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2001年9月20日(木)

◆本日は送別会につき、本屋にも古本屋にも寄れずじまい。購入本0冊。
◆酩酊モードで帰宅途上、隣に立ったハイソっぽいオバサマ軍団の会話が耳に飛び込んでくる。
「そうそう、あからさまなのは駄目なんだけど、こうだんだんと追いつめられていくっていう感じがいいのよねえ。」(第1ヒント)
「でも、昔やってた奴なんでしょう?」(第2ヒント)
「昔の俳優も良かったんだけどね、今度のもいいのよ。」
「新シリーズなの?」
「そうみたいなんだけど、映画枠で放映されてねえ」(第3ヒント)
「あらまあ。それで、何チャンネルなの?」
「えーっと、どこだったかなあ〜、あ、そうそうBSだったかも。」
「あらBSなの」
「妻殺しの容疑を掛けられて逃げているんだけど、目の前に病気の人がいると助けずにはいられないっていうのが、もう!」
ううう、「違う、違うんだ、8チャンネルなんだああ!」といいたくなるのを
ぐっと押えるkashibaであった。というわけで、リチャード・キンブルは「新・逃亡者」の話。ううむ、デヴィッド・ジャンセンのキンブルを知っているとは、オバさん、やるじゃない。


◆「ローワンと黄金の谷の謎」Eロッダ(あすなろ書房)読了
さて、これもハリポタ効果なのか?嬉しい事にジェニファー・ロウが別名義で放つヤングアダルト・ファンタジー、堂々のシリーズ第2作訳出。一向に進まないミステリの紹介に比べ、ファンタジーの方は随分とサクサク進んでいるではないですか。慶賀慶賀。なんでもロッダ名義ではこれまでに48点の子供向け作品が上梓されているらしく、8作しかないミステリの6倍。この割合でいくと、ミステリ第2作(「辞世の書」)の訳出はまだまだ時間がかかりそうである。さて、前作で村の救世主となった筈のバクシャー守りの少年ローワン、今回は花粉症で鼻水を啜りながらいかなる活躍をみせるのか。こんな話。
季節は春。<旅の人>たちがやってくる。様々な芸や異国の品物を携えて。ところが、前回の訪問から余りに間を置かずにやってきた彼等に対し、村人の中には不審の念を抱く者もいた。特にローワンの友人アランが<禁じられた山>から持ち帰ったヤマイチゴを栽培する人々にとって、旅の人への警戒心は募る一方であった。おりしも、前作で水涸れの危機から村を救ったひ弱な少年ローワンは、村の魔女シバに花粉症の薬を貰いにいき、村に迫る敵の存在を予測したシバの託宣に遭遇する。忍び寄る黒い翳、突然リンの村を襲った奇病、そして消えた<旅の人>たち。果して、これは古の戦の復讐戦なのか?必死に村からの脱出を図るローワンとアランの二人は、いつしか失われた黄金の谷の伝説へと行き当たる。幾重にも織り上げられた謎のタペストリー。邪悪なめぐりに向けて、ローワンの孤独な闘いは再び始まる。
ロッダのストリーテラーぶりに脱帽。なんとも鮮やかな伏線と逆転、そして大団円。まさに良質のミステリを読み終えた後の如き満足感に耽ってしまう。悪の正体は、一種の「お約束」ではあるのだが、その謎を見事にストーリーの中に埋め込み、最後まで一気に読ませる。前作でも登場したリンの村の人々は勿論、<旅の人>というジプシー集団のキャラも立っている。ショタコンもいらっしゃいませ。本国では今年5作目が出るというローワンシリーズ、さあ、訳せ訳せ訳せ!ついでにバードウッド・シリーズの方も宜しくね。


2001年9月19日(水)

◆本日も残業。本屋にも古本屋にも寄れずじまい。ぐああ。
◆勤め先の同じフロアには100人ぐらいが勤務しているのだが、ここ一ヶ月ぐらいの間に、結構な趣味的読書人が二人も棲息している事が判明してしまった。どんな読書人かというと「ペリー・ローダン現役」である。いや、わたしではない。私は152巻で挫折している。もっといえば、ネットで知り合った古本野郎やSF読みでこれを30冊読んでいる人は皆無に近い。ましてや「まるぺ現役」となると二階堂黎人氏ぐらいではなかろうか?しかし、先日の職場研修の「自己紹介」で50代半ばの技術系部長が「まるぺ現役」だった事が判明したのに続き、本日「そういえば、kashibaさんってホームページを作っておられるんですって?」と声をかけてきた40代前半の国際畑文科系課長補佐とURLを交換して彼のホームページを覗きにいってみると、ホーンブロアやらターザンやらスペンサーやらの読書録がどおんと載っており、毎月こまめにローダンを読んでいる事が判明してしまったのである。なんと申しますやら、人は見掛けによらないというべきか、ペリーローダンおそるべしというか。世代や職種を越えてここまで浸透しているとは。考え様によっては、早川SF文庫の5分の1を読んでいる人間が少なくとも三人いるんだから趣味的には恵まれた職場なのかも。「第三勢力」でも組織してSF宴会でもやろうかな?職場には見切りをつけてネットで友人捜しに走っている私だけど「灯台下暗し」的な発見に驚いた一日であった。皆さんの職場には「まるぺ現役」は何人いらしゃいますか?

