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2002年9月10日(火)

◆学生時代から付合いのある友人が中国茶の店を開いているので、奥さんと二人で訪ねてみる。場所は東急目黒線の奥沢。なんとも小洒落た店で、お勧めの中国茶を頂きながら、二時間ばかり商売の苦労話などを拝聴する。オープンして約1年、まともに休みも取らず、朝から晩まで働いている由。随分といい面構えになっているのには感心する。頑張って頂きたいものである。
◆「折角奥沢まで来たのだから」と自由ヶ丘まで足を伸ばして、散策方々これもまた小洒落た雑貨店などを冷やかしていく。勿論、「折角自由ヶ丘まで来た」からには文生堂もチェック。三店が一ヶ所にまとまってからは初めての事。二階へ上がって充実した棚を眺めていく。相変わらず100円均一棚のポケミスはお買い得感あり。ざっと店内を見渡して、1冊だけ掴む。
「恐怖からの収獲」Hスコーンフェルド(久保書店QTブックス)300円
恐れ多くもQTブックスの通し番号002番がこの値段。とても高い事で評判の専門店の値付けとも思えない。一冊も買わない(というか買えない)つもりだったが、これはよい買い物をさせて頂きました。

◆「神学校の死」PDジェイムズ(ポケミス)読了
たまには分厚目の新刊を読んでみる。原書講読の方でドハティー漬けになっているために、現在の宗教ミステリがどのような情況になっているのかを見てみたくなったのだ。PDジェイムズは比較的真面目に読んでいるのだが「正義」を飛ばしてこの新作に取り掛かったのはそんな理由による。さて、この作品の舞台は英国国教会のエリート神学校。英国国教会というと(聖公会信者の人には申し訳ないのだが)英国王が自分の離婚を認めないローマ教皇と喧嘩して作った「身勝手な生臭さ宗教」という刷り込みがあって、更に13,4世紀の歴史ミステリを読んでいると「新参会派」としか思えない。従って、この作品で作者が描いた「滅びに向う大権威」というイメージには、最初から違和感があり、逆にその聖なる舞台で演じられたスキャンダラスな犯罪に対しては「さもありなん」と頷いてしまった次第。カンタベリー大司教さん、ごめんなさい。こんな話。
サフォーク州の海岸に建つ聖アンセルム図神学校は150年の歴史を誇る名門神学校。だが、21世紀、そこにも衰退の波は押し寄せていた。国教会の方針によって閉校の危機に晒されていた同校で、有力者の養子であった神学生ロナルドが、海岸の砂に埋れて死ぬ。一旦は事故死として処理された「事件」は、ロナルドの父宛てに届いた謎の告発文書によって「殺人」の可能性を帯びてくる。斯くして、地元警察の面子を立てながら再調査を行うべく、同校に所縁のあったダルグリュッシュ警視が送り込まれる。少年期の甘酸っぱい記憶を引き摺りながら、前校長と旧交を温めるADは、そこで彼の到来直前に起きた住み込み看護婦の穏やかな死にも疑惑がある事を知らされる。そして、閉校を推進しようとする国教会大執事マシュー・クランプトンの来訪は、世俗と隔絶された筈の神学校に様々な軋轢を生じさせていた。学校の財産を護ろうとする現校長、マシューの告発で破廉恥罪に問われた前科者の神父、創始者の末裔でありながら私生児故に相続権のない神学生、マシューを前妻殺しで挙げそこねノイローゼ気味の警部、豚を愛する用務員とその奔放な姉、名誉欲に駆られた学究、様々な人々が集う聖なる場所で、審判の日の見た残虐な殺人の被害者とは?動機の多すぎる事件で捜査官たちが辿り着いた色と欲の構図は最後の対決へと詩人警視を誘う。
随分と古めかしい本格推理の世界にジェイムズは回帰しようとしているのか?50年代のミステリと云われても納得してしまう世界の中で、AD自身の人生を象徴するかのような人々が殺人という非日常の試しに遇う。重厚といえば重厚なのであるが、前半部分の書込みが、メインプロットと上手く噛み合っておらず、無闇に引き伸ばされたレッドヘリングに付合わされたという徒労感が残る。幾つかの「罪」が並行して描かれ、謎を複雑化させるものの、その解き方があっけなく、真相が見え始めた際の爽快感が乏しい。また証拠固めに動く終盤の攻防も冗長。年齢を乗り越えてこれだけの作品を上梓した事には心からの敬意を表するが、これが作者の最高傑作というわけでは決してない。長い推理小説が好きな人はどうぞ。


2002年9月9日(月)

◆実は遅めの夏休みなのである。更新も休んでしまおうかと思った。
なにせ本を読んで感想を書くというのが「日常」なもんで、そこはそれ夏休みぐらい「非日常」を満喫したいではないかっ!
例えば、普段は読めないような本を読んで、普段は書けないような感想を書く、とか。

違う!違うんだってば!!

◆先週の原書を午前中に片付け、昼からは今日の1冊と今週の原書10頁と一日読書三昧。頒布会で買っているワインを消化するために、夕食を奥さんの実家で取ってしこたま飲む。爆睡。
◆牧人さんの日記に反応。生半可なミステリマニアがクリスティーを軽んじた発言をするのは、クリスティーに人気がありすぎて、一般ピープルと差別化出来ないから、という一点ではないかと。 個人的に、クリスティーのベスト5とワースト5をスラスラ言えないような自称マニアには「なんともお気の毒に」と感じてしまう。
ちなみに私の好きな作品は「ナイルに死す」「オリエント急行殺人事件」「ABC殺人事件」「そして誰もいなくなった」「鏡は横にひび割れて」かな。
駄目だったのは「終りなき夜に生まれつく」「死への旅」「バクダッドの秘密」「複数の時計」「第三の女」あたり。「運命の裏木戸」「フランクフルトへの乗客」は余りの評判の悪さに未読でございます。


