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2002年5月20日(月)

◆散髪して一駅定点観測するも、何もなし。購入本0冊。ま、こんな日もあらあな。
◆政宗九さんの真面目な冗談企画:ネットミステリ者が選ぶ本格ミステリ大賞決定。まあ、個人的には、昨年の読んだ新作の中ではベストなので、大いに納得。くそう、斉藤肇さえ読めば投票に参加できたものを。でも、絶対にベストになりそうもないのに、本屋で買って読むというのが出来なかったんだよなあ。「お祭男失格」である。
で、もし投票してたとしたら、昨年読了新作ベストの「グラン・ギニョール城」か、連休に読んだ「ミステリ・オペラ」かで死ぬほど悩むところだったわい。未だにどっちが上って言えないよ、いや、ホンマ。


◆「第四の扉」ポール・アルテ(ポケミス)読了
待望久し、「フランスのカー」ことポール・アルテの処女作、ここに堂々の登場。「フランスに凄い作家がいるらしい」、最初にこの作家の名前を聞いたのは3年前、小林晋氏のROMでの紹介だった。私が編集させてもらった「オカルトミステリ特集号」にもレビューを2編頂戴した。以来、英のポール・ドハティーと並んで今一番読みたい「カーのライバル」作家でありつづけてきた。ドハティーの場合はとりあえず英語なのでなんとかなるが、問題はアルテだ。小林氏や精力的にアルテ作品をネット上で紹介している殊能将之氏のようにフランス語が堪能であればともかく、ここでのバベルの塔はあまりにも高い。そのアルテの作品が、なんとポケミスで紹介されるという!これは、まさに事件である。さながらミステリを読み始めた中坊のように千円札を握り締めて新刊書店へ走り、ワクワクしながら即購入の即読了。
で、言わせてくれ。

ポール・アルテ凄えええっ!!!!

斯くも贅沢なオカルト・ミステリが今なお生産されていたのか!?最早、二階堂黎人か、京極夏彦に求めるしかないと思っていたカーの血脈がなんとドーヴァー海峡をはさんだ(或いは大西洋をはさんだ)フランスに流れていたとは!!昨今、これほどページを繰るのがもどかしく、しかも終幕に近づくにつれて「一体、これだけ惜しげもなく作り込んだ謎の数数をオカルトやメタなしで解明できるのか?」と不安になった作品もない。こんな話。
密室の中で手首を掻き切って死んだ狂女。零落する一族。さ迷う亡霊。天井の足音。美しい下宿人夫婦は霊を降ろし、もう一人の寡男は奇跡の前にひれ伏す。ドッペルゲンガーとなった後に失踪を遂げた奇術師志望の息子。数年後、彼の帰還は血と怪異で彩られる。完全密室の刺殺死体。更なる「復活」。脱出王の残映。因果は巡り、奇跡は縺れ、雪の館に死神は降る。この積み重なった屍と不可能に立ち向かうのは、犯罪学者アラン・ツイスト!さあ、華麗なるオカルティズムと論理の闘いをとくとご覧あれ!今、推理作家は挑戦する!もっと、ツイストを!
たった200頁の中に、ありあまるオカルティズムとありあまる不可能犯罪とありあまるツイストを盛り込んだ作者に心からの敬意を表する。まさにカーそのものである。私はこういう話が読みたくて、ミステリを読みつづけているのだ。
神様、仏様、ポール・アルテ様。もう、どこまでもついていきます。
だからお願いします。誰か訳して。


2002年5月19日(日)

◆溜りに溜まった本を別宅に搬入。感想を書いていない本は、そのうち書こうと思いながら本宅に置いているので、読了して感想も書き終わった本と買ったけれども当分読みそうもない本や確信犯的ダブリ本等を持ち込む。玄関口で棚毎に山を作る手際も随分と鮮やかになってきた。こんな事、上手くなりたかないぞ。
◆「毒薬と老嬢」の映画版を昔エアチェックしたよなあ、とビデオ棚を調べるが30分以上の探索も虚しく、発見出来ず。何かと勘違いしていたのであろうか?ビデオは、本以上に何を録画したか判らん状態だもんなあ。


