリー<みすべす>編」(読み聞かせに適したお話がいっぱい)とか、
「謎のギャラリー<密室系>編」(付録に、折々の密室365日版)とか、
「謎のギャラリー<BAR黒白>編」(これも無茶苦茶濃いだろうなあ)とか、
「謎のギャラリー<ガラクタ風雲>編」(香山滋にウエスタンに香港映画にTV脚本に望月漫画に、、ぐちゃぐちゃである)とか、
書いてるだけでムフフと笑みが込み上げてくるではないか!と、勝手な妄想で盛り上がって、日記の行数を稼ぐ。これぞ「人のふんどしで相撲をとる」アンソロジーの極意である(らしい)。


◆「ダイナマイトパーティーへの招待」Pラヴゼイ(早川ミステリ文庫)読了
ヴィクトリア朝時代の倫敦を舞台に、ホームズの世界では無能の代名詞だったスコットランドヤードの刑事クリッブとサッカレイ巡査を主人公にした歴史推理シリーズの第5作。なぜか未訳のままで残されていたこのシリーズの4〜7作目もサクサクと翻訳が進み、残すところ第7作のみとなった。しかも文庫オリジナルでの出版であり、これは早川書房の英断に敬意を表したいところ。絶対翻訳など出ない、と信じてペンギン版で揃えてしまった私としては全くもって「お見それ致しました!」という思いで一杯である。まあ、それだけラヴゼイが商売になる作家だという事なのであろう。
さて、このシリーズはどちらかといえば、本格推理の論理のアクロバットを楽しむいうよりは、当時の風俗の描写に力点が置かれているのだが、この第5作は中でもその色彩が濃い。なんとクリッブ刑事が、アイルランドの爆弾テログループに潜入して、その陰謀を暴くという、「大追跡」やら「大激闘」ばりの物語だったりするのである。エイモス・バークが富豪刑事からスパイに変身したぐらいの落差があって、正直なところクリッブってこんなに格好よかったか?と「?」が3つぐらい並んでしまう程に、藤達也か、ショーン・コネリーなのである。
爆弾テロ事件の史実を踏まえつつ、お得意のスポーツネタも盛り込み、驚異の新兵器(「ホームズの優雅な生活」で出てきたアレです、アレ)も登場させて、波瀾万丈のオモシロ読み物に仕上げたラヴゼイの異色作。冷酷な敵の女性首魁とクリッブのくんづほぐれつの絡みも、この類いの読み物のツボを心得たものであり、まずは及第点。「本格推理じゃないから、厭だ」といってるような人も、騙されたと思って御一読あれ。ちょいと「騙し」のネタも仕込まれてますから。


2002年11月13日(水)

◆定点観測で一駅途中下車するも坊主を引く。購入本0冊。
◆「天才柳沢教授の生活」視聴。先週の書籍ネタに続いて、今週はピアノネタ。我が夫婦に合わせてくれたかのような展開である。ところで、今回はエンドクレジットをみていると「石田太郎」の名があって驚く。あれ?どこに出てたっけ、としばらく考える。小池朝雄亡きあとの刑事コロンボの声、カリ城のカリオストロ伯爵の声の人だもんな、絶対聞き逃す筈はないのだが、と悶々としていたら、ようやく思い当たった。黒枠の写真でしかでてこない死人(田丸物産会長)の役だ!なるほど、そりゃあ、耳では判らんわい。
このテレビシリーズ、みている人は御存知だろうが、朝の8時から開店している古本屋という朝型人間の私からすれば夢のような古本屋が出てくる。古本屋に通い始めて今年で32年になるが(うへえ、書いてて厭になるなあ)、そんな時間から開けている古本屋なんぞ見た事も聞いた事もねえぞ!と一旦は吼えてみるものの、考えてみれば、最近のネット古書店ってのは云ってみれば24時間営業だよなあ。と、納得してみたりして。
◆一昨日のぶたぶたネタの日記についてよしださんから同氏の日記でお褒めの言葉を頂く。ありがとうございます。
また掲示板で安田ママさんから、まーだーぐうす32にお褒めの言葉を頂く。ありがとうございます。
といっても、これがために「ぶたぶた」の売り上げが伸びるというよりは、単に自分が嬉しかったりするだけで、そこが宴会屋の宴会屋たる所以なんでしょうがね。まあ、パロディの出来がいいのは聖典への愛の証だって事で。