◆「ベルゼブブ」田中啓文(徳間書店)読了
昔から虫が苦手である。蚊よりも大きな虫には、概ね嫌悪感が先に立つ。なぜこの星はあのような奇矯な生命で満ち溢れているのか、と感じてきた。BEMが Bug Eyed Monster の頭文字だ、と知らされた時には思わず膝を叩いた。風の谷のナウシカは恐怖映画だった。オカルトを少し齧った時に、ベルゼブブという悪魔の中の悪魔がいて、「蝿の王」だと知った時も大きく頷いた。佐伯日菜子がエコエコアザラクで唱える最凶の攻撃呪文「べーるぜぶぶるきふぇるあでぃろんそえもせくあめんるろせくらえるぷらんどかめろるあどあどなのるむまるちろるちもん!!」でも、ベルゼブブは筆頭だ。というわけで田中啓文の直球ど真ん中のホラー大作である。こんな話。
開放者の名は蛭川といった。妻に裏切られ、上司に虚仮にされ、部下からも疎んじられた考古学者。不遇を拗らせ、怨念を囲い、全ての者の不幸を希う男が掘り出した壷の封印を解いた時、この世に禍禍しき呪が解き放たれる。呪は種であり、神に背く者である。シュは蛭川の元妻の息子オサマルに憑き、首都圏のあちこちで<地獄>の扉を拓いてゆく。それは母親を吸い尽くす血飲み児、嘲笑されるエクソシスト、暴走する猿知恵、牙を剥く狂気、さんじわん先生の黙示の文に記された七つのべんぼうが次々と実現されていく中、その現場に立ち会う事を運命づけられた歪なカップルがいた。世界的昆虫学者の両親から生まれた添川瀬美、16歳。アイドルグループTICCAのショウ。虫へのトラウマ。非処女受胎と脳内告知。地獄の向うから乾いた風が虫の羽音とともに吹いてくる。聖なるメンチョーロ。父と母。破裂する詠唱。血飛沫と汚辱の果てに待つものは、聳え立つ白い地獄。そこは世紀末。もう一人の救世主は生誕し、意味を問う。
世紀末に間に合わなかった虫黙示録。生理的嫌悪感極大。エクソシストを嘲い、悪魔崇拝を愚弄し、加速した都市伝説の中で縦横無尽に血の雨を降らせる作者のストーリーテイリングの才はハリウッド級。野卑な地の文や、瑣末的昆虫学が物語にリズムを与え、「かくれ切支丹」の詠唱のもとデフォルメされた聖書が、地獄絵図をパノラマに展開する。<呪いの正体>も斬新で、クライマックスの壊しっぷりや、聖なる大仕掛けも鮮やか。もう少し粘着質の文体で描かれれば歴史的な大傑作になったであろう力作。たいへん気色悪うございました。


◆「A Tournament of Murders」Paul Doherty(headline)Finished
別宅に寄れなかったためアセルスタンの第4作の予定を変更してカンタベリー・シリーズに初挑戦。結論から言えば、これがまた滅法面白かったのだ。
「カンタベリー物語」といえば、14世紀の詩人ジェオフリー・チョーサーが著した中世文学の集大成と云われる巡礼夜話。29人の身分も年齢も性別も異なる巡礼たちが、ロンドンからカンタベリー大聖堂への巡礼の旅で語り合った(という設定の)物語集。教科書でも習う歴史的作品ではあるが、最近では「ハイペリオン」の原型と云った方が通りがよいかもしれない。原作には、22人の話+チョーサーの語る話2編の24編が収録されており、岩波文庫で3冊という大作である。その体裁を借りてドハティーが94年から書き続けているシリーズは、今年の最新作「A Haunt of Murder」までで既に長編6作を数える。旺盛な筆力を誇る作者の事だから「チョーサーを数で越えてやる」ぐらいの事は考えているかもしれない。夫々に原典に倣って副題がつけられており、このシリーズ第3作「殺人トーナメント」は「荘園管理者の話」である。こんな話。

