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2002年3月10日(日)

◆外はうららかな陽気&花粉につき引き篭り状態。英語だと「コクーン」なんだってね。ああ、さっきまで老人だったのが、若者に!!>ちーがーうー。
◆先日届いたばかりのSRマンスリーの「1月号」をパラパラと眺める。2ヶ月に一度のアマチュア書評に新刊チェックリスト。ネットの情報量にすれば1日分の更新量にも及ばない。ここに向けて原稿を書くのだと熱くなっていた頃が嘘のように醒めた目でみてしまう。勿論、皆が皆、ネットに接続出来ているわけではないので、これはこれでいいのかもしれないが、ROMやQUEENDOMに比べるといかにも薄い。ともあれ、今回は2001年度BEST投票号なので「さて、自分はどの程度新刊を読んでいるか」と思い数えてみると、国内が20冊前後、海外は10冊前後。いやあ、パンピーだわ。それにしても国内456冊、海外287冊、関連書71冊、計814冊という新刊の数は、いつもながら凄まじい。まずこの本をすべて買っている人というのはこの世に存在しないと断言してよかろう。推理小説だけでこれだけあるのだ。これにSFを加えると一体どうなることか。更に、ヤングアダルトまで含めると軽く1200冊は行っちゃうに違いない。ひゃああ。
◆奥さんと映画「エントラップメント」をリアルタイムで視聴。頭の天辺からシッポの先まで「ルパン三世」のようなストーリー。盗みに纏わる部分は丁寧に作り込んではいるが、丁寧すぎて退屈でもある。何か伝奇的要素ででも味付けが欲しかったところ。あと、ショーン・コネリーは若山弦蔵にアテて欲しいよね。


◆「ハリー・ポッターと秘密の部屋」JKローリング(静山社)読了
「ハーちゃん萌え」の奥さんが借りてきた本。「ハーマイオニーが!ハーマイオニーがああ」と盛り上がっていたので、又借りして読んでみる。梗概は、世の中に溢れているのでなんなのだが、要は「賢者の石」事件から1年後、ホグワーツ魔法学校の2年生に進んだハリーとその仲間が、ホグワーツの開闢と50年前に引き起こされた惨劇に絡む、連続「石化」事件に立ち向かう、というストーリー。悪意対友情、陰謀対正義、支配欲対愛、謎が謎を呼び、ハリーは「秘密の部屋」で、またしても命懸けの闘いを強いられる事になる。推理小説として見た場合、アンフェアすれすれの叙述がそこかしこにあるものの、終盤明かされる真相はショッカーとして血塗れで小気味良い。勿論、魔法グッズに幻想界のクリーチャーもてんこ盛り。新しいキャラも登場し、ハーマイオニー萌えの人間にも悶絶もののエピソードも入って御得用の第2作である。
第1作は未読だが、とりあえず映画は見ているので、必要十分。開巻即作品世界に没入できる。面白いか、面白くないかを問われれば、これは文句なしに面白い。だが、なぜここまで世界的なベストセラーになったのか、は正直なところ理解できない。これも既に至るところで指摘されているが、どこを切っても新しい部分のない古典的ジュヴィナイル・ファンタジーなのである。ナルニア国物語、ドリトル先生、ムーミンといった、エバーグリーンなファンタジーに比べれば、刺激的で、説教臭くなくて、面白さに衒いがない、といったところかもしれないが、大人も一緒になって嵌まるのは、何故だ?特に漫画やアニメによって世界最先端とも言える鍛えられ方をしてきた日本の大人達がなぜこれに嵌まるのかが、良くわからない。「たまには文字の本を読んでみよう」という見栄に付け込んだ見事なマーケティングとでも申し上げておきましょうか。ハリポタで、この世界に目覚めた人が、勢いで「指輪物語」に突入したはいいが第1巻で挫折する姿が目に浮かぶようである。ここで「魔法の国ザンス」あたりに上手く誘導すればもっとファンタジー・ファンの裾野も広がろうというものなのであろうが。


2002年3月9日(土)

◆掲示板の過去ログ1500通分を猟奇蔵へ移設。掲示板として絶好調の頃で、1ファイル(50通分)で100Kバイト前後ある。そら恐ろしい情報量ですな、実際。
◆花粉症いよいよ悪化。朝からくしゃみ・鼻水・目のかゆみが止まらない。1ヶ月前から甜茶も飲んできた。1年前からヨーグルトも食べてきた。10年前から1日1時間は歩いている。今年からはマイナスイオン発生器兼空気清浄器がフル稼動。それでも、これだ。ううううううう。
昼過ぎ、耐え切れず鼻炎カプセルを買いに出かける。うわああ、し、しまった。もしかして一番花粉が舞っている時間帯じゃないか!「どしゃ降りになってでていく雨宿り」少し違うか?マスクをしていても、つーっと、鼻水が垂れてくるのがわかる。マスクの裏はぐしゃぐしゃ。これは相当に厭である。薬を買うや、その場で水もなしに飲み込む。ふらふらと帰宅して昼御飯を食べると、今度は薬の副作用で猛烈な渇きと眠気が襲ってくる。で、結局夕方まで爆睡。起きて尚アタマはボーっとしたまま。ああ、知能指数半値八掛け2割引きのシーズンがやってきたああ。だれかあるじゃーのんのおはかにはなたばをあげてください。
◆WOWOWで「ハート・オブ・ウーマン」を奥さんとリアルタイム視聴。感電事故で、女性の考えている事が「聞こえるよう」になってしまった広告会社勤務の名うてのプレイボーイのドタバタを描いた作品。男尊女卑の男の中の男メル・ギブソンが、女性の心を理解し、娘との仲を修復しつつ、真実の愛に目覚めていく過程を爆笑モードで綴る。余り期待してなかったが、掴みから幕切れまでのめり込んで見てしまった。ああ、面白かった。


