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2002年3月20日(水)

◆午後から大阪出張。首都圏外への出張は本当に久しぶりのこと。就業後、駅前ビル地下を小当たりするも、重たい思いをして買うほどのものはなし。阪神百貨店前の萬字屋の平台で安さの余り1冊拾う。
「過去よ、さらば」ペンッティ・キルスティラ(新樹社:帯)200円
こういう北欧ミステリは買えるときに買っておこう。TBSブリタニカの北欧ミステリーシリーズも当時はどうという事のない本だったものが、いつでもあると思っているうちに入手困難になってしまう。マイナーを狙うのは収集の鉄則である。しかし、読まねえだろうなあ。
◆実家の町内のブックオフも一応チェック。完全にフクさんの定点観測ポイントと化している筈なので、何もない事を確認に行ったようなものである。とほほ。


◆「ブギーポップ・リターンズ VSイマジネーター」上遠野浩平(電撃文庫)読了
<格好良さ>の断章を紡ぎ挙げ、若者からの圧倒的な支持を勝ち得ている人気シリーズの第二作。通常、シリーズがシリーズ足りうるためには(当たり前の話ながら)第二作が重要な意味を持つ。ここで「勝利の方程式」を作り上げれば、少なくとも半ダースの成功は約束されたも同じである。例えば、メインキャラ自身の事件やら、「偽黄門」ものを交えて、主人公の敗北と復活を描く、てな感じである。作者は、既に第二作で惜しげもなく「偽黄門」カードを切って来る。そして、思わせぶりの台詞が緊張感を高め、多重視点は謎を解きながら新たな謎を生む。何より感心したのは、シリーズものが陥る「強さのインフレ」を見事にクリアしている点。こんな話。
物語は最強の敵の死によって幕が上がる。そして残存する思念は、人の胸に欠落を見る男を覚醒させた。花が開く、根が広がる、葉が繁る、次々と補完されていく悦びが街に満ちていくとき、新たな傀儡子使いは降臨する。弄られる脳、支配される電位、溶かされる心。護りたい男は、偽りの装束を纏い闘いの場に自らを駆り立てる。それが、生きる都市伝説を招来するための囮と知るや知らざるや、不器用な愛はただ拳を振うのみ。愛されてはいけない、あいされてはいけない、アイサレテハイケナイ。黒き炎の魔女は名乗らぬままに宙を撃ち、虚ろな着ぐるみたちは狩人を狩る。弾けよ!不気味な泡、而して、伝説はその名を告げる。だから勝負はついていたのだ。始まる前から。
ずばり申し上げます。これは「エヴァンゲリオン」です。谷口君は碇シンジ君で、織機綺は彩波レイです。飛鳥井仁がシトで、水乃星さんがカオル君です。ここまでやってええんかい!?というほどにエヴァへの愛に満ちた作品。そりゃあ、黒白さんを始めとして若い衆が嵌まるわけだよ。ずるい!ずるいぞ、上遠野浩平。くっそー、なんて面白いんだ。世紀末の「天才は作られる」は、実は新世紀だったのである。


2002年3月19日(火)

◆4月からの職場の新編成に向けて宴会。もう何年も前から同じフロアで仕事をしていた人が、エラリー・クイーンのファンだという事が判って驚く。へーえ、またまた「うちの会社も捨てたものではない」と思ってしまいますよ。てな話をしていると横で聞いていた新部長が「じゃあ、うちの奥さんと話しが合いそうだなあ」。どうも奥方さまも相当のミステリマニアであらせられるらしく「『だから(ミステリを沢山読んでいる)私は騙される事がないのよ』と言ってるよ」との言葉に、私とくだんのEQファンが異口同音に「ちゃいます、ちゃいます、ミステリマニアは騙されるのが、大好きな人間なんですってば。うまく騙されれば騙されるほど嬉しいんです」と反論。すると部長は「そうか!それで、長年、僕についてきてくれたんか」と納得。おお、座布団1枚。
「でも、それってマゾ?」との質問に、また私とEQファン氏で「そうそう、ミステリファンと阪神ファンは、それです、それ!」と盛り上がる。亀甲しばーりに颯爽と〜♪
◆へべれけでブックオフ1軒チェック。ところが、このブックオフの単行本棚が異様なのだ。何故か「あ」のところに桐野夏生があったり、「く」のところに有栖川有栖があったり、「ほ」のところに岩井志麻子があったりするのだ。同じ作家の作品であっても、バラバラの場所にあるというカオス状態。あああ、一体これは何なのだ??ここだけ時空が狂っているのか??アウター・リミッツなのか??恐怖の古本屋なのか??飲みすぎちゃったかなあ??だから飲み放題は危険なんだよなあ、とアタマを抱えてしまう。
が、何冊か買おうと手にとってみるうちにとんでもない法則性に気がついた。きっかけは、珍しく同じ作者の本が並んでおいてあって、それが樋口有介の2冊の本「風少女」と「彼女は多分魔法を使う」。ああ、やっと同じ作者の作品が並んでいる、でも、なんで「か」のところに置くかなあ。、、、、へ?「か」?それってもしかして、題名の五十音順??と言う目で見てみると、ビンゴ。
「OUT」が「あ」にあって、「暗い宿」が「く」にあって、「ぼっけいきょうてい」が「ほ」にあるではないか。うっひゃあああ、凄ええ、凄すぎる。私も30年間古本屋を回っているが「題名五十音順」に整理してある古本屋は生まれて初めて遭遇した。なんとも新鮮な感動である。この異空間を体験したい人は、今のうちにブックオフ本八幡店へ。異様な謎と鮮やかなどんでん返しを味わっちゃったよ。あ、そうそう、買ったのは以下の3冊。
「暗い宿」有栖川有栖(角川書店:帯)750円
「死ぬまでの僅かな時間」井沢元彦(双葉社)100円
「『ハムレット』の謎」田中重弘(講談社)100円
これだけ楽しめて、本も買えて、1000円は安い。


