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2001年6月10日(日)

◆うわっ、トップページの<「本の雑誌」で自己紹介してきました>のところで、ずーーーっと「2000円7月号」って誤記してたんじゃん。お恥かしい限りです。すんません。訂正いたしました。
「円」と「年」って時々ミスタッチするんだけれど、ここまで長期間に亘って気がつかないとは、全くもってとほほであります。「年」が「円」になるとお間抜けだもんなあ。「2001円 宇宙の旅」とか、「4000円のアリバイ回廊」とか、いかにも安い!って感じ。「1984円」「1985円」とかいうと、<主婦のオークション>か?って感じだしなあ。
◆昼過ぎに帰阪する母親を見送って一日ゴロゴロとして過ごす。こういう1日は久しぶりかも。

◆「川をくだる旅」Rネイサン(文化出版局:図書館貸出)読了
図書館貸出ネイサン本の最終巻。そして最後を飾るに相応しすぎる物語であった。
「自分の死期を知らされた時、人はどのような決断を下すのか?」昔から小説やドラマの題材として頻繁に取り上げられてきたテーマである。公園を作るために奔走するもよし、法で裁けぬ悪を屠るもよし、一冊でも積読を減らすために読書に耽るもよし。この物語の主人公ミネルヴァは、大型の中古ボートを買い求め、永年連れ添った夫ヘンリイととともに、大河を下る旅に出る。上客の突然の乱心に戸惑う投資コンサルタント、自分の「見果てぬ夢」を叶えられてしまい戸惑う夫、だが、彼女の決意は固い。「忘れな草」の別名マイオソウティスをつけた船で旅立つ二人。そして、彼等が雇った翳ある水先案内人モーティマーには、美しい道行きエマがいた。自らの運命を知る糟糠の妻と青春の輝きに溢れた娘、だが、カローンの渡し守に見込まれた二人の女性に残された時間は余りにも短かった。最も利己的な想い故、鮮烈な思い出を夫の心に刻もうとする妻、そして最も利己的な想い故、幸福は唐突に効果的に奪われる。最も利己的な想い、人はそれを愛という。魂の煉獄を驟雨が襲い、異形たちのステージに雷は下る。雨の行く先は河、その果ては忘却。私のことを忘れないで。
新婚早々の人間が読むには、かなりヘビーなファンタジーである。読者は、主人公の死を最初から知らされており、その想いの痛さに終始付合わされる事となる。最期まで明るい「夢の国をいく帆船」のドンキホーテ的主人公とは対極の「女」の旅がそこにある。ミネルヴァは「ベアトリーチェ」たるには、知恵の実を食べ過ぎた。なるほど、それは「正しい」かもしれない。しかし、優しくはない。死が二人を別つまで?いや別けても末に会わんむとぞ思う。


2001年6月9日(土)

◆今日はかみさんのピアノの会。朝一番で髪をセットしてリハーサルに向う彼女を送り出し、私は私でその演奏を聞きに上京した母親の宿泊先に向う。PCへの打ち込み時間を稼ぐために、総武線の車中で只管3日分の感想をインプット。おお、やればできるじゃん。でも、相当に照れ臭いぞお。
◆母親が、どうしても生地屋に行きたいというので、アルタの裏手にある著名店に同行。ほほう、世の中には色々な店があるもんじゃわい。とにかく見渡す限り生地また生地。門外漢の私ですらそれなりに楽しめるのだから、それが趣味の母親はもう興奮状態である。服飾館のエレベータでは原色を身に纏った唇ピアスないまどきの女の子をみかけるが、手芸用品を買いに来ているところが、なんとも昔ながらの娘さんで、ふと可笑しくなる。
◆かみさんの弾いたのはドビッシーの小曲。絵画でいえば抽象画のような音楽で、はっきり言って「よーわからん」曲であった。本人は不完全燃焼気味なるも、とりあえずここ数ヶ月バタバタの中で練習してきた結果を出して、開放感に浸っていた。母親とかみさんとかみさんの母親という一個連隊にお付き合いして御茶に夕食及び痛飲。かくして1日が終わる。なんとも非日常感覚ではある。今日は、双葉社で喜国さんを囲んでよしださんをはじめ古本エリートの皆さんの座談会があったんだよなあ。ううう、お誘いを受けたのだが、かく申す理由で参戦できず。またしても古本隔離プログラム発動じゃわい。