◆「The Stars Spell Death」Jonathan Stagge(Crime Club)Finished
この作品の感想とは全く関係のない話なのだが、今週は、週に一度の原書レビュー始めて3ヶ月で遂に挫折か!という週であった。一晩、飲み会が入って、帰りの読書時間を失うところへもってきて、手に取った本が知らない単語満載、しかもなっかなか面白くならないという代物。はっきり題名を挙げておこう。Jonathan Gashの「The Jade Woman」である。骨董商ラブジョイを主人公に据えた軽快なサスペンスと聞いていたのだが、たまたま手元にあったのがシリーズの異色作で「ラブジョイ、香港へ行く」てな話であったのが運の尽き。話が軽いものであっても、やっぱり、英国人の英語は難しいや。
という訳で、課題書をジョナサン繋がりで急遽変更。今週の1冊はパトリック・クェンティンがジョナサン・スタッグ名義で書いた子持ちヤモメ医師ウエストレイク・シリーズ第3作。1939年作品。森事典のお蔭で、この物語の冒頭は、知る人ぞ知るものとなっている。即ち「粗忽長屋」、即ち「ここで、おっ死んでる俺が俺だとすっと、ここにいる俺は誰なんだあ?」なのである。こんな話。
私はヒュー・ウエストレイク。田舎町ケンモアで開業している町医者だ。とある夜更け、見知らぬ女性からの電話を受け深夜の往診に出かけたところ、私の愛車はトラブルを起し、止む無く徒歩で森の中を突っ切って目的地へ向う事にした。いやはや愛娘のドーンが新車を買えと急っつくのも無理はない。ところがその途上、私は衝突事故の現場に行きあわせる事となってしまう。私の愛車に似た黒いセダンが大木に突っ込み大破、運転者はフロントグラスに突き破って死亡。その顔は判別がつかない程損傷していた。そこで現場を検分した私は妙な事に気がつく。なんと、事故車のプレートは私の愛車のものではないか。しかも、死体は、私の服を着ており、そのポケットには昼間受け取った筈の私宛ての手紙までが入っている!一体これはどういう事なのだ?警察に捜査は引き継いだものの、なんとも寝覚めの悪い話である。コッブ警部の調べでは、どうやら死体の身元は外国人犯罪者らしい。そんな事件があって間もなく、今度は、私が執行人に指名されている信託財産の関係者を名乗る美しい訪問者が私の前に現われる。彼女はシドニー・トレインと名乗り、わたしの従弟ロビン・ベイカーの婚約者だという。そして、ロビンがその信託財産を受ける資格を得る21歳の誕生日までに恐ろしい運命に合うという星占いの卦を告げる。彼女は、ロビンの身の安全を図るために、大都市シカゴから人の出入りの少ないケンモアで誕生日を迎えるよう私からロビンに説得するよう申し入れてきたのだ。なるほど、ロビンの父親マシューは、優秀な化学者であると同時に熱烈な星占いの信者でもあった。なにしろ、遺言書に星占い表を添付するほどだ。しかも、シドニーは偶然にも、顔に痣のある男がロビンを狙う相談をしているところを聞いてしまったのだという。
これがこの街を揺るがす星占い事件の発端となった。突然消えたシドニーと入れ替わるようにロビンとその義母グレタが我家に逗留を始めるや、近所に続々と新たな隣人が生まれる。二匹のドーベルマンを飼うドイツ系の学者とその身障の息子、ロビンの元の勤め先から来たという夫婦もの、不審な釣り客。遂に、ロビンが21歳の誕生日を迎えるその夜更け、惨劇は起きた。なんとロビンが血染めのハンカチを残し、失踪したのだ!私を口実におびき出された彼の臭跡は底無し沼に消え、そこには争った足跡と撃ち抜かれた彼の帽子が、、、事件の鍵は、ただ現われては消える「星占い表」にあった。そこで、星が告げるのは、一人の死、それとも大量の死?果して私は我が町ケンモアを覆う暗雲を吹き飛ばす事ができるのか?
冒頭から非常に不可解な事件が起きるものの、本筋との段差があって、ややバランスを失した感がある。「起きなかった事」を推理するのは、やはり難しい。星占いをメインに据えた話ではあるが、オカルティックなイメージは左程強くない。しかも、いつものウエストレイクものの展開を期待していると、中盤に「驚き」がまっている。いわば、クリスピンで言えば国書第4期の「あれ」なのである。クリスティー然り、クロフツ然り、やはり時代が時代なのである。(クロフツと言えば、化学者が時代の花形を務めるというところも一脈通じるものがあって楽しい。)とはいえ、そこはスタッグ名義の作品なので、愛娘ドーンが本筋に関わる大活躍を(それと知らずに)やってのけ、至るところに張られた伏線が結末で余す事なく解明され、しかも人情味の豊かな「勧善懲悪」ぶりがなんとも爽やかな読後感を約束してくれる。ホシは何でも知っている、というか、夜空のお星さまになる、というか。とりあえず、ドーンと夜明けを迎えよう。