◆「名探偵は密航中」若竹七海(光文社カッパノベルズ)読了
洋物では「ナイルに死す」「メリーウィドウの航海」「死者は旅行中」「九人と死人で十人だ」「死を招く航海」「偽のデュー警部」「緯度殺人事件」「歌声の消えた海」などなど、和物であれば「魚たちと眠れ」「咸臨丸風雲録」「海神の晩餐」などなど、船上ミステリには枚挙に暇がないが、船上連作ミステリーとなると咄嗟には思いつけない。なぜ思いつけないかというと(私の記憶力はさておくとして)、一つの船旅、同じ船客で連作をもたせるだけの事件が起きるというのは、それだけでもの凄く不自然だからである。その不自然さをものともせずに力技でねじ伏せてしまうのが若竹七海の凄さと言えば凄さなのかな。これは、昭和5年7月12日に横浜を出帆し8月31日に倫敦に着くまでの間、豪華客船・箱根丸の船上で起きた7つ+αの事件を綴った推理と逆転の旅行記。作者はそれぞれにミステリのコードを操ってみせ、決してパターンに陥る事がない。御見事。以下、ミニコメ。
「殺人者出帆」横浜で起きた<女の敵>殺しの捕物が船上で起きた時、無実は晴らされ、真相は犯人とともに出帆する。読者の盲点を突く若竹流の底意地の悪さの光る作品。フェアではないが、口開けとすれば必要十分。
「お嬢さま乗船」暴走する想像力と行動力で従者たちを困らせるお嬢さまの脱出顛末記。スリルと逆転の妙が味わえる逸品。個人的にはこの作品集のベスト。名探偵はそこにいる。
「猫は航海中」一等船客の死がもたらした猫騒動。だか、そこには恐るべき企みが隠されていた。ホワイダニットと幽霊ミステリと猫ミステリの華麗なるアンサンブル。トリックは無理めながらも黄金期の香気に満ちた世界級のサープライズ・ミステリ。
「名探偵は密航中」富裕とプチ富裕の差がもたらす反目と恋の鞘当て。それが演出されたものである事を見抜いたのは密航中の名探偵?一体謎がどこにあるのかを巧みに隠した作品。派手さはないが、チェスタトン的ひらめきを堪能。
「幽霊船出現」船上の百物語が辿りついた先に新たな死神は待つ。よい怪談の語り手でもある作者の面目躍如。ツイストに次ぐツイストはこの手の話の王道をいく出来映え。
「船上の悪女」やんちゃ坊主にかき回されるのは船客たちだけではない。悪女と良妻の陰陽が鮮やかに裏返る時、船の外で起きていたもう一つの犯罪のシルエットが浮かび上がる。なんとも豪快な力技。船上ミステリの常識を笑う作品。さすがにネタに詰まってきたのかな?
「別れの汽船」お別れ仮装パーティーの最中に起きた停電。そして謎の文字の出現。二つの文字に込められた思いを見抜いたのは誰?「九マイル」風の純粋推理だが、意外性がなく、文字の絵解きにも冴えがない凡作。
<龍三郎の旅行記下書き>大旅行記が酒飲み日記に化けるとき、物語を貫く「嘘」が笑いを醸す。連作ミステリのお約束。善男善女の行く末に栄えあれ、ボン・ボヤージ。


2002年3月18日(月)

◆本日お昼ごろに23万アクセスを達成しました。毎度ありがとうございます。
◆神保町タッチ&ゴー。何せ所持金が千円しかなかったので、もっぱら均一棚チェック。最終的には@ワンダーの店内で久しぶりに御買い物。
「’99 ミステリBESTのベスト」(光文社)500円
EQの年間レビューを編集した志の低い本。たまたま、昨日、友人宅で「EQの揃い」が話題になったところだったので、衝動買い。通し番号はついていないし、増刊表示もないので、この本がなくても、本誌130冊で揃いになるのだが、まあ定価以下だったし、版型も似ているので買ってしまった。’97年版は持っているので、とりあえずこれでうるさ型にも文句を言われずすむかな。


◆「悪意銀行」都筑道夫(角川文庫)読了
<こんなものも読んでなかったのか>シリーズ。しかしながら、この「都筑道夫小説」としか呼びようのないお洒落な作品が、今は入手困難なのだから驚く。相当の作品が復活してきているとはいえ、都筑道夫の長編小説ぐらいはいつでも本屋で買える状況にしておいて頂きたいものである。さて、この作品は先日、角川文庫版に遭遇し、あまりの安さ(60円)に手にとってみたところ、なんと解説が桂米朝師匠であった事に気がつき、のけぞった。それも落語家であった作者の兄の思い出話という、他では御目にかかれない貴重な内容。いやあ、角川文庫、侮り難し。本編の方は、近藤&土方シリーズの第2長編で、こんな話。
縄抜けとマシンガン・トークが武器の何でも屋で現在は落語家に弟子入り中の近藤が、目端の利く元トラブル・シューターで現在は女から飲み屋を任されている土方を店に訪ねる。どうやら土方は、新たに「悪意銀行」という商売を思いついたらしく、犯罪のアイデアを貯蓄したり融資したりする事の有用性を滔々と説く。だが結局のところ、融資が先行すれば犯罪の請負業に他ならず、依頼人と土方との交渉を盗み聞いた近藤は、その情報をもとにひと稼ぎを思いつく。舞台となるのは、おりしも市長選を控え現職を含む三候補が運動中の地方都市、巴川市。「現職市長抹殺」の情報をもって巴川に先乗りした近藤は、そこで手荒い歓迎を受ける羽目になる。なんと、近藤をヒットマンと勘違いした連中に拉致されてしまったのだ!逆転の騎乗、面倒臭がりの暗殺者、訓育される獰猛、練りきりの胸元、反目する暴力、よろめく女性願望、抜け駆けと篭脱け、死と背中合わせの口先三寸、果して、殺しの果てにほくそえむ黒幕の正体とは?悪意銀行は開業前から硝煙に焦げ付く。
蘊蓄溢れる愛すべきスプラッタ・スラプスティック。とにかく小物へのこだわりも凄ければ、プロットをあちこちに転がす手際も凄まじい。基本的には「赤い収獲」タイプの世界なのだが、この疾走感は、まさに活字のアクロバット。字で綴られたジェットコースタームービーの世界である。ラストシーンなんぞは、ロングに去っていく主人公の向こうから「The END」の文字が浮かびあがってくる思い。殺し屋たちも夫々に個性的で、主役二人を食いかねない。大変面白うございました。創元推理文庫あたりで「紙の罠」と合本で復刊されては、いかがでしょうか?


