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2001年1月9日(火)

◆朝一番、なんとか、昨日分の日記をHTML画面で作成しファイル転送で送る。あああ、面倒くさい!直接打ちこみの皆さんは、よくもこんな手間かけてますのう。うがあ。
◆とりあえず、メモリーの増設のため、ハードメーカーに電話する。つながらない、つながらない、つながらない、つながらない、つながらない、つながる、「パソコンのことならここへかけなおせ」、つながらない、つながらない、つながらない、つながらない、つながらない、つながらない、つながらない、つながらない、つながらない、つながらない、つながらない、つながらない、つながらない、つながらない、つながらない、つながる、「ここは周辺機器の担当なので、本体の増設メモリーはここへかけなおせ」、つながらない、つながる、またされる、またされる、そして、ようやく出てきた担当者に事情を説明すると、あっさり「当社のは売ってないと思いますので、メルコやTDKの増設メモリーをお求め下さい」と言われてしまったあああ。おのれら、なめとんかいっ!!とほほ。
◆んでもって、帰りに秋葉原でRAMボードを購入して、れっつ・とらい!結果、全く状況に変化なーし。うがあうがあ。2万円もしたのにいい。
◆それはともかく、2年ぶりぐらいに秋葉原で映像ソフト屋を覗いて心底びっくり。なんと、LDが完全にDVDに駆逐されているではないか!そりゃまあ、DVDは場所もとらないし、画質はデジタルだし、良いことずくめなのは確かだが、ここまで劇的に世代交代が進んでいようとは。かろうじて中古屋ではLDが大きな場所を占めているが、これとてもあと数年の命であろう。自分が大枚叩いたコロンボのLD−BOXなんぞが中古屋でズラッと並べて叩き売られているのをみると、なんだかソフトを所有するという行為自体がアホらしくなってくる。はああ、DVDの毒気に当てられたのと雨模様だったので、本屋に寄らずじまい。購入本0冊。うーむ、この日記は「パソコン初心者のうがあ&とほほ日記」にでも改称しようかな。
◆Moriwakiさんに、昨年の企画の御礼でダブリ本(「インキュバス」Rラッセル)発送。
◆積録のクウガ47話を視聴。余りに見事な省略ぶりに1話分録画し損ねたかと焦る。ありゃあ、子供はついていけんぞ。クウガが第0号にコテンパンにやられるシーンをプロローグのイメージ映像に集約して、残りの本編で延々と人間ドラマをやるんだもんな〜。大人向けだよ〜。
♪空っぽの棚、マニアをゼロから始めようー
♪伝説はーっ、塗り替えるものーっ
「未確認セドリ体・第0号」とか。