2002年5月18日(土)

◆結婚一周年記念行事で、銀座で観劇してフランス料理を食す。劇場は博品館劇場、演目はユーモア・ミステリ劇として名高い「毒薬と老嬢」。ジョゼフ・ケッセルリングが太平洋戦争前夜の1941年に書き下ろしたもので、日本での初演は1987年らしい。慈善としての殺人を平然と犯していく老嬢姉妹を淡島千影と淡路恵子が好演。その他にもキ印揃いのブルースター家の面々がドタバタ劇を繰り広げるのだが、開幕から終幕まで、澱みなく繰り出される悪意の篭った笑いに翻弄される。推理劇を劇場で見るのは、セント・マーティン劇場で「ねずみとり」を見て以来。いやあ、面白うございました。
◆虎屋の二階で抹茶して、近藤書店で課題図書を1冊購入。
「第四の影」ポール・アルテ(ポケミス:帯)1100円
なるほど、これは薄い。500頁級の続くポケミスでは、異様に薄く感じるが、それでも、200頁以上はあるので、ペリー・メイスン並み。とにかく、貶している人を見た事ない作品なので、貶す人が出てくる前に読んでしまいたいものである。


◆「女の肌は黄金の色」陶山密(日本文芸社)読了
世界秘密文庫第8巻。副題が「ローマ警察特別記録」。中味は、これも倒叙スタイルのクライム・サスペンス。
四人の夫と結婚するたびに出世魚の如く資産の衣を重ね着してきた43歳の女富豪カレン。だが、彼女が五回目の結婚で黄金色の肌を晒した相手リカルド・モントーヤは、カレン自身ではなくカレンの持っているものを愛した。優駿の如く若く、アポロのように逞しく、魔のように甘く、そして驢馬のように愚かなリカルドは、カレンの豊満な肉体と単調な会話に倦み、彼女をナポリの海に葬ろうとする。だが、カレンの運の強さは、リカルドの想像を遥かに超えたものだった。莫大な財産をもって新たな恋に乗り出そうとする彼を嘲笑うかのように、記憶を失った美女が浜で助けられた美談が報じられる。再び掻き立てられる殺意。だが、神の見えざる手はどこまでも色男を翻弄するのであった。愛を弄ぶ者への鉄槌は如何なる形で下されるのか?
これといってみるべき処のない犯罪ドラマ。例えば、カレンのこれまでの結婚歴をショート・ショート風に挿入して、全編これコメディ仕立てで「殺しても死なない女」風アレンジを加えれば、いかにもイタリア風なオッチャラケーノお話になるのだが、なまじ登場人物たちが真剣で、その割りに無為の死を遂げるという展開が辛い。シモネッタも今の目でみれば、可愛いもので、余り紳士のお役に立てるとは思えない。「とにかく『世界秘密文庫』を集めたいんだ、俺は!!」という人が買っておけばよい話であろう。読む必要はございません。


2002年5月17日(金)

◆大雨だったので、とっとと帰る。千葉の新刊書店で1冊。
「双月城の惨劇」加賀美雅之(光文社カッパノベルス:帯)952円
二階堂黎人推薦につき、とりあえずここのところの本格新刊ラッシュの中から「お試し」でこの1冊を買ってみる。日本人の主人公が出てこない(少なくとも登場人物表からはそう見える)のが良い。さあ、古本屋で見かける前に読んでしまうのだ。
◆と、帰宅してネットを徘徊すると、何いいい?アルテが出た、だってええ?しかも、もう二人も読んでるじゃん!しまったああ!こんな事なら、都内で本屋を覗くのであった。
◆ミーハー力爆発で奥さんが買い求めた「ハリーポッターと賢者の石」のDVDを見る。只管、ハーマイオニを追う。うううう、か、可愛い!!!当分、心がへたれた時には、これにすべえ。
◆仕切り直しで読み始めた原書は快調なのだが、今週中にアップするためには他の感想をすべてすっ飛ばして読書に時間を割かなければ無理だよなあ。
◆本格ミステリ大賞に「ミステリ・オペラ」が輝いた模様。あまりの凄さに感想が書けてないんだよなあ。「不敵さと初々しさが時空を越えて舞い躍る大河推理叙事詩」、まさに「昭和」という時代がそこにある。やっぱ「ミステリ・オペラの没落」「ミステリ・アリア」「ミステリ・アリアの覚醒」と続いて欲しいのう。
それにしても検閲図書館・黙忌一郎ってのは凄いネーミングだよねえ。スティーヴン・セガール主演で「沈黙の司書」とかいうのはどうよ?、などとくだらぬ事を思いついてしまう。