◆「夏は遠くすぎて」Rネイサン(文化出版局:図書館貸出)読了
ファンタジー色の少ない変形ロリコン小説。ケイプ・コッドという漁村で、雌犬ペニイと暮す独身中年のぼく。その男所帯の家に週に3日、新たな手伝いジョハンナがやってくるようになった。彼女は、村の数少ない友人マニュエルの遠縁の娘で、孤児院育ちの14歳。これまでの人生で、自分のものを一切持たなかった娘は、余りに奥床しく、そして儚げであった。そんな彼女に生まれたての子犬を与えたりして、よき保護者としての自分の役割を演じつづけるぼく。それは、彼女が幼い恋に落ちる瞬間を眼にしたときも同様であった。しかし、ぼくが不器用な恋人同士の仲立ちをさりげなく勝ってでた事が却って彼女に悲劇をもたらすとは神ならぬ身の知るよしもなかった。嵐が谷間に訪れる時、波間に恋は消え、遡行する愛の記憶は幼い心を闇の環へと追いやる。決断の朝、逃亡と開放は孤独の春への回帰を断ち切る事ができるのか?
これもまた「男のロマン」である。手中にした珠が輝く時、それが自分に向けられた光輝でなくとも男は奮い立つ。臆病ともいえる慎ましやかな女性像が新鮮であり、それゆえに終盤近くの彼女の大人ぶりがなんとも頼もしい。およそフェミニストからは、辛辣な糾弾を受けるかもしれないし、主人公の行動もやや常軌を逸している。が、しかし、つい主人公に肩入れしたくなるのだ。お前は正しい。ロバート・ネイサン的に正義である。そして、必ず最後に愛は勝つ。たとえそれが無償の愛であっても、いや、無償の愛であるがゆえに。
ううむ、本当にここはミステリサイトなのかあ?


2001年6月8日(金)

◆あうあう、更に昨日より一本遅い電車じゃん。購入本0冊。
◆今日も今日とて、新御茶ノ水と一ツ橋まで行きながら、神保町をノーチェック。考えてみれば、出入り先が今の場所に来る前の方がはるかに古本街界隈をうろついていたような気がするぞ。でも、いかに私が寄ってねえよ、信じてくれよ、といっても世間様が前科者を見る目は冷たいのだろうなあ。おい、古書市帰り!とかさあ。「ダブリ無用」「一筆啓上せどりが見えた」「主水ワゴンを覗く」ううむ。
◆子供が死ぬのは根源的に痛い。人殺しの小説ばっかり読んでいる人間だけど、それだけに現実のやりきれない犯罪には凍る。でも、近親者でもまきこまれないことには、やはりそれはそれでバーチャルなんだよなあ。

◆「それゆえに愛はもどる」Rネイサン(文化出版局・図書館貸出)読了
ネイサン読破週間。文化出版局の中では最初に訳出された作品。どことなく、三笠書房のデュ・モーリアを彷彿とさせる題名、加えてカバー絵は新井苑子の手になる美人画。白髪交じりの中年男が満員電車の中で読むには相当こっぱずかしい本である。あっ、そうか、それで私の前に立ってOLは不審気に私の方を見ていたのかあ。納得納得。
最愛の妻トゥリナを喪った「ぼく」レニイは売れないファンタジー作家。海辺の家に、彼女との間に設けたまだ幼い娘トゥリシャと息子クリスとともに棲んでいた「ぼく」の前に、深い海の底を思わせる瞳をした謎めいた女性が現われる。彼女の名はキャスリーン。海から来て海に帰るとしか思えない彼女を「ぼく」の子供たちも受け入れていく。どこか、亡き妻のオーラを漂わせた「海の妖精」との交感。二人の想いはふたたび訪れた喜びの日々を珊瑚と瑠璃の色に染め上げる。だが「ぼく」たちの住いで、また別のある愛の誓いが交わされた日、キャスリーンは虚空に還える。それゆえに愛はもどる〜愛のもとへ。
私小説風な味わいもある愛のファンタジー。海辺の村の静かな日常がなんとも心地よい。尤も冷静に見れば、お約束のキャラクターの配置に、御都合主義な展開、そして一人よがりの結末という謗りを受けかねない作品かもしれない。まあ、そう感じた人はネイサンの小説に向かない人である。少女漫画を楽しめる人とそもそもどう読めばいいのか分からない人がいるように、ネイサンの小説もまた読者を選ぶのである。選ばれてよかった。


2001年6月7日(木)

◆ぐはあ、疲れたああ。雨だったので濡れずに済まそうと普段と異なるルートで帰宅。神保町を経由してみても、夜の8時半ではなーんにもできんわなあ。大体、仕事先の移転で神保町寄り放題!勤務時間中に古本屋チェックし放題!な筈が、全然ダメじゃん!却って生殺し状態なのである。飢餓状態にある囚人に、ご馳走の匂いだけをかがせるようなもんである。頼むから駅の構内に「古書の街」なんて看板を出さないで欲しいよなあ。しくしくしく。いや、こんな事でくじけていてはいけない。この日記は最早、古本血風録ではないのだ。「あなたは古本がやめられる」なのだ。だからこれが古本中毒者リハビリ・プログラムの一環だと思えば、、思えば、、思えるかあ!そんなもん!!