◆「浪子のハンカチ」戸板康二(河出文庫)読了
かつて野生時代に連載されていた「日本文学」の主人公をテーマにしたミステリ集。実は、私、「文学」なるものは凡そ読んでいない。受験生の頃に知識として主立った古典のあら筋ぐらいは覚えたものの、原典に当たっているのはごく僅かである。現にこの書で取り上げられた日本文学でも、読んでいるのは「坊ちゃん」ぐらいのものである。日本人が一番ブンガクに親しむ中坊の頃からミステリとSFに嵌まっていた私は、当時から「読書は<質より量>!」と開き直っていたのであった。オチもない、小難しいばかり(という印象)の「ブンガク」は大の苦手だったのだ。というわけで、戸板康二の著作の中でもこの作品集は後回しになってきた。ところが、そのブンガクを、要領よく梗概にまとめ、劇作化された時の演出や、作者の意図、モデル像まで含めて小粋な読物に仕立て上げた本作を読んで「ふーん、ブンガクってえのも捨てたもんじゃねえなあ」と齢四十うん歳にして認識を改めた次第。この書は、一編一編が気の利いた逆転の物語でありながら、格好の日本近代文学案内になっているという希有の書である。北村薫の「六の宮の姫君」のように、判らん奴はついてこんで宜しいという「卒業論文」とは心がけが違う。文学の愛好者からは邪道呼ばわりされるかもしれないが、こういう事が出来るのがホントの「教養」ってもんだよなあ、とワタクシ市場における戸板康二の株は上がりっぱなしである。以下、ミニコメ。
「浪子のハンカチ」ネタは「不如帰」。薄幸の佳人・浪子のモデルを卒論のテーマに選んだ女子大生が、有吉佐和子(らしい女性作家)から紹介された寿司屋から「真実の浪子」像を記した日記を入手する。ツイストは反則すれすれだが、このシリーズのパターンを決めた佳編。「浪子」の好物が笑える。
「酒井妙子のリボン」ネタは「婦系図」。雅楽ものでワトソン役を務める竹野記者が単独で登場する。日本愛好家の外国人たちが、「酒井妙子」の扮装をした新劇の女優を囲み「婦系図」論を交わす。その作品の構図と現実が見事に交錯して、男の嫉妬は一つの仄かな恋を闇に葬る。いやあ、このオチにニヤリとしているようでは、私も中年だよなあ。
「『坊ちゃん』の教訓」松山の私立高校に赴任した新任教師の物語。人を外見で判断する事をモットーにしていた教師が、その信念に裏切られる顛末記。割とストレートな教師ものかなと思っていたら、裏筋のトリックに見事に一本背負いを食ってしまった。作者のほくそ笑みが目に浮かぶようである。
「お玉の家にいた女」ネタは「雁」。これも竹野記者もの。新たに「雁」を脚本化しなければならなくなった劇作家が、紹介された「お玉の家にいた女」の一人語りは、物語の背景に後期クイーン的操りがあったことを明らかにするのだが…。女の執念の物語。ラストの劇作家の慨嘆は、読者の感想でもある。
「お宮の松」ネタは勿論「金色夜叉」。かつて自殺した熱海の旅館の主人。その末裔と竹野が、当時の日記を元に<事件>を再構成するうちに浮かび上がる、観光スポット「お宮の松」誕生の物語。戸板版の「九マイルは遠すぎる」。僅かな手掛りから過去の出来事を再構成していく竹野の推理の妙と、その思惑を超える歴史の真実の対照が鮮やか。
「テーブル稽古」ネタは「父帰る」。「父帰る」を上演する劇団で演出家と出演者の間で交わされる登場人物達の心象風景。斬新な解釈が明らかにされるが、女の闘いは終らない。やや青臭さが付き纏うが、演劇馬鹿群像は爽やかである。
「大学祭の美登利」ネタは「たけくらべ」。美登利に生き写しの女子大生を巡って彼女に懸想する二人の文学教授の葛藤が描かれる。作者の底意地の悪さが光る一編。
「モデル考」ネタは「痴人の愛」。じじ萌えの女性編集者の失恋の顛末を、ナオミのモデルだったというバーのママを絡めて描く作品。朴念仁と思われた中年編集者の最後の一言がなんともブラックである。やーらーれーたー。
総論:「文学がこんなにわかっていいのかしら?」「いいんです!!」


(今月買った本:35冊、今月処分した本:1冊、今年の増減:+34冊)
ぐふぐふ、遂にこの表記の目論見が。土田さんとは違うのだよ、土田さんとは。


2000年1月8日(月)なぜか成人の日

◆日本国中、大雪の1日。千葉は朝からみぞれになっていたが、それでも寒い寒い。んじゃ、古本屋はやめてホムペの移植でもやりますか、と思ったのが運の尽き。途中まで快調に動いていたホームページビルダーが、一旦閉じたが最後、二度と再び立ち上がらない。通常は強制終了して電源を立ち上げれば大抵のトラブルは解消できるのだが、今回は根が深そうである。何故か、途中までで「システム・リソースが極端に不足しています」状態になってしまうのである。うがあ、うがあ。はあ〜。まだまだパソコンなんて普通の人々が使えるものではない!と言うことを痛感した次第。なーにが、「IT革命」じゃい!何が「インパク」じゃい!!ぷんすか。
◆とりあえず、アップするか否かは別にして、日記だけは付けておこう。なーに、サイトを立ち上げる前にだって8ヶ月間黙々と日記だけはつけてきたんだし。