◆「りかさん」梨木香歩(偕成社)読了
バービー人形の作者が亡くなったという記事に「バービーは作者の娘バーバラに因んだネーミング」とあって深く深く頷いてしまった。もういっちょ踏み込んでバービー大ヒット時のバーバラ本人の気持ちなどを聞いてみたいと思うのは私だけではなかろう?案外、親の心子知らずではなかったかと思ったりするのだが、いかがなものであろうか。
さて、「西の魔女は死んだ」でベリーナイスなお祖母ちゃんと孫娘の関係を活写した作者が、またやってくれました。今度のキーワードは魔女ではなくて、お人形。お名前は梨木の「梨」と香歩の「香」をとって「りか」とつけました(大嘘)。
リカちゃん人形が欲しいと願ったようこさんに、お祖母ちゃんが贈ってくれたのは、どっしりとした純和風の年代もの。名は「りかさん」。最初は、期待が外れて半べそ状態のようこさんも、お祖母ちゃんのとっておきのお友達であった「りかさん」の真価に触れるに連れ、彼女が垣間見せてくれる世界に夢中になってしまう。不協和音を唱えつづける雛たちの繰り言、泣き言、世迷言。さあさ、癒してあげましょう。遥か海の向うから、小さな身体に大きな使命を抱いて来た、彼女の悲鳴は聞こえますか?人形の世界は、世の縮図。慈しみの数だけ、人形は強くなれる。人間は強くなれる。さあ、りかさん、精霊の姿を見せて。魂の声を聞かせて。緋の縮緬の向うから、ほら風がやってくる。
坂東真砂子や岩井志麻子が描けばトイレに行けなくなるほど怖い話になるところを、なんとも爽やかに料理してみせる作者の腕前に唸る。大きな日本人形という不気味なキャラクターに加えて、人形たち、精霊たちの背負っている業の深さ。普通に描けば、怨念の物語にしかなり得ない題材を、微笑みと感動のドラマに仕立て上げる非凡さに再敬礼。いいんだわ、梨木香歩!!そんな事は「あい、のう」だ。


2002年5月16日(木)

◆出先から夕暮れ迫る神保町へ。ああ、もう殆どの店が閉まり掛けている〜。慌ただしくチェックを入れていくが、インパクトのある出物はなし。すずらん通りのかんたんむで、何故か中途半端な値付けだったこいつをダブり買いしたのみ。
d「魔性の眼」ボアロー&ナルスジャック(ポケミス)600円
ううむ、なんとも不自然な値段。ボア・ナルの中でも入手困難本の部類なのだが、プレミア価格というには安すぎ、奉仕品にしては高い。もう100円高ければダブリ買いはしないところ。微妙な値付けだよなあ。
◆別宅にタッチ&ゴー。改めて今週の原書を仕入れる。というのは、読み掛けた原書が面白くないは、判らん単語は多いは、で途中で投げ出したため。やはり、本気で読みたい本を読むのが原書講読の要諦である。今週の原書レビューは大ピ〜ンチ!
◆同じく別宅で、SFMをチェック。おお、なるほど2ヶ月続きで北原尚彦氏がイアーン・フラミンゴ特集をやっておられるではないか。私が日記に書いたような事はぜーんぶ網羅されており、更に浪速書房版は10冊目(最終巻)があるとのこと。いやあ、お恥かしい。やっぱり、雑誌を買ったからにはコラムぐらいは斜めにでも読んでおかないと恥をかきますのう。反省。