◆「赤死病の館の殺人」芦辺拓(光文社カッパNV)読了
本格推理小説のガジェットてんこ盛りで送る森江春策シリーズの中短篇集。藤田香描くところのオトメチックな森江春策と新島ともかのポートレートもついて御得用。新島ともかはこんなイメージでいいんだけど、森江春策はちと格好良すぎますな。喩えれば、古谷一行扮する金田一耕助のような違和感がある。背が高すぎるんだな、きっと。以下ミニコメ。
「赤死病の館の殺人」表題作にして新書120頁級の書き下ろし中編。「妖魔の森の家」を始めとする黄金期の不可能犯罪小説に真っ向から挑んだ作品。しかも、始祖たるエドガー・アラン・ポーの「赤死病の仮面」へのオマージュでもある。
新島ともかの発作的ピクニックは、雨に祟られ、行き暮れた揚句に辿り着いた先は、奇矯な館。おりしも、その館の主・小清水龍磨を尋ねてくる筈の孫娘・沙耶に間違われたともかは、遅れてやってきた本物の沙耶ともども一夜の宿を与えられる。二人が案内されたのは、眠ったきりの龍磨老人の部屋から廊下で続く7色の部屋。そしてトリック・アート博物館への改装を待つという殺風景な青の部屋で、夜半、奇妙な失踪事件が起きる。鍵のかかった扉を抜け、足跡を残さず消えた怪人の正体とは?老人と沙耶はどこに行ったのか?ともかのSOSを受け、名探偵が事件に乗り出すや、第二の惨劇は白昼の住宅街で起きる。仮面の下に潜む死の虚空間。蛇行するプリズム。始祖は卑しき者どもの奸計を暗喩し、末裔は美女の祝福を受ける。
舞台装置は大掛かりだが、消失トリックの仕掛けが少々無理目である。「あれ」に気がつかない筈がない、というのが、経験者としての率直な感想。そこに目をつぶったとしてもトリック優先で組み立てられたパズル小説、という印象が先行する。が、館に与えられた真の「使命」については唸った。必殺筆誅読売稼業の芦辺拓の面目躍如。
「疾駆するジョーカー」もう一人の酒鬼薔薇は冤罪なのか?「人権派」弁護士の部屋に駆け込んだジョーカーは駆除のあと、極小サイズで嘲笑う。見張りつき環状密室からの消失。逆転の錯誤トリックを成就させるために、作者が準備した人間関係の妙に驚け。まっぴらご免こうむる、Sick Joke!
「深津警部の不吉な赴任」頭韻を踏んだ殺しと告発のリレー。颯爽たる探偵たちの推理は、写し取られた人格がもたらす奇跡なのか?果して真の探偵は誰か?そして真の犯人は誰か?不可能犯罪へのこだわりがない分、アクロバット小説としての切れが光る逸品。個人的にはこの本のベスト。
「密室の鬼」窓越しにプロが見張る密室の中で惨殺された暴君博士。空間を歪め、呪いを成就させた擬似科学者の嗤い。現場に佇む鉄人は、ただ鈍色に輝く。嗚呼、鬼は何処ぞ。何処ぞ、鬼は?山沢晴雄ばりのセンチミリミリのド本格推理。中味が濃すぎて爽快感に欠ける。ああ、本格推理小説はここまでやるのですか?ここまでやるのです!
さあ、これで残す芦辺拓の未読推理は「保瀬警部」と「モダン・シティ」かあ。まずは一度読みかけて挫折した「保瀬警部」に再挑戦してみようかな。


2002年3月8日(金)