◆「不潔革命」村田基(シンコーミュージック)読了
これもネットに入るまでは存在すら知らなかった本。よくもまあ、こんな専門外の音楽出版社から純然たるSFが出ていたものだ、と未だに不思議である。おそらく作者の作品の中では最も入手困難な作品であろう。で、実はこの人の第一短編集には余り感心しなかったのだが、意外にもこの第2短編集は結構ツボに嵌まってしまった。ホラーについては、モダンホラーや異形系の人々との比較において切れ味が今一つな村田作品であるが、ホラー色の少ない純SFになると、昔懐かしい50年代風の奇想がなんとも嬉しいのである。リーダビリティーも高く、軽い読物としてはイイ線を行っている。大枚叩く本ではないが、定価の値打ちはあるといえる。リサイクル系でみかけたら即ゲットだぜ。以下、ミニコメ。
「性教育の時間」近代の性教育の歪みにより性的におくてになる日本人。それを矯正するために「必修科目」となった性教育の時間の講義風景。IFものとしては良くあるネタではあるが、小さいネタの積み重ねに見るべきところがある。さあ、みなさん、楽しく実技をやりましょう〜
「ネットワークの民話」街々に住む古老たちのネット上の民話講座。都市伝説が降臨する時、狩りは始まり、またあらななフォークロアが一つ。この作品集のベスト。これは既にあっても不思議ではない未来。こういう爺いになりたいねえ。
「博覧会がやってきた」空にヘリの音が響く時、長閑な村に<博覧会>がやってくる!水車の動きに魅せられた僕は、そこで更に凄い仕掛に感嘆し、都市に行く事を決意するのだが、その思いは余りに遅すぎた。ノスタルジックな未来の情景。これはユートピアなのか?ディストピアなのか?オチの1行はケッ作。
「不潔革命」徐々に浸透する「不潔礼賛」のムーブメント。だが、人々がエントロピーの増大に身を委ねた時、何か大事なものが静かに崩れていく。これもIFものの佳作。久々に文字の本で爆笑させられた。このエスカレーションはえぐい。
「最後の戦争」世界平和を実現するために擬似イベント化する戦争。集結するいにしえの戦士たちと超兵器。抹殺される両極の主義者たち。ありそうな話だが、きちんとした小説に仕立て上げた手際に感心する。
「楽しい家庭教育」復讐は家庭の中で躾という衣を纏う。愛を放棄した家庭教育が招くある未来の団欒。この路線では先人もいれば、後を襲うものも多いため、今ひとつという印象。
「創作者」売れない漫画家だった友人が死んだ。夢に現われた彼の思いを満たすため、彼の住んでいた北の街に向った私。彼を知る者の誰からも愛されていた漫画家の創作の秘密とは果たして?作者の創作論とも読める私小説風作品。だれしも「彼と僕」を飼っているような気もする。静かだが、スリリングな話。

(今月買った本:35冊、今年買った本:35冊)


2000年1月7日(日)

