のんき熊のひとりごと その1
私の鉄道遍歴
子供の頃、男の子というものは、多かれ少なかれ、電車などの乗り物に興味を持つものです。それが成長の過程で、音楽やスポーツなど異なるジャンルへの興味を増していき、乗り物への関心が相対的に低くなったり、またクルマやバイクなど、パーソナルな乗り物への関心が増していきます。
鉄道を趣味としている人間に対して、そうでない方々が持つイメージは、あまり良いものではありません。鉄道ファンを指して使われる「鉄ちゃん」という言葉にも、マイナスイメージがつきまといます。でも、鉄道を趣味とする事も、サッカーをする事も、あるいはベースを弾く事も、その本質は何も変らないんじゃないか。ただ、幼児体験を源流しているので、鉄道ファン=成長していない人という固定観念ができてしまったのではないか。
鉄道が好きで、なぜいけないの?…この思いが、私を趣味的に突き動かしてきた力です。
まぁ、ここまで肩ひじ張って鉄道ファンやってる人は、あまりいないと思いますが。
前置きが長くなりましたが、私が本格的に鉄道好きになるきっかけとなったのは、小学校1年のときです。たまたま遊び仲間のひとりに、父親が鉄道友の会に入っている子がいて、その子の家に行くと鉄道雑誌がたくさん積まれ、見たこともない列車の写真がたくさん載っている。また、別の子の家には西ドイツ製の鉄道模型メルクリンがあり、8畳間いっぱいに線路を敷き詰めて何十両という車両を走らせている。そんな環境が、私の鉄道に対して興味を持つきっかけを作ったのだと思います。
でもこれらは、あくまできっかけです。私の鉄道への興味を増大させたのは、精神的な枯渇感、見果てぬ夢、想いだったと考えます。
小学校の頃、我が家で旅行といえば、毎年7月の帰省を兼ねた旅行ぐらいでした。遠くへ行きたい、日常を離れたい。この列車に乗れば、あの場所へ行ける。そしてその先を目指す…古くなった時刻表を飽きもせず、何度も読み返しては旅の計画を立てていたものです。当時の私は、高い運賃の飛行機や新幹線、自分で運転できないマイカーは興味の対象外で、もっぱら自由席車の付いた長距離急行が、机上旅行の手段でした。子供心に、安い急行列車なら、ひょっとしてこの旅が実現できるかもしれない、と感じていたのです。
それに加え、我が家の近所には、私の興味を引く鉄道がありませんでした。あったのは、日常を引きずった変り映えのしない銀色の電車(東急東横線)、白と青だけのいも虫(東海道新幹線)だけでした。
さらに決定的だったのは、私自身にカネがなかったこと(笑)。出かけることも雑誌を買うことも、ままならない。教育ママの典型だった母は、子供への小遣いをセーブし、おもちゃのおねだりなど、もっての外。連日連夜の「遊んでないで勉強しなさい!!」の小言を、大学受験まで聞き続けてきたのです。
今思えば、子供の頃の心の渇き、そして虐げられた(!?)時があったから、30年近くも鉄道ファンで居続けられたのでしょう。もちろん、長ければいいというものでもないし、「鉄ちゃん」30年続けてどーすんの?と、呆れた声が返ってくるのが関の山でしょう。でも、長く続けるうちに、鉄道に限らず様々な事を自分なりに考え、それが自分自身の生き方考え方の蓄積になっている。この点だけは、他人様が認めなくても、自分で自分を認めていきたいと思っています。
「…あれ?この熊さん、のんきじゃないのかしら??」
「はぁ。根はのんきだと思ってますが、つい熱く語ってしまって…少し、肩の力を抜かないといけませんね…」