◆「ナポレオン・ソロ15/スラッシュ株式会社」Fディヴィス(ポケミス)読了
というわけで、ナポソロ本の在庫も減ってきた。後、2、3冊で読切ってしまうかと思うと勿体無くて読めない状態。正直なところ、先般、HMMで「それいけ、スマート」が訳された時には、「そりゃあ、まあ、スマートもいいけど、それをやるなら、先ずはナポソロ本唯一の未訳の<The Hollow Crown Affair>でしょう?」と思ったものである。本格古典がフォローできないぐらいに新刊でわっさわっさ出てくるようになると、つい「外道」に走りたくなってしまうのが「マニア」の習性であるといってよかろう。よい子はマネをしないようにしましょう。本を読む時はまわりをあかるくしてよみましょう。というわけで、ポケミス版ナポソロ、ラス前の1冊は、株価操作で巨利を掠めるスラッシュ幹部との闘いの物語。
スラッシュが金融市場で仕手戦を行っているという情報を偶然にも手に入れたアンクルは、特務主任ナポレオン・ソロを囮に使って、株価操作の総本山を突き止めようとする。あまりにもあからさまな聞き込み調査が奏効し、ソロが攫われたまではよかったが、ジグソー・パズルに熱中するイリアは、その後を追い損ねる。かくしてソロはコニーアイランドの遊戯施設にカモフラージュされた敵の本拠に連れ込まれ、必殺の罠に囲まれた宇宙ロケットの部屋に閉じ込められる。果して、彼は、この難攻不落の死の顎を掻い潜れるのか?そして、スラッシュが仕掛た仕手戦の暗号の発信法とは?パンクな若者たちとの共闘が、脂肪の固まりの奸計を暴く。
これまでにも、ナポソロ小説は読んできたが、この作品には実にテレビシリーズのオーラを感じてしまう。というのも、舞台設定のチープさゆえ。このお話は実にNYの内側で物語が完結してしまうのだ。世界を股に掛ける事の多いスパイものの世界で、味方の本拠地で終わってしまうというのは「レアもの」といってよかろう。その低予算ぶりが、懐かしいのである。書き割り風の罠もチープなら、脇役のフーテン連中もチープ。更に、高等数学とITのコンビネーションで一瞬にして巨万の富が生まれ消える昨今の常識に照らし余りにも長閑な経済犯罪。いやあ、いいなあ。結構、派手な立ち回りがあるにも関わらず、どこまでものんびりとした60年代軽スパイものである。これでいいんだ、これで。


2001年9月18日(火)

◆思いついたので書いておく。
「とっとこハムナプトラ」。
結構イヤかも。
◆ミステリサイトを巡回してみると、ジャーロ最新号に関する記述はことごとくNET DETECTIVEと古本屋リストの件だけで、誰も小説については書いていないじゃん。いかに雑誌の小説が読まれていないか、という実例ですな。いやはや。斯く申す私も、雑誌の小説というのは殆ど読まない。「密室」特集とか「不可能犯罪」特集とか好みの作家の特集とか「幻想と怪奇」特集とか言うのでない限りまずは積読。こういう人間が定期購読者の9割を占めるのではなかろうか?一度ネットでアンケートしてみたいものである。なにせ、HMMのアンケート回答って200〜300程度なので、いってみれば、拙サイトの1日のご訪問者数並みなんだもんね。
◆またしても消耗戦の残業。本屋にも、古本屋にも寄れずじまい。とほほ。
◆朝日新聞夕刊に、新保博久による「乱歩書簡」ネタのエッセイが掲載されている。まあ、この人らしい漫文の類いである。

◆「青列車は13回停る」ボアロー&ナルスジャック(ポケミス)読了
ボアナルの13作目の作品。パリからマントン間を走る特急の停車駅にちなんだ13の短篇を収録した作品集。なんともお洒落な趣向であり、日本のミステリではかようなエスプリに出会うケースは極めて稀である。というか、作家がそこまで自分の出版をコントロールできていないというのが正直なところであろう。できるとすれば森博嗣あたりかなあ。飯米に追われていない人の特権なのかも。
閑話休題。改めて、このチーム作家の懐の深さを知るのには持ってこいの短篇集。いずれもそのまま「ヒッチコック・アワー」の原作足りうるツイストの効いた犯罪物語。基本的には「夫と妻に捧げる犯罪」が多いものの、中には、堂々たる消失ものの本格推理(「十一号船室」)もあって、思わず嬉しくなってしまう。これは、ボアナルの見本市としても、フランスミステリの入門書としても最適。仮に、1冊だけボアナルを復刊せよ、となれば「わたしのすべては一人の男」などではなく、パンピー向けセールスを考えるとこちらの方ではなかろうか?
時間がないのでミニコメは後日。