◆再び東京にとんぼ返り。500系のぞみは異様に未来デザインである。車体が円筒形の設計で、なんとなく天井が苦しい感じが「人間がいっぱい」的に未来デザインである。あっぷあっぷ。
◆総武線定点観測。随分久しぶりな気がする。そうか、あれはもう前の世紀のことであったか。なにもかもみな懐かしうございますな、と爺モード発動!って半月たっとらへんやん。
人が買っているからといって、買ってはいけないのだが、そこを買ってしまうのが古本者の性(さが)である。というわけで一部で盛り上がっている「春陽文庫<明朗>狩り」にちょっとだけ参加してみた。
「月を裂く快男児」小川忠直(春陽文庫)50円
「お願いゆるして」園生義人(春陽文庫)50円
「お嬢さん待ってます」若山三郎(春陽文庫)70円
「お嬢さんの恋愛講座」若山三郎(春陽文庫)60円
「お嬢さんの冒険」若山三郎(春陽文庫)80円
「お嬢さんの探偵メモ」若山三郎(春陽文庫:帯)210円
「お嬢さんは名探偵」若山三郎(春陽文庫)180円
「お嬢さんの探偵修行」若山三郎(春陽文庫)190円
ふっふっふ、時代は春陽文庫だよなあ。って、今の春陽文庫の売りにはちっとも貢献してないところが、古本者である。すまんのう(>誰に、謝っている?)
まあ、よしださんの持っていない園生本を捕獲したことだし(>いつでも回しますぞお、よしださん)
それ以外の釣果はこんなところ。
「黒い蘭」Nメイヤー&BJカプラン(パシフィカ:帯)200円
「借家人」Jギル(早川ノベルズ)200円
d「タリー家の呪い」WHハンラン(角川書店:帯)200円
d「呪われた絵」Sマーロウ(角川書店)200円
d「ミスター・パーシー」Rヒッチコック(早川ノベルズ)200円
「メガロポリスの虎」平井和正(早川JA文庫)30円
d「アガサクリスティ殺人事件」河野典生(祥伝社ノンノベルズ:帯)30円
d「アヴェロンの銃」Rゼラズニイ(早川SF文庫)160円
d「ユニコーンの徴」Rゼラズニイ(早川SF文庫)140円
d「オベロンの手」Rゼラズニイ(早川SF文庫)150円
d「混沌の宮廷」Rゼラズニイ(早川SF文庫)130円
d「中継ステーション」CDシマック(早川SF文庫)150円
d「貝殻の上のヴィーナス」Kトラウト(早川SF文庫)150円
d「気まぐれな仮面」PJファーマー(早川SF文庫)200円
「サラリーマンの勲章」樹下太郎(文春文庫)110円
「非行社員絵巻」樹下太郎(文春文庫:帯)120円
「黒い蘭」は森さんの「メイヤー最凶の効き目本」という煽りさえなければ、これまで同様スルーしていた筈の本。そうそう、前もこの梗概(=「眩惑の都マナウス−盛衰の鍵ゴムをめぐって大アマゾンに展開する愛憎と逃走の冒険ロマン」)を読んで「自分向きではない」と判断したんだよなあ。まあでも帯付きが200円だしさあ(言い訳になっとらんぞお)。角川書店やハヤカワノベルズのホラー・奇想分野が200円であったのでこちらも押える。「ミスター・パーシー」は移植された男性のナニの親元捜しというトンデモ小説。「私のムスコは一人の男」か!?
SF文庫のちょっと美味しいゾーンがあったので、幾つか拾う。Z本とファーマーはこれまでも何かと拾ってきた本。「中継ステーション」は布教本。いいぞお、この話。
◆メールではキバヤシさんが、掲示板では土田さんが「スヌーピー・ブックス全86巻・5万円」復刻のお知らせ。ああ、マジックがやっと一桁になったとおもったらこれだよ。ピーナッツの真価が再び日本でも手軽に味わえることは物凄く嬉しい反面、ここまでコツコツと集めて来た者としては内心忸怩たるものがあるのも事実。ここは、ぐっと堪えて、復刻版を買った人が手持ちのダブりを処分するのを待つのが「古本者の道」というべきか。嗚呼。

◆「暗い影を追って」Aガーヴ(リーダーズ・ダイジェスト:抄訳)読了
2000年最初の私的大発見だった、これまで未訳だと思われていたガーヴの後期作「The Ashes of Loda」の抄訳。この「発見」以降、リーダーズ・ダイジェストを見かけるたびに収録作品チェックが欠かせなくなってしまった。ビクトリア・ホルトだけでも結構あったりするんだわ、これが。さてこの作品はガーヴ効き目中の効き目「モスコー殺人事件」(これも確信犯的抄訳らしい)同様「鉄のカーテン」時代のソ連を舞台にした話。1942年から45年までニューズ・クロニクル紙のモスクワ特派員だった作者の経歴が生きた作品である。こんな話。
わたしティモシー・クェイトン卿は、貴族院に収まる事を避け、報道の修羅場に生きる道を見出した男。モスクワ特派員である私は、ロンドンでの休暇中、ポーランド出身の美女マリア・ラシンスキーと電撃的な恋に落ちる。結婚への決意を胸に秘め、英国で成功者となったマリアの父ラシンスキー博士との会見に臨む私。無事に、最初の関門を過ごす事のできたものの、同僚記者から寄せられた情報が私の心を曇らせる。黴臭い資料室で私は、博士が戦時中ローダ収容所で犯した戦争犯罪を告発するモスクワからの通信社の情報を発見してしまう。果して、博士は憎むべきナチスの手先だったのだろうか?博士は何かの誤解であったとして、その記事を退けたものの、私とマリアの間は以来冷え切ったものとなってしまう。マリアへの思いを断ち切れない私は、任地モスクワに戻るや、ソ連外務省に「ローダ事件」の告発者との面会を申し入れる。快くこれに許可を出す外務省高官パブロフ。しかし、外務省が用意した証人と私が独自に突き止めた証人の言葉は似て非なるものであった。「ローダの灰」という歴史の迷宮に踏み込んだ私を待ち受ける、雪と闇の罠また罠。厳寒のソ連を舞台に孤独なる逃避行の幕は開く。
ロマンスと冒険というガーヴ節はこの「鉄のカーテン」ものでも健在。主人公の快男児ぶりと危機一髪ぶりは、さながらバカン時代の英傑を思わせる。ソ連での取材システムや、ウクライナのコルホーズの描写は作者の経歴に裏打ちされたものであり、一人一人は気のいい隣人であるソ連人の姿がよく描けている。勿論、とんでもない抄訳なので、異様に早いテンポで物語は進み、ラストの余韻もあっけなく、「大陰謀」の正体も今からみれば手垢のついたものである。まあ、ガーヴ完全読破を志した人が読んでおけばよい話ではある。