2002年3月17日(日)

◆各駅停車で3駅のところに住む友人宅におよばれ。彼は、中学高校時代、同じ推理小説同好会で活動していた人間。2年前に一戸建てを買い求め、奥さんと息子さんとの3人暮らし。まだ新築の香りを残す御宅は、実に広々とした間取りで羨ましさが募る。ああ、まだ、いくらでも本棚が置けるじゃないかああ!!しかし、彼はある時を境に「絶対に読む本しか買わない」という路線に方向転換した由で、広大なスペースになんと本棚はたったの2本しかない。まあ、実家に幾らかは残しているらしいが、それにしてもシンプル。しかも、最近では殆ど古本を買わない人間なので、珍しい本といえば、学生時代に私が譲った「幽霊の2/3」と、彼が懐かしの東京泰文社で自力ゲットした「さよならの値打ちもない」ぐらい。それでも、新刊でコマメに買っていた頃の名残で「漂う提督」やら「殺意の浜辺」の帯付きという珍しいものを見せてもらった。へえ、帯ついてたんだあ。一わたり本棚を拝見して、乾杯ののち御食事を頂く。うちの奥さんとは映画で意気投合。「女賭博師の映画とか好きで、、」とうちの奥さん、「藤純子ですか?」「じゃなくて、江波杏子」「うへえ、とは、また渋いものを」などという宇宙人の会話をやっていた。彼は学生時代に年間200本は欠かさなかった映画好き。その彼がなんと、引越しを機に、積録していた名画系のビデオテープを総て捨てたと聞いて唖然愕然。「もう、見る事はないだろうし、仮にみたくなったらDVDでも、レンタルでも、CATVでもありそうだし、、」との事なのだが、それにしても捨てるかな?うちの奥さんの喜ぶ事、喜ぶ事、もう拍手喝采状態。ううむ、心の友に卑劣な裏切りにあった気分かも。
◆実は、前から一度遊びにいらっしゃい、と声をかけてもらってはいたのだが、こちらの結婚もあったりして、なかなか実現しなかった訪問。今回も、日曜日になったのは、土曜日は接待ゴルフに行っていたからだとか。うひゃああ、それは御苦労様でございまする。部署で仕事替えになってから、接待する方でも、される方でも、ゴルフの機会が増えたとか。接待する側の時はともかく、接待されるときは「いやあ、次は接待ミステリでお願いしますよ、とか言ってみたら?」と水を向けると、「おお、接待映画というのは思いつかないでもなかったが、接待ミステリーかあ。」でも、接待ミステリって、一体どうやるのかね?接待古本なら「ささ、今日は私どもの車で、ブックオフを18軒回りますので」「おお、18ホールですか」「それはもうどこかで必ずフォローの血風が入りますから」「それは楽しみだ」とか、判らんでもないけれど。>判らん、判らん。
そんなこんなで、あっという間の5時間。何やかんやご馳走になりました。大変楽しくも美味しゅうございました。今度は是非、うちにも遊びに来てください。本宅でも別宅でも。


◆「恋霊館事件」谺健二(光文社カッパブックス)読了
阪神淡路大震災から立ち上がろうとする人々とその災厄に呑み込まれてしまった人々。人間は儚く、脆く、弱い。夢を信じる事が出来るのは、それもまた強さの成せる業なのか?
なんとも困った震災ネタ不可能犯罪連作集である。迂闊な事を書こうものなら、震災に遇った人々をどう傷つけてしまうか判らない。結局のところ、推理小説というのは「閑文学」であり、それを、現在も尚、災禍を引き摺っている人々がいる世界を舞台に描く事が馴染むのか否か、という判断の問題である。勿論、この日本にはもっと悲惨な体験であった「戦争」をテーマにした推理小説は存在するし、そこに傑作も多い。だが、戦争をどう織り込むかになると、基本的には「動機」部分に比重がかかり、「手段」部分に戦争が密接に関わる事は極めて少ない。脳天気なアング・ロサクソンであれば、ペイシェンスを殺した例もあるのだが、「日本で」となると、直ぐに思いつくのは「わが一高時代の犯罪」の消失トリック程度である。ところが、この連作集は、神戸のあの異常な状況の中でしか使う事のできないトリックをこれでもかとメインに据えては、不可能性を煽っているのである。
すすり泣く幽霊、移動する地蔵、浮遊する死体、そして人間の屑に下る天罰を描いた「仮設の街の幽霊」「〜犯罪」、
史上最も安普請の完全密室に挑戦した「紙の家」、
呪いの椅子がもたらした二つの密室殺人を青春の悔恨と交錯させた「四本足の魔物」、
少女の幻影の秘密と遠隔犯罪のトリックが縺れる「ヒロエニムスの罠」、
不倫の宿る異人館を一瞬にして跡形もなくこの世から消し去る表題作「恋霊館事件」、
まあ、どれをとっても、震災の疵なくしては、成立し得ない話ばかりなのである。で、トリックのみをとりだせば、はっきり言って「しょぼい」の一言。
私自身、神戸で青春期を過ごした人間だが、震災からは遠かった。従って、どうしても素直な気持ちでこの連作集を楽しめない。もし、楽しませない、あの歴史を風化させないために作者がこの物語を書いたのだとすれば、おめでとう、それは成功している。だが、それは推理小説としての完成度や喜びとは無縁のものである。
このくどい程の「困ったちゃん感」は、どこかで感じた事があるなあ、と思ったら、そうか陳舜臣かあ。