盗賊たちの襲撃の噂に怯えつつ巡礼の旅を続ける一行。今夜は、立派な身なりの荘園管理者が語り始めた。物語は1356年秋、フランスに始まる。エドワード黒太子が大戦果を挙げていた一方で、延びた戦端の一部では負け戦もあった。ポアチエの闘いで、重傷を負った田舎騎士ギルバート・サヴィジ卿は、歳若い従者リチャード・グリーンネルに対して衝撃の告白を行う。それまでペストで死んだとされていたグルーンネルの両親の死の真相は別にあり、それを知りたければ英国に戻りクロチェスターのヒューゴ・コティコルなる法律家を訪ねよと云うのである。後ろ髪を引かれる思いで敵味方入り乱れる戦場を往くリチャードはフランス風に飾られた(後にバイヤールと名づける)戦馬との出会いにも助けられ、命からがらドーヴァーを渡る。ロンドンからオックスフォードを抜け、ウッドフォードの森に差し掛かったところで、盗賊の襲撃を受けたリチャードは、そこで王の森林警護官あがりで戦争忌避者・弓の名手カスバート・バレイコーンに助けられ、道中を伴にすることとなる。更に、ゼイドン・ボイスの村で、魔術使いの疑いで処刑されようとしていた旅商人ギルダスの命を救い、3人で目的地ロチェスターに向う。だが、ロチェスターはペストの大流行により、村の殆どが封印されており、目指すコティコルの屋敷にも灯りは点っていなかった。だが、闇に潜んでいた屋敷の生き残りであるヒューゴの娘エメリーンによってグリーンネル宛ての書状は、無事リチャードの手に渡る。
それは、リチャードの父であるロジャーの遺書であった。枢密院の一員であり、エセックス州クロックハスト荘園の主であった父ロジャーの正体に驚く間もなく、その父がフランス密偵の陰謀の餌食とされ領主夫妻殺しの罪を着せられ投獄された顛末はリチャードの血を沸き立たせた。16年前、フランスの侵略からエセックスの海岸を守護していたサイモン・フィッラタン男爵とその妻キャサリーンを亡き者とし、その罪をロジャーに擦り付けた容疑者は、ロジャーに忠誠を誓った5人の騎士の一人だと遺書は告発していた。勇躍、今は住む者とてなきうち捨てられた島のクロックハスト荘園に乗り込んだ一行は、そこに、5人の騎士フィリップ・フェラーズ卿、ライオネル・ビューモント卿、ジョン・ブレマー卿、ウォルター・マニング卿、ヘンリー・グランサム卿を召喚し、当時の状況を聞き出そうとする。だが、5人の騎士が集う前に、島を一回りしたリチャードの眼前に突如謎の黒騎士が現われ、そしてかき消える。それは、脱獄の後、非業の死を遂げたと伝えられる父ロジャーの亡霊だったのか?更に、「チーズを寄越せ」と襲い掛かってきた隠者バスラックによって、とある証拠がリチャードにもたらされる。やがて騎士達が勢揃いする中、更なる怪異が一堂を襲う。館の二階で、拍車の音とともに現われた甲冑が「復讐は我にあり」という血文字を残して消えてしまったのだ!引き続き、何者かによって島と陸を結ぶ唯一の橋が焼き落され、雪の中の孤島に取り残されてしまう一行。虎視耽々と仇敵バレイコーンの首を狙うウッドフォードの盗賊ドッグヴァルトとラッツベイン一味。雪の孤島で繰り広げられる血のトーナメント。放擲される生首。必殺の矢を寄せ付けぬ黒騎士。そして新たな密室殺人事件。果して、リチャードは、フィッツラタン男爵夫妻殺しの真犯人を指摘し、父の冤罪を晴らす事ができるのか?「鷲は真実を掴む。日の下に新しきものは何もなし。」我が紋章に栄えあれ!

1340年の連続殺人とダイイングメッセージの謎。現われては消える黒騎士のトリックとその正体。1356年の密室殺人。そして、物語の語り手は誰かという謎。惜しげもなくミステリのネタを盛り込んだ大興奮の熱血歴史怪奇推理譚。自分探しの旅に突如送り出される18歳の青年が、旅をしながら、弓使い・魔法使い・女性法学見習いを仲間にして、父の無念を晴らすために最後の決戦場に乗り込むというプロットは、さながら中世ロールプレイングゲームの世界。これは燃える。しかも館では、これでもかっ!という血塗れの怪奇現象が続き、何かが解明されようとすると、そこで敵が襲い掛かってくるという展開の妙。なんとも贅沢なオモシロ読み物である。密室の解法や、怪奇現象のトリックは、種明かしをされると例によって「なあんだ」ものではあるが、この語り口の中でやられると、それはそれで許してしまえる気になる。ようこそ、騙りの迷宮へ。ヒュー・コーベットや、アセルスタンの読者よ、このシリーズも見逃す事勿れ。


2002年9月8日(日)

◆昨日の疲れが出て夫婦二人で半日寝る。本が読める!と思いきや、英語が頭に入らず忽ち睡魔が襲ってくる。結局、今週の原書は残り50頁でギブアップ。
◆夕方、散歩方々食料品の買い出しに出かけたら、徒歩3分のところにスーパーマーケットがオープンしている事に気づき、散歩にならなかった。カップヌードル69円とか、大福30円とか、サンマ80円とか云う暴力的安売り価格に感動する。
◆たまには肩の凝らない映画でも見るかと日曜映画劇場の「オクトパス」を見始めるが、余りの詰まらなさにめげて50分経った所で叩き消す。これを映画館に見に行った人は災難ですな。本当にこれが2000年作成のアメリカ映画なのか?と見紛う出来映え。国際的なテロリストを護送する潜水艦が大蛸に襲われる、という話なのだが、蛸が出てくる迄の爆弾テロの描写が不要に長い。ようやく蛸が出てきたと思ったら、これがしょぼい事しょぼい事。エイリアン2を意識したような画面作りなのだが、どうみても蛸に「原寸大の迫力」しかないのだ。いやあ、参った参った。淀川長治が生きていたらどんな風に解説をつけたのだろう?

「はい、海を舞台にしたパニック映画いろいろありました。ジョーズ。怖いですね怖いですね鮫ですね。今日の映画はオクトパス。蛸ですね。大きな大きな蛸が潜水艦襲います。中にはCIAの捜査官と国際的なテロリスト乗ってますね。さあ、一体どうなるんでしょう。色々な映画思い出しますね。でもいかしません。蛸ですから。はい、もう時間来ました。後でまたお会いしましょう。」お会いできなくて残念です。

◆口直しに、奥さん宛て誕生日プレゼントのオマケで私の親が送ってくれたDVD「千と千尋の神隠し」を視聴。その圧倒的なイマジネーションと有無を云わせぬ緻密なアニメーションに魅入る。これは、凄い。二時間がアッという間に過ぎる。<顔なし>の正体やら、帰還した3人のその後やら、あれこれと気になる事はあるのだが、語らぬ事で物語に深みを醸すというのも宮崎駿クラスであれば許されるか。なんといっても一番の謎は、斯くもぶっとんだファンタジーを日本の老若男女がこぞって映画館に見に行ったという事であろう。ファンタジーやSFが売れない理由・小理屈の全てを無効化する作品。ああ面白かった。


2002年9月7日(土)