◆仕事の修羅場は続行。花粉も炸裂。大岡山やら御茶ノ水やらで仕事をしていながら、古書店の一軒も覗けないというのはフラストレーションが溜まりますな。購入本0冊。

◆「The Scarlet Circle」Jonathan Stagge(Crime Club)Finished
なんとか1週間1冊を維持している原書講読。今週はクエンティンがスタッグ名義で発表した子連れやもめ医者ウエストレイク・シリーズの第6作。このシリーズを読むのはこれで3冊目。先週のドハティーに比べると英語が非常に平易で、頁数(257頁)の割りにはサクサク読めた。このシリーズは、オーソドックスなビレッジ・フーダニットでウエストレイク医師と愛娘ドーンとのやりとりが実に微笑ましい。オカルトの味付けが施されたものもあり、この作品も支那提灯だの墓荒らしだのと不気味な雰囲気を出そうと、サービス精神を振り撒いている(あんまり怖くないけど)。こんな話。
9月、ニューイングランドのタリスマン(護符)岬で、ウエストレイク医師は愛娘と休暇中。だが、事件の方が素人探偵を放っておいてはくれない。親子連れ立って夕暮れの海から宿に向う途中、二人は海沿いの墓地から薄気味の悪い桃色の光がちらちら漏れてくるのに気付く。その正体を確かめようと光の元に辿り着いたウエストレイクが見たものは、支那提灯と墓を掘り返した跡であった。一体何者が、何の目的で?投宿しているタリスマン亭に戻った二人は、そこで村の人々に彼等が発見したものを報告する。だが、それがその夜の惨劇の前兆であった事は神ならぬ身の知る由もなかった。夜半、外の空気を吸ってくると表に出たきりの女性モデルネリーが「修道士の頭」という大岩の上で絞殺死体となって発見される。そして、その脇では支那提灯が光を放ち、更におぞましい事には、ネリーの顔にアクセントをつけていたホクロを囲むように真紅の丸が描かれていたのだ!美しいネリーを巡っては、彼女を雇っていた画家のファンショー、その神経質な妻、若い見張り救助員バックといった人々との間で葛藤があった模様である。平和な漁村がこのような大事件に見舞われるのは、タリスマン亭の主人ミッチェルの妹であり、宝石泥棒であったコーラを巡る大捕物以来。だが、浮き足立つ警察を嘲笑うかのように、第二の凶行が起きる。被害者は、またしても若い女。そして、死体のホクロには真紅の丸。墓をさ迷う灰色の幽鬼、死を誘う桃色の光、50ドルの野苺、黒い金剛石の伝説、そして葬儀屋はにこやかに微笑む。地元医師のギルクリストに担ぎ出され、変質的な連続殺人鬼に立ち向かうウエストレイクに天啓が訪れた時、岬はハリケーンの強襲を受ける。真実は、崩れ去る教会と漂流する棺が知っていた。
全編これ伏線の本格探偵小説。惨忍なシリアル・キラー、不気味さを演出する小道具、そこかしこに仕掛けられた赤鰊、個性的な容疑者たち、そしてすべてが論理的に解き明かされる結末。いささかうざったい幕間狂言にしか見えなかったドーンとその年若い相棒のドタバタ劇までが、事件の切り札として効いてくるのだから堪らない。全く過不足のないミステリで、読後感も爽やか。まあ、練達の読み手を騙すにはややストレートな話だが、「懐かしい推理小説」を読んでみたい人にはお勧め。海外のネット古書店で買う元気があって、元本の初版とかにこだわらなければ比較的入手可能な本。原書初心者には取っ付きやすい平明さも嬉しい。Let's try!


2002年3月7日(木)

◆出社してみると、仕事が一気に修羅場に突入していた。購入本0冊。
◆帰宅して、本の雑誌のゲラチェック。日記をアップする心の余裕がなくなる。
◆昨日から、掲示板のプログラム言語が変わったようで、今日一日、掲示板に書き込みが出来ませんでした。よしだ師父@ガラクタ風雲からメールを頂くまで、自分でその事実に気が付いていなかったというのが情けないです。これに懲りませず、またご愛顧の程を。


◆「予期せぬ夜」Eデイリー(ポケミス)読了
<早川書房の逆襲>とでも呼ぶべきHMM連載泰西古典シリーズ。「迷路」「魔の淵」「霧の中の虎」は20年越しの宿題であったが、こちらは「ローソクに1シリングを」同様、2年でポケミス入り。いやあ、めでたい、めでたい。はっきり言って、国書刊行会や新樹社といったところの成功を見て、ようよう重たい腰を上げたというのが、正直なところなのだろうが、どうか「眠れるタニマチ」から目醒めて斯界のパイオニアの電車道一直線向こう正面に増し刷り、増し刷りで早川書房、を見せて頂きたいものである。作家や作品にまつわる話は、元HMM編集長の称号に輝く村上解説が尽しているので、何も言う事はございません。でも、「クリスティーがもっとも愛したミステリ作家」であったことは、この帯を読むまで知りませんでした。私にとっては「百番台の効き目作品を書いた人」という印象だけでした。はい。こんな話。
運命の夜が避暑地にやってくる。その血色の悪い青年アンバリーが無事に21歳の誕生日を迎えられるか否かが、莫大な遺産の行方を左右する。叔母のエリナー、妹のアルマ、そして家庭教師のヒューとともに、叔母の義妹バークリー一家を訪れたアンバリーは、皮肉な態度の中にも未来への希望を膨らませていた。そして、バークリー家を辞した一行が深夜を過ぎて宿に辿り着いた時には、青年は有頂天に達していた。それがアンバリー・カウデン最後の夜になるとも知らず。翌朝ホテルの傍の断崖の下で、死体となって発見されるアンビー。一体、彼を深夜、表に誘い出したのは何者なのか?更に、彼が書く筈だった遺言状が行方不明となり、莫大な遺産は総て妹アルマに「リレー」される事となる。果して、アンビーの死は事故死か?殺人か?それとも、、、古書・筆跡鑑定家の名探偵ヘンリー・ガーマジが乗り出すや、捜査線上にアンバリーを丸め込んでいた親戚の俳優の存在が浮かび上がる。しかも、彼の所属する劇団では、その運命の夜に、もう一つの死が訪れていたのだ。一見無関係な二つの死をガーマジの慧眼が結びつけたとき、事件は醜い欲望の構図を露にし抹殺の意志は暴走を始める。
なんとも古風な探偵小説。風光明媚な舞台。莫大な遺産。怯えた相続人。縺れたアリバイ。辻褄の合わない動機。演出された野外劇。そして名探偵は古書が好き。ゆったりと物語世界を楽しめる人向きのお話。正直なところ、基本のプロットは、今更なものであり、クリスティーであればもっと手際よくやれるような気がする。少し自分より才気で落ちる人が一生懸命やっているところが「愛」の根源だったのかもしれないなあ、などと不埒なことを思わせる作品であった。探偵はなかなか名探偵らしくて良いけれども、職業が古書鑑定家とは知らなかった。20年ものの積読「二巻の殺人」は偶々ビブリオなのかと思っていたら、そうでもなさそうなのね。さあ、そろそろそっちも読んでみますか。