◆「淀君の謎」戸板康二(講談社)読了
安楽椅子系歴史推理の中編である表題作と、元祖・日常の謎の魅力を散りばめた中村雅楽ものの7つの短篇(一つは完全な脇役だけど)からなる作品集。この頃の講談社は立て続けに雅楽ものの近作や発掘作を作品集にまとめてくれて、実に頼もしいものがあった。まだ推理小説を読み始めて数年の私なんぞは「中村雅楽なんぞ、いつでも読める」などと不遜な思い違いをしていたものである。というわけで、この作品集も今更ながらの初読。とにかく学校でマトモに日本史の授業を受けていないため、現在放映中の「利家とまつ」も毎回、先の展開が判らずワクワクしながら観ている、という程に戦国以降の史実に疎い。というわけで「淀君は本当に悪女だったのか?」という疑問についても、「リチャード3世は果して極悪人だったのか?」と同じレベルで、「へえー、そうなんだ」なのである。すまんすまん。
「淀君の謎」淀君は多情だったのか?淀君はなぜ徳川に屈服しなかったのか?淀君の幽霊の正体とは?といった謎に対して中村雅楽が、明解な推理で一つの仮説を組み上げていく。淀君に対する悪評の部分は、後の脚色という観点から割りきり、それでもなお残る理不尽を、その生い立ち故に育まれた「こだわり」に着目して解き明かす雅楽の推理は納得性もあり、何より小説として美しい。真理は時の娘、茶々はお市の娘である。
「かんざしの紋」老優に贔屓にされた洋食屋の娘。過去への旅が舞台の果てに悲恋の散り際を再現する。ありふれた人情劇ながら、しっとりと読ませる。
「むかしの写真」若かりし日の雅楽の最高の相方であった立女形は、なぜ上方に去ったのか?写真に秘められた昔語りは、雅楽自身の事件でもあった。「なるほど、そう来たか」の一編。狭い世界での友情の遣り繰りが少し哀しく、そして微笑ましい。
「大使夫人の指輪」大使夫人の翡翠の指輪を盗んだのは誰か?組み立てからいって、犯人の特定はたやすいが、それをドラマに組み上げるには、一ひねりあるのだ、これが。
「芸養子」優秀な二人の弟子のうち、どちらを芸養子に選ぶか?役者の妻の秘めた想いが匂い立つ快作。歌舞伎の素養は必要だが、この「論理」は泡坂妻夫級。個人的にはこの作品集のベスト。
「四番目の箱」役者の妻は誰を息子の嫁と認めたのか?偶然に残されたテープの声から、快刀乱麻を断つ如く竹取の品定めを見抜く雅楽の慧眼。少し強引。もう少し頁数とタメが欲しいところ。これではクイーンの晩年のショート・ショートである。
「窓際の支配人」劇場の支配人に惚れ込んでしまった名家の娘。あやめもつかぬ恋をして、恋する余りの嫉妬の炎。特段、謎がある話ではないが、思わぬ伏線と不器用な恋の顛末にほっとする作品。
「木戸御免」自信喪失の若手役者を誉めちぎる木戸御免の女の正体とは?雅楽の世界ならではの「日常の謎」。役者にとって、役は日常。


2002年5月15日(水)

◆大阪出張。雨なので、京阪沿線攻略を諦め、水曜日なので阪急かっぱ横丁も休み。駅前ビル地下、梅田古書倶楽部を覗くが、さしたるものは何もなし。結局、萬字屋のワゴンで拾った1冊のみ。
d「淀君の謎」戸板康二(講談社)300円
うーむ、出るぞ、出るぞと言いながら出ませんのう、雅楽全集。とりあえず帯欠けでもダブリでも300円なら買いでしょう。