2002年3月16日(土)

◆たまには、濃い話を垣間見せてもらうのもいいかなと思って某推理作家協会賞受賞作家のメーリングリストに入れてもらう。早速、2月の開設から500通分のログを流し読みしてみる。おおお、当たり前の話ではあるが、濃ゆいファンの方々ばっかりだ。凄い凄い。こう、アットホームな雰囲気で、なんだか、ニフティを思い出してしまった。
◆先週の水曜日の飲みすぎで頁数が稼げず、原書を朝からげしげし読み進む。この人はどうして、こう訛りのきつい英語を使いたがるのかなあ。
◆頼まれ本を探しに一軒ブックオフチェック。目的のものは見付からず、安物買い2冊。
「信長の野望 妖魔編」井上雅彦(KOEI)100円
「パパはビリー・ズ・キックを捕まえられない」ジャン・ヴォートラン(草思社)100円
◆WOWOWで新作のジェシカおばさんの事件簿「寒い国から来た標的」をリアルタイムで視聴。シリーズ放映終了後、年に一本製作されている長尺の特番。元KGB高官が2百万ドルで契約した暴露ノンフィクションを巡って起きる殺人事件を追うジェシカ。まあ、エラリー・クイーンの「大佐のメモワールの冒険」系のお話。警察もFBIもオバカでいけません。犯人は殆ど瞬殺で御見通しだあ!


◆「The Three Tiers of Fantasy」Norman Berrow(Ward Lock)Finished
というわけで、ベロウの代表作の一つを読んでみた。正直なところ、仮にベロウが翻訳されるとすれば、この作品か「It Howls at Night」からだと信じていた。3年前に、ROM106号「オカルトミステリ特集号」の編集をやらせてもらった際に、なぜこの代表作を取り上げなかったかというと、直ぐにも訳されそうな気がしたからなのである。それが「魔王の足跡」からだったというのは、嬉しい不意打ちである。まあ、何から訳されようと20冊きちんと紹介してくれれば何も文句は申しません、はい。
題名は「消失幻想三重層」とでも訳すのかな、オカルト・ミステリ・マニアの極楽、不可能犯罪ファンの饗宴といった風情の力技推理。題名の通り、人を一人消して、部屋を一つ消して、街を一つ消す、という三つの消失事件を扱ったなんとも贅沢な作品。尤も、見ようよっては問題編と解答篇のみで、他の挟雑物を一切排したお話につき、小説としての味わいやらプロットの妙を楽しみたい人向きではなく、その辺りが日本デビューに選ばれなかった所以なのかもしれない。それでも、このジャンルを好きな人には堪らん作品であろう。こんな話。
ジャネット・ソマーズ嬢は舞い上がっていた。三十路も半ばを過ぎた「医者の妹」に恋が訪れたのだ。ゴルフ場で出会った男は、フィリップ・ストロングと名乗り、何度となく彼女のキャディを務めるうちに切々たる恋情を告白する。やがて、ジャネットは彼に夢中になり、駆け落ちを決意する。そして、ウィッチィンガムに住むというストロングの友人で降霊術狂いのメルローズの屋敷に立ち寄る事にする。だが、二人を迎い入れたその家の執事ポーターは、あたかもフィリップが存在しないかのように、振る舞うのであった。募る不安と不審。そして、口笛を吹きながら二階に上がった筈のフィリップはそのまま消え失せてしまう。しかも、執事はそんな人間は最初からいなかったと言い放ち、愕然とするジャネットに追い討ちをかけるように、帰宅した主のメルローズもフィリップは既に何年も前に死んでいるというのだ!鍵の掛かった降霊会用の部屋は、さながらポルターガイストが通り過ぎたように荒され、更には、彼等の目の前で、壁のストーブが跳ね落ちてくる。果してすべては悪霊の仕業なのか?謎の男フィリップは何処に消えたのか?
この第一章「存在しなかった男」に続き、第二章は顧客の金を持ち逃げしようとした経営者が、女性秘書に纏わりつかれ、更に車の故障でやむを得ず宿泊したホテル「ウエルカム・イン」はその晩で営業終了、数多くの幽霊伝説に彩られたエレヴェータに閉じ込められ、ようよう辿りついた部屋でうたたねしている間に今度はその部屋が階ごと消えてしまうという飛び切りの運の悪さと怪異を描いた「幽霊部屋」。
第三章は、賭け事好きの未亡人が、知り合ったばかりの芸術家の家の近くに取り残され、自分の車を追った先で16世紀の街に飛び込む。そこで残虐な不倫の清算現場に遭遇。恐怖にかられた彼女が、無我夢中で走り出し、出くわした警官を連れて戻ってみると、死体はおろか、街路そのものが消えていたという「盗まれた街」。
これら、三つの消失事件に挑むのは、ウィッチンガム警察にその名を知られたスミス警部。彼は、三つの事件に共通する犯罪と、その登場人物たちに着目し意外な真実を白日の下に晒す。
全編にオカルト趣味の横溢した不可能犯罪オムニバス小説。とにかくその語り口たるや、どうみても英国伝統の「幽霊譚」そのものなのである。それでいて同じ作者の「幽霊屋敷」のように、オカルトに逃げる事がない。堂々と科学的な解法を用意してみせるところはとても偉い。ただそのトリックが、いささか強引だったり、肩透かしだったりするのが、この作品が「真の傑作」足り得ていないところ。最も鮮やかなのは第二章で、ひょっとすると作者はこの第二章一本で勝負したかったのかもしれない。三つの手品が終わったところで、捜査をすっ飛ばしていきなり種明かしに入るところを潔いと見るかどうか、意見の分かれるところであろう。いずれにしてもオカルティックな謎が深まっていく過程は実にサスペンスに富んでおり、「これ、これ!!こういう小説が読みたかったんだよなあ」という興奮に駆られる。オカルト・ミステリ大好きな私にとっては秘孔を突かれまくった作品。第5期で訳すべし(>こればっかり)