◆「お前が悪い」火浦功(角川文庫)読了
「幸せの青い鳥」に続く作者の第2短篇集(で合ってるかな?)。16編収録。内3編がJIS(日本情報部)のエージェント・マモルを主人公としたドタバタ・SFスパイもので、やや長め。他の13編は、ショート・ショートに毛が三本生えたような作品。アイデアの新規性はないものの、のほほんとした語り口で読まされてしまう。マモル・シリーズ以外は、典型的な「安心して読める」アイデアストーリーが並ぶ。比較的ロボットものの割合が高く<20世紀から見た未来の日常>がなんとも懐かしい。逆に、大宇宙を舞台にしたような話は少なく、未来の大四畳半というか2LDK的な設定が多いように感じた。この辺りが、短篇を書く時の作者の視野角なのかもしれない。
お気に入りは、タルホ的バカ話の巻頭作「信じようと、信んじまいと」、
火の鳥・復活編の一場面を思わせる(そして、意外にも感動的な)「ロボットたちの浜辺」、
完璧なショートショートにする事を敢えて拒否した「人間以前」あたりかな。
JISのマモルの3編「タイムマシンは永遠に」「私を愛したセックス・テレパス」「女王陛下のメカ・スパイ」は、題名のベタなイメージそのままの質の悪い007パロディー。まあ、字で読むホモホモセブンなのだろうか。東郷隆の丁稚シリーズに比べれば、全くもって原典への愛が足りない、というか、愛などない。コピーのコピーの劣化コピー程度の作品。馬鹿をやるのに真面目さが足りないのである。この3作さえなければ、岬兄悟が解説で絶賛する作者のセンスが横溢した作品集と褒める事ができたのだが。残念。


2002年11月12日(火)

◆韓国デジタルコンテンツ事情の話を聞く。先週、韓国でその類いのコンテンツショーがあったらしい。Digital Contentから「DICON」という名称を作ったとか。これを「だいこん」と発音するのだそうな。中味がアニメやら漫画の話なので、どうしても「ダイコン・オープニング・アニメ」を連想してしまい、「だいこん」という言葉が講師の口から出るたびに、頭の中で「地球防衛軍」のテーマが鳴り響いてしまうワタクシなのであった。
「ディズニーは数億円かけて年に1本のフルアニメをつくり、手塚治虫は一千万円で週に1本のリミティッドアニメを作った。デジタル・ネットの時代のアニメ商売は、日に1本のフラッシュアニメを百万円で作り、作品をタダで見せ、キャラクター商売で儲けをとってはどうか?」という提案があって、なんとなく頷いてしまった。普段から「ネットと料金徴収って馴染まないんだよな」と感じているもので、最初からネットを宣伝の場と割切るコンテンツ商売の在り方に納得してしまったのである。
◆新刊1冊。
「創元推理手帖2003」(東京創元社:帯)600円
ああ、やっと現物に巡り遇えたよ。なるほど、毎日のミステリ史上出来事が書いてあるだけの「手帖」なのだが、これは楽しい。因みに私の誕生日が山口雅也・大倉崇裕と同じなのは知っていたが、レイモンド・ポストゲートとも同じだとは知らなかった。また同じ日に、保篠龍緒が生まれ、モーリス・ルブランが死んでいた。ルパンに縁のある日だったんだ。


◆「はじまりの島」柳広司(朝日新聞社)読了
かの博物学者にして「進化論」の作者で知られるチャールズ・ダーウィンを名探偵役に配した本格推理小説。時は19世紀初め、舞台は、ビーグル号が立ち寄った太平洋上の孤島<魔法にかかった島>ガラパゴス島。即ち、日本人が一人も出てこない作品である。このまま、冒頭を井上勇風の生硬な訳文調で書いてもらえば、間違いなく欧米製のミステリだと信じたであろう。この作者の作品はこれが初体験であるが、セオドア・マシスン的に歴史上の有名人(実在・架空を問わず)をモチーフにした長編作品を精力的に発表しているらしい。この作品、結論から言えば、滅法面白かった。これだけ、調べの行き届いた、そして歴史ものである事に必然性のあるミステリはそうお目にかかれるものではない。
物語は、ビーグル号がガラパゴス島に立ち寄った際に起きた連続殺人を、専属画家であったオーガスタ・アールが30年後に語る、という構成を取っている。巨大な蜥蜴たちの島に伝わる狂ったスペイン人の伝承。悪魔の島の最初の犠牲者は、船付きの神父。静かに縊り殺された死体が物語る殺意の罠。襲われたフェゴ・インディアンの少女は足音を聞かず、グルメの料理人は泉で息絶える。そこにあるものは闇、魂の嵐、破壊された文明、試される信仰、失われた威厳、象ガメの歩みの如く時は刻まれ、はじまりの島に光が降る。
非常に緻密にして逆説的な本格推理小説。ダーウィンを嫌っていたチェスタトンの探偵の推理法を思わせるところが、なかなかに皮肉である。とにかく、この時代であり、この場所でなければならない、理由が嬉しい。殺人法にも工夫があり、まずは堂々たる黄金期古典を思わせる推理小説に仕上がっている。リーダビリティーが高すぎる事がむしろ勿体無いと感じさせる雄編。これは、この作者の他の作品も試さねば。イギリス人の書いた歴史推理ばっかり読んでいる場合じゃないかも。とても御勧め。