2002年3月6日(水)

◆諸般の事情により年休を取る。
◆この春一番の花粉症爆発。廃人状態になりながら別宅の片付け。二袋分の雑誌を捨て、ダンボール一箱分の漫画同人誌を秋葉原まで持って行って売る。マスクをして、ダンボールをキャリアに括り付けガラガラいわせながらおたくな若者で一杯の漫画店に入って行くというのは相当に「不審なおぢさん」状態である。凄まじい速さで値踏みをしてもらい、都合6800円で買い取ってもらう。思ったよりも安かったのだが、まあ、そんなものなのであろう。ただ、自分が足で稼いで力作だと思い買い求めた本には値がつかず、逆に「折角コミケに来たんだし、たまには行列して買ってみっか」と洒落で買った本に値段がつくのには些か心寂しいものがあった。世の<値段>というものが需要と供給のバランスで成り立っている、という事が良っくわかった。加えて既に、自分の漫画の嗜好が、世の中の主流から外れている事も良っくわかった。まあ、実際のところはミステリやSFについてもご同様なのかもしれないのだが、それは考えない事にしよう。
◆ところで、別宅だが、その程度処分しただけでは、むしろ散らかった状態になってしまっているのは、いつもの通りである。とほほ。
◆BK1で注文していた本が届く。
「愛の回り道−ノエルの苦悩−」ヴィクトリア・ホルト(日本図書刊行会:帯)2300円
日曜日に届いた「孔雀のプライド」と同じ訳者の手による(おそらく)自費出版本。一緒には届かなかったものの、なんとかまだ取り寄せが利くようである。こういうマイナーな本については、Amazonよりもbk1の方が頼りになる。ちなみに、どちらの本もAmazonでは品切れ表示であった。逆に、洋書に関しては、bk1は逆立ちしてもAmazonにかなわない。これはもう大リーグと港区リトルリーグぐらいの差はある。それはさておき、自分のお気に入りの作品を、気長に訳して本にして出すというのは、老後の過ごし方としては理想的なものである。お蔭様で、我々は労せずしてホルトの作品を楽しめるわけである。ありがたやありがたや。それにしても、こういう場合、原著作者への対応はどうなっておるのでしょうね?


◆「霧に棲む鬼」角田喜久雄(春陽文庫)読了
斯界の重鎮の通俗スリラー。一連の加賀美ものには本格推理への情熱が満ち溢れているものの、やはりこの大家の本領は通俗なのであろう。でなければ、あれほど時代小説で一世を風靡できる筈がない。ただ大乱歩の本格が「眼光手低」の見本だったのに対し、「高木家の惨劇」が短いながらも均整のとれた本格推理小説であっただけに、角田喜久雄と聞くと「本格」を期待してしまい、この作品のような「通俗スリラー」を読まされると評価が辛くなってしまうのである。こんな話。
街は霧。うらぶれたアパートの一室で、今、恋に破れた女が自殺への誘惑に身を委ねようとしていた。女の名は桂木美沙子。そこへ、飛び込んでくる一人の男。成り行きで追跡者たちを言いくるめ男を庇う美沙子。一夜明け、町田と名乗った男は、彼女にボストンバックを預け何処かへ消える。その一件から、美沙子の回りには彼女との結婚を望む危険な男達が群れ始める。なんと彼女をボロ雑巾のように捨てた筈のジゴロ・平川までが美沙子に求婚する始末。強引な求愛者たちはある時は暴力で、ある時は麻薬で彼女を我が物にしようとする。やがて引き起こされる殺人。果して自分が犯人なのか?朦朧とする記憶の中で罪の意識に苛まれながら美沙子はさ迷う。彼女を死の誘蛾灯に仕立てたのは何者なのか?その真意は愛、それとも憎しみ?霧の中で雄たちの欲望が牙を向き合い、女たちの涙が闇に溶ける。
「貧乏かぐや姫事件」とでも呼ぶべき因果物。新聞連載小説だったのか、やたらと短い章立ての中に必ず山場を作ろうとしており、一気に読むといささかくどい。アップダウンがつらいのである。余り先を考えずに書いたのか今一人のヒロインの描かれ方が中途半端に目立ってしまい、読者として誰に感情移入すべきか戸惑う。ただリーダビリティーの高さはさすがであり、ぼんやり辻褄を考えずに筋を追うには持ってこい。それにしても、この真犯人の企みは壮大なる伝奇である。舞台が戦前ならば更に引き立ったと感じるのは、こちらの思い込みのせいだけでもないと思うのだが。