◆「失踪者」折原一(文藝春秋)読了
二人の「少年A」の物語。密室とキチガイの折原一だが、近年は社会派的な捻りも加えてきており、この作品では酒鬼薔薇事件を露骨になぞっている。ネットで少年Aの顔写真が配信されるくだりなんぞはそのまんま。酒鬼薔薇といえば、私的には<佐伯日菜子様大出世作「エコエコアザラク」放映打ち切りの切っ掛けになった事件>という以上に何らかの感興を抱く事件ではないのだが、まずは、後の好事家が平成犯罪史を語るうえで避けて通れない事件なんでしょうねえ。閑話休題、題名の「失踪者」が示すように、この小説では15年の時をおいて、6名の女性が失踪する。叙述の匣型構造は「いつもの折原一」で、一体この文章を綴っているのは誰なのか?という興味で読者を騙りの迷宮に誘い込む。
若い女性の死体が発見され、そして一人の少年が逮捕される。しかし、その発見現場近くで今度は10年以上も前に失踪した女性の白骨死体が発見されたことから、過去の少年Aの事件と現在の少年Aの事件は交錯する。現場に残された「ユダ」の徴。そして物語に挿入される「ユダの息子」の独白と<少年A>の父の自伝風書簡、少年犯罪の深層をルポする気鋭の犯罪研究家とその女性助手の向うところ、時を越え心の闇が広がり、古い死の記憶が新しい犠牲者の血を求める。そして歪んだ愛の向こうで「ユダの息子」は静かに嘲笑う。
中盤からは、バレバレの展開になっていくところがいかにも折原一。この真犯人を当てられない人はいない!と断言してよかろう。ただ、この小説は犯人が分かったからといって、値打ちが下がる作品でもないような気がする。少年犯罪と冤罪という、さしずめ島田荘司であれば、6000枚の実名小説にしてしまいそうな重たいテーマを、きちんとツイストの効いたプロットに編み上げ、なぜか爽快な読後感までつけてみせた手際が見事である。新刊で2000円出して買う本ではないものの、ブックオフの100円均一で拾った人間としては、これぐらい楽しませて頂ければ満足満足なのである。


2001年6月6日(水)

◆ストーカーよしださんの隠密から「『kashibaの新妻の正体を探れ!』という密命を受けてしまいました」という社内メールを頂戴する。ううむ、そうまでして知りたいか!?よしだまさし!!でも♪教えてあげないよ♪(ぽりんきーなわたし)
◆明日出来る事は今日やらない!っと残業を切り上げて、久しぶりにブックオフ船橋競馬場店へ向う。なーんにもなーい。でもでも、とりあえず、ゆったりと本棚を見て回れるだけで満足なのであった。ああ、潤う、潤う。購入本0冊。
◆BSで「エイリアン」なんぞを見る。22年前の映画であった事にカミサンと二人でのけぞる。シガニー・ウィーバーが若いっ!!ああ、あの頃二人も若かった。でもその続きで、最近のシガニー・ウィーバーのインタビュー番組があったのだが、やっぱ、若いぞ、シガニー・ウィーバー!!ううむ、科学の力か?もしやクローンか?