2001年9月17日(月)

◆仕事でひとイベント片付ける。半ば放心状態。自分に御褒美だ、と新刊買い。
「ジャーロ5号」(光文社)1500円
雑誌としては高いが、月刊誌で一ヶ月分500円だと思えば余り腹も立たない。そろそろこの本も「買うだけ」モードに入りつつある。森さんのNET DETECTIVEでは、ご存知ストラングル・成田氏の密室系が紹介されている。おげまるさんも登場だあ。野村宏平氏の古書店ガイド(首都圏版)は圧巻の労作。だが諸君、これはスタートラインに過ぎないのである。これをいかにこまめに回るかが勝負なのである。ううう、いち抜けたあ。
◆久しぶりにチャリティ市に遭遇。一見よさげな雰囲気もあったのだが、さしたるものは何もなし。コム版の火の鳥とか、拾ってもしゃあないしなあ。とりあえず押えたのはこの4冊。
「真昼に別れの接吻を」中田耕治(双葉社:帯)100円
「空中ブランコに乗る中年男」Jサーバー(講談社)100円
「リーダーズダイジェスト名著作集(メリン屋敷の怪/Vホルト収録)」100円
「リーダーズダイジェスト名著作集(虹と薔薇/Nシュート収録)」100円
サーバーは文庫版と収録作は同じなのだろうか?こういう形で出ていた事を知らなかったので発作買い。まあ、100円だしさあ。リーダーズダイジェストも、何をもっていて何を持っていないかをきちんと把握しておらず、特にヴィクトリア・ホルトはダブリの可能性大。そもそも、長いのが取り得のようなゴシック・ロマンをダイジェスト版で読んで何が面白いのだ?と問われると辛いものがあるよなあ。


◆「小説 KAPPA(河童)」柴田哲孝(CBSソニー)読了
というわけで「著者会心のアウトドア・ミステリー」を読んでみた。んで、結論から言うと「帰りの電車が楽しみで仕方ない」という感覚が久しぶり。面白い!これは思わぬ拾い物である。女王様、ありがとう。
さて、実際のアウトドアというのは、下(しも)の心配やら、藪蚊との闘いやら思いを馳せると「ご勘弁願いたい」という軟弱人間なのだが、椎名誠のあやしい酔夢譚とか稲見一良の感涙小説とかを「ああ、大自然はいいなあ、男だったらアウトドアだよなあ」とクーラーの効いた部屋でビール片手に読むのは大好きである。まあ、アウトドア読物の読者の半数はこういう軟弱者なのではなかろうか。こんな話。
物語は思わせぶりのプロローグに続き、牛久沼でのブラック・バス・フィッシングで幕を開ける。競技を主催したバー経営者の眼前で、格好だけは一人前の初心者が、怪物に襲われ、やがて食い散らかされた水死体となって発見されたのだ!巨大な体長、白い顔、耳まで裂けた口、ごつごつした背、頭部の黒い皿、それはまさしく伝説の河童そのものであった。超自然を信じない警察を向こうに、このKAPPA事件を追うのは、腕はいいが締め切りの守れないアウトドア・ライター。馴染みの牛久沼の老川漁師と愛犬とともに、河童の目撃証人を追う彼はやがて釣りの天才少年と出会う。だが、彼等の追跡を意に介さぬように、河童は第二の殺人を犯す。自然とともに生きてきた者どもの想い、昏い水音、世代を超えた友情、男達の探索、人間の身勝手、そして闘い、究極のキャッチ&リリースに向けて、気迫の罠が舞う。
さて、子供が一番最初に出会うアウトドア小説といえばやはり「老人と海」であろう。幾つになってもオトコノコ!毎日が勝負!生きるって事は自然と向き合う事!結果じゃなくてプロセス!みたいなアウトドアのエッセンスをあれぽっちの小説に凝縮しえたのはヘミングウエイ自身がねっからのオトコノコだったからであろうが、この書も実にその辺りのツボを心得ていて読ませる。人物造形といい、小物の蘊蓄といい、サスペンスフルでユーモラスな筆致といい、実に実にオトコノコ賛歌でなのある。女人禁制なのである。「稲見一良の小説がもう読めないよう」とお嘆きの方にお勧めしておきましょう。さあ、探せ!