2002年3月5日(火)

◆出張先から直帰につき神保町タッチ&ゴー。大島書店で1冊。
「Jade Woman」Jonathan Gash(Penguinn)250円
ラヴジョイ・シリーズの1冊。森英俊氏が推している現代作家の一人だが、未だに翻訳が出ない、という点ではグエンダリン・バトラーやら、ポール・ドハティーなんかに並ぶ存在。古典の方は国書やら新樹社やらから順調に刊行が続き、果ては晶文社まで参入して賑々しい限りだが、ポリティカル・サスペンスやらリーガル・ミステリ全盛の時代に敢えて本格しちゃうぞ!という第二集団作家の紹介が滞っているのはいかがなものか?そう考えると社会思想社のミステリ・ボックスは素晴らしくバランスのとれた叢書だったんだなあ、と感心してしまう。一般ファンにとっては「カドフェル」の版元であり、古典主義者にとってはイネスの「ある詩人への挽歌」なのであろうが、デヴァインを始めとしてジェニファー・ロウだの、ロジャー・オームロッドだの、レオ・ブルースだのヘンリー・ウエイドだの、ロバート・バーナードだの、エクスブライヤだの、一体どこのどなたがセレクションをやっていたのかと惚れ惚れしてしまう。この鑑識眼は、まさに植草甚一並み。いやあ、世の中には凄い人がいるものです。
話は全然違うのだが、ラヴジョイと入力するとラヴ女医と変換されてしまった。つまり「愛・女医」。うわああ、これじゃあフランス書院文庫でだよう。
◆なんと奥さんが酔っ払いながらも先週のあるある大辞典を録画してくれてたらしい、と言う事が判明し(録画した本人も忘れていたのが)、しっかり視聴。んで、結論を言うと「ヨーグルトを食べて」「1日30分歩く」と花粉症の症状が緩和されるらしい。がああん、俺、毎日ヨーグルト食べて50分は歩いてるんですけど?これ以上何をしろとおっしゃるの??


◆「ひきさかれた過去」Hペンティコースト(国土社)読了
その膨大な著作の割りには、日本での紹介が今ひとつすすまないペンティコースト。一時期ミステリマガジンの常連だった時代もあるのだが、短篇は勿論、数少ない翻訳長編も歴史の彼方に忘れ去られようとしている。まあ、あまりにも有名な大量消失トリックを使った「子供たちの消えた日」ぐらいは古典として残るかもしれないけれども。この作品は「ひきさかれたページ」として岩崎書店から出ていた作品を83年に国土社が改題し、95年に再刊したものだと思われる。ペンティコーストの長編が最後に翻訳されたのが、83年の事(「過去、現在、そして殺人」)で、いわばこの年が日本人にとっては最後のペンティコーストの当たり年だったわけである。もう20年になりなんとするわけですな。などと、昔に拘ってみたのは、この物語がちょうどそんな話であったためである。こんな話。
僕はビル。ラジオ局の<明日のニュース>社に勤めている放送作家だ。世の中、それは良い話ばかりじゃないし、ラジオ局っていうところは、悪い話を選んで流しているような気すらする。でも、まさか、自分の局で殺人が起きるなんて思ってもみなかった。被害者は政界に睨みの利くという噂の古参論説委員クレイマーさん。論説委員といいながら、広い執務室で真っ昼間からカクテルを飲んでいる御仁で、僕のような若造にははっきり言ってどこが偉いのか良くわからない人だった。そんな毒にもクスリにもならなそうな人を一体誰が殺すというのか?だけども警察の調べでは犯人は局内にいるとか。社長の肝いりでクレイマーさんを称える番組制作にとりかかった僕たちは、社の資料の一部が紛失している事に気が付く。そのひきさかれたページには何があったのか?ひきさかれた過去には何があったのか?
第二次世界大戦悲話を絡めた軽快なフーダニット。ラジオ放送局を舞台にしたミステリはTVのエラリー・クイーン・ミステリで1話お目にかかった程度で余り記憶にない。中途のレッド・ヘリングといい、クライマックスのツイストといい、スリリングな一編で、ジュビナイル向けに刈り込まれているのが残念な出来映え。大枚叩く必要はないが、数少ないペンティコーストの翻訳長編という意味では押えておいて損はない。


2002年3月4日(月)

◆ああ、遂に花粉の季節がやってきたよ。まだ初期症状ながら、一旦くしゃみが始めると立て続けに5回6回と発作が続く。目も痒いし、ああ、いやだいやだ。昨日はへべれけになって、「花粉症」特集の「あるある大辞典」も肝腎なところで居眠りしちゃったし、ブルーだよなあ。早くウエッブ版にアップされないかなあ。
◆実は、昨日はブックオフ・チェックしていたのだが、二日酔の頭でアップし損ねていた。
「ひきさかれた過去」Hペンティコスト(国土社)100円
「オロロ畑でつかまえて」荻原浩(集英社:帯)100円
ペンティコストは、密かな探究本。2年前に古いEQのレビューで存在を知って、のけぞっていた話。余りにも縁がなかったので、自分が探究していた事すら忘れていた。ってそういうのを「探究」とは普通云わんか。荻原浩は最近「旬」のようなので、デビュー作が帯付き100円なら買いでしょう。