◆「パンドラの匣」Tチャスティン(ポケミス)読了
ポケミス100ダース目の作品。というか、1300番の切り番ゲッターな小説である。厳密に言えば、まだこの頃はカーの「コナン・ドイル」あたりが欠番の筈なので100ダース目ではなかったりするのだが、そこはそれ。まあ、ハヤカワSF文庫にだって、ターザンの未訳3冊という欠番があるわけで、だからといって切り番の美しさが損なわれるわけでもない。切り番にどれほどの意味があるのか?と問われても困るのだが、やはり先般1700番が「魔の淵」ではなく「蹲る骨」だったように、これを育てたい!これが売れ筋!という本が来るような気がする。それが最も熱かったのが1100番のクライトンだったのかもしれない。さて、器用貧乏作家チャスティンの生み出した警察官ヒーロー、カウフマン警視の登場である。なぜ、チャスティンが器用貧乏かというと、ペリー・メイスンの新シリーズを書いてみたり、懸賞付き犯人当て小説を出してみたりするところである。これで、ホイートリーみたく、実物証拠付き事件調書小説でも書けば、キワモノ三冠王なのだが、さすがにそれはなかったなあ。なにせ、その点では87分署シリーズが、20年早かったっすからね。え、それでは「器用」の説明になっていても「貧乏」の説明になってない?ご心配なく、それは新メイスンを読んで頂ければ分かる。
で、作者は「貧乏」だが、この作品でデビューしたカウフマン警視は、金持ちである。いかにもドイツ系ユダヤ人のこの探偵は、繊維関係で確固たる地位を築いた実業家の三代目。長男でありながら、法曹の見習いを体験した事が切っ掛けとなって、正義の護り手への道を選んだ変わり者。自分の費用で、分署内の自室を大改造してマントルピースまで据え付けたという壮年の伊達男である。この野郎!物語は、奇手を用いてメトロポリタン美術館から名画を奪った知能犯と、カウフマン率いるNYPDの闘いをテンポ良く描いた、映画的な警察小説。ひょんな事から、ニューヨークのどこかで近いうちに数百万ドル級の大きな「ヤマ」が持ち上がる事を察知したカウフマンが、対抗策として準備した作戦名こそ「パンドラの匣」!
犯罪計画そのものは、まあ、ルパンV世を見飽きた人間にとっては「それで?」並みである。ただ、この小説は、実にきちんとキャラクターを書き込んでおり、その点では好感が持てる。カウフマンをとりまく3人の女性(妻、愛人、秘書)だけでも、実に巧みに色づけされており、小説の書き方は知っているなあ、という感想を抱いた。ただ、既に時代に追い越されていった感は拭いがたく、同じ2時間を使うのであれば、いまどきの警察映画をみておけばよいような気もするのである。警察小説の歴史が書きたい人はどうぞ。


2001年6月5日(火)

◆あれこれと仕掛けに暮れる1日。気がつけばまた残業。新橋地下のワゴンチェックのみが、唯一の古本チェックポイント。さしたるものもなかりせば、これにてスルー。購入本0冊。
◆ゴロちゃんの「陰陽師」が本日最終回。結局1回も見ないままに完録。そういえば「ある日、嵐のように」も1回も見ないままに完録。いつか見ると思いながら、いつまでたっても見ない番組の多い事、多い事。結局、現在録画している作品で、まともに見ているのは「仮面ライダーアギト」だけだもんなあ。そうそう、この日曜のアギトは、本筋と関係ないところでなかなか本格推理(「権力の墓穴」ちゅうか)してましたぜ。さあ、7月改編では何が始まるのだろうか?繰り返してみる番組は、テープが擦り減るぐらい見ちゃうのにねえ(<「王様のレストラン」とかさあ)。

◆「きこりの家」Rネイサン(文化出版局・図書館貸出本)読了
にっこにっこで借り出したネイサン残り4冊。「さあ、どれから読むか」とさしたる想いもないままにこいつを持ち出した。と、読み始めたところ、なんと偶然にもこの作品は「バーリイ村のヴァイオリン弾き」の続編ではないか!!しかも、前作読了後、一番気に掛かっていたモヤモヤが開巻即あっさり解消されてしまったのであーる。この巡り合わせの良さは何?実は、「ヴァイオリン弾き」の方は、取っ掛かりの部分で、ネイサン調に乗りきれないところがあったのだが、本作では、旧交を暖め合う感じで作品世界にスムーズに入っていけた。ああ、わたしは今、ネイサンに愛されておるぞ。むうむう。こんな話。
メタベルは16歳になった。そして父を失った。今やバーリイの村で彼女の友人といえるのは、かつてヴァイオリン弾きとともに人生を旅してきた小犬のマスケットのみ。孤独と気侭が同居する日常を過ごしていた彼女は、ある日、思い立って村を見下ろすヘムロックの丘へと向かうが、そこで道に迷ってしまう。そして行き暮れた彼女が、小犬に導かれるように迷いこんだ家には、ヘンリー老と若いきこりのジョゼフが生活していた。自分が必要とされていることを生まれて初めて感じたメタベルは、その家に居つくこととなり、そして自然を愛し純朴を絵に描いたようなジョゼフに心惹かれて行くのであった。精力的な恋のライヴァルの登場は、メタベルを慄かせ、みどりの小人は神の技を奮う。そして愛は成就する。愛は全てを与える。だが愛は、全てを与えるがゆえにまた、全てを奪う。真の愛が決断を迫る時、とねりこの木々は静かに震える、きこりの家を見下ろしながら。
前作が、動物の内面描写がある以外には、極めてストレートな普通小説であったのに対し、こちらは山の神様が現れて重要な役割を果たすなど、ファンタジーとしての色彩が濃い。そしてそこに込められた寓意も、前作よりも更にストレートである。それは愛の教訓である。ネイサンは優しい作家と思われているが、そのストーリーは必ずしもハッピーエンドではない。この作品も、主人公の選択に思わず胸を打たれる。最後の一章節をどう読んで良いのか戸惑っているというのが、本音であったりする。この続編はないのかなあ?