◆牧人さんの日記で「架空日記」に反応頂きました。わーい、わーい。
◆奥さんがピアノの発表会を催すに当たり、控え室の留守番役を仰せつかる。自分の母親もピアノを教えていたので、このシチュエーションは無性にノスタルジーを掻き立てられる。調律の音、おちびさんたちの嬌声、親達の緊張、駆け回るクソガキ、溢れる花束、とにかく目にするものすべてが懐かしい。昔と違うのは、お父さんたちがビデオムービーを三脚に据えて狙っているところかなあ。ところで、今回の会場は、自宅から歩いて3分の生涯学習センター&図書館に併設されたホール。なぜかここの控え室は、内側からしか鍵が掛からず、誰かが留守番をしないといけないという取り決めになっているらしい。「うーん、絵に描いたような密室殺人の舞台だよなあ。」と、わくわくしながら(おいおい)今日の一冊を読み耽る。
◆終了後は、打ち上げと奥さんの誕生祝を兼ねて義父母さんたちとで近所のフランス料理店へ。したたかワインを飲む。メインは些か手堅すぎるが、サイドオーダーした「いわしのなめろうタルタル仕立て」が滅法美味。千葉の郷土料理を洋風にアレンジした一皿で、これを食べるためだけにこの店に来てもいいねえ、と4人で盛り上がる。チーズも品種を揃えており、自宅から徒歩3分にこんな店があったのか、と今更ながら感心した。毎度ごちそうさまでした。

◆「マニアックス」山口雅也(講談社)読了
作者の「奇妙な味」への傾倒ぶりを示す作品集。背筋の伸びた折り目正しい本格推理を世に送る傍ら、行く所まで行ってしまったマニア向けに、行く所まで行ってしまった作者がこつこつと書き溜めてきた作品が並ぶ。作者の神髄は、キッド・ピストルズに代表されるような、尋常ならざる世界での尋常なルールに基くパズルの解法にあると思うのだが、この本の収録作はその対極に位置する。世界はこの我々の棲む世界、だが、そこにいる人々はどこか捩じれ、歪み、壊れ、異形のルールに支配されている。どちらが取るかといわれれば、本格推理の書き手の方の山口雅也を残して、奇妙な味の山口雅也は反地球に御進呈してしまいたいのだが、まあ読んでしまったものは仕方ない。以下、ミニコメ。
「孤独の島の島」孤島に住み漂着物を収集する女性アーティスト。その取材に臨んだ雑誌記者が見た、壜の中の真実とは?題名こそクイーンのパロディだが、中身は裏返しの夢野久作あるいはブラッドベリ。逆転の美学を排したリドルというのは、あまりにパターンではないか。プロットもぎくしゃくしており、やりたい事は判るが、余り評価できない。
「モルグ氏の素晴らしきクリスマス・イブ」遅咲き人生最高のクリスマスイブがやってくる。頼もしい編集者、思いを寄せる女性、押しかけてくる作家友達。諸人こぞりて、歌えませり、死の唄を。毒薬と老女系のホンキートンクなシチュエーション・コメディー。折角のモルグ氏の前歴が全く死んでしまっており、肩透しに終わった一編。最初は構想があったのだろうが、描いているうちに最初と違うオチになってしまったのかなあ。
「次号に続く」ブック・スタンド前の興奮。少年の憧憬と無垢によって、パルプ・ライターの真の姿が、炙り出される。おぞましい異星人の正体とは?そして、物語の結末は?アメリカンにノスタルジックな「なんでもあり小説」。日本を舞台に置換してみると、この話の荒唐無稽さがよく理解できる。近くて遠いなんでもありの国アメリカなればこそ、この話の嘘とメタを支えられる。これは異形の中の異形なのである。うまいな。
「女優志願」メイドが目指す歌って踊れる女優の夢。トーキーの到来が拓く野心は禍禍しき契約によって栄光の道をひた走り、そして復讐の女神は、ぎくしゃくと裁きの腕を揮う。典型的な悪魔との契約もの。設定は魅力的なのだが、活かしきれていない。これはもっと映画的なガジェットを盛り込んで欲しい作品。
「エド・ウッドの主題による変奏曲」原子プードル、パリを往く。ヘタウマを狙った作品。まあ、山口雅也ブランドでなければ、一発で没だ。
「割れた卵のような」次々と転落死する子供、兄より大きな弟、そして謎の人々。誕生を告げる声は、鳥の声。まあ、ありきたりの話。ライナーノートを読むと相当の自信作のようだが、誰かこの本格ミステリマニアの作者に「神の遣わせしもの」というモダン・ホラーの存在を教えてやってくれ。頼む。編集者も編集者だよな。ったく。
「人形の館の館」再読。本格ミステリマニアの中のマニアが密室を描くとこうなるのだそうな。知りすぎた悲劇なのか、痛々しい話である。誰だ、そこでばか笑いしてる奴は!?あ、作者御本人でしたか。


2002年9月6日(金)

◆東京駅発6時丁度ののぞみで下阪し、会議を二つやっつけて22時に帰宅。「よし思いっきり本が読めるぞ!」と思いきや、新幹線車中では爆睡してしまい、結局「読み溜め」が出来るどころか、日々のノルマさえ危なっかしい情況。ああ、最早この身体は<電車の中で立って読む>という読書スタイルが染み付いてしまっているのか。ついネットで遊んでいると睡眠不足が慢性化して、電車で席に座れてしまうと「ここぞ」とばかり身体が眠りを貪ろうとしてしまう。しかし、東京〜大阪間をずっと立つというのもなんだしなあ。はああ、まいおにい。
◆会議の隙間を使って、大阪キタの古本屋を一通りチェック。大阪駅前第4ビル地下2FでポケミスとハヤカワSFシリーズをジャケ買い。
「インベーダー」Kローマー(早川SFシリーズ:カバー)200円
「死ぬのは奴らだ」Iフレミング(ポケミス:カバー)200円
「ドクター・ノオ」Iフレミング(ポケミス:カバー)200円
他にもナポソロが1から9までジャケ付き200円均一とか一昔前ならとりあえずダブリで押えてしまうようなものもあったが、金欠につきスルー。しかし、安いなあ。大阪ではまだ「ジャケット付きであるが故に値をつける」という末期的症状までは行ってないのでしょうか。
◆牧人さんからの注文がついたので、昨日の日記の表記を若干改める。