◆「危険な道」C・ネルスコット(ポケミス)読了
2001年MVAの最終候補作、だそうな。MVAを独占すべく、ハヤカワが押えにかかったということであろうか?時は1968年2月。処は南部の街メンフィス。主人公は、黒人私立探偵。名をスモーキー・ドルトンという。この情報だけで、ははーんと思えた人は相当にアメリカの公民権の歴史に詳しい人であろう。そう、場所も時間もキング博士暗殺と符合するのである。このあたりは知的なアメリカ人にとっては共通の認識なのであろうか。更に、作者はその「常識」の上に立って、冒頭、主人公に1939年12月14日のアトランタの夜の出来事を回想させる。「風と共に去りぬ」の完成を記念した祝祭。そして、それはこの物語のすべてのスタートでもあったのだ。私スモーキーはシカゴの上流階級の娘ローラの突然の訪問を受け「なぜローラの母は、見も知らぬ筈の南部の黒人探偵風情に1万ドルを遺贈したのか?」を詰問される。身に覚えのない私は、彼女の依頼を受ける形でローラの一家の過去と自分自身の過去を捜す探索に乗り出す事になる。おりしもメンフィスの街はストライキ支援にやってくるキング博士を巡り、白人社会と黒人社会が一触即発の状態にあった。徐々に暴かれていくローラの悲劇、そしてそれが自分自身の悲劇と交錯したとき、白と黒の愛は、禁断の歴史に試され、街に暑い冬がやってくる。
1968年は既に「歴史」なのだ、というのが少なからずショックである。そういえば「時の密室」でも1970年は「歴史」扱いだったよなあ、と納得する。その慨嘆を追い討ちするのがキング博士の享年。なんと39歳だったらしい。そのキング博士と同窓という設定のこの主人公スモーキーもまた39歳。やれやれ、一体この私はなんの馬齢を重ねている事か。嘆き節はおくとして、この話、ミステリのプロットとしてはピータースンの「傷痕のある男」あたりに似通った過去捜しのお話。だが、その部分でのツイストは余りなく、68年の今を書く事に精力を使っている。そこに、10歳の黒人少年との「友情」や、キング博士暗殺秘話を絡ませたりして読者を飽きさせはしないものの、推理小説魂にはやや欠ける。推理小説未満、物語以前の「読み物」であるとしておきましょう。


2002年3月3日(日)

◆2月上旬に「十三番目の陪審員」「詩人と狂人たち」の感想をアップ。二日分の日記と三日分の感想をアップ。ああ、また闘いの日々が始まってしまった。
◆新刊書店で、芦辺拓の「怪人対名探偵」の帯付を見かける。この作品は、鮎川哲也の「薦」がついているのだが、これが本体ではなくて、帯にしか書かれていないという厄介な代物なのである。ブックオフにて半額で買い求めてしまった身の上としては、まんまと嵌められてしまった(これ!人聞きの悪い)次第。んでもって、さあ一体どのような推薦の辞が書いてあるのかと思って手に取ったところ、

「なんじゃあ、こりゃあ!?」

なんと、それは新刊帯ではなくて、「このミス6位」を報じた帯でしたとさ。な、何しますねん!!講談社はん。売らんかなもええけど、折角本屋で買う人に鮎川哲也の賛辞を剥がして、このミス6位の帯つけますか?それで済むと思てはるんですか?思てる、さよか、ほなさいなら。
でも、これって、一種の「落丁」、というか「改竄」なのじゃないのかな?だって、カバー表4には「鮎川哲也薦」って書いてあるんだよ??
◆ネットで買った本が1冊届く。
「孔雀のプライド」ヴィクトリア・ホルト(文芸社:帯)2200円
自費出版の類いであろうか。訳者が定年退職後の楽しみとして出版した本のようである。もう1冊の謎のホルトの翻訳本「愛の回り道」というのも、この訳者の翻訳である。いやあ、よくホルトのように長い長い作品を訳してみようと思い立つものである。ありがたやありがたや
◆夕方、延期に次ぐ延期になっていた義父さんの誕生祝宴会で奥さんの実家へ。したたか酔っ払う。


◆「殺人!ザ・東京ドーム」岡嶋二人(光文社NV)読了
先日20円で買った本。岡嶋二人が現役だった頃は、わたしもウブで、本屋で買える本は本屋で買わなきゃと思っていたのである。ところが、世の中には本屋で買っても帯がない事もあるわけで、帯だけ20円の積もりで拾う。岡嶋二人が現役だった頃には、既に「積読が怖くて本が買えるか?!おらおら」というような擦れた人間になってしまっていたので、この書もまだ何冊かある「未読・岡嶋二人」のうちの1冊となってきた。で、感想を一言で言えば、未読のままでよかったな、という事。これに尽きる。
この作品は絵に描いたような「読み飛ばすために書かれた」サスペンスである。昆虫をピンで留め、その足掻く様を写真に収めるのが唯一の趣味という口下手で根暗の青年が、偶然にも熱帯の猛毒「クラーレ」を手に入れてしまった事から殺人の快楽に目覚め、東京ドーム球場での「巨人・阪神戦」で無差別快楽殺人に走るという話である。その彼に、クラーレをそもそも海外から持ち込んだ張本人たちの三角関係が絡み、警察ともども、追いつ追われつを繰り広げるのである。いや、もう、それだけなのだ。如何にして犯罪計画が瓦解していくかの過程を楽しむべき話なのであろうが、正直なところ、何もこういう話を小説でやらなくてもよいのではなかろうか?というのが素朴な感想。テレビの二時間ドラマで、幾らでもこんな話はあるだろう?野球の描写は、よく書けていて違和感がない。しかし、この異常なまでの読みやすさに照らせば、少しはもたつく部分があった方が印象を遺すという点ではよかったかもしれない。1時間で読んで3分で忘れるべき話。それが作者の狙いであれば、成功しているといってよかろう。