2001年6月4日(月)

◆久々にゆったりとした1日。単に、問題を先延ばしにしたとも云う。さあ、明日出来る事は今日やらないっと。
◆しかし、今日しか回れない古本屋や、今日しか拾えない古本はあるわけで、とりあえず、久々に会社の傍の古本屋をチェック。100円棚でケンリックの「殺人はリビエラで」を見かけるが、カバーがテープ補修だったのでスルー。密かに某テーマの隠れ傑作と信じている作品なので、見かけたら押えるようにはしているのだが、既にダブり在庫を抱えている身の上としては、無理に拾うほどのものではない。引き続き、これまた久しぶりに八重洲古書館をチェック。ここは百円均一棚がなくなって面白味がなくなってしまった。と、ポケミス棚で、本屋で買う予定だったバリバリの新刊を見つけてしまう。
「女占い師はなぜ死んでいく」Sコールドウェル(ポケミス・帯)800円
ううむ、500円節約となると、つい負けちゃうよなあ。ブックオフならハードカバーが5冊買えちゃうもんねえ。すまんすまん。
◆ネット巡回をしていて、なまもの夫人の「ぶたぶたの休日」評を読んでビックリ。夫人の方が私よりも2日早いアップなのだが、後半部分が、多少の用語法の差はあっても、殆ど同じ事を言っているのである。うわああ、シンクロニティーというか、なんというか。自分でなければ「パクッたな、こいつ」と思うところである。まあ、天下の大矢博子女史と同じ感想がもてた事を素直に寿いでおーこうっと。
◆結婚式の写真が式場から届く。どうみても「美女と家畜」である。ぶひ。

◆「バーリイ村のヴァイオリン弾き」Rネイサン(文化出版局:図書館貸出)読了
さあて、ロバート・ネイサンである。かのSF翻訳・創作界の重鎮であらせられる矢野徹が惚れこんで精力的に紹介した、柔かで優しくて少し苦くてとことん懐かしい「愛の物語」である。生きとし生けるものどもへの応援の詩である。んでもって、かの同人誌界の仙人にして、古本界の三冊二百均魔術的師父よしだまさし氏も、これまたずぶすぶに嵌りこんでいるネイサンだが、およそ代表作の「ジェニイの肖像」を除いては、これが「ない!」。書店にも古書店にも、ないったらない!恥ずかしながらこの私、文化出版局のネイサンは、つい最近までその実物を拝んだことすらなかった。書影はそれこそ矢野徹の喜寿出版やよしださんのサイトで拝めるのだが、実物となると全くもって「見果てぬ夢」。まあ、手に入らないのは自分だけではない、皆んな一緒に不幸になろうね、と慰めていたら、先日のSFセミナーの暁天オークションで、MZT氏が数冊落札しているではないかああ!!くまかかかか、と羨望に身をくねらせた次第。しかし、もう大丈夫。千葉市立中央図書館には、文化出版局のネイサンが五冊も並んでおったのだ。わっはっは。当たり前のことながら、タダよ、タダ!しかも、自分で保管場所を探す必要もありません。さあ、歩いて5分、ここは私の巨大書庫。憑き物落すぞお!!
舞台は山裾の村バーリイ。ある朝の礼拝から物語は幕を明ける。説教に集中できない遊び盛りの少年達。牧師の娘エドナは、オルガン弾きの青年ジュリアスと恋を語らい、異郷への旅情に耽る郵便局長シュラブ氏は、雑貨店の未亡人シーボルト夫人に懸想する。そして、村のろくでなしアダムズの娘メタベルは牧師の娘に自分の想いを重ね、自然という観客の前でステップを踏む。そんな村に、荷押し車の土に花と野菜を植え、元気ものの小犬マスケットとともに一人のヴァイオリン弾きがやってくる。彼リンデマンは、未亡人の納屋に住み始め、縹渺たる民として、ただあるがままの日々を送る。しかし、静かにそして確かに、何かが動き始める。雄鶏は野心をはやらせ、駒鳥が、二十日ネズミが子犬と人生論を交わす。関わりが関わりを生み、潔癖が夢想を壊す。それぞれの夢がそれぞれの試しに遇う時、人の営みは奇蹟を越える。
ううむ、途中までは、余りのまったりとした展開に、一体この先どうなるの?と不安になったが、ラスト間際になって、俄かに因果の車が回り出す。野心と無謀、興奮と落胆、恋愛と諦観、博愛と背信、水彩画の如き「語りのタペストリー」は感涙に溶ける。ようこそ、ネイサンの国へ。なべてこの世はこともなし。ネイサン、図書館にしろしめす。やったね。