◆「悪戯」Eマクベイン(ポケミス)読了
87分署シリーズ第45作。御存知セミレギュラー知能犯「デフ・マン」登場編。「電話魔」「警官」「死んだ耳の男」「八頭の黒馬」と87分署の面々(中でもスティーヴ・キャレラ)に挑戦状を叩き付けては、99%の成功を収めてきたあの男が帰ってくる。「セミ・レギュラーの敵役」という設定は、ホームズ譚のモリアティー教授をもって嚆矢とするのであろうが、87分署の「デフ・マン」ほど長きに渡って活躍してきた悪漢も珍しい。かつては隆盛を極めたエスピオナージュの世界でさえ、ソ連の崩壊以降、レギュラー敵役は急速に絶滅してしまったというのに。なんともタフなデフ、男は稼いでなんぼ、耳はつんぼ。こんな話。
アイソラに春が来る。いつの間にか決して混ざらない人種の坩堝と化した街。怒りと不満が過飽和に達した即発の街。記憶が萎み、愛が擦り減る街。遍く人々に春が来る。そして浮かれた悪戯者がはしゃぎ出す。次々と置き去りにされるアルツハイマーの老人たち。原色に彩られた落書きアーティストたちの死体。そして「あの男」からの挨拶状。一人また一人と仲間をスカウトしながら、着々と「春の祭典」への布石を打ってくるデフ・マン。やがておぼろげながらも標的が<群集>にあることが刑事たちに見え始めた時、既に祭の準備は整っていた。こいつはエイプリル・フールじゃないぜ。
デフ・マンの奇抜な犯罪計画と並行して描かれる「棄老」事件では社会性を、連続<落書き>アーティスト殺しでは本格趣味を盛り込みながら、「カリプソ」の後日談(?)やら、次回作「ロマンス」への芽も仕込んだ巨匠の悠々たるカメラ廻しに脱帽。前作「キス」がやや変化球だったのに対して、実に87分署の初心に帰った作品である。テディとキャレラの<なれ初め>が復習されるため余計にそう感じたのかもしれない。まあ、「アーティスト殺し」が「警官嫌い」の使い回しだいうのも、あるのかもしれないが。とりあえず、シリーズのファンとしては毎回この程度の品質は期待したいところ。やっぱりデフ・マンが出てくると話が締まるなあ。


2002年9月5日(木)

◆掲示板でよしださんから「架空日記」に反応を頂きました。わーい、わーい
◆残業。寄り道せずに帰宅。購入本0冊。
◆ネタがないので、ミステリ・ネット・ウォッチでも。

1)EQFCの重鎮で、このミスの投票者でもあるMoriwakiさんが、遂に古本読書日記をスタート!! 当面「愛妻サイトにパラサイト」状態。うふふふ。これで巡回先が一つ増えた。

2)フーダニット翻訳倶楽部で唯一人クラシックミステリの道を驀進する青縁眼鏡さんが、いよいよ原書感想のページを構築開始。「来たな、真打ち」って感じ。私にとって「風読人」は目標だが、青縁眼鏡さんところはライヴァルである。

3)牧人さんkleeさんが共同開催されている「ソルトマーシュの殺人」対「牧師館の殺人」というディベートも、クラシック・ファン必見。完全ネタバレ方式なので両方とも読んでいないと観戦もままならないが、ミステリネットもここまで来たか、という感慨あり。期間限定で現在折り返し点、10年後にはネットミステリ界の「伝説」となるかもしれない企画を是非リアルでチェック!
まあ、個人的には、世界中のどの国でもいつでも読めて、今尚版を重ねているであろう「牧師館の殺人」と、本国ですら長年入手困難でようやく10年前に復刊されてもそれっきり、日本では訳書が出るのに70年、翻訳の企画が出てから4年も待たされつづけた「ソルトマーシュ」を比べるというのは、なんとも「純」な企画だなあと思う。「ゼロの焦点」と「黒い白鳥」を比べるようなものなのか?

◆「盲目の目撃者」AKダッタ(佑学社)読了
拠所なき事情があってジュヴィナイルで「一日一冊」のノルマをこなす。インドと言えば、キーティングの独壇場かと思いきや、さすが英語圏、ちゃんと地元は地元でミステリを書く人がいらっしゃるわけで、しかも、それが日本語に訳されているというのだから感心する。まあ、逆に言えば、家電製品しか作っていそうにない日本にも推理小説や映画があると知れば「インド人もビックリ」かもしれないけれど。「盲目の目撃者」といえば、甲賀三郎の仙花紙本が脳裏に浮かんでしまうのだが、こちらは、盲目の少年が、ひょんな事から密輸団の陰謀に巻き込まれるサスペンス。こんな話。
主人公の名はラム。彼は、親しくしていた紳士ゴパランさんが、ある日、アパートで一団の男たちに襲われ殺害されてしまった現場を「耳で目撃」する事となる。更にゴパランさんの正体が故買屋で、商売の縺れから殺されたのであろうとの噂に、大きなショックを受ける。ゴパランさんは、将来に悲観するラムをなにかと励まし、点字をラムから教わるなどして、年齢を越えた友情を培っていたのだ。あの人が悪人である筈がない!そう信じたラムは友人のスニルとともに事件の真相を明かす事を誓う。だが、少年達が必死の思いで依頼を持ち込んだ探偵オム・プラカシュは怯えを隠すように一言の元に、彼等の依頼を断わる。そして落胆するラムを狙って「あの男たち」が襲いかかってきたのだ!果してラムは絶体絶命の危機を脱してゴパランさんの無実を晴らす事ができるのか?
世に名を知られた探偵がいる、というのがいかにも推理小説だねえ、と思って読んでいたら、見事に肩透しを食う。基本的なプロットは、巻き込まれ型サスペンス。ゴパランさんの正体が判明するくだりはカタルシスがあるが、そこからが完全に通俗スリラーに転じてしまう。まあ、インドの少年推理というだけの珍品。珍しいものが好きな人はどうぞ。