◆「アーケード殺人事件」ねじめ正一(光文社)読了
世界ランキング8位までいったボクサー上がりの私立探偵・佐倉峡平を主人公にした人情推理連作。「駅前の不動産屋の二階に事務所を構え、亡くなった婚約者の娘及びその連れ犬と暮している」という設定を聞くだけで、全編のトーンが伝わってくる作品である。要は、のどかなテレビ推理シリーズの原作といった風情なのである。とはいえ、扱うのは日常の些細な謎というわけでなく、しっかりと殺人事件が起きる(事もある)。気のいい不動産屋のオヤジ、押し掛け秘書の元気娘、人情肌の刑事と常連脇役陣も手堅く配置して、まずは1時間ドラマの舞台としては完璧な布陣。ストーリーもそれなりに華のある展開で、自分なりの配役を考えながら読むと面白さ3割アップ。
アーケード改築を巡って対立する商店会を舞台に殺人と消えた巨乳会計係の謎に迫る表題作「アーケード殺人事件」、
峡平自身の手でボクサーとしての未来を奪ってしまった旧友との再会、そして彼の突然の死、失せ猫探しという(不本意ながらも)十八番の「事件」に潜む黒い翳に迫る「迷い猫事件」、
お茶屋のご隠居が亡くなった途端に名乗りをあげた3人の恋人たち、大年増の未亡人に、陰のあるウエイトレスに、茶髪の果物娘。果して彼女たちの狂乱は、真実の愛ゆえがそれとも何かの思惑故か?亡きご隠居の恋の秘密は粋の味「ニセ恋人事件」、
レジを狙う窃盗団が横行する商店街を走る裸女、服飾店の美人妻に仕掛けられた醜聞の罠を暴く「ストリーキング殺人」。
いずれも肩の力を抜いて楽しめる作品で、ヒマ潰しにはもってこい。マニア以外にも安心して薦められる。まあ、狩野俊介のいない狩野俊介ものとでも申しますか。こういう推理小説があってもいい、よね?


2002年5月14日(火)

◆歓送迎会。したたかに飲む。購入本0冊。おお、4日連続で本を買っていないぞ。
◆佐伯日菜子が奥とかいうサッカー選手と「できちゃった婚」だそうで、「奥さんの奥さんになりました」ですと。一生に一度のダジャレジャン。はあ、まいおにい。
心からエコエコアザラクです。本当にエコエコザメラクです。是非幸せなご家庭をエコエコケルノノスです。末永く幸多かれとエコエコアラディーヤです。


◆「九つの殺人メルヘン」鯨統一郎(カッパノベルズ)読了
小説宝石に連載されていた、酒場を舞台にした安楽椅子探偵ものの連作。出世作「邪馬台国はどこですか?」を彷彿とするが、扱われる事件はいずれも推理小説の王道を行く犯罪である。分類上は「女子大生探偵」ものでもある。
メルヘンと犯罪の結合というのは、海渡英佑の「死の国のアリス」やらマクベインのホープ弁護士もの等の先駆けがあるが、「本当は恐ろしいグリム童話」以降、メルヘンに込められた暗喩が常識化してしまい、馴染む反面、新鮮味は失われてしまった。そこで、酒と6、70年代サブカルチャーに関する蘊蓄をつなぎにあしらって、なんとか小説に仕立て挙げたという風情の9編が並ぶ。同世代感覚は嬉しく、小説宝石で官能小説なんぞに挟まれて提示される分には、小粋な箸休めとして機能するかもしれないが、立て続けに読まされると「もうお腹いっぱい」感が募る。
推理小説としてみた場合は、アリバイ・トリックが多いものの、「白雪姫」で用いられた強引なトリックに新味を感じた以外は、どこかで聞いたようなネタばかり。特にシリーズ終盤の作品は無理目で痛々しい。お約束の<連作>を<連作>たらしめる工夫も強引で、爽快感に欠ける。もっと上手に酔わせて欲しい。生まれて始めて推理小説を読む人は感心するかもしれないが、最近の子どもは「コナン君」やら「金田一少年」で鍛えられているからなあ。


2002年5月13日(月)

◆というわけで結婚一周年。シャンパン買って帰っておうちで御飯。購入本0冊。

◆「女は日曜日に沈められる」陶山密(日本文芸社)読了
先日の「帰ってきた血風録」ツアーで幸運にも遭遇した本。掲示板で膳所さんや須川さんに羨ましがられたので、手にとってみた。今更ではあるが、この世界秘密文庫という叢書、欧米のミステリを翻訳しながら、それと謳わず、適当な作者名をでっち上げておくという「著作権くそ食らえ」なシリーズ。昭和40年代初期の出版ながらその書誌的迷宮度合いは、いまなお欧米ミステリの猛者たちを悩ませている。さて、この作品は陶山密名だが、おそらくは英国製の犯罪小説。とある広告界社を舞台にした倒叙ものである。こんな話。
水増し請求で顧客からはした金を毟り取ろうとした三人組みは、最初の獲物から躓く。主犯格のアイデアマン、モリスと彼に引き摺られた中堅社員のオルドロイドと少年社員レディは、製作主任のハリスンに彼等のみみっちい犯罪の証拠を掴まれ追いつめられていた。来週早々には、総支配人のキャンベル氏に報告が行く。路頭に迷わないためには、なんとしてもハリスンを止めなくてはならない。そして、ガイ・フォークス祭の夜、ガーデン・パーティーで花火を楽しむハリスンに向けて5発の弾丸が発射された。オルドロイドの銃を借りたモリスの犯行だった。そして運命の悪戯により、モリスがハリスンの後任となったところから3人の力関係は微妙に変わり、やがてもう一つの殺人が引き起こされる。女にも仕事にも殺人にもタフなサラリーマンが力ずくで奏でる死の狂想曲、果して、日曜日に沈められるのは誰?
なかなか読ませるクライム・ストーリー。強引な主役、愚かで従順な妻、屈折した共犯者などの人間模様が軽快なタッチで描かれる。「秘密文庫」と銘打っている関係で少々お色気シーンも出てくるが、その皮肉な展開と結末はいかにも英国風の犯罪小説である。表紙の美人画もそそるこの作品、さて本当は何という原題で作者は誰なのであろうか?