2002年11月11日(月)

◆少し残業して、3日連続で奥さんの実家へ。昨日、イカ墨スパゲッティのもとを解凍したのだが、牡蛎フライで腹一杯になってしまい、「んじゃあ、明日、食べましょう」という事になってしまったのであった。すっかりマスオさん状態である。んがんん。
◆もたもたしているうちに10時を30分を回ってから帰宅。今日は「ナイト・ホスピタル」を見逃したねえ、とテレビをつけると日米野球の御蔭で30分繰り下げ放映。ご縁のある番組というのは、このようなものなのであろう。今回も変な血液型と黴系の病気が出てくる。お涙頂戴を絵に描いたような話だったが、つい見入ってしまう。おーぷん・ざ・ほすぴたる〜。
◆原書講読は再びドハティーに戻ってアセルスタンの第8作を読み始める。で、第7作のラストで思いつめて教区を去っていった筈のアセルスタンが「実はまだ聖アーコンワルド教会にいるのです」。マジかよ?あの感動の幕切れはなんだったんだああ!!これじゃあ、小僧の家出だよ。一体何があったんだ!街を出たところで山崎ぶたぶたさんにでもであってしまったんだろうか?

「老馬フィロメルに跨った修道士の前を、ロンドン橋の晒し首ぐらいの大きさをしたピンクの固まりが、とととと、と横切っていった。退屈そうにしていた片目の黒猫ボナベンチャーはひょいと修道士の懐から飛び出ると、その固まりにじゃれついた。
『きゃあああ』
中年男の悲鳴があがる。なんだ?思わず修道士は辺りを見回す。だが、朝まだき夏のオックスフォード街道を行くものは彼等の他に誰もいなかった。
『や、やめてください』
数々の『不可能』や『奇蹟』の謎を解き明かしてきた修道士はそこに信じられないものをみた。中年男の声は、ボナベンチャーが組み敷いたピンクの固まりから聞こえる。黒い点目に、右側がめくれあがった耳、先が濃いピンクをした短い手足をばたつかせているその姿は、どこからみても<ぶたのぬいぐるみ>だった。
『おお、神よ!』
アセルスタンは僧職に就いて以来、初めて自分の信仰を疑った。」
てな感じでしょうか。違いますかそうですか。

安田ママさん主宰「ぶたぶた」強化週間連動企画でした。


◆「歪んだ朝」西村京太郎(角川文庫)読了
オール読物新人賞を受賞した表題作を始め、初期短篇5編を収録した文庫オリジナル。「焦げた密室」のおぼこいミステリマニアぶりは影を潜め、当時全盛の社会派推理が並び、傾向と対策を施して賞取りに来た作者の意気込みを感じる。というか、本格推理のなんたるかを切り捨てた近頃の作者の通俗ぶりをみると「なんだデビュー当時に戻ったのか?」と言えなくもない。一体、我々の愛した「殺しの双曲線」やら「おれたちはブルースしか歌わない」やら「伊豆七島殺人事件」の西村京太郎はなんだったのであろうか?以下、ミニコメ。
「歪んだ朝」表題作にして受賞作。山谷育ちの少女の絞殺死体。その唇には安物の赤い口紅が塗られていた。刑事たちの執念の捜査が、探り当てた幼心の葛藤と悲劇とは?重厚にして告発型の捜査小説。社会の最底辺の描写が痛切。社会派である。視覚的に訴えるものもあり、読ませる。
「黒の記憶」誘拐されて遺棄された少年は、なぜ蟻に異常なまでの反応を示すのか?閉ざされた心の迷宮に挑む刑事の闘い。ワン・アイデアの捜査小説。しかし、この精神分析には、些か納得がいかない。幕切れのバランスも悪く、習作の域を出ない作品に思えた。
「蘇る過去」身に覚えがないまま刺された記者。だが、5年前の記憶が蘇る時、功名心が己を裁く。おお、これぞ松本清張の世界。ブラインドテストされれば、まず西村京太郎と当てる事はできないだろう。
「夜の密戯」多情女を殺したのは、6人のパトロン?51人のボーイフレンド?それとも?実際の事件をもとに推理する企画らしい。内容よりも、本当にここまで遣り手の売女が実在した事の方に驚く。珍品ではあるが、小説としては中途半端。
「優しい脅迫者」クイーンの日本傑作推理12選に採られた佳作。散髪屋が強請られる時、震える手元は脅迫者の喉で揺れる。後にフランスで評判をとったらしい。なるほど、これはエスプリだ。