2001年9月16日(日)

◆昨日の酒が効き過ぎ、昼まで寝る。昼から、近所の市民ホールへ奥さん繋がりのソプラノ・リサイタルなんぞを聞きに行く。非常に使い勝手のよさそうなホールなので感心する。やるじゃん、千葉県。お歌のリサイタルは久しぶり。やはり「生」の迫力はいいねえ。
◆終了後は、同じ建物にある図書館でヒマつぶし。昨日から何も読めていないので、とりあえずジュビナイルでお茶を濁そうとしたのだが、適当なものが見当たらない。で、ひょいと取り上げたハヤカワNV文庫をその場で斜めに立ち読み始め、小一時間かけて読了する。ハードカバーで一応押えてある作品なのだが、これが、噂に違わぬ「愚作」で唖然とする。いやあ、麒麟も老いては駑馬に劣る。かつての優駿の見る影もない落ちぶれように暗澹たる気分になる。
◆小腹がすいたので、早目の夕食を外食ですませ、本屋チェック。2冊購入。
「インターネット的」糸井重里(PHP新書:帯)660円
「ローワンと黄金の谷の謎」Eロッダ(あすなろ書房:帯)1300円
糸井本は、安田ママさんのお勧め本。我々ネット者の言いたい事を言ってくれているらしく、十年ぶりぐらいに糸井重里の本を買う。
ローワン・シリーズ第2作は、ジェニファー・ロウが別名義(っちゅうか、こちらの方が本職らしい)で送るヤングアダルト・ファンタジー。なあんだ、ちゃんと本屋で売っておるではありませんかあ。感心感心。帰宅して糸井本を即読了。


◆「ローズマリーの息子」アイラ・レヴィン(早川NV文庫)読了
かつてアイラ・レヴィンは天才であった。「死の接吻」の老獪にして斬新な技巧でミステリ界を震撼させ、「ローズマリーの赤ちゃん」ではモダンホラーの先駆として名声を欲しいままにした。その後「この完全なる時代」「ステップフォードの妻たち」と、やや外し加減の作品が続くが、「ブラジルから来た少年たち」では、まだまだそのイマジネーションが健在であるところを見せ、「デス・トラップ」でもそのテクニシャンぶりでミステリ者の琴線をくすぐった。しかし、その栄光に満ちた作家人生もその辺りまで。「硝子の塔」は評判倒れ、遂にはこの「ローズマリーの息子」で自分の遺産を食い潰すところまで来てしまった。
一応は話題の作品なので、梗概を紹介するまでもないが、要はローズマリーが世紀末の1999年、長い眠りから27年ぶりに目を覚ますところから物語は始まる。かつて彼女が慈しんだ息子アンディーが生きていれば33歳。そして時をおかずして彼女は息子との感動的な再会を果たす。なんと彼は、世界的な博愛活動の指導者の地位にあったのだ。かつて、ローズマリー夫婦を「罠」に誘い込んだ勢力は、彼女の長い眠りの間にこの世から姿を消し、ローズマリーは邪なる企みに対し叛旗を翻した息子と新しい世界を拓く事に生き甲斐を見出すようになった。しかし世紀末がミレニアムに向う中、黒い翳は邪悪の羽ばたきを響かせ始める。果して、千年紀に勝利するのは、聖か、邪か?それとも?
勝利するのは誰かは言えないが、作者が敗北した事だけは、自信を持って宣言できる。余りの評判の悪さに「まさか」と思ってはいたが、その「まさか」をやらかしてくれた。いやはや、これではシャロン・テートも浮かばれまい。


◆「インターネット的」糸井重里(PHP新書)読了
3日でメガ・アクセスという人気サイト「ほぼ日刊イトイ新聞」を律義に作り続けている糸井重里が、普段感じている、ふわっとしたインターネット観を漫ろ記した「啓発書」。安田ママさんもゾッコンだが、成る程、これは「よくぞ言って下さった」の連続。常々、企業のインターネット観の嘘臭さに身悶えしつつ、毎日の私的インターネット生活を送っている者にとって、この書は大変心強い。少なくとも、我々と同じ闘いの日々を送っている有名人がここに一人はいる事が判っただけでもお値打ちである。
インターネットの特徴を「リンク」「シェア」「フラット」として、「消費のクリエイティブ」を謳い、立候補を求めるイトイさんは、模範的ネット人である。「まずは出しきる」とか「正直は最大の戦略である」とかいう、言葉がなんとも心地よい。真実こちらの琴線を震わせる。「こんなに手持ちの材料を出しちゃっていいものか?」とか、「馬鹿正直に、自分のノウハウやら失敗談をさらけ出していいものか?」という迷いが吹っ切れる。あの糸井重里だって、そうなんだ。こんなへっぽこサイトのサラリーマン主宰者が何を悩む事があろう?!書いて、書いて、書きまくれい!
勿論、インターネットをやっていて、いい事ばかりではない。ただただ、情報を抱え込んで、自分が得する事しか考えない人だっているさあ。それでも、楽しい事はみんなで分け合った方がいいさあ。kashibaあは、そー思うんだよね。ちょっと、ちゅらさんがはいっているけれども、きょうも頑張って更新だね。