(今月買った本:35冊、今年買った本:35冊)


2000年1月6日(土)

◆南砂町定点観測。そこそこ棚は動いているが、さしたる物は何もなし。何も買わないのも癪なので、1冊だけ拾う。
d「朱の絶筆」鮎川哲也(祥伝社NONノベルズ:初版)100円
初版第一刷につき捕獲して鮎哲スターターセット送り。そろそろ「何がスターターセットやねん?」という内容になって来たぞおお。
よしださんフクさんが、昨日の新宿京王デパート古書展の初日夕刻、私のことを待ってくれていたようである。うーむ「コショーで待ちながら」かあ。ご期待に沿えず申し訳ない。まあ、現われない事で不条理劇も完成するわけだから(ちーがーうー)。
◆身内の祝い事で帰省して一泊する。したたか美味い肉とワインを食するも、大阪の古本屋を覗いている閑はなし。ああ、清々しい(負け惜しみ)。

◆「夢魔殺人事件」島田一男(青樹社ノベルズ)読了
さて、山田風太郎の「天狗岬殺人事件」がネットで話題になっている。中味の凄さもさることながら、「とにかく本屋でみかけない」というのが盛り上げに一役買っているのはご愛敬。勿論、日下三蔵氏のネットを用いたパブリック・リレーションズの勝利でもあるのだが、一部(ちゅうか、未読王さん)の辛口の意見を除けば概ねネット古書系翼賛状態である。で、ネットとは無縁(?)の山前譲氏も素晴らしい仕事をしていて、それがこの作品集なのだが、余りマニア心を刺激する作家ではないためか、知る人ぞ知る「御仕事」になっている。全11編の掲載誌を並べると「サン」「読物と講談」「小説倶楽部」「小説公園」「富士」「探偵よみもの」「新探偵小説」「探偵趣味」「日の出」「宝石」ときたもんだ。あはは、「宝石」以外では「小説公園」ぐらいしか持ってないぞお。凄い凄い。<拾遺集>とはまさにこのような作品集のためにあるようなものである。というわけなので、日頃は島田一男に余り興味のない方々も是非お買い求め下され。当「猟奇の鉄人」は、「天狗岬」を支持するのと同じ重みでこの書を推薦します。以下、ミニコメ。
「夢魔殺人事件」天文学者が観測に赴いた孤島から妻に送る7通の手紙。そこに綴られた奇怪な夢と殺意の記録。手紙形式と「夢」モノのコンビネーションはなかなかフィットしているが、現実世界の<犯罪>については、最後の手紙の存在が邪魔。プロットが破綻してしまった。
「通り魔」次々と毒殺されていく法医学関係者。その背後に蠢く一人の女の哀しい怨念。非常にストレートな作品。推理の妙味は乏しく、煽情的な猟奇譚の趣。後の「科学捜査官」のプロットにでも使うと(「科学捜査官自身の事件」みたく)面白かったかも。
「白豹」昭和毒婦譚。華やかな世界に住む女獣が、愛人を絡め取り、夫を「自殺」に追い込む顛末を愛人の視点で描いた作品。一種の倒叙ものではあるが、ツイストが成功しているとは言えない。この女は怖い。
「愚者の毒」夫と妻に捧げる犯罪・引き上げ者バージョン。麻薬に耽溺し不能になった夫を「愚者の毒」で巧妙に葬ろうとする妻と、そんな妻の企みに命を賭して反撃する夫。設定のやるせなさがなんとも時代を感じさせる修羅と羅刹の闘い。
「熱帯魚」結核病みの美少年と美しき人妻の逢瀬に夫の惨殺が交錯する。互いを庇い遭う不倫の二人。だが、そのアリバイにこそ真犯人の企みは潜む。小味なツイストだが、一応は推理小説。横溝正史の戦前作を思わせる作品。