2001年6月3日(日)

◆石井女王さまから、厳重抗議を受けましたので、昨日の替え歌を訂正して、陳謝します。すみませんでした。つい、甘えがでてしまいました。
◆5月16日から20日の日記が抜けてました。全然大した話はないのだけれど、一冊だけレビューが入っているのと、よっぽど恥かしい事をしているのに違いないと思われるのも何なんで、とりあえずアップしました。御笑覧下され。
ナディアぱくり事件を見て詠める替え歌一発。

♪今、君の絵は全ぱくりみたい
♪すべてを踏み倒す

♪弱気なJAPカモる 世論は裏切らない
♪捕まる前に私 やって逃げたい

♪心の奥底でも 疼かない響かない
♪過ごしちゃえば幸せ 唯我独尊ですの

♪今、君の絵にいーっぱいのぱくり
♪立場は永遠になくなる
♪Don’t Forget Copyright
♪アメリカ資本は
♪全てを踏み倒す

◆本日も、奥さんはピアノの練習で実家行きにつき放牧状態の私。久々に「書庫」に向い、読了本と「これから読む本」を入れ替え。んでもって本当に久しぶりにブックオフの船橋市場店をチェック。安物買いに走る。
「わが愛しのホームズ」Rピアシー(白夜書房)100円
「紫陽花の花のごとくに」松木麗(読売新聞社)100円
「101号室の女」折原一(講談社)100円
「失踪者」折原一(文藝春秋)100円
「酒場ボロンゴ」オキ・シロー(大栄出版)100円
「ギムレットの海」オキ・シロー(大栄出版)100円
50円割引券を使ったので6冊で600円未満。ううむ、新刊ならば1冊も買えないよなあ。
◆その足で安田ママさんの勤務先に行って一冊新刊買い。
「ぶたぶたの休日」矢崎存美(徳間デュアル文庫:帯)590円
ああ、やっと手に入ったあ。たとえ新刊がどんなに高くても、ぶたぶたさんの魅力には敵わない。当て所もなく千葉市内をさ迷うよりも、在庫確約の店でゲット。ついでにママさんが突発的に展開している「目黒孝二の選んだ本」コーナーをチェック。なるほど、なるほど。確かに気合の入ったラインナップである。こういう楽しみは古本ものには有り得ないよなあ。


◆「ぶたぶたの休日」矢崎存美(徳間デュアル文庫)読了
父帰る。その名は山崎ぶたぶた。ハートウォーミング・ファンタジー<ぶたぶた>第3弾、ここに書き下ろしで堂々登場!さあて、今回のぶたぶたは「約束の未来」「評判のいい定食屋」「女優志願」の3本立てでーす。んがんん。じゃなくてえ、今回ぶたぶたが扮するのは、易者見習い、定食屋のおやじ(草野球もやるでよ)、ご存知名刑事の3職業。そして、ボーナストラックとして、とある記念日のぶたぶたを多重視点で朝から追った「お父さんの休日」を4分載。「なぜにぶたのぬいぐるみ!?」という主人公たちの驚愕ぶりも、シリーズ第3作となると、「さあ、くるぞ、くるぞ」という偉大なるマンネリの域に入ってきており、実に実に楽しく読める。新刊で買って良かった。心からほのぼのできた。ありがとう、ぶたぶたさん!
ただ「約束の未来」の恵まれ過ぎた自分に戸惑う女子大生、「評判のいい定食屋」の暗鬼の若妻、「女優志願」の凶悪・非情に嵌まる不貞妻と、今回はどうも「妻と夫に捧げる犯行以前」といった話が多く、いささかバリエーションに乏しい。作者は自分により近い世界でプロットを組み立てようとしているのか?もっともっと、ぶたぶたに出会いたい人達はこの世に満ち溢れている。ぶたぶたさんの癒しを必要としている人達が行列を作って待っている。矢崎存美は、一生に一度といってもいい金の鉱脈を掘り当てた。しかしそんな果報者には果報者の義務があるのだ。まだまだ、こじんまりと男と女というメビウスの環にぶたぶたを封じ込めるのは早すぎる。行け!ぶたぶた、時空の果てまでも。ああ、「大宇宙のぶたぶた」や「ぶたぶた:大江戸八百八町篇」とかが見てみたーい。