2001年9月15日(土)

◆今日は、奥さんが敬老の日で、老人ホームにお出かけなため、kashibaは放牧状態。というわけで敬老の日にちなんで、軽・老オフをやってみる。メンバーは発起人の<鎌倉の御前>こと奈良さん、ROM誌の編集助け人ダンディ須川さん、ミステリネットの長老・岩堀のおとっつあん、今回初参加の若手古本極道・大西さん、んでもって、ちょいと遅れて斯界の赤い彗星・東の古本女王様こと石井春生女史。11時半頃に拙宅(別宅の方ね)に飲み物・食べ物御持参でお越し頂き、タイムリミットの19時過ぎまで、呑めや語れの大騒ぎ。いやあ、面白うございました。
「おお、これが噂の『少年探偵』ですかあ」「おほほほほ、みるだけよ」「おお、なんかこの棚は落穂舎って感じですねえ」「でも他はブックオフって感じでしょ?」「これが角川横溝文庫の帯リストどえーす!」「横溝正史フェア帯ってえのはそれなりに意味があるのですか?」「意味があります」「おお、貴方が言えば<通説>ですな」「『豚と薔薇』には一体幾つあるんじゃい(と実物を広げてみせる)」「厚着の創元推理文庫の楽しみ方あれこれ」「『クルンバーの謎』は猫・SF・おじさん・猫というマークの変遷を辿ったような、そうでないような」「それも貴方が言えば<通説>ですね」「これって何だっけ」「あ、『恐怖の風景画』っすね。かっばまがじん」「おお、別冊小説宝石かあ。ないんだよなあ、これ」「これが『殺すものと殺されるもの』のカバーのカラーコピーだあ」「どっひゃあ。ううう、もう何が出ても驚かんもんね、わし」「これがアメストの帯揃いのカラーコピーだああ」「あるんかいそんなもん!!」「西部劇の訳題として『任侠の血』というのはいかがなものか」「よいではないか」「よいよい」「『塗つぶされた顔』の双葉新書版が戸板M2なんですよね〜」「とかなんとか言ってると出てくるよ、この家は。ほらあ、でたああ」「あ、kashibaさんの、国書4期の残り4冊予想、全部はずれてますから」「ぐげげ、んでんで、何が出るんですかああ?」「ふっふっふ、あれと、あれと、えーっとあとはなんだっけえ」「アルバトロスで、どうでもいいのってない?」「ううむ、みんな、ん万円のペーパーバックっすよお」「んじゃ、ブロックマンで我慢しましょう」「はいはい」「『密室の妻』貸してください」「はいはい」てな感じで和気藹々のうちに終了。他にも、ネットオークションを巡る悲喜劇とか、K文庫の「宝石揃い−少年探偵」を30万円で買ってしまって大変な人の話とか、いやあ、別にうちでやらなくてもいいんじゃないの、という濃いお話のオンパレード。聞けば、私以外の皆さんは、その後も東京駅界隈で2次会を挙行された模様。元気じゃのう。というわけでホスト的には大変楽をさせて頂きました。どもども、皆さん、遠路はるばるお疲れ様でございました。また遊んでね。
◆貰った本。
「CLUTCH OF CONSTABLES」Ngaio Marsh(Bantam)頂き!
「小説 河童」柴田哲孝(CBSソニー:帯)頂き!
「雨の七日間」Gバボン(西和文庫)頂き!
「小説 河童」は、一部の読み巧者の間で評判な「会心のアウトドア・ミステリー」とか。女王様がとっとと読んで感想をアップせよと下された本。んじゃ、近いうちに読むと致しましょう。


2001年9月14日(金)

◆本日もまた消耗戦。本屋にも古本屋にも寄れませんでした。ぐはあ。
◆今日の金曜ロードショーは、「ダイ・ハード3」の予定を変更して「バック・ツー・ザ・フューチャー」らしい。まあ、確かにNYをぶっ潰しまくる話は流せませんわな。でも、バック・ツー・ザ・フューチャーって、確かアラブが悪者じゃなかったけか(まあ、ドクが騙して怒らせるんだけどさ)?偶然なのかなあ?それとも、意識の下の映像かしらん?
◆本日はネタもないので、昔からのありネタでも虫干ししておきましょう。<AKAKAGE>もあと1週間で打ち切り記念。
「村山富市がまだ総理大臣だった頃
都の南に○ウム真理教という怪しい宗教が流行っていた
それを信じない者は、恐ろしい祟りに逢うという
その正体は何か?富市は○ウム真理教の秘密を探るため
相模の国から眼鏡の女性記者を呼んだ。その名は、
江川紹子参上!」
とかね。こういうネタならなんぼでもあるんだけどなあ。最近、この類いのネタを発散する宴会をやっておらんわい。ううむ、一度、猟奇の鉄人主催「おたくな替え歌大宴会」でも挙行してやろうかしらん。
「からっぽの棚、ポケミス100から始めよう〜」