「妖かしの川」水難事故を装って邪魔な女を葬った筈の私。その私を助けてくれた妖しい美女の正体とは?逆転の妙味が楽しめる幻想譚。島田一男にしては極めて珍しいタイプの珍品。作者名を隠されたら絶対に当てられないであろう。
「砂浜の秘密」不仲な画家同士が繰り広げる海辺の惨劇。新聞記者の勘が、刹那的な論理の積み上げで真相に迫るシーンが圧巻。陰惨な割に、なぜかユーモラスな印象を受けてしまう。
「朧夜の幻想」未亡人宅の美しい娘に懸想した「おたく」な下宿人を狂わせる恐怖の手触り。オチは少々疑問だが、語り口は上々。この時代から変質者はちゃんといたんだねえ、と感心する。
「魔女の羽衣」老博士と若夫人と書生の物語。深夜の銃声に秘められた悪意の陥穽。心理的不可能犯罪を描いた推理趣味の強い一編。書簡のダブルミーニングが吉。
「神の手」脚を失ったイノック・アーデンの帰還。奇妙な三角関係に耐え切れず、三角形の第四辺が動いた時、神の手が場を浚う。酷いなあ、この話。
「作並」ハルピン特派員であった新聞記者が、山間の宿で再会した美しき女按摩。そして、かつて彼女の金を持ち逃げした男女に静かに死が忍び寄る。凄絶なる復讐譚を傍から描いた異色作。女の執念が余りにもおぞましい。

(今月買った本:11冊、今年買った本:11冊)


2000年1月5日(金)

◆改めましてあけましておめでとうございます。開店以来1年と5ヶ月、「世紀末古本血風録」と題してやって参りましたこのコーナーも、本年からは当然の如く「新世紀古本血風録」に衣替えでございます。ロゴなんかも作ってみました。
♪だけーど、いつーか気づーくでしょう、そのお金には、
♪はるか効き目目指すための羽があることー、
♪残酷な店主の値付け、眺めーれば目玉飛び出す
♪ほころびる薄いPurse(財布)で、
♪家計簿を裏切るなーらっ
♪古書相場で有り金はたく
♪中年よ、神話になーれっ!
ま、オチが「気持ち悪い」にならない程度に、今年もサービス、サービスうう(一応、エヴァに嵌っていたらしい。黒白さん程じゃないけどね)
◆正月に感心した政治川柳:「クリントン一人の間に七総理」やんや、やんや、これは上出来。
「SFM一誌の間に7雑誌」(SFA、NW−SF、奇想天外1期、2期、3期、SF宝石、SFイズム)とか「HMM一誌の間に四雑誌」(AHMM、マンハント、EQ、幻影城)とか。
◆本日からお務めのため、京王初日には参戦できず、サンシャイン広小路もアウト。今年は、とにかく「量より質」で行こうと負け惜しみの空念仏。ぶう。夜は飲み会につき、新橋駅地下のワゴンで1冊のみ。
d「闇の祭壇」Sハトスン(早川JA文庫)250円
あーあ、またダブりだよー。でも、モダンホラー・セレクションでは、一番私の趣味に合った作家なんだよなあ、ハトスンって。
◆夜郎自大企画の御礼ですが、ダブリ本リストを投票の早かった人から回し始めました。投票頂いた方、どうぞ気長にお待ちください。
◆Y.K.氏からご指摘(いつも済みません)。「蟷螂の鎌」じゃないです、「蟷螂の斧」です(12月29日日記)。受験生の方は間違えないように。とほほ、何となく「音」が変だよなあと思ってはいたのですが。ごびゅ〜((C)u-ki総統@雪樹姐さんのあれれ掲示板)