2002年9月4日(水)

◆散髪したら所持金が500円を切ってしまったので寄り道せずに真っ直ぐ帰る。「<5冊100円>オヤジがえらそーな事言うんじゃねえ!」といわれればそれまでだが、もしその状態で鷲尾三郎や島久平が500円で売っているのに遭遇したりするともの凄く厭ではないか?500円の本を出して「これ取り置いてください」とも言えないしなあ。

◆「怪談学園」田中文雄(飛天文庫)読了
「夏の旅人」「猫恐」「コガネムシの棲む町」「妖髪」「水底の顔」に続く第6怪談集。さすがに幻影城の新人賞を取っただけの事はあって、この人の怪奇・幻想短篇は、いずれも水準を軽くクリアしてくる。しかし、あまり恵まれていない事は6つの短篇集の発行元がバラバラ(早川・光風社・徳間・大陸・ソノラマ・飛天)である事を見れば一目瞭然。私自身、作者あとがきを見るまで、この書を作者の第6怪談集と認識できていなかった。それこそ、阿刀田高や内田康夫のように、どの本にも著作リストを載せていけば、少しは収集家の興味をひくのではなかろうか。あと、せっかく「あとがき」を書かせてもらえるなら初出は書いておいて欲しかった。それから、作者の名前すら平気で間違える飛天文庫なので作中人物の名前がコロコロ変わるのは当たり前。あえて「飯野二三彦」にしたところが「文彦」に戻っているのには笑ってしまったりして。7編収録。以下、ミニコメ。
「怪談学園」人形好きの女子中学生が、人形禁止の学園で、ただ一つ許された人形に邪恋を抱く。剥き出しのリビドー。はしたないピグマリオ。欲望は空間を越え、嫉妬は浮気を許さない。仲良しの末路に唸る佳作。絵として不気味。しかし題名のセンスは凡庸。そうだなあ、「りかくん」とかどうよ?
「時の落ち葉」手の切れそうな百円札の札束を抱えたホームレス。少年との交感と別離。誘拐と失踪。時空を越えた輪廻が記憶を裏切る時、しあわせは何処に?基本アイデアは手垢のついたものだが、<百円札の束>という小道具が憎い。
「首なしバレリーナ」現代版<牡丹灯篭>。怨霊はトウ・シューズを履く。少年達が魅入られた美しいライヴァルたち。30年前の因縁が甦る時、惨劇は二度踊る。登場人物を後から増やしたために、視点が別れてしまい、今一つ乗り切れない。この作者のホラー短篇にしてはなげやりな仕事。
「瓶の中」離別した筈の父が、息子に託した<もの>。我侭勝手のマニアの園が開かれる時、真の恐怖はそこで待つ。作者の分身たちを主人公にした、私怪談。父も作者なら、息子も作者なのであろう。これが田中文雄の心象風景かと思うと興味深く読める。
「魔像を穿つ」なぜか「水底の顔」からの再録。傑作の部類だとは思うが、第6短篇集と胸を張るなら、ダブリは避けるべきであったと思う。
「黄泉烏」父の死、水死の記憶、黒の襲撃、金の誘惑、二つの家族の三代に亘る交わりと悲劇。誰が誰を愛したのか?そして、誰が誰を殺したのか?やや長めの作品。長編並みのプロットを押し込んでいるため、やや息苦しく、最後も書き急いだ感を免れない。1時間ドラマの脚本を見るかのような展開。
「根津怪談」大正浪漫に熟女の祈り。二人の男が愛した女、二人の女が愛した男。譲られた財産は心の裏切りを許さない。男の友情はどこまでも固く、女の友情は儚くもしぶとい。神が裁いたのは人の営み。4人の男女で、闘いの形を描いた快作。このラストは何か凄い。その50年後とか考えると、充分に「新本格推理」の舞台になりそうな。


2002年9月3日(火)

◆掲示板でやよいさんから「架空日記」に反応を頂きました。わーい、わーい。
◆東京経由で帰宅のため、定点観測。
「真説・鉄仮面」久生十蘭(講談社大衆文学館:帯)400円
「ぺーバーバック探訪」宮脇孝雄(アルク新書)550円
何も買うものがないのも癪だったので、二冊拾う。大衆文学館はミステリ関係だけは集めることになるのか?そう言ってるうちに、結局全部集めたくなってしまうのか。実はもう一冊、時代小説の帯付きが並んでいたのだが、眦を決してスルーだ!!なにせ定価が通常の文庫の倍近いために、古本でも左程安くならない叢書。2年ほどして今回の決断を悔いる事になるのかもしれない。丁度百冊というのが「罠」だよなあ。
もう1冊は、わけあって本日の課題本に。いや、実は今日も1冊小説は読んだのだ。で、さて感想を書こうかなと、思ったのだが、どうも読んでいる最中から既視感があって、次の展開が脳裏に浮かぶのだ。これはもしかして、俺って名探偵?それとも一度読んだものをそれと気づかず読んでしまった愚か者?と不安になって、自分の感想文日記を振り返ると悲劇的にビンゴ!! 既に2年前に読んで、しかも結構長文の感想をアップしているではないか!! うっひゃあ、やってもーたー。オマケに、その文章を見ると結構辛口で、今回の感想とは食い違っているのである。これは2年間の間に、自分のミステリ読みとしての感性が甘くなってしまったからなのだろうか? 期待値が下がってしまているのかなあ。うーむ。いずれにしても、このサイトを立ち上げてから二度目の「うっかり再読」。前回はカドフェルだったが今回は87分署である。どうも長いシリーズものはこれがあっていけない。しかし、カドフェルは感想日記を始める以前の読了本だったのでまだしも、感想書いた本の事まで忘れるかな、この男は? というわけで「キス」を再読だあ。とほほ。