2001年6月2日(土)

◆酔っ払った勢いで寝てしまったために、妙な時間に目が覚める。午前3時半にのそのそと起きだして、溜まりまくった読了本の感想を埋めてゆく。計11冊分一気に作成。梗概なしの裸感想でも結構時をとられるものである。朝食を食べ、ピアノの追い込みレッスンに実家に向うカミサンを送り出し、只管アホウになってHTMLへの変換に勤しむ。結局、一ヶ月分の日記をアップし終わったのは13時。ああ、やっと帰ってきたぞお。
◆昼飯を食べに行きがてら、図書館と古本屋に向う。図書館に、アマタイとチビーを返却し、返す刀でロバート・ネイサンをあるだけ借りてくる。ああ、あれほど捜し求めて、未だに一冊すらお目にかかれない文化出版局のネイサンが5冊も無料で借りられるなんて!なんて図書館って素晴らしいんだあああ!そうだ、これでもう古本をやめられるんだ。これからは、この日記は「見たけど買わなかったもんねー」という観測報告となるのである。うっきうっきした気分で西千葉の古本屋を定点観測。なんじゃかんじゃいいながらも一冊拾う。
d「バイバイ・エンジェル」笠井潔(角川書店:初版・帯)100円
はいはい、帯狙いです。すみません。「自分は笠井潔の小説は最初から新刊ですべて買ってきた」と思い込んでいたのだが、先日確認するとなんとこの本だけ古本だったのである。しかも帯なし。相当ショックを受け、悶々としていたのだが、これでまた憑き物が一つ落ちた。
◆掲示板や日記に復帰祝いのお言葉が並ぶ。おお、茗荷さんが「10人の古本マニア」を完成させている。うーむ、なんか自分の得意技をとられたようで悔しいような嬉しいような。んじゃ、わたしはよしださんの2番、3番を作ってみるか?

♪十時をきって狙った市は
♪必殺技の贈り物
♪大地を蹴ってエスカレータ登り
♪近くに立って横から居抜き
♪混雑会場制すため
♪帰って来たぞ帰ってきたぞ
♪ふるほんもーん

♪本能のままにぶっ書く感想
♪更新済んで朝が来る
♪遥か彼方にくすんだ本が、
♪あれがあれがフルホンだ
♪せどりと相場を護るため
♪帰って来たぞ帰ってきたぞ
♪ふるほんもーん

わんだばだば、わんだばだば、わんだばだばだん


◆「さよならの値打ちもない」Wモール(東京創元社クライム・クラブ)読了
ワイン商会の若手重役にして素人探偵キャソン・デューカ・シリーズ第2作。詩人の余技として書かれたこのシリーズは後1作、未訳の「The Skin Trap」があるだけである。この作品も「ハマースミスのうじむし」同様、一筋縄ではいかない。舞台がバルバドスであるというだけではない。なんともひねくれた構造のプロットなのである。物語の冒頭、唾棄すべきジゴロが水死する。そしてキャソンは、その死が殺人であると確信した瞬間に犯人を悟る。またぞろ「うじむし」退治の血が騒ぎ出したキャソンは、何食わぬ顔をして犯人に接近していくのだが、そこで彼は運命の神から、手酷いしっぺ返しを食らうのであった。物憂い陽光の下で、嫉妬は拗れ、妄執は命を弄ぶ。果してキャソンは探偵としての己を全うする事ができるのか?
前作もそうだったが、この作品も半ばまで一体この先どうなるのかが、全く見当つなかい。口幅ったいが、30年近くミステリを読んでいると「あ、この次はこうくるね」だの「オチはこれでしょう」と云った読みというものが出てくるのだが、この作者には参った。完全脱帽。ユニークにして奔放な展開にただただ息を呑むばかりである。ではプロットの妙だけで読ませる作家か?というとそれだけではない。真犯人の特定にあたっては律義なまでにパズラーなのである。中盤から終盤にかけての消去法による推理の緻密さは、さながらクイーンの初期短篇を思わせる。
「うじむし」はクライム・クラブ以外に全集版が出ているため、比較的入手が容易だが、こちらは難物。しかしその入手の困難さを補って余りある快作である。こんなに面白いとは知りませんでした。あ、そうそう、一つだけ注文があるとすれば、この本の登場人物表である。はっきり言って「役立たず」。自分でメモして作成される事をお勧めしておく。