◆「第三の銃弾(完全版)」Cディクスン(早川HM文庫)読了
勿論、私はカーが好きだ。偏愛していると言ってもよい。一般人から「推理作家で好きな作家は?」と尋ねられれば躊躇なく「JDカーと横溝正史」と答える。で、横溝正史は国民的人気作家なので特に説明は要らないが、問題はカーだ。百人パンピーがいれば、百人とも「誰それ?」である。カーの名前を知っているか否かをパンピー・フェノール試薬にしてもよい。成る程、マニアの間ではそれなりの復権が図られてきたかもしれない。絶版本も少なくなってきた(情けない表現だなあ)。新訳もどんどん出てくる。ついには、このような超マニアックな作品までが日の目を見る。しかし「うふふふふふ、ふははははは、こ、これからはカーの時代なのぢゃああ!!」と呵呵大笑するのはまだ早い。油断してはいけない。これまで、どれほどの辛酸をなめさせられてきたかを思い出すのだ。まだ出版社は「カーは商売にならない」と思っている。「赤い鎧戸のかげで」の復刊のかげで、早川書房はそおっと「死者のノック」や「貴婦人として死す」を解説目録から落しているのだ。信者よ欺かるるなかれ。ここが頑張りどころだ、諸君。とりあえず、新刊書店でこの本を買おう。明日のために。
衆人環視の離れで射殺された老判事。密室の中には判事の厳格な裁きを怨む若者。二発の銃声、二発の弾丸、そして二挺の拳銃。だが、判事の命を奪ったのは、第三の銃弾だった!?果して一体、誰が、どこから撃ち込む事ができたのか?美しい姉妹、恋人たちの焦燥、そして起きる第二の殺人。マーキス大佐の辞書に不可能の文字なし。万歳、探偵小説!
「カー短篇集2」で短縮版を読んだのが、もう二十年以上前なので、はっきり言って初見に等しい。犯人とトリックだけは覚えていたが、細部の錯誤の張り巡らせ方なんぞは、すっかり失念していて、実に楽しめた。考えてみれば、この調子でカーを再読していけば、当分新鮮な驚きがあるのかもしれない。ああ、こうして人は懐古主義者の道を歩むのですね。眼鏡をかけるのですね。恍惚都市なのですね。


2001年9月13日(木)

◆ああ、一週間が長い。それでも合間を縫って一軒だけリサイクル系をチェック。
「丘の上のカシの木」セシル・デイ・ルイス(晶文社)750円
この「文学のおくりもの」という叢書は半分ぐらいは持っている筈なのだが、今日の今日まで、ルイス(っちゅうか、ニコラス・ブレイクっちゅうか)が入っているとは知らなんだ。いやあ勉強不足です。ラインナップを眺めていれば判りそうなものなのになあ。私の目は節穴である。「おろかの上のカシのハ」である。しかし、ブレイク名義の推理小説の方も碌に読んでない身にとっては永遠の積読本となる可能性は極めて高い。まあ、クリスティだって、「春にして君を離れ」だの「愛の重さ」てなところは買ってもいないもんなあ。だっていつでも買えるんだもん!もしこれが、昭和30年代に早川ポケットブックあたりから(小口の青い500番台ね)初版が出ただけだったら、ミステリ・マニアの血風本になっていたんだろうなあ。うひひひ。

◆「黒蝶」Gマスタートン(早川NV文庫)読了
「マニトウ」でデビューした職人肌のモダンホラー多産作家(らしい)の新作。デビュー作はインディアンの悪霊がテーマだし、こちらはこちらで中米産の女悪魔、てっきりアメリカ作家だと思っていたら、英国の人らしい。ビックリびっくりビンビン。んでもって、「マニトウ」の方は、例によって積読本につき、これが初体験だよなあ、と思っていたところが、巻末の著作目録をぼんやり眺めていて気がついた。なんと、あたしゃ、この人の作品を原書で一冊よんでおりましたわい。91年の「BLACK ANGEL」。なんとも、ヌットリとしたテイストの蛇女ものだったのだが、それと知らずに読んでいた作品が、「あら、あの作家の作品だったのね」と繋がる快感は、発作的読書の醍醐味。10年の時をおいて、こういう事が起きるから堪らない。さて、一部で「待ってましたア」と評判の新作はこんな話。

