秦野一八会(ひばのかい)
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◆秦野南地区/名所・旧跡
秦野市の南側に東西に連なる丘陵を渋沢丘陵といい、四季を通じて家族連れの良いハイキングコースとなっています、この丘陵上及び近くには名所・旧跡が散在 しています。ハイキングの途中に立ち寄るのもいいかと思います。観光ルートについては、駅構内にある案内書にて秦野観光ガイドマップを入手して参考にされ ると良いのではないでしょうか。場所については、下記の地図をご参照ください。
*写真をクリックすると拡大写真がご覧いただけます。
名称 説明 地図 写真 参照/南地区語り部運動
今泉城址 室町時代、一色伊予守の館跡と伝えられる。永享の乱後、長尾氏らに攻められ伊予守は逃亡、その後城は破棄されたものと考えられる。現在は畑の中にぽつんと石碑とそれを覆う1本のブナの木があるのみ。 MAP ふるさと探訪
秦野市編集
震生湖 関東大震災時、谷が陥没、小川をせき止めて誕生した最も新しい瓢箪形の湖。特に秋の紅葉、春の桜は湖面に映え美しい。
湖畔には、寺田寅彦博士の句碑があります(写真(中)
写真(下)は、11月初旬の景色です。
MAP 震生湖は関東大震災によって生じた湖であるが、その頃、豚商を営んでいた中町の小林奥二郎さんが、小原に商売に行き、豚を籠に入れ荷車で小原の村を出た時に地震に遭い、命からがら味噌田の山口直信さん宅までたどりつき、地震で山林畑が陥没していると告げた。山口直信さんと栗原秀雄さんがおそるおそる裏山に登り、畑に四つん這いになって、そのすさまじいあり様を見た。以後二、三年は底に水溜まりがあった程度でで、今泉の陥没地と呼んでいた。
語り部 中町長寿会 綾部良三 様
渋沢丘陵 秦野総合高校より渋沢の頭高山までの尾根道。正面に富士山、左手には丹沢表尾根、大山、右手には、雨上がりの晴れた日は遠く伊豆大島、利島まで見晴らせる。

右写真上:金井場配水場より南(相模湾)
方向を望む
右写真中上:尾根道より西(富士山)方向を望む  *平成21年初冠雪の朝撮影
右写真中下:尾根道傍にあるそば畑より
北(表丹沢方向)を望む

右写真下:東方向は、平塚市街から江ノ島をはじめ、横浜のランドマークタワーを確認できます。
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池窪の大悲観音 渋沢丘陵と中井町砂口集落の間の窪地
昔は、名前の通り、大雨が降ると池になったという。池窪の最南端にお堂がありこの中に安置されています。台座によると江戸時代(天明二年・天明の大飢饉のあった年)建立とあります。農村は、悲惨な状況にあったとのことですが、観音様は実に穏やかな顔立ちをされています。
MAP 南地区3南ヶ丘と中井町砂口の道境の大原博さんの畑の片隅に観音様が祀ってあります。
昔、私達は「池久保の観音様」と呼んでいました。この池久保は、長雨が続くと深さ三米、広さ三町歩位に水がたまってしまいます。今までに4回もたまったようです。この水のたまった時に、ここで近所の青年が死にました。そこで天保二年に大岳院の仁左衛門外四名と砂口五名の有志の方々で、この観音様が建てられたようです。其の時は酒匂川が氾濫した二宮金次郎さんの時代のことだったようです。 このお観音様が、昭和四十二年に夜の内に何者かに持ち去られてしまいました。 その後大原さんのお家では長男の方がなくなられたり、不幸が続きましたので、これは観音様が災難にあったためではなかろうかと、現在の観音様を建立されたものです。
語り部 新田長寿会 高橋小満江 様
関東大震災埋没者供養塔 関東大震災のとき、秦野の街に行っていた二人の女学生が帰宅しなかった,方々捜したが、わからない。この碑付近で土砂の崩落があったのでこの辺りで埋没遭難したものと判断され、供養塔が建立された。 MAP 大正十二年九月一日関東地方に大地震が発生した。小学校より帰宅途中の小原部落の十三才と十一才に¥の二少女が、峯坂道路途中で埋没した。近隣の部落民村内の青年団消防団員等が埋没したと思われる道路を堀かえしたが、死体は見つからず終わる。南秦野村一般有志で、二少女の冥福を祈って供養塔を建てた。これが峰山台峯坂旧道の終点、槇の木の下に建っている供養塔である。
語り部 平沢第一老人クラブ 加藤善策 様
御感の松 平沢峯坂の頂にあったが関東大震災により枯れ今はない。 上記と同所 平沢峯山の高台に柳川家の墓がある。三浦より移住した者で、三浦の故郷が見える場所に埋葬するよう遺言により、峯山に墓がつくられたという。
 震災前、周りが丈余のの老松が生えており、大正初期の全国名木、御感の松の名を戴いたが、十二年の大震災に枝を振り落とされ、千年の松は生命を失う。 昔、押切方面の漁師は舟の出入りにこの松を灯台替わりにしたという。
語り部 平沢第一老人クラブ 加藤善策 様
軽便鉄道址碑 明治の時代、秦野は煙草や落花生の一大生産地でありました。そのため東海道線の二宮駅と秦野間に大正2年 軽便鉄道(湘南軽便鉄道:SL)が運転されていました、その線路蹟にある記念碑です。 MAP 秦野の近代交通
秦野市教育研究所発行
煙草栽培指導顕彰碑 秦野は煙草栽培の一大生産地でありました。その栽培技術を全国各地で指導しました、と記されています。私の故郷安芸の国竹原郷もあったので思わず一礼をしてしまいました。 MAP

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