2001年6月1日(金)

◆本日よりウエッブ日記の世界に復帰します。長らくお待たせいたしました。って、待っていてくださる方はいらしゃるのかな?とりあえず、新婚生活の方も一通りの初期設定を終え、お互いのペースを手探りで掴みつつある状態です。読書の方は、通勤時間が伸びたために結構順調なのですが、仕事で思った以上に消耗戦を強いられており、やはり以前のペースでは更新は難しいというのが正直な実感です。
さて、ではこの日記コーナーをどんな名前にすべえか、と改めて悩んでみたのですが、まず予告していた「わややわ・ミスプリマガジン」は理が勝ちすぎて今一つの感が込み上げてきましたのでパス。また、とりあえず本買いの量は落ちましたので、今更「帰ってきた古本血風録」はないよなあ。んじゃ、らぶらぶはっぴー光線でまくりの「新婚さんと本妻」みたいな中野実か園生義人の如き明朗系の題名はどうじゃろ?いやいや、余り本以外のプライベート・ライフを垂れ流すというのは趣味じゃないぞお。それなら、いっそ、公募するというのはどうだ?ううむ、そりゃあまあ楽しくていいけれども、選んだり、「参加者全員にダブリ本をプレゼント!」なんてことになると、また作業が大変でしょう?。で、悩みに悩んだ末、見切りの仮題でスタートすることにしました。

「あなたは古本がやめられる」

ほほほ「わややわ書房」の出版で、作者の名前は、H.らぶらブリーンって感じっす。今後ともよろしくお願い申し上げます。

◆さて、一応「復活」公約の日である。ところが、本日も何かしら残業のネタは出てくるもので、今度は仕事相手のポカが発覚する。うげげ。急ぎの資料発送を管理職の人に夜なべ仕事でこなして貰ったために生じたミスである。ハリウッド映画でいえば、うーむ、ファール・プレーのゴルディ・ホーンって感じのミスかしら。ちょっとおバカが入ってます。その善後策他で、またしてもどこにも寄れないまま、帰宅して愛妻の作ってくれた夕食に舌鼓を打ち、呑んだくれて寝る生活。もし私が結婚していなければ、なんとも味気ない生活になっていたのは間違いない。それとも、閉店間際のブックオフに駆け込んで「おらあ!」と鬱憤晴らしのダブリ買いをやって「はあ、潤う、潤う。やっぱり疲れた時は古本浴だねえ。フルホンチッドが身に沁みるなあ。」とニタニタしていたのであろうか?ううむ。あ、もしかして、そういう生活が「味気ない生活」か?購入本0冊。

◆「あんただけ死なない」森奈津子(ハルキホラー文庫)読了
日記復帰の1冊目ぐらいミステリにしようかと思っていたのだが、連日の仕事上の消耗戦によって、脳味噌が小難しいプロットを受け付けない。ここは一番「さあ、お姐さんに任せなさい。男の子も女の子もまとめて面倒見てあげるわよ(はあと)」とゲジ眉に書いてある森奈津子快楽観音大菩薩のお慈悲にお縋りする事にした。さて、森奈津子印の書き下ろしホラー第2作は、自分を傷つけた者が必ず悲惨な死を迎えるという宿命を背負った「いい女」が、自分の出生の秘密に迫るお話。勿論、モリナツなので、レズもヘテロもココロもカラダもカラミもばっちり。美少年は犯され、鉄の男は密かに涙し、野獣が肉に降臨する。
前作がお嬢さまストーカーという一歩間違えば笑うしかない設定であったのに対し、本作の仕掛は、正統派のホラーである。題材自体はいい着眼であり、プロットの流れに巧く乗せてはいる。惜しむらくは、謎をあっさりもう一人の宿命の人間の語りで説明してしまったところ。幾らでも紡ぎようはあった筈なのに、最も安易な道を選択したのはプロとして如何なものか。エロ描写の自信と比べると、ホラー部分の自信のなさがこの作者の今の限界なのであろうか。森奈津子小説としては充分、だが、ホラーとしては合格点ぎりぎりといったところか。むしろ、題名でも表現されている最大の謎の解し方を考えるとミステリ的に読むべき本なのかもしれない。あと、表紙イラストは、なかなかキャラクターを的確に捉えていて吉。