2002年5月12日(日)

◆名古本屋と名古屋は似ている。なんやねん、名古本屋って?
◆真っ昼間、WOWOWでやっていた「ダンジョン&ドラゴン」を奥さんと見る。あまりにも有名なテーブルトークRPGの世界を映像化した作品という事らしいが、「ロード・オブ・ザ・リング」との格の違いに唖然とし続ける。うう、こりゃあ、B級を通り越してC級だわな。「スターウォーズの影響を受けまくったファンタジー」というの異様なものを見てしまった。奥さん曰く「いま三の映画。『なんでもやりまっせー』なジェレミー・アイアンズが<らしい>役で出ていたのでまあ許すか」であった。あたしゃ、見習い魔術師マリーナ役のゾー・マクラーレンがちょっと良い感じでしたかね。ずっと眼鏡しててくれれば更に好感度アップだったのだが、、


◆「盲目の女神」井上淳(河出書房新社)読了
ミステリとしては「偽りの報酬」以来の新作。大病以来、作品を絞り込んでいるようだが、現役本がこの作品をいれて3冊しかないというのは寂しい限り。日本人離れしたキャラ設定やストーリーテイリングで、我々を魅了しつづけていた頃を懐かしみつつ、構想二年半、二段組436頁のこの大作に期待をかけたのだが、残念ながら今一つといった印象。こんな話。
事件は一家惨殺によって幕を開ける。刃物で滅多突きにされた父親と母親、全裸に剥かれ逆さに磔にされた幼い姉弟。そして、被害者たちの血で壁に描かれた一つの文字「J」。長男の犯した破廉恥罪故にすべてを捨てた家族が、新しい街で平穏な日常を取り戻しかけていた時に、突然襲い掛かった酸鼻なる惨劇。果して、動機は狂気か?怨恨か?それとも謀略か?管内の異常者を追う所轄に対し、死体の状況から殺しのプロを追う二人のはみ出し刑事、嵯峨と秋元。やがてその探索は、時代の残酷が作り挙げた一匹の獣の臭跡に辿りつく。崩れた家族、壊れた女、飢えた心、虚ろな目の停まる先にあるものは何?歪んだ愛はただ血で贖われ、道化は人生の黄昏に神の声を聞く。見果てぬ父の御名において、ただ「殺せ」と命ずる声を。
確かに丁寧に作り込まれた作品である。世田谷の一家惨殺事件のイメージを引き摺ってはいるが、中味はどこまでも<井上淳>節。同じく殺しのプロを描いた作者の代表作の一つである「鷹」シリーズが「ゴルゴ13」的世界であるとすれば、こちらはさしずめ最近完結なった浦沢直樹の「Monster」に喩えられようか。影を背負った一癖も二癖もあるキャラたちがそれぞれに場面を攫う。またカットバックやら、文書挿入によって、多重視点で徐々に事件の実相を刻み込んでいく手法にも破綻はない。しかしながら、それが、大きな一本の流れとなって読者の胸を打つまでには至らないのである。なにやら、ひたすら長大なプロローグを読まされたというのが率直なところなのだ。贅沢というよりも、キャラと頁数の無駄遣い。もっと格好いい役回りを演じるべき人物が時代の現実に押しつぶされて行くの見るのは辛い。気弱になったのか?井上淳?ホラはもっと元気よく吹いて欲しい。


2002年5月11日(土)