2002年3月1日(金)・2日(土)

◆こしぬまさんから「ビッグ・カメラ」じゃなくて「ビック・カメラ」ですよ、とメールを頂く。すみません&ありがとうございます。修正しました(「瑠奈子のキッチン」感想)。
◆職場で話し込んでしまい、本屋と古本屋を覗く閑なし。購入本0冊。
◆帰宅してメールをチェックしようとすると、何度やってもエラーメッセージが出てしまい、繋がらない。実はかれこれ1ヶ月程、調子が悪く、ごまかしごまかし運を頼りにやってきたのだが、いよいよいけなくなった模様。単にケーブルの不調であれば数千円、モデムカードの不調であれば数万円、そしてパソコンの不調であれば数十万円の出費になるかと思うと気が重い。重過ぎる。とりあえず、本の雑誌の送稿が終わっているのがせめてもの救いである。明日は、まずはケーブルを買い換えてみーようっと。まあ、たまには更新に追われない生活もいいかも。とかいいながら、復活の日に向けて日記だけは書いているんだから、バカというか、健気というか、ビョーキというか。

◆一夜明けて、ひょっとして復活しているかもしれないなあと、甘い希望を抱いてパソコンを弄ってみるが、やはりネットに繋げない。じゃあ、ヨドバシが開いたら買い物にいくべえか、と腹を括る。ところが、何気なく奥さんが電話をかけようと、それまで繋がらないのである。ややや!!これは一体どうなっておるのであろうか?と、携帯で電話局に連絡して、待つ事しばし。

「御宅様の電話線は切れています」。

どっひゃあー。そりゃあ、雪の山荘やら孤島もので、電話線が切れるという場面にはしょっちゅうお目にかかっているが、まさか、自分が自宅でそのような目にあおうとは思わなかった。「昼過ぎには修理を行かせます」との事だったので「なあんだ、なんだよお、電話が悪いんじゃん。いやあ、早とちりで要らない買い物しなくて済んで、よかった、よかった」と胸をなで下ろしながら自宅待機。1時半に工事屋が来てくれて、どうやら「屋外にある分岐のネジが緩んでいた」との事であり、ものの10分ほどで復旧。やあ、めでたしめでたし。
◆ところが驚天動地の大どんでん返し!!いざ嬉しとパソコンを繋ごうとすると、昨晩と同じエラーメッセージが出てアウト・オブ・オーダーのまま。があああーーーん。一体何なのだ、この逆転に次ぐ逆転のプロットは。只管、機器に振り回されへたれてしまった私なのであった。
◆それでも遅めの昼飯を食べて、当初の予定に戻してヨドバシに出発。モデムカードは思ったより安かったので、思い切り良く買う事にする。早速自宅に戻り、インストールを終え、祈るような気持ちで、接続。
無事繋がる。

やったあ!やったあ!

歓声があがった。

ついにつながった

ここが新天地だ

インターネットの世界だ。

さあ、一緒にいくんだ。インターネットの世界に一緒に行こう。

そしてkashibaは、マウスをクリックした

ああ、なんの因果で、私はたかだかネットに繋がっただけでプロジェクトXしているのだろうか?
思った程高くなかったものの、80ブックオフの出費はやっぱり痛く、購入本0冊。