それは、それとして、ビブリオ的に疑問なのが、この作品の序文。スミス警部とウィッチンガムの簡単な紹介が行われているのだが、そこで「ウィッチンガムでは、『庭の声』事件が起きていて」という記述があり、わざわざアスタリスクをつけて「タイトルは『Don't Go After Dark』」と注釈されているのだ。ううむ、森事典では、「The Three Tiers of Fantasy」が1947年、「Don't Go After Dark」が1950年の刊行。一体これはどういうことなのだろうか?4年も先の刊行予告をいれたのか?はたまた、「Don't Go After Dark」が1947年当時には、既に雑誌連載でもされ終わっていたとかするのだろうか?そんなこんなもふくめて、いやあ、ベロウは面白いなあ。


2002年3月15日(金)

◆残業。購入本0冊。
◆掲示板でチョンボのご指摘。昨日の日記で、「ブックオフなら500冊」と算数の苦手なところを披露してしまいました。すみませんすみません。「ブックオフなら50冊」の間違いです。
◆同じく掲示板で、日下三蔵氏より、ブックオフでの本買いについての問題提起あり。「新刊で買える本は新刊書店で買って欲しい」というのは作り手として当然のメッセージだとは思う。それはそれとして、ブック・オフで本を買う楽しさを語るサイトがあってもいいとも思う。世の中のサイト総てが「新刊書は新刊書店で買いましょう」でなければならない、というのは息が詰まる。私はここで「本屋さんごっこ」をやりたいわけではないのだ。
勿論、淡々と買った本だけ値段も購入場所も書かずにアップする事はたやすいし、作り手側の人々から「ああ、新刊で買ってくれたんだなあ」と美しい誤解をして頂いていた方が気は楽だ。「やっぱり、本は新刊に限るなあ」と書いてしまえば誰も反証を挙げる事は不可能であろう。それでも、嘘は書きたくないし、そうまでしてサイトを続けたいとも思わない。「わあ、安く買えてよかったなあ」というのは、少ない小遣いを遣り繰りしている側の消費者にとっては素朴な喜びだし、「ありゃあ、ダブっちゃったよ」と頭を抱えるのも、それはそれでトホホながらも楽しいのである。この日記で自分の携わった本が100均落ちなり半額落ちしているのを知って、愕然とする作り手側の思いは理解できる。それはそうであろう。しかし、私が買わなくても誰かが買うのだ。100均で買ったという報告を封じても、100均に落ちていたという現実を否定した事にはならない。出版に携わる人々が闘うべきは、そういった現実である筈だ。JASRACがカラオケからも著作権使用料を取ろうとした時の話を聞いた事がある。盛り場を足を棒にして一軒、一軒、回っては、頭を下げ、説得し、懇願し、まさに地を這うようなローラー作戦を展開したとか。その内容の是非はともかくとして、まずは政治を動かし、更には草の根で権利をみずから勝ち得ていく根性には見習うべきところがあるのではないかと思う。
個人的には、日下三蔵氏の仕事には敬服も感謝もしており、少なくとも最近は「日下三蔵ファン倶楽部」の会費を払うつもりで、氏の編集本は新刊で買っている。この際、誤解を恐れずに言っておくが、世の中、敬意を払うべき本や出版社が少なすぎるのだ。


◆「本の殺人事件簿II」シンシア・マンソン編(バベル・プレス)読了
能書きは「I」の感想をご参照。9編収録の本テーマアンソロジー。以下、ミニコメ。
「八月のエイプリル・フール」(Cマーティン)作家と作家志望で作るサロンで提案される「血と肉で書かれた完全犯罪計画」。周到な仕掛、大胆な犯行、鮮やかな成功、そして逆転と絵に描いたようなショート・ノベル。推理作家が最も犯罪から遠いところにいるという現実を、上手く調整していて吉。しかし、幾らなんでもこのオチはないだろう。
「ブルーベリーの森で」(Jシモンズ)ロマンティストで人生の敗北者たる父から薫陶を受けた「円卓の騎士の名を持つ男」ランスロット。彼が彼のグネヴィアに出会った時、余りにも切ないこの世の現実がその身に降りかかる。夢想家の一瞬の天国と、そこからの転落を描いたクライムノベル。読書家で奥手で臆病で真面目な主人公に、つい自分を重ねてしまう。
「ウィリー最後の旅」(Dオルソン)締切に追われる作家が、優雅な友人の計画を乗っ取ろうと画策した時、皮肉な運命は偽りの友情に鉄槌を下す。これも小説家が犯罪を犯す話。<締切に追われる作家>パターンのお話だが、それなりに読ませる。ただ、余り作家である必然性はない。
「竜の頭をめぐる知的冒険」(Dセイヤーズ)甥の子爵が生まれて初めてかった痛んだ古本に隠された秘密とは?ウイムジー卿、宝捜しに挑む、の一編。「暗号」ものとしての出来は今ひとつだが、ウイムジー卿とその幼い甥っこのキャラクターが立っていて楽しく読める。こういう叔父さんが欲しかったなあ。
「ダシール・ハメットを捜せ」(Wブルテン)本格推理マニアの富豪が、ハードボイルドマニアの図書館長に仕掛た本捜しの賭け。かりだされたミステリマニアの司書の名推理とは、果して?推理小説ファンによる、推理小説ファンのための、推理小説の推理小説。こういう話は大好きである。さぞや作者も楽しみながら書いた事であろう。
「チズルリグ卿の遺産」(Rバー)名探偵ヴァルモン登場。意地の悪い富豪は、一体遺産をどの紙に挟み込んだのか?なぜか本テーマにはこの手の話が多い。なかなか豪快なトリックだが、それなりに伏線を引いているのは偉い。
「銅の孔雀」(Rレンデル)幼子の引き起こす喧燥を避け、長期出張の友人の家を借りた歴史作家が美しい通い家政婦に心を寄せていく。だが、銅の孔雀は作家の心を閉ざさせ、そして目も閉じさせる。いかにもレンデルらしいサスペンス。幸薄い女性に黙祷。男性作家という人種への強烈な一撃。
「アルバート伯父と『ホームズ師匠』」(Pウォーレス)シャーロック・ホームズ命の伯父が、現実の宝石盗難事件に遭遇して繰り広げる珍推理。一種のホームズ・パロディではあるが、笑いの質がシュロック・ホームズの域に達していない。オチもありきたりな凡作。
「最後には微笑みを」(Lブロック)街を舞台に多くの心地よい作品を書いてきた引退作家。その「話し相手」に就職した青年が見た作家の真実。戯れの探索が真実を暴走させるとき、憧れは終わる。短篇にして長編の読み応え。というか、推理小説というジャンルで語られてしまうには惜しい作品。キャロルの「死者の書」を少し彷彿した。傑作。