この話の梗概

主人公はボニー・ウインター。34歳。女性。金髪。大柄。
職業:化粧品会社(グラモレックス社)バイヤー。
夫のデュークはメキシコ人労働者に職を奪われ失職中。
夫と息子のレイと食わせるためにボニーは、傷害現場専門の清掃業のバイトに就く。
自殺や殺人現場の血糊を落し、蛆をこそげ、腐臭を消す専門家で見入りは良い。
不条理にも愛する者を殺し、自らも果てるという「普通の人々」の事件が続く。
そして、ボニーはその凄惨なるバイト先で、相次いで小さな黒い繭を発見する。
専門家はそれがメキシコ産の「クロホシウスバ」の繭だと断定。
だが、別名「黒曜石のチョウ」と呼ばれるその蝶には、アステカの呪わしい言い伝えがあった。
勤務先のやり手社長と嫉妬の余り暴力を振るう不能の夫の狭間でボニーの「女」が疼く。
そして、最愛の息子が父想いの「ヒーロー」となった時、漆黒の闇にイツパパロトルは降臨する。

主人公の職業がユニーク。この設定を思いついただけで、一本書いてしまったといった雰囲気のライトなモダン・ホラー。普通の勤めをこなしながら、このようなバイトが出来るというのが嘘臭いが、アメリカの現代風俗を至るところに散りばめ、一気読みさせるのは、さすが。章の冒頭に挿入される「一覧表」の仕掛でラストを締めくくるのかと期待したが、そこは肩透かし。展開は見え見えであるが、余りにもお気の毒な主人公ではある。もてる女は辛いのう。
あと、解説の目録によれば、この本は2002年刊行!!らしい。余りにも愚かで初歩的なミスであり、編集部の見識を疑う。ついでに言えば、「マニトウ」も(ヘラルド出版・文庫)という表記は誤解を招く。文庫サイズではない「文庫」なのである。猛省を促したい。


2001年9月12日(水)

◆朝、通勤途上。銀座を歩いていたら号外を手渡された。号外を貰うなんぞ、個人的には昭和天皇の「崩御」以来である。つまり13年ぶりかあ。判りやすいですのう。「平成」の幕を開けた男・小渕恵三も今は亡く、世は無常。次に号外に出くわすのは、いつの日か。それはどんな事件なのだろう。まあ、何年ぶりに貰ったかだけは判りやすいんだけどさあ。
◆今日も残業。だが今日は、ただでは済まさぬぞ。買うぞ、買うのだ、本を買うのだああああ(>禁断症状)
「第三の銃弾<完全版>」カーター・ディクスン(早川HM文庫:帯)560円
「黒蝶」Gマスタートン(早川NV文庫:帯)600円
えっへっへ、この21世紀にディクスンの新刊だぜ。いやあ、長生きはするもんだ。ディクスンも残す所は、ほれ、あれか。「殺人者と恐喝者」。早く「この目で見たんだ」といきたいものである。EQに一挙掲載されたきりの「Speak of the Devil」もとっとと文庫化して楽になっちまえ。ほれ。
マニトウ作家のモダンホラーも嬉しいところ。ところで解説をみると「マニトウ」が文庫扱いになっているのだけど、ホント?これって妖精文庫みたいな「文庫」じゃなかったけか?
ううむ、まだまだ山田風太郎も買わねばならんのではあるが、今日は手持ちが無い。こんなところで勘弁しておいてやる(>負け惜しみ)
◆やばいなあ。感想を一週間貯めてしまった。土曜日の日記が長すぎ、力尽きたのが敗因。やはり感想優先だよなあ。