◆「敢闘言」が止められない。サイトの更新などやっている場合ではない。「もう1編」「あと1編だけ」と読み進み、結局午前中掛けて読了する。ああ、面白かったあ。猛烈に作者に感想メールを送りたくなる。バッサバッサと権威的森羅万象をぶった切って行く様は痛快の一言。新聞・週刊誌・NHK・民放はおろか佐高信や、共産党にも喧嘩を売るんだもんなあ。これで、もう少し、「こんなプロの技に感動した」という褒めるエッセイが混じればバランス的には美しかったのだろうが、もともとが世の中の理不尽に噛付くコラムなので、致し方ないところか。その主張の総てに賛同するわけではないが、世の中には、あぶないライターがいるものだ、と感心する。ちょっと追いかけてみようなか。
◆夜は奥さんの実家でワインで蟹とイクラをしこたま食べる。ご馳走様でした。


◆「The Oxford Tragedy」J.C.Masterman(Penguin Books)Finished
週イチ原書購読。今週の作品は、英米ミステリの一つの「型」である「大学の殺人」ものを語る上で、避けては通れない道標的名作(らしい)。作者は50年近くオックスフォードで教鞭を執った人で、教育関係の著作もある(らしい)。森事典でも紹介されているほか、バルザンの「A Catalogue of Crime」などでも絶賛されている(らしい)。実は、この本は、ROMの発作的三省堂地下集会の際にレオ・ブルースFCの小林晋氏から「面白いから是非読んでみて」と賜ったもの。正直なところ、オックスフォードを舞台にした黄金期の作品となると、さぞや言い回しや単語が難解にして晦渋を極めるものと思っていたのだが、意外にサクサクと読み進む事が出来て驚いた。例えばクリスピンあたりの方がよっぽど思わせぶりの引用やらが多くて、こちらの教養の無さを思い知らされる。勿論、この作品にも、ドイツ語らしきものやらラテン語らしきものも出てくるのだが、それ以外の部分では実に明確でシンプルな構文が用いられており、なるほどこれが正統派の「先生」の英語なのだ、と感じ入ってしまった次第。ストーリーは、一回捻りと丁寧な消去法が嬉しいフーダニットで、ちゃんと外国人の名探偵も登場する。真犯人の告白がやや早きに失し、終盤の20〜30頁が冗長に感じられるのが疵といえなくもないが、まずは世評の高さもむべなるかなという作品であった。こんな話。
私は、オックスフォード大学セントトーマス校で副学長を務めるFWウィン。当年とって60歳。なぜか、この物語のワトソン役を務める事となった次第。そもそも、事件の兇器が私と些か関係があったのだ。私の友人の息子スカボロウが、セントトーマス校に入ったのはいいのだが、これがお世辞にも出来のいい学生とは言えず、単位は足りない、門限は破るといった不良学生。友人からの意を受け、学部長のハーグローヴに情状酌量を頼みにいったところ、なんと学部長室にはスカボローとその悪友から没収したという拳銃が転がっている始末。だが、その時はその拳銃の存在があの大それた悲劇に繋がるとは思ってもみなかった。その夜、はるばるウイーンから招いた犯罪学者のブレンドルを入れて13人の晩餐が終わり、夜の帳が下りた時、一足先に談話室を辞して学部長室でハーグローヴを待っていた嫌われ者の教授シーリーの死体が発見される。一発の弾丸が彼の頭を粉砕したのだ。そして、舎監の証言から、容疑者は内部の者に限定される。学校の殺人。晩餐会の13人。学長の姉妹の結婚と婚約。ブレンドルの慧眼は、鮮やかな消去法で真犯人像に迫る。果して象牙の塔の色と欲の相克に、如何なる裁きが下されるのか?
容疑者をカード化して、チャート上で事件を再現してみせる推理法が何故か新鮮。多すぎる容疑者がそれぞれに性格付けされており、ともすれば単調になってしまう消去法を飽きさせない。勿論、1933年の黄金期の作品につき、それだけでは終わらない。予想の範囲内とはいえ、きちんとツイストを加えみせる。名探偵の先読みぶりはなかなかに凄まじく、犯罪研究家としての面目躍如たるものがあって吉。犯人の動機は、今の時代にも通用するものであり、この切ない「思い込み」が一種普遍的な「悲劇」であった事に驚く。冒頭のべたように、犯人の告白書とそれに続く名探偵の絵解きが全体の5分の1を占めるという構成は頂けないが、それを割り引いても、今なお読むに耐える作品といってよかろう。