2002年3月14日(木)

◆出先から直帰。途中下車して、ホワイト・デー用にブックオフなら本が50冊買える値段でチョコレートを買う。その足で「銀河通信」コンビのお店に。ダイジマン殿を発見するも、図書券コーナーで接客中。しかたがないので、話題の新刊を3冊ばかり購入して間を持たせる。
「書斎曼荼羅1・2」磯田和一(東京創元社:帯)各1600円
「推理小説の源流」小倉孝誠(淡交社:帯)1800円
ううう、計5000円。ブックオフなら本が50冊買える値段だよう。会計をすませて、ぶらぶらしていると漸く手の空いたダイジマン殿と目が合う。いそいそとレジから出てきた彼氏曰く「ガボリオはこっちですよ。あ、そこに書斎曼荼羅の初版」。だはははははは。「お前たちの買う本は、さくっとまるっと御見通しだああ!!」。参ったね、実際。そこで新しい下宿の話や、新刊話など。「今回の幻想文学は<買い>ですよ」だそうである。なるほど。余り長居をすると、また欲しい本が増えそうなので、「んじゃあ、ブックオフ行くわ」と言ってお別れ。
◆久しぶりのブックオフにて、目方でドン。
「ドキドキ・占いハウス」藤木靖子(ポプラ社)100円
「ラブ&ラブなぞのワンちゃんハッピー事件」藤木靖子(ポプラ社)100円
「ウエディングドレスになぞがいっぱい」藤木靖子(ポプラ社)100円
d「黒の回廊」松本清張(文藝春秋:函・月報・非売品版)100円
「きみに会いたい」芝田勝茂(あかね書房)100円
「消えたオーケストラ」宇神幸男(講談社:帯)100円
「ニーベルングの城」宇神幸男(講談社)100円
d「猫恐」田中文雄(光風社出版)100円
児童書コーナーに藤木靖子の推理ジュヴィナイルが揃っていたのでぶっこ抜く。1冊しかなければ手を出さなかったかもしれないが、そこはそれ、揃いの勢いに乗せられる。松本清張は、全集の購読者に送られた月報連載小説ボーナス非売品。清張全集のいわば「効き目」である。月報や完成案内まで挟み込まれていたので拾う。宇神幸男は「神宿る手」以外何を持っているか把握していないので、ダブリ覚悟で拾う。おそらく「消えたオーケストラ」は持っていると思うんだよね。田中文雄本は、布教用。誰か要りませんか?たいしたものは何もないが、この重さが嬉しいなあ(>病気だ、ビョーキ)これだけ買っても700円だし。
◆別宅に寄って、ブックオフの戦利品をぶち込み、読むための本を一週間分持ち出す。「あの本は、この辺りだったかな」という勘が健在でホッとする。ついでに「指輪物語」の文庫本・初版・帯、全6巻を鞄に詰め込む。第一巻の途中で退屈の余り投げ出してしまっている大河ハイファンタジー。20年ぶりに中を見て、活字の小ささに唸る。うわあ、こりゃまた駄目そうだな。
◆本を買った日は日記が楽である。


◆「オロロ畑でつかまえて」荻原浩(集英社)読了
小粋なクライム・ノベルの書き手として売り出し中の作者のデビュー作にして、第10回小説すばる新人賞受賞作。結論から申し上げれば、ユーモア小説は斯くあって頂きたいという痛快作。爆笑こそはしなかったものの、電車の中で幾度となく笑いが込み上げてきた。思い切り広義に取れば詐欺小説の一種といえなくもないが、そこまで無理して「推理小説でございます」という必要はない。って、別に誰もそんな事は考えてねえか?カタカナ商売の極北に巣食う心優しき人々と日本一の貧乏ど田舎の中年青年団が村おこしに挑む、掟破りのプロジェクトXはこんな話。

牛穴村は地の果てにある。
奥羽山脈にサルノコシカケのように貼りついた人口300人の寒村。
そんな村にも青年団はあった。
団員8名、今年になって二人が減っていた。
御輿も担げない。野球もできない。全員が30歳を越えていた。
村には何もなかった。
青年団の会長、米田慎一。村で唯一の温泉宿の主人だった。
フィリピーナの妻がいた。
4月、青年団の会合は荒れていた。
「都会に行きたい」見果てぬ夢を抱え、皆はただ酒に溺れていた。
これではいけない。米田は決断した。

「代理店、雇うだ」

これは、なけなしの536万円を起死回生の村おこしにつぎ込んだ純朴な青年団の闘いのドラマである。


ゴンベ鳥とオロロ豆の郷

本当のど田舎

指令:代理店を雇え!