◆「The Angel of Death」Paul Doherty(Headline)Finished
ミステリ・ファンの間で今一番翻訳が待たれている英国作家と言っても過言ではなかろう(ちなみに、フランス人作家ならばポール・アルテですな)。今まで買ってるだけだったので、適当に一冊引っ張り出して読んでみた。エドワード一世付き事務官ヒュー・コーベットものの第4作。読んでから「しまったな」と思ったのは、このシリーズ、カドフェルものよりも主人公に「歴史」がありそうな気配なのだ。推理小説の本筋とは無関係とは言いながら<シリーズものは1作目から読め>という鉄則を踏み外した事を反省する次第。そういえば、カドフェルも「修道士の頭巾」から読み始めたんだよな。まあ、あれは早川書房の賞頼りの翻訳姿勢によるものではあるんだけど。さて、この作品は世紀末の1299年、セント・ポール寺院で起きた衆人環視の主席司祭毒殺事件のトリックに挑む捜査官ヒュー・コーベットの物語。こんな話。
24年間の在位の中で、エドワード一世はアイルランドからウェールズ、スコットランドを征服してきた。だが、1298年のバーウィック攻めと「赤の館」の焼き払いこそは王の生涯で最も苛烈な虐殺と呼んで差し支えなかろう。そして、その灰塵の底から王に仇なす悪魔は羽ばたき、世紀末の冬に復讐の爪を振り下ろすのであった。逼迫する戦費調達のため教会からも税を取りたてようとする王は、交渉のためにセント・ポール寺院でのミサに臨む。そして、順調に聖餐の儀式が執り行われ、ワインに満たされた聖杯が祭壇に居並ぶ司祭たちを一巡し、王とは因縁浅からぬ主席司祭ウォルター・デ・モンフォートの手に渡った時、悲劇は起きた。祝福を終えたウォルターが突如祭壇から転げ落ち、そのまま亡くなってしまったのだ!死体は明らかに毒死の兆候を示しているが、聖杯からは毒が検出されない。果して、何者が、どのようにして司祭の命を奪い去ったのか?迷信深い者は「死の天使」の降臨を囁き、権謀に塗れた者は王による暗殺を確信する。だが、王は意外な事実をヒューに告げ、真相究明を彼に命じるのであった。そして、ヒューの取り調べが佳境に差し掛かった時、暗殺の牙は彼自身に襲い掛かる。世紀末の雪を朱に染めて、「死の天使」との知恵と剣の闘いは聖なる場所でクライマックスを迎える。
不可能趣味はそれなりだが、期待したほどの怪奇趣味はない。むしろ、尋問が延々と続く黄金期本格を思わせる作品。毒殺の真相は推理パズルやら早業トリックの域を出ないが、それがこの歴史的背景と聖餐式という特殊な舞台で演じられると長編を支えるだけのものになる事がわかる。活劇場面も数多くあって、エドワード一世を始めとするレギュラー脇役も夫々にキャラクターが立っており、探索の単調さを救ってくれる。特に、ヒューの従者であるレイナルフがいい味を出していて吉。ヒュー自身の恋愛も進行中だったりする。生真面目な本格推理を、血塗れの歴史小説の中に上手に移植した作品といったイメージであり、個人的にはマザコン・ハードボイルドのファルコものよりこちらの方が好みである。翻訳紹介されてよろしいのでは?


◆「パンドラ'S ボックス」北森鴻(光文社NV)読了
この短篇&エッセイ集を読んで北森鴻に対するイメージは180度切り替わった。いや、今までもその作品は愛してきたのだが、その作者像については「本格ミステリ界に大人の雰囲気を漂わせながら、斬新でトリッキーな作品をもって切り込んできた知的エリート」といったイメージを勝手に描いていた。まあ、言うなれば狐や那智やらを男性に置き換えたクールなイメージだったのだ。それがまあなんと斯くも、編プロの地獄で研鑚を積み、すちゃらかで酒に溺れた日々を送り、身を捨てて笑いを取りに来る苦労人であったとは!!いやあ、人は見掛けによらないものである。再録の多い本ではあるものの、書き下ろしエッセイの部分だけは立ち読みされても損はない。お勧め。以下、ミニコメ。
「仮面の遺書」作品の印象が薄い「本格推理」の中で、この作品は極めて印象の強かった作品。抽象画に隠された死のメッセージというプロット自体はありそうなものだが、その消化の仕方が非常にユニーク。密室の解法が心理トリックかと思ったら物理トリックだった時の衝撃。オチは些かやりすぎだが、今読んでも充分に面白い。そうか、これが北森鴻だったんだ。
「踊る警官」援助交際と遺跡発掘という二題を大阪弁の語りだけで繋ぎあわせた見事な作品。ブラインド・テストされれば、黒川博行作と断定してしまうであろう実験作。ミステリとしての作り込みは、コロンボの「あれ」なのであるが、まんまと読まされてしまった。これが大阪弁の力というものであろう。
「無惨絵の男」時代小説で密室でアリバイもの、という贅沢な一品。更に云えば隠されたメッセージものでもあるという優れもの。密室が一番底が浅く、作者が意識していない趣向の方が光っているというのが面白い。
「ちあき電脳探てい社」宝捜しジュヴィナイル。主人公たちがいかにも大人の考える風に戯画されすぎており、頂けない。ただミステリの仕掛自体は、少年ものの制約の中で健闘している部類か。爽やかさも吉。
「鬼子母神の選択肢」京都の外れの古刹を舞台にした日常の謎系ピカレスク。タウン誌の松茸情報の裏のまた裏、という仕掛に唸る。主人公の設定に至るまで一頁先の展開が読めない、技巧派ミステリ。
「ランチライムの小悪魔」長閑なOLの日常に食中毒事件が発生!そこに隠された女の一途な思いとは?泡坂妻夫のアイデアを赤川次郎が小説化したような作品。これをコンスタントに書ければ売れっ子は約束されたようなものである。凄い。
「幇間二人羽織」顎十郎もののパスティーシュ。事件は終わったにもかかわらず、<同じ時間に離れた場所にいた幇間>という怪奇が残り、そこで北町と南町の意地の張り合いが顎十郎を引っ張り出す。事件の底の底まで見抜く顎の慧眼が凄いが、少々「勢い余って」という感がしなくもない。ブラインド・テストされれば都筑道夫作と断定してしまったであろう。>こらこら