◆「ペーパーバック探訪」宮脇孝雄(アルク出版)読了
御存知「書斎の旅人」の作者にして、名翻訳家・宮脇孝雄がアルクの雑誌「CAT」に連載した肩の凝らないエッセイをまとめたもの。毎回少しだけ原文の引用と宮脇試訳が示されているので、読んでいるだけで勉強になるという仕組み。幅広い読者向けに書かれているため、「書斎の旅人」並みのミステリへの造詣の深さを期待すると肩透しにあう。因みにミステリでは、デクスター「消えた装身具」、マゴーン「牧師館の殺人」といった本格から「文豪ディケンズと倒錯の館」といったキワモノ、ハードボイルド代表でサリスの未訳作などが登場する。マゴーンを翻訳前からいち早く紹介しているところがさすが宮脇孝雄である。だが、ミステリ読者にとっては今更感は免れず、むしろミステリ以外のところが滅法面白かった。料理本、エチケット本、幽霊童話、ダイエット体操本、トンデモ宇宙考古学本、詩集、新聞の150周年記念出版、文芸評論、スラング辞典、殺人鬼事典、慣用句事典、天使の本、名前の付け方本、旅行記などなど、とにかくペーパーバックで出ているありとあらゆるジャンルの本が俎上にあげられ、調理されていく。
長年疑問だった成句が実は花屋の宣伝だった、とか、「キングコング」や「風とともに去りぬ」の最後の台詞とか、「政治的に正しい」の語源とか、ライター用辞書の実用性とか、なるほどこれが英語を専門にやっている人の視点か、と多いに楽しめた。というか勉強になった。丁度、英語を読む事を習慣づけている最中なので、ツボに嵌まった一冊。面白うございました。
でも、こんなエッセイもいいけれどその暇があったら「ソルトマーシュの殺人」という本業をきっちりとやって欲しかったぞ、といぢわるを言ってみる。あと、作者が筋金入りの肥満体である(あった?)事が判って急に親近感が湧く。これからはお師匠様とお呼びしようかな?


2002年9月2日(月)

◆掲示板でMoriwakiさんから「架空日記」に反応を頂きました。わーい、わーい。
◆都市対抗野球の応援にいった足でそのまま帰宅。一駅途中下車で安物買い。
「不死の怪物」JDケルーシュ(文春文庫)100円
「魔猫」Eダドロウ(早川書房:帯)100円
「必殺シリーズ完全闇知識 やがて愛の日が編」必殺党編集(角川書店)100円
あ、完全闇知識、買わなきゃいかんなあ、と思っていたら、もう1年も前の出版かあ。これって、きっともう1冊あるんだよね?本屋で買うか、こうなったらブックオフに網を張るか、うーむ、思案のしどころ。って思案しているうちに本屋からなくなってしまいそうな。

◆「詩神たちの館」Dチャクルースキー(早川書房)
ローレンス・ブロックの「泥棒はライ麦畑で追いかける」やら「本の殺人事件簿2」に収録された短篇「最後には微笑みを」を彷彿とさせる「謎の作家」探しの物語。作者の経歴がご立派。プリンストンでイギリス文学を修め、今は医科大学で神経病理学を学んでいる。この作品は「グリフォンズ・ガーデン」のように卒論に手を加えたものらしい。これからアメリカン・ドリームの体現者として稼ぎまくるんだろうなあ、と思うと「この野郎!」感が募るのではあるが、この作品はまさに作者の経歴を踏まえた舞台設定であり、ここから如何に想像の翼で一皮剥けるのかが課題であり楽しみでもある。こんな話。
これは、ポスト・モダニズムの旗手としていまなお読者を魅了して止まない謎の作家ホラス・ジェイコブ・リトル探しの物語である。ぼくは、ジェイク・バーネット。プリンストンを出て、お定まりの自分探しの放浪から戻り、今は三流の娯楽紙《レジャー》で記者をやっている。酒で身を持ち崩したかつての名記者、転じて文士崩れの編集長のフォウガティは、話の勢いで、ぼくにリトル探しの特命を下す。ぼく自身にとってもリトルは自分の生き方・考え方に影響を与えた(今も与えつつある)作家であり、編集長の申し出は渡りに船であった。だが、その探索行は、学生時代には天才を謳われ、そしてリトルに取り憑かれた揚句破滅した同級生アンドリューと、彼のそしてぼくの恋人だったラーラとの再会を余儀なくした。リトルに追われているという妄執の虜となったアンドリューの手記「告白」をラーラから託されたぼく。その物語は、一つの有為の才能が壊れていく過程を狂人の明晰さで綴ったものであった。その「告白」を挟みながら、ぼくはコンピュータ・オタクから今や金融のプロとなったジョージの助けを借りて実にあっさりとリトルのシッポを掴む。期待と失望。恫喝対脅迫。憧れと対決し、昔の恋に身悶えながら、やがてぼくの探索は「詩人たちの館」へと収束していく。双生児の暗喩、造型の剽窃、そして一つの死は、隠されたもう一つの死を指し示す。ぼくは、誰だ?
主人公を始め、女友達、その恋人たち、酔いどれ編集長など、キャラの立たせ方が実に基本に忠実で安心して読める。カットバック手法も心地よく、青春小説の切なさをうまく引き立てている。謎の作家との出会いが、少し前すぎるようにも思ったが、なるほど、こう来たか。この話も「死者の書」同様、序破急のあとの展開に驚愕。それまでハリウッド映画だったものが急にフランス映画になった感じ。追う者と追われる者の転回に興奮。こういう話がお好きな人はどうぞ。


2002年9月1日(日)