龍神沼の伝説

闇カメラマン、参上

美しき英雄の帰還

殺到するマスコミ

そして満開のフタマタカズラの下で

「貴方は村からサリンジャー。オロロ畑でつかまえて。」
(♪いっまどこに〜、あーるのだろ〜)

ド田舎の描写が、明るくも悲惨。都会者になめられないように気負えば気負うほど 違和感が暴走する。零細代理店の実態もよくうつせており、コンドームのプレゼン案 を練る冒頭から、冗談と真面目が「いい加減」にバランスしながら読者の心を掴む。 <村おこし>の奇策とそれに続くマスコミの狂騒ぶりも、まさに世相そのまま。 道徳的ではないお話でありながら読後感は極めて爽やか。なにかこう、登場人物 たち全員にシアワセになって欲しくなる、そんなお話。お勧め。


2002年3月13日(水)

◆就業後、友人の披露宴の打合せで新宿へ。20年以上、首都圏に住んでいるが「アルタ前」で待ち合わせたのは初めてかもしれない。おっのぼりさーーん。新郎・新婦ともに知り合いなので、ビールをがぶがぶ飲みながら、段取りのアイデア出し。新婦からは、勉強会で作ったというフラワーアレンジメントを「うちの奥様に」と頂く。ありがとうございますありがとうございます。絵で食ってると思ったら、こちらで稼いでおられたのね。存じ上げませんで。おおよその段取りを決めてからは、知り合いの噂話なんぞに花をさかせ、気がつくとラスト・オーダー。うわああ、そりゃあ電車はあるかもしれないけど、ここから千葉は遠いんだよう。帰り着いたら午前様。購入本0冊。

◆「ジャンピング・ジェニイ」アントニー・バークリー(国書刊行会)読了
クラシックファンからは評判のいいバークリーの中期作で昨年の「このミス」6位。とりあえずバスに乗り遅れないように読んでみた。で、結論から言うと、私の苦手な方のバークリー。私の場合「毒入りチョコレート事件」「第二の銃声」あたりは好きなのだが「トライアル・アンド・エラー」が全然駄目なのだ。同じ昨年刊行の「最上階の殺人」は許せるが、ここまでやられると、一体、この人は、何を天に向かって唾しているのだろうか?と感じずにはいられないのである。話題作なので梗概は今更であるが、こんな話。
推理作家ロナルド・ストラットンが開いた仮装パーティーには「殺人者」と「被害者」が溢れかえっていた。切り裂きジャックにクリッペン、ロンドン塔の双子王子にブランヴィリエ侯爵夫人などなど。大道具として屋上には3体の人形を吊るした絞首台まで設える凝りようには、さしものディレッタント、ロジャー・シェリンガムも呆れ気味。客種は二組の医師夫婦や、ジャーナリストにロナルドの過去の妻に未来の妻、そしてロナルドの弟デイヴィッドとここまでは悪くない。問題はデイヴィッドの悪妻イーナ。これが典型的な自己チュー女で、我侭勝手で人を貶める事にかけては天才の域。そして天才は早死する。夜が更け、パーティーがお開きになろうとした時、なんとイーナが屋上で人形に混じって縊られているのが発見されたのだ!果して撥ねっかえりの毒虫女は自殺したのか?それとも誰かが堪忍袋の緒を切ったのか?かくして、自らも彼女の洗礼を受けキれていた名探偵は、事件を丸く治めるために出馬する。消される指紋、動き回る椅子、植え込まれる記憶、新たにされる証言、さあ、諸君、準備はいいか?
技巧派ユーモアミステリ、というべきでなのあろうか。推理小説の「型」を知り尽くしたつもりでいる作者が、尽くその「型」を逆手に取りながら描いたドタバタ劇。名探偵が解き明かすべき道筋を創造していくという展開は、いわば「逆<推理小説>」。で、正直なところ、正統派のミステリ作家と読者をコケにしているとしか思えなかった。一番情けないのは、プロットが読めてしまうところである。この「型」であれば、この展開で、このオチしかなかろうというところに注文通りにオチてしまうのだ。私は、何も国書刊行会の世界探偵小説全集でユーモア小説の「型」に忠実な小説を読みたいわけではないのだ。推理小説の「型」に忠実な小説を読みたいのだ。


2002年3月12日(火)

◆だから仕事が修羅場だってば。1mの距離で田中真紀子前外務大臣の御姿を拝見する。おお、小柄だが、すんげえオーラだ。
◆あああ、とにかく本が買いたいっ!!!と、「もうなんでもええけんね」的禁断症状を押さえ切れず、閉店間際の会社傍の新刊書店に駆け込み物色する。新刊で買うのは日下本かポケミスか雑誌なのだが、生憎、目に付いたのは1冊のみ。はあはあ。
「煙突掃除の少年」Bヴァイン(ポケミス:帯)1600円
それにしてもレンデル(=ヴァイン)は順調に翻訳が進みますのう。角川・創元・光文社・早川といった老舗から取り合うようにして出てくるのには驚く。他にも面白い作家はいると思うのだが、この辺りが日本の「狭い範囲で競い合う」文化なのでしょうか?
◆「みすべす」50万アクセス突破、おめでとうございます。数多いゆえに尊からずではありますが、「ミステリサイトの<良心>」として今後ともミステリを読む楽しみの良き伝道者としてご健筆をふるわれますように。