◆「ろくでなしはろくでなし」藤原審爾(角川文庫)読了
幅の広さで言ってこの人に敵う作家はそういないのではなかろうか?ミステリマニアにとっては、なんといっても「新宿警察」シリーズ(一体何作あるんじゃあ!!)の作者であり、「贅沢な殺人」や「赤い殺意」の作者であるが、その活動期間の長さもさることながら純文学から大衆小説まであらゆるタイプの中間小説を世に送り出したプロの中のプロである。正直なところ、権力の前に捻り潰されようとする市井の人々を描いたら、この人の右に出る作家はないのではないかと思えるほどに純和風の都会的貧乏臭さに溢れている。さて、この作品は、奸智に長けた犯人と神の如き名探偵が知性の限りを尽して対峙するタイプのゴージャスな推理小説の対極を行く記者もの。昭和49年の作にしては、昭和30年代の無責任男のオーラを漂わせた主人公の悪徳ぶりが印象的である。まあ、良い印象かというと全くもってそうではないのであるが。こんな話。
日本スポーツ新聞社の特集班の担当記者・柳井は、女を食い物にし、記事の二重売りで荒稼ぎし、出社は重役出勤、それでも腕が立つ事から、経営者からは目を掛けられている。そんな彼が追い始めたのは、プロ野球の名投手・久野が起した自動車事故。興味を煽るべく無理心中説をでっち上げたのが、事の始まり。そこから、柳井はノミ行為を巡るスポーツ界の暗部へと踏み込む羽目になる。世間を手玉に取る柳井。その柳井を翻弄する美女。くんずほぐれつの悪徳の渦の底から、大悪の姿が浮かび上がる時、ろくでなしはろくでなしなりに怒り、そして怯える。
この話、主人公のキャラクターで有名な話かと思っていたら、どうやらそうでもなさそうである。柳井の造形は実は相当に御都合主義で、ちゃらんぽらんで、行き当たりばったりで、支離滅裂なのである。体制だの反体制だのではなくて、「小悪」なのだ。この一貫性のなさが普通の人間なのかもしれないが、小説の主人公としては、些か「おいおい」である。では、この話のどこが凄いかというと、陰謀の正体が凄い。これにはびっくりした。これは社会的大陰謀をダニの視点で見た小説なのである。とりあえず、フェミニストにはお勧めしません。 この本には、あと一編、新宿警察ものの「新宿西口ビル街殺人事件」が併載されている。バーのマダム殺しを巡る、叩き上げ刑事と外交官特権を嵩に着た不良外人との闘いを描いた作品。なんとも哀切なラストが「新宿警察」なのである。


2001年9月11日(火)

◆本日早朝18万アクセス突破いたしました。ありがとうございますありがとうございます。特に声を掛けて頂けなくても、こうして毎日2,3百人の人々が、とりあえず「店」の前を通りかかってくださっているのだなあ、という事が、ただ嬉しいのであります。幸せなのであります。
なおキリ番ゲッターは「冷たい犬」さんでした。ご連絡ありがとうございました。近々キリ番ゲッターの殿堂入りさせて頂きますので、今しばらくお待ちください。
◆またしても熾烈な残業。本屋には寄れないは、プロジェクトXは見そこねるは、ううう、まあ、しかたない、台風のニュースでも見るか、、、、、うわっ!すげえ。すべての推理小説、すべてのSF、すべてのホラー、すべての日常業務を無効化するシーンの連続に、唖然愕然。どう見ても現実とは思えない。2ヶ月前に新婚旅行でルンルン気分で観光した街が、破壊されている。ブラウン管のコチラ側にいられる「偶然」に感謝。一晩中、テレビを点けっぱなしで、夫婦共々寝不足の夜。

◆「青空の下の密室」村瀬継弥(富士見ミステリー文庫)読了
ヤングアダルト向けミステリー専門叢書としてスタートした富士見ロマン文庫を初めて読んでみた。まあ、村瀬継弥が入らなければ一生手に取らなかった叢書かもしれないが、なにやら老舗のX文庫や、ソノラマ文庫とは異なった見た事も聞いた事もないYAミステリーの書き手が育っている事に驚く。さて村瀬継弥といえば、不可能趣味てんこ盛りの学園ミステリ・水野先生シリーズで知られた元教師作家。寡作ながらもウィリアム・ブルテンの如き茶目っ気と安定感を感じさせる書き手である。その作者が、YA読者を意識して起用したのは、名づけて「着流し探偵」。そのお手並み如何に?こんな話。
梅田川高校の日本史教諭 谷沢先生が、出口を見張られた校舎の屋上で、無惨な刺殺死体となって発見された。犯人は兇器とともに空に消えたのか?現場に残された「一」の血文字は何を物語るのか?退職刑事の孫である僕・橋上翔太は、友人たちとこの事件を追う事となる。メンバーは、天が二物も三物も与えた美男美女カップル、青矢由紀夫と赤月美樹、そして僕がかつてナイトを務めた苛められっ子の孫坂純一。旧家の出である由紀夫は自宅では和服を着こなすナイスガイ。教師達の葛藤、不良たちの暗闘に迫る青矢チーム、そして警察の捜査を嘲笑うように、平和な学園を覆う血の惨劇は第二幕を開ける。今度は鼻つまみものの船田先生が池の辺で刺し殺されたのだ。そして現場には「二」の血文字。新たに美術教諭の江原先生がチームに加わり、素人探偵の捜査は加速する。果して二つの死を結ぶカラクリは?着流し探偵の推理は大人たちの世界を透徹し、青空の下の歪んだ心を矯す。
不可能犯罪とそれに纏わる伏線はお見事。だが、フーダニット部分については、お約束の範囲。探偵チームのキャラクターも今ひとつ立ちきっておらず、不要に多いという印象。いずれにしても、命を大切にしなさすぎる大人の身勝手が痛すぎ、爽やかさに欠けるのが疵である。どうも生真面目に青春推理のコードを守り過ぎた感がある。正直なところ、「小さなお友達」から第2作への待望の声は上がらないんじゃないかなあ。