◆「月あかりの殺人者」Fディドロ(ポケミス)読了
フランスと本格推理というのは、なかなかに相容れないものらしく、「単品販売」の頃のボアナルとか、ステーマンとか、アヴリーヌとか例外がないわけではないのだが、どうも仏ミスというと、絞り込んだ登場人物の心理の綾をこねくり回す暗い小説というのが頭に浮かぶ。リュパンものに、トリッキーな作品が多くあることはミステリファンの常識ではあるが、それとても波瀾万丈サスペンスの添え物的な扱いを受けている。筋違いではあるが、世界最初の名探偵はフランス人だし(だよね?)、カー最初の名探偵もフランス人である。でも、エクスブラヤ辺りがキャラを立てようとすると、舞台をイタリアにもっていったりするんだよなあ。謎。つまりなんですか、名探偵というのは「異邦人」ちゅーこってすかね?まあ、最近はオベールやアルテなどという仏・新本格とでも呼ぶべき作家も脚光を浴びているので、こういう思い込みもなんなのだが、60年代の日本人に「フランスにも本格あり」と思い知らせたのが、この作家のこの作品。新世紀「私的<こんなものも読んでなかったのか!?>シリーズ」の幕開きは、こんな話。
3月、春まだ浅きパリで、富裕な寝たきり老人マテオが自室で刺殺される。兇器の形状、殺しの手口、現場に流れる<月のあかりで、ピエロさん>というヒット曲の口笛など、事件は、その頃パリ市民を震撼させていた「月あかりの殺人者」の仕業かと噂された。「月あかりの殺人者」はそれまでに乞食と吝嗇な伯爵夫人を鮮やかな手口で殺害していたのだ。しかし、警察は被害者の死によって莫大な遺産を相続することになる唯一の係累である甥マルタンを第一容疑者と目して捜査を進める。マルタンは事件の数時間前に伯父のもとを訪問し、しかも「月あかり」を口笛で吹くという不用意な行動故、警官に不審訊問を受けていたことが判明する。更に、自宅にいたという彼のアリバイを覆す「耳の目撃者」が現われるに至り、警察は逮捕に踏み切る。マルタンの婚約者であるマリーは彼に弁護士を付けようと、誤って「諸般代理人」ドゥーブルブランに依頼を持ち込んでしまう。奇妙な巡り合わせにより、窮乏状態にあったドゥーブルブランは、この「月あかりの殺人者」事件の渦中へと、女性助手のナターシャと犯罪者上がりの荒事担当オスカールとともに飛び込んでいくのであった。やがて発見される新たな遺言状と遺贈者。その身元を追うドゥーブルブランは、薄幸な女性とそのやくざな夫に辿り着き、更に20年以上前に事件を取り巻く「四人のMa」の間で起きた忌まわしい醜聞を知る。複雑に入り組んだ人間関係、渦巻く奸計と詭計、復讐する過去と反覆する因縁。果して、何でも屋チームは、連続殺人鬼を捕える事ができるのか?
シリアル・キラーものにして、物理トリック、心理トリックも横溢した佳作。チーム探偵の面々も夫々に個性的で、映像的にもイメージが描きやすい。奇縁が御都合主義的に巡るところが、やや鼻につくが、この縺れた相関図を一応破綻なく説明したところは評価されるべきであろう。ただ、こちらがフランス人の名前に慣れていないために、人名が出てくるたびに扉裏の登場人物紹介を見なければいけないのが辛かった。結末部分のサスペンスとアクションシーンも、お約束ではあるが及第点。なるほど世評に違わぬフランス本格ミステリであった。国書の世界探偵小説全集に第4期があれば、是非候補に入れて欲しい作家である。

(今月買った本:10冊、今年買った本:10冊)