◆前日の「架空日記」に全然反応がなかった事に落ち込む。しくしく。「日記は受けてなんぼ」やのに。
◆前の晩、夜更かしして奥さんが借りてきたアメリのDVDを視聴。いやあ、やっぱり面白い。二回目で、改めて色々な伏線に気がついたりする。なんて頭のいい映画なんでしょ。
◆思い立って日記の目次ページ(更新されてますリンクからのリンクページ)にもカウンタを置いてみる。な、なんと、1日にしてサイトのトップページよりも200アクセス多い事が判る。なんなんだよう(泣)
うーむ、ある程度想像してはいたものの、これが現実ですか。まあ、自分も他のサイトにお邪魔する場合、日記に直行・直帰が多いので、お互い様ではあるのだが。アクセス数にこだわるなら、らじ丼みたく、日記にカウンタを置くか、安田ママさんや政宗さんにみたくトップに日記を置くかしてみますかねえ。
◆只管、今週の原書を読みふける1日。今回も1日で140頁読まなきゃいけない羽目になる。まあ、一気読みの方が登場人物の名前を忘れなくていいのだけど、本を読む以外に何にもできなくなるんだよなあ。まあ、考え様によっては「至福の時」ではある。

◆「Murder Most Holy」Paul Doherty(Headline)Finished
快調!修道士アセルスタン・シリーズ第3作。この作品では、1379年の初夏にリアルタイムで起きる連続殺人には「不可能趣味」も「怪奇趣味」もない。ところが、ドハティーはどうしてもアセルスタンには不可能犯罪を解かせたいらしく、「赤後家の殺人」を思わせる<そこで一晩過ごせば必ず死ぬ部屋>の謎を、クランストン絡みのエピソードとして挿入し盛り上げを図る。では、「怪奇趣味」はどうかというと、こちらについては、アーコンワルド協会の内陣から出てきた白骨死体が<奇跡>を起す、という謎を用意してみせる。またアセルスタンの秘めたる恋心にも、少し波風を立ててみせて、「萌え」系読者(欧米にもいるのかね)の興味も引っ張る。いやはや、この旺盛なサービス精神には頭が下がる。こんな話。

1379年初夏、テムズ河畔のリージェント宮で催された国王リチャード2世主催の大宴会に臨席した検視官ジョン・クランストン卿。だが、卿は、賓客であるクレモナ領主ギャレッツォのご機嫌をとるため、摂政ジョン・オブ・ガーントの手によって座興の的にされてしまう。ギャレッツォは、その叔母から聞いたという<そこで一晩過ごせば必ず死ぬ『緋の間』>という謎で、クランストンに1000クラウンの掛けを挑んでくる。完全に閉じられた部屋の中で、次々と外傷もなく死んでいく挑戦者たち。僧侶も、兵士もその間の呪いの前には無力であったという。挑発に乗って掛けを受けたクランストンに与えられた期限は二週間。
しかし、クランストンが知恵袋と頼りにするアセルスタンの教会でも一大事が起きていた。祭壇の改修中にその敷石の下から女性の白骨死体が出てきたのだ。だが、破戒僧であった前任者が消えて10数年の間に、アーコンワルド教会の過去の記録は失われ、白骨の主がどのような所縁の者かが判る術がない。そして、もしや殉教者なのでは?という教区の世話役の期待を裏付けるように「奇蹟」が起きてしまう。川向こうの大工の棟梁の受けた傷が、なんと遺骨に祈ったところたちどころに快癒してしまったというのだ!不審に思ったアセルスタンが、治療した医師に確認してみても、普通なら数週間は苦しむ傷だったと云う。そして、これを皮切りに噂を聞きつけ集まった人々が次々と奇蹟の恩恵を受ける。
その「奇蹟」騒ぎの最中、アセルスタンはクランストンともに、彼の出身であるブラック・フライヤー修道院での連続<事故>の解明に駆り出される。まずブルーノ修道士が地下室での転落事故により死亡、続いて彼の棺に祈りを捧げていた筈のアルカン修道士が謎の失踪を遂げ、今また、修道院の巨大な図書室で、カリクタス修道士が梯子から落ちて死亡してしまったのだ。おりしもブラック・フライアー修道院では、非公開総会を開催し、主席尋問官ウィリアム以下で、ウインチェスターのヘンリー修道士の神の受肉に関する新説を吟味の最中であった。果して、アセルスタンとクランストンが調査に乗り出すや、カリクタス修道士は転落ではなく撲殺された事が判明する。そして、引き続いて起きた見習い修道士の首吊り自殺も殺人であるとアセルスタンは断定する。少しアタマの足りない見習い修道士が口にしていた「12のような、13のような」という言葉は何を意味するのか?死体を安置する聖堂という閉空間から消えたアルカン修道士の行方は?そして、死せる者達がのこしていた「ヒルデガード」という名前は何を意味するのか?いにしえの使徒の見守る中で、悲劇は加速する。必殺の密室パズル、眼前の奇蹟、そして残虐な修道士連続殺人に挑むアセルスタンの名推理。

ドハティー版「赤後家の殺人」+「聖女の遺骨求む」をオマケにつけた、文字通りの「聖なる殺人」。アセルスタンが思いを寄せる未亡人ベネディクタの夫がフランスで生きているかもしれない、というサイド・ストーリーにも怠りなく、巻をおくあたわざる快作である。まあ、「赤後家」と「奇蹟」の謎解きは「ああ、なるほどね」という程度のものではあるが、終盤で10頁毎に謎を捌いていくアセルスタンの活躍ぶりには思わず拍手喝采。もう、ここまでやってもらえれば何も申しません。これぞ大団円という結末も吉。更に付け加えれば、ヒュー・コーベットものでの定番シーン「主人公が謎の暗殺者から石弓で狙われ、間一髪のところで門内に駆け込む」という場面もあって、ドハティー・ファンとしては、「おお、やっとる、やっとる」と思わずにんまりしてしまうのである。ああ、面白かった。