◆「落ちる」多岐川恭(徳間文庫)読了
<こんなものも読んでいなかったのか>シリーズ。まあ、こんなものも読んでいなかったといって「読んでなくて正解でした」という本もあるが、これは「読んでない自分が悪うございました」と素直にひれ伏したくなる傑作集。本格至上主義者のガキの頃に元版を入手していたのだが、読んでなくて正解。あの頃に読んでいたら、こうも素直には感心出来なかったであろう。これは、人間的に多少練れてから読んで頂きたい大人のミステリー集である。以下、ミニコメ。
「落ちる」直木賞受賞の表題作。うらなりの資産家が美しすぎる妻を娶った故にコキュの暗鬼にかられる。思いがけない告白の果てに「機会」は熨斗をつけて差し出された。スタンリー・エリンやロアルド・ダールの域。ほろ苦い結末に驚き、思わず読み返してみる。上手い。
「猫」擦り寄ってくる御向かいに棲む学生。それは恋のつまみ食い?それとも邪な下心?好奇心はやがて猫を殺し、窓から鉄壁のアリバイが覗く。私は愛に溺れない。策士は策に溺れる。律義なトリックとその破綻が無理なく作品に消化されていて吉。若い女性の一人称が様になっている短篇推理小説の華。
「ヒーローの死」少年よ大志を抱け。十で神童、十五で才子、二十歳過ぎれば弁論家。窓明き密室で「壮士」を殺したのは果して何者。ネタ自体は古典的なものだが、調理法が巧み。この人物設定には唸った。こんな人間、いたら怖い。
「ある脅迫」仕組まれた強盗事件の裏で、保身をかけたタヌキの逆襲が始まる。それにしても、この観察力やら洞察力をなぜ他の事に生かさないのか?痛快な職場の悪党小説。こんなのも書けますか?
「笑う男」多岐川恭版迷宮課事件簿。完全犯罪を企む小心な人生の成功者が、偶然乗り合わせた探偵の推理に翻弄される。犯罪の背景と、思いがけない破綻を描いた倒叙推理の見本。そりゃあ、犯人は許せないけど、それにしても運が悪すぎ。「破綻」の物証を指摘出来た人は一級日曜探偵。
「私は死んでいる」気がつくと、私は目をかけていた甥夫婦に死んだ事にされていた。さあ、どうやって生き返ろうか?犯人たちの隙を、なだめすかしこじ開け、一発逆転にかける老人の闘いをユーモラスに描いたサスペンス。とぼけた犯人もとぼけた被害者もいい味だしてます。読後感極めて爽やか。
「かわいい女」夫が無理心中を図り、残された若妻は寂しげに微笑む。新しい幸せはいつ訪れるのか?それは、もう一人殺してから?「夫と妻に捧げる犯罪」の到達点。この殺人者像は凄い。ラストの一文の怖さは「特別料理」のそれに匹敵する。


2002年3月11日(月)

◆仕事が修羅場。夕方から八重洲近辺で、濃い人々が集うというご案内も頂いていたのだが、どうにもこうにも時間が捻出できない。本屋にも古本屋にも寄れず購入本0冊。改めて数えてみると、今月はここまで5冊しか買っていない。しかも古本はそのうちの3冊だ。去年の今日なんか1日で20冊買って、3月はそこまでで58冊買っている。確実に、古本から足抜けしているのが判る。人間は古本を買わなくても生きていけるのだ、という事を身をもって証明しているぞ、えっへん。って、このサイトの唯一の売りがなくなってしまっただけではないのか?
掲示板に書いたネタだけど、古本者の進化過程を考察すると、
最初は原価より安い本を買う「古本者」
スーパーマーケットの如く安く幅広く買う事を芸の域に高めた「スーパー古本者」
原価より高い本を読むために買う「二級古書士」
原価より高い本を並べるために買う「一級古書士」
原価より高いというだけで本を買う「特級古書士」
人に手に入れられないように本を買う古書士の行き止まり「古書痴」
そして、とにかく本であれば九字を切って息をするが如くなんでも買う高僧の境地「あさり(阿闍梨)」
最高位が、九時を切って市に並ぶ「女王様」である事はいうまでもない。>また、そのオチかよ!!
◆MYSCON3にも「不参加」である事を表明しておきます。みなさん、楽しんできてくだされ。


◆「昔、火星があった場所」北野勇作(新潮社)読了
「かめくん」で全国的人気と年間ベストの栄冠を勝ち得た作者の出世作にして第4回日本ファンタジーノベル大賞優秀賞受賞作。SF者にとって、最も愛すべき惑星「火星」をテーマにしたキッチュでスタイリッシュでノスタルジックな意欲作。火星といえば、スキャパレリであり、パーシバル・ローウェルであり、HGウエルズであり、エドガー・ライス・バローズであり、レイ・ブラッドベリであり、イアン・マクドナルドであり、そのほかもろもろである。乾いた大地、赤茶けた砂、氷冠、運河、蛸、ホルスト、武部本一郎、巨乳、そのほかもろもろである。だが、90年代作家はお伽の抽象化のもとに「火星」を描いてみせる。こんな話。
昔々、近くて遠い宇宙で、戦争があったらしい。らしい、というのは、僕が新米の会社員なのでまだ勉強できていないからで、会社の争いというのは、斯くも良く判らない。とにかく、まずは「鬼」殺しだ。といっても地酒じゃなくて、退治てくれよ桃太郎なのである。昔は会社員だった人間が落伍すると「鬼」になるらしい。冷たくて角があって、でもどこか元は人間なのである。そこがタヌキとは異なるところで、じゃあ、タヌキが何かというと、これがもっと人間に似ているわけで、でも、ポンポン的には人間じゃない紛い物なのだ。しっぽもある。とりあえずそんなところで勘弁しておいてくれ。結局僕もタヌキに騙されていた結果、職を失う。でも、直ぐに別の職を得るのだが、ここはタヌキが経営しているようなのだ。だから、僕はタヌキに感謝すべきなのかもしれない。とにかく社長はカチカチ山で行方不明なので、僕は対策室長として小春とデートを重ねる。小春はハルの子で、小春の子は只今構築中で、時計屋が云うには、隣の蟹は良く柿食う蟹なのだ。さあ、門が近い、そろそろ起きなきゃ。
ガチガチのハードSFの設定を、さらりと御伽噺のイメージの中に封じ込め、単純化した「ことば」の力で、オモシロおかしく語った「火星行」。それはどこか鄙びた甘さに満ちた日本の風景。捩じれて裏返しになって未来で過去で元に戻ってニュートラルな今。連想ゲームの果ての暗喩がころころと脳の中を転げまわり、くすりという密やかな笑い声が前頭葉をくすぐる。書き尽くされた筈の火星は、まだまだ柿尽されてなかったのだ。ここには北野勇作にしか表現しえない「火星」がある。読者は選ぶが、嵌まる人は嵌まる。不敵なり、北野勇作。ただのタヌキではない。